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odd_hatchの読書ノート

2015-11-04

吉田秀和「モーツァルト」(講談社学術文庫)

 モーツァルト没後200年を控えた1970年にそれまで著者が書いてきたモーツァルト関連の文章をまとめたもの。

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 2章と3章に集められた文章はほかの本に収録されたことがある。気づいたものは書いておいた。ピアノソナタに関するものは「世界のピアニスト」に入っているのではないかしら。そこでは、大家の演奏を聴きながら物足りないところを見出し、新しさが現役の演奏者に見いだせないかという構成になっている。たとえば、ピアノソナタではギーゼキングリリー・クラウスを遡上にあげて、細やかで正確だけどこじんまりとしていて、では新しい人ではどうかというのでグルダグールドを持ち出すという具合。ディヴェルティメントだと、イ・ムジチを聞いてカラヤンに思いをはせるというような。とかく批評家にありがちなランキングをつけておしまいとするのではなく、だれの演奏も発見があるよと教えてくれるのがとてもありがたい。そうすると、いくつものレコードを買うはめになるわけで、なかなか懐には厳しいのではあったのだが。(まあそれから50年もたつと、ギーゼキングクラウスグールドの一部はパブリックドメイン安価に入手できるようになった)。


1・モーツァルト――その生涯、その音楽―― 1956.02

2・古典の複雑と精妙について――変ホ長調交響曲―― 1953.11 ・・・ 「主題と変奏」所収

音階音楽家 1953.11 ・・・ 「主題と変奏」所収

3・ピエール・モントゥー指揮のモーツァルト 1967.02 ・・・ 「レコードのモーツァルト」所収

ヴァイオリン協奏曲第六番ニ長調 1967.05

・ディヴェルティメント3曲 1969.05

ピアノソナタ 第一〜五番 1969.05

ピアノソナタ 第十六番 1967.01

ピアノソナタ 第十番 第十二番 1969.10

4・手紙を通じてみるモーツァルト 1968.02

5・モーツァルト――出現・成就・創造―― 1947.04-05


 そこで、読みごたえのあるのは、1と5。この国のモーツァルト紹介の文章としては極めて初期。それこそ小林秀雄「モオツアルト」河上徹太郎「ドン・ジョバンニ」と、この著者のものくらいだったのではないかしら。気が付くのは、著者のものは音楽の専門家がある程度の素養のある人に向けて書いたもので、楽譜の引用があるし、和声分析も遠慮会釈なく行う。そこは読者に努力を要求するところ。一方で、聴取体験が小林や河上たちよりもずっと多いので(そういう目的で洋行してきたのだし)、作品紹介がずっと具体的。レコードからはなかなか発見できない細部や演奏者の解釈をわかりやすく述べている。

 さて、そのような仕方で書かれたモーツァルトはどういう人物であったかというと、楽想が自然と生まれ出てくる天才、他の作曲家様式をすぐさま吸収し自分の個性に変えてしまう天才、教会や宮廷の要請に縛られることを嫌い独立することを願う自由人、音楽界の権威と闘争する新しい音楽の旗手、音楽のミューズに愛される天衣無縫な人物、デーモンに魅入られ短い人生で芸術を燃焼した不運な人物、生活の細部に細やかな配慮のできる暖かい人、しかし恋愛においてはあまり成功せずに苦労をしょい込むことになった不運な人、このあたりかしら。書かれた時代が解放、闘争自己実現などに価値を置いていたことを考えると、このような自由闘争の人というのはその時代の要請したものと一致していたのかな。そのような人物を作品解釈と先行する研究者の文献を引用して説得的に描き出す。

 漏れているのは、下ネタ大好き、女と酒と遊び大好き、生活の不安よりも今宵の楽しみを優先する趣味人というようなもの。これを発見するには、1950-60年代のこの国にはまだ余裕がなかったのかしら。「コジ・ファン・トゥッテ」を紹介するにも、遊戯性とか軽味をあげるのではなく、「人間の真実」からアプローチしているのだし。この本の少し後に、山口昌男が「モーツァルト好きを怒らせよう」という挑発的な文章を発表したけど(「本の神話学」「道化の宇宙」)、この本は怒らせたいモーツァルトの見方の標的になるのだろうなあ。

 もどると、1950-60年代モーツァルト論で有名なのは小林のものだけど、それだけでは不十分。著者のものも考慮に入れたほうがよい。とはいえ、モーツァルトの多面性、多義性を浮かび上がらせるものではないので、好事家だけが手に取るのでよいなあ。演奏紹介も今となっては、古めのものばかりなのもきつい。

モーツァルト (講談社学術文庫)

モーツァルト (講談社学術文庫)

2015-11-02

ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)

 ロベルト・シューマンは1810年生まれで、1856年に若くして亡くなった。彼の作品だと、ピアノソロの曲と歌曲が代表になるのかな。「クライスレリアーナ」とか「幻想曲」、「詩人の恋」あたり。人によっては大規模作品の「楽園とペリ」を推すこともある。自分はシューマンの良い聞き手ではなく、ピアノ協奏曲ピアノ五重奏と交響曲第4番をのぞくと、まず聞かないので、この選択が妥当かどうかはわからない。

 彼の代表作は30代半ばからのものが大半。それらを書く前には「音楽新報」という雑誌を主宰して、同時代音楽の評論を10年以上継続していた。ここに収められたのは、そうやって書かれた評論や短評で、主には1830年代の著者20代に書かれたもの。

 いくつかを点描的に。

・一番最初の文章は22歳くらいのときかな。何とも若々しく青臭い文章。「ただ鳴るだけで、魂の状態の言葉でも印でもないようなものは、小さな芸術じゃないか!(P34)」 どうでもいい文章を適当に引用してみた。こういうアフォリズム風で、ほとんど意味のない言葉を書くところから、30代半ばのころには堂々たる文章(とはいえロマン派風美文@吉田秀和)になる。文章の質が上がっていくのを眺めるのが楽しい。青臭い学生作家が次第に熟達していくのを眺めるようだった。

・古いものへの嫌悪と、まだ認められていない新しい音楽への共感。古いものは彼より年上の古典派の作曲家たち。規則にがんじがらめでいながら、感情移入が激しく、感覚美に耽溺しているような作品。まあ、音楽がルーティンワークみたいな量産品になっているのが気に食わないのだね。1843年ころの寸言集で「新しくて、大胆な旋律をみつけなければならぬ。/人間の心の深奥へ光を送ること…これが芸術の使命である(P186)」という宣言をしているように、シューマンの音楽はルーティンからほど遠いところにあって、呻吟のすえに人間の真実を描こうというものになっているわけだ。そうすると、彼の興味は同じような志向を持っていると思われる同世代からより若い人に向かう。それがショパンメンデルスゾーン、リストという人たち。もう一つの方向は、現在の趣味(ロッシーニ、マイヤベーヤ、ドニゼッティあたりかな)からずれて忘れられている人たち。ベートーヴェンシューベルトヨハン・セバスチャン・バッハなど。こういう作曲家の名前と推薦作品をみると、シューマン19世紀ドイツの音楽趣味に方向付けをしたといえるのではないかな。シューマンの評論がなければ、シューベルト交響曲ピアノソナタは蘇演されなかっただろう(シューマンウィーンに行き、フランツの作品を管理している弟フェルディナントとあっている)。まあ、この小さな文庫は200ページしなかく、最初の翻訳は昭和16年だったから、その当時の音楽趣味に合わせた取捨選択がなされたと考えたほうがよいので、強く主張はできないが。

ピアノという楽器への強い関心。1830年代に、ピアノはほかの鍵盤楽器(ハンマーフリューゲルとかクラヴィコードとかフォルテピアノとか)を駆逐するくらいの評判と人気を得た。音色、音量の多彩さ雄弁さあたりが好まれたのだろう(それにこのころ音楽を演奏する場所が広くなり、多くの観衆が集まるようになったのも関係)。シューマンは上にあげた若い作曲家と同じくこの楽器に注目し、感心し、評論の多くをこの楽器に費やす。なるほど、この熱心さもこの時代にたくさんのピアノ音楽が書かれた背景になっているのだろう。

シューマンは、作曲家や作品の目利き。取り上げてほめた作品は今に残る(残ったものの評論だけを収録したのかもしれないが)。では、論者としてどうかというと、上記のようにロマン派風の美文。いくつか楽曲分析を行っている(とくにベルリオーズ幻想交響曲」)が、そうじては印象批評で具体的でない。この本由来のいくつかの箴言があるが、文脈にあてはめると意味は必ずしも明確ではない。「ショパンの作品は、花の陰に隠された大砲である(P95)」「(シューベルトの死後発見されたハ長調の)交響曲は、ジャン・パウルの四巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い(P149:訳者によるとこれはもともとそれ自体引用されたものとのこと)」など。

・この小さな本は、吉田秀和の最初の翻訳。昭和16年(1941年)というから訳者28歳の時。1830年代の古い文章なのにとても読みやすいなあ、わかりやすいいなあと思っていたが、訳者の名前を見て納得。訳出された時代の音楽評論家兼常清佐、大田黒元雄、村田武雄、あらえびす、など)と比べると文章は流麗で新鮮。明快で論理的。訳者の文体1960年以降に変わったのかと思っていたが、こんなに若い時から自分の文体を持っていたのだね。訳者は最初の評論でシューマンについて書いたのだが(「主題と変奏」中公文庫)、主題の取り上げや書き方にはこの本の影響も大きいと思う。

音楽と音楽家 (岩波文庫 青 502-1)

音楽と音楽家 (岩波文庫 青 502-1)

音楽と音楽家 (岩波文庫)

音楽と音楽家 (岩波文庫)


参考エントリー

奥泉光「シューマンの指」(講談社文庫)

2015-10-30

吉田秀和「主題と変奏」(中公文庫)

 著者の最初の論文集。1952年に初出。中公文庫に収められたのは1977年

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ロベルト・シューマン 1950・・・ ロベルト・シューマンの特異性について。普通の書き方と異なって、たんに生涯と作品をなぞるのではなく、あわせて、ロマン派音楽についての省察、音楽を聴くことの省察、作者である「ぼく」が生活で考えたことも含ませている。評論と伝記に加えて、自分の思想や生活の開陳もしているわけだ。すなわち盟友・小林秀雄の「モオツアルト」1946をなぞって書いたもの。作者37歳であって、この時には小林秀雄の影響力が大きかった。

シューマンピアノ協奏曲をめぐって 1950 ・・・ 初めて聞いた時にはあんまり同じふしが繰り返されるので退屈に思ったが、楽譜を調べてみるととても精妙に書かれていて、内容と形式がぴったりしているのに驚いた。という、自分の調査結果を流れるように書いていき(和声学を知らないので、途中は自分には退屈)、前後に中原中也の思い出を語る。こういう小説とも評論ともつかない/どちらでもあるような書き方。やはり小林秀雄の書き方なのだろうなあ。

モーツァルト変ホ長調交響曲 1949 ・・・ 素材も限られ、楽器も不自由、形式もソナタ形式の千篇一律なもの。そういう不自由から如何にモーツァルトが多彩で精妙な音楽を書いたことか。同じ変ホ長調の序奏をもつ交響曲第39番とヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」を比べてみたまえ。それは音楽家の「耳」が単純なもの、簡単なものに満足できなかったから。というエッセイ。交響曲と機会音楽の違いだから(クライアントやターゲットの要求が違う別商品だから)とちょっかいをいいたくなるけど、モーツァツトのダンス音楽はどうだったかなあ(カッサシオンとかコントルダンスとか)。そこでもモーツァルトは精妙だったかな?。

音階音楽家 1953 ・・・ 教会旋法から音階へ変化したのが、バロックの時期で、その時から音階がとても絶妙な表現を獲得してきた。まずバッハで、モーツァルト論文の大半は彼のこと)、ベートーヴェンシューベルトワーグナーチャイコフスキーシェーンベルク。最後に「魔笛」のタミーノとパパゲーノの掛け合いでしめるというのは、そこの歌詞とあいまって絶妙な終わらせかた(「あれはパパゲーノの音(tone)だ」)。

セザール・フランクの勝利 1950 ・・・ フランクの克己と晩年の充実について。伝記のように勧められ、いくつかの作品が紹介される(あいにくヴァイオリンソナタへの言及はなし)。あわせて当時のフランスの音楽趣味の退廃とフランクの30年間の沈黙について検討される。

ベーラ・バルトーク 1952 ・・・ バルトークの紹介。このあとの1950年代バルトークがさかんに演奏、録音された(Mercuryでドラティが大半の管弦楽曲を録音したなど)。でも大部分はルネ・レイボヴィッツ論文の翻訳。

ショーペンハウエルフリュート 1948 ・・・ ショウペンハウエルの哲学をだしにして、音楽と思想について語るとても生硬な論文ドイツ観念論の固い訳語ばかりで難渋な翻訳調文体で書かれている。でも、たぶん形式的な「精神」を語っているのだろう。途中で読むのをやめた。


 著者の30代後半から40代前半にかけて書かれたもの。戦後になって、教育者やジャーナリストとして活動を開始。その最初期の論文や評論。読み返してみると、彼のスタイルがまだ確立されていないころの記録。ことに小林秀雄の影響をとても強く受けている。シューマン、フランク、バルトークの評論はほとんど「モオツアルト」をなぞるような構造になっている。どこらへんにその痕跡があるかというと、

・私的な体験ないし内話が頻出。小林「モオツアルト」の冒頭で難波かどこかでいきなり音楽が頭に響いてきたという挿話があったけど、「シューマン」「モーツァルト変ホ長調交響曲」あたりに著者の個人的な話が登場。その個人的な体験ないし内話が論文主題に結び付いているかというとそんなことはない。

・あわせて、生硬な観念が開陳。「音楽と思想」「耳」「詩」など、その語の意味が正確に述べられないまま、哲学風の述懐が語られる。これも論文主題と結び付いているかというとそんなことはない。

シューマンやフランク、バルトークという音楽家から見出すのは、音楽のミューズに取りつかれ貧困や楽壇の無視などに耐えながら、世情と正反対の作品を作り、今になって初めてその価値と意味が発見されたという物語。こういう「天才」概念や類型に沿った人が取り上げられる。なので、ヨハン・シュトラウスサン=サーンスという作曲家とその世俗的な音楽は対比のために登場し、たいていけなされる。

 こんなあたり。このままのスタイルだと、たぶん奇矯な性癖(観念論を振りかざし、私小説もどきの論文を書き散らす)をもった二流の音楽評論家であっただろう。ここに収録された論文も著者のサインがなければ、読み返す必要はそんなにない。

 でもって、彼のスタイルを変える契機になったのは、やはり1954年の外遊(「音楽紀行」に詳述)にあるのだろうな。ここで「本場」の音楽を聴き、西洋の音楽評論家と交友することが重要になったのだろうと推測。そこで小田実「何でも見てやろう」のいう第2世代の西洋体験者の経験と反省がのちのスタイルを作ったのではないか。すなわち、「私」の体験の重要性が薄れ、生硬な観念がきえて日常語による記述にかわり、音楽の機能とか価値とかを柔軟にみるようになった。まあ、そのスタイルができるのはたぶん「二十世紀の音楽」1957年「LP300選」1960年あたりからで、そこまでに10年を要している。この期間は長いのか短いのか、あるいはそこにどんな鍛錬があったのか想像してみる。

主題と変奏 (中公文庫)

主題と変奏 (中公文庫)

2015-10-29

吉田秀和「二十世紀の音楽」(岩波新書)

 振り返ると1950年代は古典(クラシック)音楽と現代(コンテンポラリー)音楽の転換点だった。後追いでそれはわかるのであって、その渦中にある者にとっては期待するものであったり、唾棄するものであったり、実験であったり、でたらめであったりしたのだろう。そのような渦中にあるものの、同時代のレポートがこれになる。

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 抽象的にいうと、第2次大戦を境に音楽は変貌した/しつつある。整理すると変化したポイントはいくつかあって、1)音楽語法の国際性、2)作曲家前衛、3)聴衆と演奏家保守性、4)テクノロジーの影響、5)芸術の音楽産業化、6)余暇の産業化あたりにまとめられる。そのうえで、著者は、「二十世紀の音楽」の現状をa.演奏家、b.作曲家、c.聴衆と社会の3つの局面にわけて説明する。このあたりのまとめが見事。ふつう「二十世紀の音楽」を語るとなると、作曲者とその作品、音楽語法とその流派、みたいなまとめにするだろう。もちろんそのような説明はここにもあって、20世紀前半をロマン派/印象主義音楽への反発と克服とみなし、その流派を十二音音楽の一派、新古典主義の一派、ストラビンスキーとその折衷派のようにまとめる。力をいれているのは、十二音音楽を推進したシェーンベルクとウェーべルン、ストラビンスキー、ヒンデミットについて。バルトークは言及が少ない。そのうえで、1945年以降に現れた若者たちを紹介。シュトックハウゼン、ノーノ、ブーレ(まま:ピエール・ブレーズのこと)、ダラピッコラなどが注目株。これは、1954年の外遊で聴いた演奏会と知り合った評論家との会話、さまざまな本で知ったことなのだろう。かわりにジョン・ケージにはあまり言及していない。ここらの情報はトリビアすぎて、クラオタにしか通用しないのだろうなあ。

 ここで面白いみかたは、上記4、5、6あたりの音楽の外の変化を指摘すること。指摘にあたって音楽社会学みたいな分析が行われている。このころから夏の音楽祭がさかんになっていて、バイロイトザルツブルグルツェルンなどがとりあげられる。スティーヴン・ギャラップ「音楽祭の社会史」(法政大学出版局)で、のちに浩瀚にまとめられる題材が圧縮されてまとめられているので注目。あとは、ラジオレコード、映画などのテクノロジーと文化産業が作品と作曲家のあり方を変えているというのも。この時代だと、音楽のテクノロジー浸食19世紀的な文化と精神を浸食するものとして忌避されることが多かった。

 さて、以下では著者について。いままでは音楽雑誌や演奏会パンフレットに書いていて、専門家やマニアが読むことを想定していた。ここでは新書。今までより読者の層が広くなり、必ずしも音楽の述語を知っているわけではない。そこで「です・ます」文体を採用し、極力観念的なことばを使わないようにしている。「音楽紀行」と同じく、外遊時代の経験が多く詰められているが、依頼を受けてから書き上げるまでに5年間を要した。あとがきによると、本を書くことは短期間であっという間に終えたようだが、その準備に時間がかかった。それはなるほど上のような音楽社会学のような視点を持つことであるだろうけど、自分は文体を発見することに時間がかかったのではないかと思う。著者紹介をみると、この時期(1957年初出)までの単独著作は「主題と変奏」ともう一冊。ということは、この書けなかった時期の鍛錬とか研究が彼の文体とスタイルと見出したのではないかと愚考。ともあれ、ここから我々の良く知る「吉田秀和」は生まれたのだな。内容ともども興味深いのだが、あいにく1950年代前半の情報を記載しているとなると、もはや一般的ではなく1970年代でもう品切れ、絶版だったのでは。

 あとこの時期に、著者はさかんに翻訳している。クセジュ文庫にたくさんあった。フランス文学を専攻していたのでフランス語文献を訳し、ドイツ人の奥さんをめとったのでドイツ語の文献も訳した。この翻訳という作業も、彼の文体とスタイルを見出すのに役立ったと思う。

吉田秀和全集(3)二十世紀の音楽

吉田秀和全集(3)二十世紀の音楽

2015-10-28

吉田秀和「LP300選」(新潮文庫)

 1962年初出。1980年ごろに新潮文庫に収録される際に、付録のレコードガイドを大幅に改訂した。1970年代の趣味(ピリオドアプローチがない、戦前の巨匠が存命など)がとてもよくわかるリストなので、若いクラシックオタクは参考にしてください。

 名称の背景にあるのは、1962年の初出と雑誌連載中にLPプレーヤーが普及し、LPが市場でわりと容易に入手できるようになったから。とはいえ、大卒初任給が1万円あるかないかの時代に、一枚あたり3000円という高額な価格なので、気軽に購入することはできない。なので、よくレコードを聴いている人の推薦は購入を決意するのに重要な指標になっていた。

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 この本の特色は、単純に名曲や推薦盤を並べるのではなく(その種の本は当時からたくさんでていた)、西洋音楽の歴史と芸術思想の歴史を踏まえながら、作曲家と作品を紹介しようとするところ。そのために記述の大半は歴史と個人の描写に割かれる。ときに、社会の問題や芸術家の資質みたいなことにも触れる。広範な分野をカバーして、音楽史をコンパクトにまとめた。もちろん参照した文献が膨大にあって、ときにその本の記述を使ってもいたのだろう。そうはいっても、編集の能力とわかりやすい文章にまとめる腕は見事。自分もクラシック音楽の大海に分け入るとき、この本をガイドにした。何度も読み返し、推薦する作品が収録されているLPをできるだけ集めるようにしていた。

 さて、300選のうち7割くらいを聞いたところで、自分の趣味がかたまり、知識も増えてきて、この本とは疎遠になる。ガイドにあるお勧め観光地のほとんどを訪問したので、ガイドにのっていないところを探訪したくなったわけだ。そうしておよそ四半世紀ぶりに読み直すと、上記のように優れたところと、疑問のでてくるところが生まれてくる。そんな自分の変化からいうと

・LPを300セットも持つというのは資金と収納と聴取時間の確保でほぼ手一杯になるのだが、21世紀ではその種の問題はデジタル化でほぼ解決。なので、300選では不足。その倍か1000選くらいでもおなか一杯にならないくらいのタフな聴取者が生まれている。

バッハ以前の音楽の研究と録音が急増しているので、グレゴリオ聖歌からバッハまでの記述は新に書き起こしてもよいくらいになった。おおまかな歴史区分はたぶんそのままに作曲者と作品は見直しが必要になってくる。そういう視点になるとき、この本の記述の物足りなさは、教会音楽と声楽曲に集中した選曲なので、世俗音楽と宮廷音楽選曲と記述が足りないこと。トゥルバドールは登場しても、カルミナ・ブラーナなどの中世世俗音楽は登場しないし、そこらの森や村で演奏された古民謡などもなし。宮廷音楽ではバロックオペラ室内楽なども不足。また、たとえばヴィヴァルディテレマンのような膨大な作品を作り、消費され、忘れられた作曲家評価がひくいのだが、自分にはこのマンネリの音楽が非常に大きな魅力になっている。

・18世紀以降の音楽では彼が「ここでは選ばなくてもよいだろう」とスルーした作曲家に注目。自分の趣味でいうと、シンフォニーとソナタが重要な問題としてとりあげられながら、その最初期の成果が漏れているのが不満。ハイドンモーツァルトでもって18世紀のシンフォニーを代表するのは不当で、C.P.E.バッハクレメンティボッケリーニらのおよそ個性のないシンフォニーやソナタを聴くことは重要。19世紀後半以降だと、世俗の音楽家で取り上げられるのがヨハン・シュトラウスのみというのも。自分にとっては彼よりもオッフェンバックやフンパーディング、クルト・ワイルの方が重要。

・あとは取り上げる国や地域の偏りもあって、フィンランドチェコスロヴァキア(当時)はあってもルーマニアポーランドなどは無く、スペインではファリャのみ(自分にはアルベニスグラナドスモンポウを抜かすことはできない)で、アメリカガーシュインのみ、中南米はまったくなし(ヴィラ=ロボスなしというのはねえ)。まあ書かれた時代からするとそうなるわな。技巧的な作品の書き手はせいぜいパガニーニとリスト。アルカンやゴドフスキー、サラサーテなどの超絶技巧作曲家は名前もない。

・著者がこの本を書くときの西洋音楽の見方は

1)音楽は「詩と真実」を表現して、その芸術に関与することで人間の真実とか生の意味とかが自己達成される

2)音楽の歴史は、理論の精緻化、和声の複雑化、技術の多様化などで進歩を説明可能

3)西洋音楽の中心はイタリアフランスゲルマン。その周辺地域はここらの成果が遅れて波及。

あたり。彼がスルーした音楽をまとめるなら、共通するキーワードは「戯れ」「遊び」。なので、世俗音楽に、大量生産=大量消費の音楽に、ヴィルトゥオーゾの音楽が取り上げられない。それは1)のところの「詩と真実」には遊びは加わらないから、というような説明が可能かな。このような音楽の受容はなるほど大正の教養主義の時代のものであるかもしれない。それは1980年まではどうにか有効であったとしても、それだけでは満足できないところに、自分ら21世紀の聴取者はきてしまった。

 とはいえ、この本の主題をひとりで書き直すことのできる人がいるのか、というと心もとなく、自己修練の場としての教養を否定しても、その代わりになる立場を打ち出せないというのは彼の後の人々の勉強や思考の不足をあらわにするのではないかな。

 いま入手可能なちくま文庫版では「LP」のかわりに「名曲」となっている。

LP300選 (新潮文庫 よ 6-1)

LP300選 (新潮文庫 よ 6-1)

名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

2015-10-27

吉田秀和「ソロモンの歌」(朝日文庫)

 本人は「上手に思い出すのは難しい」と小林秀雄の言に賛成するのだが、どうして、こうやって作者の書いたものを読むと、「上手に思い出す」名人だなあと思う。彼が思いだすのは、戦前の知り合いとの付き合いだし、過去に聞いた音だし、かつて口ずさんだ詩なのであるが、それを読む読者は彼の経験を追体験しているような気分になるし、そのときの時代の気分というか雰囲気というかを感じ取るし、なにより彼の見聞きしたことで読者のこれまでの見聞を一新するような新しさや発見をすることになる。こういう思い出の書き手はそうはいない。

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 この本に収録されたのは、音楽以外の評論。ここには1960年代の長いものが主に収録されている。初出は1970年

 全体は4部構成。

・Iは彼と交友のあった人たち。中原中也、吉田一穂、小林秀雄伊藤整「若い詩人の肖像」伊藤整私立学校英語教師になるのがでてくるが、その教え子のひとりが吉田秀和だったとは!)、大岡昌平、長谷川四朗、池田満寿夫ら。著者は演奏家を論ずるとき、ライブを聴かないと正しい判断ができない旨を繰り返し語っているが、それはこのような文芸家評でも同じだった。まず、会い、話をしたり聴いたりすることがあって、そこに文章の記憶を重ねあわせて、作品や人物の全体や意図を見出そうとする。方法はいっしょ。あと、1930年ころの東京の大学生は教師や学生が頻繁にあったり、訪問したりしているのだね。

・IIは絵画について。自分は絵を見ると構図とか色使いとかバランスとか、まあ書かれた結果をいろいろ見てああだこうだというのだが、著者にかかると、どのように書いたかどのように構想を展開していったかが眼目になる。面白いのは、パウル・クレーのところ。1938年の「忘れられた天使」の線がどのような順番で画かれたかを推理する。そうすると、クレーの発想が素人(まず顔の描線を画く)とは全然別のところから発想されていたことを発見する。なるほど、どのように白紙の全体に最初の線を置くかで意図ががらりと変わるのだ(なお、著者の推理が正しいとは保証されていないので、注意)。

・IIIは、西洋と日本の違いについて。歴史と伝統、個人主義集団主義の違いなど。

・IVは永井荷風について。著者は小説は好きではないという。なるほど、Iで取り上げられるの詩人たちで、彼らの詩も随所で引用される(それは子供のころからシューベルトなどの歌曲に親しんでいたのが重要なのだろう。あと中原中也が家庭教師になったフランス語の勉強でボードレールを読んだのも)。珍しくここでは小説家を取り上げる。不思議な取り合わせだと思うが、永井荷風アメリカフランス遊学をして、西洋の芸術や風俗になれ、個人主義を自分の薬籠中にして、帰国した後、この国の在り方に絶望したという半生を知れば、おのずと氷解。IIIの西洋と日本の差異に最初に注目したのは夏目漱石であるが(と著者は言うが森鴎外もじゃない、とつっこみたいのはおいておくとして)、もうひとり永井荷風もそうだった。ここで著者は荷風の文章を引用しながら、西洋理解とこの国の文化への定着の困難を語る。引用はほとんど著者の独白に重なる。思い起こせば、著者もまた戦後1953-4年のアメリカ〜西ヨーロッパの紀行で衝撃と困難を経験したのだった。荷風帰国したとき(1910年ころだったかな)には、西洋の文化はまずこの国になかったので、荷風は絶望するしかない。でも昭和30年であれば、この国の文化や習慣他は西洋化・近代化されてきていて、理解が可能であるのかもしれないと希望をもてた。そこが荷風との違い。そのかわり、荷風のようにこの国に呪詛や愚痴を述べて太平楽にすることができない。理解が可能であるとするとどういう条件でか、西洋から見た時のこの国の弱点や不足はなにか、をずっと問いかけねばならない。その主題は、自分の読んだ1980年代半ばまでのさまざまなエッセイ、評論に繰り返される。その困難はあとになると薄れてくるが、1960年代に書かれたこの評論やエッセイ郡では、ずいぶんと苦い感情がはいっているし、悲観的であるようにみえる。

ソロモンの歌 (朝日文庫)

ソロモンの歌 (朝日文庫)

ソロモンの歌・一本の木 (講談社文芸文庫)

ソロモンの歌・一本の木 (講談社文芸文庫)

ソロモンの歌 一本の木 (講談社文芸文庫)

ソロモンの歌 一本の木 (講談社文芸文庫)

2015-10-26

吉田秀和「今日の演奏と演奏家」(音楽之友社)

 1967年から翌年にかけての1年間、著者はベルリンに在住した。この1年間に、ベルリンのコンサートに頻繁にいくわ、演奏家・批評家ほかの音楽関係者と交友するわと大活躍。この期間の経験は忘れがたい印象を残したのか、後年のエッセイでしばしば語られる。

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 内容は

レコードと実演の間で ・・・ レコードは実演の記録なのか、それは実演をちゃんと記録しているのかとかの議論。この時代にどちらに価値があるかという議論がよくあった。諸井誠の本にもその種のエッセイがあったと記憶する。問題になったのはショルティ指揮の「指輪」全曲で、ホールでは聞こえない音が聞こえるし、効果音がついているしで、これって「本当の」オペラなの?という疑問がでた。著者の場合、議論は尻切れトンボになって結論はあいまい。自分としては、SPの機械録音、電気録音のころから、演奏者は繰り返し聞かれることを前提にミスのない穏当な解釈にするとか、録音技師の要請でダイナミクスを狭く演奏する(fは小さめに、pは強めに。そうしないと音が割れたり聞こえなかったりする)ようにしていたという話を聞いていたので、実演とレコードは別物と考える。

若い才能たち ・・・ ベルリンで聴いた若い演奏家の紹介。アルゲリッチ、ゲルバー、フレーア(今はフレイレと表記)、ワッツ、エッシェンバッハなど。今ではすっかり大家。このようなまだ紹介されていない若い演奏家を書くときには、著者の筆は立つ。のびのびと、いきいきと。

再会 ・・・ 当時の大家。カラヤン、リヒター、バルビローリ、ジュリアード四重奏団、グールドギレリスなど。

作品と解釈 ・・・ モーツァルトシューベルトブルックナーなどの作品分析。シューベルトピアノソナタブルックナー交響曲はまだ知る人ぞ知るという状況だった。LPの紹介はともかく、楽曲分析を聴衆向けに解説したものとしては早い時期。

 いくつかの感想。

・このときにはすでに著者のスタイルが確立。生硬な観念はでてこないし、個人のうちにこもった思い出が記述されることもない。観念のかわりにさまざまな比喩がつかわれるようになり(自然現象をつかうようになる。光とか水とか色とか)、思い出はほかの人の考えを紹介するためのさわりになっていく。まあ、文章が外に向かって開くようになったのだ。

・この本に収録されたエッセイは、文庫に再録されたり、ほかの本に再編集されたものがすくない。ピアニストに関するものが「世界のピアニスト」に転載されたくらいではないかな。この本も1970年代の半ばの再販が最後。ほとんどの文章が読めない状態になっている。

・そのことに関係あるかどうかわからないけど、この人のエッセイは「現在進行中」で、途中経過報告として書かれている。なので、断定することはめったにないし、結論を先延ばしにしたり、まだ考え中なのでとりあえずまとめておくという断りが随所にでてきたり。では、時間がたって、たとえば演奏家が亡くなるなどして、この人はこういう人だったという結論をレポートするかというとそういうこともしなかった。なので、たとえばグールドなどデビュー時のときと、コンサートからのドロップアウトしたときと、没したときとそれぞれのときのグールドを書いた文章がある。それは一続きだけど、グールドについてのこの人の総決算の文章はない。このときはこう考えた、時間がたってこのときにはこういうことも考えた、さらに別の機会にこう考えたけど別にこう考えたほうがよいというような、考えを変遷していくことが彼のスタイルなのだろう。

 なので、著者には主著(この場合は、この一冊を読めば考えや思想のほとんどを網羅できるという程度の意味。ハイデガーの「存在と時間」、アドルノ啓蒙の弁証法」あたりをイメージ)がないな、一番近いのは「LP300選(名曲300選)」あたりだろうけどそこにも「私は間違っていた」という補注があるので、主著とは言えない。もうひとつは、この人のエッセイはいつ書かれたかを意識しておく必要がある。書いた年や場所の記憶が文章の地に隠されているから。

2015-10-23

吉田秀和「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」(中公文庫)

 1967-68年にかけてベルリンに滞在していたときの記録。現地に住み、プラハやウィーンザルツブルグにもいく。当時のベルリンは壁に囲まれていて、町をでるには飛行機に乗るしかない。その手続きを含めて、50代前半の著者は精力的によくうごく。それにこの時期、ベルリンにはカラヤンとベームとバックハウスという長老がいて、アバドやアリゲリッチなどの30代の俊英が来るという具合に、クラシック音楽好きからすると、指をくわえてうらやましがるしかないような時代だった(まあ、もちろん箸にも棒にもひっからない有象無象もいて選択は難しかったろうけど)。

 あと、著者は1954年にアメリカヨーロッパに長期滞在し(「音楽紀行」)、1976年にもバイロイトを中心に滞在し(「音楽の旅・絵の旅」)、1980年代にニューヨークに長期滞在し(「二度目のニューヨーク」)、そのたびごとに詳細な記録を残している。この本はそういう本の一冊。どの機会でも、主題は「芸術」、とりわけ西洋音楽に関してで、ときに絵画・彫刻・演劇が取り上げられる。そういう興味の持ち方は個人に依るので、よしあしはいわない。たとえばこの人は1968年の5月にプラハに行き、「プラハの春」を体験している(ベルリンに戻った翌々日にソ連軍の侵攻があった)。そのときのドキュメンタリーもあるが、彼に話題を持ってくるのは音楽の同業者か知識人、インテリであって、どうも路上の雰囲気は匂ってこない。おなじく共産党政権下のモスクワにも行き、ソ連の女性を描写する。チェホフのロシアが続いていることを書いているが、著者は彼女らの話を聞くことはない。自分の観察と考察にこだわる。そこは小田実や開高健の旅のレポートとずいぶん違う。

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 ここには音楽の理解についてずいぶんはっきりしたことを書いていて、いくつか引用すると

「ある音楽をきく、ある音楽作品がわかるというのは、私たちが、それに従って、音楽の走り、歩むその論理的形成を追う行為にほかならない(中略)私たちに、ある作品が完全にわかったとしたら、それは、ききおえてから、もう一度その曲を―――少なくとも頭の中で―――組み立てなおしてみることができるはずである。音たちの進行の脈略を見失ってしまう、音たちの描く軌道の中である段落と段落の間に生まれた均衡、あるいは対立、あるいは衝突、あるいは重なりあい、そういうものがたどれなくなってしまったとき、私たちは『この曲はわからない』『途中でわからなくなった』という。その時は、私たちは、音楽の外側に押しもどされ、音が私たちのかたわらを流れるのを、『手をつかねて眺めている』ほか仕方がなくなる(P10-11)」

「芸術は精神の集中と切りはなせないのだし、集中のあるところには、孤独が影のように生まれてくる。これは避けがたいことだ(P273)」

 とりわけ最初の引用はどうにも高いものを聴衆、というか芸術愛好家に要求しているようだ。それこそ、楽譜が読めて、なにか楽器のひとつが演奏できて、楽理を学んで分析もできるくらいの知識と技術を経験をもたないと、この要求にこたえることはできない。というのも、芸術、とりわけ西洋の芸術を考えるとき、教会や宮殿で演奏され、のちには市民向けの劇場で上演され、家庭で楽しむものが前提になっている。西洋の近代と切りはなせないところで生まれた天才や凡才らの仕事を振り返り、西洋の近代を理解しようとするものだ。

 しかし、20世紀の半ばにはこのような芸術は内部から崩されている。というのも、かつてそのような芸術を愛好し支援してきた階層はいなくなっているし、ラジオレコード以来のテクノロジーは芸術を産業化しているし、西洋には他の世界の文化が流入して変化しているし。途中の章でプルースト「失われた時を求めて」の話から芸術の「美術館化」をなげく。それまで芸術はふさわしい家に飾られ、演奏され、それを理解する観客・聴衆が選ばれて鑑賞するものだった。20世紀の半ばにはそういう芸術を飾る「家」はない(なにしろ相続税が高いし、100年も同じ事業を続けると左前になるし)。それで美術館に収蔵するようになったが、もはや絵画や彫刻をコンセプトにあわせてレイアウトすることはないし、関連のない時代や場所の芸術が隣り合わせにおかれるし。かつての芸術の品性とか秩序はもはやなくなっている。そういう滅びとか変化が目に見えるようになっているのも1967-68年という時代。ベルリンにもヒッピー文化が入ってきたし、新左翼の運動があっただろうけど、著者はほぼスルー。20世紀の文化には、路上から生まれて、政治をいやおうなく意識するものがある。ジャズやレゲエ、パンク、ラップなどは社会批判があり、差別に抗する運動にもなる。そこらへんは著者には見えてこない。まあ、50代半ばの初老のおじさんに、若者の流行の音楽に興味を持てというのは酷だけど。現在の自分もKポップやパンクやテクノを聞くのは辛い。

「完全にできるできないは別として、はじめて新しいものに接した時、まずそういう心掛け(虚心になってふれよう)になろうというのが私たちの習性だが、ヨーロッパの人たちは、逆にこれまでの自分の考え、経験したものの延長、深化、拡大、充実の線上出来事としてとらえようとする。(中略)だから、わからないとなったら、これはもう全くがんこにわからない。何も感情的にそうなるのではなくて、≪全人的≫にがんこたらざるを得ないという意味でがんこなのである(P234)」

 というのも面白い指摘。とはいえ、これが通じるのは著者がつきあうような20世紀初めに生まれた人たちでのことではないかな。戦後生まれは、ジャズやロックにすぐにとびついたし、思想界でもこのころから西洋中心主義の批判が始まっていた。最後の章で、ケージやフェルドマンらの瞑想や偶然性の音楽、出入り自由なフリーコンサートの紹介があって、若い人たちがこだわりなく聞いていたというレポートがある。著者は変化をみていても、自分のよってたつ「芸術」を放棄したり、懐疑したりはしない。まあそんな具合に、著者の芸術観が時代ときしんできたのを見ることになった。

 あとは、若い演奏家や大家の演奏会評があって、これはみごとなでき。いくつかの章はそれだけ取り出して他の本に収録されたものがある。でも、この一連のエッセイの中で読むほうがおさまりがよい。

2015-10-22

吉田秀和「世界の指揮者」(新潮文庫)

 初出の時から繰り返し読んだので、何回目の再読なのか回数はわからない。クラシック音楽を聴き始めた時に出版されたので、そのあとの音源集めの参考にした。まあ、この本の指揮者のもの、できれば本文で取り上げられたものを購入する、ということをしていたのだった。新潮文庫版では、巻末に当時の邦盤のディスコグラフィーがのっていたので、これも便利だった。繰り返し眺めることによって、それぞれの指揮者がどういう分野が得意かがわかったので。入手できたレコードには〇をつけていて、まあ、自分の黒歴史みたいなもんだな。

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 なので、しばらくはこの本の評価を自分の選択のスタンダードにしたのだった。そこで否定的な評価をされているものはおのずと避けることになった。すなわち、スヴェトラーノフの「春の祭典」とか、セルの「ワーグナー管弦楽曲集」とか、バルビローリの「ブラームス交響曲第2番」とか、クリュイタンスの「ベートーヴェン交響曲第7番」とか。自分がレコード購入に避ける金額が少なかったので、そうなったのは仕方ない、と自己弁護。あとで、これらが廉価盤になるとか、インカムが多くなってCD購入に割ける費用が増えたとかで、改めて聞きなおす機会を持つと、別の評価をもつようになる。なるほど吉田翁のいうような視点では「ダメ演奏」かもしれないけど、その「ダメ」なところがチャームにもなるんだな、と。そうなるには、自分の年齢を重ねることが必要だったし、CD/レコードショップの売り方や、消費者の性向の変化などもあった。クラシック音楽を教養で聴くとか、自己修練用で聴くとか、勉強の一環として聞くとか、そういうあらえびすや丸山真男や五味康祐みたいな聴き方をしなくなったのが大きい。取り上げられた指揮者は登場順に、

ヴァルター(ママ)/セル/ライナー/サバタ/クリュイタンス/クレンペラー/ベーム/バーンスタイン/ムラヴィンスキー/クナッパーツブッシュ/トスカニーニ/ブッシュ/マゼール/モントゥ/ショルティ/クラウス/ブレーズ/ミュンシュ/フルトヴェングラー/ジュリーニ/バルビローリ/クーベリック/ターリッヒ/アンチェルル(ママ)/ロジェストヴェンスキー/フリッチャイ/アバド/カラヤン

(表紙のイラストは吉田翁から左回りに、バーンスタイン、ワルター、フルトヴェングラー、ベーム、トスカニーニ、カラヤン

 もちろん著者は1970年前後の「世界の指揮者」を網羅した百科事典をつくったわけではない(あとがきに書いてある)。なので、漏れがあるのは当然。で今は、著者が取り上げなかった指揮者が気になる。当時活躍していた、あるいは没後10年以内あたりの指揮者で思いあたる人をリストアップしてみようか。

米: ストコフスキー、オーマンディ、ドラティ

英: ボールト、ビーチャム

仏: マルティノン、フルネ、パレー

独: コンヴィチュニー、カイルベルト、ケンペ、シェルへン、チェリビダッケ、ヨッフム、クライバー(パパ)

東欧: シルヴェストリ、クレツキー、ザンデルリンク、マタチッチ

ロシア: コンドラシン

古楽: リヒター、ミュンヒンガー

若手: メータ、サヴァリッシュ、レヴァイン、小澤、クライバー(息子)

 あとは当時の国内オケで常連になっていたノイマン、コシュラー、スィートナーなどもスルーされている。ワインガルトナー、メンゲルベルクのような故人でも取り上げられなかった人がいる。職人肌で個性をだすことより伝統を継続しようという人や実績の少ない人が取り上げられなかった。気になるのは、最初のストコフスキーやオーマンディを取り上げなかったことかな。前者はさまざまな編曲や恣意的解釈が、後者はゴージャスな音響はあるけど「精神性」皆無なところ(来日演奏会批評でオーマンディを取り上げたことがあるが、まとめるとそういう意見)がきにいらなかったのかしら。クラシック音楽を教養とする立場からすると、彼らはおちゃらけていて、金のために棒を振っている、それは悪いことだということになる。

 今の僕らは、なるほど教養は大事だ、ただ教養をベースにしたものさしだけで演奏や指揮者評価し序列を作るのは愚だというところにいる。なので、著者のリストにとらわれずに、今の演奏家を聞くことが大事。そして、著者の音楽の聴き方はとても参考になるし、彼のように細部も鳥瞰も見通せるようになりたい。

(といって、自分の経験だけで評価し序列をつくるのも愚。)

世界の指揮者 (新潮文庫)

世界の指揮者 (新潮文庫)

世界の指揮者―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

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世界の指揮者 (1980年)

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