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2014-06-11

山本義隆『世界の見方の転換2』

| 09:32 | 山本義隆『世界の見方の転換2』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。

音楽聴く。■サン=サーンスピアノ三重奏曲第二番op.92フロレスタン・トリオ参照)。サン=サーンスは大したことないと云われそうであるが、僕は結構いいと思う。ちょっとフォーレっぽい感じ。巨匠たちが切り開いた道を、素直に歩んでいると云うか。■バッハ管弦楽組曲第二番(カール・リヒター参照)。リヒターは真面目一本だな。もう少し感覚的でもいいのにとも思うが、これは余計なお世話だろう。しかし、いまや謹厳なバッハ先生という演奏は殆どないので、これはこれで貴重だ。

ぼちぼちと山本義隆氏の『世界見方の転換』を読んでいる。まだ、途中なのだが、ちょっとメモを。
 よくプロ物理学者でも、天動説地動説運動相対性の問題であり、どちらを選んでも(数学的に)同等と発言されていることが多い。しかし、本書を読んでみれば明らかだが、少なくとも歴史上の天動説地動説に関しては、これは誤りである。つまり、運動が「相対的」であるなら、すなわちそれは座標変換の問題だということになるが、プトレマイオスの体系とコペルニクスの体系は座標変換で互いに行き来できる理論ではない。例えば、プトレマイオスの体系(天動説)では、諸惑星が並んでいる順番を決定することができない。また、コペルニクスの体系(地動説)にあっては、プトレマイオスの体系でかなり大きなウェイトを占めている、エカント(これは奇妙な概念である)の存在に対応するものがない。どちらもお互いに、根本から異なった体系なのである。佐藤文隆先生も、天動説地動説のちがいは運動相対性の問題ではないと言っておられた筈だが、以上のようなことが先生の頭にあったのであろうか。それはわからないが。
 それから、本書は自分の気づいた範囲で、エカントについて明快に記述してある唯一の本である。エカントという語を初めて見たのはクーンの著作においてであったが、クーンの説明はよくわからなかった記憶がある。まあ当時の自分理解できていなかっただけなのかも知れないし、「唯一の」と云うのもあくまでも管見の限りではある。

※追記 第二巻まで読み終えてみると、少なくとも天体地球太陽しかない場合、上の記述は誤っているかも知れない。本書の数学補遺を見ると、コペルニクスの小周転円モデル(これは地動説であるが、周転円を導入している)と(太陽中心系で表した)プトレマイオスの等化点(エカントモデルは、離心率 e の二次以上のオーダーを無視すると、両者は近似的に、同一の結果を与えるようである(厳密な座標変換が存在するかは、よくわからない)。太陽系全体を考えた場合は(数式レヴェルで)どうなるのかも、今の自分ではよくわからない。以上、注記しておく。

山本義隆世界見方の転換2』読了。本巻はコペルニクスを扱う。コペルニクス地動説(あるいは太陽中心説)を唱導したことは周知だが、彼は楕円軌道に気づかず円軌道を考えたために、辻褄を合わせるため、周転円をここでも採用している。それはともかく、コペルニクス理論は、直ぐに教会の反発をかったわけではない。コペルニクス自身、自分理論数学モデルであることを強調しているし、コペルニクス理論は意外に早く受け入れられていったようであるが、それも宇宙論的な真実性というよりは、数学的に「現象を救う」ものとして積極的解釈された。それが、受容者たちの一般的態度で、それは不自然なものではなかったのである。そしてここでも依然として、天文学占星術と密接に結びついている。ただし、天文学(これは数学によって構築されている)を自然学(これは聖書記述も含む)の下に置く潮流から、しだいに自然学は天文学事実を認めなければならなくなる、そうした流れができ始める。ここから最終巻に繋がっていくのだろう。以下続巻。

2013-05-30

中沢新一『緑の資本論』再読

| 22:23 | 中沢新一『緑の資本論』再読 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。

うどん恵那」にて昼食。

中沢新一『緑の資本論』を読み返す。表題作は「イスラームのために」とあるが、半分以上は西洋資本主義論。「モノとの同盟」からメモしておく。

こんにちの世界で、物質的な増殖はいたるところで、おそるべき速度と量をもって進行しているが、その「物の増殖」を包み込む全体性の直感は失われてしまっているために、モノははじめから物でしかなく、しかもその物は商品となり情報となり貨幣となって、流通ネット上をスピーディに運動していきながら、めまぐるしく変態をとげながらも(商品―貨幣―商品―貨幣―……)価値としての同一性を絶対に失わない。
 このような世界物質主義と呼んで、それに精神なるものをもって対抗しようとしても無駄なことだ、と私は思う。それよりも重要なのは、物質でもなく精神でもない、モノの深さを知って、それを体験することだ。… (p.187-188)

緑の資本論

緑の資本論

音楽聴く。■ブラームスピアノ協奏曲第二番(ルービンシュタインミュンシュ)。普通の演奏ルービンシュタインの方向は、ポリーニが完璧な形で到達してしまったので、比べてみるとどうしても粗さが目立つ。また、坂本龍一も言っていたとおり、ルービンシュタインピアノは音が汚い。この曲の自分のベストは、リヒテルマゼールの指揮で録音したもの。■シューマン:「ゲノフェーファ」序曲(ミュンシュ)。

2013-01-24

澁澤訳の『荘子』知北遊篇からの断片

| 00:49 | 澁澤訳の『荘子』知北遊篇からの断片 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

澁澤龍彦編の『オブジェを求めて』を読み返していたところ、『荘子』知北遊篇第二十二からの断章が格好良く引用されていたので、ここに録しておく。澁澤自身の訳と思しい。

東郭子が荘子にたずねて、「いわゆる道とはどこにあるものですか」と。荘子が答えて、「あらざるところなし」と。東郭子はさらに、「どこにあるか指示してください」と。荘子「螻や蟻にある」「ずいぶん下等なものにあるのですね」「稊や稗にある」「これはますます下等になってきたぞ」「瓦や甕にある」「これはいよいよひどい」「糞尿にある」これを聞くと、東郭子はあきれて返事もしなくなってしまった。そこで荘子がいった、「あなたの質問はそもそもピントがはずれている。たとえば市場の役人が屠卒に豚を踏ませて、豚が肥えているかいないかをしらべるときにも、踏みつける場所が豚の下等な部分、尻や脚のほうになればなるほど、全体の肥え具合がよく推察される。それと同様に、道がどこにあるか、とくに限定するにはおよばない。道が物から独立遊離してあるものだと思ったら、それこそ大間違いのこんこんちきだ。道とはすべて物の中にあるものだと料簡するがいい。大言の教えもこれと同様で、周徧咸の三字は名を異にして実を同じくする。いずれも道があまねく存在する意をあらわしているのさ」と。

2011-09-15

原発災害に関する山形浩生の記事に対する、ツイッター上における矢作俊彦の反論

| 01:43 | 原発災害に関する山形浩生の記事に対する、ツイッター上における矢作俊彦の反論 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

原発災害に関する山形浩生の記事(参照)に対する、ツイッター上における矢作俊彦の反論(ここ以下):


「今なお、こういう詐術を振りまいて、電源原発権益の提灯持ちをしている、ある種の詐話師がいる。いかにも、このもっともらしい語り口が、東電のコマーシャルとシンクロする。善意の確信犯だけに、こういう意見をわれわれは正しく論破する必要があるのだ。」

「単純に言い切ってしまえば、国家にも電源企業にも、この人の言うような平衡感覚存在していないということだ。彼らは『安い』『美味い』『早い』という、この国の戦後民主主義を支えたお題目を維持するためならどんな嘘もつく。ことさら電源原発権益がこの人が言うような清潔な選別をするわけがない。」

「もう一つ、どれほど安全な原発であっても、事故を起こしたとき、それはカタストロフィに直結することを我々は知った。飛行機を怖がる人は多いが、いったん事故を起こしても5、600人の犠牲者で終わる。しかし原発はいざ事故を起こせば地域が死滅する。それを誤魔化す連中に、この人は加担している。」

「チェルノブイリの現実を、この人はまったく直視していない。あれは古い原発だと言う。しかし、原発が事故を起こせば、たとえどれほど新しい原発であろうと、最悪の場合直径数十キロの国土を死滅させ、故郷を殺し、市民の命を奪うのだ。目に見えない放射線物質で孫子を恫喝し続ける。そんなもの必要か。」

「必要だというなら、この人の意見に与すれば良い。ぼくは必要ではないと思う。原発に頼るなら、電気料金を倍払っても良い。一見正しく見えるが、これは人の命を欄外にしてコスト計算に汲々としている官僚や銀行員の発想だ。こういう意見は結局、電源原発権益と同じ、人間からもっとも遠い意見だと思う。」

「ああ。分かった。この人は1980年代のMITだ。つまり『虚栄の篝火』の中心人物だ。この人たちの頭にも心にも、人間も故郷も存在していない。所詮は金にならない感傷でしかない。困ったものだ。こういうもっともらしいことを言い散らかされても。」

「もう一つ付け加えておく。この人の意見から完全に抜け落ちているのは使用済み核燃料の問題だ。こんな短い行数で書くことはできない。諸氏、自分で調べてほしい。使用済み核燃料の処理はまったく宙に浮いている。そして、それはきわめて危険で厄介な物質だ。福島の一億トンの表土以上に。これは詐術だ。」

「念を押しておく。つまり彼ら国家と電源原発権益が、われわれ市民にしようとすることは、何十年も前の瀬戸内海長島で、熊本水俣で,はたまたあの成田でしたことと同じ、嘘しかつかないということだ。この人は知っているのか知らないのか、その辺りがいかにも楽天的、その楽天性が恣意的で、信値しない。」


山形浩生に愛がないことを、矢作俊彦は正確に理解している。


山形浩生の記事もコピペしておこう。

原発に対する我々の正しい姿勢とは?━━高度1万メートルからの眺め


これが反原発の立場なのか、原発推進の立場なのか、ぼくは分からないし、気にもしていない。でも、これがいちばん正しいことだと思うということを書いてみる。

まだ福島原発事故の後処理は当分続きそうだが、今後原発をどうするのかという議論(というより議論の不在)はいまだに続いている。でもそのほとんどは、中身を考えないお題目だけの原発反対か、単なる現状維持の原発賛成のみ。

ぼくは「原発反対」という人々が何に反対しているのか、よく分からない。ぼくは耐用年数のすぎたポンコツをだましだまし使い続けるのには反対だ。そしてそんな基本的な工学原則も徹底できない、今の愚かな関係者たち(いわゆる原子力村)にも反対だ(そしてたぶん後者のほうが大問題だ。これは老害の一種だから)。

でも、核分裂を使うエネルギー源がすべてダメとは思わない。福島の原子炉なんかよりはるかに安全性の高い原子炉はある。外部電源が切れても、冷却水がなくなっても何も起きず、自然に止まる設計の原子力エネルギー施設はすでにできている。それに反対といったって、今ある原発を明日から止めてつぶすことなんかできないのは、そろそろみんな分かってきただろう。何十年もかけて冷やしてつぶすことになる。それなら、それを安全なものに更新する手立てを考えるべきじゃないの?

ましてぼくがさっぱり理解できないのは、原発か経済成長か、といった得体の知れない二者択一を持ち出す連中だ。原発の見直しは今の文明の見直しだとかなんとか。別に原発がなくても経済成長はできるし、原発は今の文明と不可分な一部じゃない。たまたまエネルギー源として有利そうな面もあったから使われたというだけの話だ。

経済成長反対と口走る人の多くは、経済成長というのが携帯電話の買い換えとか車とかそんなぜいたくの話だと思ってる。そしてどっかの誰かが、経済成長を無理強いするためにいやがる人々を無理やり働かせているように思っている。でも経済成長というのは、今失業して生活に不安を抱いている人に職と安定を与えるものだ。自殺に追い込まれる人を減らし、医療を受けられない人に医療を与え、学校をよくして、高齢者の福祉を高めるものだ。それは人々の命を救う。それを否定するのは、人々に死ねということだ。

繰り返すけれど、原発がなくても経済成長はできる。つまり反原発のために経済成長を否定したり文明の見直しを求めたりする人は、反原発を口実に、まったく無意味に人が死んでもいい、苦しんでもいい、と主張していることになる。ぼくはそんな「反原発」に荷担したいとは思わない。

結局、老朽化した原発はきちんとつぶそう。それをまともな工学原則に基づいてきちんと主張できる体制を作ろう。そしてきちんとつぶし、それを安全性の高いものに更新するためにも新しい原子力の研究開発にはお金をつぎこもう。同時に自然エネルギーの研究を進め、コストが十分に下がるよう後押ししよう(今の高価で未熟な技術を延命させる補助金はダメ)。

これが反原発の立場なのか、原発推進の立場なのか、ぼくは分からないし、気にもしていない。でも、これがいちばん正しいことだと思う。特にこれから日本は原発を輸出する気なんでしょう? だったら、それが最大限に安全なものになるよう、今後も面倒を見る責任があると思うんだけど。

としとし 2011/09/19 09:42 全く山形氏の発言に賛成はしないのだが、矢作氏の一連の発言は論破でもなんでもなく、思い込みと決め付けの文章が並んでいるようにしか見えない。こんななのが知識人から流布されるばかりでは逆に原発は無くならないだろうと暗澹たる気持ちになる。

ただ、高レベル放射線廃棄物については同意。結局推進派にも反対派にも都合が悪いのでなかなか議論にならないがこれが本質的問題のはずなのだが。

山 2011/09/19 14:33 矢作氏の意見は低レベルですね。人の命は、低経済成長によって奪われると山形さんは書いてます。確かに、福島の原発事故で人命は奪われていないけど、失われた10年は、毎年3万人規模の人命を奪ってますよね。

kipperkipper 2011/09/19 15:41 10年以上をかけた段階的な既存炉の廃止は、日本の反原発派の中でも
珍しい主張では無いかもしれませんが、山形さんの仰っている内容のうち、
見解が分かれそうなのは、新型炉への更新を主張している点でしょうね。

既存炉を新型炉に置き換えれば、その耐用年数が尽きる以後50年前後まで、
原子力発電は延命されます。これは、今後10年から30年で段階的に廃炉し、
再生可能エネルギーへ移行するという、「段階的脱原発」とは、やや異なるようです。

フクシマ以降の脱原発は、過去の動きと違い、本物になる可能性のほうが高い。
理由は、自然エネルギーの急速なコスト低下とその普及です。やはり、今後は、
最悪の事故が起こるということを前提にして、そのような事故が発生した場合の
被害が最も小さくなる発電手段を選ぶことが望ましい。

原子力発電のリスクは、自然災害やヒューマンエラー、廃棄物だけではありません。
テロリズムの被害に晒されたり、紛争の際に相手国から攻撃されるリスクもあります。
むしろ、頻度で言えば、そういったリスクの危険度のほうが高いかもしれません。

トマストマス 2011/09/27 23:56 ちょっと矢作はトンチンカンだね。思い込み激しすぎ。
何?騙されるな!ってw山形が何を騙そうとしてるの?
矢作がレッテル張りしようと顔真っ赤にしてるのはわかるけど

結局、全部即時廃炉しないと気がすまないんでしょ?
その後のことは放ったらかし、考えてもない
あと、よく読むとわかるけど途中から何故か政府と山形を混同してる
大丈夫?ちょっと落ち着いたほうがいいじゃない?
単なる原発賛成論だと思ってる時点で、完全に誤読なんだけどな〜
政府がこんな山形みたいな主張するわけ無いじゃん

山形は、ちゃんと廃炉にするにしてもどうすればいいのか
ちゃんと考えてるよ
そして、どうやって、人を回したり廃炉するだけのドブ仕事を
「まともな人」にやらせるのかを

>その辺りがいかにも楽天的、その楽天性が恣意的で、信値しない。
これは矢作自身のことだろうね

2011-02-24

ディラック『量子力学』メモ(4)

| 15:22 | ディラック『量子力学』メモ(4) - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

前回
さて、量子力学のいちばん基本的な式は、一次演算子の「固有値問題」の方程式である。すなわち

     

がそれで、αは一次演算子、aはただの数(一般的には複素数)である。(ただし、|P>=0はわかりきっているので、それは考えない。)ベクトルに一次演算子αを施したとき、数aが得られるということだ。このaを一次演算子α(ないしそれに対応する力学変数)の「固有値」といい、|P>をαの「固有ケット」という。そして、固有ケット|P>は固有値aに「属する」という。aが物理的に観測できる数であるなら、これはじつは実数となる。上と同様の式

     

を考えることもできて、bもαの固有値であり、<Q|は「固有ブラ」である。

 上の方程式に, …など、複数の固有ケットの解があり、これらのいずれもが一つの固有値aに対して成り立っているならば、これらの一次結合であるケット・ベクトル

     

もまた、上の方程式の解になっている。

実の一次演算子について

以下、実の(エルミートの)一次演算子しか扱わない。すなわち

     

とする。

(1)固有値はすべで実数である。

上の式の両辺に左から<P|を掛けると

     

であるが、<P|P>は零でない実数であることに注意して、

     

      

     

で、aは実数である。

(2)固有ケットに伴う固有値は、固有ブラに伴う固有値とすべて等しい。

(3)固有ケットに共役虚なブラ・ベクトルは、その固有ケットの固有値と同じ固有値に属する、固有ブラになっている。

 この(3)より、ある状態が、固有ケット、あるいはそれに共役虚な固有ブラに対応していれば、その状態を、その実の力学変数αの「固有状態」と呼べるようになると云える。

 なお、注意しておけば、ディラックは p.41 以降、実の力学変数αの固有値を、プライムや添え字を使ってと書き、その固有ケットなどと、独特の仕方で書いているので、気をつける必要がある。つまり、

     

が成立するということである。

直交性の定理

ある実の力学変数の異なる固有値に属する、二つの固有ベクトルは直交する。

 力学変数αの二つの固有値を及びとし、それらに属する固有ケットを及びとすると、

               (1)

              (2)

で、(1)式の共役虚を取り右からを掛けると、に注意して

     

となり、また、(2)式に左からを掛けると

     

となる。ゆえに、これらの両辺を引くと、

     

となり、 であれば となって、二つの固有ベクトルは確かに直交している。

ディラック『量子力学』メモ(3)

| 10:31 | ディラック『量子力学』メモ(3) - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

前回
前に、一次演算子の「固有値問題」として物理的な量が決定されると述べたが、これも先走って云っておけば、そのとき、力学変数はじつは実数でなければならない。なので、実数の力学変数に対応する、一次演算子の条件を調べておこう。

 ベクトル<A|と|A>の関係を「共役虚」と呼んでいたが、一次演算子をαとすると、<P|αに共役虚なものを

     

とする。この「共役複素」に似たを、(ディラックの用語で)αの「アジョイント」と呼ぶ。αのアジョイントのアジョイントは、常にαに等しい。すなわち(これも共役複素に似て)

     

である。よって、一次演算子のアジョイントのことを、「共役複素一次演算子」と呼ぶこともある。一次演算子α,βがあるとき、常に

     

である。また、|A><B|は前にも述べた通り、一次演算子であるが、これのアジョイントは

     

となる。

 さて、一次演算子αが実数の力学変数に対応している場合、αのアジョイントはα自身に等しくなる。すなわち

     

で、このときαは「セルフ・アジョイント」であるという。これは普通の教科書なら、αは「エルミート」演算子である、と云われるところであるが、ディラックはこの呼び方を採らないので、注意が必要である。普通の教科書のように書いておくと、

     

より、(<A|を<P|αに置き換えて、これの共役虚も考えると)常に

     

だから、αのエルミート性の条件は

     

となる。

次回

2011-01-13

佐藤肇『位相幾何』

| 08:33 | 佐藤肇『位相幾何』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。地面が霜で真っ白。

佐藤肇『位相幾何』にざっと目を通す。薄っぺらいが中身の濃そうな本。

位相幾何

位相幾何


位相空間論に必要な用語

位相幾何の本に目を通したので、位相空間の初歩的な概念をまとめてみる。以下の用語は見当がつくでしょうか。

位相空間、距離空間。開集合、閉集合。近傍。連続写像。同相(位相同型)写像。閉包。稠密。集積点、孤立点。内点(内部)、外点(外部)、境界点(境界)。点列の収束。(距離空間の)完備。開被覆。コンパクト。ハウスドルフ空間。(位相空間の)連結、連結成分、弧状連結。連続曲線。開写像、閉写像。直積集合と射影。積空間、積写像。直和空間。商空間、商集合、商写像。開基。第二可算公理。可分。

等々です。以下は参考にした本。

曲面の幾何 (現代数学への入門)

曲面の幾何 (現代数学への入門)

位相空間論 (岩波全書 331)

位相空間論 (岩波全書 331)

トポロジー (岩波全書 276)

トポロジー (岩波全書 276)

ジェフリー・アングルス氏のブログで、お宝映像を発見しました(参照)。グリモー(Hélène Grimaud)のピアノで、ブゾーニが編曲した、バッハのシャコンヌの演奏です。何という超絶技巧とロマンティシズム。

2010-11-13

安藤礼二『たそがれの国』/幸田露伴『天うつ浪 後篇』

| 11:02 | 安藤礼二『たそがれの国』/幸田露伴『天うつ浪 後篇』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。

安藤礼二『たそがれの国』読了

たそがれの国

たそがれの国

幸田露伴『天うつ浪 後篇』読了。未完。日露戦争が始まって露伴は、こうした閑文字をつらねていくのが、居たたまれないような気になったらしい。それはそうと、いかに我々が、こういう雰囲気の世界から遠くなってしまったことか。

天うつ浪 (後篇) (岩波文庫)

天うつ浪 (後篇) (岩波文庫)

中沢新一「心のトポロジーとしての建築学」より。これは手厳しい。

近代というのは、過去の伝統とのつながりを断ち切ろうとする運動であった。いま自分たちのつくっている世界は、過去の遺産とのつながりの上に成りたっているという事実を否定して、合理的な原理だけで人間の世界をつくりあげて見せようとしてきた。その近代というプログラムが、いま行きづまってしまっている。そのために、未来へのヴィジョンがまったく見えないまま漂流をつづけているような不安感が、世界中を覆っている。

 こういうとき人はよく、自分たちの手近な過去へ目を向けようとする。近代の少し前の時代の伝統を取り戻そうとしたり、それが「日本的なもの」の神髄だなどと考えて、力ずくで復活させようとしたりする。しかしそういうタイプの「日本的なもの」に、いくらしがみついてみても、だめなものはだめなのである。そういう思考法じたいが、近代的な思考の仲間なのであって、そこから未来へのヴィジョンが開かれてくる可能性は、まったくない。

2010-10-27

ディラック『量子力学』メモ(2)

| 12:46 | ディラック『量子力学』メモ(2) - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

前回

ブラ・ベクトルとケット・ベクトルを導入しただけでは、何も始まらない。これに加えて、「一次演算子」が導入される。これもまた、天下り式であり、いまだ抽象的なものである。

 いま、ケット|F>がケット|A>の関数になっているものとする。|A>から|F>に移ることは、|A>に或る一次演算子を施すことで行なわれるとすると、その演算子をαとすれば、

     |F>={¥alpha}|A>

と書いてよい。ただし、気を付けねばならないのは、演算子αとβは一般に可換ではない、すなわち

     ¥alpha¥beta¥neq~¥beta¥alpha

であることだ。可換である場合は、ディラックは演算子として、ξやηを用いている。また、ブラ、演算子、ケットの三重積は、

     <B|¥alpha|A>

などのように書く。ケットに掛かる一次演算子としては、

     |A><B|

のようなものもある。これをケット|P>に掛けると

     |A><B|P>

となり、確かにケット|A>にただの数<B|P>を掛けたものになる。ブラ、ケット、一次演算子を使った代数的関係は、以上のようになる。

 では、一次演算子の物理的な意味は、どうなるのだろうか。ディラックは、「一次演算子はその時刻での力学変数に対応する」(p.34)と述べている。(ゆえに、ディラックは「一次演算子」と「力学変数」の語を、同じような意味で使っているところもある。)力学変数というのは、具体的に云えば、粒子の位置や速度、角運動量、その他もろもろのことである。ここで初めて、具体的な物理的内容が導入されたわけである。そして、先走って云っておけば、その一次演算子の「固有値問題」として、物理的な量が決定されるのである。

次回

2010-10-26

ディラック『量子力学』メモ(1)

| 00:31 | ディラック『量子力学』メモ(1) - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

著名なディラックの教科書『量子力学』を、大学に入りたての学生のように読んでみるつもりである。そのための、ほんのメモを記すことにする。飽くまでも自分勝手なメモであり、これを読んでも量子力学がわかるようにはならない。また、この一回で止めるかも知れないし、続くのかも知れない。他人には読む意味がないかも。

 まず、ディラックの「ブラ・ケット記法」だ。ディラックは、周知のごとく、最初から波動関数を使わない。では、ディラックは、物理的内容をどう捉えるのか。まず必要なのは「重ね合わせの原理」である。

この原理によると、これらの状態の間には特別の関係があって、その結果、体系がはっきりと一つの状態にあるばあい、いつでも、それが、部分的に、ほかの二つの状態あるいはもっと多くの状態にあるものとみなしてもよい、と仮定せねばならない。つまりもともとの状態は、新しい二つまたはそれ以上の状態をある種のやり方で重ね合わせた結果と見なさねばならない。但しこの重ね合わせの仕方は古典的な考え方では想像のつかぬものである。どんな状態をとっても、それを二つまたはそれ以上の他の状態の重ね合わせの結果と考えることができ、しかも実にその重ね合わせの仕方は無数にたくさんあるのである。逆にどんな二つまたはそれ以上の状態をとっても、それらを重ね合わせると一つの新しい状態が生ずるのである。(p.15)

この「重ね合わせの原理」が、量子力学と古典力学の一番の違いであり、量子力学を特徴づける、というわけだ。そして、それは数学的には、「ベクトル」で表される。(これは勿論、何かから演繹されるものではない。)

重ね合わせの手続きはある種の加え算の手続きであって、いくつかの状態を何か適当なやり方で加え合わせれば新しい状態が生ずることを意味している。従って状態に結びつけられる数学的な量というものは、それらを加え合わせることができて、その結果は同じ種類に属する別の量になるような種類のものでなければならない。このような量の内で最もわかりやすいものはベクトルである。(p.19)

これがすなわち、「ケット・ベクトル」というわけだ。このようにディラックは、きわめて抽象的な前提から入っている。

 状態の重ね合わせは、ケット・ベクトルの一次結合で表される。例えば、状態Rが、状態Aと状態Bの重ね合わせで作られる場合、

     c_{1$¥1}|A>+c_{1$¥2}|B>=|R>

と表される。(係数c_{1$¥1},¥;c_{1$¥2}は複素数。)

 また、或るケット・ベクトルに勝手な複素数 c を掛けたものは、もとのケット・ベクトルと同じ状態を表す。これは、同じ状態を重ね合わせても、もとの状態と変らないということを意味する。

ブラ・ベクトル

ブラ・ベクトルはケット・ベクトルと掛け合わせて、「ブラケット」と呼ばれるスカラー積を成す。ブラケット

     <B|A>

はスカラー積なのだから、当然ただの数(複素数)である。ブラだけ、あるいはケットだけならば、それはもちろんベクトルである。気を付けねばならないのは、ブラとケットが対応しているとき、ケット

     c|A>

に対応しているブラは、

     ¥overline{c}<A|

となって、係数は共役複素になることである。これからも判るように、ディラックはこのブラとケットの関係を「共役虚」の関係と呼んでいる。すなわち

     <B|A>=¥overline{<A|B>}

の関係がある。ゆえに、

     <A|A>

は実数であり、ブラまたはケットが零でなければ、これは必ず正の値を取るものとする。

次回

2010-05-16

ヴェーユの哲学講義/中西進『日本人の忘れもの1』

| 20:50 | ヴェーユの哲学講義/中西進『日本人の忘れもの1』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

日曜日。晴。

シモーヌ・ヴェーユ『ヴェーユの哲学講義』読了。「パスカルが深く感じとったように、『時間は存在が無であるという感情をうみだす源泉』です。人間に考えることをこれほどまでに恐れさせているのは、時間が逃れさるものだという事実です。『気ばらし』は時間の流れを忘れさせることを目的としています。人は自分の背後に事物を残すことによってみずからを不滅にしようとこころみますが、不滅になるのは事物だけなのです。」(p.318)

中西進『日本人の忘れもの1』読了

日本人の忘れもの〈1〉 (ウェッジ文庫)

日本人の忘れもの〈1〉 (ウェッジ文庫)

2010-02-22

蝋梅

オットー『聖なるもの』/北村薫『自分だけの一冊』

| 21:12 | オットー『聖なるもの』/北村薫『自分だけの一冊』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

晴。

プールへ行ったら、またしても休みだった。今度は臨時修理。まぬけ。アピタ。

オットー『聖なるもの』読了。新訳。本書の底流には、キリスト教こそ宗教の最高形態だという発想がある。このことは訳者も指摘している。

本書の根本的なねらいとは、諸宗教におけるキリスト教の卓越性を「聖なるもの」の構造から論証すること、そして、イエス時代の人々が有した「聖なるもの」としてのキリスト教の啓示体験が現代においても有効であることを主張すること、の二点である。(p.456)

こうしてみると、『聖なるもの』は、宗教現象学的考察のみがクローズアップされ、オットーすなわち「ヌミノーゼの宗教学者」といったイメージがすっかり一人歩きしているが、かれにすれば重心はキリスト教の卓越性、その信仰の有効性を主張するところにあり、そういう意味で本書はあくまで「キリスト教神学者」の立場から書かれたものである。……それにもかかわらず、『聖なるもの』を有名にしたのは、まさにこの予備的・序説的位置付けでしかなかった宗教現象学的考察にほかならない。(p.458)

聖なるもの (岩波文庫)

聖なるもの (岩波文庫)

北村薫『自分だけの一冊』読了。よく読んでいるなあ。

自分だけの一冊―北村薫のアンソロジー教室 (新潮新書)

自分だけの一冊―北村薫のアンソロジー教室 (新潮新書)

2009-05-21

鹿島茂『吉本隆明1968』

| 22:10 | 鹿島茂『吉本隆明1968』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

曇。

恵那」で昼食。

鹿島茂『吉本隆明1968』(isbn:9784582854596読了。日録に書く。書かなかったことで、ちょっと気になるところがあったので、引用しておく。

現在、日本のアカデミズムでは、学生確保のために、研究領域を、日本の漫画、アニメ、映画、テレビ、エンターテイメントなど、いわゆるサブカルとかクール・ジャパンと呼ばれるものにまで広げていこうとする傾向がありますが、これは、じつは、日本のこうした境域の活動が興隆期、成熟期を経て、衰退期に入ったからこそ可能になったものなのです。もし、それが興隆期、成熟期にあって「実態的」に元気に存在している場合には、これを「概念的」に捉えることは難しいのですが、衰退期に入り、活動のパワーが衰え始めることによって逆に概念的把握が可能になり、一般的、抽象的に論ずることができるようになるのです。そこから、日本的なサブカルの極端な「理想化」や、あるいはその逆の極端な「断罪」も起こってくるのです。(p.392)

2009-04-26

宮台真司『日本の難点』

| 16:18 | 宮台真司『日本の難点』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

宮台真司『日本の難点』(isbn:9784344981218読了。宮台さんは愛国者で憂国者だなあ。

「そこ[ソーシャル・デザインしていかなければならないこと]には、重大な問題があります。それは『社会設計は基本的に人の手に余る』ということです。『カテゴリーの分節が恣意的だ』という意味論的限界、『世の摂理は人知を超える』という時間的限界ゆえに――総じて我々の知的限界ゆえに――社会設計は必ず間違ってしまうものなのです。

(中略)しかし、だからといって、社会設計も何もしないで良いのかというと、そう簡単ではありません。『不作為もまた作為なり』という『再帰性』の問題があるからです。既に述べたように、『するも選択、せざるも選択』という等価性の只中に我々が立たされてしまうのが、我々の生きている後期近代=ポストモダンだからです。」(p.111-2)

「つまり、<システム>の外にある目標――<生活世界>を生きる『我々』――のために<システム>が手段として利用されるのではなく、<システム>が作り出した課題である“理想のワタシ”のために<システム>自体が応えるというマッチポンプ=再帰性が、多くの人々の目に露わになったのです。」(p.249-50)

「米の価格維持のための減反政策で水田の四割を減らしながら、大量のコメを義務的に輸入することはどう考えてもバカげています。山下[一仁]氏は、関税維持の代償にミニマムアクセスを受け入れるよりも競争原理を受け入れた方が、コメ輸入量が増えないばかりか、将来的にはコメの輸出さえ可能になると言います。」(p.263)

 それから、「セコイ奴」よりも「スゴイ奴」になって、「ミメーシス」を引き起こせ、というのは、まあその通りなのだが、なんだかなあ… 宮台さんは、自分が「スゴイ奴」だと思っているのだなあ… そうなのだろうが、それにしてもねえ…

 話はちょっと違うのだが、本書を読んでいて思ったのは、「主体」はないが「自由意志」はある、という、西洋哲学ではパラドックスに見える問題を個々人が解決しない限り、仏教の足元にも及ばない、ということになるのではないか。それを等閑にしてロジックを組み立てていっても、結局、すべて崩れ去ってしまうのだと思う。

2009-03-22

河合隼雄『中年クライシス』

| 00:20 | 河合隼雄『中年クライシス』 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

河合隼雄『中年クライシス』(isbn:4022641134読了

「ユングはこのような人々に会い、また自分自身の体験をも踏まえ、中年において、人間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。彼は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子どもを育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、そのような一般的な尺度によって自分を位置づけた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分は『どこから来て、どこに行くのか』という根源的な問いに答えを見いだそうと努めることによって、来るべき『死』をどのように受けいれるのか、という課題に取り組むべきである、と考えたのである。太陽が上昇から下降に向かうように、中年には転回点があるが、前述したような課題に取り組む姿勢をもつことにより、下降することによって上昇するという逆説を経験できる。しかし、そのような大きい転回を経験するためには、相当な危機を経なければならない、というわけである。」

2009-02-19

池澤夏樹

| 23:52 | 池澤夏樹 - オベリスク備忘録(跡地) を含むブックマーク

池澤夏樹『南鳥島特別航路』(isbn:4101318123読了。日本列島の自然を訪ねて、普通ではちょっと行きにくいようなところへ行っている旅の記録。ここ暫く枕頭の書としていたもので、自然の香りが漂ってくるような本だ。本の題名にもなっている「南鳥島特別航路」や、「雨竜沼、湿原の五千年」の章が、浮世離れしていて特にいい。

「かつて山暮らしは一つの文化だった。山菜の採りかたや時期、採ったものの処理、狩の技術、木の実の食べかた(クルミやクリはそのまま食べられるが、アクの強いトチなどは手間をかけてアク抜きをしなければならない)。夏は炭焼き、渓流のイワナ釣り、秋になればキノコ採り。ブナの林は実に多くの実りを用意して人間と動物たちを養ってきた。そういうものすべてが失われてしまった。それどころか山そのものがなくなろうとしている。古いものが消えてゆくことを単なるノスタルジアから哀惜しているわけではない。千年がかりで作られた知識の体系が失われようとしているのは、ちょうど大きな図書館が燃えているのを見るようなもので、いかにももったいないと思うのだ。」

by obelisk 2009-2017.