odd_hatchの読書ノート

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筒井康隆「全集23」(新潮社)-1980-81年の短編「ジャズ大名」「エロチック街道」など

 「全集23」には1980-81年の作品が収録されている。長編「虚人たち」も併録されているが、別エントリーにしたので、割愛。

遠い座敷 1980.10 ・・・ 宗貞少年が親戚の家で夕飯を食べることになる。「ごんた節」が歌われ、屋敷の廊下と部屋を延々と歩く。この不気味さは、しゃべりは日本語だが意味が通じないところと、別れを告げたあたりから句点(、)が無くなって意図的に長くした文体にあるのだね。

インタビューイ 1978.11 ・・・ 富富富夫先生へのインタビュー。質問者の意図をことごとく回答者がずらす。意味と論理のつながらない会話を書くというのは大変だなあ、という感想。

寝る方法1979.01/冷水シャワーを浴びる方法1979.08/歩くとき1979.09 ・・・ いずれもその行為に関する微細な描写。詳細に書くほどにその行為ができないように思われる言葉のトリック。カルヴィーノに先例があったね(「ティ・ゼロ@柔らかい月」など)。ただ、あまりに執拗な描写なので再読するのは困難だった。

旦那さま留守 1979.02 ・・・ の間に家政ロボットが主人たちのまねごとをする。この着想はFブラウンのショートショートにあったけど、おかしいのはロボットが「日本地球ことば教える学部」の卒業生のようにしゃべること。

急流 1979.05 ・・・ 時間の加速現象による世界の終末。ふつうのことがドタバタになるおかしさ。作者自身がマンガにしていた。

遍在 1980.01  ・・・ 美術評論家の家を作家が訪ね、夫人とよろめく(死語)。主観描写なし、内面の独白なしで、同じ話を4回繰り返す(少しずつ内容がずれる)。こんな実験小説を大衆読み物雑誌(「オール讀物」)に発表するのだから、いい度胸をしているというか、いじわるというか。

昔はよかったなあ 1980.07 ・・・ 耄碌した爺さんのハチャメチャ昭和史。発表当時、読者は登場する小ネタを全部知っていたから、時代を異にする事件や人が並列されるのに大笑いしたものだが、21世紀の読者には詳細な注解が必要だろうな。昔はよかったなあ。なお、新潮社版全集を全巻予約すると、特製LPをもらえて、そのなかにこの短編を作者が朗読した音源が収録されていた。ネットにもあった。
朗読 筒井康隆「ショートショート三篇」 - ニコニコ動画

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かくれんぼをした夜 1980.01 ・・・ 小学校でかくれんぼをしたとき、みんなを見つけないで終わりにしてしまった。成人後の同窓会で、みつけなかった子はその後見なくなったと述懐する。筒井流「ふしぎ小説@都筑道夫」。

ジャズ大名 1986.01 ・・・ 南北戦争奴隷解放で農園を追い出された黒人4人、南軍の捨てたコルネットクラリネットトロンボーン、ドラムを拾って即興演奏する。メキシコ人に騙され太平洋航路の船に乗り、たどり着いたは日本の南国の藩。座敷牢の退屈な日々、演奏している間に、興味をひかれた大名以下家臣たち、一夜をジャムセッションにする。外ではええじゃないかで踊り狂う人たち。和楽器でジャズをやるという面白さ。作中にはスコアが載っている。これも上記特製LPに作者自身のセッション録音が収録されていた。
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 ええじゃないか好きの岡持喜八が映画化(1986年)。最近見ました。予算がなかったのだなあ(それを逆手に盗った演出は好き)。後半のジャムセッションの長さに閉口。

時代小説 1981.02 ・・・ 国枝四朗あたりの伝奇小説の文体を模倣。中身はハチャメチャ、言葉遊びのオンパレード、無内容の会話。普段読んでいる大衆小説はこんなもん、という啖呵が聞こえてきそう。
一について 1981.02 ・・・ 形式論理を徹底していった先の狂気。

傾斜 1981.06 ・・・ ショートショート

早口ことば 1981.07 ・・・ 早口ことばを筒井康隆筒井康隆風にアレンジしてみた。参考「バブリング創世記」。

エロチック街道 1981.05 ・・・ 夜に知らない町でタクシーから降ろされる。居酒屋で酒を飲み、地下の温泉に行く。そこには女がいて、二人で湯にはいって・・・。すべての文章が現在形。どこに連れていかれるのかわからない不安感と、タイトルのエロティックな体験。

ニホン古代SF考 1981.12 ・・・ 「SFブーム」だった1970年代を未来の文明史家が書いた(という設定)。「古代SF用語」「古代文壇用語」を読者は全部知っていたから(略)。登場する作家は発表当時30-40代だったのだよなあ。昔はよかったなあ。


 24巻のエッセイ「夢――もうひとつの現実(虚構)」に、これらの短編のアイデアのもとになった夢が書かれている。そういう夢はたとえば、どこまでも続く座敷や部屋、急流、流れ落ちる滝、闇の中のかくれんぼ。こういうイメージが意匠を変えて繰り返される。論理や理屈の通じない世界、意味をずらされる言葉、そういう「異化」作用によって、現実と夢と虚構の区別がつかなくなっていく。