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2015-11-04

吉田秀和「モーツァルト」(講談社学術文庫)

 モーツァルト没後200年を控えた1970年にそれまで著者が書いてきたモーツァルト関連の文章をまとめたもの。

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 2章と3章に集められた文章はほかの本に収録されたことがある。気づいたものは書いておいた。ピアノソナタに関するものは「世界のピアニスト」に入っているのではないかしら。そこでは、大家の演奏を聴きながら物足りないところを見出し、新しさが現役の演奏者に見いだせないかという構成になっている。たとえば、ピアノソナタではギーゼキングリリー・クラウスを遡上にあげて、細やかで正確だけどこじんまりとしていて、では新しい人ではどうかというのでグルダグールドを持ち出すという具合。ディヴェルティメントだと、イ・ムジチを聞いてカラヤンに思いをはせるというような。とかく批評家にありがちなランキングをつけておしまいとするのではなく、だれの演奏も発見があるよと教えてくれるのがとてもありがたい。そうすると、いくつものレコードを買うはめになるわけで、なかなか懐には厳しいのではあったのだが。(まあそれから50年もたつと、ギーゼキングクラウスグールドの一部はパブリックドメイン安価に入手できるようになった)。


1・モーツァルト――その生涯、その音楽―― 1956.02

2・古典の複雑と精妙について――変ホ長調交響曲―― 1953.11 ・・・ 「主題と変奏」所収

音階音楽家 1953.11 ・・・ 「主題と変奏」所収

3・ピエール・モントゥー指揮のモーツァルト 1967.02 ・・・ 「レコードのモーツァルト」所収

ヴァイオリン協奏曲第六番ニ長調 1967.05

・ディヴェルティメント3曲 1969.05

ピアノソナタ 第一〜五番 1969.05

ピアノソナタ 第十六番 1967.01

ピアノソナタ 第十番 第十二番 1969.10

4・手紙を通じてみるモーツァルト 1968.02

5・モーツァルト――出現・成就・創造―― 1947.04-05


 そこで、読みごたえのあるのは、1と5。この国のモーツァルト紹介の文章としては極めて初期。それこそ小林秀雄「モオツアルト」河上徹太郎「ドン・ジョバンニ」と、この著者のものくらいだったのではないかしら。気が付くのは、著者のものは音楽の専門家がある程度の素養のある人に向けて書いたもので、楽譜の引用があるし、和声分析も遠慮会釈なく行う。そこは読者に努力を要求するところ。一方で、聴取体験が小林や河上たちよりもずっと多いので(そういう目的で洋行してきたのだし)、作品紹介がずっと具体的。レコードからはなかなか発見できない細部や演奏者の解釈をわかりやすく述べている。

 さて、そのような仕方で書かれたモーツァルトはどういう人物であったかというと、楽想が自然と生まれ出てくる天才、他の作曲家様式をすぐさま吸収し自分の個性に変えてしまう天才、教会や宮廷の要請に縛られることを嫌い独立することを願う自由人、音楽界の権威と闘争する新しい音楽の旗手、音楽のミューズに愛される天衣無縫な人物、デーモンに魅入られ短い人生で芸術を燃焼した不運な人物、生活の細部に細やかな配慮のできる暖かい人、しかし恋愛においてはあまり成功せずに苦労をしょい込むことになった不運な人、このあたりかしら。書かれた時代が解放、闘争自己実現などに価値を置いていたことを考えると、このような自由闘争の人というのはその時代の要請したものと一致していたのかな。そのような人物を作品解釈と先行する研究者の文献を引用して説得的に描き出す。

 漏れているのは、下ネタ大好き、女と酒と遊び大好き、生活の不安よりも今宵の楽しみを優先する趣味人というようなもの。これを発見するには、1950-60年代のこの国にはまだ余裕がなかったのかしら。「コジ・ファン・トゥッテ」を紹介するにも、遊戯性とか軽味をあげるのではなく、「人間の真実」からアプローチしているのだし。この本の少し後に、山口昌男が「モーツァルト好きを怒らせよう」という挑発的な文章を発表したけど(「本の神話学」「道化の宇宙」)、この本は怒らせたいモーツァルトの見方の標的になるのだろうなあ。

 もどると、1950-60年代モーツァルト論で有名なのは小林のものだけど、それだけでは不十分。著者のものも考慮に入れたほうがよい。とはいえ、モーツァルトの多面性、多義性を浮かび上がらせるものではないので、好事家だけが手に取るのでよいなあ。演奏紹介も今となっては、古めのものばかりなのもきつい。

モーツァルト (講談社学術文庫)

モーツァルト (講談社学術文庫)

2015-11-02

ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)

 ロベルト・シューマンは1810年生まれで、1856年に若くして亡くなった。彼の作品だと、ピアノソロの曲と歌曲が代表になるのかな。「クライスレリアーナ」とか「幻想曲」、「詩人の恋」あたり。人によっては大規模作品の「楽園とペリ」を推すこともある。自分はシューマンの良い聞き手ではなく、ピアノ協奏曲ピアノ五重奏と交響曲第4番をのぞくと、まず聞かないので、この選択が妥当かどうかはわからない。

 彼の代表作は30代半ばからのものが大半。それらを書く前には「音楽新報」という雑誌を主宰して、同時代音楽の評論を10年以上継続していた。ここに収められたのは、そうやって書かれた評論や短評で、主には1830年代の著者20代に書かれたもの。

 いくつかを点描的に。

・一番最初の文章は22歳くらいのときかな。何とも若々しく青臭い文章。「ただ鳴るだけで、魂の状態の言葉でも印でもないようなものは、小さな芸術じゃないか!(P34)」 どうでもいい文章を適当に引用してみた。こういうアフォリズム風で、ほとんど意味のない言葉を書くところから、30代半ばのころには堂々たる文章(とはいえロマン派風美文@吉田秀和)になる。文章の質が上がっていくのを眺めるのが楽しい。青臭い学生作家が次第に熟達していくのを眺めるようだった。

・古いものへの嫌悪と、まだ認められていない新しい音楽への共感。古いものは彼より年上の古典派の作曲家たち。規則にがんじがらめでいながら、感情移入が激しく、感覚美に耽溺しているような作品。まあ、音楽がルーティンワークみたいな量産品になっているのが気に食わないのだね。1843年ころの寸言集で「新しくて、大胆な旋律をみつけなければならぬ。/人間の心の深奥へ光を送ること…これが芸術の使命である(P186)」という宣言をしているように、シューマンの音楽はルーティンからほど遠いところにあって、呻吟のすえに人間の真実を描こうというものになっているわけだ。そうすると、彼の興味は同じような志向を持っていると思われる同世代からより若い人に向かう。それがショパンメンデルスゾーン、リストという人たち。もう一つの方向は、現在の趣味(ロッシーニ、マイヤベーヤ、ドニゼッティあたりかな)からずれて忘れられている人たち。ベートーヴェンシューベルトヨハン・セバスチャン・バッハなど。こういう作曲家の名前と推薦作品をみると、シューマン19世紀ドイツの音楽趣味に方向付けをしたといえるのではないかな。シューマンの評論がなければ、シューベルト交響曲ピアノソナタは蘇演されなかっただろう(シューマンウィーンに行き、フランツの作品を管理している弟フェルディナントとあっている)。まあ、この小さな文庫は200ページしなかく、最初の翻訳は昭和16年だったから、その当時の音楽趣味に合わせた取捨選択がなされたと考えたほうがよいので、強く主張はできないが。

ピアノという楽器への強い関心。1830年代に、ピアノはほかの鍵盤楽器(ハンマーフリューゲルとかクラヴィコードとかフォルテピアノとか)を駆逐するくらいの評判と人気を得た。音色、音量の多彩さ雄弁さあたりが好まれたのだろう(それにこのころ音楽を演奏する場所が広くなり、多くの観衆が集まるようになったのも関係)。シューマンは上にあげた若い作曲家と同じくこの楽器に注目し、感心し、評論の多くをこの楽器に費やす。なるほど、この熱心さもこの時代にたくさんのピアノ音楽が書かれた背景になっているのだろう。

シューマンは、作曲家や作品の目利き。取り上げてほめた作品は今に残る(残ったものの評論だけを収録したのかもしれないが)。では、論者としてどうかというと、上記のようにロマン派風の美文。いくつか楽曲分析を行っている(とくにベルリオーズ幻想交響曲」)が、そうじては印象批評で具体的でない。この本由来のいくつかの箴言があるが、文脈にあてはめると意味は必ずしも明確ではない。「ショパンの作品は、花の陰に隠された大砲である(P95)」「(シューベルトの死後発見されたハ長調の)交響曲は、ジャン・パウルの四巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い(P149:訳者によるとこれはもともとそれ自体引用されたものとのこと)」など。

・この小さな本は、吉田秀和の最初の翻訳。昭和16年(1941年)というから訳者28歳の時。1830年代の古い文章なのにとても読みやすいなあ、わかりやすいいなあと思っていたが、訳者の名前を見て納得。訳出された時代の音楽評論家兼常清佐、大田黒元雄、村田武雄、あらえびす、など)と比べると文章は流麗で新鮮。明快で論理的。訳者の文体1960年以降に変わったのかと思っていたが、こんなに若い時から自分の文体を持っていたのだね。訳者は最初の評論でシューマンについて書いたのだが(「主題と変奏」中公文庫)、主題の取り上げや書き方にはこの本の影響も大きいと思う。

音楽と音楽家 (岩波文庫 青 502-1)

音楽と音楽家 (岩波文庫 青 502-1)

音楽と音楽家 (岩波文庫)

音楽と音楽家 (岩波文庫)


参考エントリー

奥泉光「シューマンの指」(講談社文庫)

2015-10-30

吉田秀和「主題と変奏」(中公文庫)

 著者の最初の論文集。1952年に初出。中公文庫に収められたのは1977年

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ロベルト・シューマン 1950・・・ ロベルト・シューマンの特異性について。普通の書き方と異なって、たんに生涯と作品をなぞるのではなく、あわせて、ロマン派音楽についての省察、音楽を聴くことの省察、作者である「ぼく」が生活で考えたことも含ませている。評論と伝記に加えて、自分の思想や生活の開陳もしているわけだ。すなわち盟友・小林秀雄の「モオツアルト」1946をなぞって書いたもの。作者37歳であって、この時には小林秀雄の影響力が大きかった。

シューマンピアノ協奏曲をめぐって 1950 ・・・ 初めて聞いた時にはあんまり同じふしが繰り返されるので退屈に思ったが、楽譜を調べてみるととても精妙に書かれていて、内容と形式がぴったりしているのに驚いた。という、自分の調査結果を流れるように書いていき(和声学を知らないので、途中は自分には退屈)、前後に中原中也の思い出を語る。こういう小説とも評論ともつかない/どちらでもあるような書き方。やはり小林秀雄の書き方なのだろうなあ。

モーツァルト変ホ長調交響曲 1949 ・・・ 素材も限られ、楽器も不自由、形式もソナタ形式の千篇一律なもの。そういう不自由から如何にモーツァルトが多彩で精妙な音楽を書いたことか。同じ変ホ長調の序奏をもつ交響曲第39番とヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」を比べてみたまえ。それは音楽家の「耳」が単純なもの、簡単なものに満足できなかったから。というエッセイ。交響曲と機会音楽の違いだから(クライアントやターゲットの要求が違う別商品だから)とちょっかいをいいたくなるけど、モーツァツトのダンス音楽はどうだったかなあ(カッサシオンとかコントルダンスとか)。そこでもモーツァルトは精妙だったかな?。

音階音楽家 1953 ・・・ 教会旋法から音階へ変化したのが、バロックの時期で、その時から音階がとても絶妙な表現を獲得してきた。まずバッハで、モーツァルト論文の大半は彼のこと)、ベートーヴェンシューベルトワーグナーチャイコフスキーシェーンベルク。最後に「魔笛」のタミーノとパパゲーノの掛け合いでしめるというのは、そこの歌詞とあいまって絶妙な終わらせかた(「あれはパパゲーノの音(tone)だ」)。

セザール・フランクの勝利 1950 ・・・ フランクの克己と晩年の充実について。伝記のように勧められ、いくつかの作品が紹介される(あいにくヴァイオリンソナタへの言及はなし)。あわせて当時のフランスの音楽趣味の退廃とフランクの30年間の沈黙について検討される。

ベーラ・バルトーク 1952 ・・・ バルトークの紹介。このあとの1950年代バルトークがさかんに演奏、録音された(Mercuryでドラティが大半の管弦楽曲を録音したなど)。でも大部分はルネ・レイボヴィッツ論文の翻訳。

ショーペンハウエルフリュート 1948 ・・・ ショウペンハウエルの哲学をだしにして、音楽と思想について語るとても生硬な論文ドイツ観念論の固い訳語ばかりで難渋な翻訳調文体で書かれている。でも、たぶん形式的な「精神」を語っているのだろう。途中で読むのをやめた。


 著者の30代後半から40代前半にかけて書かれたもの。戦後になって、教育者やジャーナリストとして活動を開始。その最初期の論文や評論。読み返してみると、彼のスタイルがまだ確立されていないころの記録。ことに小林秀雄の影響をとても強く受けている。シューマン、フランク、バルトークの評論はほとんど「モオツアルト」をなぞるような構造になっている。どこらへんにその痕跡があるかというと、

・私的な体験ないし内話が頻出。小林「モオツアルト」の冒頭で難波かどこかでいきなり音楽が頭に響いてきたという挿話があったけど、「シューマン」「モーツァルト変ホ長調交響曲」あたりに著者の個人的な話が登場。その個人的な体験ないし内話が論文主題に結び付いているかというとそんなことはない。

・あわせて、生硬な観念が開陳。「音楽と思想」「耳」「詩」など、その語の意味が正確に述べられないまま、哲学風の述懐が語られる。これも論文主題と結び付いているかというとそんなことはない。

シューマンやフランク、バルトークという音楽家から見出すのは、音楽のミューズに取りつかれ貧困や楽壇の無視などに耐えながら、世情と正反対の作品を作り、今になって初めてその価値と意味が発見されたという物語。こういう「天才」概念や類型に沿った人が取り上げられる。なので、ヨハン・シュトラウスサン=サーンスという作曲家とその世俗的な音楽は対比のために登場し、たいていけなされる。

 こんなあたり。このままのスタイルだと、たぶん奇矯な性癖(観念論を振りかざし、私小説もどきの論文を書き散らす)をもった二流の音楽評論家であっただろう。ここに収録された論文も著者のサインがなければ、読み返す必要はそんなにない。

 でもって、彼のスタイルを変える契機になったのは、やはり1954年の外遊(「音楽紀行」に詳述)にあるのだろうな。ここで「本場」の音楽を聴き、西洋の音楽評論家と交友することが重要になったのだろうと推測。そこで小田実「何でも見てやろう」のいう第2世代の西洋体験者の経験と反省がのちのスタイルを作ったのではないか。すなわち、「私」の体験の重要性が薄れ、生硬な観念がきえて日常語による記述にかわり、音楽の機能とか価値とかを柔軟にみるようになった。まあ、そのスタイルができるのはたぶん「二十世紀の音楽」1957年「LP300選」1960年あたりからで、そこまでに10年を要している。この期間は長いのか短いのか、あるいはそこにどんな鍛錬があったのか想像してみる。

主題と変奏 (中公文庫)

主題と変奏 (中公文庫)

2015-10-29

吉田秀和「二十世紀の音楽」(岩波新書)

 振り返ると1950年代は古典(クラシック)音楽と現代(コンテンポラリー)音楽の転換点だった。後追いでそれはわかるのであって、その渦中にある者にとっては期待するものであったり、唾棄するものであったり、実験であったり、でたらめであったりしたのだろう。そのような渦中にあるものの、同時代のレポートがこれになる。

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 抽象的にいうと、第2次大戦を境に音楽は変貌した/しつつある。整理すると変化したポイントはいくつかあって、1)音楽語法の国際性、2)作曲家前衛、3)聴衆と演奏家保守性、4)テクノロジーの影響、5)芸術の音楽産業化、6)余暇の産業化あたりにまとめられる。そのうえで、著者は、「二十世紀の音楽」の現状をa.演奏家、b.作曲家、c.聴衆と社会の3つの局面にわけて説明する。このあたりのまとめが見事。ふつう「二十世紀の音楽」を語るとなると、作曲者とその作品、音楽語法とその流派、みたいなまとめにするだろう。もちろんそのような説明はここにもあって、20世紀前半をロマン派/印象主義音楽への反発と克服とみなし、その流派を十二音音楽の一派、新古典主義の一派、ストラビンスキーとその折衷派のようにまとめる。力をいれているのは、十二音音楽を推進したシェーンベルクとウェーべルン、ストラビンスキー、ヒンデミットについて。バルトークは言及が少ない。そのうえで、1945年以降に現れた若者たちを紹介。シュトックハウゼン、ノーノ、ブーレ(まま:ピエール・ブレーズのこと)、ダラピッコラなどが注目株。これは、1954年の外遊で聴いた演奏会と知り合った評論家との会話、さまざまな本で知ったことなのだろう。かわりにジョン・ケージにはあまり言及していない。ここらの情報はトリビアすぎて、クラオタにしか通用しないのだろうなあ。

 ここで面白いみかたは、上記4、5、6あたりの音楽の外の変化を指摘すること。指摘にあたって音楽社会学みたいな分析が行われている。このころから夏の音楽祭がさかんになっていて、バイロイトザルツブルグルツェルンなどがとりあげられる。スティーヴン・ギャラップ「音楽祭の社会史」(法政大学出版局)で、のちに浩瀚にまとめられる題材が圧縮されてまとめられているので注目。あとは、ラジオレコード、映画などのテクノロジーと文化産業が作品と作曲家のあり方を変えているというのも。この時代だと、音楽のテクノロジー浸食19世紀的な文化と精神を浸食するものとして忌避されることが多かった。

 さて、以下では著者について。いままでは音楽雑誌や演奏会パンフレットに書いていて、専門家やマニアが読むことを想定していた。ここでは新書。今までより読者の層が広くなり、必ずしも音楽の述語を知っているわけではない。そこで「です・ます」文体を採用し、極力観念的なことばを使わないようにしている。「音楽紀行」と同じく、外遊時代の経験が多く詰められているが、依頼を受けてから書き上げるまでに5年間を要した。あとがきによると、本を書くことは短期間であっという間に終えたようだが、その準備に時間がかかった。それはなるほど上のような音楽社会学のような視点を持つことであるだろうけど、自分は文体を発見することに時間がかかったのではないかと思う。著者紹介をみると、この時期(1957年初出)までの単独著作は「主題と変奏」ともう一冊。ということは、この書けなかった時期の鍛錬とか研究が彼の文体とスタイルと見出したのではないかと愚考。ともあれ、ここから我々の良く知る「吉田秀和」は生まれたのだな。内容ともども興味深いのだが、あいにく1950年代前半の情報を記載しているとなると、もはや一般的ではなく1970年代でもう品切れ、絶版だったのでは。

 あとこの時期に、著者はさかんに翻訳している。クセジュ文庫にたくさんあった。フランス文学を専攻していたのでフランス語文献を訳し、ドイツ人の奥さんをめとったのでドイツ語の文献も訳した。この翻訳という作業も、彼の文体とスタイルを見出すのに役立ったと思う。

吉田秀和全集(3)二十世紀の音楽

吉田秀和全集(3)二十世紀の音楽