小田中直樹〈たまに〉仙台ドタバタ記

2017-05-27

日本西洋史学会報告

  • 第5試合

谷口良生「フランス第三共和政前期(1870-1914年)における地方議会と議員の経歴―ブーシュ=デュ=ローヌ県議会を中心に―」

そろそろ記憶が(いろいろな意味で)怪しくなってきたが、たしか上記タイトルとは異なり、第三共和政前期(第一次世界大戦までの時期を「前期」と称するのが慣例)におけるブシュ・デュ・ローヌ県(県都はマルセイユ)において、県議会が中央政府に発する「請願(voeu)」の性格が行政的なものから政治的なものに変化してゆくことを見出し、その背景を探るものだったと思う。利用される資料は、おもに県議会議事録、そして中央文書館・同県文書館・マルセイユ市文書館に所蔵されている一次資料である。

「政治」と「行政」を峻別し、そのうえで県議会という「組織」に即して両者の関係を探るという谷口さんの研究計画は重要であり、興味深い。

し・か・し。

肝心寛容の「政治」と「行政」の定義が、最後まで出てこない。谷口さんは、今日的な観点から「政治」と「行政」を定義して分析概念として利用することを批判し、当時の人びとが抱いた「政治」と「行政」のイメージに即して分析を進めることが重要であると説く。それはその通りであり、それによってみえてくることが多々あるという意味で生産的なスタンスである。しかし、そのうえで、当時の人びとが抱いたイメージを今日の用語に翻案して提示しなければ、「政治とは政治であり、行政とは行政である」という循環論法に陥ってしまう。この点は山崎耕一さんが質問していて「さすが」と思ったが、もう一歩の踏み込みが必要であり、というよりは不可欠だろう。


これで12:45、5本も聞くとは頑張ったと思いつつ、けっこう満足しながら中央線に乗り込む初夏の日曜日であった。

2017-05-26

日本西洋史学会報告

  • 第4試合

湯浅翔馬「フランス第三共和政初期のボナパルト派におけるヴィクトル派の形成と展開 1879-1885」

ボナパルト派の我が世の春といえば、なんたって第二帝政とナポレオン3世である……が、1870年の独仏戦争で敗北し、ナポレオン3世が退位し、第二帝政が崩壊したのちも、政治党派としてのボナパルト派は一定の勢力を保ちつづけた。ただし、ナポレオン3世の息子(ナポレオン4世)が早世すると、だれが盟主となるかをめぐり、ボナパルト派は分裂する。ナポレオン3世の従兄弟ジェロームを盟主=未来のナポレオン5世とするジェローム派と、その息子ヴィクトルを盟主とするヴィクトル派である。湯浅さんは、ヴィクトル派の歴史を、その中心人物ジュール・アミーグとポール・ド・カサニャックの政治思想や行動の異同を中心に、詳細に追いかける。もちいられる資料は、両者の著作集、同時代の刊行文献、そしてパリ警視庁資料(だったかな? もしかすると中央文書館資料[cote BB]だったかもしれない)。

スダン(独仏戦争におけるナポレオン3世の降伏の地)以降のボナパルト派について、ぼくは知らないことだらけだったので、とても参考になった(って、かつて第二帝政を研究したものとして、それでよいのか、自分? あまりよくない)。

し・か・し。

報告の冒頭で全体的な議論の枠組みが十分に提示されないせいか、湯浅さんが提示するファクトがフランス史総体のなかでどこに位置づけられうるのか、イマイチはっきりしない。それゆえ、読後感ならぬ聴後感が「で?」に留まってしまうきらいがあり、聴衆としては不完全燃焼だった。

今年からフランスに留学するそうだが、ぜひ「全体を見る眼」((c)二宮宏之)をゲットしてきてほしい。でも、ボナパルト派研究の第一人者エリック・アンソー(パリ第4大学)あたりに聞いてもらったら、ムチャクチャ喜ばれるかもしれないな、これ。

2017-05-25

日本西洋史学会報告

【追記】

ギャップにも国鉄が走っていた。ごめん、ギャップ。

【本文】

  • 第3試合

藤原翔太「ナポレオン体制期における地方統治システムの転換―名望家時代の揺籃―」

フランスの中でも1、2を争う弩マイナーな県(失礼!!)オート・ピレネーを対象とし、フランス革命末期から第一帝政期における市町村長の任命プロセスの変遷を辿り、その変化のなかに「名望家(notables)」支配の到来を見出す。

藤原さんとは、今から何年前のことになるだろうか、槇原茂さんの共同科研費プロジェクトの一環として広島大学で開かれたセミナーに研究協力者として出席した際にお会いして以来である。オート・ピレネーを研究していると聞いて「なんでまた? 敬虔なクリスチャン(泉で有名なルルドは同県にある)なのか?」などと思ったものだが、それもそのはず。同県の県庁所在地がタルブであるなどとは、一般のフランス人も知らないのではなかろうか。日本人歴史学者が研究する対象としては、伊丹一浩さんのオート・アルプ県と並んでマイナーである。ま、県庁所在地ギャップに(たしか)国鉄が通っていないオート・アルプに比すれば、タルブにTGVが通っているだけ、オート・ピレネーはマシかもしれないが、それにしても、うむ。話がずれたが、藤原さんは、その後、トゥルーズ大学に留学され、わずか3年で博士を取得。博士論文は同大学出版会から刊行予定とのことだった。

今回の報告は、博士論文のエッセンスを提示したもののようだったようだが、利用された資料(中央文書館、県文書館、市町村文書館、その他刊行資料)の量と質、たどられる論理のソリッドさ、提示されるアーギュメントの「過不足のなさ」など、上記キャリアにふさわしい報告だった。こういうしっかりした報告を聞くと、嬉しいというか、うらやましいというか、なんというか。

ぜひ、藤原さんには今後の日本フランス史学界を背負っていってほしいものである……って、またも上から目線。トシだな、トシ。

2017-05-24

日本西洋史学会報告

  • 第2試合

野口理恵「女子修道会による保育施設の運営と世俗化―19世紀パリにおける福祉と教育の狭間―」

フランス革命期から20世紀はじめ(1905政教分離法)までのフランスが、カトリック教会支持派と、脱宗教化支持派(世俗派、共和派とニアリーイコール)のあいだで激烈な文化ヘゲモニー闘争が展開された時空間であることは、谷川稔さんをはじめとする先達の研究のおかげで、日本でもよく知られるようになった。そして、ヘゲモニー闘争の主戦場となったのが教育の領域であり、同領域でカトリック教会支持派の主要アクターとなったのが各地で学校を運営した修道会である。

野口さんは、そのことを確認したうえで、それでは「福祉の領域では闘争はあったのか、あったとしたらいかなる形態をとり、いかなる過程を辿ったのか」という問題を設定する。そして、具体的な分析対象として、教育と福祉が入り乱れている乳幼児教育施策、具体的には幼稚園(salle d'asile)と保育所(creche)を採用し、修道会立の幼稚園・保育所にかかわる政策や実態を、19世紀とりわけ第三共和政前期について明らかにする。用いられる資料は、おもに同時代刊行資料および定期刊行物である。

福祉と保育がオーバーラップする領域における脱宗教化の形態・過程・程度に着目し、その観点から幼稚園・保育所を分析するというのは、なかなかステキであり、また、きわめて重要な研究計画であるといってよい。

た・だ・し。

野口さんの報告は「福祉」あるいは「教育」という最重要な概念がなにを意味するのか、あるいは当時なにを意味していたのかが、結局わからないままに終わってしまう。幼稚園は「教育」施設であり、保育所は「福祉」施設であるといわれ、また実際日本でもそのような区分が長らくされてきたことは事実であるが、それでも「福祉や教育とは何か/何を意味していたか」を明らかにしたうえで議論を進めないと、論点がぼやけてしまうのは、これは避けられないところだろう。

まずは、そこからではないのか(上から目線……トシだな、トシ)。

2017-05-23

日本西洋史学会報告

先週末(5月20-21日)は「<日本西洋史学>界、年に一度の大同窓<会>」の略語と化しつつある日本西洋史学会が一橋大学で開催され、20日(土)午後の公開講演(藤田幸一郎さんと見市雅俊さん)と21日(日)午前の部会別自由論題報告(個人発表)を聞いてきた。その間に3回のアルコール摂取機会、すなわち

  • 19日(金)夜:新宿の焼き鳥屋で、編訳書『歴史学の最前線』刊行の打上げ、
  • 20日(土)昼:国立のフレンチで、共著『世界史/いま、ここから』刊行の打上げ、
  • 同日夜:中野の地中海料理店カルタゴ(十数年ぶり!!)で、大学入試センター試験作題部会の同窓会、

があり、21日(日)に至っていいかげんヘロヘロしてきたので、同日午後のパネルは失礼して仙台に逃げ帰った、という次第である。亜熱帯らしく暑かったし、ヒト大杉栄だったし、東京。

しかし、せっかくなので、ぼくが聞いた自由論題報告5本について、簡単に紹介およびコメントしておきたい。


  • 第1試合

東風谷太一「ビールに憑かれた人びと―19世紀前半期ミュンヒェンにおける都市・ビール・騒擾―」

なかなかステキなメインタイトルなので(ひさびさのキワモノかと)期待していたが、良い意味で大いに裏切られた。

1844年バイエルンはミュンヘンにおけるビール騒擾について、モラル・エコノミー論、ソシアビリテ論、法意識研究などを組合せてツールとして使用しながら分析し、当時の都市民衆とりわけ職人たち旧中間層のあいだには大略「ビールを飲むことは職人共同体メンバーの(これまでしばしば言われているような権利ではなく)義務であり、その義務を履行できるようにすることが慣習法的な正義であり、その正義を妨げる価格でビールを販売することは不正である」という観念が共有されていたという、じつに興味深い結論を導出している。

各地の国家文書館、バイエルン州文書館の所蔵資料、当時の刊行物など、利用したソースの質・量もほぼ十分な水準に達していると思われる……が、ぼくはドイツ史プロパーではないので、これは単なる推測。

終了後に(同様なテーマをプロイセンにおけるパンについて分析してきた先達たる)山根徹也くんに聞いたら、東風谷さんは長期の留学経験がないはずだということで、それでこれだけのアーギュメントを構築できたのであれば、今後が楽しみだ。若干論理にアクロバティックなところがあり、かつ、その点に関するソースの裏づけが弱い(この点は報告後の質疑応答で指摘されていた)という問題はあるが、若き研究者のしごとは、これは面白ければよいのである、というのはさすがに暴論かもしれないが、


いいぞー、いけいけ東風谷……って面識ないんですが、ぼく。


失礼の段はともかく、フランス関係の報告がなかったのでふらっと参加した報告だったにもかかわらず、良いものを聞かせてもらった。オトク感一杯の45分。

2017-05-16

北方謙三『三国志』

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新聞かなにかで紹介されていたせいで、いまごろになって北方謙三『三国志』(角川春樹事務所、全13巻、1996-98) を大人買いし、一気読みしてしまった。一冊2時間としても、26時間を費やしたことになる。

そして、26時間費やした結果として記憶に残ったのは、

  • 曹操は、どうやら脳溢血(たぶん脳梗塞だと思う)で死んだことになっている。
  • 劉備は、どうやらガンで死んだことになっている。
  • 諸葛亮は、どうやら心筋梗塞で死んだことになっている。

の3点。おお、現代日本人の三大死因がちゃんと割振られているではないか。

しかし26時間もかけて……自業自得とはいえ、またツマラ(以下自粛、(c)十三代石川五ェ衛門)。

2017-05-11

連休明ける。

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そんなわけで連休も明け、「いつもの日々」が戻ってきた……が、寒暖の差が激しいところに黄砂の影響も重なり、周囲では体調を崩している人が多い。一昨日は、宮城県にインフル注意報が再発令された。5月にインフル注意報とは……時代は変わるものである。

しかし、今年度はなぜか気ぜわしい。タスクは減っているというのに、精神的な余裕がイマイチ不在である。なぜか?、とつらつら考えているうちに、要するに「午前中の授業が多い」せいだということに気付く。夏学期は、月・火・木と、週3回、午前中に授業が入っている。これは、画期的なこと(当社比)なのである。世間一般から見たら「なにを贅沢なことを」と思われること必定だが、ぼくは午前中に自分のしごと、つまりリサーチをするたちなので、イタイ。午後であれば「授業と学内行政の時間だ」と割切れるので、授業だろうが会議だろうが、それなりに気合が入るのだが、うーむ。長年の習性というのは、これはどうしようもないのだろう。

さて、そろそろ今日の授業の準備をしなければ。

【追記】

と書いたのは8時すぎのことだったが、

  • 1時間目のパンキョーが終わり、昼食の弁当をゲットしてからオフィスに戻って11時近く。
  • 弁当をかっこみつつ、エロー県文書館ADHで撮影してきた資料をちょっと読んだら13:30。
  • 14時から教授会で、今日は画期的にはやく終わったが、それでも早や夕方。

うーむ、もうちょっと資料を読みたいのだが、先述したごとく午後はアタマが授業and/or会議モードなので、それは出来ない相談なのであった。やっぱり授業は極力午後に入れてもらうことにしよう。

2017-05-08

フランス大統領選挙

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フランス大統領選挙の第二次投票は、予想どおりマクロンが勝利した。マクロンは、社会党右派であるオランドをもうちょっと経済的リベラリズムすなわちグローバリズムの方に寄せたような政策を遂行するだろうから、大きな変化は生じないだろう。

彼自身は「左でも右でもない」とか言っているようだが、これには、1970年代のヴァレリ・ジスカールデスタン、1990年代のフランソワ・バイルという先例がある。独仏枢軸の強さは日米安保並み、ということになるだろうか。

第一次投票も含めて、主要な候補者5人、すなわちマクロン、ルペン、フィヨン、メランション、アモンのスタンスの違いは、経済的リベラリズムと政治的・社会的リベラリズムという二つの対立軸のなかで考えるとわかりやすい。彼らのスタンスを図示するとこんな図になる。

  • 図を見ればわかるとおり、問題は「グローバリズム(親EU)か保護主義(フランス・ファースト)か」および「ダイバーシティ(移民に寛容)か排他主義(白人ファースト)か」であり、マクロンとルペンはちょうど反対の位置にある。マクロンとルペンが第二次投票に残ったのは、ある意味(正反対でわかりやすい構図になるから)当然であることがわかる。
  • なお、アモン(社会党左派)の位置付けは、彼がベーシックインカムの導入を唱えたことを考えると、再考の余地がある。
  • これまでフランス政界の中心をなしてきた右派(共和党、フィヨン)と左派(社会党、アモン)は、ここのところ、ともに右半分、つまり経済的リベラリズムを奉じてきた。両者の対立は政治的・社会的リベラリズムの如何をめぐるものに局所化されていたといってよい。そこに割って入ったのがルペンであり、ついでメランションだった……というか、後者を支持した共産党は保護主義的な性格をもっているから、こっちのほうが老舗で、順番は逆かもしれない。
  • ルペンとメランションは反経済的リベラリズムを共有しているから、前者が後者の票を(第二次投票で)得ようとすれば、みずからの反「政治的・社会的リベラリズム」を弱める必要があった。それに失敗したのが、今回の敗因である……たぶん。
  • ちなみにこの図でいう「経済的リベラリズムか否か」は「階級政治」をめぐる対立であり、「政治的・社会的リベラリズムか否か」は「アイデンティティの政治」をめぐる対立である。共和党と社会党という老舗政党は、ここのところ「階級政治」ではなく「アイデンティティの政治」をめぐって相争ってきたことがわかる。ルペンやメランションに対する支持は、このような事態に対する批判、すなわち「アイデンティティの政治」疲れ、要するに「貧乏で失業してるから、ダイバーシティとかいってるヒマないし」的環境を意味しているように思われるが、どうだろうか。

それにしても、われながらヘタな図だ。うん。

2017-05-07

岡部造史『フランス第三共和政期の子どもと社会』(昭和堂、2017)

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岡部さんとはじめてお会いしたのは、1997年に北海道大学で開かれた日本西洋史学会大会のときだったと思う。おお、すでに20年前か……まこと光陰矢の如し。ぼくの髪も減るわけである。同大会で岡部さんが報告することになり、ぼくが司会に指名されたのだった。

だが、しかし。

なにせあのころは、みんな若かった。

札幌滞在中は、ほとんど毎日午前様。それも4時とか5時とか「午前様」どころか「おはようございます」であり、たしか、日が昇って明るくなってからホテルに戻るタクシーを拾った気がする。おぼろげな記憶を辿ると、当時札幌に居を構えていた藤田苑子さんのお宅に二晩連続押しかけ、二日ともに「おはようございます」をかましたのではなかったか。あのときは、高澤紀恵さんとか、正本忍さんとか、フランス史若手研究者(当時)がオールキャストで藤田宅にそろっていたように思うが、すみません、それもこれもすべて藤田さんの人徳のなせる業です……って、いまごろ謝っても遅い。

そんなわけで、岡部さんとの初対面は、海よりも深い二日酔いのなかでなされたのであった。申訳ない……って、いまごろ謝っても(略)。

なにやってたんだか、自分。

その後、岡部さんはリールに留学し、児童政策を「統治権力」との関係という観点から捉えるという着想を得、帰国してから着々と仕事をつみかさねた。その努力の結晶が本書であり、リールが位置するノール県文書館やトルコワン市文書館に所収されている一次資料にもとづいて、手堅いアーギュメントが展開されてゆく。淡々とした筆致ながら実証的な歴史研究の面白さをじわじわと感じさせてくれる一冊を読む、好天の仙台。

2017-05-06

連休。

f:id:odanakanaoki:20170506141851j:image:w320:leftゴールデンウィークも明日で終わり。ノンビリした……というか、なにをするでもなく過ごした気がする今年の連休である。今日は曇りがちの仙台だが、キャンパス(写真)では木々の緑がまぶしい。ふと考えると、去年の今頃は、突如としてとびこんできたカンファレンスatボーフムのために、ドラフトを殴りかいていたのであった。あの殺伐とした毎日と比すると「なんと気の抜けた日々よ」という感じがしてくる。

先日、かつて(2008-13年ごろだが)『思想』に諸拙訳を掲載する際にお世話になった互盛央さん(当時『思想』編集長、現・講談社)と話していて、世の中にはマグロみたいなタイプがいるという話になった。泳いでいないと酸素欠乏症でお迎えが来てしまうという回遊魚的な生活を送ってしまう人々である。互さんはどうもそのタイプらしく、ご自分のことを「強迫神経症的」と称していたが、『思想』とつきあっていたころのぼくも、去年までの数年間(つまり2015-16……って、つまり2014だけが比較的ヒマだったのかい)のぼくも、回遊魚的=強迫神経症的な生活を過ごしていたのかもしれない【当社比】。前者の期間についていえば、フランスにリサーチに行くたびに、夜は翻訳をし、出来上がるや否や互さんに(了承も、事前打合せも、なぁぁぁんにもないのに)送りつけ、結果、訳しも訳したり5年で7本。後者の期間については略。

それじゃネタが尽きたか、といえば、そうでもない。そもそもネタがないというか「あいかわらず」のことを「あいかわらず」書いている部分もあるが、泳いでいるなかでみえてくるものもあるから不思議といえば不思議だ。今とりかかっているモンペリエのLa Pergola地区の分析だって、去年、泣く泣く「現代フランスにおける〈都市問題〉の語りかた」(糠塚康江編、ナカニシヤ出版、2017)をカリカリ書くなかで、利用しうるアプローチがみえてきたのである。

そんな今年度最初の仕事は、6月に韓国・中央大学で開催される第8回東アジア・スラブ=ユーラシア研究学会のパネルのコメンテータ(まだトークのドラフトをもらっていないので、コメントは手付かず、とりあえずタイトルだけ)。

  • ODANAKA, Naoki, "Comment: Conflicted memories/histories, Yes, but what kind of conflict?" (title subject to change, session on "Eurasinized conflicts of memories and histories: Reflection from East and Central European Experiences," 8th East Asian Conference on Slavic-Eurasian Studies, 3rd-4th June 2017, Chung-Ang University, Seoul, Korea)

スラブ学とは縁遠い生活を送っている身だが、単なるコメンテータだし、フランスもユーラシアの一部だし、とりあえず許してもらおう。さて、なにか得るものはあるのだろうかと考える、一年ぶりのソウルである。

2017-04-26

ひと段落。

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今日、小田中直樹・帆刈浩之編『世界史/いま、ここから』(山川出版社、2017)が刊行された。

オーソドックスな通史の形態ではあるが、

  • ヒトとモノの移動、環境と科学技術、宗教、という3つのポイントに重点を置いて叙述するという潔さ(当社比)。
  • 19世紀までの東ユーラシア(帆刈浩之)、19世紀までの西ユーラシア(上野雅由樹)、20世紀全部(池田嘉郎)を、おのおの独りで担当するというムチャ振り(された方はたまらなかったであろう)。

といった点を特徴とする一冊である。ちなみにヨーロッパについては、古代(佐藤昇)、中世(千葉敏之)、近世・近代(小田中)の3人が分担執筆している。

もともとは高等学校世界史B教科書『新世界史』のスピンオフ企画にして、山川出版社の名物編集者・山岸美智子さんのご退職記念企画として始まったものだが、思いのほか時間がかかり、山岸さんのご退職に間に合わなかったのが心残りである。

でも、ぼく以外のみなさんが執筆した部分は面白いし、400字800枚という分量で2300円+税というお値打ち価格なので、ひとつよろしく。


そんなわけで、半年ほど続いたリハビリ期間もひと段落。今週から、とうとう現代フランス都市史研究に復帰した。奇跡的にゲットしたエロー県公共低廉家賃住宅局(Office Public des HLM du Departement de l'Herault [OPHLMDH]、のちにHerault Habitatと改称)の理事会議事録を読んでいると、あやしうこそものぐるほしけれ。

2017-03-16

おしごと、おしごと。

【追記・5月1日】

さらにさらにミスが指摘された。お恥ずかしい。正誤表ver.3はこちら[PDF format]。

【追記・4月19日】

さらにミスが指摘された。お恥ずかしい。

【追記】

『ライブ・経済史入門』に早くもミス発見。うーむ、慣れぬことはするもんじゃない…と反省。

【本文】

先週は科研費のセミナーで3年ぶりのベルギー・ルーヴェン。3泊5日という50代の腰痛持ちには酷な日程だったが、ベルギーといえば美食の国、名物のビールとフライドポテトとビールとフライドポテトとビール(以下略)で、幸せな時間をすごした……が、かなり太った。


帰国したら、3冊の本が待っていた。

(1)小田中直樹『ライブ・経済史入門』(勁草書房、2017)

昨年夏に一気にやっつけた経済史学の入門レベルの教科書。ちなみにこちらで、「はじめに」と序章と第1章と「あとがき」が読めるので、関心をお持ちの向きはご覧いただきたい。それにしても、こんな大量を無料公開するとは、太っ腹。ビールとフライドポテトのおかげだろうか。

(2)小田中直樹編訳『歴史学の最前線』(法政大学出版局、2017)

一昨年から準備していた編訳書。かつて『思想』に不定期連載していたフランス語論文の翻訳を取りまとめ、最近の『アナール』の巻頭言の翻訳と、訳者解題を付して成った。「叢書ウニベルシタス」にしては画期的に美しい表紙、さすがフラ・マウロである。

(3)小田中直樹「現代フランスにおける〈都市問題〉の語りかた」(糠塚康江編『代表制民主主義を再考する』、ナカニシヤ出版、2017)

ぼくが最近進めている現代フランス都市計画・都市政策史研究について、その問題関心などについて論じたもの。なかなかエラソーで、よろしい。



これで、あとは4月刊行予定の帆刈浩之・小田中直樹編『世界史』(山川出版社)が出れば、債権も債務もなくなる。晴れてすがすがしき新年度……になるのか、ホントに?

2017-03-06

田中拓道『福祉政治史』(勁草書房、2017)

福祉国家に関心のある諸君に告ぐ。

読め、されば目からウロコが落ちん。

2017-02-03

悲喜こもごも

あっというまに二週間がすぎ、明日は帰国である。

しかし、明日は台風並みの低気圧がフランスを直撃することが予想されており、おまけに、冬のバカンスが明日から始まり、ということは当然国鉄労働者が(イヤがらせで、というか、ポリティカリー・コレクトなワーディングでいうと効用最大化をめざして)ストライキを打つわけで、これらのハードルのはざまを縫いながらTGVでCDGにたどりつき、ついで20時のフライトにのりこめるか……障害走みたいな感じがしてくるが、今回はプレエコが空いていて上げてもらえたのが唯一の慰めである。

さて、この間、リサーチに関しては「悲喜こもごも」の日々を過ごした。


●悲

2015年12月に、モンペリエ市立文書館(AMM)の近現代関係資料保管庫の天井の一部にアスベストが発見されたため閉鎖され、資料アクセスがダメになった。ぼくは、プティ・バール(Petit Bard)の次はラ・ペルゴラ(La Pergola)という地区の再開発を調べているが、この地区は1960年代に開発されたので、当然この閉鎖に影響を受けるわけである。かなりの資料は集めていたので、あと20箱弱というところまで来ていたのだが、残りもぜひ見たいという理由があった。

ラ・ペルゴラは(モンペリエが位置する)エロー県低廉住宅局(ODHLMH)という県の外郭団体が開発した団地からなり、その後も同局が団地の維持管理を担当してきた。ということは、ラ・ペルゴラ関係の資料は同局の後継機関であるエロー・アビタ(Herault Habitat、HH)がもっているということになる。そして、一般的に、県や市町村の文書館に入っていない資料にアクセスすることは、きわめて困難である。

したがって、ラ・ペルゴラについてリサーチする場合に利用が容易なのは、AMMかエロー県文書館(ADH)に所蔵されている各種資料であるということになる。この間ADHでもチェックをしてきたが、ラ・ペルゴラ関係の資料は多くないことがわかってきた。だから、最後の砦が、ラ・ペルゴラなど市内各地区の再開発に関する資料であり、これら資料を保管しているAMMなのだ。AMM近現代関連資料にアクセスできなくなったのが打撃であるというのは、つまりはそういうことである。

そして、事態は

  • 当初は「三カ月で脱アスベスト化を終えてアクセスを再開する」という話で、さすがに「フランスで、これはないだろう」と思っていたのだが、そのとおりで、
  • 2016年夏に聞いたときには「ごめん、まだ閉まっている。でも、天井の脱アスベスト化工事は完了し、アスベスト残存の簡易チェックは終わって残存していないという結果が出たので、2016年10月の市・衛生安全委員会でゴーサインが出れば、再開できるだろう」という話になり、まあ一年だから妥当な期間だろうと思っていたのだが、
  • 今回、モンペリエ到着の翌日(1月23日[月])一番でAMMに同委員会の決定を聞きにいったら、なんと「市役所の専門部局(施設部みたいなものか?)が担当し、最初からやり直すことになった。検査で六カ月、工事の入札で六カ月、本格的な脱アスベスト化で一年、合計で二年。したがって再開は2019年春の予定になった」といわれ、これには絶句。合計で三年強の閉鎖かよ!! うーむ。
  • しかも、よく考えてみると、2019年春には、AMMは(かつてADHが利用していた建物への)移転が予定されている。絶対、もめる。
  • さらに、ウラ話を聞いたら、移転予定先の建物は、しばらく空き家だったため、昨年末に不法占拠(スクワッティング)され、今日に至っているらしい。ますます、もめる。

というかたちで、まことワルイ方向に進んでいることが、今回わかったのであった。これは、ヤケ酒とふて寝に走るしかないではないか。


●喜

それでも、せっかくモンペリエに来たわけだし、天気も「好天だが地中海沿岸らしから寒さ」または「ちょっと暖かいが雨と風」という「リサーチ日和」なので、今後のことを考えて、24日(火)は隣県ガールの県庁所在地ニームの市文書館AMNでインベントリー(資料目録)をチェック。25日(水)からは、ADHにかよい、残っている資料の「落穂拾い」をすることにした。そんなわけで、市のはずれにあるザハ・ハディド設計のADHに出かけ、

  • 相手をしてくれた職員のミションさんに「AMMがねえ……ラ・ペルゴラ調べてるんだけどねえ……HHに資料開示を求めるのは難しいだろうしねえ……」とグチっていたら、なんと!!
  • ミションさん「HH、去年夏に資料をADHに移管してきたよ」というではないか。じつは、HH、本部建物を新築するため一時移転中なのだが、移転の際、もっていた資料を「邪魔者」としてADHにおしつけたのである。
  • 「でも、インベントリーに出てないけど?」と聞いたら、「うん、まだ整理中だから。でも、HHのアーキヴィストが有能で、ちゃんと整理してあったので、移管の時点で、あとは資料請求番号を付替えるだけだったんだ。で、付替えも終わったので、じつは整理は終わっていて、一般公開していないだけ。もしも見たかったら見せてあげるよ」と言ってくれるではないか!!
  • ミションさんはとてもテキパキとした女性で、「じゃ、とりあえずHHから移管されてきた資料のインベントリーを印刷してあげる。別の場所に保管してあるので、まず一番みたい資料の番号をチェックし、教えてくれれば、なるべく早く運んでくるよう手配するよ」だと。信じられん。ホント、ミションさんが神さまのようにみえた水曜日。
  • インベントリーをチェックすると、ラ・ペルゴラの建設・管理・改修関係の資料は30箱強のシリーズにまとめられていることがわかった。これと、あとはHHの役員会(CA)議事録、そして予決算関係資料をチェックすれば、かなりのことがわかりそうだ。
  • 25日(木)、ミションさんに「とりあえず、今回は、ラ・ペルゴラ関係資料のシリーズをみたいんだけど」と申し出、閲覧室への運搬の手配をお願いする。さすがフランス、資料が届くまでに五日かかり、届いたのは31日(火)昼だったが、届いただけでも大したものだといわなければなるまい。なにしろここはフランス、おまけに、今回モンペリエに来るまではアクセスを完全に諦めていた資料が目の前にあるのだから。
  • そんなわけで、31日から、30箱をチェックしおわった2日(木)までの三日間は、頑張った。頑張りすぎたせいか、目の前がチカチカした(ホントに)。今日は、また落穂拾いに戻り、かくして悲喜こもごもの滞在を終えたのであった。

歴史学者の醍醐味を堪能した二週間となった……か?

2017-01-29

フランス大統領選挙・左派予備選挙第二次投票

【訂正】

メランションとアモンの支持率の順番、逆だった。訂正。

【追記】

現在21時。予想どおり、約60%の得票率でアモンが勝利。さて、どうなる、大統領選挙?

ちなみに、われらが日本は?

【本題】

モンペリエに来て一週間、ということは、半分すぎてしまったということである。この間、リサーチについては「悲喜こもごも」が服をきて歩いているという感じで、資料に向き合う時間はほとんどないというありさま。あちらこちらで資料アクセス関係の交渉をしては、あまりの「これがフランスだ」ぶりに、疲れはててベッドに倒れ込むかヤケ酒を飲むかの二択というステキな日々を過ごしている。

オマケに宿のwifiがすさまじく遅く、かつてのダイヤルアップ時代を思いおこさせる状況。この宿は、wifi以外は文句ないのだが、wifiだけは、ひたすら切れたり、ひたすら故障したりと、良い思い出がない。今回は切れたり故障したりしないので、たぶんシステムを入替えたんだと思うが、その代償ということなのか、ステキに遅くなってしまったのである。なにしろ、添付ファイル付きのメールが落ちてこないんだからなあ……しかたなくフランス・テレコム(ブランドは「orange」)の有料wifiを入れる。一ケ月で4000円だから、仕方ないか。

さて、しごとの話は措いておき、今日はフランス大統領選挙・左派予備選挙の第二次投票(決選投票)である。イマイチ盛り上がりに欠けるのは、左派(=社会党+左翼急進党+エコロジスト)の支持率が伸び悩んでいるためで、本番で第二次投票=上位二人による決選投票に進むことは絶望視されている。支持率でいうと、一位がマリーヌ・ルペン(国民戦線、極右、約25%)、二位がフランソワ・フィヨン(共和党、右派、約25%)、三位がエマニュエル・マクロン(無所属、中道、約25%)、五位がジャンリュク・メランション(左翼党と共産党が合同した政治団体「断固たるフランス」、極左、約10%)、左派は四位(約15%)というのだから、気勢が上がらないこと甚だしいわけである。

このうち中道から左側をみると、マクロンは「規制緩和、イノベーション、ちょっと社会民主主義」という、日本ではわりとなじみぶかい一昔前の民主党的な「アーバンでイケてる」スタンスで、個人的には「なんで今ごろ」感が強い。ごめんねエマニュエル、冷たくて。メランションは、クラシカルな「労働者保護、国家介入、財政出動、国際品愛用(トランプか?)」という旧型左翼路線で、これまた「なんで今ごろ」感はぬぐえないものの、それはそれで重要である。この両者に挟まれて苦労しているのが社会党系左派であるわけだが、予備選挙の決選投票に残ったのは、前首相マニュエル・ヴァルズと、元国民教育相ブノワ・アモン。

去る水曜日にテレビ討論があり、えんえん二時間みてしまった。

ヴァルズは、社会民主主義の立場から、「労働にもとづく社会(societe de travail)」の基本的な構造を維持するべきことを唱え、そのために社会保障制度を持続可能なものにする必要があると主張した。ま、これもよくあるパターンで、あまり面白みはない。

面白かったのはアモンで、公約の目玉は

ベーシック・インカム

の導入。ベーシック・インカムはフランス語では「revenue universel」になるが、ベーシック・インカムというと、大抵は「生存権」あたりから説きおこされ、そして「財源は?」というお決まりの批判にさらされるわけだが、アモンは一味違う。彼にとって、ベーシック・インカムは、

労働と収入を切り離す

手段なのだ。デジタル(人工知能、ロボット)革命が進めば、人間が担う労働は減少してゆく。そのような未来において、収入すなわち生存を労働にタグ付けしてしては、人間の生存そのものが脅かされてしまう。こんな事態を避ける手段(のひとつ)として採用されるのがベーシック・インカムであり、これは、まさにヴァルズが唱える「労働にもとづく社会」というスローガンに典型的に表現される「働いてナンボ」という近代の基本理念に対する根本的な挑戦のための手段である。さらにいえば、テレビ討論で「財源は?」と質問されたアモンは、「ベーシック・インカムは支出ではなく

未来への投資

であり、したがって財源なんて些末な問題にすぎない」と言切り、司会者やヴァルズを唖然とさせた。

じつは、第二次投票ではアモンが優勢だといわれており、ということは、ベーシック・インカムを前面に掲げて本戦を戦う候補者が登場するということになる。率直にいってアモンの政策は粗削りだし、実現可能性を問われると「ウーム」という気がしないでもない……というか、そんな気がする。たぶん、本番では、彼が勝つことは138%ないだろう。

しかし、デジタル革命という社会の根本的な変化を問題にし、それに対する抜本的な処方箋として「労働と収入の切断」というラディカルな(=根源的な)アイディアを提示するという知的営為は、尊敬に値する。


そんなことを考えつつ、せっかくなので、

予備選挙の投票を見にいった。

おお、政治意識高い系だなあ、自分。

宿の近くに投票所があったので、入り口にいたおじさんに「日本から来たので投票権(フランスの有権者名簿に掲載されている必要がある)ないんですが、関心あるので見てもいいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞと招き入れられた。しばらく入口で見学したが、手作り感満載で、みんな楽しそうだったのが印象的だった。

世界各地で劣勢を強いられている左派は、その根本的な地点から再構築を迫られているのだろう。もちろん、一部地域では、すでにその芽が具体的な、つまりナショナルな政治のレベルで登場している。そして、バーニー・サンダースやジェレミー・コービンに代表される「下からの路線(=虫の目)」と、アモンに体現される「上からの路線(=鳥の目)」がどう組み合わされるか、左派の将来はそこにかかっているように感じられる。

さて、そろそろ20時。あと一時間ほどで結果がわかる。

2017-01-23

謹賀新年 from CDG

2週間の予定でモンペリエ・ニームでリサーチするべく、CDGに到着したところである。例によってCDG地下の国鉄駅コンコースにある安カフェでビールを飲みながら、フランス到着を祝っている。

しかし日本は景気がいいのか羽田・パリのフライトは満員で、久しぶりに(プレミアムエコノミーにあげてもらえず)エコノミークラスで、疲れた。どうにかたどりついたパリは、現在22日(日)17時すぎだが、気温2度。これじゃ仙台と変わらないじゃないか、おひおひ。

そんなわけで、この段階で疲れはてているものの、これからTGVで4時間かけてモンペリエに向かうわけである。

それはおいておき、すでに1月も後半に入っているわけだが、この間、

  • 元旦を祝ったあとは、
  • 2日から英語ペーパー大加筆大会に復帰し、加筆を終えて英文校正に出し、戻ってきたので修正し、ボーフムに送り、
  • 昨年同様センター試験の外回りを担当し……たら真冬日&吹雪の2日間となって絶句し、
  • 学部講義「経済学史」の最終試験をしたら220人もやってきて、それでも答案を2日間で採点し、
  • どうにか「やるこたやった」と思いつつ羽田に着いたら、フライトが満員で……冒頭に戻る。

というステキな日々を過ごしていたのであった。引き、弱いよ。


さて、南仏で命の洗濯はできるだろうか。すべてはモンペリエ市文書館の資料保管庫アスベスト問題の進展にかかっているのであった。

山の上のD山の上のD 2017/01/27 15:05 あけましておめでとうございます。いつ見ても先生はご多忙なようで大変ですね(社交辞令)。
経済学史の最終試験が終わったということですが、お疲れ様でした。こちらはちゃんとした労いのつもりです。金曜日は山の講義があるので、水曜だけしか参ることができず、結局何回拝聴できたのか(ノートを見ないと)わかりかねますが、やはり面白かったです。世辞で持ち上げたいわけではないですよ、顔隠してよいしょする意味はないですからね。先生にとっては当たり前なのかもしれませんが、つらつらと史実を述べて終わりということではなく、事実への着眼点や事実の咀嚼、嚥下のしかたについても事細かにご説明なさっていたことが特に感心しました(すみません、日本語下手なばかりに上から目線の物言いで)。
最近物事を広く考えるようになって、先人同様に、僕も常識だと思っていたことを疑うようになってきましたが、その疑いを晴らすには哲学的であれ科学的であれその常識が形成された文脈、歴史を理解する必要があるとわかり、やっとのことで歴史全般を学ぶ意義を知りました(遅い)。それを心得ていながらの御講義でしたので、専門ではないにしろ、行けなくて断片的ではあるにしろ、非常に面白いものでした。勝手ではありましたが、講義に参加して本当によかったと思っております。専門外の史学を学ぶ意義についてですが、これの一般的な答えは、僕にとっては今や"""どうでもいい"""ことへと、パラダイムシフトしました。単純に、先生の講義だから聞く意義がある、それだけのように思えますので、また是非足を運びたいものです。来年の今頃は…あ、卒論………。
寒い日が続きますので、お身体に気をつけてくださいませ。

odanakanaokiodanakanaoki 2017/01/27 16:53 おおDさん、授業出てたんですか!! それは……それは、サンクスでした。「僕も常識だと思っていたことを疑うようになってきましたが、その疑いを晴らすには哲学的であれ科学的であれその常識が形成された文脈、歴史を理解する必要がある」というのは、ホントにそうだと思います。とくに、自分の専門分野と違う場合は。

でも、そんなことに割けるリソースって、なかなかないんですよね。ぼくも、物理学とか自然科学の歴史を勉強したいですが、時間ががが。

そんなことを考えたのは、じつは、東北アジアセンターの岡本さんという研究員が授業に出てくれていて、色々と話したことがあります。彼は某大の農学部・院(分子科学)を修了し、別の大学の理工学部でポスドク(理論物理)、ついで別の大学でポスドク(物理実験)という華麗なキャリアを経て仙台に来たんですが、物理学と経済学の理論構造の比較をしたいということで、経済学部の授業にもぐっていたのでした。「経済学には熱力学に相当する理論体系がない」とか、刺激的な話をしてくれるので、物理学を知っておけばもっと面白かろうに、と感じる今日この頃です。

モンペリエは昨日まで厳寒で、また色々とあって仕事が進まず、へばっていますが、とりあえず「楽あれば苦あり(?)」の精神で、もう少ししたら県文書館に出かけてきます(いま9時まえ)。

ちなみに2017年度は、また(!!)全学教育の「歴史と人間社会」を担当することになりました。なんか「ぼくばっかやらされてんのかい?」という気がしないでもありませんが、せっかくなので、3月末に刊行する経済史(economic history)の入門書を使って色々やってみようと思っています(失敗の確率高し)。今回は何人来るか(ちなみに経済学部担当の「歴史と人間社会」、ぼくの同僚が担当した2016年度は受講生9人だったとか、マジか?)、いまからワクワクドキドキです。

では、また。

2016-12-31

仕事納め、仕事始め

知命をこえると、一年なんてあっという間に経つということが、心から実感できるようになる。

2016年は、われらが参議院選挙、ブレクシット、トランプ勝利……などなど、さまざまな事態が生じた。参議院選挙には(直後は「改憲勢力2/3阻止成功!!」だったはずなのに、という点も含めて)ガックリし、ブレクシットには「ま、そうだよな」という感想しかもたず、トランプ勝利には恥ずかしながら仰天したが、それでも世界は動いてゆくのである。

個人的には、2016年は、少なくとも9月末まではよく働いた。刊行用ペーパーを2本(フランス語1本、日本語1本)書き、カンファのトーク用ペーパーを3本(英語2本、日本語1本)書き、書下ろしの本を1冊(日本語)やっつけた。いやあ、われながら頑張った(当社比)。

そのせいで、10月からはカラダがガタガタになり、ちょうど始まった授業を口実に、ペースを落とすことになった。それでも「後片付け」は残るもので、11月から年末にかけて、編訳書(法政大学出版局、現代フランス歴史学、3月刊行予定)、書下ろし単著(勁草書房、経済史入門レベル教科書、3月刊行予定)、共著(山川出版社、世界史概説書、4月刊行予定)と、校正が続いた。編訳書は(たしか)12月初めに校了し、単著はクリスマスの日に初校を終えて返送し、共著も29日に初校を終えて返送した。校正は初校がヤマ場なので、これで一息。おっと、そういえば論文集(ナカニシヤ出版、3月刊行予定)所収の論文も、年末になって突如ゲラが届いたので、一気に初校と再校をすませてしまった記憶がある(所要時間合計で3時間)。そんなわけで、29日が仕事納めとなった。

し・か・し。

これで終わりだと思ったら、大間違い。

2017年最初のしごとは、2016年7月にドイツはボーフムでおこなわれたカンファ用に準備したペーパーの加筆。カンファに際しては5000字でよかったのが、来る4月までに8000字に加筆せよとのお達しが来たからだ。これの準備を、昨30日に開始した。そんなわけで、すでに2017年の仕事始めをすませて今日に至っているのである。

今日と明日は年末……じゃなくて「気分は単なる週末」なので、ヘロヘロしながら布団と一体化してすごす予定だが、明後日からは、ウィークデイズなので、当然しごと再開である(たぶん)。


そんなわけで、良いお年を。

菊地菊地 2017/01/16 22:00 小田中先生こんばんは!経済学史受講生、Yゼミの菊地です。たくさん執筆なさってるんですね、知りませんでした…(・・;)先生のガッツ、素晴らしいです!先生の講義、今まで受講した中でいちばん面白かったです。ありがとうございました。残りのテストと講義1回、よろしくお願いします。

odanakanaokiodanakanaoki 2017/01/16 22:59 おお、菊地さんじゃないか!! こんなところで会うとは……ちがうか。

それにしても水曜日のテストは金曜日に返却するんですが、220人分を二日間で採点できるのかねえ、われながら。でも、日曜日から二週間フランスなので、なにがなんでも採点して成績登録しなければならないのでした。

それでは水曜日に極寒の(?)第三講義室でお会いしましょう。

2016-12-11

Keon Buyens (1969-2016)

来春、3年に一度のカンファレンスがルーヴェン(Leuven、ベルギー)であり、出かける準備を始めるうちに「そういえば、クーンはどうしているだろうか」と思い、コンタクトをしようとしたころ、9月に亡くなっていたことを知った。彼が住んでいるリール(Lier)はルーヴェンの近くなので、会っておきたかった。前回(2014年春)会ったときに体調がすぐれないことは聞いていたので、「間に合わなかったか」という思いで一杯である。

クーン(Koen、正式にはクーンラート[Koenraad])と初めて会ったのは、もう四半世紀も前の1991年9月、フランスはトゥール(Tours)でのことだった。ぼくは、ロータリー財団から奨学金をもらい、1年の予定でレンヌ(Rennes)に留学することになったのだが、フランス語の試験の成績が悪かったせいで、レンヌ生活の開始前に1か月間トゥールにある語学学校でフランス語を勉強せよという条件が付いたのだった。

トゥールでは、どういうわけかクラス分けテストで高得点をたたき出してしまって上級レベルのクラスに入れられたせいか授業内容がまったくわからず、おまけに論文作成という宿題を抱えてきたこともあって、ほとんど学校には通わず、かなりの時間をトゥール市立図書館で19世紀前半の『官報』をめくることに費やすという日々をすごしてしまった。いま考えると、じつにもったいないことである。

それでも、どういういきさつだったかは忘れてしまったが、何人かの友人が出来た。なかでも、いつもつるむことになったのが、同じロータリー財団の奨学生でヘルシンキから来たマリ(女性)と、そして私費で短期語学研修に来ていたクーン(男性)だった。クーンはフラマン系ベルギー人なので、フランス語に磨きをかけたい、というわけである。2人とも、シンプルでマジメでユーモアと思いやりがあり、端的にいって付き合いやすかった。

「ロワール河周辺のお城めぐり」の起点として知られるトゥールは、小さな町だが、旧市街の真ん中にはカフェが立ち並ぶ広場「プリュムロ広場(Place Plumereau)」があり、夜な夜な若人が集まり、とりわけ週末には大騒ぎになるという、たいへんサンパなところである。さっぱり学校に行ってなかったのに(今と違ってケータイもないのに)どうやって約束を取り付けていたのか、いまとなっては定かでないが、ぼくも、マリやクーンと、プリュムロ広場で夜を明かしたり、安レストランで夕食をとりながら将来を語りあったりと、貴重な時間を共有することになった。

その後も2人とは交流が続いた。

マリとは、ぼくのかみさんも含めて3人で「フランスアルプス一週間スキー三昧」というステキなバカンス……じゃなくて「地獄のスキー合宿」(なんたって相手はフィンランド人、朝食とったら「ゲレンデいってきまーす」である)にいったり、クリスマス直前のヘルシンキのマリ宅にお邪魔して本場のサウナを試したり、21世紀に入って彼女が来日したときは、娘も連れて東京で再会したり、おお、われながらちょっとグローバル。

ちなみにマリは、大学修了後フィンランド外務省の外交官となり、国連本部や欧州連合本部に駐在するなど、ホントにグローバルな日々を送っている。たまに「ハーイ、いまNY」とかいうメールが届くのは、これはご愛嬌だろう。

クーンは、語学研修の終了後、リールの実家に戻った。あの頃、彼はアントワープ大学で学んでいたのではないだろうか。リールからは通学範囲である。ぼくら夫婦も、なんどかリールのクーンの実家を訪問し、ご両親に会ったり、泊めてもらったり、親切にしてもらった。もっとも、1994年に仙台に移ってからは、訪欧する機会が減ってしまい、彼とも年賀状をやり取りするだけの関係が続いた。それでも、結婚式の招待状を届けてくれたり、マメなやつだった。

しばらくたって2010年秋。ルーヴェンでカンファが開かれることになり、クーンからは結婚後に新居を構えていたメヘレン(Mechelen)からリールに戻ったという連絡が来ていたので、久々に会うチャンスが生まれた。ベルギー国鉄リール駅で再会したクーンは、昔のままのシンプルでマジメでユーモアと思いやりのある人間だった。

市役所広場で(ベルギーと言えば)ビールを飲みながら彼の来歴を聞き、ひっくりかえった。そもそも彼は将来を嘱望されたバイオリニストで、高校時代にはブリュッセル王立音楽院コンクールで1位をゲット。でも、諸般の事情で演奏家の道は諦め、アントワープ大学法学部、ルーヴェン・カトリック大学ロースクールを経て、弁護士になった。ところが、弁護士の仕事がつまらなくなり、音楽史の研究者になるべく、仕事を辞めてブリュッセル自由大学大学院に入学、ハイデルベルク大学とハーヴァード大学への留学を経て学位を取得し、ブリュッセル自由大学歴史学科の教授になった、というのだ。す、すごいグローバル。

アントンとセンタという2人の子供にも恵まれ、幸せそうだった(ちなみに、完全に奥さんのイルゼの尻に敷かれていた)。

2014年春、2回目のカンファに参加するためルーヴェンに出向き、またリールでクーンに会った。そのとき、かなり体調が悪く、大学も休職していることを知った。手術はムリで化学療法をしているということで、けっして調子は良くなかったはずだが、一日つきあってくれた。リール中を歩きまわりながら、色々なことをしゃべった。

そして、それがクーンと過ごした最後の時間となった。


来春ルーヴェンに行く際にクーンの墓に詣でたいが、先日出したお悔みメールに対するイルゼの返事は、まだ来ていない。また会おう、クーン(Au revoir, Koen)。

2016-11-20

燃え尽き症候群

あっという間に晩秋というか初冬の仙台。

10月は、もう「燃え尽き症候群」としか言いようがない日々であった。肩から首にかけてバリバリのガチガチで、上半身がストレートジャケット状態ゆえ、対向者をヒョイヒョイと避けることができない。そのため、相手とぶつかりたくなかったら、歩くスピードを落とすか、かなり以前から相手の行動を読みつつ歩くか、あるいは人ごみを避けるしかない。これは疲れるし、ナカナカつらかった。フィジカルな問題があるとは思えないので、どうみても、経済史教科書執筆がラストを飾った「頑張った(当社比)日々」の反動だろう。11月に入り、ようやく、ちょっと首が回るようになった。トシはとりたくない……が、とるものはとるのである。

そんななか、今日は、ひさしぶりに東北大学・西洋史研究会の大会(at東北大学)に参加。なんたって共通論題のタイトルが「ゲノム研究は歴史を変える」であり、トークとして

  • 太田弘樹(北里大・医):ゲノムデータから人類史を読み解く方法
  • 西秋良宏(東大・総博):西アジア発「新石器革命」とその拡散
  • 米田譲(東大・総博):骨の科学分析からみた「新石器革命」
  • 中山一大(自治医大・分子病態治療研究センター):農耕・牧畜成立に関連するゲノム多様性

が並び、参加料が1000円ポッキリというのだから、これは「聞かなきゃソン」である。

基本的にはゲノム科学にもとづく考古学・人類学の立場から、紀元前8000年代に西アジアで開始された農耕・牧畜・定住、いわゆる「新石器革命」にアプローチするという企画で、理科音痴のぼくにはツライところもあったが、

  • 新石器革命を経ると、男性の遺伝的多様性が一時激減した(男性間における権力構造の成立を示唆)。
  • 同じころ、ヨーロッパでは乳糖耐性遺伝子が、東アジアではアルコールダメ遺伝子が、おのおの広まりはじめた(農耕の開始との関連の存在を示唆)。
  • 遺伝距離と地理的距離の関係の性差は、父系社会か母系社会かという社会構造のありかたと相関していた。

などなど、眼からウロコがポロポロおちる話が満載。新石器革命は、経済史教科書を書く際にちょいと勉強したので、すさまじく面白かった。燃え尽きた灰にムリヤリ点火するには絶好の機会となったような気がしないでもなくはないといえなくもない、か……って、あれ(「ない」の回数を数えると)これじゃダメじゃん。

2016-10-01

リフレッシュ、できないままに、新学期(五・七・五)。

10月である。

新学期である。

二年ぶりの学部「経済学史」講義のときである。

リフレッシュ期間であるはずの夏休みは滞仏と執筆で終わり、空気は秋。

それにしても、経済史教科書の執筆をはじめとする債務返済のため、ここ一年半ばかり、かなり煮詰った日々を送った気がする。一昨日、最後の債務たる教科書のドラフトを編集者の鈴木さんに送り、昨日からすっかりふぬけているのが自分でもわかる。

とにもかくにも、これで本業たる現代フランス地方都市計画政策史に(相当程度)専念できるかと思うと、とてもうれしいぞ。つぎはペルゴラ(モンペリエの「ゲットー」地区)かピスヴァン(ニームの「ゲットー」地区)か、ワクワクしてくる……のは、日本じゃぼくだけだろうな、きっと。うーむ、われながらマニアックである。

この間、ドラフト執筆のあいまに(ネタと気力が尽きるので、執筆は一日数時間が限度ゆえ)チョコチョコと雑多な本を読んでいた。一部を紹介しておこう。順不同。


  • 白崎映美『鬼うたひ』(亜紀書房、2016)

1980年代から、オルケスタ・デ・ラ・ルスと並んで世界規模で活躍したバンド・上々颱風のボーカルだった白崎さんが全編(出身地の)酒田弁で書いた快著。その圧倒的なパワーには、ひたすらに頭が下がる。単なる酔払い(自称)のはずなのに、釜が崎の三角公園で歌い、東北復興コンサートを妄想爆発状態で企画しつづけている(継続は力なり)白崎さんは、かつての「愛より青い海」(1990)時代の美貌、近年の釜が崎越年闘争コンサートの酔払いノリ、ともに(you tubeでみられるが)相異なる意味で魅力的だ。

いや、良い本を読んだ。

D

  • 遠藤比呂通『希望への権利』(岩波書店、2014)

釜が崎といえば、わすれちゃいけない遠藤さん。われらが東北大学は法学部憲法担当助教授の地位を投げだして釜が崎で弁護士事務所を開いてしまうという「一身にして二生を生きる」快男児のエッセイ。京都の朝鮮学校に対する在特会のヘイトアクションに対する民事裁判でも学校側の弁護人を務めるなど、もーからんしごとを続けるスタンスに、ひたすら喝采。

うーむ、漢(性差別主義的言質)である。


  • 松本哉『世界マヌケ反乱の手引書』(筑摩書房、2016)

高円寺を「ヘンな」世界につくりかえつつある一人・松本さんの「脱力系オルタ文化」マニュアル本。

世界は狭い、その気になれば。

世界はかえられる、その気になれば。

もちろん問題は「その気になるか?」である。その気になった松本さんは、すごい。


  • 磯田道史『無私の日本人』(文芸春秋・文春文庫、2014、初版2012)

仙台周辺だけでイジョーに盛上がった映画『殿、利息でござる!!』の原作。江戸時代の庶民に根付く「無私」の精神を描くというふれこみだが、これがじつは《お上に逆らえない下々+ひたすら無能で強欲なお上=日本》という、涙なしでは読めない日本人論。磯田さんの、篤実な歴史学者として資料を踏まえた淡々たる筆致が、江戸期に遡る日本人のなさけなさをあますところなく活写していて、さらなる涙を誘う。

よーするにバカなのですね、ぼくも含めて。これじゃ欧米に負けるわけだわ、まったく。


  • 矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか(集英社インターナショナル、2016)

というわけで、すべてはダレスにやられた1951年に決まったのである。

なんなんだよ、まったく。

DD 2016/10/19 20:08 あ、あ、あけましておめでとうございます。時は早く過ぎるものでもう2017年ですね(時間の歪み)。以下、読まなくても構いませんので、お時間を有意義にお過ごしください。顔も名前も見せてございませんのに、言いたいことを勝手に申し上げて、気に触るような内容がございましたら、大変失礼なことであると先に謝罪させていただきたいと思います(申し訳ありません)。

10/5,10/7の初回講義は登山してたので行けなかったんですが、先週と今日はこっそり覗かせていただきました。
饒舌だなぁ、山の上にもこんだけしゃべれる人いたらなぁと思いながら、「真面目」に講義を拝聴しておりました。先週のリカードマルクスについても、本日の(ホッブズ)スミスについても少なくとも先生がおっしゃる内容は理解が容易なのですが、むしろ当たり前のようにさえ感じられるため、これが当時は画期的な発想だったということを改めて考えると、文系分野(というか、哲学?)も理系分野(というか、科学)と同じかそれ以上に確実な発展をし続けてきて、今も進行形でそうしているのだろうなと思わされます。
先日受賞者発表で賑わったノーベル賞をとっても、科学の進展は身近に感ぜられますが、文系分野の進展というものは山の住民には親近感が湧かないものです。煮詰まったのかとさえ感じられても、学問の源流を学べば、きっと今(2016だか2017)でもどこかに蒙(啓蒙の蒙)が潜んでいて数百年後に「21世紀としては画期的な発想」と言われる啓蒙思想が生まれることもあるんでしょう。僕は、ご存知の通りで経済学の専攻ではなく、今ホットな分野や主流なんてもちろんわかりません(話にならないですねトホホ…)ので、具体的な議論など以ての外で、そもそもトークが面白いから聞いている経済学史でさえ今の研究とどう結びついているのかがわかりかねると言ったところです(何で来てるの?→トークが面白いから)。
で、今回無理矢理来年からタイムリープしてやってきたのは、(初回でおっしゃったのであろう)経済学史の学ぶアクチュアルな意義を聞きたかったからです。もちろん、繰り返し申せなどと、(山の)上から目線で偉そうなことを言うつもりはございませんので、わざわざここまで読まれて、かつ、お返事いただきたいわけではありませんが、経済学史を学ぶ意義は他の歴史と異なって、経済学を専攻する方にしか意義はないものなのでしょうか(意義はあってもなくても、面白いので僕には関係ないんですが)。アオヴァヤマ収容所では、創成学という、過去や現在の物の生産技術や加工法、創造の一連の過程などを学び、新たな創造の発想力を養うことを目的とした講義がありましたが、これは物作りを専攻してない人には確かにあまり意義の感じられないものかもしれません。
また、スミスが、再生産のシステムと自律さでもって体系化した経済学は、その目指す先に何があるのか、ということも疑問です。

長い文を要約すると、第1回でおっしゃったのかもしれませんが、講義の中では経済学史のどこに着目して、何を考えながら聞けばいいのか教えて欲しいです、というわがままな要望です。本当に失礼ですね(なら書くなよ→はい、すみません、おっしゃる通りで)。

P.S.既にお気づきかもしれませんが、学生のコメントをいじっていた時に探されていた「最近読んだオススメの本教えて」については、1ページの「diminish」(ここ触れましたよね)の、2文目が該当するのではないでしょうか。

odanakanaokiodanakanaoki 2016/10/19 21:00 おお、あの寒い第三講義室にいらっしゃいましたか!! 気づかず、失礼しました……って、ムリか。

で、経済学史のアクチュアリティって、ホント本質的な問題ですよね。

とりあえず「経済学」そのもののアクチュアリティについては、たとえば中央銀行の金融政策にはそれなりに経済理論が利用されているので、ぼくら一般人の日常生活に影響するという意味では「ある」と言ってよいと思います。

問題は経済学「史」のアクチュアリティですが、これはムズカシイなあ。とりあえず経済学部の学生諸君に対しては「各種経済理論をマッピングするときに、歴史からアプローチするのは使える方法だよ」と答えるんですが、Dさんは山の上ですからねえ……うーむ、ムズイ。経済学史に限らず広義の「学説史」の意義については色々な見解があると思いますが、そんなわけで、ぼくは「マッピングに使える」つまりメタ次元で有益だと思っているものの、これは、学説を学んだ人にとってのみ有意味な言説ですよね。やっぱムズカシイなあ。

ちなみに自然科学の諸分野でも「学説史」は実体としては存在するはずですが……数学史とか、物理学史とか……それが授業科目として存在するもんなんでしょうかね? 

ちょっと考えてみます。すごーーーーく時間がかかると思いますが、良き質問をサンクスでした。じゃ、また、良いお年を。

DD 2016/10/19 23:44 相変わらずお返事がお早いですね、ありがたき幸せです。いえいえ、こちらとしても特定されると書き込みにくくなりますしおすし&#127843;、いないものとしてカウントされた方が都合良いかなぁ…と。

やはり、そうなんですかね、専門分野以外では学説史の有益性は限定的になりますかね。まぁ、ぼくはまだ学部生ですので、専門と言えるほどの能力はないのですが。
工学ですが、学説史のみを扱う科目は未だ確認できていませんので、やはりないのかもしれません。先生によっては扱いますが、講義1回の1/3くらいで、10人の偉人をさらっと触れたりする程度です。工学部はとりわけ、アカデミックな要素が少ないというのもありますが。

本当に貴重なお時間をお返事に割いていただき毎度有難うございます。もう少し拝聴させていただいて、その中で持てる材料をフルで使用しながら僕も考えていこうと思います。では失礼します。。。
寒くなってますので、お身体にはお気をつけてくださいませ。