odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-1 家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている

 これまでの経済学では市場・企業・家庭を一人格に扱い、中にいる個人を取りあげることはなかった。また自然を無限とみなして収奪してきたが(同時に農村の「余剰」人口を労働者に吸収し続けてきた)、再生産も無限とみなして対価をはらわずに再生産の場である家庭を収奪してきた。市場そのものはある規模以上にならず好況と不況の循環をするが、外部にある自然と家庭を破壊することで市場を大きくしてきた。家庭は家長による権力は格差と差別の構造をもっているが、資本主義になると家庭は収奪されているにもかかわらず、家長は家庭の女と子供と老人を収奪する構造を残した。家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている。以上俺のまとめ。

 

1 理論篇
マルクス主義フェミニズムの問題構制 ・・・ 近代資本主義は不経済を自然と家庭に押し付けてきた。家庭に労働力の再生産と労働できなくなったもの(老人、病人、障害者)の援助を押し付けコストを支払わない。それは家庭の女性に押し付けられた。市場でも女性は労働者として男性と対等な立場に立てなかった。この不利益と不合理から女性が解放されるには、家父長制と資本制を批判する理論と思想が必要。参照するのはフロイトマルクス
(市民革命は自由と平等を目指したが、ここでいう市民は参政権を持つ成人男性のことなので、女性は人権対象から排除された。女性は二流紙民。ブルジョア婦人解放論は男性優位を前提にしているので、ダメ。被害者救済に注力すると被害者を生む構造を批判しないので、女性解放には至らない。)

フェミニストマルクス主義批判 ・・・ マルクス主義の階級分析では女性は対象外になる。女・こども・老人は労働市場に現れないため。マルクスは家庭(性と生殖)を「自然過程」としたが、これは時代風潮の繁栄で限界。女性は労働市場で二流労働者であり、家庭で不均衡な権力関係の下位にいる。社会的経済的に支配されている。資本は労働の生産物に対する対価を支払ったのではなく、労働力の再生産に対する対価しか支払わなかった。

家事労働論争 ・・・ 家事労働は、市場が商品化しなかった労働で、おもに家庭内で行われ、女性が担当し、無権利で、無償の労働。GNPなどの経済指標に算入されない。利益を得るのは男と市場。家事労働は近代の資本主義と社会構成が産み、「主婦」に押し付けたもの(日本では戦後のようだ)。
(それ以前は家事使用人を雇える身分や立場があった。武士の「奥様」は労働しなくてよい身分で、家政をつかさどる権力を持っていた。結婚は女性が帰属関係を変えられるほとんど唯一の機会で、うまくいけば主婦になって家事労働から解放されることができた。)
(この読みでは、網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)の「女性をめぐって」も見直さないといけない。またドストエフスキーの女性が結婚にこだわるのも、この指摘から考えなおしたほうがよい。)

家父長制の物質的基礎 ・・・ 家父長制は、男性による女性支配で社会権力体制の総体。家庭で家父長制があるので、女性は父の権力、夫の権力に支配される。女性は賃労働から排除され、無償の家事労働を押し付けることで低い位置づけに封じ込める。家庭が神聖不可侵の私的領域化されると、DVと児童虐待の温床になる。
(経済学は、国家・企業・家庭を対象にしてきたが、個人を除外ないし無視してきた。家事労働がGDPに算入されない理由のひとつ。

再生産様式の理論 ・・・ 再生産には、1.生産システムそのものの再生産、2.労働力の再生産、3.人間の生物学的再生産があるが、生産至上主義では再生産の意義をとらえることに失敗している。民族学などの知見では、「未開社会」では生産と再生産はトレードオフにならない、女性は生産者であった。それが家父長制と資本制によって、女性は再生産しかできないという観念になった。

再生産の政治 ・・・ 再生産が女の無償労働で賄われることで、女性は性支配と世代間支配にさらされる。具体的な現れは、避妊と生殖の自己決定権を奪われる、再生産費用(と介護)の負担は不平等で女の負担が大きい、男性は費用負担が少なく女性は現物費用(手間)を支払いそれにより生産収入を減らさざるをえない、生まれた子供の帰属は父系集団に属しがち(最近の「共同親権」の主張がまさに父系を強めるためのもの)、親による子供の支配や経済的依存がありとくに娘と嫁に負担がいく。子供数は子供の経済的価値(プロフィット)とコストのバランスで決まるが、高学歴社会になるにつれて子供の経済的価値が低くなり、子供を産みたがらなくなる。性支配と世代間支配を強めると、少子化になり、子供は「ぜいたく品」になる。
(バイオポリティクスでも買い手は男、売り手は女という不均衡が生じる。)
(なるほど自民党日本会議統一教会が家族主義の政策を主張し政策に反映されるほど、少子化が進むのだし、DVや親族殺人が増えるのだ。)

家父長制と資本制の二元論 ・・・ 家父長制と資本制は相互に関係しながら別個であるというのが著者の考えだが、他の論者には統一理論(どっちかが別のどっちかの由来・起源である)と考える人もいる。そういう議論のまとめ。

 

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2024/04/18 上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-2 を変えないと、女性問題は解決しないし、男も資本制や家父長制から解放されない。 1990年に続く

上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-2 を変えないと、女性問題は解決しないし、男も資本制や家父長制から解放されない。

2024/04/19 上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-1 家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている 1990年の続き

 

 1の理論編は家父長制と資本制の二元論を共時的にみた。2の分析篇は二元論を通時的にみる。大賞は日本。日本の資本制は遅れて誕生したのと、コモン・共同体が破壊されたのは資本制以前なので、最初はイギリスやドイツの例から。とはいえ男性優位社会のマジョリティである男性の俺にはどのページも「目からうろこ」の記事ばかりなので、要約もメモ取りもできない。

2 分析篇
家父長制と資本制第一期 ・・・ 近世までは生産=再生産の基本単位は土地を所有する拡大家族のドムスで行われてきた。そこでは家内労働と生産労働の区別はない。18世紀の近代化に伴う都市化と工業化によってドムスは解体。生産労働と家内労働に分化した。資本制は労働者を自由な個人であることを望んだが、実際は自由な孤立した単婚家族だった(なので生産労働でも家父長制が介入して女・こども・独身労働者を搾取した)。単婚家族は近代の産物であり、独立性が高まり公的な領域から隔離され孤立した。大雑把すぎるな。
(「家」制度は武家のしくみを1898年明治31年の民法で庶民に持ち込んだ。私小説は家と近代的自我の葛藤を描いたと男性評論家は説明するが、フェミニズム評論家によると「家長責任を負いきれない弱い自我の悩みや煩悶を描いたもの」で「家長責任から逃避する未成熟な自我」の持主は妻や子供を傷つけ、かえって自分の加害性に無知で無恥であるという。ここでは島崎藤村太宰治をあげるが、夏目漱石石川啄木もそうだし、ほぼすべての戦前作家にあてはまる。これこそ「目からうろこ」。戦前の日本文学がダメなのはここに理由があったか。中村光夫「風俗小説論」(新潮文庫)-2の感想で行った分析では不十分だった。)

家父長制と資本制第二期 ・・・ 20世紀の半ばころまで。市場はその内部では好況-不況の循環だが、外部を開発することで拡大できる。そこで発見したのが国家と戦争。前者はドムスや市場ではない3番目の経済セクターで、統制経済を実施する(資本-民族-国家の三位一体が完成)。後者は蕩尽であって生産を拡大する。一方戦争は女性解放を促進し、自身と実績を積み、家父長制は自然ではなく禁止と排除で成り立つことを知り、失業した夫の権威を失墜させ、夫に代わって家長になる。戦後の経済成長は「夫は仕事、妻は家庭」という近代の性別役割分担制度を完成させる。結婚は女性を妻という家政の権力をもつが、無償の家事労働に従事させられる。この制度の家父長制は封建制での家父長制とは別。

家父長制と資本制第三期 ・・・ 1960~1980年代。「夫は仕事、妻は家庭」という近代の性別役割分担制度は解体されだす。女性は結婚を機に退職するが、出生数減少と家事労働の省力化で、ポスト育児期に就労するようになった(M字型就労)。目的は家計負担(教育費と住宅ローン)のため。企業は労働力不足を女性のパートタイム就労で補った。女性は男の仕事をとったのではなく、新しく成立した周辺的な仕事につかされ、競争外の存在で低賃金と不安定な二流労働者にされた。不況期に正社員の男は解雇され、パートタイムの女性は就労数が増えた。企業は低賃金で不安定な二流労働者を増やすことでコストカットを行った。就労数は増えても、家父長制は強化される。自立できるだけの賃金はないし、生産労働と家事労働の二重負担が押し付けられる。
(このあとの「平成」でどうなったかというと、この構造は変わらない。男が正社員につくことが難しくなって、単身者が増え、パートタイムの女と就労を競争することになった。ともに自立することができなくなり、婚姻数も出生者数も増えない。そのせいか男による女性差別や暴力が増えている。)
(ここらの分析は日本の労働問題や男女共同参画の啓蒙書より深い説得力があるものになっている。)

家族の再編 ・・・ 人口を資源とする見方は近代になってから。近代は人口増加期で、家庭から生産を切り離して再生産だけにした。その結果、夫婦と子供の家族は減少する。これを「家族の解体」として攻撃する者がいるが、核家族と主婦を標的にする母性の家族主義のイデオロギストだけ(日本では宗教極右)。実態は老人と養育の負担を主婦に押し付けるだけ。家父長制に抑圧と搾取される女性は離婚するが、自立できないので貧困層に転落する。かわりに夫は可処分所得が増えて経済的には豊かになる。
移民労働者は日本人男性労働者とは競合しない。非熟練労働で女性と競合する。一方、能力ある女性は高収入を獲得する機会を得る、こうして収入格差が進む。仕事する夫、育児する(内勤の)妻、子供という家族がモデルであるわけではなく、家族のありかたが多様化する。日本では既婚女性は妻であるより母性を要求され、長い養育期間で母に依存し従属する子供をつくる。資本は養育と教育の負担を女性に押し付け、成人したこどもを労働者として収奪する。資本制と家父長制は対立するのではなく、相互に補完関係をもっていて、女性差別を強めていく。

結び―フェミニスト・オルターナティヴを求めて ・・・ 市場をめぐる国家・企業・家族が再編されている。これを扱う経済学はそれぞれを一人格とみて中にいる個人を相手にしてこなかった。フェミニズムはこうした経済学を批判する視点を提供する。なので、労働概念(神聖であるとか自己実現であるとか人間の本質であるとか)の再検討が必要。なお、フェミニズムレイシズムやエイジズムを説明できないので、これらを扱う学問と多元的に結びつくべき。
(労働laborはアーレントが定義をつくっていたが、彼女のアイデアでは経済学には使えそうにないなあ。)

付論 脱工業化とジェンダーの再編成―九〇年代の家父長制的資本制 ・・・ 以上のまとめのような講演会用原稿。

 

 日本の労働問題はいくつか読んできたが、本書の分析がもっともしっくりきた。
 読むほどに女性問題はなくて、男性問題があることを確認した。男を変えないと、女性問題は解決しないし、男も資本制や家父長制から解放されない。

 

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伊藤公雄「ジェンダーの社会学〔新訂〕」(放送大学教材)-1 「社会的に作られた性別」であるジェンダーの刷り込みは個人の生きにくさになり、差別や貧困などの原因になる。

 自分が感じる生きにくさは、不安定で暴力的な社会に理由はあるが、同時に「男らしく」を深く内面化している自分自身にあるのではないか。そういう問いが老年になって生まれたので、勉強する。まず「ジェンダー」を理解することから。
 ジェンダーは「社会的に作られた性別」で、生物学的性差とは異なる性別とされる。これは社会や家庭の影響を受けて形成され変わりにくい。それは差別や排除の理由になったり、社会進出の疎外になったり、歴史文学などの学術分野での思い込みや偏見の原因になっている。


1.ジェンダー社会学の視点 ・・・ 社会学は個人から社会を見たり、社会を個人を超えた存在を見たり、相互作用の網の目とみたりする。自由と平等の原理はエゴイズムや欲望の無規制状態とバッティングする。どのような社会が良いかを社会学から考える。

2.生物学的性差(セックス)とジェンダー ・・・ 性器、性染色体、性ホルモン、性自認性的指向性、性表現で多様で、オス・メスの二分類にはおさまらない。しかしこの二分類が強固なので、差別や偏見の口実に生物学的性差が利用される。

3.文化の中のジェンダー ・・・ 文化によって男女の役割は異なる。文化人類学などの研究成果。

4.歴史の中のジェンダー ・・・ 歴史によって男女の役割は異なる。しかし資本主義と近代化は生産工場のために、男女の役割を変えた。再生産とリタイアしたもののケアを女性に押し付け、子供を教育制度に組み込んだ。近代化と資本制生産によってたとえば母性愛、ファッションの差異などが生まれた。世界像が変わり個人が孤立化してアイデンティティを自己証明することになり、男女の役割が内面化され固定化していった。
上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫

5.性差別とジェンダー ・・・ 性差別を告発するようになったのはフランス革命のころ(人権宣言などを作ったが、そこにある「人間」は資産持ちの男性だけという批判がある)。以後、立場と要求の異なるフェミニズムがいろいろあった。
エンゲルスは男女のジェンダーや社会の役割に言及した早い人。
2022/06/17 フリードリヒ・エンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」(山形浩生訳)-1 1845年
2022/06/16 フリードリヒ・エンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」(山形浩生訳)-2 1845年
2016/03/24 フリードリヒ・エンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」(岩波文庫)

6.性暴力とジェンダー ・・・ 性暴力の例は、レイプ、強制わいせつ、DV、セクハラ、強制労働や売買春などの人身売買。これらの概念は最近だが、新しい言葉ができたことで気づきになる。性暴力の特長は、顕在化しにくい、被害者が責められる、暴力に慣らされる/加害者が慣れるなど。これは男性問題。男性の、1.優越、所有、権力の欲望。2.女性依存(威張りながら甘える)が主な原因。加害者教育と予防プログラムが大事。

7.「女らしさ」という課題 ・・・ 女性であることは「保護される」「甘えられる」という特権があるようにみえるが、それは一人前に扱われず評価が低いことの裏返し。その意識は、1.乳児幼児の大人の扱い、2.メディアによる刷り込みによって、ジェンダーが作られ、再生産される。大人は性別不明の幼児を見た時、性別を知りたがりジェンダーに固定的な対応をするとのこと。(それは自分が幼児にうけた時の対応を反復しているのだ。)

8.「男らしさ」のゆくえ ・・・ 生徒へのいじめによる自殺、過労死は圧倒的に男性が多い。定年後の男は夫婦関係を維持できないことが多く、離婚後自立できない。それは男性も「男かくあるべし」「男は仕事」というジェンダーに捕らわれているため。近年は男性(解放)運動も起きている。ただし女性差別無視や家庭の権力保持という批判を受けている。

 

 以上は原論と個人に関する話題。これを読むと、たいていの性差別や女性問題は男性の問題。「女性問題」と書くと被害者に原因や理由があるかのように思い込んでしまうが、実際は加害する側の問題なのだ。だから男性がジェンダーの思い込みから解放されて、「新しい人間(ニーチェとかドストエフスキーとかの言う意味で)」にならないといけない。
(なお、女性問題にしか関心を持たない男性フェミニズムもあるとのことなので、注意しないといけないなあ。また男性が「新しい人間」になるのは思想や内面が変革されることではなく、女性に押し付けてきた仕事や生活や活動を行うこと。なので家事や炊事や地域運動などをやらないといけないのだよ。)

 

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2024/04/15 伊藤公雄「ジェンダーの社会学〔新訂〕」(放送大学教材)-2 男性優位社会のジェンダー観は社会のしくみの隅々まで浸透している。転換が必要。 2008年に続く