小田中直樹〈たまに〉仙台ドタバタ記

2017-02-03

悲喜こもごも

あっというまに二週間がすぎ、明日は帰国である。

しかし、明日は台風並みの低気圧がフランスを直撃することが予想されており、おまけに、冬のバカンスが明日から始まり、ということは当然国鉄労働者が(イヤがらせで、というか、ポリティカリー・コレクトなワーディングでいうと効用最大化をめざして)ストライキを打つわけで、これらのハードルのはざまを縫いながらTGVでCDGにたどりつき、ついで20時のフライトにのりこめるか……障害走みたいな感じがしてくるが、今回はプレエコが空いていて上げてもらえたのが唯一の慰めである。

さて、この間、リサーチに関しては「悲喜こもごも」の日々を過ごした。


●悲

2015年12月に、モンペリエ市立文書館(AMM)の近現代関係資料保管庫の天井の一部にアスベストが発見されたため閉鎖され、資料アクセスがダメになった。ぼくは、プティ・バール(Petit Bard)の次はラ・ペルゴラ(La Pergola)という地区の再開発を調べているが、この地区は1960年代に開発されたので、当然この閉鎖に影響を受けるわけである。かなりの資料は集めていたので、あと20箱弱というところまで来ていたのだが、残りもぜひ見たいという理由があった。

ラ・ペルゴラは(モンペリエが位置する)エロー県低廉住宅局(ODHLMH)という県の外郭団体が開発した団地からなり、その後も同局が団地の維持管理を担当してきた。ということは、ラ・ペルゴラ関係の資料は同局の後継機関であるエロー・アビタ(Herault Habitat、HH)がもっているということになる。そして、一般的に、県や市町村の文書館に入っていない資料にアクセスすることは、きわめて困難である。

したがって、ラ・ペルゴラについてリサーチする場合に利用が容易なのは、AMMかエロー県文書館(ADH)に所蔵されている各種資料であるということになる。この間ADHでもチェックをしてきたが、ラ・ペルゴラ関係の資料は多くないことがわかってきた。だから、最後の砦が、ラ・ペルゴラなど市内各地区の再開発に関する資料であり、これら資料を保管しているAMMなのだ。AMM近現代関連資料にアクセスできなくなったのが打撃であるというのは、つまりはそういうことである。

そして、事態は

  • 当初は「三カ月で脱アスベスト化を終えてアクセスを再開する」という話で、さすがに「フランスで、これはないだろう」と思っていたのだが、そのとおりで、
  • 2016年夏に聞いたときには「ごめん、まだ閉まっている。でも、天井の脱アスベスト化工事は完了し、アスベスト残存の簡易チェックは終わって残存していないという結果が出たので、2016年10月の市・衛生安全委員会でゴーサインが出れば、再開できるだろう」という話になり、まあ一年だから妥当な期間だろうと思っていたのだが、
  • 今回、モンペリエ到着の翌日(1月23日[月])一番でAMMに同委員会の決定を聞きにいったら、なんと「市役所の専門部局(施設部みたいなものか?)が担当し、最初からやり直すことになった。検査で六カ月、工事の入札で六カ月、本格的な脱アスベスト化で一年、合計で二年。したがって再開は2019年春の予定になった」といわれ、これには絶句。合計で三年強の閉鎖かよ!! うーむ。
  • しかも、よく考えてみると、2019年春には、AMMは(かつてADHが利用していた建物への)移転が予定されている。絶対、もめる。
  • さらに、ウラ話を聞いたら、移転予定先の建物は、しばらく空き家だったため、昨年末に不法占拠(スクワッティング)され、今日に至っているらしい。ますます、もめる。

というかたちで、まことワルイ方向に進んでいることが、今回わかったのであった。これは、ヤケ酒とふて寝に走るしかないではないか。


●喜

それでも、せっかくモンペリエに来たわけだし、天気も「好天だが地中海沿岸らしから寒さ」または「ちょっと暖かいが雨と風」という「リサーチ日和」なので、今後のことを考えて、24日(火)は隣県ガールの県庁所在地ニームの市文書館AMNでインベントリー(資料目録)をチェック。25日(水)からは、ADHにかよい、残っている資料の「落穂拾い」をすることにした。そんなわけで、市のはずれにあるザハ・ハディド設計のADHに出かけ、

  • 相手をしてくれた職員のミションさんに「AMMがねえ……ラ・ペルゴラ調べてるんだけどねえ……HHに資料開示を求めるのは難しいだろうしねえ……」とグチっていたら、なんと!!
  • ミションさん「HH、去年夏に資料をADHに移管してきたよ」というではないか。じつは、HH、本部建物を新築するため一時移転中なのだが、移転の際、もっていた資料を「邪魔者」としてADHにおしつけたのである。
  • 「でも、インベントリーに出てないけど?」と聞いたら、「うん、まだ整理中だから。でも、HHのアーキヴィストが有能で、ちゃんと整理してあったので、移管の時点で、あとは資料請求番号を付替えるだけだったんだ。で、付替えも終わったので、じつは整理は終わっていて、一般公開していないだけ。もしも見たかったら見せてあげるよ」と言ってくれるではないか!!
  • ミションさんはとてもテキパキとした女性で、「じゃ、とりあえずHHから移管されてきた資料のインベントリーを印刷してあげる。別の場所に保管してあるので、まず一番みたい資料の番号をチェックし、教えてくれれば、なるべく早く運んでくるよう手配するよ」だと。信じられん。ホント、ミションさんが神さまのようにみえた水曜日。
  • インベントリーをチェックすると、ラ・ペルゴラの建設・管理・改修関係の資料は30箱強のシリーズにまとめられていることがわかった。これと、あとはHHの役員会(CA)議事録、そして予決算関係資料をチェックすれば、かなりのことがわかりそうだ。
  • 25日(木)、ミションさんに「とりあえず、今回は、ラ・ペルゴラ関係資料のシリーズをみたいんだけど」と申し出、閲覧室への運搬の手配をお願いする。さすがフランス、資料が届くまでに五日かかり、届いたのは31日(火)昼だったが、届いただけでも大したものだといわなければなるまい。なにしろここはフランス、おまけに、今回モンペリエに来るまではアクセスを完全に諦めていた資料が目の前にあるのだから。
  • そんなわけで、31日から、30箱をチェックしおわった2日(木)までの三日間は、頑張った。頑張りすぎたせいか、目の前がチカチカした(ホントに)。今日は、また落穂拾いに戻り、かくして悲喜こもごもの滞在を終えたのであった。

歴史学者の醍醐味を堪能した二週間となった……か?

2017-01-29

フランス大統領選挙・左派予備選挙第二次投票

【訂正】

メランションとアモンの支持率の順番、逆だった。訂正。

【追記】

現在21時。予想どおり、約60%の得票率でアモンが勝利。さて、どうなる、大統領選挙?

ちなみに、われらが日本は?

【本題】

モンペリエに来て一週間、ということは、半分すぎてしまったということである。この間、リサーチについては「悲喜こもごも」が服をきて歩いているという感じで、資料に向き合う時間はほとんどないというありさま。あちらこちらで資料アクセス関係の交渉をしては、あまりの「これがフランスだ」ぶりに、疲れはててベッドに倒れ込むかヤケ酒を飲むかの二択というステキな日々を過ごしている。

オマケに宿のwifiがすさまじく遅く、かつてのダイヤルアップ時代を思いおこさせる状況。この宿は、wifi以外は文句ないのだが、wifiだけは、ひたすら切れたり、ひたすら故障したりと、良い思い出がない。今回は切れたり故障したりしないので、たぶんシステムを入替えたんだと思うが、その代償ということなのか、ステキに遅くなってしまったのである。なにしろ、添付ファイル付きのメールが落ちてこないんだからなあ……しかたなくフランス・テレコム(ブランドは「orange」)の有料wifiを入れる。一ケ月で4000円だから、仕方ないか。

さて、しごとの話は措いておき、今日はフランス大統領選挙・左派予備選挙の第二次投票(決選投票)である。イマイチ盛り上がりに欠けるのは、左派(=社会党+左翼急進党+エコロジスト)の支持率が伸び悩んでいるためで、本番で第二次投票=上位二人による決選投票に進むことは絶望視されている。支持率でいうと、一位がマリーヌ・ルペン(国民戦線、極右、約25%)、二位がフランソワ・フィヨン(共和党、右派、約25%)、三位がエマニュエル・マクロン(無所属、中道、約25%)、五位がジャンリュク・メランション(左翼党と共産党が合同した政治団体「断固たるフランス」、極左、約10%)、左派は四位(約15%)というのだから、気勢が上がらないこと甚だしいわけである。

このうち中道から左側をみると、マクロンは「規制緩和、イノベーション、ちょっと社会民主主義」という、日本ではわりとなじみぶかい一昔前の民主党的な「アーバンでイケてる」スタンスで、個人的には「なんで今ごろ」感が強い。ごめんねエマニュエル、冷たくて。メランションは、クラシカルな「労働者保護、国家介入、財政出動、国際品愛用(トランプか?)」という旧型左翼路線で、これまた「なんで今ごろ」感はぬぐえないものの、それはそれで重要である。この両者に挟まれて苦労しているのが社会党系左派であるわけだが、予備選挙の決選投票に残ったのは、前首相マニュエル・ヴァルズと、元国民教育相ブノワ・アモン。

去る水曜日にテレビ討論があり、えんえん二時間みてしまった。

ヴァルズは、社会民主主義の立場から、「労働にもとづく社会(societe de travail)」の基本的な構造を維持するべきことを唱え、そのために社会保障制度を持続可能なものにする必要があると主張した。ま、これもよくあるパターンで、あまり面白みはない。

面白かったのはアモンで、公約の目玉は

ベーシック・インカム

の導入。ベーシック・インカムはフランス語では「revenue universel」になるが、ベーシック・インカムというと、大抵は「生存権」あたりから説きおこされ、そして「財源は?」というお決まりの批判にさらされるわけだが、アモンは一味違う。彼にとって、ベーシック・インカムは、

労働と収入を切り離す

手段なのだ。デジタル(人工知能、ロボット)革命が進めば、人間が担う労働は減少してゆく。そのような未来において、収入すなわち生存を労働にタグ付けしてしては、人間の生存そのものが脅かされてしまう。こんな事態を避ける手段(のひとつ)として採用されるのがベーシック・インカムであり、これは、まさにヴァルズが唱える「労働にもとづく社会」というスローガンに典型的に表現される「働いてナンボ」という近代の基本理念に対する根本的な挑戦のための手段である。さらにいえば、テレビ討論で「財源は?」と質問されたアモンは、「ベーシック・インカムは支出ではなく

未来への投資

であり、したがって財源なんて些末な問題にすぎない」と言切り、司会者やヴァルズを唖然とさせた。

じつは、第二次投票ではアモンが優勢だといわれており、ということは、ベーシック・インカムを前面に掲げて本戦を戦う候補者が登場するということになる。率直にいってアモンの政策は粗削りだし、実現可能性を問われると「ウーム」という気がしないでもない……というか、そんな気がする。たぶん、本番では、彼が勝つことは138%ないだろう。

しかし、デジタル革命という社会の根本的な変化を問題にし、それに対する抜本的な処方箋として「労働と収入の切断」というラディカルな(=根源的な)アイディアを提示するという知的営為は、尊敬に値する。


そんなことを考えつつ、せっかくなので、

予備選挙の投票を見にいった。

おお、政治意識高い系だなあ、自分。

宿の近くに投票所があったので、入り口にいたおじさんに「日本から来たので投票権(フランスの有権者名簿に掲載されている必要がある)ないんですが、関心あるので見てもいいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞと招き入れられた。しばらく入口で見学したが、手作り感満載で、みんな楽しそうだったのが印象的だった。

世界各地で劣勢を強いられている左派は、その根本的な地点から再構築を迫られているのだろう。もちろん、一部地域では、すでにその芽が具体的な、つまりナショナルな政治のレベルで登場している。そして、バーニー・サンダースやジェレミー・コービンに代表される「下からの路線(=虫の目)」と、アモンに体現される「上からの路線(=鳥の目)」がどう組み合わされるか、左派の将来はそこにかかっているように感じられる。

さて、そろそろ20時。あと一時間ほどで結果がわかる。

2017-01-23

謹賀新年 from CDG

2週間の予定でモンペリエ・ニームでリサーチするべく、CDGに到着したところである。例によってCDG地下の国鉄駅コンコースにある安カフェでビールを飲みながら、フランス到着を祝っている。

しかし日本は景気がいいのか羽田・パリのフライトは満員で、久しぶりに(プレミアムエコノミーにあげてもらえず)エコノミークラスで、疲れた。どうにかたどりついたパリは、現在22日(日)17時すぎだが、気温2度。これじゃ仙台と変わらないじゃないか、おひおひ。

そんなわけで、この段階で疲れはてているものの、これからTGVで4時間かけてモンペリエに向かうわけである。

それはおいておき、すでに1月も後半に入っているわけだが、この間、

  • 元旦を祝ったあとは、
  • 2日から英語ペーパー大加筆大会に復帰し、加筆を終えて英文校正に出し、戻ってきたので修正し、ボーフムに送り、
  • 昨年同様センター試験の外回りを担当し……たら真冬日&吹雪の2日間となって絶句し、
  • 学部講義「経済学史」の最終試験をしたら220人もやってきて、それでも答案を2日間で採点し、
  • どうにか「やるこたやった」と思いつつ羽田に着いたら、フライトが満員で……冒頭に戻る。

というステキな日々を過ごしていたのであった。引き、弱いよ。


さて、南仏で命の洗濯はできるだろうか。すべてはモンペリエ市文書館の資料保管庫アスベスト問題の進展にかかっているのであった。

山の上のD山の上のD 2017/01/27 15:05 あけましておめでとうございます。いつ見ても先生はご多忙なようで大変ですね(社交辞令)。
経済学史の最終試験が終わったということですが、お疲れ様でした。こちらはちゃんとした労いのつもりです。金曜日は山の講義があるので、水曜だけしか参ることができず、結局何回拝聴できたのか(ノートを見ないと)わかりかねますが、やはり面白かったです。世辞で持ち上げたいわけではないですよ、顔隠してよいしょする意味はないですからね。先生にとっては当たり前なのかもしれませんが、つらつらと史実を述べて終わりということではなく、事実への着眼点や事実の咀嚼、嚥下のしかたについても事細かにご説明なさっていたことが特に感心しました(すみません、日本語下手なばかりに上から目線の物言いで)。
最近物事を広く考えるようになって、先人同様に、僕も常識だと思っていたことを疑うようになってきましたが、その疑いを晴らすには哲学的であれ科学的であれその常識が形成された文脈、歴史を理解する必要があるとわかり、やっとのことで歴史全般を学ぶ意義を知りました(遅い)。それを心得ていながらの御講義でしたので、専門ではないにしろ、行けなくて断片的ではあるにしろ、非常に面白いものでした。勝手ではありましたが、講義に参加して本当によかったと思っております。専門外の史学を学ぶ意義についてですが、これの一般的な答えは、僕にとっては今や"""どうでもいい"""ことへと、パラダイムシフトしました。単純に、先生の講義だから聞く意義がある、それだけのように思えますので、また是非足を運びたいものです。来年の今頃は…あ、卒論………。
寒い日が続きますので、お身体に気をつけてくださいませ。

odanakanaokiodanakanaoki 2017/01/27 16:53 おおDさん、授業出てたんですか!! それは……それは、サンクスでした。「僕も常識だと思っていたことを疑うようになってきましたが、その疑いを晴らすには哲学的であれ科学的であれその常識が形成された文脈、歴史を理解する必要がある」というのは、ホントにそうだと思います。とくに、自分の専門分野と違う場合は。

でも、そんなことに割けるリソースって、なかなかないんですよね。ぼくも、物理学とか自然科学の歴史を勉強したいですが、時間ががが。

そんなことを考えたのは、じつは、東北アジアセンターの岡本さんという研究員が授業に出てくれていて、色々と話したことがあります。彼は某大の農学部・院(分子科学)を修了し、別の大学の理工学部でポスドク(理論物理)、ついで別の大学でポスドク(物理実験)という華麗なキャリアを経て仙台に来たんですが、物理学と経済学の理論構造の比較をしたいということで、経済学部の授業にもぐっていたのでした。「経済学には熱力学に相当する理論体系がない」とか、刺激的な話をしてくれるので、物理学を知っておけばもっと面白かろうに、と感じる今日この頃です。

モンペリエは昨日まで厳寒で、また色々とあって仕事が進まず、へばっていますが、とりあえず「楽あれば苦あり(?)」の精神で、もう少ししたら県文書館に出かけてきます(いま9時まえ)。

ちなみに2017年度は、また(!!)全学教育の「歴史と人間社会」を担当することになりました。なんか「ぼくばっかやらされてんのかい?」という気がしないでもありませんが、せっかくなので、3月末に刊行する経済史(economic history)の入門書を使って色々やってみようと思っています(失敗の確率高し)。今回は何人来るか(ちなみに経済学部担当の「歴史と人間社会」、ぼくの同僚が担当した2016年度は受講生9人だったとか、マジか?)、いまからワクワクドキドキです。

では、また。

2016-12-31

仕事納め、仕事始め

知命をこえると、一年なんてあっという間に経つということが、心から実感できるようになる。

2016年は、われらが参議院選挙、ブレクシット、トランプ勝利……などなど、さまざまな事態が生じた。参議院選挙には(直後は「改憲勢力2/3阻止成功!!」だったはずなのに、という点も含めて)ガックリし、ブレクシットには「ま、そうだよな」という感想しかもたず、トランプ勝利には恥ずかしながら仰天したが、それでも世界は動いてゆくのである。

個人的には、2016年は、少なくとも9月末まではよく働いた。刊行用ペーパーを2本(フランス語1本、日本語1本)書き、カンファのトーク用ペーパーを3本(英語2本、日本語1本)書き、書下ろしの本を1冊(日本語)やっつけた。いやあ、われながら頑張った(当社比)。

そのせいで、10月からはカラダがガタガタになり、ちょうど始まった授業を口実に、ペースを落とすことになった。それでも「後片付け」は残るもので、11月から年末にかけて、編訳書(法政大学出版局、現代フランス歴史学、3月刊行予定)、書下ろし単著(勁草書房、経済史入門レベル教科書、3月刊行予定)、共著(山川出版社、世界史概説書、4月刊行予定)と、校正が続いた。編訳書は(たしか)12月初めに校了し、単著はクリスマスの日に初校を終えて返送し、共著も29日に初校を終えて返送した。校正は初校がヤマ場なので、これで一息。おっと、そういえば論文集(ナカニシヤ出版、3月刊行予定)所収の論文も、年末になって突如ゲラが届いたので、一気に初校と再校をすませてしまった記憶がある(所要時間合計で3時間)。そんなわけで、29日が仕事納めとなった。

し・か・し。

これで終わりだと思ったら、大間違い。

2017年最初のしごとは、2016年7月にドイツはボーフムでおこなわれたカンファ用に準備したペーパーの加筆。カンファに際しては5000字でよかったのが、来る4月までに8000字に加筆せよとのお達しが来たからだ。これの準備を、昨30日に開始した。そんなわけで、すでに2017年の仕事始めをすませて今日に至っているのである。

今日と明日は年末……じゃなくて「気分は単なる週末」なので、ヘロヘロしながら布団と一体化してすごす予定だが、明後日からは、ウィークデイズなので、当然しごと再開である(たぶん)。


そんなわけで、良いお年を。

菊地菊地 2017/01/16 22:00 小田中先生こんばんは!経済学史受講生、Yゼミの菊地です。たくさん執筆なさってるんですね、知りませんでした…(・・;)先生のガッツ、素晴らしいです!先生の講義、今まで受講した中でいちばん面白かったです。ありがとうございました。残りのテストと講義1回、よろしくお願いします。

odanakanaokiodanakanaoki 2017/01/16 22:59 おお、菊地さんじゃないか!! こんなところで会うとは……ちがうか。

それにしても水曜日のテストは金曜日に返却するんですが、220人分を二日間で採点できるのかねえ、われながら。でも、日曜日から二週間フランスなので、なにがなんでも採点して成績登録しなければならないのでした。

それでは水曜日に極寒の(?)第三講義室でお会いしましょう。

2016-12-11

Keon Buyens (1969-2016)

来春、3年に一度のカンファレンスがルーヴェン(Leuven、ベルギー)であり、出かける準備を始めるうちに「そういえば、クーンはどうしているだろうか」と思い、コンタクトをしようとしたころ、9月に亡くなっていたことを知った。彼が住んでいるリール(Lier)はルーヴェンの近くなので、会っておきたかった。前回(2014年春)会ったときに体調がすぐれないことは聞いていたので、「間に合わなかったか」という思いで一杯である。

クーン(Koen、正式にはクーンラート[Koenraad])と初めて会ったのは、もう四半世紀も前の1991年9月、フランスはトゥール(Tours)でのことだった。ぼくは、ロータリー財団から奨学金をもらい、1年の予定でレンヌ(Rennes)に留学することになったのだが、フランス語の試験の成績が悪かったせいで、レンヌ生活の開始前に1か月間トゥールにある語学学校でフランス語を勉強せよという条件が付いたのだった。

トゥールでは、どういうわけかクラス分けテストで高得点をたたき出してしまって上級レベルのクラスに入れられたせいか授業内容がまったくわからず、おまけに論文作成という宿題を抱えてきたこともあって、ほとんど学校には通わず、かなりの時間をトゥール市立図書館で19世紀前半の『官報』をめくることに費やすという日々をすごしてしまった。いま考えると、じつにもったいないことである。

それでも、どういういきさつだったかは忘れてしまったが、何人かの友人が出来た。なかでも、いつもつるむことになったのが、同じロータリー財団の奨学生でヘルシンキから来たマリ(女性)と、そして私費で短期語学研修に来ていたクーン(男性)だった。クーンはフラマン系ベルギー人なので、フランス語に磨きをかけたい、というわけである。2人とも、シンプルでマジメでユーモアと思いやりがあり、端的にいって付き合いやすかった。

「ロワール河周辺のお城めぐり」の起点として知られるトゥールは、小さな町だが、旧市街の真ん中にはカフェが立ち並ぶ広場「プリュムロ広場(Place Plumereau)」があり、夜な夜な若人が集まり、とりわけ週末には大騒ぎになるという、たいへんサンパなところである。さっぱり学校に行ってなかったのに(今と違ってケータイもないのに)どうやって約束を取り付けていたのか、いまとなっては定かでないが、ぼくも、マリやクーンと、プリュムロ広場で夜を明かしたり、安レストランで夕食をとりながら将来を語りあったりと、貴重な時間を共有することになった。

その後も2人とは交流が続いた。

マリとは、ぼくのかみさんも含めて3人で「フランスアルプス一週間スキー三昧」というステキなバカンス……じゃなくて「地獄のスキー合宿」(なんたって相手はフィンランド人、朝食とったら「ゲレンデいってきまーす」である)にいったり、クリスマス直前のヘルシンキのマリ宅にお邪魔して本場のサウナを試したり、21世紀に入って彼女が来日したときは、娘も連れて東京で再会したり、おお、われながらちょっとグローバル。

ちなみにマリは、大学修了後フィンランド外務省の外交官となり、国連本部や欧州連合本部に駐在するなど、ホントにグローバルな日々を送っている。たまに「ハーイ、いまNY」とかいうメールが届くのは、これはご愛嬌だろう。

クーンは、語学研修の終了後、リールの実家に戻った。あの頃、彼はアントワープ大学で学んでいたのではないだろうか。リールからは通学範囲である。ぼくら夫婦も、なんどかリールのクーンの実家を訪問し、ご両親に会ったり、泊めてもらったり、親切にしてもらった。もっとも、1994年に仙台に移ってからは、訪欧する機会が減ってしまい、彼とも年賀状をやり取りするだけの関係が続いた。それでも、結婚式の招待状を届けてくれたり、マメなやつだった。

しばらくたって2010年秋。ルーヴェンでカンファが開かれることになり、クーンからは結婚後に新居を構えていたメヘレン(Mechelen)からリールに戻ったという連絡が来ていたので、久々に会うチャンスが生まれた。ベルギー国鉄リール駅で再会したクーンは、昔のままのシンプルでマジメでユーモアと思いやりのある人間だった。

市役所広場で(ベルギーと言えば)ビールを飲みながら彼の来歴を聞き、ひっくりかえった。そもそも彼は将来を嘱望されたバイオリニストで、高校時代にはブリュッセル王立音楽院コンクールで1位をゲット。でも、諸般の事情で演奏家の道は諦め、アントワープ大学法学部、ルーヴェン・カトリック大学ロースクールを経て、弁護士になった。ところが、弁護士の仕事がつまらなくなり、音楽史の研究者になるべく、仕事を辞めてブリュッセル自由大学大学院に入学、ハイデルベルク大学とハーヴァード大学への留学を経て学位を取得し、ブリュッセル自由大学歴史学科の教授になった、というのだ。す、すごいグローバル。

アントンとセンタという2人の子供にも恵まれ、幸せそうだった(ちなみに、完全に奥さんのイルゼの尻に敷かれていた)。

2014年春、2回目のカンファに参加するためルーヴェンに出向き、またリールでクーンに会った。そのとき、かなり体調が悪く、大学も休職していることを知った。手術はムリで化学療法をしているということで、けっして調子は良くなかったはずだが、一日つきあってくれた。リール中を歩きまわりながら、色々なことをしゃべった。

そして、それがクーンと過ごした最後の時間となった。


来春ルーヴェンに行く際にクーンの墓に詣でたいが、先日出したお悔みメールに対するイルゼの返事は、まだ来ていない。また会おう、クーン(Au revoir, Koen)。

2016-11-20

燃え尽き症候群

あっという間に晩秋というか初冬の仙台。

10月は、もう「燃え尽き症候群」としか言いようがない日々であった。肩から首にかけてバリバリのガチガチで、上半身がストレートジャケット状態ゆえ、対向者をヒョイヒョイと避けることができない。そのため、相手とぶつかりたくなかったら、歩くスピードを落とすか、かなり以前から相手の行動を読みつつ歩くか、あるいは人ごみを避けるしかない。これは疲れるし、ナカナカつらかった。フィジカルな問題があるとは思えないので、どうみても、経済史教科書執筆がラストを飾った「頑張った(当社比)日々」の反動だろう。11月に入り、ようやく、ちょっと首が回るようになった。トシはとりたくない……が、とるものはとるのである。

そんななか、今日は、ひさしぶりに東北大学・西洋史研究会の大会(at東北大学)に参加。なんたって共通論題のタイトルが「ゲノム研究は歴史を変える」であり、トークとして

  • 太田弘樹(北里大・医):ゲノムデータから人類史を読み解く方法
  • 西秋良宏(東大・総博):西アジア発「新石器革命」とその拡散
  • 米田譲(東大・総博):骨の科学分析からみた「新石器革命」
  • 中山一大(自治医大・分子病態治療研究センター):農耕・牧畜成立に関連するゲノム多様性

が並び、参加料が1000円ポッキリというのだから、これは「聞かなきゃソン」である。

基本的にはゲノム科学にもとづく考古学・人類学の立場から、紀元前8000年代に西アジアで開始された農耕・牧畜・定住、いわゆる「新石器革命」にアプローチするという企画で、理科音痴のぼくにはツライところもあったが、

  • 新石器革命を経ると、男性の遺伝的多様性が一時激減した(男性間における権力構造の成立を示唆)。
  • 同じころ、ヨーロッパでは乳糖耐性遺伝子が、東アジアではアルコールダメ遺伝子が、おのおの広まりはじめた(農耕の開始との関連の存在を示唆)。
  • 遺伝距離と地理的距離の関係の性差は、父系社会か母系社会かという社会構造のありかたと相関していた。

などなど、眼からウロコがポロポロおちる話が満載。新石器革命は、経済史教科書を書く際にちょいと勉強したので、すさまじく面白かった。燃え尽きた灰にムリヤリ点火するには絶好の機会となったような気がしないでもなくはないといえなくもない、か……って、あれ(「ない」の回数を数えると)これじゃダメじゃん。

2016-10-01

リフレッシュ、できないままに、新学期(五・七・五)。

10月である。

新学期である。

二年ぶりの学部「経済学史」講義のときである。

リフレッシュ期間であるはずの夏休みは滞仏と執筆で終わり、空気は秋。

それにしても、経済史教科書の執筆をはじめとする債務返済のため、ここ一年半ばかり、かなり煮詰った日々を送った気がする。一昨日、最後の債務たる教科書のドラフトを編集者の鈴木さんに送り、昨日からすっかりふぬけているのが自分でもわかる。

とにもかくにも、これで本業たる現代フランス地方都市計画政策史に(相当程度)専念できるかと思うと、とてもうれしいぞ。つぎはペルゴラ(モンペリエの「ゲットー」地区)かピスヴァン(ニームの「ゲットー」地区)か、ワクワクしてくる……のは、日本じゃぼくだけだろうな、きっと。うーむ、われながらマニアックである。

この間、ドラフト執筆のあいまに(ネタと気力が尽きるので、執筆は一日数時間が限度ゆえ)チョコチョコと雑多な本を読んでいた。一部を紹介しておこう。順不同。


  • 白崎映美『鬼うたひ』(亜紀書房、2016)

1980年代から、オルケスタ・デ・ラ・ルスと並んで世界規模で活躍したバンド・上々颱風のボーカルだった白崎さんが全編(出身地の)酒田弁で書いた快著。その圧倒的なパワーには、ひたすらに頭が下がる。単なる酔払い(自称)のはずなのに、釜が崎の三角公園で歌い、東北復興コンサートを妄想爆発状態で企画しつづけている(継続は力なり)白崎さんは、かつての「愛より青い海」(1990)時代の美貌、近年の釜が崎越年闘争コンサートの酔払いノリ、ともに(you tubeでみられるが)相異なる意味で魅力的だ。

いや、良い本を読んだ。

D

  • 遠藤比呂通『希望への権利』(岩波書店、2014)

釜が崎といえば、わすれちゃいけない遠藤さん。われらが東北大学は法学部憲法担当助教授の地位を投げだして釜が崎で弁護士事務所を開いてしまうという「一身にして二生を生きる」快男児のエッセイ。京都の朝鮮学校に対する在特会のヘイトアクションに対する民事裁判でも学校側の弁護人を務めるなど、もーからんしごとを続けるスタンスに、ひたすら喝采。

うーむ、漢(性差別主義的言質)である。


  • 松本哉『世界マヌケ反乱の手引書』(筑摩書房、2016)

高円寺を「ヘンな」世界につくりかえつつある一人・松本さんの「脱力系オルタ文化」マニュアル本。

世界は狭い、その気になれば。

世界はかえられる、その気になれば。

もちろん問題は「その気になるか?」である。その気になった松本さんは、すごい。


  • 磯田道史『無私の日本人』(文芸春秋・文春文庫、2014、初版2012)

仙台周辺だけでイジョーに盛上がった映画『殿、利息でござる!!』の原作。江戸時代の庶民に根付く「無私」の精神を描くというふれこみだが、これがじつは《お上に逆らえない下々+ひたすら無能で強欲なお上=日本》という、涙なしでは読めない日本人論。磯田さんの、篤実な歴史学者として資料を踏まえた淡々たる筆致が、江戸期に遡る日本人のなさけなさをあますところなく活写していて、さらなる涙を誘う。

よーするにバカなのですね、ぼくも含めて。これじゃ欧米に負けるわけだわ、まったく。


  • 矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか(集英社インターナショナル、2016)

というわけで、すべてはダレスにやられた1951年に決まったのである。

なんなんだよ、まったく。

DD 2016/10/19 20:08 あ、あ、あけましておめでとうございます。時は早く過ぎるものでもう2017年ですね(時間の歪み)。以下、読まなくても構いませんので、お時間を有意義にお過ごしください。顔も名前も見せてございませんのに、言いたいことを勝手に申し上げて、気に触るような内容がございましたら、大変失礼なことであると先に謝罪させていただきたいと思います(申し訳ありません)。

10/5,10/7の初回講義は登山してたので行けなかったんですが、先週と今日はこっそり覗かせていただきました。
饒舌だなぁ、山の上にもこんだけしゃべれる人いたらなぁと思いながら、「真面目」に講義を拝聴しておりました。先週のリカードマルクスについても、本日の(ホッブズ)スミスについても少なくとも先生がおっしゃる内容は理解が容易なのですが、むしろ当たり前のようにさえ感じられるため、これが当時は画期的な発想だったということを改めて考えると、文系分野(というか、哲学?)も理系分野(というか、科学)と同じかそれ以上に確実な発展をし続けてきて、今も進行形でそうしているのだろうなと思わされます。
先日受賞者発表で賑わったノーベル賞をとっても、科学の進展は身近に感ぜられますが、文系分野の進展というものは山の住民には親近感が湧かないものです。煮詰まったのかとさえ感じられても、学問の源流を学べば、きっと今(2016だか2017)でもどこかに蒙(啓蒙の蒙)が潜んでいて数百年後に「21世紀としては画期的な発想」と言われる啓蒙思想が生まれることもあるんでしょう。僕は、ご存知の通りで経済学の専攻ではなく、今ホットな分野や主流なんてもちろんわかりません(話にならないですねトホホ…)ので、具体的な議論など以ての外で、そもそもトークが面白いから聞いている経済学史でさえ今の研究とどう結びついているのかがわかりかねると言ったところです(何で来てるの?→トークが面白いから)。
で、今回無理矢理来年からタイムリープしてやってきたのは、(初回でおっしゃったのであろう)経済学史の学ぶアクチュアルな意義を聞きたかったからです。もちろん、繰り返し申せなどと、(山の)上から目線で偉そうなことを言うつもりはございませんので、わざわざここまで読まれて、かつ、お返事いただきたいわけではありませんが、経済学史を学ぶ意義は他の歴史と異なって、経済学を専攻する方にしか意義はないものなのでしょうか(意義はあってもなくても、面白いので僕には関係ないんですが)。アオヴァヤマ収容所では、創成学という、過去や現在の物の生産技術や加工法、創造の一連の過程などを学び、新たな創造の発想力を養うことを目的とした講義がありましたが、これは物作りを専攻してない人には確かにあまり意義の感じられないものかもしれません。
また、スミスが、再生産のシステムと自律さでもって体系化した経済学は、その目指す先に何があるのか、ということも疑問です。

長い文を要約すると、第1回でおっしゃったのかもしれませんが、講義の中では経済学史のどこに着目して、何を考えながら聞けばいいのか教えて欲しいです、というわがままな要望です。本当に失礼ですね(なら書くなよ→はい、すみません、おっしゃる通りで)。

P.S.既にお気づきかもしれませんが、学生のコメントをいじっていた時に探されていた「最近読んだオススメの本教えて」については、1ページの「diminish」(ここ触れましたよね)の、2文目が該当するのではないでしょうか。

odanakanaokiodanakanaoki 2016/10/19 21:00 おお、あの寒い第三講義室にいらっしゃいましたか!! 気づかず、失礼しました……って、ムリか。

で、経済学史のアクチュアリティって、ホント本質的な問題ですよね。

とりあえず「経済学」そのもののアクチュアリティについては、たとえば中央銀行の金融政策にはそれなりに経済理論が利用されているので、ぼくら一般人の日常生活に影響するという意味では「ある」と言ってよいと思います。

問題は経済学「史」のアクチュアリティですが、これはムズカシイなあ。とりあえず経済学部の学生諸君に対しては「各種経済理論をマッピングするときに、歴史からアプローチするのは使える方法だよ」と答えるんですが、Dさんは山の上ですからねえ……うーむ、ムズイ。経済学史に限らず広義の「学説史」の意義については色々な見解があると思いますが、そんなわけで、ぼくは「マッピングに使える」つまりメタ次元で有益だと思っているものの、これは、学説を学んだ人にとってのみ有意味な言説ですよね。やっぱムズカシイなあ。

ちなみに自然科学の諸分野でも「学説史」は実体としては存在するはずですが……数学史とか、物理学史とか……それが授業科目として存在するもんなんでしょうかね? 

ちょっと考えてみます。すごーーーーく時間がかかると思いますが、良き質問をサンクスでした。じゃ、また、良いお年を。

DD 2016/10/19 23:44 相変わらずお返事がお早いですね、ありがたき幸せです。いえいえ、こちらとしても特定されると書き込みにくくなりますしおすし🍣、いないものとしてカウントされた方が都合良いかなぁ…と。

やはり、そうなんですかね、専門分野以外では学説史の有益性は限定的になりますかね。まぁ、ぼくはまだ学部生ですので、専門と言えるほどの能力はないのですが。
工学ですが、学説史のみを扱う科目は未だ確認できていませんので、やはりないのかもしれません。先生によっては扱いますが、講義1回の1/3くらいで、10人の偉人をさらっと触れたりする程度です。工学部はとりわけ、アカデミックな要素が少ないというのもありますが。

本当に貴重なお時間をお返事に割いていただき毎度有難うございます。もう少し拝聴させていただいて、その中で持てる材料をフルで使用しながら僕も考えていこうと思います。では失礼します。。。
寒くなってますので、お身体にはお気をつけてくださいませ。

2016-09-24

次著執筆進捗状況報告

【9月24日】

というわけで、約40日間で四百字400枚のラフを書きあげた。おお、やれば出来るじゃん、自分。お祝いに、明日は一日オフにして、推敲は月曜日からということにしようか。


【2016年8月20日・前口上】

地中海性気候のさわやかなるモンペリエ・ニームから熱帯化しつつある日本に帰って1週間。次々と台風が襲来し、さすが熱帯である。湿度に弱いぼくにとっては、ウームだなあ、この天候。

さて、渡仏前に大体の債務を返済したので、いよいよ敗戦71周年の8月15日を期して、当座残された最後の債務たる「経済史の単著教科書の書下ろし」を始めた。

もっとも、ほぼ準備ゼロで「書いては調べ、調べては書く」という自転車操業なので、放っておくと挫折する危険性がないわけではない。そんなわけで、尊敬する三中信宏さんのご託宣に従い、進行状況を公開することにした。ちなみに

  • 経済史の単独執筆教科書。入門=学部1・2年生レベル。与えられた分量は、大体メドが四百字400枚。それゆえ、大体40枚×10章とする。それに「はじめに」と「おわりに」を付すつもりだが、じつは目次案もなく、全体の構成もまた「走りながら考える」状態。
  • 締切は2017年3月31日。大体6枚を1項とする=6項(+各章に文献案内)で40枚で一章になる。これを、平常運転の=出張や過度に会議・講義が集中していない日のノルマとする。そうすると実質70日で終わるので、さすがに締切はクリアできるのではないだろうか。

という甘い見通しを立てた。


さて、どうなるか。

ヨーイ、スタート!!

  • はじめに

8月15日(月):6枚。

8月16日(火):3枚。これで「はじめに」は終了。

  • 序章

8月16日(続、火):12枚。なぜか気合が入って合計15枚。なぜだ。

8月17日(水):14枚。翌日が会議その他で使えなくなったので、夜に翌日分の執筆を前倒ししたため増えた。

8月20日(土):とりあえず6枚。

→その後、夜になって「明日の分もやって、明日は楽(らく)をしよう」と不埒な気をおこし、さらに8枚書き、合計14枚。これで序章は終了。人間って、やれば出来るんだねパトラッシュ。ぼくは知らなかったよ。

  • 第1章

8月21日(日):6枚。夜になり、やっぱりノルマを果たしてしまう小心者のワタシ。でも「人類の曙」、なにをどうモデル化せよというのか、自分でもよくわかりません。

8月22日(月):6枚。台風接近の報に怯えて自宅勤務を決め込み、朝7時前から書きなぐる一日。

→しかし、昼になっても、まだ台風が来ないじゃないか!! 台風到来遅延記念(?)としてもう6枚書きなぐり、合計12枚。生産者行動理論はちょっと飽きたので、あとは別のしごとをしよう。

8月23日(火):6枚。台風一過なれど、ハーディン1968年論文を読んでオナカイッパイ。「産む自由」の制約ですか、そうですか。続きは明日にしよう。

8月24日(水):8枚。図をハンドライティングで5つ描いたので、もう結構です。

8月25日(木):本文4枚+読書案内4枚で合計8枚。ジャスト40枚で、第一章は終了。次は紀元前8000年か……はやくマトモな経済史教科書になりたい。

  • 第2章

8月26日(金):6枚。まだ新石器時代

8月27日(土):8枚。新石器時代、終わる。これで「人類の曙」から「文明の曙」に前進ということか、いやはや……というのは措いておき、やっぱダグラス・ノース、すげえ。

8月28日(日):9枚。起きたら正午すぎで「これも台風のせいか」と思いつつ、「文明の曙」を迎える。ちょっと長くなったが、これでようやく「普通の経済史のテクストが取扱う内容」に入ることができる……か?

8月29日(月):8枚。仙台直撃が予想される台風接近の報に怯えつつ、まだ「文明の曙」で足踏み。台風も足踏みしようよ、頼むから。明日こそはまくるぞ!!、と決意しつつ、しかし、明日、日本でもっとも弱い鉄道・仙山線は動くのだろうか(こういうとき、免許レスはつらい)。

→その後、夜になって、台風接近祝いということで、さらに6枚。一気に14世紀まで進む。たった6枚で一万年近く進むとは……われながらビックリ。これで、今日は合計14枚。第2章は、あとは読書案内のみ。

→さらに時は過ぎ、読書案内だけ残すのもパッとしないので、3枚書いて合計17枚。ジャスト40枚で、これにて第2章は終了。こんなに進んだのも、みんな台風のおかげです(ウソ)。

  • 第3章

8月30日(火):6枚。「経済史教科書」の記述が、「経済史」全体じゃなくて、ぼくの土地カンがある「西洋経済史」限定化しつつある今日この頃、皆さまにはいかがおすごしでしょうか。台風が運んできた生暖かい空気のなか、ぼくは元気です(強がり)。

8月31日(水):8枚。消費者行動理論の「はじめの一歩」。しかも、まだ終わらない。どこが「経済史の教科書」なのか、40字以内で述べよ(句読点含む)。

→はやく経済史らしい内容に戻りたいので、帰宅してからさらに6枚書き、消費者行動理論の「はじめの一歩」を終わらせる。これで今日は合計14枚。

9月1日(木):6枚。主体均衡論の前半なので「経済史らしい内容」といえるか否かは「?」だが、今日は午後から教授会なので、これで終わり。

9月2日(金):6枚。主体均衡論が終わり、次はいよいよ18世紀である。ようやく経済史っぽくなってきたか?、という気もするが、テーマは「低賃金の経済論」なので、どこが経済史っぽいんだか。でも、午後はマンデヴィルとアダム・スミスとロシア史(山川出版社・世界歴史大系)を読まなきゃならないので、今日はここまで。

9月3日(土):本文4枚と読書案内4枚で、合計8枚。ジャスト40枚で第3章は終了。おお、来週はいよいよ折り返し点たる第4章である。ス・テ・キ。

  • 第4章

9月4日(日):9枚。「資本主義の成立」には、さすがに力が入る。それにしても目覚めたら15時……しばし熟慮のあと、デスクに向かう夕方。夏の疲労が爆発しているのだろうか。しかし、疲労した記憶はないのだが。

9月5日(月):7枚。「労働市場の成立」を終え、次は「資本主義の成長」だが、今日は「ラテン・アメリカ史」(世界各国史、山川出版社)を読まなきゃならない(なぜ?)ので、ここまで。

9月6日(火):8枚。これでどうにか明日は「無制限労働供給モデル」に進むことが出来る。午後は(さすがにそろそろ)授業の準備をしなきゃならないので、きょうはこれまで。

9月7日(水):10枚。「無制限労働供給モデル」ファンなので力が入ったが、疲れた。午後は、会議三昧の予定。

9月8日(木):本文4枚と読書案内2枚で、ジャスト40枚。これにして第4章は終わり。午後は東京で別件(共著『世界史』)の出版最終打合せなので、台風につっこんでゆくことになるのだろうか?

  • 第5章

9月9日(金):導入部を6枚。昨晩は東京泊だったので、仙台の豪雨(30mm/hというのは、この地では稀である)は避けられた。ラッキー。でも枕がかわると眠れないので、アンラッキー。

9月10日(土):6枚。今日は、残りの時間は、授業の準備と別件たる『世界史』の追加部分執筆で終わるであろう。

9月11日(日):7枚。リスクとインセンティヴの議論は面白い……が、先は長い。

→最高気温23度という布団日和の一日ゆえ、ひたすらに昼寝する午後を経て、ようやく夕方になって明日は一日会議三昧であることに気づく。こりゃ何もできないだろうと判断し、「前倒し進行」で明日の分を6枚書く。これで、今日は合計13枚。

9月12日(月):夕方にどうにか時間をみつけ、4枚だけ書く。そういえば、明日から新横浜に出稼ぎではないか。

9月13日(火):夜中から明け方にかけて結構な降雨。とうとう仙台まで熱帯化しつつあるのだろうか。靴をぬらしながらどうにかオフィスにたどり着いて本文7枚と読書案内4枚を書き、これで第5章はメデタク終了。ようやく産業革命である……が、これから会議のあと出稼ぎだ。

  • 第6章

9月15日(木):出稼ぎから昨夜遅く帰宅し、今朝から復帰してとりあえず6枚。午後は教授会なので、今日は「もはやこれまで」。

9月16日(金):出稼ぎ先でどうにも不調となり、どうにか仙台に戻って昨日通院したら「血栓性外痔核」と診断され、のけぞる。先生は「これは痛いね〜〜〜」と感服したあと、おチャメなのか慰めの言葉なのか「痛いけど、治るから、これ」なる言葉をかけてくれたが、続けて「一ヶ月ぐらいかなあ」。喜んでいいのか、悲しむべきか。長時間座っていられないので、立ったり座ったり挙動不信感満載のまま、9枚。ソローモデル、やはり美しい。

9月17日(土):痛む×××(自主検閲済み)をなだめつつ、ソローモデルの続きを11枚。今日の残り時間はインカ文明のお勉強(なぜ?)である。

9月18日(日):朝から7枚。三行革命……じゃなくて産業革命(三行革命とは、古い掛詞であることよ)。

→午後になり、えーい、残りの本文4枚と読書案内3枚をやっつける。合計14枚で、今日は終了。これで第6章も終了。

  • 第7章

9月19日(月):朝から6枚。いよいよ第7章に入り、19世紀後半である。それにしても×××(自主検閲済み)が……いやはや。

→午後になって、台風接近の報を聞きつつ、もう6枚。19世紀後半といえば大企業、大企業といえば独占、独占といえば不完全競争理論である。やっとここまできたか。

→中小企業の行動様式について説明しわすれていたことに気づき、さらに8枚。合計で20枚。ヘロヘロ。

9月20日(火):自然独占について8枚。チョー迷走し、疲れはてる。やっぱり経済学、向いてない。

→夕方になって全面的に間違った理解をしていたことに気付き、書きなおして6枚に後退。やっぱり経済学、全然向いてない。

9月21日(水):独占企業の意思決定で7枚。ネタが尽きつつある感がハンパない。

→そういうときは「前倒し進行」というのが、フランスとつきあっているなかで学んだ生活の知恵。「所有と経営の分離」と「顕示的消費とギッフェン財」を殴り書いて8枚、これで合計15枚。あと第7章は読書案内を残すのみ。ヘロヘロ。

→さらに前倒し進行は続くよ。読書案内を2枚でおさめ、これで第7章は完了。

  • 終章

9月22日(木):導入として前口上を6枚。

9月23日(金):経済史学史を6枚。今日は会議三昧なので、これにて終了。

→「経済史学の誕生」と来たら、今度は「経済史学の発展」だろう。てなわけで、会議の合間をぬって、もう6枚。これで今日は12枚。

9月24日(土):日本の経済史学史を7枚。ネタと気力が尽きはじめている感、ありあり。

→他にすることはないのか!! ハイ、ありません……ということで、こうなったら「経済史学の現在」を独断と偏見とハッタリで5枚にまとめる。そんなんで良いのか? ハイ、良いんです。

→ここまで来たら、やるしかない。まとめを4枚、読書案内を4枚書いて、終章は終わり。

  • あとがき

9月24日(続、土)

当然、これも一気に書いて、イッツ・オーバー。あとは推敲するのみ。

DD 2016/10/01 08:24 定期的(半年に1回)に覗きにくるのですが、何があったのか、僕と師の住む世界の時間軸が違うようですね。
ミスってやんのwと心の中で笑いながら、2017 03のリンクを押して読んでみたら、師の策略に気づいて笑いが止んでしまい…。釣られた魚はこんな気分なんだろうなと。
笑いが止んだと言っても、同時に別の笑いがこみ上げてきて、それはと言うと、半年以上もかけた壮大なフラグである。2017/4/5頃に、「2016年度のうちに終わらせねば」と言ってる先生は想像に難くないが、今年は台風も多いし、いくら多忙と言えど終わってしまうのではとも。師のことであるからまさか、期限をすぎるなんてことはないだろうなぁ、うん、絶対にないか。絶対。
そんなわけで後期の授業日程をお教え願いたい…

odanakanaokiodanakanaoki 2016/10/01 08:24 -あれって、とりわけ理系の皆さんにとっては笑えない内容ですよね、ホントに。あ、ちなみに、ぼくが住んでいる世界では、3月31日の翌日は32日、その翌日は33日……というように、3月末は時空間のゆがみが生じるらしいので、いまから期待しているところです。
-10月からのセメスタですが、ぼくは「経済学史(history of economics)」という授業を水2限・金1限に経済学部(川内南キャンパス)で開講予定です。経済学部第三講義室という、両側ガラス張りで、冬になると(ぼくは歩きながらしゃべっていて結構暑くなるのでオッケーなんですが、座っている)受講生諸君は寒さ我慢大会になることで有名な場所になります。おまけに暖房弱いし。

DD 2016/10/01 08:24 昨年の大雨のときも、先日の台風でも土砂崩れ起こしましたし、確かに笑えませんね。9月が休み期間でよかったです、土砂崩れしても青葉山工科大学の講義は休みになりませんからね。所属のキチガイ学科というところは、地下鉄の最寄駅が、大して寄ってもいないので、地下鉄降りてからが真の登校になるのですよ。通いで、山に収容される身としては、天候までもが敵に回ると、いっそ完全な収容の方が楽なのではとさえ錯覚し始めるのです(言ってることがヤバそう)。まぁ、入院まですれば就職は安定なので、数年間の我慢大会ですね。
他大学の講義に勝手に入るなんてことはするつもりは別にないのですが、参考になります。いえ、決して行きませんよ、まさかぁ〜。

今年こちらでコメントするのも最後かなぁと思うので、ではでは、良いお年をお過ごしください(早い)。来年の3月の終わり頃(いつだろう)には、また""""御邪魔""""しに来ようかと思っています。

odanakanaokiodanakanaoki 2016/10/01 08:25 青葉山工科大学、なにがあっても休講にしませんからね……「雨ニモマケズ」の我慢強さと、なんかしてたどり着くという工夫力は、大いに身に付くと思います。ちなみに地下鉄降りてから機械知能までは、ぜひ青葉山循環キャンパスバスをご利用ください。利用客が少ないといって、上層部が嘆いてました。

それでは、良いお年を(早いね)。

2016-08-04

先は長い。

7:15モンペリエ発の各駅停車に乗り、8時ちょうどにニーム市文書館。11:30まで備え付けのパソコンで資料目録からデータをおとし、古本屋でニーム関係の本を買って、あとは宿で資料リストを作成するべくモンペリエに戻るだけである。

駅に着くと、乗る予定の各駅停車の発車まで15分ある。好天で喉が渇いていたので、駅前のカフェに飛び込み、テラスで「白のハーフ(アン・ドミ・ブランシュ)」を注文。「ハーフ(アン・ドミ)」といえば「ハーフパイント(フランスでは250cc)の生ビール」、「白(ブランシュ)」といえば小麦で出来た白ビール、したがって「白のハーフ」は「ハーフパイントの白ビール」と相場が決まっているはずなのだが、数分たって出てきたのは「ハーフパイントの白ビール」ではなくて「ハーフリットル(500cc)の白ワイン」だった。なぜだ? どうも「ブランシュ」の語尾の発音が小さくてウェイタが聞き取れず「ブラン」ととられたらしい。「アン・ドミ・ド・ブラン」だと、たしかにこれは「ハーフリットルの白ワイン」である……いやはや情けなし。

しかし、悩んでいてもしかたない。残すのはもったいないので10分で9割がた飲みほし、そのまま各駅停車に飛び込んだが、車内で半分意識を失っていたのはここだけのヒミツである……が、良い子はこういう飲み方をしてはいけません。ダメ、ゼッタイ。もっとも電気系統の故障で、ホントは30分でモンペリエに着くところが90分かかり、昼寝できたというのは、これはケガの功名というべきか。


去る月曜日から、かくのごとくニーム市文書館でしごとをしている。ホントはモンペリエの図書館で地元紙『ミディ・リーブル(Midi Libre)』を読むつもりだったが、これがマイクロフィルム化されており、しかも日刊紙なので一か月分で2リール。とても短期間にやっつけられる量じゃないことがわかり、急遽仕事場の変更を余儀なくされたのであった。

ニームは人口15万人と、モンペリエの半分ほどの大きさの町だが、古代ローマ時代以来の歴史を誇り、中心街には結構観光客があふれている……が、市文書館にいってみたら、職員は4人!! 資料保管庫が狭いせいか、閲覧室にまで資料が入った箱があふれ出ている。おかげで閲覧スペース=すわれる椅子は2人分しかないという状況で、モンペリエとずいぶん違って驚かされた。

それでも、館長のヴァゼイユさんはサンパなプロで、あれやこれや教えてくれるし、なによりも資料目録(インベントリー)が完全に電子化されている!! 資料目録を収めた備え付けのパソコン(1台しかないけど)の前にすわり、資料目録ソフトを立ち上げ、キーワードを入れると、関連する資料番号がだーっと出てくる。あとは、それをPDF化してUSBメモリに落とせば一丁上がり。残念ながらパソコンにはアクロバットが入っていないのだが、データを宿にもちかえって自分の(アクロバットが入っている)パソコンで加工すればよいのだから、さほど問題ではない。こんなに短時間で資料リストが出来るとは、これは、これは、すさまじく楽だ。

おまけに、なんと開館が8時。12時から14時までは昼休みで閉まるが、午前中だけで4時間しごとが出来る。ホントにここは南仏なのか? 信じられん。

じつは、ニームはプロテスタントの町なのだった。やっぱり「プロテスタンティズムの倫理」は正しかったんだね、パトラッシュ、ぼくは知らなかったよ。


さて、明日もニーム。ニームでも都市計画(urbanisme)関係の資料はたくさんあるようなので、どう転んでも先は長い。

2016-07-31

団結は力なり。

イスラム教原理主義者のテロが止まらないここフランスであるが、7月もニースでトラックの暴走、ルーアン近郊で教会立てこもりと、人命が失われる事件が相次いでいる。それでは現地の雰囲気はどうか?、というと、

  • それなりにピリピリはしているが、シャルリ・エブドやパリ連続発砲事件のときとは、ちょっと違っているような感じがする。つまり、かつての事件は、イスラム国のメンバーによって計画され、十分な準備の末に決行されたテロだった。これに対してニースやルーアン近郊の事件は、個人が(一見)突発的に決行し、後出しで「イスラム国に忠誠を誓う」とかいうメッセージが出てくる、というプロセスを経ており、集団テロというよりは個人犯罪に近い。そんなわけで、大規模な計画的テロに遭遇する可能性は低下したが、その一方で、個人レベルの小規模な犯罪に巻き込まれる可能性は増加した、という感触。個人的にはダッカでおこった事件のほうが怖いなあ。
  • 個々の事件の「個人犯罪」化に伴い、かの「キリスト教・ヨーロッパvs.イスラム教・オリエント」という対立をあおる、極右勢力お得意の言説がパワーを失っている感がする。それに代わって「イスラム教穏健派がキリスト教会と組み、イスラム教原理主義派と対抗する」という図式が、少しずつ姿を現わしつつある。ルーアン近郊の事件は教会が舞台となり、神父が犠牲者となったが、その後、各地の教会では、イスラム教穏健派のイマームが司祭・神父と肩を並べて祈りをささげるという光景がみられる。教会に集ったクリスチャンとムスリムの目の前で、である。楽観は許されないだろうが、潮目が変わりつつあるのではないか? 使い古された言葉かもしれないが「団結は力なり」なのである。

そんなわけで、今日(日曜日)は「団結は力なり」を実感するべく(?)モンペリエ近郊のフロンティニャン(Frontignan)で開催された「マスカット祭り」に出かけてきた。


f:id:odanakanaoki:20160731182743j:image

ちなみに、これが市役所前広場。へたくそな写真だが、奥にみえるのが1895年建立の市役所、広場の真ん中にはプラタナスの巨木がたち、その下には広場周辺のカフェのテラスが立並ぶという、典型的な南仏の田舎町(フロンティニャンは人口2.5万人)の光景である。


フロンティニャンは、マスカット種(フランス語で「ミュスカ」)を使った甘口ワインであるミュスカ・ド・フロンティニャン(muscat de frontignan)で有名であり、この「マスカット祭り」では、飲めや歌えやの宴会が、一日中街中でくりひろげられる。ぼくも朝から三時間ほど試飲と試食に励んだが、厳戒態勢の「げ」のじもないまま、なんの問題もなく過ぎたのであった……が、とにかく暑いのは、これはしかたがないか。

2016-07-30

海外逃亡中につき。

6月に書上げたペーパーだが、無事にアクセプトされて掲載が決定した。

Naoki Odanaka, "Cinquante ans d'un quartier montpellierain : le Petit-Bard, 1960-2010" (Bulletin Historique de la Ville de Montpellier 38, forthcoming in 2016)

モンペリエのいち地区の半世紀を追うという超マイナーなテーマのペーパーだが、7月16日(土)に暑い京都の関西フランス史研究会で話したら、谷川稔さんや中山洋平さんから暑い……じゃなくて熱いコメントをもらったので、それなりの意義はあるかもしれないというべきだろう。


さて、本題である。24日(日)から3週間の予定でモンペリエに来ている。今日で一週間目が終わったことになるが、あっという間の一週間だった。

そもそも肝心のモンペリエ市文書館(AMM)が

  • 昨年末から同時代部門(section contemporaine、大体1970年代以降が対象)の資料が、保管庫のアスベスト汚染問題でアクセス不能となったのに続き、
  • 近代部門(section moderne、大体フランス革命から1970年代までが対象)についても、数週間前に、館長から「セキュリティ上の理由」でアクセス不能となったというメールをもらう

というステキな状態で、頭を抱えながら当地に着いたのであった。

大体において「セキュリティ上の理由」というのが何を意味するのかまったくわからないのだが、こういうときは「とにかく現地にいって直接聞く」というのが、フランスとつきあうときの鉄則である。

当然ながら鉄則に従い、時差ボケと長旅の疲れで眠い目をこすりつつ25日(月)の朝イチでAMMにゆき、もっとも信頼できるアーキヴィストのピエール=ジュアン・ベルナール(歴史系の大学院を修了しているので、いちばん話が通じる)や、同時代部門のトップであるロール・マソンにランデヴを強要……じゃなくてお願いして、どうにか事態がわかった。要するに近代部門の資料も問題の保管庫に所蔵されていたため、念のため=「セキュリティ上の理由」でアクセスを止め、アスベスト汚染がないか否かチェックしていた、というわけである。

保管庫の脱アスベスト化工事は終わり、また資料についてはアスベスト汚染の有無を調べるテストで「汚染可能性0パーセント」という結果が出たので、あとは市役所の健康・環境委員会のゴーサイン待ちだけ……なのだが、次の委員会の開催が10月半ば!! さすがミディ=地中海沿岸地方、時間の流れ方が違うわ、まったく。


かくのごとく今回はAMMではなにも出来ないので、久しぶりにエロー県文書館(ADH)に通う一週間。いちおう次の研究対象となるはずの地区に関する資料を探したが、なかなかみつからない。やっぱりAMMかねぇと思いつつ、ザハ・ハディドのデザインになる素晴らしき(?)建物を満喫する毎日であった……が、どうでもいいけど町はずれに移転したADH遠すぎ。

しかし!!  

ADHも、来週から夏休みに入る予定。

そこで、来週は、モンペリエ広域自治体連合立中央図書館で地元紙をめくることにした。

ところが!!  

同図書館も、今度は来週末から夏休みに入る予定。

バカンスの時期に来る方が悪いといえば悪いのだが、最後の一週間はなにをすればよいというのだろうか? じつは、ロール・マソンと話していたら、健康・環境委員会のゴーサインがすぐに出るとは限らないので、バックアップ=別の研究対象を考えておいたほうがよいとアドバイスされた。たしかに「ここはフランス」なので、それは大いにありうる。そんなわけで、最後の一週間は、隣県ガール(Gard)の県庁所在地ニーム(Nimes)か、エロー県第二の都市ベジエ(Beziers)の市文書館を訪ね、資料の保管状況をチェックすることにした。「はじめの一歩」なので、それはそれなりに楽しみではあるが、しかし、そもそも開いているのか両市文書館?

おお、あっちに行ったりこっちに行ったり、すばらしきドタバタの3週間となりそうではないか。


そんなノー天気な日々がつづくモンペリエは灼熱の夏日が続いているが、今年は風が強く、日陰に入ると一気に体感温度が下がる。快適な空気のなかで、今後の研究ハンドリングを考える日々としたいのだが、さて。

2016-07-10

カンファだ!! 選挙だ!!

ドイツ・ボーフムのカンファを終え、その足で=カンファ会場からデュッセルドルフ空港に直行して夜のフライトで帰国したところだ……が、これもすべて参議院選挙で投票するためである(ウソ=期日前投票済み)。

ちなみにカンファについては岡本充弘さんのブログをご高覧されたし。3日間で20本近いトークを(それも苦手な英語で)聞くことになったし、なによりも現地滞在たったの72時間だし、成田にたどり着いて、すでにヘロヘロ(すぎて、2日目の夜のレセプションはパスしてホテルで寝落ちしたが、ぼくより年長の岡本さんは余裕で出席……タフだ)。でも、ビジネスマンの皆さんは、きっとこんな日々を送っているんだろうなあ。


さて、諸君、選挙に行きたまえ。

2016-07-01

日韓歴史家会議

日韓歴史家会議であるが、11月5日と6日に、東京のどこか(まだ連絡が来てないので、ぼくも知らない)で開催される予定である。ちなみにプログラムは以下のとおり。


全体テーマ:現代社会と歴史学

(1)第一セッション:大学での人文学と歴史学

  • 小田中直樹(東北大学):ケアリングとしての歴史学へ――「歴史学の社会的有効性」問題に寄せて
  • 金基鳳(京畿大学):人工知能時代、Historia Quovadis

(2)第二セッション

  • 桃木至朗(大阪大学):アジアを正当に位置づけ自国史を完全に組み込んだ世界史を目ざして
  • 柳病戞淵愁Ε訛膤悄法方法としての地域史と東アジア史の可能性

(3)第三セッション

  • 久留島浩(国立歴史民俗博物館):博物館における歴史展示の可能性――歴史的共感能力を鍛えるために
  • 金澔(京仁教育大学):正祖毒殺説――歴史と小説の境界

ずいぶんと先の話だが、韓国/朝鮮語に翻訳する関係上、トークのペーパーを7月末に出す必要があるだろうといわれていた。そんなわけで、ぼくのトーク「ケアリングとしての歴史学へ―〈歴史学の社会的有用性〉問題に寄せて」のペーパーはこちら[PDF format]からご笑覧されたし。一年も半分すぎて、まあ「相変わらず」ではある……が、カウンターパートであるキムさんのタイトル「人工知能時代、historia Quovadis」には、負けた。


勝ち負けはともかくとして、これで、不良債務化しつつあった債務をすべて返した。この半年で、カンファのペーパーを3本(日本語1本、英語2本)、活字になる予定のペーパーを2本(日本語1本、フランス語1本)書いたことになる。疲れたよパトラッシュ……と眠りにつきたいところだが、いよいよ真打・経済史の教科書が待っている。なぁぁぁぁぁんにも準備していないのに、ホントに来年3月に書きあがっているのだろうか。われながら心配は尽きない。


ま、そんなわけで、しばらくは、新しい仕事は一切引受けないことにする。じゃなくて、加齢のため、引受けられないにちがいない。

2016-06-28

ドイツだ!!

日韓歴史家会議のトーク用のドラフトを殴り書きあげたと思ったら、もう来週はドイツではないか。30年ぶりのドイツで、30分一本勝負(トーク10分、質疑応答20分)。

それにしても、もう今年も半分終わる。は、は、早すぎるぞ、時間たつのが。


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2016-06-05

業務報告(のみ)。

【6月10日追記】

邦文ペーパー、本日、四百字42枚弱で完了。50枚という話だったが、ま、こんなもんでいいだろう。編者に送信して納品し、一件落着である。

次は、多分、日韓歴史家会議用のペーパー「ケアリングとしての歴史学へ」(仮題、7月末締切)ということになるような気がするのだが。

多分。


【6月8日追記】

仏文ペーパーは、さきほど校正があがってきたので、チェックして先方に納品し、これで万事完了。あとは「オッケー」が出るのを祈るのみ。頼んだぞピエール=ジョアン、きみだけが頼りだ。

邦文ペーパーは、快調に(?)書きなぐる毎日。それにしても筆が荒れるなあ、モチベーションが低いと。


【本文】

6月末締切の仏文ペーパー"Cinquante ans d'un quartier montpellierain : Le Petit Bard, 1960-2010"を書上げて仏文校正に出す週末。校正から返ってきたら最終チェックして投稿ということで、どうにか間に合いそうだ。


おお、やれば出来るじゃないか、自分!!


さて、次は、同じく6月末締切の邦文ペーパー「現代フランスにおける〈都市問題〉の語りかた:エロー県モンペリエ市セヴェンヌ地区の事例」が待ちかまえている。当然ながら(というか、諸般の事情でいまいちノリきれないところがあり、それゆえ)まだ一文字も書いていない、どころか構成すら考えていない、どころかリサーチすらろくに、というよりもぜーんぜん進んでいないのだが……うーむ、はて、さて、これって。

2016-05-16

おしごと、ひとつ終了。

ゴールデンウィーク前半の全身全霊(大げさ)を捧げた「歴史叙述ワークショップ」(ドイツ・ボーフム、7月7-9日)用の拙文"History Regimes in High School World History Textbooks in Contemporary Japan"(東北大学TERGディスカッション・ペーパー350、2016)[PDF Format]が英文校正から戻ってきたので、ご覧に供したい。ある高校世界史教科書の初版(1973)と第3版(2014)を「時間の構造」、「空間の構造」、そして「具体的な叙述のスタイル」について比較し、見出された異同を史学史のなかに位置づけるという「会心の内野安打」である。もちろんフランソワ・アルトーグ「歴史の体制」論を援用したことは、いうまでもないだろう。


それにして英文校正、例によって修正で真っ赤……えーい、英語なんかキライだ(頭韻踏んでます)。

2016-05-05

一難去って、また(さらにデカい)一難。

ぼくらの業界では「黄金週間」と書いて「じぶんのしごとのかきいれどき」と読むことになっているのだが、ことしはチョー「かきいれどき」となった黄金週間前半戦。気づいたら、はやくも後半戦である。

せっかく先月末にソウルで『国民を書く(Writing the Nation)』シリーズ書評フォーラムがあり、出ばってトークして一難去ったはずだというのに、なんでこうなったのか? じつは、さらにデカい一難が降ってきたのである。

  • ソウルで再会したシュテファン・バーガー(ドイツ、ルール大学ボーフム校)から、仙台に戻る日の朝に「7月初めにボーフムで歴史叙述関連のワークショップやるから、トークしに来ないか?」というメールが届いたのが、そもそもの始まり。
  • 6月末締切の「ホームグラウンド」=現代フランス都市史関連のペーパーを書かにゃならんので、他のことに気を回す余裕はないのだが、添付されていたプログラムを見ると、ひとりあたり質疑込みで30分と大したこともなさそうだし、たまには本場のビールとソーセージとジャガイモを試すのも悪くないだろうし、バーガーいいやつだし業界の大物だし、と軽く判断してオッケーしたのが、運のつき。
  • そもそも、この手の話には、だんだん話がデカくなる「三段スライド方式」((c)小田中直樹、ちなみに、ぼくらの世代には懐かしい「伊東に行くならハトヤ」は「三段逆スライド方式」)が付き物である。そんなわけで、若干の不安を抱いていたところ、オッケー後に届いたRA(リサーチ・アシスタント、研究補助学生)のピアからのメールを見て、ビンゴ!!
  • なんと、事前に4000-6000ワードの英文ペーパーを準備して送付すること、とある。しかも、さすが几帳面なドイツ人らしく、脚注と文献リストの形式(アメリカ心理学会スタイル、だと)まで指定されているという丁寧さ。出版でも念頭に置いてんのか?
  • さらに、ペーパーの締切が6月1日とは、オー・マイ・ガッ!! 聞いてねーぞ。
  • 判断力に欠ける我が身を呪いつつ、しかし、ここまでくると、いまさらあとには引き下がれないではないか(引き下がりたいけど)。
  • そんなわけで、4月29日に黄金週間(じぶんのしごとのかきいれどき)に入るや否や、号砲一発、一日500ワードをノルマとして、旧ソ連の社会主義労働英雄よろしくペーパーを殴り書く日々が始まったのであった。まさにゲルマン魂である(違うか)。
  • 朝一番に書きはじめ、昼すぎにその日の分を書きおえると、もう頭が完全なガス欠状態で、まったく働かなくなる。しかたないので昼酒から昼寝、そのまま夜寝、というパターン。当然、顔は仏頂面、態度はけんか腰、周囲はピリピリである。
  • し・か・し。正義は必ず勝つ!! 
  • なんと5日間で4500ワード書上げ(でっちあげ、ともいうが)、昨日、推敲してから、無事、英文校正に出したのであった。いちにちへいきん900わーどってすごい、こんなじぶんをほめてあげたいとおもいます。

これで今日から晴れてホントの黄金週間(じぶんのしごとのかきいれどき)、胸を張って現代フランス都市史に戻れることになった……が、はっきり言って、頭はヘロヘロである。できれば温泉にでも行って命の洗濯をしたいのだが、ホント。

ちなみに肝心のボーフムは、ぼくの勤務先が(当然)まだ授業期間中ということもあり、成田・デュッセルドルフ経由で3泊5日。ワークショップは3日間なので、どう考えても、きっと「逃げ場なし、休みなし」の日々となることであらう。

2016-05-04

マトモな新聞記事に出会うということ。

最近なかなかマトモな新聞記事に出会わないのだが、仙台の地元紙『河北新報』の5月1日付朝刊に載った熊本地震関連の記事「二つの被災地つなぐ使命胸に」は、心を打つ文章だった。

  • 河添記者グッジョブ――面識ないけど。
  • 『河北新報』も捨てたもんじゃないんだねパトラッシュ、ぼくは知らなかったよ――上から目線。
  • でもぼくは、2014年夏のイタイ「柏葉竜記者」経験があるから、それ以来『河北新報』は基本的に取材拒否だけどね、うん――関係なし。

ま、どうでもいい柏葉竜記者はどうでもいいので措いといて、せっかくなので当該記事を転載しておきたい。一読して(ぼくのように)感涙にむせび泣くがよいわ。


「<熊本地震>二つの被災地つなぐ使命胸に」

――古里の現場を取材して/報道部・河添結日(ゆいか)(26)――


 4月14日午後9時26分、古里の熊本が一瞬で被災地になった。被災地という言葉はそれまで東北を指すと思い込んでいた。同15〜26日、現地を取材し、熊本と東北の二つの被災地の現状を伝え、つなぐことが使命だと感じた。


 実家は熊本市東区沼山津(ぬやまづ)にある。大きな被害を受けた益城(ましき)町と隣接し、町役場まで約4キロと近い。繰り返しテレビに映し出される見慣れた建物が倒壊した風景。混乱と不安で、居ても立ってもいられなかった。職場に駆け付け、現地取材の許可を得た。

 15日早朝、仙台を出発し新幹線と飛行機を乗り継ぎ、約6時間後に熊本に着いた。家族や実家は無事だったが、庭には最大約20センチ幅の地割れが何本も走り、隣家の境のブロック塀が崩れている。地震の威力をひしひしと感じた。

 1.5キロの小学校の通学路。夏に暑さをしのいだお堂はつぶれ、道は瓦が散乱し、ひっくり返った建物でふさがれている。台風や大雨はよくあるが、まさか地震が起きるとは。当たり前に存在し続けると思っていた景色の無残な変わりように、胸が締め付けられた。


 共同通信社の記者で、昨年5月から河北新報社に出向している。東日本大震災の被災地の人々が人口減少に適応しながら、心豊かに暮らす姿を描く連載「適少社会」を担当、宮城県南三陸町や石巻市を取材した。

 東北の震災前や直後の風景を知らない。取材で話を聞き想像するしかなかった。古里を失う苦しみ、悲しみ、むなしさ−。わが身に起きて初めて、痛いほど分かった。今までどこか人ごとだったのかもしれない。

 16日未明、実家で就寝中に本震が起きた。震度6強。ジェットコースターのように全身が大きく揺さぶられる。家じゅうに物が散乱し、消防車や救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえる。朝、街を歩くと、明らかに状況が悪化した光景が広がっていた。


 取材は東北と熊本の両方の視点を意識した。震災を機に南三陸町に移住し、今回、熊本でボランティアに奮闘する益城町出身の同い年の女性。石巻での医療支援の経験を糧に、避難者の心のケアに当たる熊本の医師。頭にタオルを巻き、避難所運営に奔走する小学校時代の担任。地元のために必死に踏ん張る同郷の人。皆に奮い立たされた。

 河北新報の腕章を着けて避難所を歩いていると、避難者や支援者など多くの人が声を掛けてきた。「震災を心配していた」「東北にもボランティアで行った」。熊本をはじめ、全国各地の人が今も東北に心を寄せてくれていた。その思いにもまた、鼓舞された。

 実家の近所や幼なじみの被災した家は、引っ越したり建て替えたりすることになったと聞く。慣れ親しんだ地域の変容に、むなしさがあふれる。東北の被災地で見聞きした状況が、目の前の現実となった。

 1000キロ以上離れた二つの被災地のはざまに立ち、これからも「伝える」という使命を精いっぱい全うしたい。それが私にできる熊本と東北の復興への貢献だと信じている。

2016-04-28

(例によって)知は力である。

エブリバディ・ウェルカムということで。

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2016-04-21

熊本地震に想う(2)。

ソウルにありつつ、勤務先の「課外・ボランティア活動支援センター長」として、熊本地震とのつきあい方に想いをめぐらせている。

そんななか、今日の『西日本新聞』に、またもや大フォントで怒鳴りたくなる記事を発見。


政府現地本部長交代 暴言続き地元がNO、事実上の更迭


 政府は20日、熊本地震の政府現地対策本部長を松本文明内閣府副大臣から酒井庸行内閣府政務官に交代したと発表した。松本氏は15日から、熊本県庁内の対策本部で政府と被災地の連絡調整を担っていたが、言動を熊本県や被災自治体から批判されており、事実上の更迭との指摘がある。

 菅義偉官房長官は交代理由を「昼夜たがわず食料支援などで指揮をした。体力面を考慮した」と説明。河野太郎防災担当相は「交代は予定通り」と強調した。

 一方、政府関係者は西日本新聞の取材に「(松本氏は)県との連携がうまくいっていなかった」と認めた。別の関係者も、松本氏が本部長を続ければ「政権に大打撃となる。早め早めに手を打った」と話した。

 関係者によると、松本氏は食事におにぎりが配られたときに「こんな食事じゃ戦はできない」と不満を口にした。避難所への支援物資配布を巡って「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」と、地元の自治体職員に声を荒らげたこともあったという。

 県や被災自治体は「松本氏が震災対応の邪魔になっている」と不信感を募らせていた。松本氏は政権幹部に電話で「怒鳴ってしまいました」と謝ったという。

 松本氏は20日、官邸で安倍晋三首相に報告した後、記者団に「びしびしと言い過ぎたことが批判につながっているなら、甘んじて受ける」と語り、おにぎりの件について「そういう事実はない」と否定した。


松本さんの言動、ツッコミどころ満載。

  • 電話して謝る相手、違うだろーが。
  • 「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」なる発言が「びしびしと言い過ぎたこと」にあたると思ってるんだとしたら、小学生以下。ま、どう転んでも、ぜんぜん文明(ここ名前と掛け言葉になってるので、よろしく)の香りも知性も品性も感じられない釈明の言ではある。

こんな日本にだれがした。


はい、わたしたち有権者です。