odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-3 社会でのし上がろうとして失敗した青年は「セヴンティーン」「政治少年死す」の高校生と表裏一体。

2017/02/02 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-1 1961年
2017/02/01 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-2 1961年の続き。

 昭和10年代の軍国主義、そのあとの占領時代の民主主義。この国では価値の激変がおきたわけだが、1952年に独立を承認された後、この国は国家理念の喪失状態になる。戦争を起こした軍国主義ファシズムは嫌悪するものであるが、といって自由と民主主義の理念を活用するには経験に乏しい。そしてどのような国家にするのか、国家的なビジョンやミッションはどうあるべきなのかを構想し検討することができない。たぶんそれは貧困にあることと、自信喪失に由来するのだろう。結局のところ、この国の政治家は、国家理念を検討することはなしにして、経済成長と反共でやっていくことにする。1960年において、経済成長は戦争を利用することで高度成長が始まろうとしていたし、種々の反共政策も実現しつつあった(米軍基地の据え置きであるとか自衛隊の設立であるとか破防法他の法整備であるとか)。
 現実の日本の政治がこのように動いていくことに対する批判はあった。この小説が連載されていた1960年においては、安保法制反対運動に集約される。著者はその運動にコミットしてもいたのであるが(デモに複数回参加。ただし採決があった6月は訪中のため東京には不在)、連載していた小説でも現在(1960年当時)のこの国の在り方を批判しようとする。このモチーフは第2部で顕著。
 批判の方法は、「政治的人間」「性的人間」「犯罪的人間」という視点。たいていの人々は、生活と労働と活動(@アーレント)を調和させて、日常を大過なく過ごすようにするものである。占領後の時代で経済活動が重視される時には政治へのコミットは無駄なことであり(戦後の欠乏野球帽の時代には生活での欲求はそのまま政治に直結していたが、インフラやセイフティネットが整備されると、欲求は消えて、多くの人は保守的になる)、性はもちろん秘匿されるもの、犯罪のような反社会行為は肯定されない。しかし、一部のこうした人々は社会に対する異議や批判を言葉ではなく、行動でもって示してしまう。彼/彼らはそのような意図を持っていないのかもしれないが、子細に観察することで彼/彼らが社会や国家に鋭く切り込んでいく存在であることが分かるのだ。だいたいこういう考え方。
 そのような「政治的」「性的」「犯罪的」人間を集約しているのが、「わたし」に他ならない。彼のパーソナリティ分析は第1部の感想エントリーで十分なので繰り返さない。第2部では「わたし」の過剰な政治性、性の過剰と貧困で、自滅し破滅していくさまを見る。個々の事件はおそらく実際にあったことであって(前エントリーなど参照)、それらを統合することでこの国のシステムの在り方が逆説的に見えてくるわけだ。1960年というと、終身雇用制、定期昇給性、年功序列制、OJTによる社会教育体制、企業による福祉支援など、この国の経済や雇用の仕組み(1980年代に大いに顕彰され、バブル崩壊以降にバッシングされた)ができたころ。就職できさえすれば、経済成長の後押しもあって数十年は安楽に暮らせるように思えたのだった。そういう安定指向があるときに、日常や社会から逸脱する人間を描き、その思考や感情の在り方に想像力を働かせることによって、日常や社会の問題や隠されていることに気付くことができる。そういう仕掛けとしての方法。
 この「わたし」が著者の小説群の中で興味を引くのは、アグレッシブで行動的なところ。学生運動サークルに入ってプロジェクトリーダーになったり、保守政治家に取り入ろうと画策したり、国会やテレビに登場したり、深夜都市の暗部を徘徊したり。そのようなバイタリティを持つ。しかし、そのような主人公はこの小説が最後。このあと小説や物語の語り手は憂鬱で、受動的で、別の人に引っ張られるようになる。「わたし」のような行動的な人物は語り手の生活に闖入してひっかきまわし、語り手を批判する者として表れるようになる。そのような転換がどこにあったかはおいておくとして(たぶん「政治少年死す」事件のあとの著者の状況の反映とは思うが)この後は物語を書くものと物語を推進するものが分裂して、相互批判をしながら進むという新たな方法に移る。
 「わたし」は村その他のシステムから逃れたい、上昇したいという希望を持っていたが、結局それはかなうことなく、むしろより縛りの厳しい日常や家庭に囚われることになる。最後「わたし」はフランスに行くことになる。この経歴の人物は、この後の長編に現れる。「日常生活の冒険」「個人的な体験」「万延元年のフットボール」の語り手は、フランスに行ってしまった友人を持っている。その友人はあるとき縊死してしまっていて、彼の自殺は語り手を深いところで傷つけている。もしかしたら、と妄想するのは、このフランスで縊死した友人というのは「遅れてきた青年」の「わたし」のことではないかということ。間接的に「わたし」のようなアグレッシブな人物を「殺す(比喩的な意味です)」ことが、次の小説の方法に至らせたのではないか。そんなことも。
 後年の小説を読み直してから、この著者25歳の時の長編を読み直すと、「わたし」のパーソナリティが突飛に思われて、なかなか感情移入できなかった。そのぶん、この長編は若書きで力が入っていてとても技巧的であるところに感心しても、好みにはいらない。成功しなかった小説だと思うが、失敗ともいえないという奇妙な感想をもった。1961年初出。