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かかみの歳時記

2017-03-24

07:28

 閉じこもって本ばかりを読んでいてもと洋服地を買いに行く。明るい色にしたいという気持ちだけあったのだが、いざ決めるとなるとなかなか決まらない。トシヨリになって昔好きだった色がみんな地味になってしまった。模様のあるのも見るうえでは綺麗なのだが身に当てればチンドン屋小一時間も散々迷って結局いつものブルー系。今回はすこし明るい色にしてみた。早速地のしをしたので作り始められる。

図書館のある公園の桜、蕾がかなりふっくらとしてきた。我が家の木蓮も包を落として紫の顔を揃えてきた。日ごとに花が増えていく。

 野球WBCは残念。サッカーはどうだったかと気になり早起き。こちらは完勝だったようでまずまず。相撲はあまり見なかったのだが稀勢の里横綱になってから夕食準備中中継を入れる習慣に。「事実は小説より面白い」のである。





     菜の花のひとつほどけててふてふと




 
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ふきのとうふきのとう 2017/03/24 18:24 春の匂いのするとても好きな句ですね。ここで少し選評の苦い思い出を書かせて下さいね。俳句の先輩の句を褒めることはとても難しく、後輩に「佳句と言はれても嬉しくない」或いは「あなたに句の良し悪しが解るの?」「あなたに褒められても...」と、後輩に堂々と仰る先輩と接してきましたので、私自身が他人様の句を褒めることにとても慎重になってしまいました。洋服の出来上がり楽しみにしています。

octpus11octpus11 2017/03/24 20:53 厳しいことを言われる先輩もあるものですね。そもそも句会というのは社会的肩書や上下関係から自由になってお互いに批評し合うもののはず。好きだと言っていただけるのはとても嬉しいことです。ありがとうございます。たいした洋裁ではありませんが作り出すと夢中です。

2017-03-22

連翹(れんぎょう)

| 07:32

俳句の海に潜る」 中沢新一・小澤實著
 時々コメントを書き込んでくださるこはるさんのお薦めの本。中沢さん好きのTが買ったというので回してもらった。所々中沢さん流の思考についていけないところもかなりあったが「俳句アニミズムは根源的なところで繋がっている」という考えはよくわかった。小澤さんが中沢さんの「一元的アニミズム」を聞いて「石も木も人も風景もすべてが生まれ変わったように新鮮に見えてきたことが、忘れられない。」と書いているが同感だ。まさに俳句は宇宙のスピリットを宿した自然との交感のなかで自然のスピリットを詠んできたという本来の有り様を再認識させられた。
 アニミズム俳句の代表のようにして蛇笏さんと龍太さんが挙げられているので早速手持ちの「飯田龍太」句集を出す。確かにそこには自然のスピリットを詠んだ作品がかなり。例えば春の季語から
 満月に目をみひらいて花こぶし
 うぐいすに瀧音笑いつつ暮るる
などなど、この視点で龍太俳句を再読したいと思う。

 「俳句アニミズムである。これは未来に向けた立派なスローガンです。」「莫大な量のモノに囲まれて、人間が自分の本質を見失っている時代」だから、俳句が「根源的な文化を持続している」意味を中沢さんは評価しているようです。句作りの正道を指し示された気がします。




     連翹の声そろいたる讃歌かな





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俳句の海に潜る

俳句の海に潜る

ふきのとうふきのとう 2017/03/22 18:47 アニミズムとは少し角度が異なりますが、数日草取りをしていて、絶えず心に感じたことは、この草たちは人類よりはるかに先に地球上に生命を置いたであろうに、綺麗にしたいからと言って、こんなにも無残に取り除き、「清々しい」などと勝手な事を思う自分は本当に正しいのだろうかという疑問でした。伸びて邪魔になったなら、そこだけ少し短くすればよいのでは?と。人間と言う生物は「いかなる時も自己優先主義」な生き物ですね。私に限ってかも知れませんが。

octpus11octpus11 2017/03/22 21:12 この本にも米沢の「草木塔」が紹介されていました。木を切ったことが木を殺害したことになると思った木こりたちが立てた供養塔らしいのです。草を抜くというのも同じことなのでしょうがやはり私も抜かざるを得ません。そういえば以前高野山に行った時「白蟻」の供養塔も見かけました。殺虫剤の会社だったように思います。みんな身勝手だと思っているのですね。

2017-03-20

雲雀

08:45

 二十四節気春分」 「春の最中、昼夜半分」と高島暦にある。春のお彼岸なので墓参り。花粉を気にしつつ外仕事。ホトトギスサギソウの植え替えをする。ホトトギスは僅かしか地下茎が残っておらず今年はだめかもしれない。一方サギソウは大きくなった球根がいくつか。これは期待出来そうだ。H殿はじゃがいもの植え付け。ヌートリアを警戒して囲いの中に植え付けた。

 梅がやっと開花。来週には桜も咲くというのに。いつもの年より一週間は遅い。




     凝らしても見えぬ高さや雲雀鳴く





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ふきのとうふきのとう 2017/03/20 18:35 今から観梅なのですね、季節が少しこちらよりゆっくりなのですね。三日間の草取りを終えホッとしています。蔓延り過ぎたタイワンホトトギス、ヤマジノホトトギスを少し整理しました。お近くでしたら差し上げましたのに残念です。ヌートリアが出るのですか?

octpus11octpus11 2017/03/20 20:57 我が家の紅梅は開花の遅い品種のようです。ホトトギスもいろいろなんですね。我が家のは友人から頂いたのでシロバナホトトギスとジョウロウホトトギスでしたがだんだん減らしてしまいました。夏の水の管理がうまくいかなかったようです。油断した頃にヌートリアが現れます。何年か前にはじゃがいもが根こそぎやられました。

2017-03-18

初蝶

| 13:50

 花粉による目の痒みが酷い。点眼薬も飲み薬も使っているのだが。

林京子さんの「祭りの場 ギヤマンビードロ」を読んでいる。林さんの逝去を新聞で知り、図書館で借りてきた。ご自身の原爆体験を書いてきた人だということは知っていたし、昔読んだような気がするのだがすっかり忘れていた人だ。改めて読んでみるとひととおりでない作品群である。「祭りの場」は学徒動員中に被爆して奇跡的に生き残った話。思い出すのも辛かったはずの体験が冷静な筆致で綴られている。淡々と語られるからこそ残酷な現実や悲しみ、それをもたらしたものへの怒りがひしと伝わってくる。「ギヤマンビードロ」に入っている「空罐」は空き缶に爆死した父母の遺骨を入れて通学していた級友の思い出。「友よ」は三十年後始めてみた自宅火災の写真に孤児だった旧友が号泣する話。
 一連の作品で芸術選奨新人賞の授賞が内示されたが筆者は被爆者であるから国家の賞を受けられないと謝絶されたという。

 
 被写体を探して畑を歩きまわていて蝶を見つけた。何という蝶だろう。




     初蝶やわが三十の袖袂     石田 波郷




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祭りの場・ギヤマン ビードロ (講談社文芸文庫)

祭りの場・ギヤマン ビードロ (講談社文芸文庫)

ふきのとうふきのとう 2017/03/18 22:22 少し心に重たく響く本を選ばれましたね。「空き缶」も「友よ」も少年時代の思い出としては傍観者の私でさえ心に堪えます。花粉症、暫く憂鬱な季節と思いますがお大事に。波郷は好きな俳人の一人です。

octpus11octpus11 2017/03/19 08:09 重たい内容でしたが心に残った話でした。波郷さんは私も好きな俳人です。

2017-03-16

囀り

07:40

播州国宝を訪ねて
 二日目
 f:id:octpus11:20170316074558j:image:w200:right正確に言えば二日目は国宝はなし。新装なった姫路城は車窓から眺めただけ。午前中費やして廻ったのは「書写山 圓教寺」三十年経ての再訪である。圓教寺和泉式部一遍さんゆかりの寺。西の比叡山といわれ伽藍標高300m強の山上に広がる。たびたび火災で燃えており国宝になるほど古いものはない。摩尼殿は昭和の建築ながら舞台作りの巨大建築物。縁に立つと足がすくむ。煙が上がって山火事かと思ったら花粉の飛散。この後目の痒みに悩まされることになる。ここの一番の見所はコの字型に大建築が配置された一郭。大講堂、常行堂、食堂であるが色が落ちて白木の古びた風情。かっては大勢の僧たちも見られただろうに人けのないガランとした有様。異界に迷い込んだようなふしぎな空間だ。さすが山の中で鳥が多い。鶯、ルリビタキシロハラその他名前のわからない鳥との出会いに喜ばされる。藪椿も美しい。一周して2km程度、歩いて1時間半程であった。



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摩尼堂



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三の堂



 ちょうど正午レンタカーを返し帰路へ。ご当地B級グルメで前日の昼食は「加古川カツライス」を食べたので二日目は「明石焼き」を食べようと明石で途中下車。たこ焼きとはちょっと違うがなかなか美味しい。駅前に明石城なるものがあり見学。江戸時代の城で角櫓が現存。城域も広く石垣も立派、堀も深い。松平氏 6万石という。城の高台より明石大橋が望める。本当は日本標準時天文科学館にも寄りたかったのだが休館日で時計台だけ遠望して帰路に。


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始めての「18切符」での旅。座れるかどうか危惧していたがずっと大丈夫。在来線の車窓は播磨灘を眺め、伊吹山の威容に驚きそしてなんと近江長岡辺りでは田んぼに遊ぶお猿も見つけた。




     山道にいま陽のさして囀れり

ふきのとうふきのとう 2017/03/16 16:30 吟行句どちらの句も臨場感があり、苦手とはとても思えません。
私も吟行は不得手ですが、いつかものになることを期待して参加しています。良い天候に恵まれましたこと。最も雨はは雨で句になるとは思いますが。

octpus11octpus11 2017/03/16 20:46 どうにか二句だけ載せましたが、なかなか詠めません。まだ少し寒かったのですがお天気には恵まれました。

2017-03-15

14:17

播州国宝を訪ねて
 一日目
 以前句会で主宰が「播州」という響きがとても好きだと言われたことがあった。その「播州」の浄土寺を拝観したいというのが長年の想いでやっと今回訪問がかなった。
兵庫県には国宝はようけありますけどみんな播州ですなあ」と今回出会った案内人が誇らしげに言われたがまさにそのとおり。まず加古の駅家(うまや)の鶴林寺へ。往時は白砂青松の加古の浜近く松林の境内だったらしいが今は街場の一郭。聖徳太子由来の寺であり、太子堂と本堂が国宝である。太子堂は檜皮葺の優雅な曲線美の屋根をいだだく平安中期の建物である。内部は非公開だが宝物館に御本尊を安置。赤外線で発見された華やかな壁画の模写も復元されている。驚いたことに法隆寺の「夢違観音」に似た白鳳仏もあり国宝指定でないのは多少痛みのあるせいらしい。本堂の薬師如来秘仏だが同じお姿の仏様が新薬師堂に安置されている。

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 鶴林寺から20km北上。小野市東大寺別所であった浄土寺へ。最近Eテレ国宝巡りで紹介もされていたが、今回の旅の一番目的。小さな堂のなかに見事に大きな阿弥陀三尊立像。快慶作である。阿弥陀如来は5m30cm両脇待は3m70cmもあり見上げるばかりである。お堂の造りは天竺様といわれるもので天井も壁もなく力強い木組みそのまま、真っ赤に朱が塗られている。蔀戸からの光に照らされ、その朱が金色の三尊に映えて神々しく言葉もない。他にお参りの方もなく、三尊の周囲をぐるりと回って心ゆくまで拝観させていただいた。

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 播州国宝寺としてはさらに北上して朝光寺があるが、思ったより時間がたち、朝光寺は諦め一乗寺に。一乗寺西国霊場26番札所である。平安建築三重塔が国宝である。長い階段の先、わずかな踊り場に古風で力強い塔がある。写真を撮ろうとするのだが傾きかけた日が入りなかなかうまくいかず、上の本堂から見下ろす撮影に。

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欲張って駆け足の一日目であった。宿は夢前川の辺りの温泉。池内紀さんの本で読んで以来いい名前だと思っていた「夢前川」である。なんてことはない中くらいの川なのだが、温泉宿はお値段の割には良かった。

 




     百六十二段いつきに里は霞けり





f:id:octpus11:20170315151118j:image一日目に出会ったにゃんこ。「いいこだねぇ」と言ったら転がってくれました。

こはるこはる 2017/03/15 20:58 百六十二段の句、とてもすてきです。具体的で力があって、春の景色が目に浮かびます。
5月にまた、奈良に行く予定にしています。どこにしようかな。

octpus11octpus11 2017/03/15 21:20 ありがとうございます。字余りで推敲足らずです。やはり吟行は苦手です。奈良もいいですね。

2017-03-12

春の塵

| 13:38

「ジニのパズル」 崔 実(チェシル)著
 去年の話題の本である。なかなか面白くて一気に読んだ。感受性の強い思春期の少女の成長物語だが、彼女が北鮮系在日コリアンだということが話を複雑にしている。この国に生まれてこの国の言葉を使いこの国で生きていかざるをえない息苦しさや苛立ちがよく伝わってくる。そして結局、異質なものに不寛容なこの国に馴染めず彼女はこの国を出ていき、新たな出発をする。
 それにしてもチマ・チョゴリの少女に暴力を振るう警官は酷い。「土人」などと言った警官もいたのでこれは現実なのかとも思うのだが創作ならあまりにステレオタイプではないか。このことを含めて、この国の人間であることを離れて鑑賞は出来なかった。

 「南スーダン」からの撤収が決まった。詭弁の続かぬことがわかったからであろうが、いずれにしても良かった。実際の撤収までまだ二ヶ月もあるがこのまま恙無く終了するのを願いたい。

 やっと家族の予定が揃って明日・明後日と出かけます。





     碁敵を亡くせし碁盤春の塵



ジニのパズル

ジニのパズル

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花ニラ

ふきのとうふきのとう 2017/03/12 20:47 碁盤の句、とても好きです。兎角、自分が共感できる内容の本ばかりを読んでしまいますが、自分の考え方とは反対側にいる著者のものも読まなくてはと、努力しています。前回のコメントの末尾「できる事ならは前者になりたい」の間違いでした。ゴメンナサイ。

ふきのとうふきのとう 2017/03/12 20:50 追伸、今日の句会、以外に不調に終わり、改めて句力の無さを只今実感中です。

octpus11octpus11 2017/03/12 21:42 ありがとうございます。夫の碁の相手の義兄が亡くなってから碁盤は出番がありません。私にとっては思い入れ深い句です。句会で不調に終わるとがっくりしますものね。お気持ちよくわかります。採られなかった句にいい句があることもあり「捨てうことはない」と龍太先生は書いておられました。

2017-03-11

春の月

07:49

 東北震災より6年。もう6年と言うべきか、まだ6年というべきか。未だ仮設に暮らさざるを得ない人、先の見えない原発事故の後始末。それらを思い忘れないことぐらいしか私達は出来ない。

 この6年で読んだ震災関係の本を振り返ってみた。そのうちの一冊。
いとうせいこう著「想像ラジオ」。 かなり前に読んだので細部は忘れたが、津波で亡くなった人がDJとして発信し続ける話。話し続ける当人自身が死んでしまったのかそうでないのかわからないという不思議な話でその設定があまりにも突然な死を暗示している。おそらくこういう思いは残された人びとはもちろん、あちら側に行った人にもあったに違いない。近頃読んだ宇田川啓介著「震災後の不思議な話 三陸怪談」でも死んだはずの自分の体を探す人の話を始め、不思議な話がたくさん集められている。こういう現代の怪談話は、「もう一度逢いたい」という残された人びとの深く強い思いが語らせたことかもしれないが、実話と言われても肯うしかない。あの震災はそれほどの出来事だったのだから。

 掲載句として今年も高野ムツオさんの俳句を選んだ。当事者の句として他の震災句にないインパクトがあるから。もう一つの短歌は去年4月10日の朝日新聞歌壇で選ばれた塩竈市の佐藤龍二さんの作品。海溝という深みに呑まれていった日常がありありと感じられるので、ここに引用させていただいた。




     
     車にも仰臥という死春の月   高野 ムツオ




    海溝に落ちてゆくのは中華鍋家族の写真赤い自転車   
                  佐藤 龍二


想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)

震災後の不思議な話 三陸の怪談

震災後の不思議な話 三陸の怪談

ふきのとうふきのとう 2017/03/11 11:16 掲本の「震災後の不思議な話は読みました。体験された人の中には
「きっと帰って来たのだ」と合掌する人、恐ろしくて逃げ出す人様々ですが、私はどちら派?と考えさせられました。地域に暮らしていた人、お身内を亡くされた方々は前者、仕事でやむなく現地にいる方々は後者のようですね。私も後者なのではと思ったりもしますが、内心は後者でありたいのです。

octpus11octpus11 2017/03/11 13:04 私は震度3以上の揺れを経験したことも大災害に出会ったこともありません。(我が家は伊勢湾台風もさほどではありませんでした。)すべては想像でしかありませんが、深く想像することで辛さに共感できたらと思います。

2017-03-09

桜貝

| 07:49

「今に生きる親鸞」 吉本 隆明著
 一昨日の午後から、緩んだ身心を縮み上がらせる寒さ。雪も舞い、薄っすらと積雪も。

 またも「親鸞」について考えている。昔読んだことがある本だが、吉本さんがどう言っていたのか気になって再読した。一貫して語り言葉で書かれており、わかり易く読み易い。親鸞信仰(思想)とその最終到達点を、噛み砕いて丁寧に解説。かの「悪人正機」についても同様である。「意図的な善」はひけらかしたり強制したり悪を咎めて「本質的には善と悪との転倒を生み出す」。親鸞はそこを十分を洞察していたからこそはからいの善より仏の慈悲に委ねるしかない自覚した悪の方が本願に近づきやすいと言ったというのだ。この考えは宗教の正義に名を借りた今の争いを見ても非常によくわかることで、吉本さんは「善悪の問題がどんどん身近に迫って来る」現在、親鸞の考え方は参考になるのではないかというようなことを言っている。他にも親鸞の「浄土」の考え方なども解説されているが、総じて親鸞信仰というのは今の時代の人間にも受け入れられるものだと思う。まあ、私のような凡人ではとても捉えられない親鸞さんではあるが、知れば知るほど先人としてこういう内省的な宗教者・思想家がいたことに驚かざる得ない。

 WBC、思ったより順調な勝ちでまずまず。観戦しないで他ごとをしている身にH殿が点の入るたびに大声で報告してくれた。スポーツはいいですね。




     少年の少女に呉るる桜貝



今に生きる親鸞 (講談社+α新書)

今に生きる親鸞 (講談社+α新書)

ふきのとうふきのとう 2017/03/09 19:26 親鸞上人の肉食妻帯は兎角、欲のみにとらわれ易いようでが、親鸞上人の実直さと素直さの表れと解しています。傍目を気にしてこころ裏腹な人間が多い中、見事な生き方をされましたね。大変余談ですが、嘗て、私は俳誌「海坂」の同人でありましたが派閥争いが苦手で退会致しました。お亡くなりになった後の事でしてお目には掛かりませんでしたが、諸先輩からのお話で瓜人先生のことは良く存知ております。

octpus11octpus11 2017/03/09 20:41 結社については同じような体験をしてきたのですね。瓜人氏についてネットで調べましたら浜松でご活躍とあり、納得しました。飄逸な句が多くて気に入った句がたくさんありました。一度ノートにでも書きだしてみようと思っています。

2017-03-07

蕗の薹

08:04

 昨日、鶯の初音を聞く。「ケッキョ、ケッキョ・・・ホー」と何ともおぼつかない。半日囀って今朝も啼いているが、これでは嫁取りは時期尚早という感じ。
 庭に蕗の薹もいくつか顔を出した。ころころと可愛らしく掲載句を思いついたのだが、誰かの句の焼き直しのような気がしてあっちこっちを調べ、吉屋信子さんの「姉妹性異なれば香水も」を発見。いいと思ったものは何度も読み返すうちに自家薬籠中の物になってしまうことはよくあり。昔、新聞の投稿欄に当方の発表句と季語が違うだけの句を見つけ、はしたなくも新聞社に電話。「俳句の場合は一文字でも違えば別作品とみなします」と言われて、俳句では季語季語以外の取り合わせが眼目なんだと納得した次第。しかし今回はここだけのことで許していただくとして、剽窃が疑われるような危うきには近寄らぬが一番でしょう。この句は孫兄弟のころころ時代を思い出して自分としてはちょっと捨てがたいので。





     兄弟(あにおとと)性(しよう)それぞれや蕗の薹





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ふきのとうふきのとう 2017/03/07 15:00 先ず、新聞社の言い分には私的に葉異論があります。一句の中の季語の手柄よりも、その後の言葉が大きな手柄であり勝負所だと私は思うのです。勿論季語の斡旋も手柄ではありますが、規制語ですから。などと私が腹を立てても始まりませんね。「師につかば師に頼るべし師に就くも師に悉く頼るべからず」相生垣瓜人氏のこの言葉に藤沢周平は感銘し、師と仰ぐことになったようです。嘗て、俳誌「海坂」の選者であり、藤沢周平も投句していた時代のことです。

octpus11octpus11 2017/03/07 15:21 俳誌「海坂」の主宰とあったのは藤沢周平さんも投句されていたからですね。納得いたしました。なかなか味わい深い言葉です。瓜人氏のことを少し調べてみたいと思います。