Hatena::ブログ(Diary)

踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2011/05/30 (月)

[]おちょこにならない傘(センズアンブレラ)

 クレジットカード会社の雑誌(UFJカードのPartner、2011年6月号)を見ていたら、おちょこにならない(なりにくい)傘が出ていた。数か月前に、大きな傘(70冏招)を買っていたが、安物だったせいか、直ぐに強風で骨が2-3本曲ってしまい、だましだまし使っているという状態だったので、興味を持った。空気力学を活用して開発したもので風に強いという触れ込みだ。空気力学の成果で形が確かにユニーク。以下、買い物時の様子、商品の概要、使用感を簡単に説明。

 5月29日(日)に別件で新宿小田急デパートに行くことがあったので、雑誌のページを切り抜いて持って行った。f:id:oginos:20110530104335j:image:w360:right

 紳士傘売り場で聞いたら、以前取り扱っていたが今はやめたとのこと。一瞬あきらめたが、紳士用と婦人用の区別は無かった筈で、婦人傘売り場にあるかも知れないと教えてくれた。婦人傘売り場に行ったら、今は売り場に無いが在庫を調べてみるとのこと。折り畳みが2本だけ残っていて出してきてくれた。折り畳み方が面倒です、などの説明を受けてから、買うと言ったら、「お買いになられるんですか」と、「えっ」を飲み込んだような感じの反応があったが、もちろん包んでくれた。

 本当は大きいのがほしかったが、ちょうど台風2号が、翌30日朝に関東に来るとの予報だったこともあり、衝動的に買った次第だ。

 商品を説明するウェブURLは、http://www.sempre.jp/brand/SENZ-Umbrellas/

 この傘「SENZ Umbrellas」は、オランダで2006年に開発された。折り畳みでない大きい方は、時速100km(秒速28m)の強風にも大丈夫とのことだ。折り畳みの方でも時速80(秒速22m)の風に耐えられる*1。先のウェブページの下の方にビデオへのリンクがあり、すさまじい風速に耐える実験の模様を見ることができる。何年か前に、日本の朝のテレビショー*2でも紹介されていたらしい(それのYoutubeへのリンクもある)。

 台風2号は、週末には沖縄九州で猛威をふるったが、日曜の夜には温帯性低気圧に衰えた。従って、月曜(5月30日)の朝の出勤時の風は、東京では3-5m/secで大したことはなく、これぞという威力は見せてくれなかった。ただ、風に応じての傘の向きの微妙な変り方がスムーズのような気がした。その他の使用感としては、形の異様さが人目を引いているようで若干恥しかった。

*1ウェブでは60kim/hだが、商品に付いていた説明書では80km/h。

*2東京では8チャンネル(フジテレビ)のめざましテレビ

2011/05/24 (火)

[]不破哲三・時代の証言

不破哲三「時代の証言」(中央公論新社2011年3月)

 新聞の書評で紹介されていたので買った。書評がよかった訳ではないし、不破のファンでもない。3年前に次の本を読んで、日本共産党の実態に唖然としたことがあり、その党の指導者の著書ということで興味を持った次第。従って、最初から批判的な眼で読んでいるので、邪道だ。しかし、既に功なった著名人だ、許されるだろう。

○ 兵本達吉「日本共産党の戦後秘史」(新潮文庫、2008年11月。単行本は2005年7月産経新聞出版だが、文庫本化に際し大幅な改稿がされたとのこと)

 本稿は、大々的に日本共産党を論じるものではない。以下、1)兵本(ひょうもと)著のポイント(私がびっくりしたこと)、2)一読して気になった不破著の文体上の特徴その他の感想、c)兵本著が共産党に関して批判したことに関する不破著での記述振りを幾つか述べる。

1) 「日本共産党の戦後秘史」で驚いたこと

 著者の兵本達吉は、私は初めて知った。1938年生れだから不破より8歳下、京大法学部中退で在学中に共産党に入党、党の国会議員秘書などをして、1998年除名された。同書を読んで、かねての共産党のイメージを再確認したことが多かったが、びっくりしたことも多かった。そのうち幾つかを述べる。

a) 1950年代前半に実行された火炎びん闘争等の軍事闘争路線は、共産党の暗部とされている。その後党内でも隠し切れず、「50年問題」として問題の所在は認めつつも、タブー視されてきたとのこと。私は、ソ連の指示が当然あったにしても基本的には、党内で日本の革命のための路線論争があり、その結果の選択であったのだろうと思っていた。しかし、兵本によれば、これはスターリン毛沢東が企画した、朝鮮戦争の一部としての後方攪乱作戦である。ソ連共産党野坂参三らにそれを命令した経緯が生々しく述べられている。

b) 1955年に、この軍事闘争路線は撤回され*1宮本顕治は復権し、徳田球一らの主流派は失脚していく。その過程で、宮本らは、50年の軍事闘争路線の採用について、徳田一派とソ連共産党を激しく批判していく。しかし、1950年コミンフォルム(説明略。ほぼスターリン)が徳田、野坂らの平和革命路線を批判したとき、宮本らはこの批判に同調して徳田主流派に、暴力路線へ転換するよう強く主張していたとのことだ(宮本らはその後暫時失脚)。それを忘れたような変身に驚かされる。

c) 日本共産党の「民主集中制」と言われる体制では、自由な議論は許されなかった。党大会はもちろん中央委員会でも議論などなく、幹部会の方針を聞くだけだったとのこと。著者がある幹部会員に幹部会での議論振りを聞くと、幹部会は常任幹部会の報告を聞く所だとのこと。ではその常任幹部会はどうかというと、宮本議長や不破委員長からお話を伺う貴重な機会だとのことだ。唖然とする。

d) 戦前投獄された共産党の党員のほとんどが(志操堅固の筈の最高指導部も含め)、逮捕後ほぼ直ぐに転向していた。それも驚きだが、転向の理由が、コミンテルン(上述のコミンフォルムとの違いは省略。ほぼスターリン)の1932年テーゼで、日本の天皇制の革命的打倒を命じていたことに由来するとの分析には驚いた。すなわち、天皇ロシア語訳はツアーで、ロシア人にしてみればツアーを打倒しない革命はあり得ない。しかし、日本の党員にとっては、天皇制打倒のスローガンが国民に浸透するもの、実行可能なものとは思われなかった。国民から孤立して事を起こす自信が無いまま運動を続けていたことが、逮捕後の転向の最大の動機であったとのことだ。天皇制に対しそのような思いが共産党員にも普遍的であったということが、私にはちょっと信じられない。

e) 宮本は戦前投獄されて12年もの間、非転向を貫き、それがその後の宮本独裁体制の確立に繋がっていく。兵本によれば、宮本には転向の利益が無かったので、転向しなかっただけとのことだ。宮本の罪は、治安維持法違反だけでなく、スパイ査問事件における不法監禁致死罪(刑は無期懲役)であり、この罪名では転向しても、制度上仮出獄などできなかった(転向した人は大体仮出獄していたらしい)。取調べの際に黙秘を貫いたのも、下手にしゃべるとその矛盾を検察官につけこまれて、殺人罪から死刑になる可能性があったからだ。怜悧な計算に基づいた、黙秘と非転向と述べている。

 1976年1月に、春日一幸民社党委員長国会でこの戦前の宮本のスパイ査問事件を取り上げたときの共産党内の大騒ぎも述べられている。戦前の事件がでっち上げだということを証明するために党内に委員会が設けられ、著者も参画した。いろいろ調べたが、宮本本人からの聴取は許されず、秘書を通じての質問のみが許されたとあるから滑稽だ。昔の殿様の病気のとき、医者が直接脈を取ることを許されないので、脈に糸を巻き隣の部屋から糸を通して脈を診たという故事から「糸脈」と評して、その後冷飯を食った国会議員(党員)がいたとのことだ。

f) その他、50年代の武力闘争の滑稽さ、党内異端者に対する査問の陰湿さ、戦前のリンチ事件等についても詳細に述べてある。

2) 不破著の文体上の特徴

 読み始めてから気になっていった文体上の特徴を幾つか述べる。

A) ですます調と尊敬語

 共産党の文書の「ですます」調は、私はあまり好きでない。評論は「である」調の方が、余計なニュアンスの接尾語に気を遣わず、頭も整理しやすいと思う。それが「ですます」で書かれると、一応下手のように見えても、心底での「上から目線」が感じられて苦手である。この本も「ですます」で貫かれている*2図書館で不破氏の本を4-5冊見たが、やはり「ですます」だ。例えば、「新・日本共産党綱領を読む」は、後述の2004年の党大会で43年ぶりに改定した綱領の解説書(全417ページ)だが、ですますで書かれている*3

 今回発見したのは、尊敬語と謙譲語が無いことだ(「ですます」は丁寧語)。ひょっとしてこれは共産党の文章では有名なことなのかも知れないが、私は知らなかった。尊敬してやまないであろう宮本顕治にさえも尊敬語を使わない。敬称も役職名が無いときは「さん」である。

 数少ないが、尊敬語の用例はある。「宮本議長へ『引退』進言」、「宮本さんは…回復された」、「(書記長を)退任される時期だろう」、「宮本さんが…言われた」。これは揚げ足を取る積りではなく、ある程度の尊敬語は日本語として自然だろうと感じる。

 疑問は、a)上司に話すときも尊敬語、謙譲語を使わないのだろうか、b)家族間、特に親子間でも「ですます」だろうか、尊敬語は無いのだろうか(学校では教わるだろうに)、c)頭の中で思索検討する時も「ですます」だろうか。

 尊敬・謙譲語を使わないのは、ある意味ですがすがしく感じる。余談だが、世の中は現在過剰敬語が溢れていて異常との感じだ。「ございます」の多用は過剰敬語、最近の政治家の発言に多い「させて頂く」はエセ敬語、ファミレス等でよく聞く「…でよかったでしょうか」などは非日本語と、私は思っている。

B) まえがきへの違和感

 この本は、政治家の回想録として位置付けられようが、それなら、まえがきで自分の人生への総論的な感想があるのが普通だと思う(本の中身の概略紹介でもいい)。しかし、この本のまえがきの内容は、読売新聞社の企画連載「時代の証言者」への登場の依頼の経緯とそのインタビュー等の作業内容の説明だけである。よほど自分の人生への総括ができていない人なのか、本の内容が共産党の宣伝だけなのかと思ってしまう(中を読むとそうではなく、なかなか面白かった)。もっとも最後の章が「入党64年、世界観揺るがずーあとがきにかえて」のタイトルで、総括的感想が述べてある(「世界観揺るがず」とは言い過ぎかと思う)。問題はまえがきの中に裏話的なこと(あとがきで書くようなこと)が圧倒的に多かったから違和感を持った次第だ。

C) 文章が一部読みづらい

 文章が整理されていない所が少なからずある。主語述語の関係が明確でない、主語が途中で変るなど、文章読本で注意されそうなことがあって、読み辛い。Wikipediaによれば、不破の著書は140冊以上という。そのような大著作家に失礼なことを言うのも勇気がいるが、沢山本を書く人は全てに目を配ることは難しい(駄作もある)とかねて考えているので、それほど著者を批判しているものではない。

(p.5-6) 「友達仲間でも、・・・・みんなで工夫して遊ぶ時代でした。」(主語が変る)

(p.9) 「ある週刊誌が「私はこれをやりたかった」というグラビア企画を立てて、私のところへ話を持ってきたのです。『作家志望で、吉川英治記念館で撮りたい』と答えたら、早速その手配をしてくれました。」

(ここは省略無しに原文のまま。後を読むと、「私はこれをやりたかった」の内容が「作家」で、グラビアを撮る場所の希望が吉川記念館ということが判るが、私は最初この文の意味が本当に判らなかった。ちょっと舌足らずの感じ)

(p.13) 「兄が解析概論…を家に持ち込んできたことがあったのですが、読み出したら面白くて打ち込んでいたのです。」(主語が変るので、最初「打ち込んでいた」のは兄かと思った)

3) 不破著へのその他の感想

D) 同僚が出てこない

 この本は、政治家の回想録だが、党内の同僚の名前が殆ど出てこないのも変な感じがする。穿った見方をすれば、党内では議論が無く全て自分又は宮本氏との協議で決定していたので、同僚との実のある交流が無かったのか、又は同僚は全て非条理なやり方で論断し失脚させてきたのでメンションするに憚れたのではないのか、などと邪推してしまう。実兄の上田耕一郎の名前も、一高時代、入党、党専従就任時に、背景的に出てくるだけで、路線上の議論をしたというような話は出てこない。志位和夫(現委員長)も書記局長就任時(35歳)の紹介だけで一緒に仕事をしたとの話は無い。

E) その他

 党内の同僚の名前は出てこないが、外部との交流の話は多い。外国の共産党首脳との会談、日本の首相、他党の首脳との会談、国会での質疑は具体的な話が多く、それなりに面白かった。

 ソ連を初めて訪問したのが1985年というのも興味深い。1970年に党書記長になって初の野党書記長クラスとの討論会の後、江田三郎(社会党)、矢野絢也(公明党)、佐々木良作(民社党)と雑談した。その際に、ソ連訪問の経験が無いのが著者だけというのが判り、3人それぞれに複雑な表情をしたというのが印象的だ。ソ連と関係が悪かったのは日本共産党だけだったということか。

 その他、「50年問題」への反省、61年綱領の改定の話など、党の方針の変更の話は相当丁寧に説明されている。

4) 兵本著と不破著との対比

 不破は、一高時代の1947年、17歳(の誕生日のすぐ前)で共産党員となり、1953年大学卒業後鉄鋼労連に勤務し、1964年党専従となって、1970年40歳の若さで書記局長に就任した。1961年綱領*4制定時には党専従でなかったから、同綱領の制定には形式的には責任が無いとも言える。しかし、鉄鋼労連時代にもペンネーム(不破哲三は元来はペンネームだった)で重要な論文を発表し、党の路線に少なからぬ影響を及ぼしていたと見られるので、全く責任が無い訳ではなかろう。

 61年綱領は2004年に43年ぶりに全面的に改定されるが、それまでの間も、不破により、いろいろな形で大幅に、かつ平然と修正されていく。「平然」とは、ソ連中国、他党や徳田一派を批判するが、自党の過去は何も反省しないという意味である。兵本はその変節振りを厳しく批判しているが、不破著の方でも一部の項目では対応した記述がある。以下、いくつか紹介する。

a) 上記1)のa)で述べた50年問題については、不破著でも触れられている。1950年1月のコミンフォルムからの痛烈な批判については不破自身もびっくりしたが、言われた限りでは納得できたとある。後で判ったが、この批判は「二重底」で、本当の狙いは、日本共産党に武力闘争を押し付けるスターリンの戦略だったとし、兵本の評価と一致している。その後の「武力闘争」路線は、宮本らを追い出して党を分裂させた徳田一派に責任を押し付けている。

b) 上記1)のb)の宮本の1950年時にコミンフォルムの方針を支持していたことには触れられていない。

c) 同じc)の「民主集中制」については、不破も「反共勢力がしばしば攻撃の標的とする」と意識はしていたが、結局は「戦後の経験の中で重要性を確認した党組織の大原則」とし、2000年の規約の改定の時に、5つの基本点に絞って、民主集中制の内容を明確にしたと述べている。それは、党の意思決定は民主的な議論を尽して最終的には多数決、決定されたことはみんなで実行、行動の統一は公党としての責任、などである。これでは、党内でどんな議論があったか、本当に議論があったかさえも、部外者には判らない。「集中制」の語の維持がポイントだ。

d) 同じd)の天皇制については、「日本国憲法は『天皇は国政に関する権能を有しない』と規定するので、天皇制君主制ではない。君主制の廃止(天皇制の廃止)を当面の変革の不可欠の任務と位置づけたのは、61年綱領の誤認だった」と書いてあり、その豹変振りに唖然とした。天皇制の制度の是非は将来の国民の選択に委ねると逃げている。

e) 同じe)の宮本のスパイ査問事件については、ほとんど書いてない。2007年に亡くなった際の不破の弔辞の中で、「非転向を貫いた宮本さんの獄中闘争は、党の歴史と伝統、名誉を守り抜いたということで非常に重い意味があった」と無条件に賛美している。

f) その他(兵本が非難している共産党の変節等)

1961年綱領(それまでの社会主義革命路線から民主主義革命路線への転換等が内容)は、実は58年の党大会にも提案されたが、代議員の40%が反対したため採決を延期し、61年に満場一致で採決された。兵本によれば、その間に反対派の代議員をいろいろな手段で追放したとしているが、不破著では、「反対意見にあくまで固執した少数の人々は党から離れ、満場一致で採択された」とある。ものは言い様だ。

・61年綱領で使われていてその後言い換えられている語が幾つかある。例えば、「独占資本」は「大企業財界」に、「マルクスレーニン主義」は「科学的社会主義」に。なお、不破著では、1976年に「科学的社会主義」の表現を決定したとき、学術や理論活動上の用語としては「マルクス主義」も認められるが、「マルクスレーニン主義」は許容範囲対象外だとされた。レーニンソ連への絶縁だ。

・61年綱領では、ソ連社会主義陣営の先頭に立つ特別の地位にあると明記されていたが、2004年の綱領改定の際に、「ソ連社会主義国でなかった」とされた。これも驚いた。

・61年綱領のポイントの1つである「2つの敵」の1つである「米国帝国主義」に対し反対と叫ぶ者は国際的にいなくなったので、2004年綱領では米国帝国主義反対はお蔵入りになった。

5) 若干の感想

 兵本は、以上述べたような共産党の変化を無節操と非難するとともに、章名の1つに「暴力革命の遺伝子」と名づけたように、共産党の根本は変わらないのではないかと疑っている。不破の方は、全てではないが、それなりに共産党の考え方を説明しようとしている。これは以前より進歩で、正直言って感心した。

 私は、共産党は、これだけ国会議席があり、国民の多くの票が投じられている現在の状況から見ると、暴力革命路線は当面実行できないだろうと思う。多くの政党と同じように、有権者に納得される言動をせざるを得ない。しかし、将来情況が変ったときにどうなるか、共産党だけでなく他の政党でも豹変するかも知れない。そのとき日本国民民主主義を守る強靭さを持っているか、密かに心配している。

 話は飛ぶが、現在の民主党政権はどうだろう。「民主集中制」は、どの左派にも共通している体制だが、その問題は、議論の進め方、衆議のまとめ方のノウハウが育たず、往々にして中央の決定を押し付けるという安易なプロセスに頼ることだろう。民主党政権の問題の1つは、そこにあると思う。そのうち暴発するのではないかと心配だ。

以上

*11953年朝鮮戦争が休戦となり、後方撹乱作戦も意味が無くなった。

*2:所々に挿入されている補説は「である」調で、ほっとする。

*3:綱領自体は「である」調。

*4:兵本著によれば、日本共産党が初めて自前で作ったと自称する綱領

2011/05/16 (月)

[][]スーパークールビズ

 福島原発事故による節電対策の一環として、政府は、今年の夏向けにスーパークールビズを提唱した(後述)。 「スーパー」とは大げさだが、基本的にはいいことと思う。これを踏まえ、私の今夏の服装を計画した。昨夏の方針を踏まえて述べる。

1) 昨夏の方針

 昨年6月15日の弊ブログ(id:oginos:20100615)で、「ワイシャツの衣替え・夏モード」と題して駄文を書いた。私の夏の通勤スタイルについての話だ。ポイントの第1は、半袖ワイシャツをベースにして、a)ネクタイ及び上着を着用、b)ネクタイ着用、ノー上着、c)ノーネクタイ、ノー上着(真夏モード)の3モードを設定し、暑さの進展に応じて順次変えていくこと。第2は、世の中のビジネス界では、ノーネクタイが予想以上に普及しているので(ノー上着はそれほどでもない)、昨夏は、自分も早くノーネクタイの真夏モードに移行するということだった。

 今夏は、暑い夏の予想と節電でのエアコンの設定温度が高くなること、更にスーパークールビズの普及により、半袖ワイシャツ姿でさえ、他人から見て暑苦しく感じられるようになるのではないかと思う。

2) スーパークールビズの提唱

 環境省は、福島原発事故を踏まえた今夏の節電対策として、a)従来のクールビズの1か月前倒し(5月1日から)*1に加え、b)6月1日からのスーパークールビズを打ち出した(5月13日発表)*2

 5月1日からの適用については、菅総理以下7名の閣僚がノーネクタイになったのをテレビで見て、若干の季節外れ感を感じつつもその意気込みにびっくりした。もっともネクタイ、上着を着ている閣僚、政治家も多く、一般にはまだ抵抗感があるのだろう。

 スーパークールビズの内容は、環境省によれば、ポロシャツ、アロハシャツなどを認め、Tシャツ、サンダル、チノパン*3についても条件付きで認めるとのことだ。

 私の印象では、従来のクールビズからの変更のポイントは、a)襟、b)シャツの材質にあると思う。半袖ワイシャツの襟はかっちりしている。これをハードカラーと呼ぶと、ポロシャツ等の襟は柔らかく、ソフトカラーと言っていいかと思う(こんな呼び方が正しいかどうかは知らない)。ソフトカラーは、通風性、吸水性の面で過ごしやすい。シャツの材質についても、ワイシャツは綿ないし合繊製で、クリーニング後にプレスしてかっちりしているが、ポロシャツ等はソフトで吸水性があり、汗を吸い取ってくれるので快適だ。家での洗濯も可能。

 襟の無い(ノーカラー?)Tシャツが、環境省資料では「△(無地のもので執務室内に限られる)」というのも、公の席でのノーカラーには抵抗が強いのであろう。

 こういうもので「スーパー」と名付けるのには違和感もあるが、何れにしろ、ソフトカラー、ソフト材質は、サラリーマンの外見に相当の変化をもたらすと予想する。

 この際の政府ないし経済界への提案だが、学生の就職企業訪問については、ノーネクタイ、ノー上着を条件とするという方針を公表したらどうであろうか。幾つかの企業が個別にその方針を採っても、複数の企業を廻らなければならない学生にとっては、効果は限られる。日本経団連などで統一的に方針を決め、プレスで公表することが重要と思う。夏季の学生の上着をきっちり着込んだリクルートスタイルは本当にかわいそうだ。見ていると暑苦しく、自分の(スーパー)クールビズで快適になった気持ちも冷え込む(いや、沸き返る)。

3) 私の今夏の方針

 結論から言うと、私の今夏の「真夏モード」は、無地単色のポロシャツで胸ポケットの付いているものとしたい。視点は次のようなことである。

a) ソフトカラー、ソフト材質のシャツは、通風性、吸水性に優れているので、周りがそれを受け容れていくなら、私もその快適性を享受したい。胸ポケットは、定期券入れ等を入れるため必要。

b) 私は、客観的に見て高齢者だから、更に貧相な外見にならないようにしたい。ノー上着なのでなおさら、だらしなく見られたくない。その意味でネクタイ、ハードカラー等は年寄りとしては安心できたが、暑い夏では他人に暑苦しさを与える。アロハシャツの開襟デザインについては、個人的好みではややだらしないような気がする。ということでポロシャツを選んだ次第。

 色については、かつて(10年以上前)、「年寄りの原色チェックのカラーシャツ*4はダサい」と書いてあるのを読んで、そんな観かたがあるのかと思い、以後原色チェックのシャツ類は避けている。いわんや通勤着においては、それに準ずる色合いや模様も好ましくないだろう。

c) 真夏モードの前の段階では、去年辺りからネクタイも暑苦しく感じられるようになったので*5、(周りに合せて)早めに、ノーネクタイのボタンダウンの半袖シャツにすることにする(直ちにポロシャツは抵抗があるから)。

4) その他

 以下は、どうでもいい視点だ。やや細かな点が多いが、参考まで。

a) 従来のクールビズの長袖シャツについては、我が家のクリーニング屋の配送スケジュール(週1回)を考えると、ちゃんと導入するには新たに10セット揃えなければいけない。これでは投資額が膨大になるので、私はかねてためらっていた。今夏のソフト材質だと家で洗濯できるから、数着ぐらいの投資でよく、手軽に導入できる点もいい。

b) 従来のワイシャツだと、吸水性に劣るので、汗を吸収するための肌着をワイシャツの下に着ていた。今夏のソフト材質だとそれが不要になり、より涼しくなると期待できる。

c) スーパークールビズのシャツ以外のスニーカー、サンダルとチノパン等については、まだ結論を出していない。職場でそんな恰好をしていいのだろうか。チノパンなどのコットン製ズボンは折り目が無くよれよれで、そんなので人前に出ていいものだろうか。サンダルは素足でいいのだろうか。先ずは周りの様子を見て、という気持だ。

d) いろんなシチュエーションに備えて、職場に上着ないし背広の上下と半袖ワイシャツを揃えておくことも必要かと思う。従来のクールビズでは、ネクタイを着け、上着を羽織るだけでよかったが、今後は着替えが面倒になる。

e) 環境省の上記の発表では、6月に向けて各デパートでスーパークールビズの商品が発表されるとのことだ。それを見つつ改めて検討しよう。

f) サラリーマン生活を始めて以来、毎夏、女性の軽装が羨ましくてしょうがなかった(夏は女性に生れたい)。今夏は、それが逆転するのではないかと期待している。

5) 追記(5月17日)

 スーパークールビズにぴったりの俳句を見つけた。

襟にふく風あたらしきここちかな (蕪村)

 句の内容自体は明快でコメントしようもない(ひょっとして深い意味があるかも知れないが)。しかし情景には注釈が必要だろう。

 着物の襟と洋服のカラーとは、そもそもは内容が異なるらしい。着物の襟は、着物に密着している。立っているのは中国から伝わったものだ(あげくび「上頸」と言うらしい)が、日本本来の襟は平たい。これに対し、洋服のカラーは、首の回りに着用されるもの全てで、襟、首飾り、(犬の)首輪など、形、材料を問わないらしい。ビクトリア女王などの華やかな襟飾りもカラーだ(以上、電子辞書のブリタニカ百科事典)。

 ということで、蕪村の句の「襟」は、ワイシャツ、ポロシャツのカラーではなく、着物の平たい襟のことだ*6俳句の主題はあくまで「風」で、季節は「風あたらしき」から見て、「風薫る」と同じ初夏であろう。

 蕪村が見ていた情景とは異なるが、同じ文字表現が、現代の我々の感じる風情をも適切に表現していると思う(正確には、6月以降の風情の予想であるが)。

*1http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13732

*2http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13775

*3:コットン製のズボン。チノ・パンツ。

*4:このカラーは、collarではなくcolor

*5:昨年の弊ブログ(id:oginos:20100615)の最後を参照。

*6:「襟」には、衣服の襟の他に、首の後ろの部分を指す意味もあるが、多分派生的な意味だろう。手許の古語辞典には、首の後部分の意味は出ていない。

2011/05/11 (水)

[][]スマートフォンモバイルバンキング

 3月11日の大震災から今日で2か月経った。震災関係で少し整理してみたいと思っていたことがあったが、この満2か月には間に合わず、それは後日に回すことにして、本稿は、大震災にかこつけて、モバイルバンキングができない不便について述べる。

 大震災福島原発事故→電力供給制約→節電→銀行業界の協力の一環で、街中で多くのATMがクローズされている。私の場合も通勤路の最寄り駅2か所にある、よく使っているATMが閉鎖された。不便でしょうがない。昨日銀行振込の必要が生じて、久しぶりに携帯電話からのモバイルバンキング*1を試みたがうまく行かなかった。

 私の携帯は、昨2010年11月に機種変更したAndroid系のスマートフォン(auIS03)だ。このAndroidへの機種変は、私としては思い入れのあることだが、ここでは長くなるので省略する。

 結論から言うと、スマートファンはモバイルバンキングに対応していない。モバイルバンキングは、携帯ウェブサイト(携帯電話専用のサイトで、auEZwebdocomoiモードsoftbankYahoo!ケータイなど)上のサービスであり、一般のインターネットにアクセスするスマートフォンは、この携帯ウェブサイトにはアクセスできない。auに限らず、各キャリア共通の事情だ。

 各銀行は、スマートフォンへの対応にそれなりに努力しており、以下紹介するが、不便さは如何ともし難い。予備知識として、各方式の認証方式の概略を説明しておく。

○ パソコンからのインターネットバンキング

a) 預金者のID (口座番号等。入力の省略は、普通許さない)

b) 暗証番号 (4桁の数字が多い)

c) あらかじめ渡される契約者カードに書かれている認証番号の表 (振込などの出金処理の時に、システムから指定される表の位置にある番号を入力して認証する)

○ 携帯からのモバイルバンキング

a)は、携帯電話を特定することにより省略される。c)も簡便のため省略。従って、b)の暗証番号のみで認証。

○ ATMキャッシュカード

モバイルバンキングと同様、a)、c)はキャッシュカードの特定で代用。b)のみ。

1) じぶん銀行 

 最初に紹介する「じぶん銀行」とは、au三菱東京UFJ銀行(以下「三菱銀行」)とが共同で2008年8月にサービスを開始した、携帯電話を全面的に活用できるネット銀行だ。それほど利用価値があるものではないが、私は、あるマイナーな用途に利用価値を見出していて、2008年の秋から使ってきた。

 従来の携帯ウェブ上では、上述のとおり、4桁数字のパスワードだけでログインできた。しかし、スマートフォンになってからアクセスができないので、不審に思いつつもそのままにしていた。昨日の振込の場合は、本格的にトライした結果、従来方式では駄目ということが判り、スマートフォン用のじぶん銀行アプリインストールした。

 ところが、これはスマートフォンと言いつつも、パソコンからのインターネットバンキングと同じ方式で、IDのお客様番号、6桁以上の英数字の暗証コードに加え、お客様カードの認証用番号表による入力も必要となった。

 非常に手間が掛かることとなったが、やや意地になって、他行への振込をトライしていたら、振込先の口座番号の入力に加え、振込先の口座名義人の入力*2も必要ときた。かつ、振込み手続きの完了後、もしこれが口座番号名義人と異なっていたら、送金はせずに、しかし振込手数料は頂くとなっている。口座名義は株式会社なので何が正しいか判らないし(「カ)」か「カブ」か、など)、会社名称も長いので面倒くさくてやめた。

2) 三菱銀行

 三菱銀行ウェブページで見ると、モバイルバンキングの対象機種にスマートフォンは入っていない。ただし、2011年3月から、スマートフォン向けインターネットバンキングが可能になったとのことだ。しかし、上記のじぶん銀行と同様、自分のIDをその都度入力しなければならないし、契約者カードの認証番号表を用意しなければいけない。じぶん銀行で断念した上記の振込をこれで行ったが、面倒極まりない。従来の4桁の暗証番号だけで、歩きながらでもできた簡便さが懐かしい。

3) 三井住友銀行

 同行は、スマートフォン対応のウェブページを作ったということで確認した。しかし、そのページはマーケット情報の提供だけで、バンキングはできない。

3) みずほ銀行

 スマートフォンアプリ検索で、「銀行」を検索すると、バンキングアプリがあるのは、上記のじぶん銀行みずほ銀行だけのようだ。私のみずほ銀行の利用頻度は低く、わざわざアプリインストールしようという元気は出ない。

4) 韓国

 ところで、たまたま読んだ記事によれば、韓国では、「携帯の4割がスマートフォンモバイルバンキングは1年で百倍」と、スマートフォンでのバンキングが増えたとのことだ。

http://nna.jp/free/news/20110125krw002A.html

 使い勝手はどうなのか、セキュリティは大丈夫なのか、興味深い。

5) コメント

 上記のような事情がスマートフォンで生ずる理由を想像するに、携帯ウェブサイトでは、キャリアと利用者との間の密接な契約関係を活かすことで、コンテンツ提供者(この場合銀行)と利用者との間でクローズドなコネクションの構築が容易なのかと思う。オープンな一般サイトの場合、個々の利用者との関係は薄いので、スマートフォンでは冗長な安全確認の手続きが必要となるのであろう。韓国の場合どうなのであろうか。

 以上をネットでいろいろ調べていたら、次の言葉が、グーグルの検索画面に出てきた。

スマートフォン持つ奴って情弱(情報弱者の意味か?)か遊び人だろ、モバイルバンキングモバイルsuicaも無いし時期尚早.

 出所はよく判らないが(2チャンネルでの発言のようだが不明)、至言だと思う。今スマートフォンがよく売れているらしいが、後悔している人も多いのではないか。バッテリーの持ちも悪いし。私は、いいところと悪いところがあると、他人には言っている。なお、至言の中の「モバイルsuica」について、私のIS03は、発売当初から、2011年上期(夏まで)に対応予定とされており、かねて待ち遠しい。

*1:パソコンからの銀行振込などは「インターネットバンキング」と使い分けられている。

*2インターネットバンキングでは、相手の口座番号を入れれば相手銀行に問い合わせて口座名義人を表示してくれるのでチェックできる(一部の小さな金融機関では問合せができない場合もある)。