ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、アリョーシャとゾシマ長老の関係が主題のひとつ。とはいえ、ゾシマ長老の思想はよくわからない。というのは、この国にはロシア正教会の紹介がほとんどないから(とはいえ、明治維新後いち早く東京文京区に教会をたてたのは、ロシア正教会)。そこで、この本を読む。初出は1970年代と思われ(文庫初版は1980年)、ロシアではなくソ連で、共産主義政権下にあることに注意。
ギリシャ正教の諸相 ・・・ キリスト教の歴史を東の視点で捉えなおす。まず西暦0年前後のギリシャにはギリシャ哲学とユダヤ教が根付いていた。ユダヤ教の経典はたいていギリシャ語に訳されていたし、新約聖書がギリシャ語で書かれたのはその伝統と影響の上にあるので。したがって、ギリシャ哲学とキリスト教は後日融合したのではなく、ギリシャ哲学の伝統の上にキリスト教は立ったのだということ。これは西洋の哲学史や思想史からは見えてこない指摘。
で、ローマ帝国の時代に首都をイスタンブールに移したころから今度はビザンチンの影響を受けた。一方(ここ重要)、西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマンやフランクの人々は文字を持たず、キリスト教を理解せず、ローマの文化と施設を破壊(使われなかった辺境のローマの遺跡が今に残る)。それが約1000年続く。プラトンが西に伝えられるのは地中海貿易の盛んな5世紀に入ってから名のは珍しい例外。12世紀の第4回十字軍遠征でイスタンブールを攻略したときに、ようやくアリストテレスを再発見。ここらへんはカソリック神学と哲学と科学の歴史を見るとき重要。ギリシャ正教(いまでもギリシャの国教)はギリシャ、バルカン半島、小アジア、エジプト、とりわけロシアに広がっている。そこでは生活の重要なところが正教の教えに基づいている。以上まとめ。なるほど、ギリシャ正教の過小評価は、正教がギリシャから直接この国に伝達されなかったことと、中世ビザンチンでギリシャ哲学がどのように継承・保存されていたかの情報がないせいだ。プラトン、アリストテレスはアラビア語翻訳で西に伝えられたわけだが、誰が翻訳したのか、どこに保存されていたのか、など。(アリストテレスやプラトンの翻訳はイタリアの都市で行われたのだが、堀田善衛によるとイスラムが占領していた時代のスペインでアラビア人学者が翻訳していたともいう。たしか13世紀前半のアルフォンソ10世の時代。)
※ 唐突にアルフォンソ10世を話題にしたのは、この王様は文化政策で成果をあげていて、自身が編纂した歌曲集があり、愛聴盤にしているので。
ギリシャ正教の儀礼 ・・・ ギリシャ正教では捧神礼といわれる礼拝儀式が重要。ドストエフスキーの小説に出てくるような荘厳さをもつ。詳細は省略。自分の趣味に関していうと、捧神礼で歌われる聖歌や連祷が面白い。師父が先導して合唱が繰り返すというのにまず気がつく。ロシア聖歌の面白いのはポリフォニーや対位法は使われずユニゾンで歌われるところ。そこに師父の優れたテノールやバスが加わる。彼らのロシア的な湿ったくぐもった悲しい、ときに泣き咽ぶような音の歌声がすばらしい。合唱の豊かな声量は教会の内部を共鳴で満たし、高次倍音の別のメロディをつくるときがある。たくさんのCDが出ているので簡単に聞くことができる。自分がもっとも好むのは1950年代にパリで録音された亡命ロシア人による演奏(EMI)。
CD
Chants liturgiques orthodoxes
MP3 Amazon
Office russe orthodoxe (Mono Version)
MP3 itunes
Office russe orthodoxe (Mono Version)
ギリシャ正教の思想 ・・・ ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」には「大審問官」と長老ゾシマの話が出てくる。ギリシャ正教の側からみるとき、「大審問官」は西のキリスト教による非難であり、神を理知的・観念的にとらえるものである。それに対し、ゾシマ長老および周辺の人々はギリシャ正教を体現していて、それは生活をすべて宗教とすることによって神を体験し、いつくかの改心を経ながら神に近づく道である。このあとは、ギリシャ正教の教えが紹介されるが、ここでは省略。自分にはよくわからない、ということを述べることにしておく。
すごく面白い(とりわけ歴史記述について)のだけど、正教の考えが分かったかというと全く歯が立たない。本書によると、正教には文書化された教義はなくて(それは西のキリスト教も同じで、ルターやカルヴィンが書いたのに対抗してカソリックも教義問答を作った)、師父から生活を共にすることで納得・体得していくものであるらしい。それゆえに本を読むことはさして重要ではないというわけか。
18世紀以降のロシア貴族やブルジョアの子弟にはフランスなどに留学して、最新哲学と宗教を持ち込み、改革運動を開始する。本国よりもヴォルテールが愛読された国であるらしい。その反映はドスト氏「悪霊」のステパン氏になる。あるいはプルドンやブランキの社会主義思想が直輸入されて、影響を受けた貴族子弟や学生による反国家運動が起きたのも。「ギリシャ正教の流れ」にあるように、ロシア正教会の知的停滞が近代の知識人の宗教的知的情熱を満たすことができなかったというのがあるらしい。このあたりの背景とか情熱をしるために、あるいは19世紀ロシア文学をより面白く読むために、さらにはロシアの革命運動に精通するために、この本は横にあったほうがよい。
〈参考エントリー〉
odd-hatch.hatenablog.jp