スタニスワフ・レム「星からの帰還」(ハヤカワ文庫)

 星間宇宙船プロメテウス号を建造し、彼らは10年間の調査探索の旅に出た。帰還したとき、地球時間で127年が経過している。そのとき、地球では驚くほどの変化が生じている。宇宙船乗組員たちはとまどう。

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 西暦2200年頃の地球は、機械文明を発達させている。超高層ビル、移動する歩道、自由に変化する衣服、などなど。レムが1961年に描いた未来のうち一部は2011年に実現している。すなわち壁面全部の液晶パネルとそこに映し出される動画、タッチ式のPC画面と世界中の情報バンクへのアクセス、ホログラフィー電子書籍タブレット書籍などなど。1980年代に読んだときはイメージがわかなかったが今度は親しみやすく感じた。レムの先進性を称賛しておかないと。またロボット実用化され、人間活動のほとんどを代行している。したがって、人間は肉体労働をする必要はない。また貨幣もほとんど不要でたいていのものは無償で使うことができる。ここらへんは共産主義的な未来に他ならない。

 変化の著しいものは人間の心。ペトリゼーションという一種の脳外科手術を全員が受けることになっている。その結果、人間の闘争心は失われる。おかげで、犯罪、国家間の争いが失われた。先の労働の廃止によってその種の競争が不要になったから。その処理と医学の発達は人間の寿命を延ばしている。プロメテウス号が出発したとき7歳だった少年は、主人公ハルが帰還したときにまだ生存していて134歳。整形手術を受けることによって、彼は40歳のハルよりも若々しい。なお、このような時代において、結婚は自由。たいていは1年間の契約で、更新するか別の人といっしょになるかは自由に決められる。一方、出産は厳しく制限されている。夫婦の教養や遺伝的素質、収入、職業などで出産の認可が降りるようになっている。年間の出産数は決まっているのでなかなか割り当てに当たることはない。ここらへんは、性に対して国家(という組織はないようだが)が人間に介入しているのだ。

 このペトリゼーションによって、冒険、宇宙旅行、スポーツ、賭け事、酒等が失われた。その種の闘争心を抑制することによって、社会の変動とか改革が起こらないようにするわけだ。そのかわりに機械化を推進し賃金奴隷制をなくして不満が起こらないようにする(エネルギー問題だけ未解決のように見えるが、まあ置いておくとしよう。書かれた時代の制約)。いわば、社会を学校化・病院化・工場化する施策であるわけ。ある面ではユートピアであるし、ある面では収容所ディストピアである(カンパネルラ「太陽の都」ハクスリー「すばらしい新世界」にいかに似ていることか)。

 いささか大状況にだけフォーカスを当てすぎてしまったようだが、主題はここにあるのでしかたがない。

 さて、このような都市、世界に投げ出された今浦島太郎のハルであるが、物語は彼の戸惑いと向こう見ずな振る舞いを描くことで進む。都市に順応できなかったハルは郊外の別荘をかり、そこに同じ宇宙船パイロットの仲間を呼び寄せる。そして同じ別荘に滞在する若い人妻に近づく。「愛」というのが存在しない社会において、古い感覚であるハルの「愛」は実現するのか。またパイロット仲間のオラフ、サーバーたちは星間宇宙船を使って再び調査探索のたびに出ることを計画している。

 読者であるわれわれは、ペトリゼーションなる手術を受けていなくとも、読者の所属する現実はレムの描いた西暦2200年の地球に近づいているのではないか、しかも誰かが推進する陰謀というわけではなく、自由競争と民主主義の結果として実現するのではないかということに思いをはせる。何も考えないのであれば「すばらしい新世界」だし、標準からはみ出す人にとっては「収容所群島」になる。なんともやるせない思いになるのは、逃げ出すか(帰還不可能で死を覚悟)、個に生きるか(孤独であることを受容する)という道くらいしかレムが示していないこと。

星からの帰還 (ハヤカワ文庫 SF 244)

星からの帰還 (ハヤカワ文庫 SF 244)

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