あほげ

同じ中学だった馬場くんは
メールのタイトルがいつもひらがな3文字だった

「おごん」今日は寒いんで厚着して出てください

「へんひ」了解ッス リサーチして連絡致します

「たむち」お久しぶりッス ちょっとダイサク仕事でこっち来てるんだけど明日軽くどーッスかね?

言葉への意識が細やかな人だと思う
想像と言葉とかいいと思う


思春期の頃は極端に走る
僕は自分で髪型をつぶやきシローにしていたのだが
毎日鏡を見ては溜息をついていた
クセが強く毎日もみあげの向きが違っていたのに加えて
頭頂部からもアホ毛が出ていたので
毎朝毛抜きで全部抜いていたら頭頂部が薄くなり
髪を切る度に育毛剤を振りかけられるようになった


自分を「かっこよく見せたい」と思ってすることは
うまくいかないと思ったので放置することにした
髪の毛のセットはしなくなった
視野が狭いというか期待が強すぎるというか、
客観を間違っているというか思春期なのだが
自分には差別的な基準を持つ一方で
他人はどうでもいいので楽だった
他人を見ることが好きになった


そのうちカメラをのぞくようになり
屋上から近所のマンションをズームして見たりした
「見えちゃった」というのはドキドキする
デバガメの道にはいかなかったが
集合住宅が好きだと思った
のぞくまでもなく各家庭の存在が心を温めてくれるのだった


大学の頃は、よくほろ酔いで町を散歩した
庭先の自転車や窓際の放置物、建物の佇まいから
家庭の歴史を想像していた
不審者と思われないようにしていたが、よく道を訊かれた
時折セックスの声も聞こえてきて動揺した


ただ見ているだけなら簡単だけど
逆に周りに見せることはとても大変だ
他人の目に映るということは
他人の物語の登場人物になるということだと思う
見る人は目に映る他人が自分にとってどういう存在か
自分の物語のルールに則って判断する
それは見る方にとってもそれなりに疲れることだから
申し訳なさもあり、僕は誰にも見られたくなかった
風景でありたいと思う一方で、無邪気な聴衆でいたい気持ちもあって


自分をかっこよく見せることは放置していたが
必要なことだけは悩まずやってみせることができた
やればやるだけ経験と共に実力がついているもので
自分を必要とされるところもあったりする


そういうのは舞台などに限った話ではなく、日常がそういうものだった
でも悩まないからといって、目的もなく続けていると疲れる
目的というのは本当に必要なのだと思う


ああもうめんどくさいというか、死に際のビジョンが見えてきて
それは海を眺めながら酒を飲んでいる老人で
野垂れ死ぬ場所は海岸がいいと思った
ずっとそのイメージがあったから、6年も髪を伸ばしていた気もする
髪は切っちゃったので、また一からだけど
前とは違うものが見えるといいなと思う



暖冬は外で飲めるのでよい