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odd_hatchの読書ノート

2012-03-22

アガサ・クリスティ「ナイルに死す」(ハヤカワ文庫)

 初読かと思っていたら、実に20年前に読んでいた。細部はすっかり忘れているのに、クリスティの仕掛けは途中ですっかりわかってしまった。直前にネットの書き込みで、国内の有名作と同じ趣向(本邦作が後)だということを読んでいたからかもしれない。感想をアップ済だが、リンクは貼らない。

 「ナイル川を航行する客船カルナク号の船上で、ついに起きた殺人事件。一発の弾丸が、リネットの命をうばったのだ。乗りあわせていた名探偵エルキュール・ポアロの捜査がはじまる。ところが、リネットとサイモンに復讐をちかっていたジャッキーには完璧なアリバイがあった。夫のサイモンも負傷のために犯行をおこなうのは不可能。容疑はほかの船客にもむけられるが……大胆かつ華麗なトリックに、ポアロの頭脳が挑戦する!」

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 ここには大量の人物が出てきて、どれも奇矯な人物ばかりであって、むしろ犯罪の中心にはいない彼らの隠された性癖が暴かれていく様子のほうが興味深かった。そういうところの隠し方が見事で、こちらのほうを書きたかったのではないか。クリスティは貴族趣味の作家であって、その点は同時代の探偵作家とは一線を画している。多くの小説で、クリスティは貴族やブルジョアの一見隙のないダンディさの後ろに多くの秘められたことを暴くことを行っている。彼らを暴露するには、同階級のひとたちでは無理なわけであって、彼女の探偵がベルギー人であったりオールドミスであったり、貴族やブルジョアの周辺にいる人であるというのはそのためなのだろう。

 もうひとつは、驚くほど情景描写が淡白なことで、せっかくエジプトを舞台にしていながら、その様子はいまひとつはっきりせず、いったいどういう生活なのか、どういうホテルなのか、さっぱり伝わってこない。しかも後半半分は遊覧船の中で起こり、その船の大きさは登場人物の数からわかるとしても、どういう構造なのかはよくわからない。それでも読者の興味を持続するというのは、うーん、いったいどういうわけか。

 あと、女性の描き方が秀逸。そのかわり、男性の描写は淡白で類型的。このあたりは宝塚になってしまうのだな。

 おまけで、都筑道夫が「サタデーナイト・ムービー」の中で「ナイル殺人事件」を取り上げている。原作はこれで、センセーによると論理に矛盾があるそうな。全然気づきませんでした。もちろんセンセーもどこが矛盾か記載していない(真相の根幹に触れるため)ので、自分には謎のまま。映画はなかなかいいそうな、自分は未見。

2012-03-21

アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」(ハヤカワポケットミステリ)

 四半世紀ぶりに再読。1976年にハヤカワミステリ文庫が創刊され、その第1回配本のうちのひとつだった。アイリッシュ「幻の女」、クイーン「ダブル・ダブル」ロス・マクドナルド「ウィチャリー家の女」などと一緒。いずれもポケミスでは入手難(当時周囲にポケミスを置いてある本屋はなかった)だったので、いろいろ買い込んだ。

 有名作だから特にストーリー紹介をしなくてもよいだろう。匿名の招待状が届き、10人が孤島を訪れる。招待者U.N.オーエンは登場人物のいうとおりunknownであって、正体不明。しかも蓄音機が突如動き出して、10人への告発が行われる。釈明、反発、居直り、沈黙などなど各人がそれぞれの反応を見せる。そして一人ずつ殺されていき、全員が死亡する。困ったことに、最後に死んだ人にも人為が働いているのがわかり、犯人ではないことがわかる。一体誰が殺したのか。

 再読の感想のひとつは、語り口が非常に早いということ。細かくチャプターわけされていて、最長で4ページ、最短は200字くらい。この加速された語り方は映画的だ(実際、クリスティ原作ではすぐに映画化されたひとつ)。クリスティの他の作品では語りはもっとゆっくりで長いので、彼女の作品の中では「異色」だった。登場人物10人の心理描写をしようとするための手段であるのだろう。それよりもむしろ、この語り口によってでないとあのストーリーは作れなかったと感じる。クリスティの早口の語りと場面の急速な転換が「書かないこと」や「書いていないこと」を隠しているのだ。この種の「閉ざされた山荘」あるいは「嵐の孤島」テーマの最近作では、ニコラス・ウエイドの「髑髏島の惨劇(文春文庫)」があるが、これもまた短い章の積み重ねと加速された語りが使われていた。一方、笠井潔の「オイディプス症候群」(光文社)では逆に語りを遅くすることでこのテーマを書いていた(待ち伏せの数分の間に、フーコーの権力論50ページを挿入するような)。

 「閉ざされた山荘」あるいは「嵐の孤島」テーマの創始であり典型であり究極でありとみなされるのだが(「そして・・」の初出は1939年)、でも1920年代の映画「グランド・ホテル」は無関係な複数人がからみあっていく話だったし、創始というのもどうかと。古い話なら「デカメロン」がペストを避ける男女が暇つぶしに互いに語り合うものだし、福音書の「最後の晩餐」に集まった連中もイエスに感銘を受けたという点を除けば知り合いではなかったし(ただし数名は兄弟)。まあ、ポーの最初のミステリーはパリを舞台にしていたが、この街自体が見知らぬ他人が偶然に集まっているものであった。そう考えると、「都会」こそが「閉ざされた山荘」あるいは「嵐の孤島」なのだろう。

2012-03-20

アガサ・クリスティ「三幕の悲劇」(創元推理文庫)

「嵐をよぶ海燕のように、おしゃれ者の探偵ポワロの現われるところ必ず犯罪がおこる!引退した俳優サー・チャールズのパーティの席上、老牧師カクテルを飲んで急死した。自殺か、他殺か、自然死か。しかしポワロは、いっこうに尻をあげようとしなかった。二幕、三幕と進むにつれて、小さな灰色の脳細胞ポワロの目が光り始めていく……。」

三幕の悲劇 - アガサ・クリスティ/西脇順三郎 訳|東京創元社

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 サウスウェストという芸術に理解のあるパトロンは、引退した俳優カートライトの世話をしている。彼はなにかにつけて俳優気取りでいながら、人気のあるという男。彼らの住まう「鴉荘」でパーティをしていたら、老牧師ニコチンの入ったカクテルを飲んで死亡した。事故死ということになったが、この二人は納得しない。そこで素人探偵ごっこを始めることにする。パーティに集まった連中には牧師の死を望むものも、彼から利益をえるものもいない。行き詰ったある日、別のパーティで今度はストレンジ医師が同じ方法で毒殺された。彼はサウスウェストやカートライトの主治医かつ精神医として有名であった。おりしも、最近医師の雇ったエリスという執事が失踪してしまう。嫌疑は彼に集まるが行方は遥と知れない。

 彼らの探偵ごっこにはエッグとあだ名される若い娘も参加して、パーティの参加者を洗っていく。この娘にはマンダースという婚約者がいたが、無神論を唱えて牧師と論争したこともあり疎ましく思っている。むしろロマンスグレーの魅力あふれるカートライトにひどく惹かれているのだった。彼らの捜査も行き詰ったところに、ポアロ登場。ストレンジ医師の秘密を明かそうという手紙が、かつての患者で今はサナトリウムで療養している女性から届く。素人探偵が訪問しようとすると、到着の直前に彼女は死亡していた。

 素人探偵ごっこが主題になり、彼らがいきあたりばったりに多くの人を尋問する様子が描かれる。まあこれはクリスティのお得意の手法で、なにげないおしゃべりに手がかりが隠されているということになる。それになれないうちは、どうにも退屈で、たくさん出てくる登場人物の関係がなかなか頭に入ってこなかった。これはもちろん読者である自分の問題。カーの書き方なら、尋問は一室で行われて一通りの関係者の話を聞くのに100ページもかかるだろう、それはそれで退屈になりかねない。また、事件の概要は主に伝聞(登場人物の会話)によって行われる。事件そのものの描写はほとんどないといってよい。これがクィーンであれば、父警視や検死医によって直截な描写も行われることだろう。こんな具合に、人びとの会話でもって、他の場所の出来事を読者に報せるというのは、劇作手法であるのかしら。それに、素人探偵ごっこというのは、引退した俳優や悠々自適の資産家のアイデンティティ捜索のように思え、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」のように重要でない人物がいい加減な憶測と行動をとっていて、他人の悲劇を理解できない話かと思った。「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」のほうがあと(初演が1966年)なんだけどね。

 なにしろポアロの影が薄くって。ほとんど登場しないのに主人公をかっさらうというところも前節のような感想をもつことになったのだった。あいにく、「三幕の悲劇」のタイトルにこめられた「劇」に意味はまるで違うものだったのけど。これ以上は書けないからやめておく。もしかしたらノックス「陸橋殺人事件」をすこしは意識していたかもしれない。

 詩人西脇順三郎の翻訳。うーん、これはあまりいただけない。教養のある知識人が翻訳したことで、コメディの軽妙さ(そう、タイトルとは逆に内容はコメディなんだ。おきゃんな娘と退屈している大人のひと夏の恋のお遊びなんだよ)が薄れてしまい、重厚な心理小説になる。途中、自分が読んでいるのはセイヤーズではないかと思えました。しかし原作はそこまでの深刻さや深遠さをもっていないので、齟齬がでてしまう。詩人の仕事としては珍重したいが、クリスティを楽しむには不適です。

三幕の悲劇 (創元推理文庫 105-15)

三幕の悲劇 (創元推理文庫 105-15)


<追記 2015/4/6>

 1978年に出た「アガサ・クリスティ読本」に「売れ行き倍増事件」というエッセイ(エリザベス・ウォルター)がのっていて、クリスティの出版事情が書いてある。

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 要点は、

1.クリスティの小説は、イギリスではコリンズ社が独占販売アメリカではドッド・ミード社が販売していた。

2.「アクロイド殺し1926年と直後の失踪事件でクリスティは有名になったが、販売部数は5000-8000ベストセラー作家ではなかった。

3.1万部を超えたのは1935年の「三幕の殺人」から。以降、売上は1作ごとに倍増するようなベストセラー作家になる。

4.1935年になってペンギンブックスが創刊され、クリスティの作品もペーパ―バックで出るようになった。

5.書誌をみると英米でタイトルの異なるのは1932年から1957年の作品まで。

 ここから次のように推測できる。

 1935年まではイギリスでもアメリカでもあまりクリスティの作品は売れなかった。アメリカの出版社も販促に力を入れてこなかった。1935年からイギリスの評判をうけて、アメリカでもプロモーションに力を入れるようになった。販売時期にはタイムラグがあり、アメリカの出版社の意向で、タイトルの変更や内容の修正が行われることがあった。1960年代になるとタイムラグを作ることがなくなり、クリスマスに最新作を英米同時に同内容同タイトルで販売するようになった。

 英米版の差異で有名なのは「三幕の悲劇」で、英米版では動機や結末が異なっているという。ハヤカワ文庫田村隆一訳)がイギリス版で、創元推理文庫西脇順三郎訳)がアメリカ版。自分はハヤカワ文庫は未読なので、差異の詳細はわからない。

2012-03-19

アガサ・クリスティ「ABC殺人事件」(創元推理文庫)

ポワロのもとに、奇妙な犯人から、殺人を予告する挑戦状が届いた。果然、この手紙を裏書きするかのように、アッシャー夫人(A)がアンドーヴァー(A)で殺害された。つづいてベティー・バーナード(B)がベクスヒル(B)で……。死体のそばにはABC鉄道案内がいつも置いてある。Cは、Dは誰か? ポワロの心理捜査がはじまる!」

ABC殺人事件 - アガサ・クリスティ/深町眞理子 訳|東京創元社

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 なーつかしいなあ(by佐藤允@独立愚連隊西へ)。中学3年生のときに、友人から借りて読んだのだよな。数日かけて読んだんだが、見事に撒餌にひっかかりました。おかげでポアロの「さて、皆さん」からあとの謎解きで驚愕しました。さてそれから30数年ぶりの再読。

 創元推理文庫堀田善衛訳。ハヤカワ文庫田村隆一訳。ハヤカワ文庫版はまだ読んでいないが、堀田さんの手にかかると、格調高い英国文学に早代わり。ポアロは伊達なしゃれ男から高潔な科学者になり、ヘイスティングスもまぬけなお人よしから人格者に。他のポアロものとは違った雰囲気になってしまう。もう少し堀田善衛の訳したものを読んでみたいが、そうなると他の小説のいくつかが書かれなかったと思うと、痛し痒し。さらに困ったことには、創元推理文庫は別の訳者による「ABC殺人事件」を販売するようになったので、堀田訳は入手困難になってしまった(ハヤカワ文庫の田村訳も別の訳に差し替えられた)。こういう余技の仕事は全集には納められないしなあ。

 これはクリスティの傑作群のひとつに数えられる。このあと似た趣向でさらにいろいろ加えたものが量産されたので、今の視点でみると見劣りもすることになるのかな。そのあたりは、起源にあるもの、あるいは古典の宿命。そのかわりに19世紀の英国文学風な心理描写(とはいえ、「アクロイド殺し」に比べると皮相になるのだが)を楽しむことになる。

 機械的なトリックなんてのはなくて、ストーリーがトリックになっている。ここには現在しかかかれていなくて、過去は会話の中にしか出てこない。そして、伝えられる情報はヘイスティングスの見聞きしたことだけ。そのような情報の不足(しかし、手がかりはちゃんと記録されている。記録されている?)が読者を混乱させ、真犯人の真意を隠している。これはたしかに、それ以前の探偵小説にはなかった。このあたりから本格探偵小説ゴシックロマンスと手をきったということになるのだね。すなわちリアリズムへの傾斜、社会への関心。これらが探偵小説に反映されてきた。

 たとえば、重要な人物が戦争の犠牲者として描かれている。第1次世界大戦総力戦、始まりも終わりもない戦争状態におかれて、精神を病んだ男が書かれている。彼は塹壕の中で、絶え間のないストレス神経症にかかり、記憶の混乱と自信の喪失が起きている。彼は、たぶん1920年代の典型。思想が崩れ、共同体から疎外され、孤独になった男。たぶんそれは二つの大戦間の自信を失ったヨーロッパの姿。それを19世紀人の典型であるポアロが救う(救ったか?)。そんなメッセージのあるような、ないような。

ABC殺人事件 (創元推理文庫)

ABC殺人事件 (創元推理文庫)

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

2012-03-16

アガサ・クリスティ「スタイルズ荘の怪事件」(ハヤカワポケットミステリ)

 「第一次世界大戦下、イギリス片田舎のスタイルズ荘。ある夜遅く、一家は女主人エミリー・イングルソープがストリキニーネによって毒死するのを目撃する。客として居合わせたヘイスティングズ中尉は事件について、近くのスタイルズ・セント・メアリー村で再会した友人エルキュール・ポアロに助けを求めた。事件当日、エミリーは新しい夫アルフレッドかその息子ジョンと思しき人物と口論し、結果遺言書を改めることにしていた。彼女は夕食をほとんど取らず、書類入れを携え早々に自室へ戻った。その夜彼女は死に、遺言書も消えた。夫はその夜、屋敷を離れていたという。誰がなぜ、いつどうやって毒を盛ったのか。ポアロヘイスティングズとともに調査を開始する。(裏表紙のサマリ)」

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 ポケミス版なので田村隆一訳。戦後の作家は小説だけでは食えなかったのか、ミステリの翻訳というアルバイトをやっていた。おかげで、田村隆一鮎川信夫堀田善衛西脇順三郎福永武彦丸谷才一・阿部知二・福田恒存といった面々によるクリスティその他の翻訳があるという贅沢なことになった。さすがに昭和20-30年代の翻訳は古くなってしまったらしく、品切れ・絶版で入手が難しくなった。

 解説は都筑道夫。ここで彼は、ミステリは書かれた時代を考慮して読んではダメよ、あくまで読書している現在の視点で読みなさい、古いエンターテイメントの技術のなさ、稚拙さはそのまま減点しなさい、厳しい目が必要、といっている。自分はこういう読み方をしてこなかったので意外。むしろ時代風物を懐かしむ道具、当時の意識・無意識の発見、などという読み方をしてきた。センセーの主張には敬意を払うけど、従うことは難しそう。

 あまり集中して読めなかったので、事件の印象が薄い。なんともダメな読者なので、いくつもの手がかりを見落としてしまった。それというのも、あまり頭のよくないヘイスティングスポアロの忠告を無視して、間違った推理とそれに基づいた誤った捜査を行い、正確ではない人物描写を記載したからだ(と自分のダメぶりを責任転嫁してしまう)。

 時代は第1次大戦の最中。イギリス人によるベルギー差別もあったはず(のちのモンティ・パイソンでそういうスケッチがあったなあ)だが、作中で侮辱を受けたポアロが憤慨しながらもこの犯罪の捜査を引き受けたのは、大戦中にポアロの友人がイギリス人によって救出されたため。この恩義に報えるための行動なのであった。義侠の人だったのだ、ポアロは。

 当時のイギリスの田舎町の邸宅には電気が通じていなかった。効率の悪い家だったから、多人数が住み、家事を分担しないと運営できなかった。そこには、家族だけではないいろいろな系類の人が同じ屋根の下にいる。愛憎が交錯し、遺産相続に関心を向ける。その代わり世間のことには無知。こういう世界で起きた殺人事件。クィーンやヴァン・ダインクロフツなどが都会の事件を書いたことと比べると、クリスティのスタート地点は相当に違っていた。これだけだと、ウィリアムソン「灰色の女」のようなゴシックロマンスの系譜につながるようだが、クリスティはスパイ小説を書くなどして、自分をモダンな作家に変化させていったような気がする。この視点はもう少し読んでいくとはっきりするような気がする。