odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

江戸川乱歩「世界短編傑作集 3」(創元推理文庫) 20年代の短編探偵小説。デビュー時の乱歩が意識したのはこれらの最新作。

アントニー・ウイン「キプロスの蜂」The Cyprian Bees 1925年 ・・・ 車中で女性が頓死した。猛毒のハチに刺されたあとが見つかる。ヘンリー博士が謎を追う。小説の作法はすぐれていない。最初に「アナフィラキー」が概説されて、そこから逸脱する解釈にはならないから。にもかかわらず、これが選択されたのは、それまでがおもに機械を使ったトリックがかかれていたところに、生物学の最新知見が使われた、ということの新味にあるのだろう。

パーシヴァル・ワイルド「堕天使の物語」The Adventure of the Fallen Angels 1925年 ・・・ カードゲームのクラブでのできごと。ブリッジで勝ちすぎるメンバーに疑惑を抱いた粗忽もの。彼はいんちきを指摘したが、逆襲にあう。そこで粗忽ものは頭のいい元探偵の元に行き、事件を説明した。彼の発見したのは、おおがかりな詐欺だった。堕天使はカードの表に印刷された天使のマークに印がつけられていたことから。この20年後に書かれたロアルド・ダールのギャンブル小説に比べるとストレートすぎるかな。

エドガー・ジェプスン& ロバート・ユーステス「茶の葉」The Tea Leaf 1925年 ・・・ トルコ風呂(いまならサウナ風呂というべき)で、刺殺体がみつかった。その直前に彼に敵対している男が風呂から上がり、事件当時他にはだれもいなかったし、兇器も見つからない。しかし容疑者は自分の容疑を否認する。裸の男には兇器を隠す手段はない。この謎をどうやって解く。小学生のミステリ入門にも書かれた古典的なトリック。ポイントは事件の解決が法廷で、しかも証人による謎解きであることかな。ポーストあたりに前例がありそうだが、これは法廷を舞台にした小説のはしり、のひとつかもしれない。とはいえ、書き方は単調で、トリック以外に面白さはなかった。

アントニイ・バークリー 「偶然の審判」The Avenging Chance 1925年 ・・・ 怒りっぽい貴族の下に名無し氏からチョコレートを送られる。そこに居合わせた男が妻の賭けに負けたのでチョコレートを渡さなければならないと愚痴る。ありがたく貴族から譲られたチョコレートを食べたら、男は瀕死の重傷、妻は不運にも亡くなった。怒りっぽい貴族を恨むような容疑者は見当たらない。事件が暗礁に乗り上げそうなころ、口から生まれた女のたわいないひとこと「男は賭けをしていない」から事件の全貌が発覚する。最初に読んだときは「えっ、何がおきたの、なんでそうなるの?」だったが、今度はすぐさまわかってしまった。すれっからしになったなあ。ここまでで唯一の現代的な書き方をした小説。ストーリーが見事。

ロナルド・A・ノックス「密室の行者」Solved by Inspection 1925年 ・・・ 探偵プレドンは長編「サイロの死体」「まだ死んでいる」に登場する保険会社勤務の探偵。インドの神秘術にいかれたブルジョアの変人、離魂術の実験のために密室の体育館に引きこもる。10日後、彼は餓死体として発見される。極度の高所恐怖症にして、ベジタリアンの奇人がなぜ餓死するの?ベッドの横にはたくさんの食事があるのに。トリックを思いついてから、状況を作り、そのプロットをさかさまにしたストーリーを作り出したという人工的な小説。それにしても小説がうまいなあ。もっとたくさん書いてほしかった。あ、ノックスは「十戒」などといって、探偵小説にいろいろ制限というかルールを課すことを提案したけれど、そのいくつかをここで破っている。ということは「十戒」は冗談ということでいいですか、ノックス僧正。
<参考エントリー>
ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」(創元推理文庫)-2 とヴァン・ダインの二十則「探偵小説を書くときの二十則」について

C・E・ベチョファー・ロバーツ 「イギリス製濾過器」English Filter 1926年 ・・・ 科学に造詣の深い名探偵がローマの学会ついでに、すぐれた論文を書いた博士を訪れる。論文は博士のものではなく、その助手の成果を横取りしたものだった。偏屈な博士は自分で作った密室で毒殺される。窓は開いていたが、出入りは不可能だった。窓のある密室の古典例。登場人物が少なすぎて、方法はともかく犯人は見つけやすいかな。

マージェリー・アリンガム 「ボーダー・ライン事件」The Border-Line Case 1928年 ・・・ あまりの熱気でだれも働きたくないような夜、チンピラが射殺される。その死体の左右は夜警が見回っていたから、犯人が逃走することはできない。容疑者は近くのカフェで飲んだくれていたが、そこからは死体のあった場所は見えないのだった。では、どうやって? 犯人は意図しなかったのに密室になってしまったというプロットが面白い。あと、この小説を書いたワトソン役はマージェリーという作者本人だった。この設定は珍しいな。作者は実在、そこからフィクションの世界につながっているというところ。普通はワトソン役もフィクションに存在にするのだけど。

ロード・ダンセイニ 「二壜のソース」The Two Bottle of Relish 1928年? ・・・ 内容は不要だな。少女と暮らしている男。少女は突然行方不明になる。男は家から外出しない。ただ野菜と肉料理用のソースを2瓶買ったのみ。あとは薪をつくることだけ。いったい何がおきたのか。この種の犯罪はこの時代に起きてセンセーショナルになったのではなかったかな。牧逸馬「世界怪奇実話」にいくつか紹介されていた。ダンセイニ卿のファンタジーとはずいぶん違った文体で、どちらかといえばジャーナリスティックなもの。凝った文体のファンタジーを読んだときには、これが「二壜のソース」の作者のものかと面食らった記憶がある。

アガサ・クリスティー「夜鴬荘」Philomel Cottage 1928年? ・・・ 婚期を逸しかけた30代の女が思いがけなく遺産を受け取った。彼女に近寄った男と結婚したが、様子がおかしい。自分はころされるのではないかしら。さあ、どうしよう。探偵小説というよりサスペンスになるのだが、中年女の心理描写が見事で、終盤のコンゲームもすばらしい。同じ主題でアイルズが「レディに捧げる殺人物語」を書いた。でも、むしろ雰囲気はアイリッシュのほうに近いな。このあたりからミステリの範囲が広がったのだろう。

ベン・レイ・レドマン 「完全犯罪」The Perfect Crime 1929年 ・・・ 「探偵小説に関する探偵小説」。こういうジャンルを批判するような小説ができることが探偵小説のおもしろさかしら。完全犯罪について、辣腕弁護士と気鋭の探偵が議論する。可能であるという説と不可能であるという説と。ある事件の解釈をめぐって、議論はおかしな方向に動き出す。チェスタトンの「ポンド氏の逆説」に、二人は完全に意見の一致をみたので、もちろん片方はもう一人を殺した、というのがあったのを思い出した。ほぼ同時期ではなかったかな。



 何度も「小学生向けの・・・」と書いてきたけれど、自分は勘違いしていたように思った。もちろん江戸川乱歩編のこのアンソロジーが先にあって、小学生向けの特集を行う編集者は当然、この傑作集を参照したのだった。そちらのほうが説明がつくよな。
 あと思いついたのは、この2巻3巻あたりにでてくる小説は、江戸川乱歩デビュー時の最新作だったわけで、彼の初期短編はここらを意識して書かれたのだろうな、ということ。小酒井あたりがルヴェルを、甲賀なんかがリュパンやホームズを意識していたのに比べると、乱歩はずいぶんとモダンだったのだ。このあと30年代になって、世界史とは無縁の独自な発展を遂げたころ(夢野や小栗なんかの)には、乱歩は古めかしいものになってしまったが。それは、20年代の黄金時代の探偵小説の形式が古くなったことと期を一にしていると思う。

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2010/11/04 江戸川乱歩「世界短編傑作集 1」(創元推理文庫)
2010/11/05 江戸川乱歩「世界短編傑作集 2」(創元推理文庫)
2010/11/07 江戸川乱歩「世界短編傑作集 4」(創元推理文庫)
2010/11/08 江戸川乱歩「世界短編傑作集 5」(創元推理文庫)