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odd_hatchの読書ノート

2015-09-10

ロス・マクドナルド「一瞬の敵」(ハヤカワ文庫)

 アーチャー視点でないサマリーをつくると、19歳の粗暴な青年デイヴィがいる。孤児で、とても攻撃的で、LSDもやっていて、カウンセラーにかかっていたが殴り倒した後、職に就けずに居所を転々としている。彼には秘密があり、3歳の時に青年の父親が轢死に会い、その現場で死体を見ながら一夜を過ごしていた。その記憶が彼から離れない。デイヴィには女を誑し込む技術があり、大企業のPR担当、いずれは経営幹部にも目されているビジネスマンの娘サンティと一緒に駆け落ちをした。そのときに、ビジネスマンの所有するショットガンまで持ち出している。彼の行方を捜すと、まず安アパートの管理人の中年女性ローレルが鈍器で殴られ、しばらくあとに死亡した。ビジネスマンが勤めている会社の社長スティーヴン・ハケットが次のターゲット。家に押し入り、使用人を撲殺して、社長を誘拐した。線路に連れて行って、轢死させようとしたが、娘が逃亡したので、青年はあきらめる。そして祖父が持っていて今は捨てられた牧場に社長を監禁。嵐の夜に調査に行くと、アパートの管理人の部屋を盗聴していた元警官ジャック・フライシャーショットガンで射殺され、殴られて失神している社長が発見される。逃げ出した青年は、高校時代のカウンセラーの家に押し入り、妊娠中の女性に暴行しようとしているところを帰宅したカウンセラーに射殺された。

 というような陰惨ではあるが、それほど珍しくもない事件。不遇な境遇に生まれ、精神疾患をもち、麻薬もやっている青年の妄想と惑乱でもって起きた凶暴な連続殺人。初出の1968年ロスアンジェルスであれば、似た事件もあったかもしれない。

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 でもリュウアーチャーが捜査に乗り出すと、事件の様相は一変する。上のようにデイヴィの一族もさることながら、彼の誑(たら)し込んだ娘サンティのセバスチャン一家も。この家は夫婦仲は完全に冷えていて、互いに無視する10年を経ている。それでもどうにか世間体は維持しているものの、ある夏からサンティが反抗するようになり、自殺衝動まで起こす始末。夫婦はそれについて会話することもない。似ているのは彼の上司で、誘拐されたハケット一家も。キースの妻は戦後ドイツからアメリカにやってきた。キースが学生時代にロンドン留学していた時に見初めたのだが、彼女は家で孤立し、友達もいない。そうなる理由の大半はキースがひどいマザーコンプレックスを持っていて、中年にいたるもベッドに並んではいり、母の手で卵を食べさせてもらうくらい。しかも母はキースよりも年下の芸術家気取りの無能な男と結婚している。それは17年前に、何者かの手によって前の夫が射殺されているから。こちらのアングロアメリカンは中流以上の暮らしをしていて、はた目にはロールモデルになるような夫婦であった。その底流には、孤独と不信と憎悪がこもっている。そこに、孤児で精神疾患をもった異邦人が闖入することで、底の汚濁がかき乱され、敵意と反感と暴力が生じてくる。

 ここらの「家族」の事件は、1968年初出当時のアメリカをみているようだ。ベトナム戦争は膠着状態で、若い男たちは徴兵で戦地に派遣される恐怖をもっている。一方でその父母たちは第2次大戦朝鮮戦争の経験者で、アメリカ民主主義大義を信奉している。そのギャップは埋められない。父母たち大人は大義のための暴力を実行し、若い娘や息子は彼らに通じる言葉でしゃべることができず、デモやバリケードで対抗することになる。そういう1960年代の社会の疾患がメタフォリカルに描かれているよう。

 この事件でアーチャーはこれまでのように観察者・利害関係のない第3者であろうとしない。サンティやデイヴィの若い病んだ息子や娘を救うために家族に積極的に介入する。事態に対処できず閉じこもるばかりの親の世代には、情報と感情を息子や娘らに開示しろ、そして対話しろ、自己保身をやめて息子や娘の更生を実行しろと迫る。かつての冷静さは消え、関係者の救済に走り回ることになる。彼の存在は作者のモラルの具現になるのだろう。他者への憎悪を捨てろ、自己の悪を見つめ改善しろ、他者コミュニケーションをとれ、そしてそれぞれの能力に応じて他者救済の行為をなせ、ときに力を行使することも仕方がない。そんなところか。草の根民主主義のうち協力や社会参加のモチーフで彩られた自由主義のものなのだろうな。

 解説にあるように、事件の関係者は「父親捜し」に没頭する。父という権力がアイデンティティや存在の根拠になっているのだが、その父親は不在なのだ。失われた父親を探して果たせず、酒や薬物に逃げたり、自殺衝動を起こしたり、部屋に閉じこもったり、他人を傷つけたり。アーチャーが彼らに介入して、ようやく彼らは探している父親と向き合う。そのことはこの事件ではほぼ全員を傷つけることになる。回復の可能性を持つ者はごくわずか。その陰鬱さがなんとも心苦しい。上のように、当時のアメリカ社会の狂奔と暴力の心苦しさの反映なのかしら。

一瞬の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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