Hatena::ブログ(Diary)

odd_hatchの読書ノート

2015-11-17

ヘンリ・スレッサー「ママにささげる犯罪」(ハヤカワポケットミステリ)

 「うまい犯罪 しゃれた殺人」が好評だったので、ヒッチコックが編んで1962年に出版された。この国では1970年代に文庫になっていた。

 前の短編集ではほめまくったけど、こちらでは、苦情も書いておくことにしよう。

 ちょっと辛味のきいた物語だけを読み続けるのはしんどいことであることも確かで、スレッサーやホックの短編は、周りにがちがちの本格ミステリーや都会小説が載っている雑誌で、箸休めの感じでつまむのにちょうどいい(一本読むのに十分とかからないから)。スレッサーの短編ばかりを集めたものだと、老舗の名品漬物だけが入っているようなもの。焼き魚や唐揚げやご飯もないと食事はすすまないのだよな。

 それは彼の人物がお人よしで、間抜けで、オポチュニストで、打算的で、まあ、ちょぼちょぼの人間ばかり。加えて作家はとても同情的。なので、ペーソスがただよって、バカだなあ(でも読者のオレは彼らとは違うよ)という優越をもたらすところにも。ここらへん、人間嫌いで人間の残虐性を抉り出すルヴェルと違うのだよね。文学的余韻(とはまあ抽象的ないいかた)が乏しいのだ。

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1 母なればこそ (A Crime for Mothers) ・・・ 金にせっぱつまったアル中気味の女は弁護士と称する男の誘いに乗って、自分の元の娘を誘拐することにした。2回のひっくり返し。誘拐された娘の最後の一言の皮肉さ。

2 隣りの独房の男 (The Man in the Next Cell (Incident in a Small Jail)) ・・・ 田舎町を急いでいたビジネスマンがスピード違反と贈賄未遂で独房に入れられる。おりからその町で凶悪事件が起き、犯人が逮捕され、同じ独房に入れられた。町の住民は凶悪犯をリンチしようとするらしい。ビジネスマンは気が気でない。落ちがむずかしいけど、凶悪犯夫妻の仕組んだことにするとつじつまがあうのかな。

3 褒美は美女 (And Beauty the Prize) ・・・ デートの約束がなかなか取れないのは、彼女には55歳の恩人がいるからだった。そこで文句を言いに行くと、決闘しようといいだす。相手は20cmも低く、30kgも軽いのに。なぜ老人は決闘を申し込んだのか。

4 女の力 (A Woman's Help) ・・・ 夫の悩みは病気がちの妻のことだった。疑い深く、嫉妬深く、他人を自由に操る権力をもちたがり、他人を顎で使うことに快楽を見出すような。ようやく見つけた看護婦は若い美人で、夫は魅かれたが、妻は目ざとい。そこで復讐の計画を立てたのだが。病人がひがみっぽく、意地悪になるのはよく聞く話で、なんとも、心底まで寒くなるねえ。

5 アミオン神父の大穴 (Father Amion's Long Shot (Long Shot)) ・・・ 貧乏な教会で熱心に祈る赤ら顔の中年男。気前よく賽銭をだすので聞くと、教会で祈ると競馬で勝つのだという。逼迫した神父は、教会の金をその男に預けた。その直後、激しい後悔で、賭けた馬が当たらないようにとお祈りした。お祈りは聞き入れられたのだが。ジレンマに陥った神父を救うたったひとつの冴えたやり方。うまい!

6 料理人の問題 (Servant Problem) ・・・ 新進作家は自信満々で出版社社長一家の到着を待っていた。最初に来たのは、なんと25年前に別れた妻。アル中気味でよりを戻そうといいだす。社長一家には「料理人だ」ということで切り抜けたが、翌日、作家は決着をつけに汚いホテルにむかった。そこでタイトルの問題が起きてしまって。

7 夜が淋しいの (Keep Me Company) ・・・ 夫が友人たちと起業したので、帰宅が遅くなり、妻は気が狂わんばかり。思いついたのは警察にコソ泥がいるといたずら電話を掛けることだった。親切な警官だったので、いたずらはもっとエスカレートしていく。そして強烈な皮肉。

8 制服は誰にも似合う (Cop for a Day) ・・・ 小金を強盗するつもりだったのが銀行員を殺し、金髪女にみられてしまった。アジトにこもっていると不安でならない。そこで貸衣装屋で警察の服を借り、金髪女を調べるふりをした。強烈な皮肉。

9 父帰る (Welcome Home (You Can't Blame Me)) ・・・ 20年収監されていた50歳の男が出所する。隠しておいた金をみつけ、家に帰る前にバーによった。けばい女が酒をすすめ、意識を失うと金を入れたスーツケースはなくなっていた。失意の男を妻は迎え入れ、娘を紹介する。強烈な皮肉、恐ろしい結末だなあ。

10 帽子から出た殺人 (Murder Out of a Hat) ・・・ カンニングを見つけられた学生は報復のために、生物学の老教授の家にいき、真新しい帽子が捨てられているのをみつけた。教授は夫婦喧嘩が絶えず、奥さんは数か月前からいなくなっている。ということはこれは?というわけで警察にタレこみにいった。まあ、教授の知恵にはチンピラ学生はかないませんよ、というこった。

11 豪華な新婚旅行 (First-Class Honeymoon) ・・・ 離婚した妻といちゃいちゃしている男が来て、金が欲しいから妻と結婚する、だから金をくれという。離婚手当にうんざりしている男は小切手を切った。そうそううまい話はないってこったね。

12 良薬は口に苦し (The Right Kind of Medicine) ・・・ 強盗に成功したが追跡する警官を射殺してしまった。太ももに貫通弾をうけ、痛みどめを処方してもらう。でかけようとするとき、薬局の男が後をつけていた。うん、犯罪はあわないねえ。

13 最後の遺品 (The Last Remains (Dead Give-Away)) ・・・ 葬儀社に持ち込まれた死体は交通事故死ということだが、目立たないところに銃痕があった。葬儀社の社長は警察に届ける代わりに、葬儀を依頼した共同経営者と話をすることにした。

14 水よりも濃し (Thicker Than Water) ・・・ 未成年が敵対中のグループとあってナイフを使ったというありふれた事件。それを依頼された弁護士はいやいやながらも事件を引き受けたが、状況はよくない。最後の望みは、凶器のナイフをある血液テストにさらすことだった。ここでは被告人親子の心情について、いろいろと想像をめぐらすエンディングになる。そこでタイトルをもう一度読み直すこと。

15 老嬢の初恋 (Won't You Be My Valentine (The Case of M.J.H.)) ・・・ 精神分析医に勤めるオールド・ミスが初めて恋をしたが、彼はならずものだった。勤め先からカルテを持ち出すよう強要し、ある患者の情報を盗んでゆすりにでかけた。しかし。

16 魔の指サミー (Burglar Proof (Be My Valentine)) ・・・ 落ち目の広告会社が企画したのは、最新の金庫をなうての金庫破りに公開で開けさせることだった。しぶる金庫破りの「魔の指」サミーをなだめて、どうにか実験を開始。3時間たって結局金庫は破れなかった、だが。えーと、クイーンのある短編と同じトリックでした。


 もうひとつ困ってしまうのは、そこにあまり書かれていないにしても、1940-50年代のアメリカ生活が前提としてあるので、そこから時間が離れてしまった今となっては、古びた感じがでてしまうことだ。その当時には、先端のモードであったのだろうに。同じようにその時代に寄りかかった短編を大量に書いていたPKDやブラッドベリはあんまり古びた感じがしない(むしろノスタルジックな発見がある)のに、F・ブラウン(でも大好き)やヘンリー・カットナーが古びてしまったのに似ている。このあたりの時代感覚というか作家のありかたというのは難しいのだね。

 「褒美は美女」「夜が淋しいの」「父帰る」などの主人公(世間知らず)が会う人々の二重性に震えることになる。外見や見た目と、実際の行動のギャップがこわいというわけだ。彼らの皮相な見方で、損をしたり、ひっかけられたり、ときに大事なものを失うのだが、それって俺たち自身に少し重なるのだよね。そこが恐怖やサスペンスのもと。

2015-11-16

ヘンリ・スレッサー「うまい犯罪 しゃれた殺人」(ハヤカワポケットミステリ)

 1960年ヒッチコックが編んだ短編集。

 一編あたりのサイズは、原稿用紙に換算して20枚くらいというところ。登場人物はまあ3人。点描的な人物を入れても10人を越えることはない。物語も、せいぜい1時間くらいのできごとで、途中に時間が飛ぶことがあっても同じ日の出来事になってしまう。今の感覚だとショートショートに近いお話。でも、それを映像化するとちょうど一時間に収まるくらいのものになって、ヒッチコックのTV番組にするにはちょうどぴったりの原作になっている。ここに収録された物語では、90分を超えるくらいの映画にするにはストーリーが単純に過ぎるし、登場人物が少なすぎるきらいがあるが、早撮りの必要なTVにはいいでしょう。

 人々の転落やら嘆きやらそういうことが起きて、なるほど都筑道夫のいうように、このくらいのサイズの物語は、人生という樹木の枝を切り取ったときの断面だ。それまでまあまあいい暮らしをしていた人が、ある一瞬を境に元に戻ることが不可能になるようなことに遭遇し、たいていは頭がうまくまわらずに失敗するという次第になる。ホックの短編(ニック・ヴェルベットのシリーズなど)は、読者のひとつ上のステータスの階級を描いて、読者の羨望を喚起するものだとすれば、スレッサーの短編は読者よりも若干下のステータスの人々が登場し、読者よりもすこし頭の悪い判断をすることになっている。たいていの場合、主人公は失敗してしまうのだが、その間抜けさに読者は安心するのだろう。私らはここにでてくる人のようなみっともない事態になるまでにはしないし、きちんと対応できるだろう、と。そういう安心感を得られることが、スレッサーを読み続ける理由になるのだろう

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1 逃げるばかりが能じゃない (Not the Running Type) ・・・ 20万ドル(2013年だとその百倍くらいになるかな)を横領した出納係は、15年の刑期を終えて出所した。しかし、金の隠し場所は絶対にしゃべらなかった。いったいどこに隠したでしょう。

2 金は天下の回りもの (A First Full of Money) ・・・ 新婚のアーニーは給料をポーカーですってしまった。妻のいいわけにちんぴらにとられたといったら、警察に届けましょう、警察からは犯人をつかまえたと連絡があって、青くなってしまう。

3 ペンフレンド (Pen Pal) ・・・ 姪のマージ―がペンフレンドにしている相手は無期懲役囚だった。彼はマージー会いたさに脱獄したという。彼は家を見つけ、中年女の住む家に来た。「マージーはどこだ?」 双方にとって苦々しい真実。

4 信用第一 ("Trust Me, Mr. Paschetu") ・・・ うだつのあがらないラリーは週給150ドルの仕事をやめ、親爺の友人のところで週給75ドルで働くことにした。ようやく現金をあつかえるようになったとき、ラリーは計画を進めた。ただ、親爺の友人で経営者の一言が気になって……。「意識の高い若者」には、ちまちま横領するより、会社を全部盗め(経営者になり替われ)と言っておくことにしよう。

5 犬も歩けば (One Grave Too Many) ・・・ 失業中で家賃滞納でアパートを追い出されそうなジョーは、成果のなかった求職の帰り、突然倒れた男の札入れを盗んでしまった。息がないのを確認したが、札入れにはカードがあって、気になってならない。でも、ジョーは正義を実行したのだ。それが幸運にはならないのが、自由主義社会の生き辛さ。

6 41人目の探偵 (40 Detectives Later) ・・・ 私立探偵の「わたし」は妻を殺した男を見つけたので、二人で会えるように手外してくれと頼まれた。奇妙な依頼だった。本当に、奇妙だった。

7 不在証明 (The Morning After) ・・・ ママは娘の結婚に反対だった。今日も娘とそのことで口げんか。シャワーを浴びているときに相手から電話がかかり「妻が死んだから、おまえといっしょにいたと証言してくれ」を一方的にまくしたてる。受話器を下したママは、冴えたやりかたを思いつく。ああ、ぞっとした。

8 恐ろしい電話 (The Deadly Telephone) ・・・ 当時1950年代は、複数の家庭で協同電話を購入した。電話がかかると、いっせいに受話器が鳴り、受信者が話をできる。その通話は他の人に丸聞こえ。誰かが話していると外に掛けられないので、通話に割り込んで切ってもらうように頼む。そういう事情を知ったうえで、数年前に新婚の夫婦から電話を開けてくれと頼まれたが、オールドミスの面々は無視した。結果、妻は死亡し、夫は精神病院へ。夫は脱走したという。婦人は物音を聞いて電話をかけようとした。

9 競馬夫人 (Something Short of Murder) ・・・ 友人のいない婦人が競馬にはまっている。賭け屋に電話をかけたらつけの25ドル(今日だと25万円か)を払えという。手元にあるのはわずか1ドル半。そこで夫人はおしゃれをして停車場にたつことにした。後味の悪さは、ギャンブル依存症の恐怖によるものだな。徳と正義がねじれた人びと。

10 気に入った売り家 (The Right Kind of a House) ・・・ 村はずれにある開拓時代(1802年築)のおんぼろ家が75000ドル(今日だと800万ドル?)で売られている。誰も買わないのに、そのよそ者はおんぼろ家に住む頑固婆さんを口説くといいだした。二人の思惑の交差したところに、激しい火花が飛び散る。

11 老人のような少年 (M Is for the Money) ・・・ 思わぬことから銀行強盗の手先になったジャッキーは先輩のアリーの命令で、アリーの家によった。身寄りのない前科者をおっかさんは自分の子供のように迎えた。ある女性が噂話をするまでは幸福だった。最後の一行でタイトルの文字が現れ、読者の心に重苦しいものを残す。

12 最後の舞台 (The Last Escape) ・・・ 稀代の脱出師フェルリニは落ち目だったが、水中脱出に挑んだ。そのような危険を好むのでフェルリニの妻はノイローゼ気味。脱出が失敗するようにと願ってしまう。そしてフェルリニは失敗した。その葬儀の驚愕のできごと。ラストシーンがなんとも痛ましい。その姿はフェルリニの得意げなしぐさに似ているだけに。

13 二つの顔を持つ男 (The Man with Two Faces) ・・・ ハンドバックをひったくられた婦人は警察に届けに行き、顔写真をみることになった。そこに娘の婿が指名手配されていることを知る。娘の身を案じた婦人は警察にその旨を告げたが。

14 親切なウェイトレス (Case of the Kind Waitress) ・・・ 毎晩レストランにくる婆さんの世話をしていたら、遺産を送るという口約束をしてもらえた。でも婆さんは90歳でもまだ死にそうにない。いらいらしたウェイトレスは弟の口添えで食事に毒を混ぜることにした。なんとも皮肉で、恐ろしい結末。中年独身女性の孤独とひきこもりが増幅する憎悪。

15 付け値 (Make Me an Offer) ・・・ 夫婦仲の悪い男が深夜に自宅で物音をきく。そっとのぞくと小男が拳銃を突きつけた。男は小男に取引を持ちかける。妻を殺し、強盗が襲ってきたように見せかけてくれれば、金をやろう。取引は成立したが、なかなか戻ってこない。きになるので。冴えたやり方が悪魔の取引に切り替わるというなんとも恐ろしい結末。

16 眠りを殺した男 (Sleep Is for the Innocent) ・・・妻が火災で死んだあと、その弟が脅迫ししかも同じ町に越してきた。曽以来、ずっと眠れない。頑固な不眠に耐え兼ね、弟を訪問することにした。彼は拳銃を向けていた。不眠の夜、彼は<イリヤ>@エマニュエル・レヴィナスを確認する、というわけかな。 

17 処刑の日 (The Day of the Execution) ・・・ 新進の検事裁判の結果に満足していた。なにしろ、彼の仕事のために、事件を思惑通りの死刑にすることができたから。その処刑の前に老人がきて、実はあっしが殺したのだ、と告白した。検事困惑し、追い返すが、その処刑の当日に老人は警察に行く決心をしたという。あわてた検事は老人を抑えようとする。「正義」を体現するものの傲慢と弱さ、かな。ここでも皮肉をこめて、エリート検事の足元を掬う。


 シンプルなストーリー構成と強烈なおちは紹介しやすく、間羊太郎ミステリ百科事典」(現代教養文庫)でいくつか紹介されていた。優劣をつけるのは野暮だろう。無理にやるとすれば、「気に入った売り家」「老人のような少年」「最後の舞台」がとりわけ印象深いかな。

2015-10-14

ロバート・シルヴァーバーグ「確率人間」(サンリオSF文庫)

 存在がシュレーディンガーの猫のように量子的に変動し、現存在の根拠を失った男。なぜおれは、連続的な存在ではないのか、というような不条理SFかとタイトルから考えた。PKDみたいな狂気の世界が開陳されるのではないか、と。

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 ところが本書の「確率人間」は、事象の情報を集め独自の方法で分析し最後に勘をまぶして、コンサルティングをするという意味だった。バーンスタイン「リスク」にあるように、未来に起こりうることは多数あり、そのどれを選択するかで損や益が変わる。そこで人は確率計算やらポートフォリオやらさまざまな手法リスク分散し、未来が予測範囲内に収まるように工夫する。主人公ルウ・ニコルズは確率計算の仕事をするうちに、未来は予測可能であると信じた。そして、セレブの仲間に誘われて、新進政治家ポール・クインをニューヨーク市長にし、ゆくゆくはアメリカ大統領にしようと画策するプロジェクトに加わる。1996年当時ニューヨークは多数の移民貧困層が集中し、セレブが逃亡して、荒廃した都市になっていた。ここを改革できれば、大統領への道が開けるはずである。

 しかし、大統領に多額の資金援助を申し出た相場師に会ってから事態が変わる。彼から受け取った紙片には謎めいた指示が書いてあったが、ルウには全く予想できないことだった。しかし、半年のうちに全て的中してしまう。この相場師マーチン・カヴェイジャルは、未来を「見る」ことができ、そのことを言葉にしただけであるという。そして未来を「見る(心的イメージとして白昼夢のように見る)」ことは誰にでも可能であるという。ルウは、カーヴェイジャルに心酔し、未来を見る技術を伝授してもらうことにした。

 カーヴェイジャルの未来透視では、「見た」できごとは変更不可であるとされる。すでに起きたことであるから、時間軸を運行すると必然的にすでに未来に起きた事態が到来するのだという。これは神の意思とかマックスウェルの悪魔の仕業ではなく、事象がごちごちに堅くなっている運命論・宿命論なのだろうなあ。なにしろ、すでに起きた事象を現在知っているとき、起きた事象が起きないように意図的に別の選択をするのも決まっているということになるからだ。ドストエフスキーのキリーロフ@悪霊も似たような宿命論と格闘していた。彼は無神論者(というより、個人主義を徹底することですべての行動を自我の支配に置きたいという欲望だな)だったので、行動や選択が神の手にあってはならないと考える。しかし、運命論の罠を心理的に乗り越えることができず、神の意思を裏切るのは突発的に自殺することだというところに着地する。運命論に抵抗しようとすると、そこまで考えることになるが、ルウは世俗の利益(大統領のブレーンになること)を優先しているので、思想的な格闘はいっさいない。せいぜい自分の一人称の死をすでにみてニヒリズムに陥るかと心配するくらい。

 カーヴェイジャルとルウの運命論に対抗するかのように小説に登場するのは、流転教なる新興宗教。要領を得ないのだが、現世の欲得や汚濁から離脱して涅槃(ニルヴァーナ)に到達するためには、人生を移ろいやすく流転するものにしましょうという考え。なので、この教団員になると家族を捨て、仕事を捨て、支離滅裂な行動(突発的な旅、売春婦の鑑札を入手、寝所を転々とするなど)をすることになる。それは教団員以外には狂気にあるとしか思えなくなる。ルウはセルブでありインド人の美しい妻を持っていたが、妻は流転教に入信し、ルウとずれていく。でも流転教の教えのため喧嘩にならない。

 思想的な対立はこの二つの考えにあるのだが、深みはないなあ。ルウの考え・信念が流転教によっても揺らがないし葛藤しないからだ。それに、ルウの正確だが意味の分からない指示にクインと取り巻きはおそれをなし、ルウは排除される。カーヴェイジャルもあらかじめ話していた通り、ルウの前で死ぬ。ルウはそのとき自分のこれからの人生を「見て」しまう。そのとき、クインは独裁者として現れ、アメリカ全土を恐怖の政治で支配するのを知る。

 さて、ここから始まる、と思ったところで、唐突に終了。未来をあらかじめ知り、世界に災厄をもたらすことを知った唯一の男がどのように行動するかは不問のまま。どうも傍観することに徹底するらしいのがうかがわれる。アインシュタインは「神は賽子を振らない」といったのに対し、ボーアは「それを決めるのは人間ではない」と答えた。最後のページにこの問答が書かれるのだが、作家は思考を深めることはない。うーん、コリン・ウィルソン「賢者の石」(創元推理文庫)を第1部の覚醒で終わらせたようなものだな。物足りなかったなあ。

 1975年初出。ここに描かれた21世紀や2000年は、実際の2000年の姿とそれほど変わらない。人口過剰と荒廃がアメリカを席巻しているというのが作家のヴィジョンだったが、未来予測としては小説のほうが正確だったね。

2015-10-12

サミュエル・R. ディレイニー「ノヴァ」(ハヤカワ文庫)

 西暦3172年。宇宙的な経済圏はプレアデス星系とドレイク星系に二分され、それぞれの大企業が牛耳っている。プレアデス星系の覇者フォン・レイ家とドレイク星系のレッド家は、事業バッティングがあり、昔からの因縁が続いている。それにけりをつけるために、希少な超エネルギー資源イリュリオンを短時間に大量に採取することを企てた。原子番号300を超える原子をイリュリオンと総称するが、この原子に蓄積されたエネルギーは莫大。きわめて希少(全宇宙で数百kg程度)で有効利用されなかったが、ノヴァ(新星爆発)のとき表面に浮かび上がるのをロケットで掬い取ろうというのだ(つっこみはなし!)。

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 企画するローク・フォン・レイは以前にも試みたが失敗していて、捲土重来を期している。そこで、宇宙酒場に乗り込み、船士(studをこう訳すが、studにはセクシャルな意味もあるそうな。1980年代にビッグ・ジョン・スタッドという巨漢プロレスラーがいたがそのメタファーアメリカの観客はわかっていたのだろうなあ)には、楽器シリンクスドビュッシーの曲のタイトルになっている実在の楽器とは綴りが違う)弾きのマウス、すでに滅んだ小説を書きたいカティン、互いに言葉を補い合う双子、プレアデス星系生まれの占い(タローカードの占いがのちの物語を暗示する)もする男女などが召集される。この旅の仲間集めと彼らの奇妙な冒険も面白い。

 さて、ロークにはレッド家の嫡男プリンスとルビーの兄妹という宿敵がいる。彼らの家の確執は父の代で終えたはずなのに、プリンスとレッドは子供時代から因縁をもっている(プリンスは片腕のない奇形でそのことをほのめかされただけで激怒)。今度のロークのたくらみもロークのすることだからという理由で阻止しようとする。プレアデス星で待ち伏せるプリンスをロークが退けるも、ノヴァに向かう宇宙空間まで追いかける。そのとき、予想よりも早く新星爆発が起こり、三人だけを載せた貨物船はノヴァに飲み込まれようとしている。

 これが表立ったストーリー。まるで「モンテ・クリスト伯」や「ハムレット」のような復讐と「二都物語」「ゼンダ城の虜」みたいな冒険アクション。自分のように表層のスペースオペラをそのまま楽しむだけでもおなか一杯。

 ここでシンボライズされるのは作中にもあるとおり「聖杯」伝説だな。どうやら磔刑されたキリストの血を受けた聖杯グラール探求の中世物語ではなく、それ以前のゲルマンほかの「漁夫王」伝説の方がモチーフらしい。なるほど3172年には経済の安定があって、失業デフレに苦しむということはないようだが、生産性の向上がないのと階層が固定化されて、人口の流動がなくなっている。そのような停滞した社会に活をいれて、混沌の末に新たな秩序をもたらそうというのが、ロークのたくらみであり、そのまま聖杯探索の騎士になぞらえられるわけだ。あいにく、この聖杯探索はガラハドのように見事に成功するわけではなく、家と故郷を離れた末に自分の秘密を暴き世界の穢れを一真に集めたオイディプスのような悲嘆を引き受けなければならない。(別の見方として、ウイングローブ編「最新版SFガイドマップ」サンリオSF文庫ではプロメテウス神話をあげている。)

 こういうスペースオペラ神話が重層しているのは、「バベル-17」「アインシュタイン交点」と共通しているが、この小説にはもうひとつの物語が差し込まれている。それはヒーローと旅を共にするマウスとカティンの二人にあって、「小説を作ること」を主題にした物語。どうやって小説を書くか、小説を書くことの意義は何か、何が小説の主題であるべきかが、この二人の漫才のような掛け合いのはしばしに含まれる。その問題意識はこれを書いているときの作者自身の問題でもあるはずで(「アインシュタイン交点」でも本文とは別の手記に書かれている)、いわば作家の自伝でもあるわけだ。マウスは文字をも読めないが、メロディや音色で人を魅了することのできる楽人だし、カティンは膨大な知識を音声レコーダーに記録する。それらはたぶん作者を反映したキャラクター。

 1968年作者25歳の作。このころまでは、ストーリーと神話のシンボライズと自伝が小説の枠の中に納まっていて、とても読みごたえがある。ただしだいに自伝的なところ、それもそうとうにナルシスティックな反映(あわせて性的ほのめかし:ここではロークとプリンスの愛憎関係に顕著)が強調されるようになってきて、気になる。まあバランスが悪くなってきて、作者の個性に興味がないと読み進むのが難しくなるなあ。なので自分は「バベル-17」が最高傑作と見た。自分は未読だけど、このあとの「ダールグレン(翻訳すると1000ページ超え?)」の大作以降の評価は芳しくない。25歳までにSF史に名を残し、そのあとの停滞というか無理解にあうというのは、さて作家の在り方としてよかったのかしら。

ノヴァ (ハヤカワ文庫SF)

ノヴァ (ハヤカワ文庫SF)

2015-10-09

サミュエル・R. ディレイニー「アインシュタイン交点」(ハヤカワ文庫)

 もともとのタイトルはイエーツの詩からとった「摩訶不思議な混沌とした闇黒」らしい。なるほど、このタイトルはこの小説のある面を示しているが、そのままでは理解されがたいし、なにしろ出版したのはペーパーバックの老舗のエースブックスだ(PKDの初期長編の出版社)。タイトルはセンセーショナルでなにかのイメージを持たないといけない。そこで、編集者が小説で言及されるアインシュタインをとってこの名前にしたらしい。同じくゲーデルの不完全性定理も出てきて、それらから想像すると、この小説が複数の神話(未来・現在・過去)を折りたたんで圧縮し、そのどの時制がもっとも強固であるのか判断できないという事態を示している、と漠然と思う。

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 とりあえずぼくらの読むのは遠未来の地球で、人類は消滅したかどこかに飛び去ったかして既に存在しない。人類が獲得していたニッチを別の生物が埋めたのだが、それは動植物の進化したものなのか、人類が残した人造生物であるのかははっきりしない。ともあれ、読者の現実世界にいる動物や幻想世界の動物を彷彿とさせる動物が独自のコミュニティを作り、人類の作ったものに似た言語を話しているらしい。そして科学技術はとうに滅び、原始共産制か狩猟採集の社会になっている。どうやら人工の放射性物質が放置されたようで、奇形や不妊の個体が頻繁に生まれるらしい。それらには、命名の差別があり、ときに「終容所(ママ)」に収容される。

 そのような社会に、知能の少し遅れたと自覚するロービーが放り込まれる。彼は、笛でもある刀で音楽を奏でるのに秀でている。そして、キッド・デスによって恋人フライザを殺されてしまっている。そこで、ロービーは成り行きでフライザを取り戻す旅に出る。その間に、さまざまな奇妙な人物に会い、奇妙なできごとに巻き込まれる。さて、キッド・デスに出会い、フライザを生き返らすことができるか・・・

 このような未来の物語ではあるが、その下敷きになっているのはオルフェウス神話だ。仲睦まじい恋人であったが、嫉妬にあい若い女性が殺され、冥界に送られる。ヒーローが冥界にいき取り戻そうとするが、彼の心の弱さが最悪の結果を招いてしまう。ぼくらはモンテヴェルディのオペラでこの神話をよく知っている(あとグルックだし、コクトーの映画「オルフェ」に、マルセル・カミュ監督の「黒いオルフェ」だし)。もちろんオルフェウス神話だけがここにあるのではなく、牛の魔物が地下の迷宮にいて、ロービーは迷宮をさまようという小事件があるが、それはミノタウロス神話であるし、ロービーがドラゴンに襲われそうになるのはジークフリート神話であるかもしれないし、叡智の言葉が語られる中眠りこけてしまうのは最後の晩餐のあとのイエスの祈りであるかもしれないし。そういう西洋のさまざまな神話がたぶんそこかしこに埋め込まれている。

 そのうえに、今度は現代(当時)の神話が細部にあって、ジーン・ハーロウ、ビリー・ザ・キッド、ラディゲというような早逝のしかも悲劇的な死を迎えたものたちがそこかしこにいる。この小説を書いているとき、作者は21歳から22歳にかけて。早逝の天才イメージの自覚がここに反映しているかな。で、作家はのちにゲイであることを公言しているのであって、たぶんその種のメタファーもあるはず。笛に山刀に鞭など。この社会では生殖能力に応じて「ラ」「ロ」などの名称がつけられるのだが、ロービーはそれをもっていない。にもかかわらず、彼は世界の混乱を収める旅にでる英雄的な役割を与えられる。となると、書かれた1967年ころから現れたゲイの公民権運動を見てもよいのかな。

 加えて、1950-60年代のロックにジャズ、コダーイの「無伴奏チェロ・ソナタ」(!)がそこかしこで響き、ロージー自らが奏でるという次第。となると、これらの音楽にまつわる神話もそこかしこにあるのだろう。

 ともあれもどかしいのは、作者の知的関心がどのあたりにあるのか見当がつかず(相当に広範な知識の持ち主)、彼と彼の読者がもっていると想定するトリビアや社会的事件などを知らず(1950-60年代アメリカのテレビ番組のパロディもあるはず)、複数のことばをひとつに圧縮したカバン語(@不思議の国のアリス)の多義性が翻訳によって損なわれていて(訳者の力量不足ではない)、筒井康隆や井上ひさしをこの国で読むときのような連想飛躍やネタ元探しができない。アニメオタクみたいに細部の読み取りにこだわれば、これはけっこう手応えのあるものではないかな。

2015-10-08

サミュエル・R. ディレイニー「バベル17」(ハヤカワ文庫)

 異星人との星間戦争。インベーダーが同盟軍の破壊活動をするとき、発信源不明の謎の通信が傍受される。それに「バベル-17」と名づけ、解読しようとしたところ軍の研究所はことごとく失敗。そこで、絶世の美女の言語学者で詩人のリドラ・ウォンに調査が要請される。そのときすでにリドラは「バベル-17」が暗号ではなく、言語であることまでわかっていた。暗号は鍵が有ればとけるが、言語はその体系全体を観察しなければならない。というわけで、バベル-17を話す種族と接触するために、リドルは暗黒街で怪しげな連中を宇宙船のクルーに採用する(採用の場面は黒澤明「七人の侍」の第一部のパスティーシュだね)。最新鋭宇宙船「ランボー」号に乗り込み、深宇宙に出発しようとすると、機械のエラーが起こり、宇宙船は漂流を開始。機智で乗り切ると、そのときにはリドルは「バベル-17」で思考するできるようになり、これがスパイの謀略活動の指示であることを知る。そこで次の攻撃目標とされる兵器工廠に向かい、事態を調査する。歓迎のパーティで、兵器工廠の支配人が殺され、混乱の最中逃げ出すとき、数名の宇宙人も救い出す。彼「ブッチャー」は記憶もないうえに、<わたし><あなた>を区別することができない。リドルはこの男に興味を持ち、彼の記憶と言語を調査する。そして、今度はリドルの乗る宇宙船が攻撃の目標になり、小型艇の空中船に、宇宙船同士の砲撃戦。被弾して爆破寸前に、リドルの意識はブッチャーの意識の中に避難・流入。二つの意識の渾然一体となったとき、「バベル-17」の全貌が判明する。

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 とまあ、こんな具合にスペースオペラが展開される。薄い衣装をまとった絶世の美女、奇怪な風貌の荒くれ男たち、幽体やゾンビの乗組員、得体のしれない貴族やその妻などなど。これはまあ、1950年代のスペースアクション映画やモンスター映画のイメージだな。あるいはSFのパルプ雑誌か。この作者、この種のB級サブカルチャーに相当詳しいとみた。なので細部の描き方と、アクションが紋切り型というか定型を踏まえているというか、安心して手に汗握る(ん?)ことができる。

 むりやりこじつければ、リドル・ウォンのこの冒険はオデュッセイアなのだよね。地球=故郷の危機にあって、ヒロインが出発する。そこに集まる数々の異形の英雄たち。旅は苦難の連続で、簡単に目的地にはつかない。英雄たちを誘惑し、奈落の底に叩き落とすセイレーンの声は「バベル-17」になぞられる。旅の途中で遭難し、辺境の地にいる心優しい人に介抱される。ここではオデュッセイアとナウシカアの性が逆転しているけどね(リドルは作者の妻をモデルにしたらしいし、作者は失読症だったというから、リドルとブッチャーは作者夫婦を暗示しているのかな)。そのあとに最終決戦があり、無事帰還する。こういう神話のパターンに忠実に則っているので、読者は安心してこの物語に浸り、カタルシスを得られるのだ。

(ついでにwikiをみたら、オデュッセイア時代の古代人の意識が二分心であるという仮説をみつけた。古代人の心は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心とに分かれていたという議論。これはブッチャーの意識やバベル-17に共通すると思うから、「バベル-17」=オデュッセイアというのもあながち的外れではないといえる)

二分心 - Wikipedia

 主題は「バベル-17」という言語と意識についてか。それはブッチャーという記憶喪失者に象徴されていて、彼は<わたし><あなた>の区別を持たない。彼の言語には主語がなく、それに対応するかのように主体が存在しない。どうように過去の記憶を持たない(短期の行動の記憶はもっているけど、系統的な「歴史」にはならない)。通常、そこはたとえば大脳の傷や障害などで説明するところを、ここでは理由を彼の使用する言語に求めるわけだ。なるほど読者や自分が幼児であった体験や幼児を観察したときの記憶から見ても、<わたし>が成立するのは言語を習得したあとのほうだものな。3-4歳児が<わたし>をつかえず「〇〇(自分の名前)ちゃん」を主語にするというのはよく見かけること。言語の習得は共同体に参加することであり、かつ「主体」の構築であるということになるのかな。

 同じように主語を持たないのが「バベル-17」。面白いのは、この言語を使うと、情報処理と思考スピードがあがり、情報伝達が発声では追いつかない。なので精神感応とか直接ケーブルで脳幹を結ぶような仕方で情報交換するし、その際に元データを全部送信すると、人格とか意識の移植も可能になってくる。それに主語を持たないから、バベル-17は命令か情報処理の判断くらいの内容になっている。これは、読者の知っている言語にあるよね。すなわちコンピューターのプログラム言語。作中にもオンオフやフォートランなどの懐かしい言語が出てくる。

 自分が1980年代に初読した時には「なんやらわけわからん、けどすごい」だった。でも、2013年になると「攻殻機動隊」「マトリックス」などを経由することで、ここに書かれていることはすんなり受け入れられる。前出のアニメや映画と同じシーンが出てくるのだし。そこで初出の年が1966年であることを発見し、なるほどサイバーパンクの元祖(のひとつ)はこの小説なのだなあと、驚愕した。

バベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)

バベル17 (ハヤカワ文庫 SF 248)