ヘレン・ケラー「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」新潮文庫(1903年)
- 作者: ヘレンケラー,Helen Keller,小倉慶郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/07
- メディア: 文庫
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原題は「The Story of My Life」、ヘレン・ケラーが23歳のときに執筆した処女作。
ヘレン・ケラーは言わずと知れた三重苦を努力で乗り越えた人。
彼女は1歳のとき、胃と脳の「急性鬱血」でヘレンは視力と聴力を奪われてしまう。
また、7歳になるまでは言葉の存在すら知らなかった。
視力、聴力、言葉が無いという、すさまじい苦しみ。
もし、今の自分に視力と聴力、そして言葉が無かったら、と考えようとしても、
想像することすらできない、というのが正直なところである。
暗闇の沈黙の世界の中で、彼女はどのような生涯を過ごしたのか。
もちろん、小さいころにヘレン・ケラーのことは何かの本またはテレビで見聞きし
ヘレン・ケラーのことは知っていたのだが、あらためてどのような生涯だったのか、
その自伝を読むことでより詳細に理解したいと思い、この本を手に取った。
この本を読み、驚いたことはたくさんあったが、まずは下記の3点。
いずれも本当に信じられない「奇跡」と呼ぶにふさわしいことである。
1. 7歳から「指話」や「唇読」で言葉を学び、流暢な発音で話せるまでになる。
2. 19歳で名門ハーバード大学に合格。
3. 大学を卒業する頃には、英語、フランス語、ドイツ語を堪能に話す。また、ラテン語、ギリシャ語も読みこなす。
それではなぜ、ヘレンは暗闇の沈黙の世界に住みながら、これらのことを達成できたのか。
答えは、「情熱を持って前向きに努力し続ける」という一言で言い表せると思う。
P.179より
時には、閉ざされた人生の門の前で、ひとりぼっちで座って待っている時、孤独が
冷たい霧のように私を包むこともある。門の先には、光があり、音楽があり、仲間との
楽しいひと時がある。しかし、その門をくぐることを私は許されない。
何も言わない、無慈悲な「運命」が、行く手をさえぎっているからだ。
できることなら、「運命」の横暴な命令に私は異議を唱えたい。というのも私の心は、
まだ大人しくしていることができず、情熱に燃えているからだ。
それでも、のど元まで出かかった自暴自棄のことばを、私は決して言わない。
こぼれなかった涙のように、その思いを飲みこみ、胸の奥にしまっておくのだ。
沈黙は、いつまでも私の魂の上から動こうとしない。しかしやがて、希望が微笑みと
ともにやって来て、つぶやく。「喜びは、自分を忘れることにあるのだ」と。
だから私は、人の目に入る光をわが太陽とし、人の耳に聞こえる音楽を私の華麗な
シンフォニーにしよう。人の唇からもれる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に
私はなりたい。
茂木先生の本や講演で「弱点は最大のチャンス」というお話を聞いた。
弱点やコンプレックスを少しでも克服できると、脳の中で報酬(ドーパミン)が放出され、
更に向上に努めるようになる。それを繰り返していると、いつの間にか普通の人よりも
はるかにその道を究めてしまう。
ヘレンのケースは、まさにその実証例だと思う。
それにしても、ヘレンが生涯持ち続けたハンディキャップは大きすぎることである。
これほど大きなハンディキャップを持っていても、英語、フランス語、ドイツ語が
話せるようになるのであるから、きっと人間は本気になれば大抵のことはできてしまうに違いない。
外の世界をしっかり見ないから、「自分は不幸だ」「自分は大変だ」と考えてしまう。
実はそれほど不幸でも、大変でもないのに。逆に恵まれているのに。
さあ、今までの自分の怠慢を反省し、明日からまたチャレンジし続けよう。