レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』/飯田隆『規則と意味のパラドックス』/青柳いづみこ『ショパン・コンクール』

雨。
統合の組み込み。
図書館から借りてきた、レイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ』読了。村上春樹訳。チャンドラーを読むのは初めてだが、心から魅了された。ラストにはじんとして、目をしょぼつかせてしまった。直後に訳者あとがきを読み始めたのであるが、カスだと思ったくらいである。もちろんこれは、村上氏が悪いのでも何でもない。
 過去にチャンドラーを読もうとしたことはあるのだが、いまひとつ文章に入っていけなくて止めてしまった。そもそも、ミステリーというのは(ほぼ)必ず人殺しを最初に必要とするため、おもしろいことはわかっていても苦手であるし、本書を手に取ったのは「村上春樹訳」ということが大きい。村上訳をけなす人もたくさんいるが、村上訳は意図的な大きい省略がないことで知られている。村上訳でなら読めそうな気がしたのだが、それは確かに当たっていた。僕は村上訳がハードボイルドに合わないとはまったく思わなかった。まあ、これは人それぞれに意見があるだろう。
 なお、日本独自の慣習であるといわれる「純文学」と「エンターテイメント」の区別であるが、訳者あとがきによれば、チャンドラーは日本でいう「純文学」をそもそも書きたかったらしく、生活のためにパルプマガジンに書かねばならなかったということで、それだからこそこの素晴らしい作品が出来あがったとも言えるだろう。日本独自の「陋習」は、便利ではあるのだ。いや、それにしてもいい作品だった。村上氏の翻訳はもっと読まないとな。

ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ

飯田隆『規則と意味のパラドックス』読了。僕にとってはほぼつまらない本。しかし、どうしてつまらないのかは自分にとってつまらないことではない。いや、やっぱりつまらないか。青柳いづみこショパン・コンクール』読了。読み始めたら止まらない、一気に読み終えた。このブログでもこれまで何度も著者のことは賞賛してきたが、本書もじつに密度が濃い。というか、自分などには消化できるレヴェルではないのであって、本書は別に楽曲アナリーゼの本ではないけれど、本当の価値は専門家にしかわからないのであろう。しかし、その内容の濃さにもかかわらず、著者は見事な筆の力をもっているので、自分のような素人の音楽好きを惹き付けて飽きさせない、一種のポピュラリティを本書は備えているのである。いやもう、ピアノ好きには堪りません。レヴェルの高さを仰ぎ見ながら、じつに楽しい読書でした。あら、まったく書き忘れたが、本書は2015年ショパン・コンクールの綿密なルポルタージュでもあり、コンクール論でもあり、そして驚くべきショパン論でもあるという、だから密度が濃いって言ったでしょう。日本の音楽批評もここまでの段階に達したかと驚かされる。唯一残念なことがあるとすれば、いまはクラシック音楽自体が聴かれなくなってきているので、このようなレヴェルの高い本を楽しめる読者層が痩せてしまっていることだろう。本書がそれなりの注目を引くことがあるのか、自分ごときがであるが、そうなればと願いたいと思う。山下達郎すごいな…
https://www.youtube.com/watch?v=JjYT9HU5gBQ

青柳いづみこさんの本を読んで、2015年ショパン・コンクールのファイナリストたちの好きなピアニストに、グリゴリー・ソコロフという名がたくさん上がっていたので驚いた。ほとんど全員というくらい挙げていたのだが、自分はまったく知らないピアニストだった。これをしても、自分が全然クラシック通などではないことがわかる。検索してみると、既にCDも少なからず出ているようだ。ロシアのピアニストでいまではかなり高齢であるが、ソ連時代には国外に殆ど出られなかったのであるけれども、既によく知られた存在らしい。というわけで You Tube にもたくさん動画が上がっていた。色いろ聴いてみたのだが、どうも自分にはよくわからないようだ。やわらかい音をしていて、どうも指揮者ならチェリビダッケのピアニスト版みたいな印象を受けた。僕はチェリビダッケも苦手なのだけれど、その理由はチェリビダッケの音楽作りは、作曲家のためではなくてチェリビダッケのためにあるからである。ソコロフはまだ何とも言えないし、それに You Tube の音源は(CD化されていない)ライブ録音が多くて、音質が悪いのも不確定要素だが、自分の好みではないようである。聴いた中では、冒頭を聴いただけだが、バッハのゴルトベルク変奏曲はそのうち全部聴いてみてもいいかなと思った。バッハでもパルティータはどうも受け付けない。ラモーはいい感じ。