『アメリカン・スナイパー』

クリス・カイルの『アメリカン・スナイパー』を読みました。というより、ようやく読み終えました。

とにかく、読むのが苦痛でした。自伝を読むに際して共感できないというのは致命的です。

正しいアメリカと、アメリカに敵対する野蛮人という単純な二項対立。

この本を貫いているのは差別意識です。アメリカと、アメリカに命を捧げている自分に歯向かう者は殺されて当然と考える著者は、“野蛮人”を殺すに際して罪悪感を感じません。人種差別とはまた違う、人間を上下に並べる傲慢です。

戦争は、どんなに美辞麗句を並べても、つまるところ人間同士の殺し合いです。その戦争を「好きだ」と断言する、人をライフルで射殺することを特技だと鼻高々になる、その心の在り様が理解できません。

人と人が争う。それこそが人間の歴史です。わたしだって、自分の家族に害を為そうとする者が現れれば立ち向かいます。必要なら、暴力を以て。しかし……。

そうせざるを得ない諦念、慄きのようなものは、心の片隅に持っていたいと思います。

アメリカのために戦って(特に)心を病んだ人たちを気にかけ、その救済活動に関心を持っても、その人たちの心を壊した戦争それ自体には目を向けない。

そうではないだろうと思うのです。

「きみのお母さんの教えには反するが、暴力が問題を解決する。」

確かにそのとおりでしょう。しかし、それと同時に考えるべきことがあるという想像力も持たなければ、人間は機械に堕してしまいます。

夜に生きる』で、デニス・ルヘインは書いています。「時の始まりから、善いおこないは往々にして悪い金のあとについてきたのだ。」と。

MASTERキートン』で、キートンは「なぜ人間は学び続けるのか」と問い、自ら答えます。「それが人間の使命だから」と。

悩みながら苦しみながら、もがきながら生きていくしかないじゃないですか。それがなかったら、人間でないもの、人でなしになってしまいます。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)