身体が痛いのは、老婆役で腰を曲げていたから。そして、久しぶりにがっつり平台とパンチを貼った舞台・客席のばらしだったってのが……まだ、いけるかな?と、つい平台に手を出してたから。
丹阿弥谷津子さん
昨日の公演、森本薫さんの葬儀(於、京都)に際し、文学座一同からおくられた弔辞を、舞台上に映し出された彼の写真に向かって読むと言うところから始まります。最後に連ねられている文学座の座員の名前。舞台上に並んだ役者たちが、それぞれ誰かの名前を言うのですが(杉村春子さんは、『女の一生』でケイさん役をやるゆうみさん)、さて、どの名前を担当したいですか?と言われ「丹阿弥谷津子さん!」と早々に宣言。どうせなら、自分の中にイメージのある方にしたいなと思ったものだから。
とは言え、私の中にあるのは昭和の名女優の素敵なおばあちゃま役。森本氏葬儀の際は、まだ文学座に入ったばかりの20代。そのころの写真が無いかしらと思ったら、その5年後くらいのアサヒグラフの表紙写真発見。これが、まぁ、可愛いのなんのって。
一方、歳を重ねられてからの写真は、素敵な笑顔のおばあちゃま。ところが色々見ているうちに、「息子に見捨てられた、ボケ始めた老婦人」と言う役のドラマの1シーンの写真が。こ、これは今回の私の老婆役に通じるではないか。
と言うことで、その2枚をプリントして楽屋守りに。いつものたそがれ殿の書とともに。
好み
劇中では何度か、森本氏が疎開中の奥様におくった手紙が読まれる。ついつい仕事をしてしまう自分、疎開がうまくいかない苛立ち、「もう一度、お前と子供を抱く」とか、とにかく心配し、早く家族に会いたいと言う思いが溢れている。
ちなみに、公演タイトルは『まだ生きてゐる』。これは和歌子夫人にあてた手紙から。空襲を受ける東京からの手紙。その生々しさ。
「全く俺は仕事で命すてるかもしれん」と言う手紙に呼応するように、文学座からの弔辞には、自分たちが病中の森本氏に書くことを求めたことが、再起を不能にしたのではないかと書かれている。
さて、和歌子夫人への思いあふれる手紙の一方で、エンディングで読まれる手紙は愛人でもあった杉村春子さん宛のもの。終戦直後に書かれたそれには作品構想が書かれている。それは、1946年に亡くなった氏が果しえなかった作品。ここでは役者全員舞台に倒れているのだが、朗読する二口大学さんの「けど書いてみたいのだ」と言う最後の言葉に泣きそうになる。
私は、とことん、最後まで何かやろうとしている人が好きなんだなぁ。
友人からはご舞運をと言う言葉がメールでおくられてくる。ありがとう。
学生会館前の池は埋められ、なにやらこじゃれたガラス張り建物が……。
って、学生会館の前に、柵だけ残ってるよ。ここから池に向かって発声練習をしていた学生時代をちょっと懐かしむのでありました。
ひょんなきっかけで出演することになった舞台。素敵な出演者の皆様とご一緒出来、1回で終わるのがとても残念。ありがとうございました。
スタッフの皆様、大学の皆様、ありがとうございました。
なにより、演出の山口さん、ありがとうございました。