迷い

 昨日がんセンターで歯を三本抜かれた。 30年ほど前に治療した三本並びの右側の差し歯だったが、根元に残っていた歯が割れてしまっていて、そこに軽い歯槽膿漏が始まっていた。 実は一週間前にも同じように左側の二本歯を抜いている。 この後三日後から市内の歯科医で入れ歯を作ってもらうことになる。 この時期に歯を抜いたのは今後始まる抗癌剤の治療の際に、体内に感染症などがあると免疫抑制剤を使いにくいからである。 身体の不都合なところはあらかじめ直しておいて下さい、と言われているのだ。 風邪を引いてその後の体調がイマイチの時に歯を五本も抜かれてさらに体調を崩してしまった。


 これまで三年弱位、満足に休みも取らず突っ走って来たが、ここへ来てツマヅイテてしまった。 同時に身体の調子もあちらこちらおかしくなってきている。 否が応でも無理が利かない年齢になっていることを感じている。


 今日はこれから加西の家へ戻り、二日間そこで過ごすつもりだ。 毎日神戸で寝ていて、退屈だから主にケーブルテレビの映画ばかりを観ていた。 好きな映画とは言え毎日ではさすがに飽きてきてしまう。 体調はイマイチだが食事の用意ぐらいは自分一人でして 何もないガランとした加西の家で一人ボンヤリ過ごしたいと思いだした。 山際で空気も綺麗だし、水も美味しい、昼は暑くても夜はまあまあ冷えるので窓を開けて寝ればよく眠れるだろう。 こうしてPCをしているだけで蚊がブンフンやってくる姫路の家で過ごす気にはなれない。 


 今のところそれをなるべく考えないようにしているつもりなのだが、姫路の家に掛かるか、解体するかで迷っている。 家そのものは魅力的で捨てがたいのだが・・・金銭的な問題もあるし自分の身体というか、ヤル気のことになるが・・・そのあたりのことをもうしばらく考えてみるつもりだ。

風邪

 久しぶりに姫路に来た。 この間風邪をこじらせてしまい、ずっと神戸の嫁さんのところで寝たり起きたりしていた。 最初の内は熱が出ていたがそれが治まっても痰や咳がが取れない状態が続いた。 寝ていて前にもこのようなことがあったことをフト思い出した。 その時は血圧の薬を飲むのを止めたら治まった。 今回もそうしたが、すこましになってこうして姫路まで来た訳だ。 今、姫路では市立美術館でモジリアニ展を開催しているので嫁さんと連れ立って来たのだが、あいにく今日は休館日だった。 この後もうしばらく神戸で休養するつもりである。 

気弱

 昨夜は寝苦しかった。 夜中に何度か目が醒めてその都度缶ビールや酒を飲んだ。
 天候が下り坂で蒸し暑かったこともあるが、それ以上に風邪気味で体調がイマイチなのである。 そんな時ジワリト不安に頭を持ち上げてくる。 骨髄腫のことではなくて、むしろ今の当面の健康の問題が第一で・・・つまり五十肩のこととか、風邪気味のこと、それに歯茎が少し腫れていることまで不安になる・・・それにもう一つはここの家をどうするかという問題である。 さらに加西の家が売れなかったらどうしよう、というところまで不安は広がって行く。
 昨夜、寝る前に電話で嫁さんと話し合ったが、嫁さんはこの家をやることは賛成していないだけでなくはっきりと、やめなさい、と言う。 普段のオフなら、そんなことには耳を貸さない。 今、俺はこれをやりたいのだからやる、と言って押し切ってしまう。 だが、夜の不安の中では気持ちがどこまでもぐらついてしまい、些細で余分なことまでくよくよと思い出してしまう。


 小野の曳き屋の人が来る。 家を見て、柱を上げるとしてもどういう仕事になるかの説明を受ける。 書院まわりの四本の柱が問題で、その真ん中に新たに柱を一本立てても良いだろうし、立てなくてもそこの部分の補正は出来るという。 ただ奥の部屋へと続いている柱の補正は難しいだろうと言う。 その説明の中で日本の家というのは捻れるように倒れることを教えられた。 大雑把な見積もりだが、曳き屋仕事だと思っていた以上に安く上がる。 それならやってもらいましょう、となるはずなのに、よしやろうと!という気力がわいてこない。 解体も手掛けていると言うが、こちらはその数倍掛かると教えられる。 とにかく少し熱っぽい自分の身体を直すのが先決なのだろう。


 今日はこれから神戸へ行って休養することにした。

様式美

 部屋が大方片付いたので和室の内の座敷の畳をまくって、その下の荒板もまくり縁の下の柱の状況を見てみる。 傾きが一番ひどい西北の床の間側の柱の下部を見てみた。 大きな基礎石が置いてあり目で見たり、金槌で叩いてみた限りでは虫食いはあまりない。 それでも柱が傾いているというのはここらが基礎石と共に下部へ沈み込んだのだろうか? よく分からないまま、職業別電話帳に載っていた曳き屋に電話を入れる。 姫路には曳き屋として載っているのは一軒だけであるが、小野市の曳き屋も一軒載っていた。  両方の業者に見積もりを取りたいので見に来てくれと電話を掛ける。 姫路の業者は一時間ほどで来たが、まだ30代の若い職人だった。 一応全部見てから困った顔をして、こちらがこことここをこうしてくれという方針を立ててからでないと見積もりが出来ない、と言うのである。 おそらくこれまでやってきた仕事が、主に大工さんからこうしてくれとの依頼を受けての仕事だけをして来ているのだろう。 明日小野市の業者が来るが、こちらは年配者のようであったから、こちらに期待しよう。 曳き屋などという職業も今では消えつつある職業であって、最近は家を手っ取り早く壊してしまう解体屋が流行る時代になってしまっている。


 
 日本の文化は様式美を基本としているといわれる。 茶の湯や生け花などから歌舞伎、能、武道などに至るまでその様式を受け継ぐことがその文化の真髄を守ることだとされている。 だからそこには受け継がれてきて守るべく、あるいは習うべき決まった型がある。 その型を最初徹底的に教え込まれることから始まり、その型を綺麗に、あるいは美しく表現出来るようになって一人前で、そこを習熟して初めて自分なりの創意工夫を盛り込んでいくことを許される、というのが本来のあり方である。 それは建築や庭造りなどの分野でも同じことで、とくに大工仕事では座敷の床の間や書院、床脇などの造りにそれが受け継がれている。 床の間の木割りといって柱や地板、鴨居、長押などなどの厚さ、幅、そろえ方、それぞれの仕事などなどが部屋の大きさなどに合わせて様式的に細かく決められている。 それはある意味ではたいへん良いことでもあるが、本来の意味を知らないでそれを覚え守るだけでは後々問題が起きる。


 若い曳き屋が帰った後、家の内外を何気なく見ていて気がついたことがあった。 床の間の横はいわゆる書院になっているが、そこに柱が立っていない。  これは欠陥というより書院作りのいわば定番で、本格的な書院作りではこのような造りをやるのだが、この家はやや略式で地板がない平書院であるので、あえてそんなことにこだわらなくて良さそうなものである。 オフが手掛けたこれまでの三軒の家は皆な平書院でこの位置に柱があった。
 床の間というのはたいてい銘木を使った床柱があって、床の上部は落とし掛けが横に掛けられているが、その落とし掛けの片側を受ける位置のことであるが、本来ならここに柱があるべきなのである。 そのような造りにしないのはおそらく書院を軽くして粋に見せることを意図してのことだろうが、そこの位置というのは本来両側の下屋のカナメの隅木の位置にあって、建物の角で家の一隅の重みを受けるべく重要な位置なのである。 その大事な位置に柱がないというのは本来とんでもないことだと思うのだが・・・ ましてこの家は日本建築本来の平屋作りの家ではなくて、その上に重い二階が乗っかっている建物なのである。
 長年の間に北西側の柱が傾いたり皆おかしなことになったのはなるべくしてなったとも考えられる。 逆に言えば、ここの位置をジャッキアップして柱を立てれば、意外と後の柱の補正は楽だとも思えるのだが・・・明日、老曳き屋のこの考えを話してみてみるつもりだが・・・なんと答えるかだ・・・



 今日の仕事


 仕事らしい仕事をしなかったが、座敷の間の畳をまくり、板をはがして縁の下を点検する。

どうしようか・・・

 姫路に移ったら日記のデザインを替えようと思っていたが忘れていて、今日から新しいデザインに替えてみた。
 今朝、朝の光を見ていて、どうやらこの家の正面は南に向いていないな、と気が付く。 磁石を出してきて測ると、正面はおおよそ南西に向いていることが分かる。 


 庭にステンレスの風呂桶がある。 この家にはどういう訳が建物には不似合いなユニットバスが入っているので、以前使っていた風呂桶がいらなくなって、庭に放置していたのだろう。 上に乗せてあったこれまた古い絨毯などを取り除けると、なんと中に泥が一杯詰まっている。 おそらく花でも植えるつもりで泥を入れたのだろうが・・・これも廃棄処分にするため倒して中の泥を出そうとするが、当然だろうが重くてびくともしない。 仕方なしにスコップで泥を少しずつすくって掻き出す。 ミミズにとって好条件の住処になっていたのだろう沢山いる。 全部の泥を掻き出すだけで汗びっしょりで、右の五十肩も痛くなるし、息も上がってヘトヘトになる。 それでも何とか空にした風呂桶を積み込んで廃棄に行く。
 だが、午後からは仕事をする気が失せてソファーに寝ころがっているうちに眠ってしまった。 一時間ほどん眠ってから目が醒めてボンヤリ柱などを見ているうちに、どうやらこの家を直すのは無理だなぁ・・・と思い始める。 ソファーから見える北西側の柱がかなり傾いている。 これを根本的に直すには家全体をジャッキアップして下部に基礎を打ってそこへ垂直に降ろすしかないだろう。 そんな仕事を専門にする曳き屋という職業もあるが、一度見積もりを取ってみるかと思うが、おそらく安くつかないだろう。
 そんなことを思いながら風呂を沸かしていて、東南側の土間から2メートルほどの位置にある低いが太い梁を見ているうちに、そうだ!この梁の位置で壁をすれば少し広さは犠牲になるが低い梁で諦めていた床が造れるではないか!などと思いつく。 外へ出て見ると下屋の出を半分ほどに詰めれば良いだけのことである。 そんなこともあってまたヤル気が出て来る。


 それにしてもこの家は街中なので蚊が多い。 昨年の夏を過ごした田舎の八千代では8月末ごろまで、蚊はほとんどいなかったというのに・・・たまらなくて昨日蚊取り線香を買ってきて夜の間中焚いていた。 おかげで今朝は喉が痛い・・・ここのところ風邪気味だったがさらに喉を痛めたみたいだ。 大きなイブキの木下には昔作ったひょうたん型のコンクリート製の池がある。 大方枯葉などで埋まっているが、これも蚊が多い原因だろうと今日風呂桶の中から出た泥を入れて埋めておいた。


 今日の仕事


 ゴミを美化センターへ運ぶ。

姫路市飾磨

 ガス、電気、電話など各会社と連絡を取りライフラインの切り替えや整備が終わる。
 昨夜雨が降っていたので、今日は朝から蒸し暑い。 だが、姫路は海辺の街である、夕方頃浜風が吹くと蒸し暑はサッと引いて過ごしやすくなった。

 
 姫路は東の市川と西の夢前川という両河川が海に注ぐ地に開けた城下町である。 オフの今居る辺りは飾磨(しかま)といって、昔の姫路市よりも南に位置していて、昔は飾磨郡といわれていたところだ。 数年前に直木賞を受賞した作家の車谷長吉はたしかこの飾磨の市川沿いの出身である。 車谷コーポというような名前の賃貸しの建物も近くにあるが、この辺にはこのような変わった名前の一族が住んでいるのだろう。 ここらは昔は漁師町であったろうが、昨日スーパーで話し合っている若い女の人のしゃべりを聴いたが、女の人でも内陸の加西市に比べると結構言葉が荒っぽい。
 そのスーパーで手長タコというのを買ってきた。 昼網と表示してあって当地では昼前に上げた網に入っていたということだが、つまり獲れ立ての新鮮な魚だ、ということを意味しているのだと思う。 たしかに吸盤が吸い付いてなかなか取れない。 たっぷりの塩でもんで、ヌメリと臭みを取り、熱湯で湯振りしてから冷水で身を締めてから刺身で食べた・・・なかなか美味じゃのう、であった。 残りの身は、明日の昼スパゲティの具にして使うつもりだ。


 この家は玄関を入ったところの土間がそのまま真直ぐ裏玄関まで続いている。 そしてその一直線の土間の左側が田の字型の畳敷きの和室でここへは二段上がる。 反対側の右側の奥に台所があるが、ここも土間で当然だが流し台は土間に据え置きである。 その台所の一角に三畳ほどの床が設けてあり、昔は狭いここへ上がって家族が食事をしていたのだろう。 台所の前も土間で、ここにはその昔牛か馬が飼われていたのかも知れない・・・そうでないなら雨に日などに作業をする場であったのだろう。 和室の天井は長方形に製材した梁の上に幅広の厚板が張られていて、これが一階の天井であり、同時に二階の床であつが、二階はアマと呼ばれる物置で、人が住む部屋としては使われていなかっただろうと思う。


 今日の仕事


 姫路の家のモノを廃棄に行く。 どうやら家の内部にあったモノは明日出せば終わりそうである。 組んだ単管に垂木を取り付ける。