odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

野中広務/辛淑玉「差別と日本人」(角川oneテーマ21) 京都の被差別部落の出身の自民党政治家の述懐。

 野中広務は日本の政治家(1925.10.20 - 2018.1.26)。自民党に所属して、官房長官などを歴任した。この人が独特なのは、京都の被差別部落の出身で、若いころの差別体験から政治家を志した。

 所属ゆえに彼の政策は必ずしもリベラルの支持を受けなかったが、彼の人柄に惹かれる人がいた。

永六輔さんが、「あの人(野中さん)が、あちら(権力側)にいてくれるだけで、なぜか気持ちがホッとしていた」と語ったことがあった。同じように、この人なら、私たちの気持ちをわかってくれるのでは、と多くのマイノリティが野中氏にすがった。それはマイノリティだからこそわかる「におい」が野中氏にはあるからだ(P152)

 その野中広務をふたまわりほど年下の女性がインタビューする。彼女からすると、野中広務は談合で平和を作り出そうとする人で、ボス交や根回しが得意で、結果平等主義の人だった。とても日本的な政治家であった。それに自民党なのでストレートに人権問題として口に出せないところもあった(石原慎太郎麻生太郎の差別発言を容認してしまうし、他の政治家によるレイシズムにも動かない)。外国交渉が得意だったようで、北朝鮮に行って高官と何度も交渉を行っている。ときに裏事情が暴露されている。

このあいだ、北朝鮮問題に関して新しい情報を仕入れたんだけど、それを聞いて、日本ほど恥ずかしい国はないと思った。二〇〇二(平成十四)年に五人、そして二年後には子どもたちやジェンキンスさんらを帰国させた。これらの見返りとして、北朝鮮側はある条件を出してるんですよ。ところが、それを日本は何一つ履行していない。そのため、北朝鮮側でその時に中心になった人物がいま非常に厳しい状況に追い込まれている。それを耳にして、小泉っていうのはひどいことしたと思った。(P170)

 このあと2010年代に総理大臣になった安倍晋三は自分が総理の間に拉致問題を解決するといっていたが、何もしなかった。その前触れは小泉訪朝の時からあった、ということになるのだろう。東アジアの緊張に関しては、次のように述べる。

野中 アメリカは三十八度線から早く撤収したいんですよ。イラクで失敗しアフガンでも失敗している。だから北と南の負担を軽くしたいんですよ。これはもうアメリカの本心なんだ。/辛 だから日本はアジアの中でうまくやってくれよっていうことですよね。(P173)

 そしてアメリカ抜きのアジア共同体の構想を語り、そのためには日本の戦後未処理の問題を解決しなければならないと説く。しかし自民党と官僚は未処理の問題をなかったことにし、問題を起こすマイノリティが存在しないかのように無視する。たとえば裁判闘争で「違憲」の判決を得るためには、在日や旧植民地をいれることができない。敗戦後、日本は「島国だからこじんまりと平和に生きる」という仕方で生きてきたと野中はいう。それは1980年までのあり方(そういう言説は当時よく見た)。しかしそれ以降は、日本は傲慢になり、日本のやり方を他国に押し付けようとするようになり、21世紀に経済が逼塞すると、内にこもりながら日本は世界が羨むとぶつぶついうだけになった。野中はこのような変化を見ていなかった。
 なので、本書の読みどころはインタビュアーの発言や注にある。彼女は民族差別の被害をずっとかぶってきた経験から、関東大震災を最初に清算しないといけないという。朝鮮人やマイノリティの日本人を虐殺したことを認め、二度と起こさない制度を作らないと、この国にある差別はなくならない(日本人が起こした虐殺はなかったとヘイトデマをいう団体が現れるほど、この国の人権意識は薄れてしまっている)。さまざまな日本の差別の現状が解説されているので、それを見よう。日本史の教科書に書かれない歴史が書かれている。
 野中もインタビュアーも差別被害の当事者であり、彼らが受けた差別の壮絶さには言葉を失う。差別は暗黙の快楽であるというのは、インタビュアーや被差別当事者が繰り返し強調することだ。ヘイトスピーチを目的にする街宣やデモで差別者はニタニタ笑いを浮かべるのだ。何かを目的に差別するのではなく、快楽のために差別する。とても下劣であるが、21世紀の日本人がそれを行っている。推進しているのは政治家がヘイトスピーチを繰り返すからであり、法務省以下の官僚が取り締まらないからだ。
 差別を受けたものは沈黙を余儀なくされるという。それは家族に被害が拡大し、悲しませるのがわかっているからだ。インタビュアーは家族から離れて暮らしているがそれでも係累から叱られ非難されるという。これはきつい。また彼女は一時期日本人男性を暮らしていたが、彼にも差別がぶつけられるようになったとき、差別者に対抗できなくなり彼女にあたるようになる。このことも自分にはキツかった。よく「差別を受ける者に寄り添おう」と言われるのだが、安易な寄り添いは被差別当事者の被害を拡大するし、自分自身を壊してしまう。人生をかけるくらいの覚悟がいるのだ。(そこまでの覚悟がないものは、被害者に寄り添うことはしないで、加害者に抗議することをすればよい。加害する差別者を委縮させ、沈黙させるようにするのだ。)

 

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神谷悠一「差別は思いやりでは解決しない」(集英社新書) 差別は個人が起こすのではなく、社会や文化のせいで動かされる。差別禁止の法や規範が必要。

 著者はジェンダーワークやLGBTQ差別の研究者で、政策提言者。なので本書でも、ジェンダー差別とLGBTQ差別を扱っている。自分の知識が不足しているので、差別一般に関する議論として抽象化、形式化してメモを取ります。

 社会のマジョリティが差別禁止や撤廃の啓発や研修を受けた時によくある反応が、差別がなくなるように「思いやり」「心がけ」「配慮」「やさしさ」ともとうというもの。実はこの「思いやり」以下は差別をなくすのに全く寄与しないばかりか、無意識の偏見を公表しまうことになる。「心がけ」には自分の気に入る/気に入らないの恣意性があるので、社会全体の規範を決めることができない。。それでマイノリティはむしろ萎縮や沈黙をせざるをえなくなってしまう。同じような効果をもたらす言葉には「周知を徹底」というのがある。これらに共通するのは、差別を他所事にしてしまい自分のことにしないし、行動を起こさないいいわけになっていること。そこには差別が大したことはないという思い込みや面倒くさいと感じる怠惰がある。(そうなるのは、明治政府の近代化からずっと人権教育がなされてこなかったし、政権が差別容認だったという事情がある)。
 もう一つの大きな理由は、差別をなくすためにどのように行動するかが明示されてこなかったので、どうすればよいのかがわからないことだ。そこに差別の原因は個人の内面にあるという了解がある。これらがあわさって、意識変革をすればよいとなり、「思いやり」「心がけ」「配慮」「やさしさ」という内面のことでおしまいにしてしまう。
 重要なのは、制度やガイドラインを作り、それに則って組織を運営し、個人が行動すること。具体的には、国が差別撤廃法を作り、自治体が条例をつくり、企業が社内規則を作る。ふだんの行動にガイドラインを示すことで差別行為を減らすことができる。差別を起こすのは個人だけではなく、社会や文化のせいで動かされることにもある。なので、やってはいけないことを明示することがは大事。
 同時に、各種差別の禁止法を作り、法で保護する分野を増やす。そして罰則を設ける。具体的な処罰(罰金から禁固など)を設けることで抑止効果を期待する。既存の民事の一般条項で対応するのはハードルが高い。また被害の解決をマイノリティにゆだねるのもよくない(告発が二次被害を生む)。なので、被害者を守る制度や通報する制度などが必要である。これらの「面倒くさい」行動は待っていても進まないから、行政が情報公開していくことも重要。このような提言を著者は行う。
(人種差別や民族差別を禁止するヘイトスピーチ解消法では、罰則規定や通報制度などがないので、抑止する効果が表れない。今のところもっともよい抑止効果は市民による抗議と、司法による仮処分だけ。実名公開を入れている自治体のヘイトスピーチ抑止条例もある程度の効果はある。)
 本書には書いていないが、差別を見た時に最も重要な行動は差別に怒ること。被害者に「寄り添う」「思いやり」をもつことではない。被害者やマイノリティ集団と接触して交流することではない(やりたければやっていいけど、相応の覚悟が必要)。差別を許さない意思表示をすること。
 繰り返すが、差別をなくすには内面を変えることは無効であって、行動(テキスト、発話を含む)を変えることが必須。何をしてはいけないか、何をしゃべったり書いたりしてはいけないかをはっきりすること、他人の差別に抗議すること(抗議するのが面倒なら付き合いを辞めればいい)。

 

 LGBTQ差別に反対し同性婚に賛成するのは、他人の婚姻を規制することがダメなだけではない。そのような人間関係を予想しなかった時期に作られた制度がマイノリティの権利を侵害している事例があるから。たとえば、学校入学や就職の差別であり、住居の差別であったり。婚姻が法で認められなければならないのは、保険の配偶者や受取人、医療の緊急連絡先、相続の対象に同性婚のパートナーが認められていないため。
 あと極右は反LGBT同性婚反対と同時に、戸籍の維持に執着するが、これは戸籍が国体(天皇イデオロギー)の根幹をなすと考えているから。極右やカルト右翼に見られる家族主義も同様。なお、カルト宗教で家族主義を強調するのは信者の子どもを囲い込み、社会からの介入を防ぐため。

 

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上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-1 家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている

 これまでの経済学では市場・企業・家庭を一人格に扱い、中にいる個人を取りあげることはなかった。また自然を無限とみなして収奪してきたが(同時に農村の「余剰」人口を労働者に吸収し続けてきた)、再生産も無限とみなして対価をはらわずに再生産の場である家庭を収奪してきた。市場そのものはある規模以上にならず好況と不況の循環をするが、外部にある自然と家庭を破壊することで市場を大きくしてきた。家庭は家長による権力は格差と差別の構造をもっているが、資本主義になると家庭は収奪されているにもかかわらず、家長は家庭の女と子供と老人を収奪する構造を残した。家父長制と資本制は市場とそれ以外の空間を支配する構造としてできている。以上俺のまとめ。

 

1 理論篇
マルクス主義フェミニズムの問題構制 ・・・ 近代資本主義は不経済を自然と家庭に押し付けてきた。家庭に労働力の再生産と労働できなくなったもの(老人、病人、障害者)の援助を押し付けコストを支払わない。それは家庭の女性に押し付けられた。市場でも女性は労働者として男性と対等な立場に立てなかった。この不利益と不合理から女性が解放されるには、家父長制と資本制を批判する理論と思想が必要。参照するのはフロイトマルクス
(市民革命は自由と平等を目指したが、ここでいう市民は参政権を持つ成人男性のことなので、女性は人権対象から排除された。女性は二流紙民。ブルジョア婦人解放論は男性優位を前提にしているので、ダメ。被害者救済に注力すると被害者を生む構造を批判しないので、女性解放には至らない。)

フェミニストマルクス主義批判 ・・・ マルクス主義の階級分析では女性は対象外になる。女・こども・老人は労働市場に現れないため。マルクスは家庭(性と生殖)を「自然過程」としたが、これは時代風潮の繁栄で限界。女性は労働市場で二流労働者であり、家庭で不均衡な権力関係の下位にいる。社会的経済的に支配されている。資本は労働の生産物に対する対価を支払ったのではなく、労働力の再生産に対する対価しか支払わなかった。

家事労働論争 ・・・ 家事労働は、市場が商品化しなかった労働で、おもに家庭内で行われ、女性が担当し、無権利で、無償の労働。GNPなどの経済指標に算入されない。利益を得るのは男と市場。家事労働は近代の資本主義と社会構成が産み、「主婦」に押し付けたもの(日本では戦後のようだ)。
(それ以前は家事使用人を雇える身分や立場があった。武士の「奥様」は労働しなくてよい身分で、家政をつかさどる権力を持っていた。結婚は女性が帰属関係を変えられるほとんど唯一の機会で、うまくいけば主婦になって家事労働から解放されることができた。)
(この読みでは、網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)の「女性をめぐって」も見直さないといけない。またドストエフスキーの女性が結婚にこだわるのも、この指摘から考えなおしたほうがよい。)

家父長制の物質的基礎 ・・・ 家父長制は、男性による女性支配で社会権力体制の総体。家庭で家父長制があるので、女性は父の権力、夫の権力に支配される。女性は賃労働から排除され、無償の家事労働を押し付けることで低い位置づけに封じ込める。家庭が神聖不可侵の私的領域化されると、DVと児童虐待の温床になる。
(経済学は、国家・企業・家庭を対象にしてきたが、個人を除外ないし無視してきた。家事労働がGDPに算入されない理由のひとつ。

再生産様式の理論 ・・・ 再生産には、1.生産システムそのものの再生産、2.労働力の再生産、3.人間の生物学的再生産があるが、生産至上主義では再生産の意義をとらえることに失敗している。民族学などの知見では、「未開社会」では生産と再生産はトレードオフにならない、女性は生産者であった。それが家父長制と資本制によって、女性は再生産しかできないという観念になった。

再生産の政治 ・・・ 再生産が女の無償労働で賄われることで、女性は性支配と世代間支配にさらされる。具体的な現れは、避妊と生殖の自己決定権を奪われる、再生産費用(と介護)の負担は不平等で女の負担が大きい、男性は費用負担が少なく女性は現物費用(手間)を支払いそれにより生産収入を減らさざるをえない、生まれた子供の帰属は父系集団に属しがち(最近の「共同親権」の主張がまさに父系を強めるためのもの)、親による子供の支配や経済的依存がありとくに娘と嫁に負担がいく。子供数は子供の経済的価値(プロフィット)とコストのバランスで決まるが、高学歴社会になるにつれて子供の経済的価値が低くなり、子供を産みたがらなくなる。性支配と世代間支配を強めると、少子化になり、子供は「ぜいたく品」になる。
(バイオポリティクスでも買い手は男、売り手は女という不均衡が生じる。)
(なるほど自民党日本会議統一教会が家族主義の政策を主張し政策に反映されるほど、少子化が進むのだし、DVや親族殺人が増えるのだ。)

家父長制と資本制の二元論 ・・・ 家父長制と資本制は相互に関係しながら別個であるというのが著者の考えだが、他の論者には統一理論(どっちかが別のどっちかの由来・起源である)と考える人もいる。そういう議論のまとめ。

 

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2024/04/18 上野千鶴子「家父長制と資本制」(岩波現代文庫)-2 を変えないと、女性問題は解決しないし、男も資本制や家父長制から解放されない。 1990年に続く