『キャスターという仕事』

正しい答えを得るためには、正しく問わなければいけません。

ずっとテレビを見ない生活を送っているので、いつのことか記憶が定かではありませんが、まだプロ野球のナイター中継をしていたころ。実況を担当するアナウンサーの、解説者とのやり取りに不愉快なものを感じていました。

例えば、試合が中盤まで進行して、そこまでの展開をハイライトで振り返ることがあります。ある選手がホームランを打ったとします。「序盤は静かな展開で4回、○○(選手名)のホームラン……」と言って黙ってしまうのです。次に話すのは解説者という無言の振りとともに。

そのホームランの何をトピックとして取り上げたいのか。先取点の重みなのか、バッターの技術的なことなのか、それによってピッチャーあるいは相手チームの戦術に変更があって展開が変わったのか。

あるいは、ピッチャーの投球を再生した画面を見て、「このストレート……」と言ったきり。そのストレートが何だというのか。球速か、コースか、配球か。

何を訊かれているのかわからないのですから、解説者も困ったでしょう。性質(たち)が悪いのは、このアナウンサーが、言ってみれば会話の中での体言止めを優れたテクニックと考えていることです。あるいは自分の実況の個性であると。

最近、職場に新人が入り、その後輩に仕事を教える場面が多々あります。そして、質問してくれるのはあり難いのですが、やはり上記のアナウンサーのように最後まではっきりと喋らないのです。「○○さん、これは〜……」と言ったきり黙ってしまいます。もちろん、わたしは経験上、彼が何に困っているのかわかりますから指示は出せます。しかし、こう答えます。

「途中で言葉が消えて、何が言いたいのか伝わらない。最後までしっかり話してきちんと訊かなくては駄目だ。どうしてわたしがキミの言わない部分を想像して補って、キミが言わんとしていることを代わりに言ってやらなくてはいけないんだ」

冒頭の言葉をもう一度。

正しい答えを得るためには、正しく問わなければいけません。

それを報道番組において如何に実践してきたかを語る本書は、ジャーナリズムに限らず、日々のニュースを受け取り、日常を生きるわたしたちに多くの示唆を与えてくれます。それは、著者が携わった「クローズアップ現代」の精神と同じです。

ホモ・サピエンスの武器は言葉です。その言葉について真摯に語った本です。