峠三吉『原爆詩集』

晴。
昨晩寝る前に、mathnb さんの出された筑波大学の問題の問一(相加相乗の漸化式の極限のやつ)を考えていたのだが、全然わからなかった。計算用ノートにびっしりと計算して、わからずに討ち死に。何かうまいやり方があるのだろうな。またそのうちアプローチを変えてやってみる。
音楽を聴く。■バッハ:組曲ヘ短調 BWV823、アダージョ ト長調 BWV968、フーガ ハ長調 BWV953、「イエス、わが信頼」BWV728、「ただ愛する神の摂理にまかす者」BWV691、幻想曲とフーガ イ短調 BWV944 (アンジェラ・ヒューイット参照)。すべて初めて聴く曲。■スカルラッティソナタ K.31, K.32, K.33, K.34, K.35, K.36, K.37 (スコット・ロス参照)。ちょっとスコット・ロスがわかってきた感じ。すばらしいな。■ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク弦楽四重奏曲ト長調 op.60-1 (カメジーナQ)。ドゥシークという作曲家は初めて聴く。古典派という感じで、ハイドンっぽい。最初は特に何ということもないかなと聴いていたのだが、よく聴いてみると何故このような曲が音楽史に埋もれてしまったのか、わけがわからなくなってくる。確かにこれといった強烈な個性はないが、じつに気持ちのよい曲であるし、ちょっと不思議な響きも感じる。ここいらが、Wikipedia が「モダンに響く」と言っている部分であろう。円満なのに、スケールもかなり大きい。Wikipedia の記述ではかなり評価されているが、当然という気にもなってくるくらい。ホントに、歴史に残るって何だろう。

String Quartets Op. 60

String Quartets Op. 60


mathnb さん、双対曲線 dual curve にこだわっておられますなあ。ここを見ても、オレは阿呆だからよくわかんないんだよ。しょうがない、ここでも見て英語でお勉強するか。面倒くさいので、いましばらくお待ちください。そのうちやるでしょう。
南スーダン情勢: 極東ブログ
南スーダン情勢について、極東ブログがまとめている。自分のよく知らない分野だが、知っている限りで判断するにいい記事だと思うので、リンクしておく。これくらいのことは知るべきだという情報を提供しているようで、自分にはありがたかった。自衛隊PKO活動については、もしかしたらそのうち少しだけ書くかも知れない(書かないかも知れない)。極東ブログは敢て書いていないが(記事の力点はそこにはない)、自衛隊は交戦を(あるいは「主体的な判断」を)強いられる可能性がかなり高くなった。現地司令官の判断次第となるだろう。それから、極東ブログの最後の一文はペシミスティックにも見えるが、絵空事ではない。我々はわきまえておくべきだろう。

ナボコフを読む。
峠三吉『原爆詩集』読了。何も感想を書くつもりはなかったのだが、アーサー・ビナードの解説に強烈な違和感があったので、それについてだけ。ビナードは本詩集を高く評価し、ボードレールの『悪の華』に対比させるまで持ち上げるのだが、自分はそれは滑稽としか言いようのない発言にしか思えない。もちろんアーサー・ビナードはえらい人らしいし、自分は文学音痴を自覚するただのふつうのおっさんであるが、自分はこの『原爆詩集』の詩は、詩としてはむしろ稚拙であると思う。どう考えても、複雑な詩的技法が使われているとは思えない。自分はフランス語が読めないので『悪の華』との比較ははっきりしたことは言えないが、とても比肩できるようなものとは思えないのだ。そもそも、文明の退廃を歌った『悪の華』と比較するのは、何だか悪い冗談のようである。僕は本詩集に価値がないとはまったく思わないが、詩集として評価すべきなのだろうか。僕が感想を書くつもりはなかったと述べたのは、アーサー・ビナードのおしゃべりのようなものこそ有害だと思われたからである。とりあえずは、黙って読むべき書物であろう。『戦艦大和ノ最期』や『夏の花』のような、文学として価値の高いものと同列に扱うのではなく、ルポルタージュ、一種の政治的な異議申し立て、一種の叫びとして読むべきであり、そこのところを間違えてはいけないと勝手に思っている。そして、文学以上に大切なものはあるであろう。とにかく黙って読んでみた方がいい。そうしてこのブログの発言がクソだと思われたら、それはそれでよいと思う。
原爆詩集 (岩波文庫)

原爆詩集 (岩波文庫)

なお、本書には大江健三郎の解説もあるが、こちらは自分にはよくわからない。大江が何をいいたいのか(峠三吉がすごいってこと?)、自分の頭ではよくわからなかった。バカである。
大江健三郎は解説冒頭で、自分は(母と子供たちの)「沈黙の続きのなかにいる」と述べているが、全然沈黙していないのですけれど。しかしまあいいや、そんなこと。