お互いの(直接的)共感可能性を失った時代 / 「僕は友達が少ない」(2011)を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトジート長調 K.574、ピアノ・ソナタ第十六番 K.545、アダージョ 変ホ長調(K.516 から、オラフソン編)、ガルッピのピアノ・ソナタ ハ短調〜第一楽章、モーツァルトのピアノ・ソナタ第十四番 K.457、アダージョ ロ短調 K.540、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(リスト編)で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NMLCD)。
 承前。初心者向けの「やさしいソナタ」といわれるピアノ・ソナタ第十六番がじつに愛らしい。また、弦楽五重奏曲第四番 K.516 のアダージョのピアノ編曲は、ヴィキングルがこの音楽を愛していることが伝わってくる。ピアノ・ソナタ第十四番は王道的演奏で(緩徐楽章の、短調に転調する中間部の美しさ!)、わたしの(恥ずかしながら)あまり知らない K.540 は、曲の魅力がよくわかった。で、最後はリスト編曲の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」なんてのをもってきながら、違和感なくまとめてしまう。まったくすばらしい。
 ヴィキングル・オラフソンは時に「アイスランドグレン・グールド」なんていわれたりするが、グールドとは随分とちがった演奏家だと思う。グールドはよくも悪くもその「異常性」が直ちに明らかなのに対し、ヴィキングルはちょっと聴いただけではむしろ平凡のようでもあり、つまりはわたしたちの「日常」部分で勝負している。そこが、まずはちがうところだ。
 
 
スーパー。いまにも雨が降りそう。ポイント3000円分、現金で還ってきた。
 
昼。
いちおう世界史では、古代、中世、近代・現代、というような歴史的区分をする。いまや、その「現代(モダン)」が終わり、次の時代に入ったことが明確になってきた。それは既に聡い人たちによって「ポスト・モダン」という名が付けられているが、それではあんまりだから、何百年か経ったあと、(それでも人類が生き延びていれば)別の名が付けられることであろう。
 この時代の特徴はいろいろあるが、ひとつは「人文学」が死んだ時代であると特徴づけることもできるだろう。すなわち、人間が「メディア」(=記号、情報)という中間的媒介(medium)なしの、お互いの(直接的)共感可能性を失った時代、というものである。記号や情報の媒介は、直接的な共感可能性を殺す。それは、人間を非常に孤独な存在にするだろう。そして、高度資本主義による、精神、文化面の世界的な画一化と、貧困化。感情の幼稚化と記号的理性の独裁。人間精神からの「自然」の消滅と全面的都市化。
 ってのは、これまで散々書いてきたことだけれど。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー451円。
 岩田慶治道元との対話』(文庫版2000)を読み始める。副題「人類学の立場から」。生きた仏教とすっかり縁のなくなってしまった日本人は、本書を読むといいよ。干からびた仏教学ばかりが進む現代日本。それにしても、わたしは既に道元の死んだ歳を超えているのだな。凡人は困ったものである。
 帰り、金属団地脇の街路樹のハナミズキが、きれいに咲いていた。いまにも降りそうな天気は何とか降らないでいる。
 

 
夜。
僕は友達が少ない』(2011)第12話(最終話)まで観る。やー、特にこれといったドラマはなく、最初はペースがつかめなかったが、バカバカしい日常系に近いとわかるとおもしろくなったな。ラブコメ成分はそこまで強くないが、しかし、女の子たち(+男の娘ひとり笑)が皆んなかわいいねー。とりわけ二人のメインヒロイン、いつもいがみあっている(でもほんとは仲がいい)夜空と星奈が甲乙つけがたいかわいさ。ツンデレだし笑。主人公の小鷹は、最初はよくわからなかったけれど、次第に好感がもてるようになった。こういう作品は、いまはちょっとないね。2期も観る。

 
僕は友達が少ない NEXT』(2013)第4話まで観る。2期。おもしろい。1期よりラブコメ成分が強いな、いい感じ。って、俺バカか笑。

こともなし

晴。薄曇り。
夢。東大の受験日当日に、受験票をなくして試験が受けられない。まあいいかと思って、本命の京大の受験票を探してみると、これもない。あちこち探す。
ひさしぶりに夢をよく覚えていた。まだ他にも断片的に覚えている映像がある。
 
NML で音楽を聴く。■ハイドンピアノ三重奏曲第十八番 Hob.XV:18 で、演奏はトリオ・ヴァンダラー(NMLCD)。■モーツァルトピアノ三重奏曲第六番 K.564 で、ヴァイオリンはヴィルモーシュ・サバディ、チェロはチャバ・オンツァイ、ピアノはマルタ・グヤーシュ(NMLCD)。これでサバディ、オンツァイ、グヤーシュによるモーツァルトピアノ三重奏曲全六曲を聴き終えた(厳密には、あとディヴェルティメント K.254 がある)。余計な自意識のようなものが感じられない演奏で、じつに気持ちがよかった。配信のいいところは、こういう無名だが自分に合った演奏家と出会えることだ。CD時代では、不可能だったろう。■メンデルスゾーン交響曲第一番 op.11 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団NMLCD)。パーヴォ・ヤルヴィは重心が低くて好ましい。メンデルスゾーンの「凡庸さ」は、すばらしいんじゃないか?
 
 
昼飯にシメジとツナの炊き込みご飯、三葉の卵とじに三葉の味噌汁。
(今日の「キャッチ!世界のトップニュース」が興味深かった。イランのイスラエルへの報復攻撃だが、イランが紛争拡大の意思を示していないのであまり深刻に考えていなかったけれど、イランがイスラエルへ直接大規模攻撃したのは初めてで、その意味でやはり深刻なのだと。今後は、イスラエルの出方次第ということらしい。アメリカは、イスラエルのいかなる報復措置にも参加しないというメッセージを出している。以上、番組からの知ったかぶりで、わたしが知ってもどうしようもないこと。)
 
県営プール。夏日。
万札をくずしたいのでプール近くのコンビニで何も考えずポカリスエットを買ったら、900ml もあるやつだった(179円)。デカッ。
金華山に連なる山々の新緑が美しい。街路樹のイチョウの芽吹き。
帰りに肉屋。
 
夕方、コンビニまで歩いて車の保険料を支払いにいってくる。
4.1 に、わたしが生まれて此の方ずっとあった最寄りのバス停がなくなった。次のバス停と近かったので、統合されてコンビニの前へ移ったということだろう。
 
夜。風呂から出て寝ころがってぼーっとしているうちに、そのまま眠ってしまう。

荒川洋治『文学のことば』

日曜日。晴。
昨晩はアニメを観ながら寝落ちした。深夜にいったん目覚めて、電気を消してもう一度寝る。
 
NML で音楽を聴く。■シェーンベルクスケルツォ ヘ長調、プレスト ハ長調で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NMLCD)。■ベント・セアンセン(1958-)の「Adieu」「Angels' Music」で、演奏はアルディッティ弦楽四重奏団NMLCD)。■リゲティのチェロ協奏曲で、チェロはルノー・ドジャルダン、指揮はピエール・ブルーズ、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(NMLCD)。
 
Mäkelä Conducts López Bellido & Mahler 5 | Chicago Symphony Orchestra
クラウス・マケラの指揮、シカゴ交響楽団による、マーラー交響曲第五番の演奏の配信(全曲、70分)――各楽章の冒頭数分をつまみぐいして聴く。細部は精緻であり堅固に構築されスケールも大きく、マーラーが完全に消化されているが、情感的に(わたしには)あまり魅力的でなく、というかモノトーンで退屈であり、全体を聴く気にならなかった。若きクラウス・マケラは「天才」とされ、既にロイヤル・コンセルトヘボウシカゴ交響楽団を率いることが決まっており、マケラ時代が来るともいわれている。
 いま「才能と魅力がある指揮者の不足」は深刻で、各団体、困っているのがよくわかる。マケラくらいのクラスの「才能」になると、奪い合いだ。
 しかし、音楽を楽しむってなんだろうね。シンプルに音楽を楽しみたいものである。
 

 
「二人だけの道」 - okatakeのブログ
「こういう清潔で正しく、しんみりほのぼのする夢のあるドラマが茶の間から消えてしまった。」ほんと、いまや何でも複雑知的でむずかしすぎる。人間らしさ、ってなんだろう。
 
いい天気で庭へ出る。

ブルーベリーの花がたくさん咲いた。

アイリス。

ソラマメの花。実が生(な)ったら食べる。

白いスミレ。生命力の強い雑草なので、老母は庭から抜いてしまうそうだ。
 
 
図書館。鶴見俊輔さんと長田弘の対談集『旅の話』(1993)、荒川洋治のエッセイ集『文学のことば』(2013)、池川玲子『ヌードと愛国』(講談社現代新書2014)、藤津亮太『ぼくらがアニメを見る理由』(2019)その他を借りる。
 
コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。いつものトーストサンド+ブレンドコーヒー1160円。おなかいっぱい。
帰りに老母のために手芸屋「トーカイ」へ寄る。あちこちでツバメ飛ぶ。
陽射しが強くなって車内が暑い。AUTO のエアコンは冷房が入るようになった。
 
 
長時間、ごろごろぼーっとする。
 
 
図書館から借りてきた、荒川洋治『文学のことば』(2013)をさらっと読了。エッセイ集。著者が若い人とその文化にほとんど何の興味も関心もないのがわかる。ま、それがダメな態度なのかはわからない。若い人だって概して老人には興味がないものだ。きたない、きもちわるいと思っていたって不思議はない。
 しかし、荒川さんはもはや現代、現実にもあまり興味がないのではないか。停滞し、退廃し、空気がよどんでいる。まあ、古くさい、それもよいのかも知れないが。わたしはつつましやかで古くさいのはきらいでない。

 

 
夜。
老父が三葉をたくさんもらってきたので、おひたし(山葵ポン酢和え)にして食う。ウチにも三葉はあるのだが、このような食用として畑で栽培されたものではなく、雑草として生えているので、小さくてかたいそうだ。かつては茶碗蒸しに添えたり、味噌汁に入れたりして食べた。
 
僕は友達が少ない』第9話まで観る。

チョ・ナムジュ『サハマンション』

深夜起床。ぼーっとする。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの 二台のピアノのためのソナタ K.448 で、ピアノはマリー=ルイーズ・ヒンリクス、クリスティアン・ツァハリアス(NML)。2024.3.19 に二度聴いた演奏。同じ演奏を聴き返すことがめったになくなっているわたしなので、めずらしいことである。
■ガルッピのピアノ・ソナタ ヘ短調〜第一楽章、モーツァルトのロンド K.494、C.P.E.バッハのロンド ニ短調チマローザのピアノ・ソナタ第四十二番(オラフソン編)、モーツァルトの幻想曲 K.397 (断章)、ロンド K.485、チマローザのピアノ・ソナタ第五十五番(オラフソン編)、ハイドンのピアノ・ソナタ第四十七番 Hob.XVI:32 で、ピアノはヴィキングル・オラフソン(NML)。
 新しい時代を切り開いてゆく、稀な精神たるヴィキングル・オラフソンの、モーツァルトを中心としたアルバムを、半分くらい聴く。ヴィキングルは才能ということでいったら、現在もっとも才能あるトップ100人の音楽家を合わせたより、才能があるだろう――なんていうのは、冗談みたいなもので、無意味なことではあるが。聴いていて、心底驚嘆、驚愕すると共に、やっぱりこういう才能は現れるものなんだなとつくづく思う。

 
Concert de clôture du Festival de Pâques, avec Renaud Capuçon - Radio Classique
シューベルトピアノ五重奏曲 イ長調 D667 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、ヴィオラはポール・ジーンタラ、チェロはユリア・ハーゲン、コントラバスはロレーヌ・カンペ、ピアノは藤田真央。いわゆる「ます」五重奏曲。
 速めのテンポのキビキビとした演奏で、演奏者たちの息もぴったりであり、なかなかよかった。2024.4.7、エクス=アン=プロヴァンス復活祭音楽祭におけるライブ録音。なお、この曲の演奏は配信の後半である。
 
朝。晴だけれど薄雲がかかっている。
二度寝する。
 
コダーイの「夏の夕べ」で、演奏はオルフェウス室内管弦楽団NMLCD)。
 
スーパー。五倍ポイントの日。春キャベツが一玉280円もするぞ(買わない)。ガラポン抽選会があって6度回したが、ぜんぶ白玉(ハズレ)だった。
暖かい。夏日の予報。
ウチの桜の花は終わったな。
 
昼寝。
 
珈琲工房ひぐち北一色店。チョ・ナムジュ『サハマンション』の続き。承前。暗鬱な小説だな。
帰りにドラッグストアへ寄る。外気25℃。
 
 
図書館から借りてきた、チョ・ナムジュ『サハマンション』(原著2019、邦訳2021)読了。斎藤真理子訳。チョ・ナムジュはベストセラー『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者で、わたしも『キム・ジヨン』は読んだがもう詳しいことは覚えておらず、日本ではフェミニズム小説として流通しているという印象とだけ。
 本書は巨大企業の独裁統治する管理都市国家「タウン」を背景にしているディストピア小説とでもいえ、諸事情から「タウン」に住めないいわばアウト・カーストの住む、老朽化した「サハマンション」を舞台にしている。サハマンションの住人たちは、「生きる目的」もなく、生きていてもちっとも楽しそうでない、閉塞して、ただだらだらと日々を消費しているだけ、というように描かれている。ラストは企業統治の「真実」に少し迫りそうでもあるが、結局よくわからない終わり。
 まあ、「管理社会を批判的に描いた」といえるかも知れないが、わたしにはあんまりおもしろい小説ではなかったし、社会風刺、社会批判が小説の目的なら、出来がよいとはいえない気もする。ただただ、やる気、生きる気のない人たち、たとえ声を挙げ行動しても、結局しぼんでしまう、というような小説。それは、決して独裁企業体のせいばかりではない、たぶん著者のせいなんだろうとわたしは思う。サハマンションも、「タウン」と大してかわりはない、サハマンションは(「タウン」とちがい)管理されていないように見えて、じつはそうでない。それが現代というなら、そうなのかも知れないが。管理社会で「管理」するのは権力であり、暴力であるように見えるが、それにちがいはないけれど、つまるところ、じつは自分の心が自分を「管理社会」に合わせて管理しているのだ。
 
夜。
僕は友達が少ない』(2011)第4話まで観る。

こともなし

未明起床。
晴。
朝は家族旅行の日記をがんばって書く。
 
一昨日のホテルと昨晩で、『【推しの子】』原作既刊すべて(第13巻まで)読む。かなりおもしろかったが、やはりアニメがよくできていると思った。

 
昼。
旅行のブログ日記を書いていたせいで、風呂掃除をすっかり忘れていた。まだ日常に戻れていない。
 
だらだらする。
iPad mini で武満さんのピアノ曲を聴く。「ピアノ・ディスタンス」「フォー・アウェイ」「閉じた眼」「閉じた眼II」「雨の樹 素描」「遮られない休息」「雨の樹 素描 II -オリヴィエ・メシアンの追憶に-」「リタニ -マイケル・ヴァイナーの追憶に-」で、ピアノは福間洸太朗(NMLCD)。武満さんの音楽はちょっとちがう。並であり、まったく並でない。日本人(に限らないが)への最上級の贈り物だ。また、福間洸太朗がすばらしい。
 しかし、武満さんの音楽は時代によってだいぶちがうな。常に変貌してきた。
 iPad mini で福間洸太朗のバッハ、そのトランスクリプション集をぼーっと聴く(NML)。
 
今日は外へ出ていないので、金柑を食いに庭へ出る。
 
夜。
澁澤龍彦『胡桃の中の世界』を読んでから早寝。

しまなみ海道・尾道家族旅行(第二日)

明るくなってくるにつれておのずと目覚めました。今日はしまなみ海道を一気に戻り、尾道を観光してから帰る予定です。天気は薄曇りってところ。

ホテルで簡単な朝食を摂り、のんびりと八時半に出発。まずはホテルすぐ近くの今治城へ行ってみます。

建物は復元であり、石垣も修復の跡が見えますが、なかなかに悪くありません。海が近く、堀には海水が引いてあります。



復元天守と、今治城を築城した藤堂高虎の像です。
 今治市内を車で走ると、本町という城近くの商店街などは、いわゆるシャッター商店街ですね。城が中心の、落ち着いた街という印象で、岐阜県だと大垣に近い感じでしょうか。今治って、タオルの町ってことは知っています。 
 
今治市内から車で15分くらいしょうか、来島(くるしま)海峡大橋近くの、「来島海峡展望館」というところへ行ってみます。ここが、大正解でした。まさに瀬戸内海の景色を堪能でき、わたしは長い時間、なかなかに飽きるということがありませんでした。まあ、写真ではムリがあるのですが、たくさん撮ったものから、数枚をどうぞ。



来島海峡大橋が見えます。

船、小さくてわからないと思いますが、何隻かの漁船も出ています。潮の流れが速いです。

奥へ、じつは三つの橋が連続しています。



みやげ物屋もあります。橋の建設を図解したコーナーあり。
ここが、今回いちばん瀬戸内海の風景が楽しめたところでした。
 
高速道路に入ります。今日は途中の島々には寄らず、しまなみ海道60kmを今治から尾道まで、一気に一時間で走破します。料金は2800円だったかな*1。いや、すばらしい自動車道ですね。島また島の新緑の山々の間を抜け、立派な橋を次々に渡り、時には海がよく視界に入ってくる。なかなかのんびりと運転、ってわけにはいかないのですが、それでもわたしが走った自動車道の中でも、もっとも楽しく運転できたものです。そんなには利用されていない感じで、もったいないなって思いました。
 
尾道市内に入り、浄土寺へ。いや、ここは寺までの道がきわめて狭く、車で行ったのは失敗でした。

右は鎌倉後期の多宝塔で、国宝。左の阿弥陀堂は重文。

南北朝時代の宝篋印塔 (足利尊氏供養塔)で、重文。

国宝の本堂。本尊は秘仏でした。中で外国人の旅行者一行がまとめて説明を受け、通訳が英訳していました。

室町期の山門、重文。この狭い道を車でいくので、ほんと困りました。
 
尾道を車で回るのはムリだと実感したので、新尾道駅前まで戻ってレンタカーを返却し(十一時半)、タクシーで山陽本線尾道駅まで戻りました(15分、1500円くらい)。

JR尾道駅。なんだかすごくきれいな駅です。しまなみ海道の完成に合わせて整備されたようですね。写真に修学旅行生たち(東広島市の中学校だそうです)が写っていますし、観光客もかなりいました。

商店街を歩きます。「よたろう」という昭和のしけた喫茶店にて昼食。昼どきでも誰もいませんでした。

レコードショプが生きています。アニメ「ぽんのみち」は尾道が舞台なの?

しばらく商店街を歩きます。古い商店街をなんとか更新しようと努力している感じでした。あとでわかりましたが、尾道郵便局から向こう(駅から遠い方)がより活気がありますね。
 
商店街から出て、国道2号の向こう側(山側)の、寺が多い、いわゆる尾道らしい寺と坂の町を歩きます。

国道2号と山陽本線
以下、しんどいながら細い坂道、抜け道を歩いていきます。




下方には海がちらりと見えます。

だいぶ上から、下を見ます。千光寺公園(行きませんでした)へ登るロープウェイ乗り場や、山陽本線が見えます。

下の街と海。


尾道は猫が結構有名なんだそうで、「猫の細道」なんていう作り物のスポットもあります。今回は3匹と出会いました、その中の一匹。

艮神社の巨石と大クスノキ
 
もう一度商店街に戻り、駅まで歩いて帰ります。

雰囲気のある店もあります。新しいみやげ物屋で、はっさく大福と揚げたての尾道コロッケを買う(帰りの新幹線車中で食いました)。

尾道港、ちょうどフェリーが出るところです。海沿いも整備されており、外国人観光客の姿もちらほら見られました。

JR尾道駅の、改札内を覗く。中は旅情のあるホームっぽいです。

駅舎は新しい。
 尾道は三時間弱くらいかけて廻ったでしょうか。きちんと歩くなら丸一日はかかるでしょうね。坂道はたいへんですが。多くの映画の舞台になっていて、(訪れませんでしたが)「おのみち映画資料館」なんてのもあります。(ま、わたしの観たのは小津の『東京物語』とか、大林宣彦の『時をかける少女』くらいですが。)寺はめちゃめちゃたくさんあって、上に書いた浄土寺以外は、天寧寺の三重塔を見ただけで終わってしまいました。写真を撮るのが好きな人なら、尾道はかなり楽しめるんじゃないかと個人的に思います。
 
タクシーで新尾道駅に戻り、新幹線で帰ります。新尾道15:21発、福山、新大阪で乗り換え、岐阜羽島17:46着。自宅到着は夜七時前。今回も楽しい旅行でした。

*1:普通車で全区間走ると、平日で2950円、休日で2310円のようです。

しまなみ海道・尾道家族旅行(第一日)

最近は車での旅行が多かったのですが、ひさしぶりに新幹線を使って、しまなみ海道尾道の二日間の家族旅行を楽しんできました。
 しまなみ海道は、広島県尾道愛媛県今治を、瀬戸内海の島々(大きな島は向島因島生口島大三島伯方島、大島の六つ)を経由して結ぶ、西瀬戸自動車道(59.4km)の愛称です。一度走ってみたかったんだよね。島々にいくつもの大きな橋が架かっていて、自転車や(やる気なら)歩いてでも渡れるし、実際そういう人たちも見かけました。
 
朝起きたらいい天気、自宅を七時半に出て、まずは車で東海道新幹線岐阜羽島駅まで。充分余裕をもって出たつもりでしたが、朝のラッシュ時で一時間かかり、列車の時間にちょうどぴったりくらいになってしまいました。
 岐阜羽島08:58発、途中新大阪(列車が少し遅れて乗り換えがあぶなかったです)と岡山で乗り換えて、新尾道11:16着。

新尾道駅です。新幹線の駅としては随分と小さい。ここは在来線と繋がっておらず、JR尾道駅とは車で15分くらい離れています。
 駅前のトヨタレンタカーでアクアを24時間借ります。すぐ近くの尾道ラーメン「東珍康(とんちんかん)」へ。

尾道ラーメンの並を注文しました。醤油ベースのとんこつスープに、細麺という感じ、おいしかったです。地元では結構有名な店のようで、繁盛していました。
 
国道2号を経由して西瀬戸尾道ICから、いよいよしまなみ海道に入ります。まずは川のような狭い海峡に架かる新尾道大橋をわたって、向島(むかいしま)へ、すぐに高速道路を降ります。
 島の中をゆっくり走ってみます。テキトーに「向島休憩所」ってところで車を駐めて降りてみました。

いや、瀬戸内って感じで、悪くないじゃないですか。

次にわたる因島大橋が見えます。飛行機雲二本。

四阿(あずまや)もあります。ここはしまなみ海道のサイクリングコースらしく、自転車の人が結構いました。島の外周道路を、海を見ながら車をゆっくり走らせます。
 
高速道路に戻り、次の因島(いんのしま)はスキップして、生口島(いくちじま)で降ります。島の西側の、向上寺へ。寺へ入っていく道がわかりにくかったです。

室町期の三重塔が国宝です。


お寺が小高いところにあるので、眼下に島の海沿いの集落が見えます。これも、瀬戸内らしかった。

桜がきれいでした。この旅行中、あちこちで桜はほぼ満開でしたね。
 
多々羅大橋を渡り、生口島から大三島(おおみしま)へ。ここまでは広島県、ここからが愛媛県です。まずは橋近くの、「道の駅 多々羅しまなみ公園」へ。

いま渡ってきた、多々羅大橋がよく見えます。なんだかよくわかりませんが、完成当時は「世界最大の斜張橋」だったということで、すごいんだそうです。きれいな橋ということはわかりますね。

道の駅から。ちょっと買い物(地元産の鯛みそ)をしたり。瀬戸内なので柑橘類の商品が多く、実際、島を走っているとレモンその他が植えられているのを見かけました。
 
 大三島を西へ、大山祇(おおやまづみ)神社を訪れます。ここは前から一度訪れてみたかった、伊予一宮です。歴史が非常に古く、既に『続日本紀』に名前が見えるそうで、おそらくはもっと古くに遡るのではないでしょうか。祭神は「大山積神」という、海の神様、武の神様で、瀬戸内海の海上交通に関係があるように思われます。静岡県三嶋神社と共に、神道の「三島・大山祇信仰」の中心です。

総門。


境内の老楠。樹齢2600年といいます。他にも、境内には古いクスノキがたくさんあって、国の天然記念物に指定されています。


室町期の拝殿(重文)。
以下、神社付属の国宝館へ。


国宝館。古来、武の神として信仰されていたため、源氏・平家のものを始め武具が多数奉納されてきた歴史があり、多数の国宝・重文があります。特に甲冑が有名で、わたしは若い頃、小林秀雄のエッセイで知りました。国宝館に鎧多数あり、中でも源頼朝源義経のそれぞれ奉納した鎧は、共に国宝です。義経のは、壇ノ浦海戦のあとに、戦勝祈願の叶ったことに対する奉納であったと説明がありました。なんとも生々しかったです。
 刀、薙刀類もあり、義経、弁慶などの奉納、刃こぼれがいくつも見られ、これもちょっと身震いするほどでした。
 国宝館の隣には海事博物館もあったのですが、時間の関係や疲れていたこともあって、中には入りませんでした。

神社隣のみやげ物屋で、ソフトクリームを買って食いました。なんかきれいな、めずらしい声で鳴いている鳥がいるなと思って、ズームして撮ってみました。イソヒヨドリという鳥のようです。
 
また高速へ戻り、伯方島(はかたじま)、大島はスキップして、四国に入ります。今治市です。
 今夜は市内の「スーパーホテル今治」に、朝食のみのプランで泊まります。人件費節約型のまだ新しいビジネスホテル(?)ですが、風呂は温泉です。接客にわずらわされることもなく、却って気楽でいいですね、チェックアウトの手続きすらありません。
 夕食はホテルから歩いて10分ほどの居酒屋「陣」にて。家族三人で利用するにはぴったりの気楽で感じのよい店で、食べ物もおいしく、とても楽しい時間を過ごしました。今治のあたりは海水の流れが速くて魚がよいようですが、刺し身盛り合わせとかうまかったです。もう皆んな歳をとったので量はあまり食べられないのですが、それでも結構食べて飲みました。僕は、温泉旅館の懐石料理より、こういうのの方が好きですね。
 ホテルは老両親とわたしは別々の部屋をとってもらえたので、夜は静かにネットを見たりしてすごしました。iPad mini でしばらくマンガを読んでから、気持ちよく寝ました。