Hatena::ブログ(Diary)

odd_hatchの読書ノート

2018-05-15

ヒッチコック/トリュフォー「映画術」(晶文社)

 トリュフォーは監督になるまえに映画雑誌の編集長をしたり映画評論を書いたりしていた。そのときからヒッチコックファンで、何度もインタビューしていた。監督の名声が高まってから、ヒッチコックに長時間インタビューを申し込み、ヒッチコックが受諾したことから、このインタビュー集ができた。1967年に最初の版がでて、1978年に改訂版がでる。

 ヒッチコックはもちろんイギリス映画監督で、生涯の作品数五十数本のほとんどがサスペンス映画だった。大ヒットを量産する監督であり、自分の名のついた番組を持っていた。大衆的人気はあっても、賞とは無縁で、評論家にはウケが悪かった。そのような職人監督に、ヌーヴェルバーグの監督かつ評論家が丁寧に尋ねる(トリュフォーは「汚名」「めまい」「サイコ」を高評価)。その結果、サイレント時代のいくつかの作品と最後の「ファミリー・プロット」を除いた作品の自作自註が生まれた。ヒッチコックの映画ではどうしてもサスペンスのストーリーに気が向いてしまうのだが(過去の自分がそう)、このインタビュー集を読むと、自分のうちに語りたいこと、(自分の)映画に対する確固たる考えがあり、そのうえで技術を開発し、仕事を効率的に運び、現場のみならず制作から脚本から宣伝までも実行できる万能人であることがわかる。サスペンスの巨匠であるのみならず、「サイコ」で異常犯罪者もの、「鳥」で動物パニックものの元祖となる、最高峰の作品をつくった(自分はここを評価する)。

 今回の読み直しでは、とくにメモを取ることはしなかったので、ヒッチコックの映画の考えを枚挙することができない。それでも「映画をエモーションで埋め尽くせ」「悪役が魅力的なほどよい」「視覚的な刺激を与える、もしくはドラマチックな興味を引きおこすものしか撮らない」などの興味深い言葉が記憶に残る。そのうえでトリュフォーが、ヒッチコック映画は殺人犯の末路を描くものと無実の罪を追って追われる主人公の苦闘を描くものの2種類があると指摘するので、おおよそのヒッチコック映画の輪郭を把握できる。

 まあ、そういう作品解説にかかわる部分も面白いのだが、今回はむしろ余談にあたるところの方に魅かれたかな。キャスティングに関する不満や愚痴、サスペンスと同時に進行する「ボーイ・ミーツ・ガール」または「マンハント(亭主狩り)」のもうひとつの物語のしかけ、特殊効果の工夫、題材選びと脚本化の苦労(ほかのことはほぼ思い通りになるのに、脚本家との関係はなかなかうまくいかない。とくに「見知らぬ乗客」でのレイモンド・チャンドラーとの確執)、などなど。別にそれを知ったからといって、映画を見るときの楽しみには変わりはないし、生活には不必要な知識なのだけど、映画の内幕を知るのは楽しい(ネットにあふれるヒッチコックの裏話や制作秘話のもとになっている)。そういえばヒッチコックは映画製作の現場についての映画をつくらないかとトリュフォーをけしかけていた。それがトリュフォーの「アメリカの夜」になったのだろうなあ、とも妄想した。あと、ヒッチコックの特に女優に対するこだわりやフェティシズム、ときにおこるハラスメントはここには書かれていない。これは知ってもあまり楽しくない。

 この本は、多数の写真をおさめ、原著にはない情報を追加している(「サイコ」のシャワーシーン全カットが収録されているとか)。資料としてとても重宝するのだが、B5版400ページで重く、活字は小さい。読むのが大変なので、文庫化を希望。

 ヒッチコック1920年代から映画監督をしているので、1950年代半ばまでに作られた映画はパブリックドメインになっていて、廉価で映像ソフトを入手できる。自分のヒッチコックの感想はアンビヴァレントで、たいていの作品には満足する一方で、巨匠といわれる人の傑作群と比べると不満が残るなあというもの。好きな作品、印象深い作品はあるけど、繰り返し見るほどの、あるいは熱中してみるほどの熱意を持つには至らない、そんな感じ。ヒッチコックとは2から3世代の年齢差があるので、映画のテンポ、サスペンスやユーモアにたいする好みなどが一致しなくなった。あわせて知識が増えるにつれて、ヒッチコックの映画にリアルを感じなくなった(おとぎ話に思えるのだ)。そういうところ。

 でも、五十数本の映画作品があり、30本以上を見たのだから、自分の好みを書いておいてもよいだろう。

バルカン超特急(1938)」

「救命艇(1943)」

サイコ(1960)」

「鳥(1963)」

は文句なしだが、ベスト5に収めるもう一本が選べない。評価の高い「汚名(1946年)」「めまい(1958年)」はピンとこない。そうすると「裏窓(1954年)」か「北北西に進路をとれ(1959年)」かなあ、うーん。どうすべ。

 ベスト5には入れられないが、好みなのは「三十九夜(1935年)」「逃走迷路(1942年)」「引き裂かれたカーテン(1966年)」あたり。


 ヒッチコック映画では音や音楽、構図やカット割りのこだわりが強く、特に音楽のバーナード・ハーマン(「サイコ」「鳥」)との仕事もすばらしい。のちに決裂したのが残念なほど。

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 デザインのソウル・バス(「めまい」「北北西に進路をとれ」「サイコ」のオープニング)の仕事もすばらしい。

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2014-12-05

エイゼンシュタイン「映画の弁証法」(角川文庫)

 20世紀前半のもっとも偉大な映画監督の一人で、モンタージュ理論の確立者。彼の映画理論に関する論文や講演などを収録したもの。1953年初版で、自分の持っているのは1989年の第9刷。これも入手しにくくなっていて、たとえばWikipediaエイゼンシュタインの項目の参照文献にはいっていない。1920年代日本映画を酷評したのは、この本の中の「映画の原理と日本文化」においてなのだが。

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 さて、この本によるとモンタージュはショットの衝突なのだという。個々のショットには込められていない意味をショットの連続から浮かび上がらせ、観客のエモーションや知的関心を揺さぶったり、カタルシスにもっていくことができる。それは実例を見るのが一番よいのだが、以下の文章が参考になるかな。映画「戦艦ポチョムキン」の、20-30分くらいの場面。

戦艦ポチョムキン』(1925) "Battlesh-ip Potemkin"

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(画面はきれいになったが、「新字幕」のフォントが「エヴァ」みたいで、古いバージョンに親しんできた自分には違和感がある。)

「際立った劇的瞬間には、映画の場合と同じように、何らかの制動手段が用いられなkればならない。例えば、「ポチョムキン」では、タール塗りの防水布を覆いかぶせられた水兵達を狙って「撃て」の命令を下すばかりの準備が整ったところで、最後の命令が下される前に、艦首だとか、砲口だとか、救命用具といったような「無関心な」いろいろな艦の部分が数ショット、モンタージュされる。動作にブレーキがかけられ、緊張の爆発が無理に静止される。(P16)」

 この指摘を見て改めてこのシーンをみたが、なるほど上記のシーンは細かいショットの積み重ねになっていて、そこに一見水兵の射殺とは無縁なショットもある。次第にカメラが細部に向かっていくにつれて、緊張が高まり、緊張した静的なシーンから水兵ワクレンチェクの「兄弟」という呼びかけで水兵叛乱のアクションという動的なシーンに一気に転換する。それをみて観客である自分は興奮し、感動した。それがモンタージュ技法

 エイゼンシュタインは言葉で説明するためにもちだすのは、歌舞伎だったり漢字だったり俳句短歌だったりする(著者は日本文化を研究していたという)のだが、もっともぴったりするのは音楽の比喩。すなわちモンタージュ技法を分類するときに、拍子・リズム・トーナル(音色や音高のことか)・オーバートーン(倍音不協和音から協和音に移動することで緊張や安定をもたらすことの謂いだろう)の音楽用語を使う。まあ、自分には19世紀ソナタ形式和音の拡大などでだいたい納得できる。でも、もしかしたら、モンタージュ技法は彼の文章にも反映しているだろう。編集者の手が入っているかもしれないが、論文や講演は短い節に細かくわかれていて、前後の節とは全く別の話題を語っていることがある。しかし、その節のぶつかり合い・衝突から「モンタージュ」そのものが浮かび上がってくるという仕掛け。になっている。あいにく、彼は言葉の人ではないので、この文章を丹念に追うのは自分には難しかった。

 それにもう一つの問題は、スターリン時代の文化統制の影響。通常は1934年のジダーノフによる前衛芸術批判社会主義リアリズム論から文化統制は厳しくなるが、それ以前から検閲その他で表現者への圧迫が強くなっていく。ここでも、1928-29年ころの初期論文自由闊達さは、後半になると失せて行って、1935年ころの「映画形式の弁証法的考察」「映画形式―新しい諸問題」あたりになると、生硬なマルクス主義理論が語られるようになってくる。創意も発見もない味気ない文章だ。そこになると読む気はもうない。

 実際、篠田正浩エイゼンシュテイン」(岩波書店)をみると、1930年代にはエイゼンシュタインスターリンと相性が悪く、彼の企画の多くは実現できなかったという。メキシコトロツキーの没地だ)で客死したのも、ソ連で暮らすことが困難であったからではないかな。

映画の弁証法 (角川文庫)

映画の弁証法 (角川文庫)

 参考エントリー

2011/04/12 山田和夫「戦艦ポチョムキン」(国民文庫)

2014-10-15

蓮實重彦/武満徹「シネマの快楽」(河出文庫)

 1980年代(83-86年)に雑誌「海」やシネ・ヴィアンのパンフレットに載せた二人の対談。何しろ年間150-300本の映画を見ることを数十年続けた二人なので、傾聴するばかり。

映像と音の誘惑 ・・・ 映画に関係する人が映画をみない、映画人が昔の映画(とその関係者)を知らない、音の使い方が下手になった(たしかに2000年以後のハリウッド映画はずっとオーケストラの伴奏が聞こえていてうるさい)、色の使い方が下手(青が強いとか、黒を出せないとか、闇をつくれないとか)、映画ではそれらにくわえて運動や細部が重要、など。そこに大量の薀蓄が語られる。うれしいのはヒッチコックや007などをちゃんと見ていることと、淀川長治を評価していることかな(当時は小松政夫がものまねをするくらいに知られているが、評価の低かった人。「このひとはすごい!」に変わったのは「映画千夜一夜」のでた1980年後半になってから)。笑ったのは、映画好きが会うと、「この人は敵か味方か確認しあう儀式がある」という指摘。

ジャン・リュック・ゴダール「パッション」 ・・・ ゴダールの地方性、音の使い方、中心を持たない構図、ポーランドの俳優(ワイダ「大理石の男」主演)を使っている、シークエンスと音の二重フーガの構成、あたりに注目。自分は80年代のゴダールは「探偵」「マリア」のみ既聴。「パッション」はみていない。どうやらよい映画らしい。

ゴッドフリー・レジオ「コヤニスカッティ」 ・・・ 深夜映画を録画したのをみたけど退屈だった。二人とも同じことを言っていて、配給のコッポラとあわせて「高校野球的きまじめ」と一蹴。さて、似たような趣向のリュック・ベッソン「アトランティス」はどういう評価になったかな。

ニキータ・ミハルコフ「ヴァーリャ!」 ・・・ ゴルバチョフが大統領になってソ連は変わりだした、ということを最初に気づかされたのは映画ではなかったかな。1980年代初頭にこの国でタルコフスキーとこのミハルロフがすごい、という記事が出るようになった。ミハルコフはたぶん「黒い瞳」を見たことがあるはず。しかし、この「ヴァーリャ!」を二人はけちょんけちょん。

アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」 ・・・ 音がよい、映像がよい、映画でしかできないストーリーを語ることに成功、映画が楽しいものとしては作れないことを自覚してつくり成功している映画。絶賛ですね(とはいえ別の席では蓮實重彦はタルコフスキーを酷評)。タルコフスキーはいくつかみた。この映画では空の青とか枯れた草原とか湿度と温度の低い空気とか、そんなことに印象が残っている。

ジャン・リュック・ゴダール「カルメンという名の女」 ・・・ 1980年代に小さい「カルメン」ブームがあって、これにカルロス・サウラにフランチェスコ・ロージが映画を作り(ゴダール以外は見た。うーん、どっちもそれほどおもしろい映画ではない)、ピーター・ブルックが舞台にした(TVで見た記憶がある)。ゴダールは高貴で繊細で典雅であるとのこと。あと武満の発言で「映画はいろんなことを取り込めて、透明になっていく。音楽は捨てていく。」というのが気になった。

エットーレ・スコラ「特別な一日」 ・・・ イタリアの映画監督。まるで知りませんでした。マストロヤンニとソフィア・ローレンの出てくるメロドラマで、背景にはファシズム台頭が描かれるという。小品として愛すべき映画、とのこと。自分は、イタリアの映画は大監督の数作品しか知らないというていたらく。

ダニエル・シュミット「ラ・パロマ」 ・・・ 誰が見ても楽しい、映画的な素養を持っている人はもっと楽しい、というのだけど、ビデオでみたときはさほど感心しなかった(「ぼかあ、ダメだな」by田之上太郎@ああ、爆弾)。でも、山上のデュエットは覚えている(あたりまえ)。体質的なものにねざした不思議な空間、不思議な時間を持った映画、とのこと。

ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」 ・・・ 西部劇的空間、慎ましさと新しさ、100分で複数の物語をまとめあげる手腕、なんといっても二人の少女。自分も好きな映画。でももっているDVDは1999年ごろの発色の最悪なやつなんだ(泣)。BS放送を録画したのでそちらに差し替え。でもあまり発色はよくないなあ。

ビクトル・エリセ「エル・スール」 ・・・ 耳を澄ます映画、地平線の見える広大な閉鎖空間の映画(すなわち西部劇の砦)、したたかな監督の映画、40-50年代のハリウッド映画を若いときに見てきた人たちが監督になってから作った映画。自分のもっているD(略 こちらはいまだにBS放送にめぐりあえず。

映画・夢十夜 ・・・ 夢の映画プログラム二本立てシリーズ。このうちおいらが見たことのあるのはいくらもねえや(@「日本の夜と霧」)。

1)アメリカの逃亡映画: フリッツ・ラング「暗黒街の弾痕」/ニコラス・レイ「夜の人々」

2)対独反ナチ映画米ソ二本立て: フリッツ・ラング「死刑執行人もまた死す」/ボリス・バルネット「斥候の武勲」

3)やくざvsギャング: マキノ雅弘「昭和残侠伝 死んで貰います」/ジャック・ベッケル「肉体の冠」

4)こども: チャップリン「キッド」/ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」

5)テーマ不明: ハワード・ホークス「モンキー・ビジネス/小津安二郎「淑女と髭」

6)テーマ不明: ウィリアム・ワイラー「黄昏」/成瀬巳喜男「鶴八鶴次郎」

7)河と船: 「キートンの船長」/ジャン・ヴィゴ「アタラント号」

8)スポーツ選手: ウォルシュ「鉄腕ジム」/アルドリッチ「カリフォルニア・ドールズ」

9)トレンチコート・男と女: ハワード・ホークス「三つ数えろ」/ゴダール「メイド・イン・U.S.A」

10)木漏れ日: 成瀬巳喜男(1943年)なのか衣笠貞之助(1960年)なのか不明「歌行灯」/アンソニー・マン「最前線」


 映画の本はいろいろあるけれど、対談が一番面白い。これもそうだし、淀川長治/蓮実重彦/山田宏一「映画千夜一夜」(中公文庫)だし、ヒッチコック/トリュフォー「映画術」(晶文社)だし。何かの主題について語っているようでどんどん脱線していくのが映画的だし、歴史を引用するのが映画的だし、細部や小物などのフェティシズムを楽しむのが映画的だし。というわけで、自分の書くようなモノローグ、それも自分に向けて語るような一人語りほど映画から遠いものはない、ということでおしまい。ともあれ、二人の無駄でありかつ貴重な知識に圧倒されながら、見ていない映画をみているようなつもりになって楽しくお話しを聞きました。二人に感謝。

シネマの快楽 (河出文庫)

シネマの快楽 (河出文庫)

2014-10-14

佐藤忠男「ヌーベルバーグ以後」(中公新書)

 この本の記載にそって簡単に映画史をおさらいすると、なんといっても映画の「本場」はアメリカ・ハリウッド。ここの全盛期は1930-40年代。で、戦後にその他の国の映画が相互に交換、上映されると、ハリウッドとは違った映画に衝撃を受ける人がでた。1940年代後半だとイタリア、1950年代だと日本とポーランドの映画かな。それをみて、かつハリウッドの映画を見まくったフランスの青年が、助監督経験を経ないで映画の監督に乗り出した。すると、ハリウッドのギャング映画、犯罪映画に各国の映画のセンス(そして新しい音楽)をとりいれた斬新な映画を次々と作り出した。ゴダール、トリュフォー、リヴェット、ロメール、レネ、マルなど。彼らの映画にはじつのところ共通点はそんなにないけど、出自が似ているということで「ヌーヴェル・ヴァーグ」と命名された。それが1950年代後半。

 というまとめをしたうえで、では1960年代の映画はどうだったかを概観したのが、1971年刊行のこの新書。

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 日本では、大島渚、吉田喜重、今村昌平などの松竹出身の若い監督とアートシアターギルドの活動、ドキュメンタリの羽仁進、小川伸介、土本典昭などに注目。アメリカだと、アーサー・ペン、マイク・ニコルズ、ジョージ・ロイ・ヒルなどの「ニュー・シネマ」。中南米の映画も面白い。というのが、著者のみた1960年代の映画の状況。

 無理にヌーヴェル・ヴァーグとの共通点をあげるとすると、

モンタージュ、カットバックなどの既存の映画手法の見直し

・性的、政治的問題への関心、ときには観客との共闘の模索

・異化効果や想像力の手法

あたりになるだろうかな。

 じつのところ、ここに取り上げられた映画を自分は全部を見たわけではないし、今となっては大資本の制作したものを除いてはほとんど見るのが困難(とりわけ新左翼や学生運動のドキュメンタリーはまずみれない。「怒りをうたえ」や「圧殺の森」は四半世紀以上見直していないのでもう一度見直したいのだ)。なので、個々の作品評価は保留。とはいえ、書かれてさらに数十年を経過した2013年からすると、エアポケットみたいに空白になっているみたい。1950−60年代は「ゲンダイオンガク」がもっともとんがっていた時代で、表現や方法の実験が盛んに行われていた。それに熱狂する人々もいたけれど、どうも観客の都合をおいてしまったので、いまとなっては鑑賞するのが辛くなってねえ。それと同じ感想をこの時代の映画にも持つようになった。

 自分もこの著書にでてくる監督たちの作品を見るより、同時代に濫作されたプログラムピクチャー(「眠狂四朗」「座頭市」「女賭博師」など)を楽しむようになってしまったからねえ。

・著者は1930年生まれなので、当時40歳。ヌーヴェル・ヴァーグやそのあとの1960年代の映画を主導した人たちもほぼ同世代。ちょうど巨匠が沈黙、死去する世代交代の進行中で、彼らに対する同士意識というのはあったのではないかな。著者には「大島渚の世界」(朝日文庫)があるくらいにシンパシーが強い。

・この時代は、新左翼や学生運動があって、左翼の議論が幅を利かせていた。たぶん著者はその種の反権力の思想に共感を持っていたみたい。本書の映画の動向でも、反権威・反権力を志向する作品はできはともあれ、紹介する労を惜しまない。加えて学生などの自主上映運動にも共感をもっていて、そこに映画の可能性をみているし。

 そういう世代や思想に基づく共感はよくわかる。とはいえ、それを共有できるわけではないとすると、自分のようにこの本で取り上げられた映画を今となって楽しむのはなかなか大変。まあ、「あの時代」の雰囲気を味わえたので、よしとする。

2014-10-13

山田宏一「美女と犯罪」(ハヤカワ文庫)

 以前ベラ・バラージュを読んだときには、彼が注目したほどクロースアップの重要性を認めなかったけど、アクションでもラブロマンスでもコメディでもサスペンスでも、不意に現れる(しかし制作側には計算づくの)クロースアップに見とれることを思い出した。クロースアップされた対象が女であるとき、僕は画面に引き込まれる。

 というわけで、映画は女と銃であり、犯罪とラブロマンスであることにこだわったエッセー集を読む。

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グレース・ケリーとヒッチコック映画の女たち ・・・ ヒッチコックの映画のヒロインの目的はマンハント(犯人追跡と亭主狩りとダブルミーニング)、ヒッチコックのヒロインたちは犯罪を誘発する、とのこと。なるほど。ヒッチコックは30本以上の長編映画をみたけどわかりませんでした。

女の犯罪、女の活劇(フィルム・ノワール) ・・・ D・W・グリフィスは「映画は女と銃だ」といった。フィルム・ノワール(暗黒映画)は「バラ色の人生」の反対語。ヴァンプのイメージは黒髪からプラチナやブロンドに変わった。

バーバラ・スタンウィックの殺人保険 ・・・ 1940年ビリー・ワイルダー「深夜の告白」。「殺人保険」はジェームズ・M・ケイン原作で、チャンドラー脚色。最初のフィルム・ノワールで最高傑作だって。あとアンクレット・チェーン(くるぶし飾り)は1940年代アメリカ娼婦の記号、とのこと。

白いドレスの女(ラナ・ターナー) ・・・ 1946年テイ・ガーネット「郵便配達は二度ベルを鳴らす」。口紅は彼女の生命のシンボル。後、当時の映画製作倫理規定で性表現のできない時代にはフェティシズムで暗喩的表現を行い、想像力を喚起した、とのこと。

ジャン・ギャバンを殺したふたりの女 ・・・ 「望郷」と「霧の波止場」。前者の成功で、空港や港の別れをクライマックスにする映画がはやった。「カサブランカ」など。「運命は従うものを潮に乗せ抗むものを(死の彼方へ)曳いていく」ラブレーの言葉で、「望郷」冒頭のポスターに書かれた言葉。

牝犬と獣人(ジャン・ルノワールの人間喜劇の女たち) ・・・ 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」はフランスの「暗黒もの」で映画化の規格があり、ヴィスコンティに譲られてネオ・リアリズモの嚆矢となり、ハリウッドで作られて「フィルム・ノワール」となった。ジャン・ルノワールの「暗黒もの」。

哀しみのシルヴィア・シドニー ・・・ ハリウッドのフリッツ・ラング。運命とのたたかいと薄幸の美少女。「暗黒街の弾痕」。そして逃避行ものの映画の系譜。

拳銃に魅せられた女(ペギー・カミンズ) ・・・ 1949年の「拳銃魔」はボニーとクライドの映画化作品。女が男を支配して狂気にまみれていく愛の姿。

レスリー・キャロンに明日はない ・・・ レスリー・キャロンというスターになりそこなった女優をめぐる映画の話。オードリー・ヘップバーンとの比較。トリュフォー「突然炎のごとく」の衝撃が点々と移動していって「俺たちに明日はない」に結実するまで。

エヴァ・ガードナーとパンドラの夢 ・・・ フィルム・ノワールで男を手玉に取るなど強い女が描かれるようになった。そこにフェミニズムや女性の社会参加の反映などをみてもよい。エヴァ・ガードナーは特に注目する女優で、彼女はハリウッドを捨ててヨーロッパに渡り神話的な高みに上ることができた。ハリウッドに残った女優にそういう存在はない。

キム・ノヴァクはバッヂをつけていた ・・・ フィルム・ノワールの犯罪的美女になれなかったが、母性的なやさしさで目を見張らせた女優。「めまい」が有名だけど、自分はまだピンとこない。俺の目はまだ駄目かな。

暗黒街の女(シド・チェルシー) ・・・ ミッキー・スピレーン的な露出狂的な犯罪的美女。アステアと組んだミュージカル「ガール・ハント・バレエ」は見たいなあ。「雨に歌えば」の脚のきれいなダンサーとのこと。

帰らざる娼婦(シモーヌ・シニョレ) ・・・ ハリウッドの運命の女は情婦であるが、フランスのそれは娼婦。とくにくわえたばこの似合う、感情を表に出さない女。この女優の出た映画は「悪魔のような女」しか知らない。たしかクルーぞー監督の妻だったころのもの。著者の評価は低く、ほかの作のほうがよいらしい。

ジャンヌ・モローの匂い ・・・ 「エヴァの匂い」1962のジャンヌ・モローの仏頂面と不感症的な悪女。無表情とウエストラインの低い煽情的な娼婦。

ジャイムズ・ハドリー・チェイスの悪夢のような女たち ・・・ フランスのフィルム・ノワールはアメリカの犯罪映画を模したもので、新しさのひとつはモダン・ジャズを使ったこと。それらも素晴らしいけど、その前後に作られた「ジェイムズ・ハドリー・チェイス」ものも面白いよ、今は映画史で忘れられているが。

アンナ・カリーナの犯罪(ゴダール版さらば愛しき女よ) ・・・ ゴダールの初期の映画はアンナ・カリーナへのオマージュ(激しく同意! 「気狂いピエロ」「アルファビル」の彼女の美しいこと!)。

黒衣の花嫁(トリュフォー的フェミニズム) ・・・ 女のような男たち、男のような女たち、子供のように傷つきやすくナイーブな男たちとヒーローのように強靭でたくましい女たちの対称がトリュフォー映画。後、この人の映画も暗黒映画、犯罪映画とのこと。

女鹿の饗宴(シャブロル的殺意の週末) ・・・ この監督の名前は知らなかったし、作品も知らない。でも、「細い線」「野獣死すべし」「十日間の不思議」(いずれも作者は書かないよ)が映画化されているのには驚いた、それもフランスで!

ブリジット・バルドーは探偵ごっこがお好き ・・・ フランスの暗黒映画にはコメディもあって、そのときのBB(ベベ=赤ちゃん)の天真爛漫さ、無邪気さが魅力になる、とのこと。

ミレーユ・ダルクと暗黒街の彼女のボーイフレンドたち ・・・ 暗黒映画の日本未公開の映画の紹介。

罪ある女(ヒルデガルト・クネフ) ・・・ 今度はドイツ映画の犯罪的美女。

アンジー・ディッキンソンの黄色の誘惑 ・・・ ハワード・ホークス「リオ・ブラボー」のマンハント(亭主狩り)。黄色は狂気の色であると同時に、男を誘惑する色。

ローレン・バコールとホークス的美女群 ・・・ ハワード・ホークスの映画はヒーローのアクション映画か幼児性を笑うコメディ映画。あと物を投げて渡すのは性愛や友愛のしるし。とくにタバコの受け渡しはsexを暗示するもの。で、男ばかりを描いたと思われるホークス映画はやっぱりラブロマンス。「三つ数えろ」の最初の本屋のシーンとか(眼鏡をはずすと実は美女で、さっそくマーロウにモーションをかける)。


 なんというか1940-50年代のハリウッド映画と、50-60年代のフランス映画を大量にみていることが豊かな記憶を持つことになるのだな、と。ここに挙げられた200本以上の映画のうち見たことのあるのは何本もないというぐうたらもので、ここの記述された映画のシーンはほとんど知らない。だんだん安く手に入るようになっているからもっと見ないとね。そして美女と犯罪を見て陶酔しないといけないねえ。

 あと、一人の女優に焦点をあてて監督やほかの俳優や、ときには犯罪小説まで話題を縦横に伸ばして、映画史の概略を描くという芸を披露している。そのやりかたは後半のいくつかの章ではうまくいかなかった。こういううんちく系のエッセーの難しいところ。

新編美女と犯罪

新編美女と犯罪

2014-10-10

「円谷英二の映像世界」(実業之日本社)

 1983年初版。自分は、テレビ番組のウルトラマンほかのシリーズはリアルタイムでみたのだが、東宝特撮映画は乗り遅れた。なので、ほかのサイトなどを参考にこの時代の背景をまとめてみる。

 ゴジラシリーズは1975年の「メカゴジラの逆襲」で制作が中止された。観客動員数が歴代最低であったことや、アニメやアクションものあたりに観客の興味が流れたせいかな。その間に、自分らのように1960年代に特撮映画を劇場で見たり、テレビで見ていた世代が金を使える青年になる。すると、特撮映画を見たいという欲求がうまれるが、旧作を地方映画館で見るしかない。あるいは自主上映するしかない。たとえば、自分のいた大学では学園祭の終夜映画上映企画で、「三大怪獣 地球最大の決戦」を取り上げている。当然といえば当然だが、小美人二人がラドンとモスラの会話を通訳したところで20歳前後の学生から失笑・苦笑が漏れたなあ。さて、そのとき上映されたほかの映画をメモしておこう。

大島渚「日本の夜と霧」1960年

藤田敏八「八月の濡れた砂」1971年

山本暎一「哀しみのベラドンナ」1973年

神代辰巳「一条さゆり 濡れた欲情」1973年

本多猪四郎「三大怪獣 地球最大の決戦」1964年

 いかにも当時(1980年代初頭)の大学生の心意気(というかスノッブぶり)をみることができる。性と暴力と政治に関心があるというのが、特長かな。そのような長時間の上映を講堂の固い椅子で全部見たという自分の体力を懐かしむ。

 こういうイベントの決算にあたるのが、1983年8月5日、東京・日比谷公会堂に於いて行われた「伊福部昭・SF特撮映画音楽の夕べ」とそれに関連した連続上映会かしら。これらのイベントは自分は参加していないし、ほかの人が詳しいのでパス。そして9年ぶりに映画「ゴジラ」を制作することが発表された(1984年公開)。

 それと歩調をあわせるように、この本が出版される。たぶん円谷英二の十三回忌の意味もあったのだろう。1954年からのゴジラシリーズだけではなく、円谷英二のカメラマン、特撮監督の仕事を網羅しようという意図もあった。なので、戦中の作品も取り上げられている。そして、当時存命中だった、円谷組や関係者の証言や追想がまとめられる。子供向けの怪獣図鑑などで特撮技術が説明されることはあったが、大人向けのここまで網羅したものはなかったのでないかな。多くの写真を収録して、その後のゴジラ研究の基礎となる重要文献になる。自分の持っているのは1983年版だが、2001年に増補改訂版が出ていて、そちらのほうが入手が容易。

 とはいえ、これは好事家向けの一冊。当時の特撮技術やさまざまなエピソードはネットにたくさんあって、この本の内容以上のものが入手できるようになった。

 自分には第1作ゴジラの制作にあたり、香山滋の準備稿ではエキセントリックな性格の山根博士が脚本の村田武雄の反対で温厚で常識的な博士に変わったと証言をみつけたことが重要。

「当時ですとね、まあ江戸川乱歩さんなんかが書いていた時代だから、博士というと、黒眼鏡をかけて、山高帽を被って、黒マントを羽織った、不思議な博士がよくでてくるものなのよ。それが、湖水があって、そばに古びた洋館があってそこに住んでいて、綺麗なお嬢さんいて、で、どんな生活なんだ? といえば、そんな生活なんか構わない、それが当時の、探偵小説みたいなもので、最初香山さんのアイデアだったの」(P72-3)

 東宝特撮映画のマッドサイエンティストのイメージは香山のがプロトタイプであって、遡ると江戸川乱歩(の少年ものなのだろうな)にいくのだろう。そのようなエキセントリックな博士象に村田は反対して、「博士は僕らと同じようにね、働き、飯を食うのに、ストロンチュウムがあったりしたら困るじゃないかという、そういった庶民的なものがなきゃ困るんだ」ということで、映画の山根博士になったという。

 エキセントリックな博士のイメージ(高齢独身で古城に娘か孫娘と住んでいる)の原型を見つけるのは困難だが、自分の見つけた最も古いのはルルー「黄色い部屋の謎」1907年のスタンガースン博士ウェルズ「モロー博士の島」1896年の主人公。あとは映画「フランケンシュタイン」1931年の博士だろうな。

 もうひとつ、本多猪四朗監督の意図が反核・反戦にあるという証言を見つけたことで満足。

「僕はね、作品自体に社会時評というか社会性というか、そううものは特に思って(脚本を)書きませんでした。ただ、とにかくもう原爆は作っちゃいかんのだ、これだけですね。ええあんなものがね、あんなものがやたらに使われた日にゃたまったもんじゃない。これはね、今でも間違っていないと思うし、これからも反対していくものなんです。(P83)」

円谷英二の映像世界

円谷英二の映像世界

円谷英二の映像世界

円谷英二の映像世界

2014-10-09

吉村公三郎「映像の演出」(岩波新書)

 吉村 公三郎(1911年9月9日 - 2000年11月7日)は昭和の初期に映画畑に入り、島津保次郎の助監督としてキャリアを積んで、23歳で監督デビュー。戦争になると徴兵されて、南方戦線に送られる。幸い、兵士ではなく情報部の後方勤務だった。慰問や映画の仕事をしていたので、タイや上海にあったアメリカ映画(そのころは輸入禁止で国内では上映できなかった)をみている。ウィリアム・ワイラーの「嵐が丘」をみてパンフォーカスや「縦の構図」などを発見したそうな。敗戦後に監督業に戻ったが、大資本の製作方針に合わないので、新藤兼人らと映画制作会社「近代映画協会」を設立した。戦後のさまざまな映画プロダクションのはしりと自負している。50代に大病をしてから映画製作の現場から離れ、このような文筆業の仕事が多くなったらしい。と、別の資料などを参考に生涯を概説。あいにく自分はこの人の監督した映画を一本も見ていないのだ。知っていたのも原節子主演の「安城家の舞踏会」くらい。もうしわけない。

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 この本は、彼のキャリアを基にした映画演出の基本を述べたもの。

・シナリオ ・・・ メディアによってシナリオの書き方は異なるよ。歌舞伎、無声映画、トーキーでは違うよ。セリフは大事だよ。

・「枠」 ・・・ 劇を示すには、なにをどのように撮るかが大事だよ。基本のパターンがあるから、まずそれを押さえて(とくにクローズアップに注意)、あとは工夫を追加。

モンタージュ ・・・ 戦前のソ連映画の影響か、モンタージュの思想は侃侃諤諤の議論をしたなあ。思想はともかく、技法は基本中の基本。あと劇の内容や主題にあわせて適宜使ってね。

・風俗(時代考証) ・・・ 師匠の島津保次郎には風俗考証の重要さを教えられた。街並みや家庭内の道具、起居動作は時代と場所で千差万別だから、神経細やかに調べてね。でもあんまりとらわれると、製作費とスケジュールが狂うんだよなあ。

・演技 ・・・ 柄とカンと経験が上手な俳優の備えたもの。自意識過剰(スポットが自分に常にあてられているとか、正面からの視線ばかり気にするとか)をどうやってなくしてやるかは監督や演出家の腕。パントマイムがうまくいかないときには、セリフを作ってそれを語りながら演技させ、最後にセリフをなくすとうまくいくよ。

について、説明。ほかにも撮影、照明、色彩、編集、音楽など話したいことはたくさんあるし、ドキュメンタリーやアニメ、コメディにも作法があるから書きたかったなあ、ということです。別の本で書かれているのかもしれない。

 自分は映画は好きだが、役者の演技の巧拙や編集のうまさ・リズムなどの技法はさっぱりわからない。なので、ここに書かれた「映像の演出」の正否、妥当性はわからないし、これを読んだことで映画を見るときの技術的な視点がはぐくまれたとも思えない。たぶん製作者を育成するためのプログラムはあって、技術は教科書になっているのだろう。でも、そのような「学校」に行かない鑑賞者にはよくわからないねえ。もうひとつは映画の編集はうまいのだろうが、書物の編集は成れていないのか、散漫になってしまってね。

 というわけで、むしろ戦前から敗戦後しばらくまでの、著者の経験した映画製作の裏話のほうがおもしろかった。島津保次郎の暴君振りと著者への期待と教育(ただひとり食事に誘ったとのこと。でもそれは大阪育ちの著者に江戸の風俗を教えるためのOJTだったそうな)。現場あがりのためインテリにコンプレックスを持っていたところ。戦中にワイラーの映画に感激し、戦後来日した監督と交友するところ。フランスの俳優ルイ・ジュヴェへの偏愛。自分が育てた金田隆と津島恵子の自慢。こういう繰り言というか昔話の語り口がうまい。1979年初出で、当時68歳となると「最後の作品」みたいな意識があったのかな(89歳没の長生きではあった)。

映像の演出 (岩波新書 黄版 96)

映像の演出 (岩波新書 黄版 96)

2014-10-08

依田義賢「溝口健二の人と芸術」(現代教養文庫)

 溝口健二を紹介すると、1898年生まれ。1920年(大正9年)に日活向島撮影所に入社。24歳にして映画監督デビュー。当時は無声映画。のちに松竹や大映に移った。死去の直前には大映の取締役に就任。ずっと継続して映画監督を続ける。代表作は「滝の白糸」「浪華悲歌」「祇園の姉妹」「残菊物語」「浪花女」「女優須磨子の恋」「夜の女たち」「雪夫人絵図」「お遊さま」「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒大夫」「近松物語」「大阪物語」(この本の章のタイトルになったものをあげた)。1954年、急性白血病で死去。長回し、ワンシーンワンカット、綿密な時代考証、厳格な芝居、あたりが特徴。ヌーベルバーグの監督が激賞し、この国の映画監督としては最も知られている人の一人(あと黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男になるのかな)。

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 えらく無味乾燥なまとめになったのは、彼に最も近しい仕事仲間である著者にしても、とくに憎悪を買うような厳格さ(というか理不尽な怒り)を要求し、毒舌を吐き、人を怒らせ、わがままを言い、人を自分のいいなりにさせ、自分の失敗や過失を認めず、思うままにならないときには駄々をこね、怒りを発散する。その種の怒りや攻撃はしばらく収まらず、翌日まで持ち越すことも多かったそうな。詳細はwikiに詳しい。そういう暴君のエピソードが、どうにも苦手なので。こういう人と仕事をすると苦労することだろう。たいてい、人は離れるものだが、溝口の場合、出来上がった映画が素晴らしいものだから(ついでに興行収入をたくさん獲得できるヒット作品を作ったから)、彼の性格や行動パターンに苦り切っていてもいっしょに仕事を続けることになる。お疲れ様でございます。

溝口健二 - Wikipedia

 ネットをうろついていたら、大島渚が溝口健二を表している言葉を見つけた。

「小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。その上、好みを自分で知りぬいていた。だから幸福だったでしょう。 しかし、溝口さんは一生自分がなにをやりたいかもわからず、ただ、無茶苦茶に頑張った。 苦しい一生だったと思います」

  大島は松竹に入って、昔からの職人映画監督を罵倒し、上層部と喧嘩して退職した人。仕事ぶりをよく聞くことがあっただろうから、こういう発言になったのだろうな。

 ああ、似たような暴君ぶりで、熱烈なファンがついている一方、部下からは毛嫌いされている人を思い出した。指揮者ジョージ・セル。セルの仕事(CDのみだけど)をみても、仕事の成果と作り手の人格は別物であるということに留意しないといけないな。こういうパーソナリティだからこの人の仕事は素晴らしい(あるいはダメ)とか、仕事の結果はこの人のパーソナリティに由来するとか、こういう物言いは何も言っていない。

 自分は「雨月物語」しか見ていないので、監督の仕事の評価云々はおいておくことになり、この本はこの国の映画の黄金時代の記録として読むことになった。これとマキノ雅弘「映画渡世」(角川文庫)、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」(白川書院)といsっしょによむと、戦前の京都の撮影所の雰囲気が彷彿するのじゃないかな。

溝口健二の人と芸術 (現代教養文庫)

溝口健二の人と芸術 (現代教養文庫)

2014-10-07

佐藤忠男「黒澤明の世界」(朝日文庫)

 1969年の初出。そのあとに制作された映画の論評を加えて、1986年に文庫化。黒沢監督はその後も映画の製作をつづけたので、「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」には触れていない。1990年以降の製作作品は、「黒澤明作品解題」(岩波現代文庫)で言及しているので、そちらを参照(ついでだが、岩波同時代ライブラリーに「黒澤明解題」というのがあって、これは1990年に出た。当然、1990年代制作の映画は触れていないので、注意すること)。

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 1980年代にVHSビデオが普及して、自宅のテレビで映画を見ることができるようになった。時間をとれないサラリーマンや金のない学生には大いに便利になった。でも、著作権者の意向があったのか、黒澤明の映画がビデオ化されるのは遅く、もちろん監督の意向でテレビの放送もなかった。当時のテレビは20インチ前後。シネスコサイズの映画は両端を切るか、圧縮してテレビサイズにした。画面のサイズにこだわる監督はどちらの処理も拒否したので、なかなか放送されない。ときに放送するときは、画面の上下を黒くして、画面のすべてが映るようにした。若い映画ファンが監督の映画の情報を得るには、このような本しかない。黒沢監督の情報や評論を入手するには、当時、この文庫本は便利だった。なので、昭和から平成にかわるころに、まとめてビデオ化されたときに、この本を片手にレンタルビデオを借りてきて、テレビ画面をみたのであった。

 ここでは著者がどのように映画を評価しているかというところに注目。そうすると、

・監督の主張や思想が明確に表現されていることが重要。その主張は、人民の意識を高めるとか、社会悪の摘出とその乗り越えを提起しているほどよい。制作時の社会問題との関係が明確であるとよい。「我が青春に悔いなし」「生きる」「生きものの記録」が高評価なのはそういう理由。

・社会や共同体で埋没しがちな視聴者の意識を高揚させ、社会参加や変革の志を持つ自立した、主張のある個人を造形するのがよい。上記の八木原幸枝(原節子)とか、渡辺勘治(志村喬)、「生きものの記録」の中島喜一(三船敏郎)など。

・とはいえ超人的な力を持つ主人公が人々や社会の正義を無視してわがままにふるまうのはちょっとごめん。「用心棒」「椿三十郎」のタイトルロールや「天国と地獄」の戸倉警部など。

・彼らのすごさというか超人性をきわだたせるために、人民の意志や行動力を弱く描くのはどうかしら。「七人の侍」の農民とか、「どん底」「どですかでん」の貧乏人たち。

・技術や表現力には敬意を払うが、監督がそれにこだわり、主張や思想の提示が弱いのはあまり評価できない。「蜘蛛巣城」「影武者」「乱」。

 だいたいこんな風なみかたにまとめられるかな。近い立場は自然主義リアリズム。市民的自由と民主主義の獲得のために社会悪の告発と社会参加の啓蒙をするのが芸術の役割だ、という見方。1960年代のユーモアもわからないわけではないがそれより「正義」と権力の問題に目を向けようという立場。おおよそこんな感じのまとめになる。

 今となると、しゃっちょこばったの見方で、これだと見落とされるものが多いし(上のユーモアとか編集技術とか)、芸術に政治的志向を要求するのも偏狭な見方になると思う。ストーリーと主題と人物造形に注目するのは、たぶんに文学的。著者のような映画の見方からはバラージュの見つけたクロース・アップされた顔とか、エイゼンシュタインモンタージュなどは見つからないよね。それに、あるシーンとかシークエンスが物語とかメッセージとか人物の個性なんかとは別にみるものに強烈な印象をもたらすのが見えなくなる。たとえば「七人の侍」のぬかるみに足をとられてずっこける農民とか、「椿三十郎」の切られた俵から白米がずっと零れ落ちているシーンとか、「白痴」の雪に埋もれた電車駅とか道路とか、「天国と地獄」の米兵向け飯屋の品書きとか。こういうリストは映画好きそれぞれが個人的に大事にしていると思うが、著者の方法だとそういう記憶は無視されるよなあ。

 黒澤映画にある説教くささとか師弟関係の押しつけみたいなのが、最近の自分に合わなくなっているように、この評論もまたあわなくなってしまった。

黒澤明の世界

黒澤明の世界

黒澤明作品解題 (岩波現代文庫)

黒澤明作品解題 (岩波現代文庫)

2014-10-06

小林信彦「日本の喜劇人」(新潮文庫)

 自分の持っているCDに川上音二郎一座の録音がある。これは、パリに巡業に出た川上一座の演目を高座のあいまをみて収録したもの。録音された年はなんと1900年。なにしろ明治の終わりの日本人が喋り、歌うのが聞けるという点で貴重きわまりない(SPはミント状態だったので、奇跡的とおもえるほどに良い音を聞ける)。口調やイントネーションには、そんなに変わっていないとずいぶん変わってしまったというのが両方あっておもしろい。たぶん自分は関東出身で、川上一座の役者たちと同系の言葉を使っているからそう思うのだろう。

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「蘇るオッペケペー」 TOCG-5432

甦るオッペケペー

甦るオッペケペー

 寄席、喜劇は録音にしろ映像にしろほとんど残っていない。戦前の映画は興業が終わったらフィルムは捨てられるものだったし(何しろ可燃性で保存するには気を付けないといけないし)、喜劇人やコメディアンは寄席、高座、今風だとライブにかける人だったので、映画はある意味出がらしみたいなもの。面白さの半分も残せない。

 というわけで、作者は1930-1970年代の日本の喜劇役者を言葉で保存しようとする。学生のころの1950年ころから浅草、新宿の寄せ、高座、ストリップ劇場に通い、名だたる喜劇人をライブで見ていて、長じては雑誌記者として芸能記事を書き、コントの作者にもなったという経歴の持ち主(さらに長じては人気風俗作家になった)。 取り上げられたのは、古川緑波、榎本健一、森繁久弥、トニー谷、フランキー堺、脱線トリオ、クレージー・キャッツ、渥美清、小沢昭一、てなもんや三度笠、てんぷくトリオ、コント55号、由利徹、藤山寛美などという面々。著者と同世代であるとか、比較対象がアメリカの喜劇役者であるとかで、どうにも辛口。著者の批判は、1.多忙になると芸を磨くことをおろそかに、2.性格俳優になりたがり、過去の経歴を卑下したがる、3.型にはまった演技になる、あたりか。それに加えて、奇人、変人、非常識人、自己主張が強い、あくが強いとかで、個人的に知り合いになってひどい目にあったというのが書かれる。

 批評が当を得ているかどうかはわからない。なにしろ自分の年齢であっても、1970年代までの喜劇役者の記憶はほとんどないし、物故者にいたっては映像すら見たことがない。それに、自分はここに挙げられた喜劇役者が好みではないというのもある。まあ、時代の記録がないので、貴重であるといえるでしょう。

 ちょっと脱線して自分の記憶を書いておく。「大正テレビ寄席」という番組があって、あるときトランポリンの妙技をみせる一座が出演した。おにいさん、おねえさんが妙技を見せた。そのあと、客席から「はじめてトランポリンに挑戦する素人」があがった。まずステップをちゃんと登れない、トランポリンのばねの隙間に足を踏み入れてずっこける、ジャンプするとバランスを失ってこけてしまう、あげくのはてにはトランポリンから飛び出して客席におっこちてしまう。その5分間ほど自分と家族は笑い転げた。あとで何かを読んだら(竹中労の本だったと思う)、普段は裏方だが、気の向いた時にだけ「はじめてトランポリンに挑戦する素人」を演じる芸人がいると知った。彼が登場すると、劇場関係者は全員袖に集まって、笑い転げたそうだ。自分の見たのは、その無名の、それしか芸のない芸人の姿だったかもしれない。動画を探してもそれらしいのはなかった。

日本の喜劇人 (新潮文庫)

日本の喜劇人 (新潮文庫)