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踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2018/07/29 (日)

[][] 交通違反切符

 昨日、生れて初めて交通違反切符を切られた話。

 私は、最近あまり運転しない。今年になってからこれが3回目だ。ちなみに、過去の2回は、2泊と7泊のドライブ旅行。

1) 違反の概要

 家人に頼まれて、知人宅に1人で物を届けに行った。行く先は都内の片道14kmの距離の場所。環状7号線という広い幹線道路を北上し、カーナビによれば目的地まであと数100メートルという所で、細い脇道に右折する。これはカーナビを見ていてかねて予定していたことだが、問題は、その右折する交差点(「高円寺南5丁目」という小さい信号付き交差点)が、急に(私の印象)近づいた。そのため、無理をして右折レーンに入り、対向車線の車が続くので、直進車線のラインにもまたがって1-2分停車を余儀なくされた。ようやく右折すると、後ろのパトカーがうるさい。自分のことかも知れないと思い、指示に従い、停車した。警官が来て、何で止められたか判りますかと聞く。右折レーンに急に入ったことですかと正直に言えば、認識はしているということで、大目に見てもらえるかと思ったら、そういうことですと、違反切符を切られた。反則事項は「指定通行区分違反」、補足欄に「右折時直進車通行帯通行」とある。ショックだったのは、反則金が6000円と高い。違反点数は1点。

2) 反省点

 反省点は、何よりa) カーナビの右折タイミングの把握をミスしたことだ。実はかねて、これには100%の自信が無く、その箇所に来てからあっここかと焦ることが少なからずあった(通り過ぎたことも若干)。カーナビについては、あらかじめ、右側の2車線を通行してくださいとか親切なアナウンスがあって、私は一般的に評価している(むしろ、頼っている)。右左折は700m前、300m前、直前にここです、とのアナウンスがある。今回の反省で言えば、加えて50m前とのアナウンスもあればいいと思う(高速で動いている時は意味が無いか)。ちなみに問題の交差点では、手前100mに信号付き交差点、30m程手前にも小さい交差点(信号無し)があって、ややこしかった。

b) 不運(?)だったのは、対向車線が途切れず、長い停車余儀なくされたことだ。かねて直進車線からの右折車線への変更などは、した場合もあったが、直ぐ右折でき摘発されたことはない。

c) 更に不運(?)だったのはパトカーが後ろにいたこと。だが、環7から後ろにいたのか、右折した脇道にいたのかがよく判らない。警官に、運が悪かったのですかねと聞いたら、そういうことは言えないですと当然のことを言う。環7ではよくパトロールしていますよと言われた。

 余談だが、1年ほど前に新聞広告で見て、ドライブレコーダーを数千円で衝動買いしていた*1。帰宅後、それを見て反省しようと思った。たまたま前日に旅行中の録画を確認していたが、その時のSDカードの出し入れが悪かったせいか、カードリードエラーという表示が出ていてその日の分は何も記録されていなかった。残念だが、車線の変更状況、パトカーの出現状況(後方向は見えないが、音が聞こえる)、パトカーのアナウンス内容(実は最初はよく聞き取れなかった)などのチェックはできなかった。もし残っていれば、このブログにもアップできたのに。

3) 米国での経験

 パトカーに止められたのは、日本では初めてだが、実は約30年前に駐在していた米国カリフォルニアでも1度あった。

 夜、日本からの客人を迎えに空港へ行く高速道路上だ。後ろのパトカーが回転灯を華やかに点滅させ、スピーカーで何か言っている。やはり自分の車のことかと思い、路肩に停車した。警官が降りてきて、飲んでいるのかと聞く。どうも少し蛇行運転をしていたらしい。日本酒を1本くらい飲んだと正直に言うと、ワインをボトル1本もかと驚く。いやいや日本酒のボトルは小さいから大した量ではないと言った。そういう遣り取りを少しした後、気をつけて運転しろと、信じられないことにそのまま釈放してくれた。空港での客人の出迎えに支障が無くてほっとした。

 パトカーが回転灯を点滅させてスピーカーで言っていたことは、pull何とかしか聞き取れなかったが、以前英会話本で読んでいた「Pull over.」だった。「路肩に寄せろ」ということだ。

 それにしても、カリフォルニアの警官は、柔軟で理解があった。東京の警官は固い。反則金6,000円は高い*2

 私は、元来不器用で運転がうまいとはゆめゆめ思っていないが、人身事故につながることがなかったのは幸いだった。危ないことはあったが。今後も、居眠り運転防止の「Black black」ガムを噛みながら、シルバーマークを葵の御紋として、注意して運転していきたい。

*1:たまたま今朝の新聞にも広告が出ていて2,980円。これは「夢グループ」の商品で、次のページは少し古いが、他のも紹介している。「安いドラレコは実際どう?格安ドライブレコーダー5選の口コミと使い勝手を比較」 http://car-moby.jp/78517 

*2:しかも、銀行、郵便局だけで、ネットの支払いはおろか、コンビニ支払いも駄目だ。

2018/07/04 (水)

[] 白内障手術を受ける

 本稿は、5月の弊ブログ先進白内障手術」 id:oginos:20180501の、「先進」でない、後日談だ。以下、1)手術の経緯、2)点眼の苦労、3)視界の改善について説明する。

1) 経緯

 5月になって右眼が急速に悪化した。視力の衰えもさることながら、霞がかかったようでうす暗く、両眼で見ている時でも右眼の異常が判る。右眼だけで見ると、少し暗い風景は明らかに見えない。7月下旬からドライブ旅行に出かける予定だったので早く手術することとした。(6月25日実施)

 手術自体は、眼の中に異物を入れられているという違和感があって気持のいいものではなかったが、痛みも無く数分で終った。右眼だけの日帰り手術。これで、70年余お世話になった水晶体とはお別れだと思い、若干の感慨に耽る。翌日の検診の時に、眼帯、ガーゼ等は全て外され、本当に視界が明るくなった。

2) 点眼の苦労

 手術の後、数週間にわたって、点眼を3種類、1日4回しなければいけないという。しかも5分以上間隔を置かなければいけない。忘れそうだし、5分間隔も強迫観念になりそうだ。私は元来諸事に不器用だが、目薬もその1つ。家人などは立ったまま点眼するが、私はベッドやソファーで横にならないと駄目だ。

 調剤された点眼薬の種類は、次の写真のとおり。上列の3本が今回の手術後用で、何れも抗菌用と書かれている。下の1本は、かねて緑内障用に処方されている眼圧降下剤で、この2-3年間1日1回点滴している。今回の手術後は、手術の右眼は休みで、左眼だけと言われた。

f:id:oginos:20180704070323j:image

(点眼間隔の確保)

 点眼間隔5分を待っていると、次の目薬やその順番を忘れそうだ。それで少し工夫し、先ず4分にセットしたキッチンタイマーを用意した*1。また点眼薬3種に、#1、#2、#3と番号を書き込んだ。

 ところが、早々に失敗。 最初に点滴したのが#1と#2の何れだったか忘れ、結局改めて始めたので、どちらかは2度点滴したことになってしまった。その後は、点滴を終えた薬を少し離れた場所に置くことにした。

(点眼の仕方)

 それにしても不器用なせいで、なかなかうまく目の中に入れられない。それで、ウェブで点眼の仕方を調べた。日本眼科医会の「点眼剤の適正使用ハンドブック−Q&A−」というウェブページがある。その他にも薬品メーカーや眼科医のウェブページは多い。

https://www.rad-ar.or.jp/use/basis/pdf/megusuri02.pdf 

 これを読み、私としては驚いたことが幾つかある。

a) 先ず点眼の前(後も)に手を「流水とせっけんでよく洗え」とある(ハンドブックp.1)。「流水」の語にしびれた。行雲流水の世界かと思う。最近ではテレビでおなじみのシマダヤの「流水麺」だ。流水は水道の蛇口で構わないとして、せっけんは面倒だ。みんなはそれほど目薬や手を汚すのかと少し安心。

b) 下まぶたを引いて点眼しろとある。その趣旨は、下まぶたの所に目薬を入れるとのこと。私は今まで、瞳孔(ひとみ)の真ん中に点眼するものと思い込み、両まぶたを上下に開いていたが違うのだ。

c) 日本眼科医会のハンドブックには書かれていないが、他の目薬メーカーや眼科医のウェブページには、上記の下まぶたを引いた上で、眼を上向きにしろと書いてある。しかし、これをすると点眼容器が見えなくなり、眼の中に入れるのに失敗する。この失敗を避けるために推奨されているのが「げんこつ(点眼)法」(同上p.1)だ。下まぶたを下げる手をげんこつ状にして固定し、それを支えにしてもう一方の手で点眼容器を操作するということだ。

d) 点眼後は瞬きをせずに、まぶたを閉じろという。私は今までは、眼の中の局部に入った点眼剤を眼の中に広く分散させるためという思いで、よく瞬きしていた。しかし、瞬きをすると涙が出て、点眼剤が流し出されるのだそうだ。

 ということで、手は適当に洗い、ベッドないしソファーの上でキッチンタイマーを胸の上に置き、げんこつ点眼法を採用し、下まぶたを引いて目を吊り上げる(ほぼ白目状態)という方法に転じた。

(点眼補助具)

 新しい方法は、下まぶたの位置にぴたっと滴下できると快感だが、何故か2回に1回ぐらいは失敗する(目から相当こぼれる)。困って、ウェブを見ていると、点眼補助具というものを見つけた。

 いろいろな種類があり、次のAmazonのページの1番上の行の3種が典型だ。左から、キャップ式(私の勝手な命名)、にぎり式(私の勝手な命名)、アカンベー式と名付ける。私が買ったのは、真ん中のにぎり式だ。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dhpc&field-keywords=%E7%82%B9%E7%9C%BC%E8%A3%9C%E5%8A%A9%E5%85%B7&rh=n%3A160384011%2Ck%3A%E7%82%B9%E7%9C%BC%E8%A3%9C%E5%8A%A9%E5%85%B7 

 キャップ式は、キャップ部分を固定して点滴するために両手が必要だが、にぎり式は片手で可能だ。アカンベー式は、下まぶたを下に下げて目薬を下まぶたの裏側に滴下するもので、少し痛そう。

 こんなものに1,000円近くも投資するかと、若干自己嫌悪を感じながら、「にぎり式」を注文した。翌日配達。早速トライすると完全ではないが、滴下命中率は6-7割に上った。上記げんこつ点眼法の約5割よりアップしているが、内容が違う。げんこつ点眼法の5割は、的中すると殆ど全て目に入るが、外れると殆どが目の外だ。にぎり式補助具の6-7割は、目を吊り上げていても目の中に入る量が6-7割で、すなわち外れてもある程度は入る。

(点眼補助具の問題点)

 入る確率が上って、投資の甲斐があったと少し満足したが問題点も多い。

a) 各回のセットが面倒だ。次の包装箱上のイラストにあるように、点眼薬をこの補助具にセットするのが少し厄介で、3種類の目薬ごとに(5分ごと)にセットし直す必要がある。毎回1種の場合だとキャップを開け閉めするだけでいいが、3種だと面倒だ。

f:id:oginos:20180704070620j:image

b) 使用できない点眼容器がある。上記の写真で、上列の最右端の容器は直径がやや小さく、にぎりのレバーを押しても容器に届かず、滴下できない。容器の裏側に紙などのスペーサーを差し込めばいいかも知れない。下列の1容器は、他容器の形状がほぼ円筒形であるのに対し、幅広で薄く、そもそもセットできない。この補助具のウェブの説明書でも、適用できる点眼容器に制約のあることは明記してあるが、それでもがっかりした。これらはげんこつ点眼法を適用せざるを得ない。

 そのうち、げんこつ点眼法に習熟して、補助具もお蔵入りになろうと思う。それにしても私は不器用だ。今は退職後だからベッドもソファーも15分程度の点眼時間も自由だが、勤務していると昼や夕方の点眼は大変だったろう。

3) 明るくなった視界

 眼がよく見えるようになって、感謝している。今まで左眼だけに負担をかけていたようだが、右眼も見えるようになって総合的によく見える。例えば、テレビの番組表は、術前までは近くによらないと読めなかったが、今は座っている定位置からもどうにか読めるようになった。今までの眼鏡がそのまま使えそうなのも有難い。

 白内障は再手術ができないらしいので、この眼を大事にしようと思う。具体的には、「毎日新聞」の(朝夕刊にある)数独パズルはやらない*2。ポケモンGOは、歩きスマホの危険もあり、止める。更に、詰らないテレビドラマやテレビ番組は、途中でも見るのを止める*3

 これらの時間を主に読書に使おうと思う。また、久しく聞いてなかった音楽も少し聞き始めようかと思う*4。余談だが、本といえば今まで、図書館Amazon安価な中古本に偏り過ぎていた。これにより書店が無くなるという恐れは本当だと思う。これからは、本の何割かはリアルな書店に行って買おう。週刊誌も、スーパーやコンビニではなく、書店で買えば少しは助けになるかも知れない。

*1:5分間隔なのに4分にセットした理由は、a)医者や薬剤師の指示はサバを読んでいると見られる、b)目薬の交換等にロスタイムがある、ことだ。なお、このキッチンタイマーは、昨年の弊ブログ「富士山登山(結果)」 id:oginos:20170710 中の「インターバル速歩トレーニング」でも使ったもので、活躍している。

*2:「毎日新聞」に限っている所に若干の逃げ道はある。

*3:従来は、家人との共有時間の大半がテレビだったが。

*4スマホAmazon MusicSpotifyなど手軽。また息子が去年買ってくれたAmazon Echo Dotは、アレクサと声をかけるだけで演奏してくれるのが不精な私には便利。

2018/05/27 (日)

[] 国体

 中学の友人から、次の本の感想をブログに書いてくれないかと妙なことを頼まれた。

白井聡国体論−菊と星条旗(集英社新書、2018/5/6第2刷、第1刷は同年4/22)

 新聞にかねて大きな広告が出ているから、私もその本のことは知っていた。新聞広告のウェブページが見つからないので、集英社プレスリリースURLを掲げる。 http://www.dreamnews.jp/press/0000171735/ 

 日本の対米従属の背景を論ずるもので、私は関心があったがわざわざ買う気は起きなかった。理由は、内田樹の有名なブログ対米従属論は何度か読んでいたからだ。無料で読めるのに金を払うのはどうかと躊躇した。ちなみに、内田樹議論は、戦後日本の対米従属は、当初は日本の自立のための「手段」だったが、現在は「対米従属自体が目的」となっている。安倍首相らは、これにより戦前スキームへの回帰、ないし再軍備を目論んでいるというものだ。私は、安倍首相右翼議論は好きではないが、対米従属が目的という論には違和感があり、ブログで繰り返される彼の議論には若干辟易していた。例えば次のページ。

(内田樹の研究室/ 対米従属を通じて「戦争ができる国」へ。) http://blog.tatsuru.com/2015/06/22_1436.php 

 しかし、ジャーナリストたる友人の依頼にも興味を持った。ポジティブな評価を期待しているのか、ネガティブなものなのか。それには、先ず読んでみなければということで購入。結論からいうと、不遜ながら、私の感想はややネガティブだ。

1) 占領体制、従属体制の不可視化

 安倍首相を始めとする、近年の日本の米国へのへつらい振りは異常だが、その原因は、日本の戦後の国体で、天皇の上に(ないし、替りに)米国を置くようになったからだと著者は言う。終戦時のポツダム宣言受諾の際に、日本が「国体護持」に拘ったことは有名で、その場合の「国体」とは、周知のごとく天皇制だった。それが何故米国になっていったか。それには米国の戦略もあるが、それを受け容れるようになった日本国民側の事情もある。

 先ず、終戦直後の1945/9/27に、昭和天皇マッカーサーと会見した時に、天皇が全ての責任は自分にあると言い、それに対しマッカーサーが感動したとの話がある。これにより、マッカーサーは、天皇の高潔さを理解し、天皇に敬意を抱いた、つまり「日本の心」が理解されたとの神話が日本人の間で生れた(同書p.122)。これが現在に至る対米従属の原点だとされる。

 1945年からのマッカーサー体制(占領)は、日本の主権が無い、すなわち支配されている状況だった。しかし、その主権制限は、マッカーサーの「日本の心」の理解により、不可視化され、(国民意識として)否認されたことが、他の被支配国に例を見ない日本の特徴である(p.149)。自由を目指す希求は、被支配の事実を自覚する所から始まる。これに対し、日本の戦後民主主義体制は、自由への希求に対する根本的な否定の上に成り立っていた(p.130)。*1

 被支配の不可視化は、天皇主権とする戦前の国体米国主体とするものに変質したことによる。著者は、1960年安保改定反対闘争の挫折の後、日本国民経済重視に転じ、それが成功し、ある意味で米国をしのぐようになった時点で、更に、対米従属国体は見えなくなったという。

 戦後の米国による占領体制から日米安保体制、それに引き続いての日本の目覚しい経済発展(安保体制の意義が見えなくなった)を経ての現在の対米従属体制という風に、一貫して米国に依存してきたことは事実であろう。

2) なぜ「国体」か。

 しかし、なぜ、戦前日本の体制−戦争を引き起こしたと批判され、戦後は克服されたとされている「国体」の言葉を使うのか。それは、国の統治の精神的権威と国民との親和性において、戦前の天皇と戦後の米国に共通点があるからとされる。

(戦前の国体の3期区分)

 明治維新以降の近代天皇制の形成期においては、天皇と国民との間は、日本国を主宰する「天皇」と支配される「国民」という意識だった。しかし、後期(後述の戦前の第3期)の北一輝などのファシズム思想においては、受動的な「天皇の国民」を、理想国家実現のために能動的に活動する国民へと転化する試みが行われ、その転化が成し遂げられる時、能動的な国民によって押し戴かれる天皇は「国民の天皇」となるとされた(同書p.67)。2.26事件を起した陸軍青年将校たちも、天皇は判ってくれる筈だと信じていたという(しかし、天皇は拒絶した)。

 著者によれば、戦前の国体(=天皇制)は、〃狙(明治期)、発展(大正期)、衰退(崩壊)(昭和期)の3期に分けられ、それぞれ国民との関係は、天皇の国民」、「天皇なき国民」、「国民の天皇と名付けられる。詳細は省略するが、第2期の「天皇なき国民」が大正デモクラシーの時代だ。天皇の存在が当然のものとなって、露わには見えなくなった。第3期の「国民の天皇」の理念は、上述のように失敗し、敗戦による国体の崩壊につながった。

(戦後の国体の3期区分)

 戦後はどうか。戦前の3期区分に準じた3期に分けられる。第1期の「(対米従属体制の)形成期」は、戦後の占領期、安保体制を通じて日本経済が高度成長する時期で、1971年の2つのニクソンショック(訪中、ドルショック)を境として、次の「(対米従属の)安定期」に移行する。第3期は、ソ連崩壊後の1991年から現在に至る「(対米従属の)自己目的化の時期」である。

  • 「形成期」(1945-71)は、占領、安保体制の中で、米国への従属体制が形成されたが、国民の中で不可視化されていた。米国庇護の下、朝鮮戦争特需などで、高度経済成長が続いた。著者は、戦前の各期の呼び方に倣い、第1期を「アメリカの日本」と名付ける。
  • 「安定期」(1971-91)は、日本の経済地位が高まり、欧米で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とももてはやされた時期で、ヘゲモニー国家の地位が米国から日本に移るかも知れないとの見方もあった。しかし、米国ヘゲモニーは維持され、世界はアメリカ化が当然の前提となった。著者は「アメリカなき日本」と呼ぶ。冷戦の中で、日本は米国側に付くことが利益で、対米従属合理的な面があった。
  • 「(対米従属の)自己目的化の時期」(1991-現在)は、1991年ソ連の崩壊以降、冷戦が終了したがそれにも拘らず、日本の対米従属合理的な説明の無いまま継続している。意義を失ったと見られる日米安保体制について、その積極的維持を図り、かつその他の点についても米国におもねているような態度は何故なのかというのが、本書のポイントである。この時期は「日本のアメリカ化」と名付けられる。

 ソ連中国等の侵略から日本を守るという元来の日米安保体制の前提は今や崩れ、今では、「米軍の全地球的(超地域的)な展開を支える体制」というのが米国の認識で(p.308)、日本政府側も「世界の安定維持に関する米国の活動を、日本が支援するための不可欠の枠組」(p.309)と規定された。なぜ日本はそれほど米国に従属し、更におもねるような態度を取るのか。それは、対米従属国体となっているからと著者は説明する。

 現在の日本の対米従属論(当人たちは対米従属は言わないが)は、愛国=親米=嫌中=嫌韓=戦前回帰が一体となっている。

3) 感想

(現在の対米従属は「国体」か)

 現在の首相自民党、論壇の多くが「対米従属」であるのは、私もかねてそのように思ってきたが、「国体」と呼ぶには違和感がある。「国体」というからには、「主権又は統治権所在により区別した国家体制」(広辞苑第7版)だが、米国が日本の主権であるというのは無理だ。もっとも著者もそれは承知の上で、比喩的に用いているのだろう。

 著者は、対米従属論者(ほぼ保守派)は、反中反韓を主張し、改憲再軍備も共通項だという。米国をバックにした利権を持つ大企業が、政官界に圧力をかけて対米従属路線を導いているという。

 同書では、対米従属を示すいろいろなエピソードが紹介されているが、私としては、個別に見れば異常だが、国体とまで言える戦略的、総合的なものとは思えない。例えば、安倍首相トランプ大統領へのへつらい振りは異常だが、国家的戦略に基づいているものではなく、首相が交代すれば変るものだろうと思う。

 また、例えば、TPPに関する議論(米国企業による新たな収奪攻勢等、p.291)や中央銀行総裁が祭司的役割を果しているとの議論(p.323)には付いていけない。TPPなどは日本経済に有効な面もあると思う。

(私自身は米国が好き)

 私自身は、40代初めに3年間の米国カリフォルニア州での駐在経験があり、それを踏まえて実は米国が好きだ。ビールやゴルフが安く、規制が少なかった。自動車ディーラーで買ったとき(新車)、その場で運転して帰宅できたことにびっくりした。日本の感覚でいえばいろんな手続きが思い浮かぶ。例えば車のナンバープレートは、現在申請中と書かれたディーラーの紙をフロントガラスに貼り付ければよい。後日自宅に郵送されてきたので、ドライバーで取り付けた。

 その他、イノベーション、種々のスタートアップ企業の出現等には感嘆した。米国の活力の源は、多様性スタートアップの容易性にあると思った。帰国後、米国の嫌な面も見聞きするが、その他にいろんな意見を持つ米国人がいると思っている。

(対米従属論は陰謀論か)

 私は甘いのかも知れないが、対米従属の現状が異常であるにしても、今後勢いを増すとは思えない。同書では、対米従属論が「陰謀論」と批判されることについて反論している。

 対米従属はある意味で実在しない。何故ならそれは、諸々の現実に対する抽象の先にしか見出され得ないものであるからだ。日常的な視線から見れば、現代日本の抱える諸々の問題はすべてバラバラの事象であり、それぞれに個別的な対処・改善が求められるにすぎない。この視線にとっては対米従属の問題を声高に語る者は「異常な陰謀論者」に映る一方、対米従属の問題を諸々の問題を貫く矛盾の核心と見る者は、日常的な視線の次元にとどまる者たちを「寝ぼけた哀れな連中」と見なすこととなる。(同書p.253)

 私は、上述した通り、バラバラに見ている「寝ぼけた哀れな連中」の1人だ。ただ、日本の今後について楽観している訳ではない。ここ1年間の森友、加計問題その他を巡る国会マスコミの動きを見ていて、このような明らかな嘘に基づく非論理的な論議通用する社会に未来はあるのかと思う。卑屈な対米従属が無くなっても、その後に来るのは、理念なき自立 (それによる不安定化) か、新たな他国への従属かと思う。何れにしろ日本の将来は明るくない。

(希望を生み出すか)

 本のカバーに内田樹が紹介文を書いている。

菊と星条旗の嵌入という絶望から、希望を生み出す知性に感嘆。爽快な論考!

 「希望を生み出す」とあるが、私はどこにもそのような記述は見つけられなかったし、希望は感じられなかった。

*1対米従属論とは別に、この戦後民主主義体制の基盤(自由への希求が無かったこと)を知り、私は改めて感心した。