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2017-06-30

中村隆英『日本の経済統制』

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雨。
複雑な気流の中を飛ぶ夢を見ていた。結構うまく飛べていたと思う。

モーツァルトピアノソナタ第七番 K.309 で、ピアノ内田光子

ハイドン交響曲第九十九番で、指揮はジョージ・セル。1966/2/16 Live.

ブラームスピアノトリオ第二番 op.87 で、ピアノジュリアス・カッチェン、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、チェロはヤーノシュ・シュタルケル

昼から県営プール。最初の15分ほどは、泳いでいるのは僕ひとりだった。こんなことはめずらしい。というか初めて。天気がよくないからかな。監視員さんは二人。おっさんがひとりでちんたら泳いでいるのは恥ずかしいようなものだが、僕は厚顔なので大丈夫。ちなみに温水期間は今日までなのだが、明日から冷水だと、これではちょっと寒くないかね。

中村隆英『日本の経済統制』読了。副題「戦時・戦後の経験と教訓」。

2017-06-29

岩波文庫版『まど・みちお詩集』

| 09:56 | 岩波文庫版『まど・みちお詩集』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。
いったん 5時くらいに目覚めたが、二度寝して寝過ぎ。ずっと半覚醒状態で夢を見ていた。これはカラフルでおもしろい夢。海辺の建物の中にいて、きれいな魚がいっぱい泳いでいたり。

ショパンの舟歌 op.60 で、ピアノマルタ・アルゲリッチアルゲリッチのごく若い頃の録音で、心から感嘆する。明らかに即興的な感じで、崩して弾いているが、鋭い直感に支えられていて説得的。僕はいまのおばあさんのアルゲリッチが好きというか、音楽そのもののようで畏怖するのだけれど、若い頃のアルゲリッチが大人気だったのは当然だと思える。

ワーグナーの「ジークフリート牧歌」で、指揮はピエール・モントゥー。楽天的白痴的な演奏。美しいことは美しいのだけれどね。もう少ししっとりしたところのある曲だと思う。しかし、いい加減にしてそろそろワーグナーを聴かないといけないな。

バッハイギリス組曲第二番 BWV807 で、ピアノアリシア・デ・ラローチャ

父を柳ケ瀬まで送っていく。帰りにモスバーガードライブスルーで昼食。スーパー

いまや政治については殆ど関心を失っている自分であるが、某稲田防衛相の「失言」などを見ていると、日本も結構な時代になったなあと思う。防衛相には自分の発言が問題であるという考えがまったくなかったことは明白で、心の底から自衛隊は自分の「私兵」のような気になっていることがそのまま出てしまったに過ぎない。ホント笑わせるね。すばらしき全体主義国家の誕生という、最近のトレンドの延長線上にある話である。「文春砲」なんてのも話題になっているけれど、誰もマジメな気分で週刊文春なんて信用している筈がない。あれで本人たちは硬派なマスコミのつもりなのかも知れない。まあそうでないというほどの者でも、こちらもないわけだが。何も今の時代が特にヒドいということも、恐らくはないのであろう。ただ思うのは、政治家がヒドいというよりも我々が愚民であるということだ。もっとも、皆さんはそう思っておられないようだが。僕も愚民だが、いちおうそれを恥ずかしく思っていて、何とかそうでない存在に己をもっていけたらなあとだけは思っている。

愚民たちを見ていて思うが、こんなのは序の口だぜ。まだまださらなる続きがある筈だ。そうそう、断っておけば、これは日本だけの話ではない。僕たちも、他の国の状況は岡目八目でよく見えるだろう。日本だけでないと知って、安心したかい? 結構だね。

もう忘れている人も多いだろうが、IS は落ち目になってきたな。でも、仮に IS が壊滅しても、シリアイラクにおける問題は何も解決していない。打倒 IS でひとまず協力しているアメリカロシアであるが、IS がなくなればまたシリア代理戦争が始まるだろう。双六でいう、「ふりだしに戻る」である。まったくどうするのかね。アメリカ大統領の外交手腕に期待するか。オバマは中東政策に関しては白痴並だったから、まだ今の方がマシかもしれない、っておそろしいね。

池内恵氏が自身のブログでこのところ名著からの引用という形で、イスラームにおけるリベラルはどうして問題があるのか指摘しているが、イスラームというのもじつに難解だ。我々は明治以降キリスト教社会はある程度研究してきたが、イスラームに関してはまだ研究の蓄積が少ない。なかなか肌でわかるという感覚がない。

英米・ヨーロッパ諸国ではもはや「テロ」は日常化したな。もう起きてもあまり騒がない。つまりは「イスラエル化」したともいえるだろう。ある時期まではイスラエルにも自国政府のパレスチナ政策に批判的な少数勢力が存在したが、パレスチナ側による「テロ」の日常化などもあって、それら勢力はほぼ消滅したのではないか。ふつうのイスラエル人パレスチナに対して無関心になった(「テロ」に遭うなら運が悪かったという感覚である)。イスラエル政府の対パレスチナ政策はまさしく「人道」も「人権」もあったものではないが、もはや世界のほとんどは注目すらしない。日本でなど、ここ何年かパレスチナテレビ報道を見たことがない。もっとも僕はテレビニュースはあまり見ないけれども。

思うのだが、いまや「極右」か「グローバリズム」かのいずれかを選択しなければならないという、いわゆる究極の選択の時代になったのではないか。それ以外の道を選ぼうとしても、結局はそのいずれかに帰着してしまうという。では、どうせよというのかね。まさしく「リベラル」はむずかしいところに来ている。とにかく自分は愚民なので、どうしたらいいかさっぱりわからない。あっちへふらふら、こっちへふらふらという、ふらふら君でいるしかないのですよ。これなんていう、確かなものはこれっぽっちもない。

そういや、高橋源一郎さんが教育勅語を現代語訳したの、知っているかい。ちょっと前のことなのだけれど。おもしろいぜ。さすが高橋源一郎だと思ったよ。
https://twitter.com/i/moments/841959926947827713

目が回る。

GTK+ で落書き 9(Ruby) - Camera Obscura

谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』読了。岩波文庫はこのところ現代詩を次々に収録していて、本書もその一冊。ありがとう岩波文庫。こんなすばらしい詩人がいたのだな。しかしさかしらなことを書く気が起きない。まど・みちおは原初の詩人だ。どちらかというと、おかしくって仕方のない詩がいいね。「するめ」。

とうとう
やじるしに なって
きいている

うみは
あちらですかと…

何だか、おかしくてかつ悲しい。ああ、岩波文庫、もっと現代詩を入れてほしい。どんどん入れてほしい。フィクサー谷川俊太郎だな。

2017-06-28

『荘子 全現代語訳(上)』/ポリーニの新譜を聴く

| 12:50 | 『荘子 全現代語訳(上)』/ポリーニの新譜を聴く - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。

『荘子 全現代語訳(上)』読了。池田知久訳・解説。同じ講談社学術文庫版から読み下しと訳注を削除したものらしい。いまどきだなあ。

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

ポリーニの新譜を聴く。
ショパンアルバムである。op.59 から op.64 という、ショパンの短い生涯の中では最晩年に位置する作品たちが、ほぼ作曲順に並べてあるという趣向だ。自分はポリーニに思い入れがありすぎるので、このディスクの評価は無理である。まず、衰えたといわれる技術だが、ポリーニの意図を表現するには問題のないレヴェルにあるといえるだろう。しかし、いつごろからかははっきりしたことはいえないが、ポリーニは「壊れて」しまったけれど、それは変っていない。明晰で端正な演奏であるのはそうであるけれど、相変わらず「壊れた」ままである。それを措けば、マズルカワルツなどの深い曲に妙があるといえるだろう。マズルカ op.59-3, op.63-3、ワルツ op.64-2 あたりは、その演奏の深さが聴かせる。もし可能であれば、マズルカ全曲の録音も聴いてみたいくらいだ。しかし全体としては繰り返すが「壊れて」おり、聴いたあとこちらの精神にある程度のケアが必要になる。あまりふつうの音楽愛好家には勧められない気がする。

Chopin: Late Works Opp 59

Chopin: Late Works Opp 59

ポリーニは「壊れて」しまわなければ、例えばリヒテルのように晩年になっても豊かな演奏活動ができただろうにと残念に思わないでもない。晩年のリヒテルは全盛期のような猛烈な演奏はしなくなったけれど、楽譜を見て弾くようになってレパートリーがものすごく広くなり、簡素ながらじつにおもしろバッハモーツァルトを弾くようになった。あれはあれで、全盛期とはまったくちがった、至宝ともいうべきすばらしい演奏が残ったと思う。ポリーニにはそういうことは許されていなかった。長年ポリーニにつきあってきた者としては、確かに残念である。

2017-06-27

多田富雄『懐かしい日々の対話』

| 12:21 | 多田富雄『懐かしい日々の対話』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。
結構夜更ししたので、寝坊。

相変わらず調子はよくないが、深刻というわけでもない。

この世界を受け入れていくというのは、それは航空自衛隊戦闘機の爆音であり、近くを走る車のノイズであり、また本や CD や PC で取り散らかった部屋なのだ(文章がちょっとヘン)。この宇宙に同期するというのは、結局どういうことなのだろう。

まあちょっと外へ出るか。

ミスタードーナツ バロー各務原中央ショップ。自分は食いしん坊なので、おいしいドーナツと安くておいしいコーヒーだけで元気が出てくる。いつも書くが、ミスタードーナツコーヒーは好きだ。免疫学多田富雄先生の対談集を読む。冒頭の河合隼雄先生との対談がおもしろい。二人とも本当にえらい先生だったが、いまではどれだけの人が読むものか。頭のいい人はいくらでもいるけれど、こういう自分の頭で考えられる人たちはいなくなったなあ。

それにしても、お二人の対談は自分が課題として苦労しているまさにその問題を、ずばりと指摘している。まったく、お釈迦様の手から出られないというのはこのことだな。

老父の畑のトマトがたくさん生っているのだが、初めて赤くなった 2コをカラスにやられた。ので、トマトセーフティネット(?)を掛けてやる。たぶんこれで大丈夫。

図書館から借りてきた、多田富雄『懐かしい日々の対話』読了。対談集。題名に「懐かしい」とあるのは、著者が2001年脳梗塞を起こし、声を失ったあとに本書が出版されたからである。収録された対談によってクリエイティヴィティはちがうが、どれもおもしろいものだ。著者は科学者であることから現代を深く理解し、また能を通じて日本文化を深く理解されていたのだと思う。本書で秀才が苦手だと仰っておられるとおり、たんなる頭のよさに留まらない、魂の深みのようなものが感じられる人だった。嘆いても仕方のないことだが、いまやなかなかそういう学者はいなくなった。

懐かしい日々の対話

懐かしい日々の対話

バッハ平均律クラヴィーア曲集第一巻〜第一番 BWV846 で、ピアノフリードリヒグルダ

フォーレの 5つの即興曲 op.25, op.31, op.34, op.91, op.102 で、ピアノはジャン=フィリップ・コラール。

2017-06-25

アレックス・ロス『これを聴け』

| 08:23 | アレックス・ロス『これを聴け』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

日曜日。曇。
夜の間は雨だったようだ。起きてすぐ地震。長野で震度5強

ショパンバラード第一番 op.23 で、ピアノチョ・ソンジンピアノの音がきれい。演奏もなかなかで、ここまで弾けるなら大したもの。個性はそれほど感じないが。

モーツァルト弦楽四重奏曲第十四番 K.387 で、演奏はハーゲンQ。この動画は音質があまりよくない。ハーゲンQ はかなり癖の強いカルテットであるが、やはりこれほど弾けるカルテットはめったにないだろう。一流のそれというべきだ。ただ、音質のせいか、ここではちょっと乱暴にも聴こえる。気のせいかもしれないが。

シューマン幻想曲ハ長調 op.17 で、ピアノはエフゲニー・キーシン。色いろ考えさせられる演奏だった。キーシンが好きなタイプの聴き手なら、満点をつけるような演奏だろう。しかし、自分はそう簡単にはいかなかった。特に第一楽章に根本的な違和感を覚えた。そもそもキーシンというピアニストは何でもショパンにして弾いてしまう人で、それがかなわない。これでは、この曲がベートーヴェンを継承してさらに画期的であったことがまるでわからないではないか。それに、シューマンにしては楽天的に過ぎよう。それは第三楽章にも感じた。もっと毒をもって、危険に演奏してほしいのだ。しかし、外面的な第二楽章は、すばらしい出来でありました。こういうのはキーシンはさすがであり、あり余るテクニックと音楽性で聴かせる。

図書館から借りてきた、アレックス・ロス『これを聴け』読了。柿沼敏江訳。SHADE さんに教えてもらった本。アレックス・ロスはたまたま自分と同い年であるが、音楽についてもそれ以外についても大変な博識だ。音楽はクラシック音楽だけでなくあらゆるジャンルの音楽に造詣が深い。また、(クラシックの)現代音楽作曲家になるための勉強をしていただけあって、完全に分析的なやり方で、あらゆるジャンルの音楽を聴くこともできる。文章も上手い。情熱もある。とにかく、音楽評論家として、必要な才能をすべてもっているというべきであろう。恥ずかしい話だが、自分が知っているのは主にクラシック音楽の、それも一部のジャンルにとどまり、例えばバロック音楽オペラについてはほとんど何も知らないという偏りぶりである。分析的な耳もないし、また、演奏会での実演にもほとんど接せず、録音だけで音楽を聴いている。つまりは、アレックス・ロスが罵倒する保守的で無知な聴き手にすぎず、これでは本書は正確には判断できないのである。けれども、わからないなりに勉強にはなった。いつになるかはわからないが、ビョークボブ・ディランなども聴ければいいと思っている。本書では、エサ=ペッカサロネンブラームスを扱った章が自分にはとりわけおもしろかった。

これを聴け

これを聴け

ブログ「本はねころんで」さんが小林勇を取り上げておられるが、小林勇とはまたなつかしい名前である。一時期読んでいたものにこの名前が頻出したこともあり、小林勇編集者ではあるが、著書もあって何冊か読んだ記憶がある。しかし、それははたして何だったのか、たぶん探せば出てくるだろうが、よく覚えていない。幸田露伴など大家に気に入られる人で、一時期岩波書店を飛び出して立ち上げた「鉄塔書院」というのは、確か露伴が名付けた筈である。岩波新書を立ち上げたのも小林だったような気がするのだが、これもうろおぼえ。伝説的な語学者である河野與一の尻を叩いて翻訳をみずから口述筆記し、どんどん出版するとかいうこともしていた。物理学者ド・ブロイの『物質と光』とか、『プルターク英雄伝』は、そうして出版されたのだ。ちなみに河野與一訳の『プルターク英雄伝』は、谷沢永一がその訳文を口を極めて罵倒していたのを思い出すね。

2017-06-24

小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』

| 10:28 | 小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。
寝過ぎ。どれだけでも眠れる。ひどい夢。魂が薄汚れてきているのを感じて、いい気分ではない。

昼から仕事。

小林敏明『夏目漱石西田幾多郎』読了。

寝る前に荘子を読む。

2017-06-23

Mike Gancarz『UNIX という考え方』

| 03:46 | Mike Gancarz『UNIX という考え方』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。暑い。
昨晩は夕食後に寝てしまい、1時くらいに起きる。

外部に出ないと停滞する。

ベートーヴェンの 32の変奏曲ハ短調 WoO 80 で、ピアノグレン・グールド。CD版とは明らかに別テイクだが、基本的に同じでどちらもすばらしい。この前に色んなピアニストを試したのだがすべて合わず、結局あまり聴かないことにしているグールドで聴くことになってしまった。ここでのグールドベートーヴェンは、全然エキセントリックではない、というか、もっともベートーヴェンらしい演奏のひとつであるといっていいだろう。まさしく天才的である。

シューマンピアノ五重奏曲 op.44 で、ピアノマルタ・アルゲリッチヴァイオリンはドーラ・シュヴァルツベルグ、ルチア・ホール、ヴィオラ今井信子チェロはミッシャ・マイスキー。これは白熱のライブ録音だ。アルゲリッチはこの曲が好きらしく、You Tube に上がっている CD化されていない音源も含めれば、相当の数の録音があるのではないかと思う。曲はもちろんロマン派室内楽を代表する傑作のひとつで、僕も昔から大好きだ。また、演奏される機会も多いのではないかと思う。まだこの曲を聴いたことがない方は、この名曲をまっさらな状態で聴けるなんて、うらやましいくらい。

ショパンピアノソナタ第二番 op.35 で、ピアノユジャ・ワン

昼から県図書館。何か怏々として楽しまない。しばらく我慢するしかない。

夕方、樋の掃除。ウチには檜があるので、樋が檜の落ち葉で詰まるのである。

Mike Gancarz『UNIX という考え方』読了。

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

2017-06-22

こともなし

| 09:16 | こともなし - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。
変な夢を見た。玄侑さんの頭に毛がある夢。???

モーツァルトピアノソナタ第四番 K.282 で、ピアノレオン・フライシャー。僕はモーツァルトピアノソナタの演奏はあまり作為のないものが好みである。内田光子のなど、これ以上ないくらい立派な演奏ではあるが、意識的すぎて息苦しい。このフライシャーの演奏にはかなり満足した。自分がピアノが弾けたら、こういう風に弾きたい気がする。ちなみにリヒテル晩年のライブ録音なども、素っ気ないくらいで好みだ。

メンデルスゾーン交響曲第五番 op.107 で、指揮はロリン・マゼール。緻密な演奏。

シューマンリーダークライス op.24 で、歌手はディートリヒ・フィッシャー=ディースカウピアノはヘルタ・クルスト。

江藤淳は「フォニイ」と言ったが、現代においてそんなことを言っていたら生きていかれない。基本的に「フォニイ」しかないのだから。僕もそうだし、たぶんあなたもそうだ。フォニイの中で、江藤淳は自殺してしまったのだな。形骸化した自分には耐えられないと。「フォニイ」などとは、困ったことを言ってくれるよ。

最近、とあるえらい JK が我々のために考えて下すった KKNO という蔑称がひどく気に入っている。まさしくこれだ、自分は KKNO なのにちがいない…そんな思いに感動させられる。そしてこの憐れみの視線。これは菩薩だ。菩薩ではあるまいか。宇宙での最下層民である KKNO。めくるめくマゾヒスティックな恍惚だ。

夕方、図書館。酒屋。カルコス。

早寝。

2017-06-21

江藤淳『リアリズムの源流』

| 15:15 | 江藤淳『リアリズムの源流』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

雨。強い。

夕方近くになるまでごろごろしていた。特に何かをする気がない。

シェーンベルクピアノ協奏曲 op.42 で、ピアノ内田光子、指揮はピエール・ブーレーズ。この曲はシェーンベルクの中では聴きやすいもので、ブーレーズなんかは確かかなり辛辣なことを言っていたのではないか(ちょっとうろ覚え)。しかし、そんなに貶すことはないんじゃないかと思う。別にポピュラー曲でもいいじゃん。自分は結構よく聴く。内田光子ブーレーズのこの曲の決定盤ともいえる演奏で、じつは CD をもっているのでそちらを聴けばよいのだが、わざわざ探すのが面倒なので検索一発で聴いた。うん、いいね。ポリーニアバドでもいいと思う。しかしこの曲、思ったより You Tube に上がってなかった。あんまり選択肢がないような。

ベートーヴェンのいわゆる「エロイカ変奏曲」op.35 で、ピアノアルフレッド・ブレンデル。何だかタッチがあまりブレンデルっぽくないという印象。重い。動画で音が悪いからかな。

時々飲んでいる。

夜、仕事。

図書館から借りてきた、江藤淳リアリズムの源流』読了。まあ、すごくおもしろかったことはおもしろかったのだが…。ひとつわかったことがある。現代において、いやもう現代においてそういうことが言われることはないのかも知れないが、とにかく「文学は死んだ」とか「文学は決して死なない」とか、まあ何でもいいが、その「文学」とは、江藤淳のことなのである。それははっきりとわかった。それにしても、何という文学的才能。それは批評という形式を採っているが、これこそが文学なのだ。そして、しょうもないことばかり書くが、自分はその江藤淳の文学に対する全面的な傾倒(?)が、次第に気持ち悪く感じられるようになってきたと白状する。気持ち悪いというのは正確ではないかも知れないが、何ともいいようがない。例えば、江藤淳の有名な「"フォニイ"考」は、本書に収録されていて、自分は初めて全文を読んだのだが、辻邦生加賀乙彦小川国夫丸谷才一は「フォニイ」であると一刀両断している、何ともすさまじいものである。「いかさまでもっともらしい人で、ごまかしで、にせもの」などと言っている間に舌がもつれてしまうから、正確な形容である「フォニイ」で済ます、その一言で足りるとはっきり述べている。僕も(自分などがいうのは滑稽であると承知だが、文脈上仕方がない)江藤淳の言っていることはそのとおりというしかないのだが、そんなことはどうでもよくないか。辻邦生加賀乙彦小川国夫丸谷才一は下らないし、マチネ・ポエティクも下らないが、そんなのは放っておけばいいのにと、まあとにかく自分などは思ってしまうけれど、どうしてそれを江藤淳は言わずにおれないのか。いや、それは言うべきであると江藤淳は確信していたにちがいない。自分でもつまらぬことをいうとは思うが、どうしてそこまで文学に己の全存在を賭けねばならぬのか。それが何かたまらない気がする。
 江藤淳は、自分には「大人」に感じられる。自分は髪に既に白いものが混じりだしているおっさんではあるが、たぶん同い年のとき(いや、二〇代ですら)の江藤淳は比較にならない大人だ。しかしそんな大人の江藤淳が、伊東静雄の詩について書いているのを読むと、ちょっと愕然とする。というか、ギョッとするというか。ここでの江藤淳は何か虚無に捉えられているような感じで、目を背けたくなる。自分は何だか、とんでもない勘違いをしているのかも知れないが。

リアリズムの源流

リアリズムの源流

しかし、自分はさらに江藤淳は読むだろう。読まないでいられない気がする。

2017-06-20

土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』/若松英輔『霊性の哲学』

| 11:10 | 土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』/若松英輔『霊性の哲学』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。
寝過ぎ。試験に致命的に遅れる夢や頭が悪くなる夢を見る。よくわかる、さもあらん。睡眠の後始末がまた大変。

土屋惠一郎&中沢新一『知の橋懸り』読了。副題「能と教育をめぐって」。対談集。土屋惠一郎は一応ホッブズ研究者で、読んだことはある。すごく変な(笑)研究書で、めっちゃおもしろかったのを覚えている。というか、ブログのどこかに書いてあるはずだ(参照)。で、もう辞められたそうだが能のプロデューサーで、「橋の会」というすごいことを24年間やっておられたらしい。いまでは明治大学の学長なんだそうである。おもしろいなあ。中沢さんと対談するにはぴったりではないか。本書についての感想は書かない。自分のことだけ書くと、僕は自分のセンスの悪さにつくづくウンザリしている。結局、自分はセミオティックに対する感受性がにぶいのだ。本当にどうしようもなくつまらん俗衆であるが、まあ腐らずに修行していきたいと思う。

自分はふだんは殆ど死んでいるのだが、こういう本を読むときだけ生き返るような気がする。ゾンビちゃん。しかし、この効果は五分しか続かない。

ミニトマトの初物。

図書館から借りてきた、若松英輔『霊性の哲学』読了。この人は本当に真面目でえらいのだが、くだらないところがないのだけは惜しい。いまの時代に「くだらない」というのはじつに重要だと自分は思っている。まあしかし、魂の高みだけを経巡っている人はまことに少ないから、こういう人がいるのはすばらしいことなのだが。ないものねだりをしてはいけないのだろう。

霊性の哲学 (角川選書)

霊性の哲学 (角川選書)

僕はパンクロックはまったく知らないが、現代こそパンクが必要な時代であることは心底知っている。時代劇の好きなパンクロッカーとか、まったくすばらしいではないか。ねえ。

しかし、真面目な人はこんなブログなぞを読むヒマがあったら、若松英輔を読んでみるといいと思う。マジですよ。

若松英輔というのは滑稽ということがまるでない人である。そこがじつに惜しい。蓮實重彦は「吉本隆明は滑稽である」と宣ったが、まあ蓮實さんはバカにして言っているのだけれど、それでも吉本さんが滑稽に思われておかしくないというのはさすがだ。中沢さんも多くの人にバカにされている。ここなのだ。自分もまた心底から滑稽さを滲ませることができるよう、つとめて修行したいと思っている。

TK from 凛として時雨を聴く。
たまたまこアルバムが手に入ったので聴いてみた。まだ凛として時雨自体は聴いたことがなくて、こちらを先に聴いてしまったわけだが、若い人たちのやっている音楽の中では稀な才能に驚いた。これはどういうジャンルなのかよく知らないが(笑)、かなりハードエッジだと思うけれど、音が乾いていてカッコいい。一種の(いい意味での)軽さを感じる。それに、ノイズもよくて、ちょっと感動すら覚えるね。いや、やはり才能ってのは出てくるものだな。凛として時雨自体も是非聴いてみようと思っている。

white noise(初回生産限定盤B)(DVD付)

white noise(初回生産限定盤B)(DVD付)

ただこれ、ボーカルはなんかむにゃむにゃ言っていて、何を言っているのかさっぱりわからないのはどうなんだろう。ちょっと声が甘ったれているしな。それを除けばなかなかいい。

SHADESHADE 2017/06/21 02:59 凛として時雨っ!まだお客さん5人とかの頃から観てました!

obelisk2obelisk2 2017/06/21 08:51 おー、さすがですね。聴いてみて、才能ってのはやはり出てくるものだなと妙に感心しました。

2017-06-19

アレックス・ロス『20世紀を語る音楽 1』

| 08:49 | アレックス・ロス『20世紀を語る音楽 1』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。

ハイドン弦楽四重奏曲ハ長調 op.76-3 で、演奏はアタッカQ。いわゆる「皇帝」。

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲で、ピアノハワードシェリー、指揮はマティアス・バーメルト。

ブラームスの三つの間奏曲 op.117 で、ピアノドミニク・メルレ。自分にはえらく余韻の乏しい間奏曲に聴こえる。ちょっと素っ気なさすぎるのではないか。どうしてもグールドの演奏と比較してしまう。ピアノの音もきたない。

尹伊桑のヴァイオリン協奏曲第三番(1992)で、ヴァイオリンは Vera Beths、指揮はハンス・フォンク。すごい音楽だ。尹伊桑が現代音楽作曲家の中でも特筆すべき存在であるのは自分にはもはや疑いない。バリバリのハードな現代音楽なのに、バッハと同様に聴ける。まあバッハとの比較っていうのは上手くないですけれどね。いい形容が思い浮かばないな。

昼から県営プール。今日は三人しか泳ぐ人がいなかった。機械がはたらいていなかったので水が冷たいから注意と言われて、冷水期間が二週間早まっただけだろうと思ったが、30分くらい入っていたらちょっと寒くなった。しかし外は暑い。どこが梅雨かという感じである。でも明日からは本格的に降るようだ。

図書館から借りてきた、アレックス・ロス20世紀を語る音楽 1』読了。勉強になった。

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

JKが考える
最近の JK はすごいなあ…。しかし我々は不可触賤民か。一抹も希望がないのか。そう、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。それが KKNO の世界である。

このところ、日本の箍が外れてしまったことをひしひしと感じる。制度疲労が蓄積し、ついに破断したのだ。2017年は日本終了の年として、永く語り継がれるに相違ない。

2017-06-18

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』

| 11:04 | ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

日曜日。曇。

後始末がしんどい。とってもキモい

モーツァルトピアノソナタ第十七番 K.570 で、ピアノエミール・ギレリス

昼から仕事。

人気のシロクマ先生のブログなどを読んでいると、自分の時代遅れぶりをまたしても痛感させられてあまりいい気分でない。僕は「ゼルダの伝説」について長々とブログに「批評」を書いてしまうおっさんには到底なれないことであろう。(エロサイトについてなら書きたい気もほんのちょっとだけするが。)何だかネットを見ていると、お前などはさっさとこの世から退散したらどうだね、この時代遅れ田舎者めというような被害妄想に駆られないものでもないのである(それが本気になってきたら病人である)。まったく時代に適応していない、そのとおり。まあ、もう少し無駄な努力をしてみるつもりではあるが。

そうだなあ、そのうちまたゲームもやるかなあ。これでも学生の頃は結構ゲームもやったんですけれどね。「ドラクエ3」くらいはやりました。「ブラックオニキス」も「ダンジョンマスター」もやったし、ゲーセンで「バーチャファイター」にもハマったぜ。「リッジレーサー」とかも懐かしいなあ。齢がわかるぜ。もうでも、そういうのは面倒で仕方がないのだ、くたびれたおっさんは。ゲームをしていると、どうでもよすぎて何かむなしくなってくる。おっさんになってもゲームができるのというのは、尊敬に値するなあ。

プロコフィエフピアノソナタ第七番 op.83 で、ピアノはカティア・ブニアティシヴィリ。いやあ、よかった。このコ(?)なかなかかわいい顔をしているのに、えげつない演奏でよかったし。曲はもちろん二〇世紀音楽のポピュラー曲ともいうべき傑作。第六から第八番までを総称して「戦争ソナタ」というが、プロコフィエフがどういうつもりでそういうことにしたのか知らないけれど、超カッコいい曲である。カッコよすぎて、現代音楽の範疇に入れない人もいそうだが、いつ聴いてもフレッシュだ。この曲は不協和の鮮烈な部分だけでなく、叙情的・瞑想的な部分がまた聴かせるのであり、プロコフィエフの円熟した作品はすべてそうであるといえるだろう。初演者のスヴャトスラフ・リヒテルの何種類もあるライブ録音がベストだが、若きポリーニの録音など、他にもいい演奏はいくらでもある。(リヒテルは、是非第八番を聴くべきである。全身総毛立つ演奏というのはこういうものだ。)特に若い人の演奏が気になってしまうな。

シューベルトピアノソナタ第十四番 D784 で、ピアノスヴャトスラフ・リヒテル。1979 Live. 吉田秀和さんではないが、リヒテルシューベルトは巨大すぎる気がする。この演奏など、フォルテッシモはやり過ぎではあるだろう。しかし、第一楽章である。そのなかでも特に、第二主題だ。僕はリヒテルの演奏でこれを聴くと心臓が止まりそうになるというか、目が水分を発することが止められない。なんというか、本当にささやかな音楽なのだが。こういう感じは他のどの作曲家の音楽でも覚えないことである。結局、シューベルトピアノソナタは、傑作は他にいくつもあるけれど、バランスの悪いこの曲が自分にはいちばんこたえる。じつに危険な演奏である。どうも、ブレンデルあたりの演奏を聴くのが本当はよいのかも知れない。

松崎ナオの「川べりの家」ってホントにいいな。何回も聴いてしまう。

ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』読了。澤井繁男訳。本書の歴史的評価とは別に、僕としてはデッラ・ポルタが意図してかそうでなしにか、とにかくとんでもない法螺を平然と(?)並べ立てている部分がおもしろい。じつにどうでもいいのだけれど、それが笑えるくらいである。例えば(女性の)「しわの寄った額への対策」という部分。「亜麻仁油のかすが良い。オリーブ油のかすも良い。オリーブ油アラビアゴム、トラガカントゴム、マスチック、樟脳と混ぜて塗ると、乳房のたれさがりにも良い」とか(笑)。誰かやってみます? また、「アヒルをいかにして素手でつかまえるか」という部分。「アヒルがいつも水を飲む場所を観察して、そこの水をとりのぞいてワインを入れておく。ワインを飲むとアヒルは倒れてしまって、簡単につかまえることができる」なんて、どういうつもりで書いているのか(笑)。まあこんなところばかり引用してはデッラ・ポルタは怒るかも知れないが、おもしろいのだよねー。

なお、本書は原書の三分の一程度の抄訳であるらしい。まあこれでも内容はだいたいわかるようである。

2017-06-17

こともなし

| 04:14 | こともなし - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。
早起き。

バッハイギリス組曲第二番 BWV807 で、ピアノアリシア・デ・ラローチャ

フォーレピアノ五重奏曲第一番 op.89 で、ピアノはピーター・オース、 アウリンQ。これはおもしろかった。最初はもう少し濃厚な方がいいかなと思って聴いていたが、そのうちこの演奏の繊細な美しさがはっきりしてくると俄然おもしろくなる。これだけ脆くともフォーレはこれでいいのだな。絶品とすら言えようか。この曲は最後の開放感がたまらないね。

コルンゴルトピアノ五重奏曲 op.15。これはすごい。コルンゴルトってよく知らなかったが、こんなすごい作曲家だったのか。モダンだ。もっと聴かれてしかるべきだな。無知を恥じたい。

普段は朝食は取らないのだけれど、早起きしたときは食べる。トーストとコーヒーがすごくおいしく感じられる。自宅の夏みかんから老母の作ったマーマレードがおいしい。ふつうに作っているだけだと思うが、市販のものとは比較にならない。そういやウチの味噌は農協婦人部の手作りの素朴なものだが、これに替えてからは味噌汁の味が劇的にかわった。もう元のメーカー製(わざわざ高いものを買っていたのだが)には戻れません。ハムも地元の町おこしで作っているやつだが、これは地元で既に市民権を得ている。って僕は都会の意識の高い系とはまったくちがう田舎者だが、どうも何か変な感じである。何か「メーカー」とか、おかしいんじゃないのか。日本酒なんかでは既に「メーカー」というと、三流品というイメージになって、小さな酒蔵がおいしいお酒を作るようになってからだいぶになるね。ウチでも近くにある小町酒造を愛飲している。

ポリーニの Complete Recordings on Deutsche Grammophon なんて出ているのだね。知らなかった(というのが多すぎるな)。まあ全部もっている筈だから買わないけれど、56枚組で 2万円以下か。お得すぎるな。

なお、最新録音のショパンアルバムは入っていないみたい。70年代の空前絶後の録音を聴くためだけでも買う価値があると思う。もうこんなピアニストは出ない。

山下達郎の最初の四枚のアルバムも70年代なんだよね…。70年代ってどんな時代なのか、例えば60年代に比べて、あんまりいわれないのだけれど。オイルショック? 80年代は自分が育った時代だが、後半はいわゆるバブルだな。ひだまりのようなのんびりした幸福な時代だった。何でも日本がいちばんで、ふやけた時代だったともいえるだろう。音楽は YMO か。あんなレヴェルの高いものが大人気だったとは、ちょっと信じがたい感じがする。いまのふつうの子供たちが聴いている無内容(って何も知らないおっさんが思うだけだが)の音楽とは正反対で、これってどういうものなのだろう。でも、僕らの世代って才能がほとんど輩出していないのだよね。うーん。

PC 遊び。

2017-06-16

岡崎武志『詩集 風来坊ふたたび』

| 09:28 | 岡崎武志『詩集 風来坊ふたたび』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。
夢をたくさん見る。empty な感じ続く。本当に精神生活が貧しいからな。しかし、むしろこの領域に留まるべきかとも思う。これは同時代的なものだから。

バッハのフランス組曲第一番 BWV812 で、ピアノはタチアナ・ニコラーエワ。なるほど、これがニコラーエワのバッハか。

バルトークの「中国の不思議な役人」組曲で、指揮はエドワード・ガードナー。まったく知らない指揮者だが、中堅の実力者らしい。切れ味の鋭い演奏で堪能した。バルトークは中身がいっぱいに詰まっているな。

武満徹の「カトレーン」で、指揮は小澤征爾。武満徹を聴くというのは、心に水や肥料をやるようなものだと思う。僕は武満の音楽が無意識のどれくらい深くから発してきているのか、まだよくわからないくらいだ。武満は寝る前に聴いたりするといいんじゃないか。それから、小澤征爾はやはり立派。

武満を聴いて寝ころがっていたらとても具合がよかった。皆さんに武満徹を聴いてお昼寝することをおすすめしたいが、そんなヒマな人はいないか。

古書善行堂さんのネットショップ参照)で岡崎武志さんの詩集を注文したら、すぐに送って下さった。いかんいかん、さっさと振り込まないと。

ということで、岡崎武志『詩集 風来坊ふたたび』読了。いつもブログを愛読している岡崎さんの詩集で、出版の話ができてくる過程で気になっていた。この詩集には前作があるようで、だから「ふたたび」なのである。前作の風来坊は二〇代後半の若者のイメージで書かれたそうであるが、本書の風来坊はどうなのであろうか。まだ若いようにも見えるが、おそらくは既に中年男性という気がした。苦い人生を辛くも渡ってきたという、くたびれ感とさみしさが漂っている感じである。齢を取れば取るほど、気持ちはさみしくなりくたびれてくる、それでもどこかへ歩いていかねばならない、そんな人生の真実がにじみ出ていて、感銘を受けた。自分のような甘っちょろい人生を生きてきた人間でもそういう感慨を抱かされるのだから、渡世のつらいすべての人々にこの詩集を贈りたい気分である。これはお世辞でなくいいものですよ。

なお、本書は古書善行堂さんの処女出版である。それはそうと、岡崎さんの前作はいまでも手に入るのかな。本書には ISBNコードがついていなく、大手による流通は考えておられないようだ。それもまたひとつの行き方であろう。

ATM での振り込みのため、国道のロードサイドへ。梅雨とは思えないカラリと晴れ上がった青空。ひさしぶりに BOOK OFF へ寄ってみる。何となく河出文庫の柴崎友香と、岩波文庫の丸山眞男の二冊を買う。棚を見ていても喚起されることがなく、最近の出版事情に冥いことがはっきりしている。そういや、「ブ」でのセドリの人たち、このところ見かけなくなった気がするなあ。

心境がどうであれ、世界はひたすら美しい。

早寝。

SHADESHADE 2017/06/17 05:08 あああー凄い写真キレイ!

obelisk2obelisk2 2017/06/17 05:36 ありがとうございます。散歩していただけなんですけれど、世界がすごく美しいってありますね。

2017-06-15

Haskell のお勉強

| 11:12 | Haskell のお勉強 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。

ベートーヴェン交響曲第七番 op.92 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。これはめったにない、すばらしい演奏。パーヴォ・ヤルヴィにはしたたかに感心させられた。そもそも僕はこの曲は、特に終楽章が無内容な感じがしてあまり聴く気になれないのだが、ヤルヴィはじつに音楽的。とにかく変なことをまったくしていない。いや、すべての楽章をアタッカで繋ぐのはちょっと変っているが、あとはいちいち納得できる。自分の苦手な終楽章もじつにクリア。それなのに、ベートーヴェン特有の生命力、爆発力にも欠けていないという見事さで、はっきりいって最後は盛り上がりますよ。父親のネーメ・ヤルヴィは高名な指揮者だが、パーヴォ・ヤルヴィはもっと聴いてみたいな。幸い、パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンはまだまだ他に You Tube に上がっているようだ。いやー You Tube、すごいですね。

Haskell 事始めノート - Marginalia
半日 Haskell のお勉強。最初のあたりではパターンマッチがおもしろい。途中までの知識で「エラトステネスの篩」を実装してみようとしたが、きれいに書けない。関数型言語というのはオブジェクト指向言語とまったくちがうので、なかなか頭に発想が浮かんでこないのだ。つい変数が使いたくなってしまう。

すごいHaskellたのしく学ぼう!

すごいHaskellたのしく学ぼう!

by obelisk 2009-2017.