odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エリック・ラッセル「パニック・ボタン」(創元推理文庫) リベラルなアメリカの物知りおじさんでも、1950年代の悪意や偏見から逃れられない。


追伸1953 ・・・ 人生の晩年を迎えた医師。そこからでたことのない街のコーヒーショップで教え子と出会う。教え子は宇宙飛行士になりさまざまな惑星をめぐっていた。そのときに、不快な惑星の不快な異星人の話をし、その写真を見せる。驚愕したのは、写真に写っていたのは医師の長年のペンパルで、「女性」として彼と親しく手紙をやり取りしていた人物だった。過去の追憶(主には心理的なもの)と写真のリアルが彼に葛藤を生む。医師は彼女に手紙を書いた・・・ 途中まで不愉快だったけど、最後の一行で救われるハートウォーミングなプラトニックラブのお話。

さあ息を吸って1959 ・・・ 敵対する惑星に侵入してしまった宇宙斥候が死刑判決を受ける。その惑星では、死刑囚は自分の選んだゲームをすることができた。勝負の決まらないうちは、死刑は執行されないのである。そこで、囚われの地球人の考えた手は・・・ これが契機となって、ペンタゴンは長期勾留された戦争捕虜が精神破壊しない方策を検討することになった、わけはないが、ベトナム戦争ではそのような教育が兵士に行われたらしい。無為の勾留中、頭を動かさないと異常をきたすというので、捕虜はひたすら暗算をするとか、仲間と聖書を作るとか(彼らは幼少時から聖書の語句を暗唱しているので、それぞれの知識をもちよればたとえば福音書の一冊を再構成できるかもしれない)、頭を使う訓練をして過ごしたのであった。
 ブラウンの短編に、異星で死刑になった男、翌朝執行することになったが、さてその異星の一日はどのくらい?というのがあった(死刑宣告@フレドリック・ブラウン「天使と宇宙船」(創元推理文庫)

時を持たぬ者1952 ・・・ 俺にとっての最大の問題作。銀河系はひとつの連邦に統一されている。40種の知的生命がそれぞれ役割分担している。さて現在の<帝国>を統括している種族は、はるか昔からその状態を維持してきた。ここに考古学の教授が登場。彼の調査によると、<帝国>は危機にさらされている。転覆を図るものは、統括している種族から見ると、知的に劣り単純作業を低賃金で繰り返すことを倦まない劣等種族なのだ、という。帝国が転覆するのは12000年後と試算された。さてこの劣等種族であるマッジーの外見はネズミににていて、表情は鈍重で、卑屈な振る舞いをしていて、主な仕事は「洗濯」(電気洗濯機のない時代、もっとも過酷なため移民や無産階級が従事して蔑視された職業のひとつ)という。俺はここに腹が立った。マッジーの描写はそのまま当時のアジア人のものだし、繁殖による帝国の転覆というアイデアは黄禍論。作者はマッジーの繁殖が帝国の危機であると警鐘を鳴らす教授に同情的で、彼の話を聞かない統治者・政治家を批判する。裏返せば、作者の人種意識は明らかであるのだ。俺は教授の主張を認めん。教授の主張をリアリティのないものとして馬鹿にした裁判所は愚かではあるが、正当である。ピーター・ディキンスン「緑色遺伝子」(サンリオSF文庫)も似たような状況を描いている。
 あと、繁殖率が高い種Aが生活環境を同じにして繁殖率に劣る種Bを駆逐するというのはダーウィンの「自然選択」の正しい説明。AとBは競争しないし、互いに捕食しあうわけではないが、単に繁殖率の差だけで他方を駆逐することができる。ここは「自然選択」の理解に重要なので、押さえておくように。柴谷篤弘「今西進化論批判試論」(朝日出版社)に詳述されている。

証人1951 ・・・ 被告席にいるのは、小岩石にのって太陽系外から来た異星人。とげとげの体でヒキガエルに見えるその存在は、地球人の憎悪を買っていた。意地悪な検事はそれの目的が地球侵略になるのだと、たくみに誘導し、地球外への追放をもくろむ。そのとき、被告人の最終弁護の証人にたったのは・・・。書かれたのは、マッカーシーズムの時代だ。問題は、このような外形が異様で言語を共有しないもの(この異星人はテレパスでコミュニケーションする)に対して、それが理由で憎悪を抱き、排除しようとすることだ、それは市場や大衆の声、民衆の総意にまとめられてしまうということ。この主題はクイーン「ガラスの村」とか映画「スミス氏都会に行く」とかと同じ。いずれも、こういう激しい感情が法の執行にも反映して、正義を全うできなくことだ。気に食わないのは(あるいは民主主義の情けないのは)、いずれの作品でも憎悪の感情で判断する大衆に対抗するのが、ひとりの勇気ある人物であり、彼がいるから正義が担保されるのだというところ。本来は、この種の憎悪の裁判や告発がなされてはならないべきなのだが。この作品で、憎悪の感情がいきなり沈静する理由も民主主義とは関係なく、守ってあげたいという憐憫や同情の感情を触発したから。美しい話だが、なんとも人間はだらしがない。

パニック・ボタン1959 ・・・ アンタイル人の乗った宇宙船が、領有を宣言するために、無人と思われる惑星に着陸した。そこにはすでに地球人が一人小屋を建てて住んでいた。このままでは領有権を主張できない。そこで、アンタイル人は地球人と接触を試み、あわよくばうまい手を打とうとする。しかし、巧妙な仕掛けがあった。土地の領有権がそこに先住しているものにあるというのが宇宙的な規範になっているというのが資本主義的。地球人の仕掛けた罠は、特許権が先取したものにあるとかビジネスの最初の成功者が業界の利益総取りであるとかという考えににている。というわけで、これは帝国主義と資本主義のおとぎ話です。ネイティブアメリカンやアポリジニーに置き換えて考えてみるとどうなるか。

根気仕事1956 ・・・ アンドロメダ星人が地球に侵入した。彼は催眠術と変装術の持ち主で、あらゆる人物に化けることができ、人を自分の思い通りに操ることができる。とりあえず生きていくために、そしていつかの侵略のために金を必要とした。そのとき、田舎町ノースウッドの警察は頭を抱えていた。白昼堂々と銀行から1万2千ドルを盗んだ事件が起きたが、まったく犯人像があきらかにならない。そこで彼らは足を使って聞き込みを開始する。スーパーマンが完全犯罪を犯し、それを警察が捜査するという事態。物語の大半は警察小説。そのうちに空飛ぶ円盤の目撃者が現れて、これは宇宙的な侵略ではないかということになると、ここからSFに戻る。なかなかしっかりした構成で、作者はミステリーを書いてもよいものになったのではないかな。


 エリック・ラッセルは繰り返すけどリベラルな人であったと思う。さまざまな偏見や思い込みがまだまだあった時代に、その種の人間心理や行動、政策を批判・風刺する内容を書いていたから。たぶん温厚な人柄で、だれとでも親しくなれる物知りおじさんであると思う。そういう人であっても、彼に悪意や偏見がなくても、時代というやつは奇妙な足跡を残してしまう。かの国の民主主義とか自由主義とかが、結果として、どうも他の国の人にはおせっかいになってしまうという具合。なんとも居心地が悪いなあ。

  

2013/08/23 エリック・ラッセル「わたしは無」(創元推理文庫)