小田中直樹〈たまに〉仙台ドタバタ記

2017-03-31

次著執筆進捗状況報告【終わるまで常にトップ……って、いつ終わるのか?】

[2016年8月20日・前口上]

地中海性気候のさわやかなるモンペリエ・ニームから熱帯化しつつある日本に帰って1週間。次々と台風が襲来し、さすが熱帯である。湿度に弱いぼくにとっては、ウームだなあ、この天候。

さて、渡仏前に大体の債務を返済したので、いよいよ敗戦71周年の8月15日を期して、当座残された最後の債務たる「経済史の単著教科書の書下ろし」を始めた。

もっとも、ほぼ準備ゼロで「書いては調べ、調べては書く」という自転車操業なので、放っておくと挫折する危険性がないわけではない。そんなわけで、尊敬する三中信宏さんのご託宣に従い、進行状況を公開することにした。ちなみに

  • 経済史の単独執筆教科書。入門=学部1・2年生レベル。与えられた分量は、大体メドが四百字400枚。それゆえ、大体40枚×10章とする。それに「はじめに」と「おわりに」を付すつもりだが、じつは目次案もなく、全体の構成もまた「走りながら考える」状態。
  • 締切は2017年3月31日。大体6枚を1項とする=6項(+各章に文献案内)で40枚で一章になる。これを、平常運転の=出張や過度に会議・講義が集中していない日のノルマとする。そうすると実質70日で終わるので、さすがに締切はクリアできるのではないだろうか。

という甘い見通しを立てた。


さて、どうなるか。以下、下から上に進むことにする。

8月28日(日):9枚。起きたら正午すぎで「これも台風のせいか」と思いつつ、文明の曙を迎える。ちょっと長くなったが、これでようやく「普通の経済史のテクストが取扱う内容」に入ることができる。

8月27日(土):8枚。新石器時代、終わる。これで「人類の曙」から「文明の曙」に前進ということか、いやはや……というのは措いておき、やっぱダグラス・ノース、すげえ。

8月26日(金):6枚。まだ新石器時代。

  • 第二章

8月25日(木):本文4枚+読書案内4枚で合計8枚。ジャスト40枚で、第一章は終了。次は紀元前8000年か……はやくマトモな経済史教科書になりたい。

8月24日(水):8枚。図をハンドライティングで5つ描いたので、もう結構です。

8月23日(火):6枚。台風一過なれど、ハーディン1968年論文を読んでオナカイッパイ。「産む自由」の制約ですか、そうですか。続きは明日にしよう。

8月22日(月):6枚。台風接近の報に怯えて自宅勤務を決め込み、朝7時前から書きなぐる一日。しかし、昼になっても、まだ台風が来ないじゃないか!! 台風到来遅延記念(?)としてもう6枚書きなぐり、合計12枚。生産者行動理論はちょっと飽きたので、あとは別のしごとをしよう。

8月21日(日):6枚。夜になり、やっぱりノルマを果たしてしまう小心者のワタシ。でも「人類の曙」、なにをどうモデル化せよというのか、自分でもよくわかりません。

  • 第1章

8月20日(土):6枚。その後、夜になって「明日の分もやって、明日は楽(らく)をしよう」と不埒な気をおこし、さらに8枚書き、合計14枚。これで序章は終了。人間って、やれば出来るんだねパトラッシュ。ぼくは知らなかったよ。

8月17日(水):14枚。翌日が会議その他で使えなくなったので、夜に翌日分の執筆を前倒ししたため増えた。

8月16日(続、火):12枚。なぜか気合が入って合計15枚。なぜだ。

  • 序章

8月16日(火):3枚。これで「はじめに」は終了。

8月15日(月):6枚。

  • はじめに

ヨーイ、スタート!!

2016-08-04

先は長い。

7:15モンペリエ発の各駅停車に乗り、8時ちょうどにニーム市文書館。11:30まで備え付けのパソコンで資料目録からデータをおとし、古本屋でニーム関係の本を買って、あとは宿で資料リストを作成するべくモンペリエに戻るだけである。

駅に着くと、乗る予定の各駅停車の発車まで15分ある。好天で喉が渇いていたので、駅前のカフェに飛び込み、テラスで「白のハーフ(アン・ドミ・ブランシュ)」を注文。「ハーフ(アン・ドミ)」といえば「ハーフパイント(フランスでは250cc)の生ビール」、「白(ブランシュ)」といえば小麦で出来た白ビール、したがって「白のハーフ」は「ハーフパイントの白ビール」と相場が決まっているはずなのだが、数分たって出てきたのは「ハーフパイントの白ビール」ではなくて「ハーフリットル(500cc)の白ワイン」だった。なぜだ? どうも「ブランシュ」の語尾の発音が小さくてウェイタが聞き取れず「ブラン」ととられたらしい。「アン・ドミ・ド・ブラン」だと、たしかにこれは「ハーフリットルの白ワイン」である……いやはや情けなし。

しかし、悩んでいてもしかたない。残すのはもったいないので10分で9割がた飲みほし、そのまま各駅停車に飛び込んだが、車内で半分意識を失っていたのはここだけのヒミツである……が、良い子はこういう飲み方をしてはいけません。ダメ、ゼッタイ。もっとも電気系統の故障で、ホントは30分でモンペリエに着くところが90分かかり、昼寝できたというのは、これはケガの功名というべきか。


去る月曜日から、かくのごとくニーム市文書館でしごとをしている。ホントはモンペリエの図書館で地元紙『ミディ・リーブル(Midi Libre)』を読むつもりだったが、これがマイクロフィルム化されており、しかも日刊紙なので一か月分で2リール。とても短期間にやっつけられる量じゃないことがわかり、急遽仕事場の変更を余儀なくされたのであった。

ニームは人口15万人と、モンペリエの半分ほどの大きさの町だが、古代ローマ時代以来の歴史を誇り、中心街には結構観光客があふれている……が、市文書館にいってみたら、職員は4人!! 資料保管庫が狭いせいか、閲覧室にまで資料が入った箱があふれ出ている。おかげで閲覧スペース=すわれる椅子は2人分しかないという状況で、モンペリエとずいぶん違って驚かされた。

それでも、館長のヴァゼイユさんはサンパなプロで、あれやこれや教えてくれるし、なによりも資料目録(インベントリー)が完全に電子化されている!! 資料目録を収めた備え付けのパソコン(1台しかないけど)の前にすわり、資料目録ソフトを立ち上げ、キーワードを入れると、関連する資料番号がだーっと出てくる。あとは、それをPDF化してUSBメモリに落とせば一丁上がり。残念ながらパソコンにはアクロバットが入っていないのだが、データを宿にもちかえって自分の(アクロバットが入っている)パソコンで加工すればよいのだから、さほど問題ではない。こんなに短時間で資料リストが出来るとは、これは、これは、すさまじく楽だ。

おまけに、なんと開館が8時。12時から14時までは昼休みで閉まるが、午前中だけで4時間しごとが出来る。ホントにここは南仏なのか? 信じられん。

じつは、ニームはプロテスタントの町なのだった。やっぱり「プロテスタンティズムの倫理」は正しかったんだね、パトラッシュ、ぼくは知らなかったよ。


さて、明日もニーム。ニームでも都市計画(urbanisme)関係の資料はたくさんあるようなので、どう転んでも先は長い。

2016-07-31

団結は力なり。

イスラム教原理主義者のテロが止まらないここフランスであるが、7月もニースでトラックの暴走、ルーアン近郊で教会立てこもりと、人命が失われる事件が相次いでいる。それでは現地の雰囲気はどうか?、というと、

  • それなりにピリピリはしているが、シャルリ・エブドやパリ連続発砲事件のときとは、ちょっと違っているような感じがする。つまり、かつての事件は、イスラム国のメンバーによって計画され、十分な準備の末に決行されたテロだった。これに対してニースやルーアン近郊の事件は、個人が(一見)突発的に決行し、後出しで「イスラム国に忠誠を誓う」とかいうメッセージが出てくる、というプロセスを経ており、集団テロというよりは個人犯罪に近い。そんなわけで、大規模な計画的テロに遭遇する可能性は低下したが、その一方で、個人レベルの小規模な犯罪に巻き込まれる可能性は増加した、という感触。個人的にはダッカでおこった事件のほうが怖いなあ。
  • 個々の事件の「個人犯罪」化に伴い、かの「キリスト教・ヨーロッパvs.イスラム教・オリエント」という対立をあおる、極右勢力お得意の言説がパワーを失っている感がする。それに代わって「イスラム教穏健派がキリスト教会と組み、イスラム教原理主義派と対抗する」という図式が、少しずつ姿を現わしつつある。ルーアン近郊の事件は教会が舞台となり、神父が犠牲者となったが、その後、各地の教会では、イスラム教穏健派のイマームが司祭・神父と肩を並べて祈りをささげるという光景がみられる。教会に集ったクリスチャンとムスリムの目の前で、である。楽観は許されないだろうが、潮目が変わりつつあるのではないか? 使い古された言葉かもしれないが「団結は力なり」なのである。

そんなわけで、今日(日曜日)は「団結は力なり」を実感するべく(?)モンペリエ近郊のフロンティニャン(Frontignan)で開催された「マスカット祭り」に出かけてきた。


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ちなみに、これが市役所前広場。へたくそな写真だが、奥にみえるのが1895年建立の市役所、広場の真ん中にはプラタナスの巨木がたち、その下には広場周辺のカフェのテラスが立並ぶという、典型的な南仏の田舎町(フロンティニャンは人口2.5万人)の光景である。


フロンティニャンは、マスカット種(フランス語で「ミュスカ」)を使った甘口ワインであるミュスカ・ド・フロンティニャン(muscat de frontignan)で有名であり、この「マスカット祭り」では、飲めや歌えやの宴会が、一日中街中でくりひろげられる。ぼくも朝から三時間ほど試飲と試食に励んだが、厳戒態勢の「げ」のじもないまま、なんの問題もなく過ぎたのであった……が、とにかく暑いのは、これはしかたがないか。

2016-07-30

海外逃亡中につき。

6月に書上げたペーパーだが、無事にアクセプトされて掲載が決定した。

Naoki Odanaka, "Cinquante ans d'un quartier montpellierain : le Petit-Bard, 1960-2010" (Bulletin Historique de la Ville de Montpellier 38, forthcoming in 2016)

モンペリエのいち地区の半世紀を追うという超マイナーなテーマのペーパーだが、7月16日(土)に暑い京都の関西フランス史研究会で話したら、谷川稔さんや中山洋平さんから暑い……じゃなくて熱いコメントをもらったので、それなりの意義はあるかもしれないというべきだろう。


さて、本題である。24日(日)から3週間の予定でモンペリエに来ている。今日で一週間目が終わったことになるが、あっという間の一週間だった。

そもそも肝心のモンペリエ市文書館(AMM)が

  • 昨年末から同時代部門(section contemporaine、大体1970年代以降が対象)の資料が、保管庫のアスベスト汚染問題でアクセス不能となったのに続き、
  • 近代部門(section moderne、大体フランス革命から1970年代までが対象)についても、数週間前に、館長から「セキュリティ上の理由」でアクセス不能となったというメールをもらう

というステキな状態で、頭を抱えながら当地に着いたのであった。

大体において「セキュリティ上の理由」というのが何を意味するのかまったくわからないのだが、こういうときは「とにかく現地にいって直接聞く」というのが、フランスとつきあうときの鉄則である。

当然ながら鉄則に従い、時差ボケと長旅の疲れで眠い目をこすりつつ25日(月)の朝イチでAMMにゆき、もっとも信頼できるアーキヴィストのピエール=ジュアン・ベルナール(歴史系の大学院を修了しているので、いちばん話が通じる)や、同時代部門のトップであるロール・マソンにランデヴを強要……じゃなくてお願いして、どうにか事態がわかった。要するに近代部門の資料も問題の保管庫に所蔵されていたため、念のため=「セキュリティ上の理由」でアクセスを止め、アスベスト汚染がないか否かチェックしていた、というわけである。

保管庫の脱アスベスト化工事は終わり、また資料についてはアスベスト汚染の有無を調べるテストで「汚染可能性0パーセント」という結果が出たので、あとは市役所の健康・環境委員会のゴーサイン待ちだけ……なのだが、次の委員会の開催が10月半ば!! さすがミディ=地中海沿岸地方、時間の流れ方が違うわ、まったく。


かくのごとく今回はAMMではなにも出来ないので、久しぶりにエロー県文書館(ADH)に通う一週間。いちおう次の研究対象となるはずの地区に関する資料を探したが、なかなかみつからない。やっぱりAMMかねぇと思いつつ、ザハ・ハディドのデザインになる素晴らしき(?)建物を満喫する毎日であった……が、どうでもいいけど町はずれに移転したADH遠すぎ。

しかし!!  

ADHも、来週から夏休みに入る予定。

そこで、来週は、モンペリエ広域自治体連合立中央図書館で地元紙をめくることにした。

ところが!!  

同図書館も、今度は来週末から夏休みに入る予定。

バカンスの時期に来る方が悪いといえば悪いのだが、最後の一週間はなにをすればよいというのだろうか? じつは、ロール・マソンと話していたら、健康・環境委員会のゴーサインがすぐに出るとは限らないので、バックアップ=別の研究対象を考えておいたほうがよいとアドバイスされた。たしかに「ここはフランス」なので、それは大いにありうる。そんなわけで、最後の一週間は、隣県ガール(Gard)の県庁所在地ニーム(Nimes)か、エロー県第二の都市ベジエ(Beziers)の市文書館を訪ね、資料の保管状況をチェックすることにした。「はじめの一歩」なので、それはそれなりに楽しみではあるが、しかし、そもそも開いているのか両市文書館?

おお、あっちに行ったりこっちに行ったり、すばらしきドタバタの3週間となりそうではないか。


そんなノー天気な日々がつづくモンペリエは灼熱の夏日が続いているが、今年は風が強く、日陰に入ると一気に体感温度が下がる。快適な空気のなかで、今後の研究ハンドリングを考える日々としたいのだが、さて。

2016-07-10

カンファだ!! 選挙だ!!

ドイツ・ボーフムのカンファを終え、その足で=カンファ会場からデュッセルドルフ空港に直行して夜のフライトで帰国したところだ……が、これもすべて参議院選挙で投票するためである(ウソ=期日前投票済み)。

ちなみにカンファについては岡本充弘さんのブログをご高覧されたし。3日間で20本近いトークを(それも苦手な英語で)聞くことになったし、なによりも現地滞在たったの72時間だし、成田にたどり着いて、すでにヘロヘロ(すぎて、2日目の夜のレセプションはパスしてホテルで寝落ちしたが、ぼくより年長の岡本さんは余裕で出席……タフだ)。でも、ビジネスマンの皆さんは、きっとこんな日々を送っているんだろうなあ。


さて、諸君、選挙に行きたまえ。

2016-07-01

日韓歴史家会議

日韓歴史家会議であるが、11月5日と6日に、東京のどこか(まだ連絡が来てないので、ぼくも知らない)で開催される予定である。ちなみにプログラムは以下のとおり。


全体テーマ:現代社会と歴史学

(1)第一セッション:大学での人文学と歴史学

  • 小田中直樹(東北大学):ケアリングとしての歴史学へ――「歴史学の社会的有効性」問題に寄せて
  • 金基鳳(京畿大学):人工知能時代、Historia Quovadis

(2)第二セッション

  • 桃木至朗(大阪大学):アジアを正当に位置づけ自国史を完全に組み込んだ世界史を目ざして
  • 柳病戞淵愁Ε訛膤悄法方法としての地域史と東アジア史の可能性

(3)第三セッション

  • 久留島浩(国立歴史民俗博物館):博物館における歴史展示の可能性――歴史的共感能力を鍛えるために
  • 金澔(京仁教育大学):正祖毒殺説――歴史と小説の境界

ずいぶんと先の話だが、韓国/朝鮮語に翻訳する関係上、トークのペーパーを7月末に出す必要があるだろうといわれていた。そんなわけで、ぼくのトーク「ケアリングとしての歴史学へ―〈歴史学の社会的有用性〉問題に寄せて」のペーパーはこちら[PDF format]からご笑覧されたし。一年も半分すぎて、まあ「相変わらず」ではある……が、カウンターパートであるキムさんのタイトル「人工知能時代、historia Quovadis」には、負けた。


勝ち負けはともかくとして、これで、不良債務化しつつあった債務をすべて返した。この半年で、カンファのペーパーを3本(日本語1本、英語2本)、活字になる予定のペーパーを2本(日本語1本、フランス語1本)書いたことになる。疲れたよパトラッシュ……と眠りにつきたいところだが、いよいよ真打・経済史の教科書が待っている。なぁぁぁぁぁんにも準備していないのに、ホントに来年3月に書きあがっているのだろうか。われながら心配は尽きない。


ま、そんなわけで、しばらくは、新しい仕事は一切引受けないことにする。じゃなくて、加齢のため、引受けられないにちがいない。

2016-06-28

ドイツだ!!

日韓歴史家会議のトーク用のドラフトを殴り書きあげたと思ったら、もう来週はドイツではないか。30年ぶりのドイツで、30分一本勝負(トーク10分、質疑応答20分)。

それにしても、もう今年も半分終わる。は、は、早すぎるぞ、時間たつのが。


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2016-06-05

業務報告(のみ)。

【6月10日追記】

邦文ペーパー、本日、四百字42枚弱で完了。50枚という話だったが、ま、こんなもんでいいだろう。編者に送信して納品し、一件落着である。

次は、多分、日韓歴史家会議用のペーパー「ケアリングとしての歴史学へ」(仮題、7月末締切)ということになるような気がするのだが。

多分。


【6月8日追記】

仏文ペーパーは、さきほど校正があがってきたので、チェックして先方に納品し、これで万事完了。あとは「オッケー」が出るのを祈るのみ。頼んだぞピエール=ジョアン、きみだけが頼りだ。

邦文ペーパーは、快調に(?)書きなぐる毎日。それにしても筆が荒れるなあ、モチベーションが低いと。


【本文】

6月末締切の仏文ペーパー"Cinquante ans d'un quartier montpellierain : Le Petit Bard, 1960-2010"を書上げて仏文校正に出す週末。校正から返ってきたら最終チェックして投稿ということで、どうにか間に合いそうだ。


おお、やれば出来るじゃないか、自分!!


さて、次は、同じく6月末締切の邦文ペーパー「現代フランスにおける〈都市問題〉の語りかた:エロー県モンペリエ市セヴェンヌ地区の事例」が待ちかまえている。当然ながら(というか、諸般の事情でいまいちノリきれないところがあり、それゆえ)まだ一文字も書いていない、どころか構成すら考えていない、どころかリサーチすらろくに、というよりもぜーんぜん進んでいないのだが……うーむ、はて、さて、これって。

2016-05-16

おしごと、ひとつ終了。

ゴールデンウィーク前半の全身全霊(大げさ)を捧げた「歴史叙述ワークショップ」(ドイツ・ボーフム、7月7-9日)用の拙文"History Regimes in High School World History Textbooks in Contemporary Japan"(東北大学TERGディスカッション・ペーパー350、2016)[PDF Format]が英文校正から戻ってきたので、ご覧に供したい。ある高校世界史教科書の初版(1973)と第3版(2014)を「時間の構造」、「空間の構造」、そして「具体的な叙述のスタイル」について比較し、見出された異同を史学史のなかに位置づけるという「会心の内野安打」である。もちろんフランソワ・アルトーグ「歴史の体制」論を援用したことは、いうまでもないだろう。


それにして英文校正、例によって修正で真っ赤……えーい、英語なんかキライだ(頭韻踏んでます)。

2016-05-05

一難去って、また(さらにデカい)一難。

ぼくらの業界では「黄金週間」と書いて「じぶんのしごとのかきいれどき」と読むことになっているのだが、ことしはチョー「かきいれどき」となった黄金週間前半戦。気づいたら、はやくも後半戦である。

せっかく先月末にソウルで『国民を書く(Writing the Nation)』シリーズ書評フォーラムがあり、出ばってトークして一難去ったはずだというのに、なんでこうなったのか? じつは、さらにデカい一難が降ってきたのである。

  • ソウルで再会したシュテファン・バーガー(ドイツ、ルール大学ボーフム校)から、仙台に戻る日の朝に「7月初めにボーフムで歴史叙述関連のワークショップやるから、トークしに来ないか?」というメールが届いたのが、そもそもの始まり。
  • 6月末締切の「ホームグラウンド」=現代フランス都市史関連のペーパーを書かにゃならんので、他のことに気を回す余裕はないのだが、添付されていたプログラムを見ると、ひとりあたり質疑込みで30分と大したこともなさそうだし、たまには本場のビールとソーセージとジャガイモを試すのも悪くないだろうし、バーガーいいやつだし業界の大物だし、と軽く判断してオッケーしたのが、運のつき。
  • そもそも、この手の話には、だんだん話がデカくなる「三段スライド方式」((c)小田中直樹、ちなみに、ぼくらの世代には懐かしい「伊東に行くならハトヤ」は「三段逆スライド方式」)が付き物である。そんなわけで、若干の不安を抱いていたところ、オッケー後に届いたRA(リサーチ・アシスタント、研究補助学生)のピアからのメールを見て、ビンゴ!!
  • なんと、事前に4000-6000ワードの英文ペーパーを準備して送付すること、とある。しかも、さすが几帳面なドイツ人らしく、脚注と文献リストの形式(アメリカ心理学会スタイル、だと)まで指定されているという丁寧さ。出版でも念頭に置いてんのか?
  • さらに、ペーパーの締切が6月1日とは、オー・マイ・ガッ!! 聞いてねーぞ。
  • 判断力に欠ける我が身を呪いつつ、しかし、ここまでくると、いまさらあとには引き下がれないではないか(引き下がりたいけど)。
  • そんなわけで、4月29日に黄金週間(じぶんのしごとのかきいれどき)に入るや否や、号砲一発、一日500ワードをノルマとして、旧ソ連の社会主義労働英雄よろしくペーパーを殴り書く日々が始まったのであった。まさにゲルマン魂である(違うか)。
  • 朝一番に書きはじめ、昼すぎにその日の分を書きおえると、もう頭が完全なガス欠状態で、まったく働かなくなる。しかたないので昼酒から昼寝、そのまま夜寝、というパターン。当然、顔は仏頂面、態度はけんか腰、周囲はピリピリである。
  • し・か・し。正義は必ず勝つ!! 
  • なんと5日間で4500ワード書上げ(でっちあげ、ともいうが)、昨日、推敲してから、無事、英文校正に出したのであった。いちにちへいきん900わーどってすごい、こんなじぶんをほめてあげたいとおもいます。

これで今日から晴れてホントの黄金週間(じぶんのしごとのかきいれどき)、胸を張って現代フランス都市史に戻れることになった……が、はっきり言って、頭はヘロヘロである。できれば温泉にでも行って命の洗濯をしたいのだが、ホント。

ちなみに肝心のボーフムは、ぼくの勤務先が(当然)まだ授業期間中ということもあり、成田・デュッセルドルフ経由で3泊5日。ワークショップは3日間なので、どう考えても、きっと「逃げ場なし、休みなし」の日々となることであらう。

2016-05-04

マトモな新聞記事に出会うということ。

最近なかなかマトモな新聞記事に出会わないのだが、仙台の地元紙『河北新報』の5月1日付朝刊に載った熊本地震関連の記事「二つの被災地つなぐ使命胸に」は、心を打つ文章だった。

  • 河添記者グッジョブ――面識ないけど。
  • 『河北新報』も捨てたもんじゃないんだねパトラッシュ、ぼくは知らなかったよ――上から目線。
  • でもぼくは、2014年夏のイタイ「柏葉竜記者」経験があるから、それ以来『河北新報』は基本的に取材拒否だけどね、うん――関係なし。

ま、どうでもいい柏葉竜記者はどうでもいいので措いといて、せっかくなので当該記事を転載しておきたい。一読して(ぼくのように)感涙にむせび泣くがよいわ。


「<熊本地震>二つの被災地つなぐ使命胸に」

――古里の現場を取材して/報道部・河添結日(ゆいか)(26)――


 4月14日午後9時26分、古里の熊本が一瞬で被災地になった。被災地という言葉はそれまで東北を指すと思い込んでいた。同15〜26日、現地を取材し、熊本と東北の二つの被災地の現状を伝え、つなぐことが使命だと感じた。


 実家は熊本市東区沼山津(ぬやまづ)にある。大きな被害を受けた益城(ましき)町と隣接し、町役場まで約4キロと近い。繰り返しテレビに映し出される見慣れた建物が倒壊した風景。混乱と不安で、居ても立ってもいられなかった。職場に駆け付け、現地取材の許可を得た。

 15日早朝、仙台を出発し新幹線と飛行機を乗り継ぎ、約6時間後に熊本に着いた。家族や実家は無事だったが、庭には最大約20センチ幅の地割れが何本も走り、隣家の境のブロック塀が崩れている。地震の威力をひしひしと感じた。

 1.5キロの小学校の通学路。夏に暑さをしのいだお堂はつぶれ、道は瓦が散乱し、ひっくり返った建物でふさがれている。台風や大雨はよくあるが、まさか地震が起きるとは。当たり前に存在し続けると思っていた景色の無残な変わりように、胸が締め付けられた。


 共同通信社の記者で、昨年5月から河北新報社に出向している。東日本大震災の被災地の人々が人口減少に適応しながら、心豊かに暮らす姿を描く連載「適少社会」を担当、宮城県南三陸町や石巻市を取材した。

 東北の震災前や直後の風景を知らない。取材で話を聞き想像するしかなかった。古里を失う苦しみ、悲しみ、むなしさ−。わが身に起きて初めて、痛いほど分かった。今までどこか人ごとだったのかもしれない。

 16日未明、実家で就寝中に本震が起きた。震度6強。ジェットコースターのように全身が大きく揺さぶられる。家じゅうに物が散乱し、消防車や救急車のサイレンがひっきりなしに聞こえる。朝、街を歩くと、明らかに状況が悪化した光景が広がっていた。


 取材は東北と熊本の両方の視点を意識した。震災を機に南三陸町に移住し、今回、熊本でボランティアに奮闘する益城町出身の同い年の女性。石巻での医療支援の経験を糧に、避難者の心のケアに当たる熊本の医師。頭にタオルを巻き、避難所運営に奔走する小学校時代の担任。地元のために必死に踏ん張る同郷の人。皆に奮い立たされた。

 河北新報の腕章を着けて避難所を歩いていると、避難者や支援者など多くの人が声を掛けてきた。「震災を心配していた」「東北にもボランティアで行った」。熊本をはじめ、全国各地の人が今も東北に心を寄せてくれていた。その思いにもまた、鼓舞された。

 実家の近所や幼なじみの被災した家は、引っ越したり建て替えたりすることになったと聞く。慣れ親しんだ地域の変容に、むなしさがあふれる。東北の被災地で見聞きした状況が、目の前の現実となった。

 1000キロ以上離れた二つの被災地のはざまに立ち、これからも「伝える」という使命を精いっぱい全うしたい。それが私にできる熊本と東北の復興への貢献だと信じている。

2016-04-28

(例によって)知は力である。

エブリバディ・ウェルカムということで。

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2016-04-21

熊本地震に想う(2)。

ソウルにありつつ、勤務先の「課外・ボランティア活動支援センター長」として、熊本地震とのつきあい方に想いをめぐらせている。

そんななか、今日の『西日本新聞』に、またもや大フォントで怒鳴りたくなる記事を発見。


政府現地本部長交代 暴言続き地元がNO、事実上の更迭


 政府は20日、熊本地震の政府現地対策本部長を松本文明内閣府副大臣から酒井庸行内閣府政務官に交代したと発表した。松本氏は15日から、熊本県庁内の対策本部で政府と被災地の連絡調整を担っていたが、言動を熊本県や被災自治体から批判されており、事実上の更迭との指摘がある。

 菅義偉官房長官は交代理由を「昼夜たがわず食料支援などで指揮をした。体力面を考慮した」と説明。河野太郎防災担当相は「交代は予定通り」と強調した。

 一方、政府関係者は西日本新聞の取材に「(松本氏は)県との連携がうまくいっていなかった」と認めた。別の関係者も、松本氏が本部長を続ければ「政権に大打撃となる。早め早めに手を打った」と話した。

 関係者によると、松本氏は食事におにぎりが配られたときに「こんな食事じゃ戦はできない」と不満を口にした。避難所への支援物資配布を巡って「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」と、地元の自治体職員に声を荒らげたこともあったという。

 県や被災自治体は「松本氏が震災対応の邪魔になっている」と不信感を募らせていた。松本氏は政権幹部に電話で「怒鳴ってしまいました」と謝ったという。

 松本氏は20日、官邸で安倍晋三首相に報告した後、記者団に「びしびしと言い過ぎたことが批判につながっているなら、甘んじて受ける」と語り、おにぎりの件について「そういう事実はない」と否定した。


松本さんの言動、ツッコミどころ満載。

  • 電話して謝る相手、違うだろーが。
  • 「物資は十分に持ってきている。被災者に行き届かないのは、あんたらの責任だ。政府に文句は言うな」なる発言が「びしびしと言い過ぎたこと」にあたると思ってるんだとしたら、小学生以下。ま、どう転んでも、ぜんぜん文明(ここ名前と掛け言葉になってるので、よろしく)の香りも知性も品性も感じられない釈明の言ではある。

こんな日本にだれがした。


はい、わたしたち有権者です。

2016-04-18

熊本地震に想う。

【あまりにも乱雑で芸のない文章だったので、4月19日に修正】

熊本はちょっと遠いので、とりあえず熊本県庁の「熊本地震義援金」に寄付。ちょっと、いま、手元不如意なので、少額ですみません(3.11のときの各方面からのご厚意を考えると、お恥ずかしい)。

それにしても、だ。



とっとと激甚災害指定しろ、のろまが!!




(これなら3.11のときの民主党内閣のほうがマシじゃねーか……いち3.11経験者の心のさ・け・び。よろしくね)


【評価】63点。

)槓

  • 口調が下品であり、またフォントのサイズも巨大で、気持ちはわからなくはないが、いまいちディーセンシーを欠くと言わざるをえない。
  • フォントの色をピンクにした点には、わずかながら心が慰められる。
  • 「激甚災害指定」とは何か、簡略な説明があると、説得力がアップしたであろう。
  • 「激甚災害指定」するのがだれであるか明記されていないため、だれに向かって怒鳴っているのかがわかりにくい。

下の添え書き

  • 個人的な経験をもとに一般論を語ってよいか否か、方法論的な考察が必要である。
  • 「さ・け・び」という表現には、受け狙いという点で、目にあまるものがある。
  • 「よろしくね」は不要ではないか。

……というわけで、明日(20日)から一週間ソウルに出かけてきます。帰国したら、もう黄金連休かい。うーむ。

2016-04-02 正しくは 2016-3-33

桜とともに『マル経入門』を読む。

あっという間に仙台も桜の開花宣言が出された。そんな今日は3月33日、ぞろ目で目出度い土曜日である。一部に今日は4月2日という報道もあるが、これは、なんとしても2015年度を終わらせ、万事をフォーマットしたいという一部諸氏の歪んだ願望が物象化した俗説のなせる業に違いない。


うーむ、なにが言いたいんだ、自分? エイプリルフールはとうに過ぎているぞ。


とにかく、モンペリエ市文書館で撮影してきた資料をディスプレイでにらむ毎日を送っているので、眼精疲労が半端ない。

  • ぼくの撮影技術の低さと、
  • 利用しているデジカメ(普通のコンパクト)の性能の低さと、
  • そして文書館閲覧室の暗さを反映して、

ピンボケの頁が多いこと多いこと、泣きたくなる。

おまけに(「嬉しいことだが」というべきながら)みるべき資料の数が多く、やってもやっても終わらない。6月末までに全部読み、分析し、ストーリーを構築し、フランス語でドラフトを書き、仏文校閲に出せるのだろうか……チョー不安である。


そんななか、ちょっと時間が出来た(というか、資料読解から逃避したくなった)ので、松尾匡・橋本貴彦『これからのマルクス経済学入門』(筑摩書房・筑摩選書、2016)を読む。松尾さんが理論的部分(ただし、これが本書の大部分を占める)、橋本さんが実証的部分を担当した、マルクス経済学の入門的テクストブックである。

しかし、これはすごい!!

いやあ、松尾さん渾身の一冊というべけんや。

とにかく

  • 階級・疎外・唯物史観といったマルクス経済学のキーワードを説得的・論理的・アクチュアルに再構築し、
  • 社会を「ヒトとヒトとの関係」から捉えるべきことを説いたうえで、
  • 現代社会の諸問題を分析するためには「価格に着目した交換理論」すなわち新古典派経済学ではなく「労働価値に着目した分配理論」すなわちマルクス経済学……古典派経済学全般と言ってもよいかもしれない……のほうが有効であると主張する。

という、センス・オブ・ワンダーをかきたてられる内容。

頭のなかで諸概念のブロックがカチカチと論理的に組みあがってゆく、そんな感じを与える一冊である。


ぜひ、2015年度のうちに。

受講者D受講者D 2016/04/08 12:35 そろそろ自由聴講で小田中さんの講義が聞きたくなったのでシラバスを開いてみたら、ヒットなし…
どちらに行ってしまわれたのかと悲しく思っております。
このブログが唯一小田中ワールドを楽しめるところなので、いつも拝見させていただいております。機会があれば講演会などに参加してみたいものです。

odanakanaokiodanakanaoki 2016/04/08 13:03 Dさん、こんにちわ。じつはそろそろ第二の人生=余生を……というのは(残念ながら)ウソで、2016年度は前期が経済学部・経済学研究科の合同講義「経済史」(火2、経済)、後期が経済学部の講義「経済学史」(水2、金1、経済)となります。ちなみにシラバスと時間割は
http://www.econ.tohoku.ac.jp/econ/econlocal/syllabus/syllabus.html
からどうぞ。

Dさんがご覧になったのは、もしかすると全学教育のシラバスだったのかな? 全学教育については、数年に一度「基礎ゼミ」か「歴史と人間社会」を担当するだけなので、でばる機会がなかなかないのでした。

受講者D受講者D 2016/04/09 13:22 まさかお返事いただけるとは思ってもいなくて嬉々として読ませていただきました。
まぁ、先生もお歳ですからご老体に鞭打ってさらに全学で教鞭まで取られると体調崩しかねませんからね、なんて言うと怒られるので言いませんが、まだまだ第一の人生でご活躍を願いたいものです。結局上から目線になってしまいすみません。
実を言いますと2014年後期の、歴史と人間社会で先生の講義を受講いたしました。非常に話が面白く、半年だけでは物足りず2015年も全学のシラバスを検索しまして。数年に一度と言うのなら、2014年に受講出来たのはラッキーだったんだなぁとしみじみ思います。青葉山大学に進学しましたが、自分の専門科目切ってでも経済学部に混ざって盗み聞…以下略。
とにもかくにも私が在学している間にまた先生の講義(というか、欲を言えばゼミみたいなもの)を受けることができればなぁ、と思う春休みの終わりなのでした。
では。

odanakanaokiodanakanaoki 2016/04/09 19:46 Dさん、前回の「歴史と人間社会」受講なさったんですか……あんな漫談にお付き合いいただき、ありがとうございました。巨大なM206教室で、たしか受講者数が260人だったと記憶していますが、そういえば青葉山大学進学予定者諸君が沢山いたなあ(遠い目)。

ちなみに、先日の新入生セミナーで、農・理・工・薬の新入生諸君に「日本で唯一、野生の熊に会えるキャンパスにようこそ」とやったら、引きつった笑いが返ってきました。でも、農学部なんて、たしか来年度から青葉山大学のさらに奥に突如出現する新キャンパスですからねえ。

話がずれました。勉学に課外活動にご健闘を祈ります。

2016-02-24

働けど、働けど。

あっというまに2月も終盤戦である。思えば、帰国前日にモンペリエで風邪をもらったのが運のつきであった。山なすティシュペーパーとともに帰国したのは良いとして、鼻風邪が治らないままに「絶賛出稼ぎ強化期間」に突入し、気づいたら急性副鼻腔炎で麹町の耳鼻咽喉科にとびこんでいた。それにしても効いたなあ、あのニューキノロン(抗菌剤)。

どうにか一昨日で「絶賛出稼ぎ強化期間」を完了したところ、グッドなタイミングで、昨日、4月のソウル・カンファレンス用のペーパーが英文校閲から戻ってきた。あまりの変わりぶり=元の英文のひどさに言葉を失いつつ、しかしぼくは英語ネイティヴじゃないからよいのである。そもそも当該カンファレンス、仮プログラムが届いて以来なんの音沙汰もないのだが、これは主催者イム・ジヒョンが「大陸国家」韓国の「一気のラストスパートでイベントを実行してしまう〈結果オーライ〉」体質を体現しているからであると考えてよろしいか。


よろしい(多分)。


そんなわけで、4月末にソウルは西江大学で開催される「らしい」『国民を書く』書評カンファレンス用の拙稿"Who is lying on the Procrustean Bed?: Current Historians of the World, Denationalize Ourselves!"(東北大学TERGディスカッション・ペーパー342、2016)はこちら[PDF format]をご覧あれ。相変わらずと言えば、相変わらずである。


さて、次は"50 ans d'un quartier monpellierain: Petit Bard, 1962-2012"だ。締切は6月だが、なぜか「働けど、働けど……」という名文句が頭をよぎる晩冬の一日。

2016-01-31

来た、見た、負けた。

今回は2週間の滞在なので、唯一の貴重な日曜日。どこに出かけるか……と思案したあげく、日帰りできて、まだ訪問していないところとして、サント・マリー・ド・ラ・メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)に出向くことにした。ロマ/ジタン/ジプシーの聖地として知られる同地は、アルルからバスで45分、すぐそこである……はずだった。

と・こ・ろ・が。

そもそもアルル=サント・マリー間のバスが少ない。しかたなく、5:30に宿を出て6:30モンペリエ発の各駅停車に乗り、7:50アルル発サント・マリー行きのバスに乗る。当然ながら(?)客はぼくひとり。8:40に着いたサント・マリーは思いのほか小さな町だったが、なんといっても有名な教会がある。

みよ、これが、街の入り口にそびえたつ、ハートがかわいいことで知られるカマルグ(サント・マリーがある、ローヌ川河口部に広がる湿原地帯)の十字架である。

f:id:odanakanaoki:20160131215301j:image

それにしてもオフシーズンの週末の早朝だけあり、静かである。眠れる街をひとりさびしく急いだ……ら、教会は改修工事で閉まっていた。ガックリと肩を落とす自分。

しかたなく、折り返しの9:05発のアルル行きバスで帰る。なにせ、これを逃すと、次のバスは4時間後。折り返しということで、当然ながら行きとおなじ運転手なので、気まずく「教会が閉まってて(モゴモゴ)」と語るしかないではないか。

現地滞在時間25分、往復の所要時間は6時間。

まさに、来た、見た、負けた。

一体わたくしは何をしたかったのであらうか?

2016-01-30

都市の「文化度」。

モンペリエに来て、はやくも一週間。今回はたった2週間の滞在なので、すでに半分が過ぎたということになる。諸般の事情(前述)でモンペリエ市文書館におけるリサーチが進まないので……あらかじめ目的を低く設定しておいたゆえに、当初の目的自体はクリアしているのだが……「なにをしているのか?」といわれそうだが、冬は各種講演会のハイシーズンなので、ほぼ毎晩(というのは大げさだが、3回ほど)各種の一般市民向け講演会に参加した一週間となった。

(1)27日(水)は、哲学者アラン・ルノー(Alain Renaut)の講演会。全然知らない名前だったが、じつは何冊も日本語訳がある大先生(パリ第4大学教授)で、今回は「応用哲学」に関する講演。こんなオカタイ内容で数百人集まるというのは、やっぱり「民度」の違いかねえ。講演終了後は「設定した課題に応えてないじゃないか」といった厳しい質問がフロア=一般市民からからとびかい、盛上った。やっぱスゲエな、この知的な体力は。

(2)28日(木)は、新進気鋭の政治社会学者フロランス・ジョシュア(Florence Joshua)が、左翼政党である「反資本主義新党(Nouveau Parti Anti-capitaliste)」の参与観察にもとづく博士論文の刊行版である『反資本主義者たち』(Anticapitalistes, Paris:La Decouverte, 2015)について語る講演会に参加。オーディエンスは30人程度だったが、パリ政治学院で博士号をとり、オクスフォードでポスドクをつとめた俊英が博士論文を語る一時間は、きわめて濃密なもの。しゃべるのが早くてついてゆくのに難儀したことはヒミツだが、やっぱ賢いやつは賢いのである。

(3)29日(金)は、現在フランス最高のイスラム圏政治学者といってよいジル・ケペル(Gilles Kepel)が、近著『フランスにおけるテロ』(Terreur dans l'Hexagone, Paris:Gallimard, 2015)にもとづき、最近のフランスにおけるイスラム教過激派のテロを分析する講演会。時流に沿ったテーマだけあり、地元選出の国会議員はじめ、立ち見続出の満員御礼となった。パリ政治学院教授であるケペルは、30年以上にわたり、社会学的手法にもとづいて「フランス人ムスリムによるテロの構造」を分析してきたが、今回の講演はその集大成ともいうべきもの。世代論、人的ネットワーク論、コミュニケーション論など、さまざまな論点が網羅されたじつに興味深いものだった。


来週は、中世史学者であるクリストフ・ピカール(Christophe Picard、パリ第1大学教授)による中世地中海史に関する講演会と、ジャーナリストであるジェラール・モルディア&ジェローム・プリウル(Gerard Mordillat and Jerome Prieur)によるキリスト教とイスラム教の関係に関する講演会が予定されている。

前者の課題図書『カリフの海』(La mer des califes, Paril:Le Seuil, 2015)はすでに斜め(ここがポイント)よみきり、後者の課題図書『ムハンマドによるイエス』(Jesus selon Mahomet, Paris:Le Seuil, 2015)は現在絶賛斜め(ここもポイント)よみ中なり。

『反資本主義者たち』も『フランスにおけるテロ』も頑張って斜め(当然ここもポイント)よんでから講演会に参加したが、こういう機会でもないと手に取らないだろう本に目を通すのは、じつに「贅沢な」経験である。


それにしても、こんなに耳学問の機会が与えられているというのは……うーむ。

さすがにヨーロッパ最古の医学部の伝統を誇る町・モンペリエという「都市の文化度」の産物というべきか。

あるいはまた「文化による町おこし」というのは、ひとつの「あるべき」選択であるというべきか。

どうする、仙台?

HashikawaHashikawa 2016/02/02 00:59 小田中先生
ご無沙汰しております。2010−2011年の間にちょこっとゼミにお邪魔してた者です。
「どうする、仙台?」への答えはコレをもっと充実させる事?なんでしょうか?
実は僕もマーケティングのSぶや先生が登壇した回にしか出れておりませんが。
http://cafe.tohoku.ac.jp/

odanakanaokiodanakanaoki 2016/02/02 01:09 橋川くん、おひさしぶり!! 生きてますか? 道路、作ってますか? 違うか。
東北大学も頑張ってるほうだとは思うんですが……モンペリエは市役所と地元新聞と地元書店と大学がかなり気合を入れてタッグを組んでやってるので、色々と見習うことが多いです。仙台も地下鉄東西線が出来て、たとえば川内北キャンのM棟は仙台駅から7分&川内駅を出て眼の前なので、もっと使えるんじゃないかとか、あれこれ思ってます。
ちなみにSぶやさんは4月から学習院に異動、寂しくなります。
いずれ、また。

2016-01-25

キーワードは「前倒し進行」。

フランスでしごとをストレスレスに進めるためのキーワードは「前倒し進行」である。これは自信をもって断言できる。日本人の水準からいってもパンクチュアルなぼく自身でさえ、これまでさんざん痛い目にあってきたからだ。

今回も、まことドンピシャ。ただし「前倒し進行を守っていて良かった」というパターンのほうだったので、ダメージは避けられた。

エッヘン。


(1)現在のメインの仕事先であるモンペリエ市文書館から「同時代部門(1940年以後の資料=請求番号系列Wを保存してある)の資料保存庫が改修工事に入るので、あんまり閲覧できないんだけど」というメールが届いたのは前述したが、今回来てみて詳しい事情がわかった。要するに資料保存庫にアスベストが使用されていることがわかり、全面封鎖して脱アスベスト化するというのである。建物の清浄化に3カ月という話だが、これだけでもすでに「眉唾」もの。しかも、そのあとに資料の清浄化まで実施するというのだから、これは大事(おおごと)になるのは間違いない。専門業者に頼むそうだが、全部で年単位の時間はかかるんじゃないだろうか。その間、資料へのアクセスはもちろん全面ストップである。


(2)それだけではない。請求番号系列Wの資料は年々増加しているため、全てが整理され、資料番号を付されているわけではない。全貌を理解しているのはただひとり、最古参の資料保管庫担当者(マガジニエ)ジャン・ジャックだけである。ところがジャン・ジャック、なんとこの間のドタバタで体調を崩して休職してしまったんだそうだ。おまけに、彼の右腕として働いていた秘書のブリジットも、古紙のかびアレルギーで他部署に異動してしまっていた。これでは、残った資料の整理は「いち」つまり担当者の養成から始めざるをえないから、何年かかるか想像もつかない。


(3)さらに、もうひとつ別の問題がのしかかる。モンペリエ市文書館は2018年度に移転が計画されているのだ。職員さんに聞いたら「予定は未定だからねえ、いつになるんだか」と笑いとばされたが、それでも移転が現実化したら、閲覧の一時停止から、移動に際しての資料の紛失まで、なにがおこるかわからない。


これらを考えあわせると、モンペリエ市文書館同時代部門の資料閲覧は、今後、十年単位でドタバタが続くことが予想される。

いやあ……前回かなりの資料をチェック&写真撮影しておいてよかった。

ホントに心から「前倒し進行」のありがたみを実感した霧雨の一日であった。

エッヘン。

2016-01-24

モンペリエ。

【追追記】

澤田かおり「幸せの種」

動画を張れることを、今年になるまで知らなかった。

D

ツボにはまり、ヘビーローテート中である。

【追記】

CDGである。いつものように国鉄駅構内の安カフェでビールを飲み、フランス無事到着の儀式中。今回は、羽田ラウンジと機内で飲みまくったため、ほとんど意識を失っているうちに(誇張あり)パリに着いてしまった。

それにしても、順調に「日本から中国へ」のシフトが進んでいて、「日の沈む国」日本の悲哀を感じさせられるCDG。壁のポスターは「人民元への送金なら、うちが一番」なる某銀行のポスターで埋め尽くされ、2つのターミナルを結ぶCDG-VALの窓は「中国の旧正月おめでとう!!」一色である。

た・だ・し。

「日の沈む国」クラブに参加するというのは、なにも悪いことだけではない。同じ「日の沈む国」フランス人が日本人をみる眼は、着々と暖かくなっている。

おたがい大変だなあ、ポン(肩をたたく音)。

もっともこれは「同病相哀れむ」と表現できるかもしれない。

【本題】

今日から二週間、モンペリエでリサーチ。羽田のラウンジですでに大酔払い状態である。

数日前から胃腸の調子が悪いとか、今日は絶賛大悪天候で飛行機が飛ぶか否か心配だとか、かねてモンペリエ市文書館から「史料保存庫の改修が始まるから、資料の閲覧はあんまり期待しないでほしいんだけど」といわれていたとか、悪条件が山積するなかで出かける今日この頃、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか。

しかも、4月の「Writing the Nation」シンポジウムのペーパー執筆が泣きたくなるほど大変で、面白いのは良いとして、どうにかならないものか、この分量。とにかくインド・アーリア系人種の体力に「かなわん!!」の一言で暮れる毎日を数か月すごしてきたのであった(現在完了進行形)。

しかたがないので、モンペリエまで関連書籍を数冊持参し、準備を進めざるをえないことになった。宿題をかかえて海外出張というのは「さびしい」としかいいようがないが、ま、どうしようもない。不良債務化しないよう、債務の返済にいそしむのみである。

さて、まもなく搭乗時刻だ。