091129房総半島の長生郡あたりの小ツーリング。

最近めっきりツイッターのログばかりになっているので旅ログでも。

地図。


より大きな地図で 笠森観音とアリランラーメンなど を表示

出発して行き当たりばったりに、見かけた神社に詣で。


かっきり2009:11:29 07:43に出発。写真のプロパティが時刻を語る。


最近よく房総半島方面へ向かうので国道16号の東の終点までの道のりはお手の物。京葉道路の側道は快適な速度を約束してくれるがいかんせん寒い。この日は長袖の肌着にTシャツ、とっくりセーターと革ジャンにレインジャケットという割と気合の入った格好だったが、寒い。
16号を抜けて国道297号へ。ここから上総牛久のあたりまで行って国道409号に入るハズが、小湊鉄道上総三又駅を見かけてちょっと裏っかわへ行ってみようとかいう不条理な行動にでたため道を誤り多分県道13号的な道を進むことになる。
適当な標識にしたがって409号に復帰。後、すぐに素敵な感じの鳥居と参道が見えたので停車。

市原市原田(多分)の諏訪神社である。



素敵な感じの狛犬もいらっしゃった。明和三年のものだという。左右の大きさが違うのはズーム倍率を間違えたからです。実際には同じ。



狛犬の頭のてっぺんには宝珠か角かがのっていたようす。今では窪みのみ。



拝殿とその手前には正方形の盛り土。
なんでもここでは古来より相撲がとられていたとか。

内田村諏訪神社の由緒と相撲の由来

慶安四年(一六五一年)この地を治めた地頭伊丹播磨守康勝が幕府より由井正雪の叛乱を鎮圧せよとの命をうけ、信濃国諏訪大社に祈願し其の任を全うすることが出来た。当時播磨守は、三千石の旗本で旧内田小学校跡地がその陣屋である。播磨守は、崎の治乱の功を報謝し、領地内の原田字道上に大社の御分霊を勧請することを決め承応三年(一六五四年)起工し、明暦二年(一六五六年)社殿を完成させた。以来諏訪神社は、原田、宿、堀越、島田、市場、奥野、水澤、石川、江古田、安久谷、米澤、真谷、十二村(旧村)後に矢口を編入し其の鎮守となる。
播磨守は、建御名方神の剛力武勇にあやかり神社創建を機に、境内に土俵をつくり力自慢を奨励し、相撲を奉納した。以来諏訪神社の相撲は伝統行事として継承され、秋の祭礼に奉納されるようになった。盛況時には旧内田村を境に東西に分かれ、東は長生、銚子方面から、西は千葉、船橋方面から力自慢の素人力士が参加し、熱戦が繰り広げられ観客は境内に溢れ盛況を極めた。(境内看板より)

現在では「諏訪の子相撲大会」として行事を行っているとか。船橋方面とか銚子方面とかすごい。しかし境内に観客どれくらい入ったんだろう。100人くらいいけたのかな。


笠森観音、熊野神社

神社をあとにし笠森観音へ。

駐車場で猫のお出迎え。ビクビクともしないが媚びてもこない。しかし近寄りすぎると逃げる。
苔生した壁に囲まれた階段を登っていくと赤い両部鳥居が。脇には看板が倒れていたが、そこには「熊野神社」の文字。



熊野神社はよく寺の近くにある気がする。寺との結びつきが結構強かったんだっけか。そのせいか両部鳥居を構えているところが多い(自分観測範囲)社殿以外は特に何も無いかなと思っていた裏手に洞が。



社殿を構える前はここに祀っていたのだろうか。


さらに坂を登ると幹の根元に子どもが入れるくらいの穴が開いた御神木(子授楠)があったり、松尾芭蕉の句碑があったりして二天門をくぐると、

観音堂
拝観料100円。
パンフレットによると「笠森観音は、正式名称「天台宗・別格大本山 笠森寺」と称し、延暦3年(784年)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられてい」るんだそうです。
坂東三十三観音札所の第三十一番札所。
イチョウやら遠景やらが綺麗でした。
ここには他に、参道途中の子授楠の手前に三本杉があったり、鐘楼堂で鐘がつけたり、外から丸見えの御手洗があったりします。


笠森観音をあとにして再び409号を東へ。数キロ行くと県道171号とぶつかる蔵持交差点が現れるので一旦スルー。その直後の交差点を右折。川沿いの道へ。何事もなく一キロほど走ると素敵な鳥居と階段が見えたのでよってみました。これが大正解。

石段を登る間にもすでになにやら素敵な色が垣間見える。ちなみにここも熊野神社です。



境内はイチョウの落葉で黄色一色。あいにくの曇天だったわけですが、しかしそれほど広くなくわりとこじんまりした境内が黄色い葉に埋め尽くされて明るい。雪が積もった時のような明るさににている。なるほど。
しばし景色に見とれるも、腹が鳴ったので先を急ぐことに。目指すはアリランラーメン。

アリランラーメン

名もなき田舎道を南下、県道148号で右折して商店が三つ四つ並び、変な犬のいる三叉路を右折してさらに南下。
しばらくすると「→内山ダム」の案内がみえるのでそれに従うと唐突に看板。

「らぁめん→」なにかただならぬ気配を感じつつもそれに従うと噂のアリランラーメン八平である。

かやぶき屋根の味のあるお店。中も広く、多分三十人位入れる。
注文は三十分位に一回。おばあちゃんか、あるいは孫?の娘さんが聞いてくれる。
聞きに来てくれるまでは待つ。
というわけで待つ。
ようやくということでアリランチャーシューを注文。
さらに待つ。すでにお腹はぐるぐる言いっぱなしの状態。
ラーメン到着。ピリ辛味噌にんにくという風のスープにブツ切りのたまねぎやらの野菜がかかってさらにチャーシューがのっかってる。
写真はない。すぐに食べてしまったので。
そんな感じで美味しかった。機会があればまた行きたい。結構やみつきになりそうな味である。

山内ダム、高瀧神社

たいそうご機嫌なラーメンによりお腹も満たされた後、標識にあった山内ダムへ行ってみることに。
しかし、道をたどると「関係者以外立ち入り禁止」の看板に阻まれる。そしてなにやらお腹がアレしてくる。
昼食後にはよく米国でいうところのNo.2を行いたい衝動にかられるわけですが、トイレが見当たらなかったので我慢。
割と焦り気味に次なる目的地を高滝湖に定め急ぎ足で向かう。
高滝湖はつい先日、大福山へ向かう途中によったが、高瀧神社へは詣でてなかったのでそちらへ。

拝殿。
高瀧神社は邇邇芸命玉依姫命、別雷命の三柱を祭っている。玉依姫命というと別の神として何度か神話に登場するけども、別雷命とくれば多分山城国風土記のあれでしょうか。

拝殿前の狛犬。なかなかに愛嬌のある狛犬。ファット・ボーイと呼びたい。
ずっしりと胸筋を強調した蹲踞スタイルだが、どう見てもファットボーイである。
しかし、さすがに由緒あるところの狛犬なので古そうな割にしっかりとした彫りで貫禄がある。


他にもう一対、南西側の神楽殿横石段の上にも狛犬がいる。


と、そんなこんなで、寒さとお腹の状態も加味して帰路へ。