曇。
ヘーゲル『精神の現象学(下)』読了。金子武蔵訳。
プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』読了。関口英子訳。シブい本が訳されたものだ。
アウシュヴィッツからの帰還を描いた『休戦』の作者の短編集として、手に取った。SFや、また寓話などと呼びたい、なかなかの短編が揃っている。
アウシュヴィッツ物とはまただいぶ違った世界であるが、本書所収の「
ケンタウロス論」の
ケンタウロスとは、人間と馬の合の子を通じて、そのような二重性を作者自身が自覚していることを、示しているのだという。なお、堤康徳の解説は読み応えがある。
三浦展『
下流社会 第2章』読了。データを統計処理して考察するという、小難しい
社会学をやっている人からみれば馬鹿にされそうな本だが、まことに面白いし、こういうのは「インフラ」なのだ。まあ、ちょっと前の本なので(古書で買った)、雑誌と絡めた考察などは、いささか賞味期限切れのものもあるとは思うけれども(しかし、読んだこともない雑誌ばかりの当方なので、断言は致しかねる)。とは云っても、今の時代と本質的な差はないと考えられるので、現在でも通用する部分は多いと思うし、驚くべき結果もある。例えば、「正社員になれずに、下手に派遣やフリーターで働くくらいなら、働かないで
ニートになったほうが階層意識が高い、上流だよ」(p.82)などというのには吃驚だ。いや、分らないでもない。派遣やフリーターで働くくらいなら、好き勝手にできる
ニートの方がまし、ということだろう。もちろん、親とか何とか、どこかに金はあるのだな。ITには強いらしく、
背取りやネット・オークションで収入があったりするそうだ。悲しい考察には、「学歴が低く、年収も少なく、貯蓄もなく、階層意識も低い、未婚で、ずっと
非正社員で、一人暮らしの女性が、日本はどうせよくならないと絶望しながら、アロマを焚いて、ヒップホップを踊り、そしていちばん自分の人生に希望を持っている」(p.229)という女性像が浮かび上がってくる、などというのもある。何とも云いようがありません。本書を読んでいると、自分のことも常に考えさせられて、結局自覚してみると、自分は「
下流」なのだなあと思う。だから何だという気も、一方ではするのだけれども。