遅すぎた謝罪はその価値を失う

Independent紙のロバート・フィスク氏による原爆記念式典への英米外交官初出席についての記事。http://www.independent.co.uk/news/world/asia/an-apology-fatally-devalued-by-the-passage-of-65-years-2045890.html

We are looking at the survivors' ceremony and recognising their suffering – how very Blairite of us – and even the British embassy's words were of Blairite insincerity. "This is the right move at the right time," it said. But the right 'move' for what? After all, we are really not apologising for the 220,000 dead of Hiroshima and Nagasaki. Hell, didn't we win the Second World War?

What it really comes down to is this. If you apologise for slaughtering civilians – or, at the minimum, causing their deaths – you have to do it quickly and for humanitarian reasons. Wait too long and do it for political reasons, and it will lose its effect. Germany was quick to start admitting responsibility for the Jewish Holocaust and now calls itself Israel's best friend in Europe. Turkey has never apologised for committing the Armenian Holocaust in 1915. But if it ever does, will anyone except the Armenians care?

私たちは遺族の式典を見ながら彼らの苦しみを「受け止めている」。なんてブレア風なんだ、そして英大使館の発言もブレア風に不誠実だった。「これはまさにあるべき時期のあるべき行動だった」何に対するあるべき「行動」なのだ?結局、広島と長崎の犠牲者22万人に本当の意味で謝罪していないのだ。第2次大戦に勝ったのは俺らだぜ?ってか。
このつけは結局まわってくる。民間人を殺害したことを、または控えめに言って彼らの死亡原因を作ったことを謝罪するなら、迅速にしかも人道的な意味でしなくてはならない。長く待った末に政治的理由で行えば、その効果は失われる。ドイツはユダヤ人に対するホロコーストを素早く認め、今ではヨーロッパでのイスラエルの一番の友好国を自認している。トルコは1915年のアルメニア人虐殺を謝罪したことはない。例えしたとしても、アルメニア人以外誰が気にかけるだろうか?

筆者のいとこは、捕虜としてあの泰緬鉄道建設に携わり、1942年に亡くなったそうだ。彼にも日本に謝罪を求める権利があるとするなら、原爆投下を後押しした英国は謝罪する必要がないのか?そんなことないだろう、ってこと。でも年月がたてばたつほど、謝罪の人道的な意味が薄らいでしまうよね。遅すぎても、しないよりはましだろうが。

しばしば、日本軍の慰安婦にされた女性たちが補償と謝罪を求めるのに対して、長年黙ってたくせにいまさらなにを言うんだ、みたいな意見を見る。でも、被爆者だって長年連合国に対して補償も謝罪も求められなかったんだから、彼女たちが沈黙してきたのも仕方ない気がする。「戦争だったんだからどうしようもない」そう思って何事も我慢してきた人は多いんだろうと思う。被爆者が日本政府の認定を受けて病気の治療などを受けているのと、米兵の犯罪被害にあった被害者が日本政府から補償金をもらうのって、なんだか似ている。参照:2008-12-11 - おこじょの日記だから、元慰安婦の人たちへの補償も、国が直接するんでなくてアジア女性基金みたいなのを中継したのかな。責任があいまいになるように。

英米が民間人殺害を開き直って?るから日本もそれでいいんだ、てのはへんだ。よそはよそ、うちはうち、なんだからさ。