教えて君はやっぱりいらない

 教えて!gooの広告を見た。その中で「教えて君歓迎」と謳っている。
 gooは、自サイトの中では「とにかく聞くことしかできない人」と「とにかく初心者の疑問に答えて質問者本人だけの役に立ちたい」「どんな質問を周りの人がしているのかを読みたい」という人だけきてください、ということにしたと理解した。
 しかし、このような人たちが集まってWebサイトの価値が上がるのかは未知数だ。わがままな質問、個人的な質問ばかりで、他人には役立ちそうにない。
 聞いているだけの人には、自分が教えてもらっても「今度は自分が答える側に回ろう」などという意識はないから、gooは、いつまでもお節介さん*1を集め続ける必要があるのだろう。今後に注目したい*2
 わたしが読んでいる別の掲示板サイトには、携帯電話のブラウザで質疑応答を読むことができるようになっている。質問または返答は1件につき1ページで構成されている。
 ある質問に3つ返答がついていたとすると、わたしは最初の2つしか見ない。8割方、最後の1つは「どうもありがとう」ページだからである。

なるほど、よくわかりました。そういうことだったんですね。
ありがとうございました。

ひどい場合には、このあと「実は、」と続いて、質問するに至った背景や、感想などが長々と並べられる。第三者のわたしにとって、こんなお礼を読んでもちっとも役に立たない。ダウンロードするだけ時間とパケット料金が無駄である。
 例えばこのサイトで質問1件につき平均3件の返答がつくと仮定した場合、単純計算では4ページ*3のうち1ページがごみ情報であり、サイトの情報のうち4分の1は読むだけ無駄という計算になる。情報化社会に氾濫する無駄情報の典型である。
 無駄がない、純度が高い情報なんてないことはわかっている*4が、自分に興味がない新聞広告にも、つまらないテレビCMにも、必要性があることは理解できる。だからなくせとは言わない。でも、単なるお礼は誰も必要としてない。それなら改善の余地はないか。
 お礼は質問者本人から回答者本人すればよい。世の中の人に自分がお礼していることを知らしめる必要はない。質問者が、回答者からの書き込みに満足しているかどうかについては、記号や数値を使って小さな面積で表示してくれれば十分である。Amazonのカスタマーレビューのようなものがいい。
 自由に書いてよい方針の掲示板サイトは、淘汰されるのではないか。ただ、情報化社会が進んでも永遠に教えて君はいなくならないからコミュニティーは用意され続けるような気もする。どうなのか?

*1:他にいい呼び方が思いつかなかっただけで、お節介さんたちには悪印象はない。むしろ尊敬に値する人だ

*2:営利企業が自社のビジネス・モデルのためにボランティアを集め続けるというのは他にないと思うから

*3:質問1+返答3

*4:例えば、わたしのブロクとか。ただし、わたしのブログは人様に「アクセスしろ」と要求することはない