Hatena::ブログ(Diary)

踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2012/10/28 (日)

[]石原都知事と橋下市長

 今週10月25日(木)に、石原慎太郎 東京都知事が突然の記者会見で、都知事の辞職と国政進出のための新党を立ち上げる旨を発表した。それから、先週から今週にかけて橋下徹大阪市長の出自に関する週刊朝日の記事「ハシシタ 奴の本性」に対する同市長の反論と週刊誌側の謝罪という話題があった。私は、石原氏も橋下氏もかねて好きではない。理由は、両氏の打ち出す政策内容に危うさを感ずることと、その強圧的な言動だ。本稿では、それについてかねてからの思いを交えて感想を述べる。

1) 石原都知事の国政進出への疑問

 私の疑問は次のようなことだ。なお、25日に都知事は辞職届を都議会議長に提出したが、地方自治法の規定では、届提出後30日以内は、都議会承認が無いと辞職できないとのことで、その都議会は来週らしい。従って暫くは都知事の肩書が続く。

a) 80歳という高齢首相の激務が務まるのだろうか。ちなみに石原都知事の1年間の登庁日数という2006年のデータがある。

http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50360161.html

 これによれば、登庁した日数が130日と少なく、かつ登庁した日でも在庁時間4時間未満と短時間しか勤務していない日数が69日と半ばを越している。週2-3日勤務の都知事ということで非常に批判された。そのせいか、その後のデータは、ウェブで見る限り公開されていないようだ。*1

 それから5年以上経ち、勤務状況や体調が改善しているとは思えない。歩き方がすり足で年寄りっぽく、表情は緊張すると顔面神経痛になり、おかしくも面白くもない所でやたらにやけ、質問への返答は遅く、しかも相手を馬鹿にして自分の言いたいことばかりを主張する。典型的な高齢者唯我独尊症状だ。彼の言っていることには理解できないことが幾つかある。例えば、25日の記者会見で、橋下大阪市長の「維新の会」との選挙協力について問われた時に、「連携、連帯」はあり得るが、「連合」は未だだと答えたが、これらの違いについては説明してもらわないと判らない。

b) 高齢者の周りには高齢者が集まる。石原新党に参加すると名乗りを上げたのは、「立ち上がれ日本」の平沼赳夫(73歳)、園田博之(70歳)、藤井孝男(69歳)と年寄りばかりだ。この人たちが日本の政治で何かをしたいということなら、政界での長年の活動歴の中ですればよかった。今までできなかったことが同じメンバーで、これからできるようになるとは思えない。特に石原都知事は、14年前まで国政に関与し、運輸大臣も務めた。それほど国政を憂えていたなら都知事の4期目に立候補することはなかったろう。

c) 石原知事の都政での失政が多い。代表は「新銀行東京」だ。当初から破綻すると思われた事業に1000億円もかけて進出し、行き詰ったら更に都税400億円も注ぎ込んだ。銀行への外形課税導入も失政だ。結局は高裁で敗訴し、税収の増加は実現できなかった。

 尖閣列島の購入問題もおかしい。結局は国の購入となったが、お蔭で在中国の日本人、日本企業に被害が出、日中関係への亀裂は今も続いている。その発端を作った政治家として責任を感じているかと思うが、多分本人は日中間の亀裂を奇貨として事を起こせばいいぐらいの考えであろう。とても我が国の行く末を託せる政治家とは思えない。

 私が石原都知事の業績の中で唯一評価するのは、昨年、東日本大震災がれき処理の受入れを即決したことだ(他の自治体が酷すぎるとも言えるが)。

d) 25日の記者会見では、他人の悪口ばかりを言っていたが聞きづらい。悪口の中には的外れのものもあり、私は当人の不勉強が多いと推測する。

 中央官庁への悪口は特に多く、会計方式、文部省ゆとり教育厚生省保育園の基準等に及んだ。会見の概要を読んだが、具体的な問題点が判らない。直観的に不勉強な人だと思う。多分都の役人が国のせいにしている部分があるのを鵜のみにしているのだろう。

 例えば、会計方式については、国の会計は複式簿記を採用していない、バランスシートを作らないから問題だとしているが、私は問題はそのことではないと思っている。知事が言いたいのは、官僚が国の資産を隠すためバランスシートを作らない、本当はその資産を処分すれば必要な財源が出てくる筈だということだろう。しかし、国の資産は、企業の資産と異なり自由に処分できるものではない。また負債も正しく計上できるものではない。例えば原発事故被害の責任は事業会社だけではなく、政策的に推進した国にもあるのは当然だが、その負債の額を正しく計上できるものではない。それから職員の退職金引当金などは多くの独立行政法人のバランスシート上に素直な形では計上しないことになっているが、これを計上すると負債超過になるからではなかろうかと私は思っている。ということで国の財政状況は本当に悪いと私は思っている。

e) 言葉遣いがおかしい芥川賞も受賞した大作家に言っていいことかと思うが、例えば、上記の会見で、次期都知事について問われた時、「(都知事は)猪瀬(副知事)さんで十分」と答えている。「○○は××で十分」と言ったら、○○も××も貶めているというのが普通の語感だろう。本当に日本語を知っている人なのだろうか。「老い」のために、遠慮が無くなり、言葉が貧困になったのだろうと思う。

2) 週刊朝日の記事を巡る論点

 10月26日号の週刊朝日(10月18日頃発売)に掲載された「ハシシタ 奴の本性」に対する橋下市長の記者会見が18日(木)に行われ、市長は、朝日新聞出版(週刊朝日を発行)と親会社の朝日新聞社の取材を拒否するとした。これに応え、翌19日には、朝日新聞出版(朝日新聞の100%子会社)と朝日新聞社が謝り、翌号以降に予定していた連載を中止した。ウェブ上等で問題点とされていることを私なりに次のように整理してみる。

a) 記事の内容面の問題 (特にa-1、a-2は、橋下市長の主な主張)

a-1) 橋下市長本人のことを議論するならともかく、父親その他親族の過去を暴こうとしている。また、政策のことを採り上げないとしているのはおかしい。

a-2) 記事は、市長は人格異常者であることを明らかにするために、市長の血脈を徹底的に調べるとする。これは、人間の本性が血脈で決定されるとの観点に立つ危険な思想で、その結果、市長の子や孫も人格異常だと断じることになる。

a-3) 市長の父親が被差別部落出身者であることを批判的に暴露しているが、その差別意識が問題である。

a-4) 市長の父親が暴力団であることを述べ、これにより被差別部落暴力団を同一視させるように読者に思わせる。

a-5) 父親の出身地として、大阪府八尾市内の被差別部落の地名を記載している。

b) 橋下市長の反論の仕方の問題 (一部の識者の指摘)

b-1) 本来は、記事の執筆者である佐野眞一氏に反論すべき。週刊朝日の出版社更に朝日新聞を責めるのは、大組織を攻める、いじめるという発想でおかしい。特に朝日新聞は、編集権が異なっているから(報道の自由の面から)おかしい。(市長は、子会社が勝手なことをやらせて親会社が責任を取らなくていいというのはおかしいと反論)

b-2) 記事への反論だけでなく、朝日新聞まで取材拒否をするのは論理的でも正当でもない。すなわち、親会社を通ずる言論統制と、朝日の読者の知りたい権利の阻害とも考えられる。

b-3) 橋下市長のツイッター等での一方的、かつ執拗な敵対的言動は異様(後述)。

c) 週刊朝日朝日新聞の卑屈な屈服 (一部の識者の指摘)

c-1) 橋下市長のルーツを扱い、かつ被差別部落のことを採り上げるなら当然予想される反発である。それに対して直ぐ謝罪するのはおかしい。

c-2) 連載中止は屈服で不適当。

3) 週刊朝日の記事を読んで見た

 私は、少し遅ればせながら、問題の週刊朝日を探したが、書店では既に無く、電子書籍でもその号は販売停止となっていた。しかし、ウェブを探せばあるもので、あるブログで記事をスキャンしたものを見つけた。それを読んで、上記に指摘されている問題点との関係でポイントを述べる。特に関係しそうなところは,できるだけ原文を記載した。

 リードは、「彼の本性をあぶり出すため、・・・彼の血脈をたどる取材を始めた」と刺激的だ。しかし、血脈が全てを決定するとの(市長が言う)危険な「血脈主義」とまでは、ここだけでは言えないと思う。

 「初めに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証する積りはない。橋下にはこれといって確固たる政治信条があるわけではない」というのは、a-1)後段の批判の根拠だろう。しかし、「確固たる政治信条が無い」と判断すれば、市長の政策を分析しなくてもおかしなことはない。「もし橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下家の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」 私としては、ほぼ同感である。

 市長の父の縁者の話として、「(徹の)父は、八尾市のA地区*2の生れで、同地区には被差別部落がある。父はヤクザ組織に入っていて、全身に近い入れ墨をしていた。自殺する5時間前に会ったが、麻薬で頭が狂っているような感じだった。父の弟と愛人との間に生まれた子が金属バット殺人事件をやった。」 筆者はここで、「橋下徹の周りには修羅が渦巻いている。・・・中上健次の世界だな、と思った」と述べる。

 私は、ここまでの所ではそれほど決定的に悪い記事だとは思えない。表現にやや刺激的な所があるのは認めるが、これまでの所、血脈が全てを決める「血脈主義」の立場とは思えない*3。ある権力者の本性を明らかにするためのルーツ探しの一端であろう。問題は、今後の連載の中で何が明らかにされていくかであると思う。

 翌週発行の週刊朝日に掲載された謝罪文では、「同和地区を特定するなど、極めて不適切な記述が複数掲載された」としている。別の報道では、著者の佐野眞一氏は、週刊朝日の検証があるので今はコメントしないとしつつも、同和地区の名前を書いたことについてのみ不適切だったとコメントしている。

 橋下市長の反論は凄い。記者会見もそうだが、ツイッターも量が多いし、過激だ。ユーザー名「@t_ishin」で検索すると市長の顔写真が付いているからすぐ判る。10月18日から1週間の書込みは膨大だ。あるまとめログによれば(http://twilog.org/t_ishin/asc )、同ツイッターのつぶやき件数は、18日82件、19日77件、20日38件、22日88件だ。この間は殆ど全てが週刊朝日の記事関連で、また殆どが本人の発信だ。市長に反論したくても、これで批判されるかと思うとフォロアーの多さ(約88万人)も考えて、心が萎えるだろうと思う。

4) 感想

(地方の首長から首相へ)

 石原知事と橋下市長は、たまたま地方自治体首長*4から国政のトップを目指している面で共通点がある。

 両人は、反対者を攻撃する、中央官僚を罵倒するという面で共通点があるが、これは首長地方自治体の職員との関係が原因の1つではないかと推察する。地方自治体首長は住民の直接選挙で選ばれることがその権威の源泉であり、議会に対しても、自治体職員に対してもその地位は格段に上である。人事権を握られた職員にとって、住民のサーバントであるよりも、住民から直接付託された首長のサーバントであるという気持で、4年単位の任期の首長に接していると思う。

 このような中では、首長の方でよほどの自制が無い限り、首長への批判者はいなくなる。また首長がよほど勉強しない限り、行政の真の課題、問題点は見えてこない。首長トップダウンで政策を実施する場合も危険は多い。職員は、往々国の制度の問題点(それが完全な間違いではないことが実際多い)を指摘することで責任を逃れようとする。地方自治体には、指示待ち、思考停止の職員が多いと思う。私は、中央官僚が全ていいと言う訳ではないが、単なるトップダウンではなく、少なくとも諸般の利害の検討、調整を行いつつ、政策を立案検討していると思う(地方との差は程度問題かも知れないが)。

 地方の首長が国政のトップになった場合、従来のトップダウン方式ではデッドロックに行き当たる。官僚から説明される諸般の利害の調整問題、国会の質疑(地方と違い、首相国会で指名される)、マスコミの糾弾等、その厳しさは、地方レベルとは比較にならない。私は現在の国の仕組がいいとは思っていないが、地方の甘いチェックシステムの中で刺激的な言動を続けている話題の2人の首長が、国政に登場するのには大きな危惧を抱いている。

(他のマスコミの反応)

 他のマスコミ、特に週刊誌が余りコメントしないのは不思議だ。新聞(日経)では単に事実関係の報道でコメントしていない。ウェブ上でも新聞の記事としてのコメントはあまり見かけない。

ウェブ上での識者のコメントは、当初上記のb)、c)等多彩であったが、朝日側が謝罪して、橋下市長が完勝に終った後はあまり見かけない。週刊朝日は26日には編集長を更迭するまでして屈服した。テレビではあるキャスター(木村太郎)は、部落問題を取り上げたのが問題だとしていて、この部落問題については、如何にタブーとされているかが判る。今週の木曜(25日)に発売の週刊文春週刊新潮もその新聞広告では、見出し記事としては無いのには驚いた。

 このように、マスコミではこの問題は、既にタブーになっているようだ。理由は、部落問題か、橋下市長の恫喝的姿勢のせいか。私は、部落問題を言い訳にして、橋下市長に屈服しているような気がしてならない。

 マスコミとは言えないが、Wikipediaの「橋下徹」の項に、この週刊朝日の問題が全く取り上げられていない(28日朝時点)のは不思議だ。Wikipediaは、一般に相当迅速に最新情報を取り込む。テレビで誰かの死亡のニュースを見て、Wikipediaを見ると既に更新されていることが多くてびっくりする。マスコミを代表に、みんなでこの事件を黙殺しているように見える。

 ちなみに、このWikipediaの記事は膨大だ。ハシモト姓の由来についても次のように触れている。

 橋下の母は次のように語っている。「あの子が生まれた時点で、向こう(橋下家の人々)との因縁を断ち切るつもりで、ハシシタ姓をハシモトと変えたんです。向こうの親たち(橋下徹の祖父母)は、反対しました。けど、橋の下を歩むようなイメージの苗字はどうか。この子は、橋のたもとを注意深く生きていくように、と願って変えました。だから、ちっちゃいときから、あの子はハシモト。その意味は当人もよく知らないはずです。」

 週刊朝日の記事のタイトルで使われている「ハシシタ」について、市長を不当に蔑む意味で著者がねつ造した読み方だとの趣旨の批難があった。しかし、「ハシシタ」のタイトルの意味は、市長のルーツ探しの一環であり、その事情は次号以下の連載で明らかにされる筈であったのだろう。

 私は、橋下市長のあのような言動の背景についてはあまり知りたいとは思わなかった。しかし、国政のトップを目指す人ならば話は別だ。佐野眞一氏が、週刊朝日とは別に将来出版することを期待している。

*1:余談だが、私がかつて勤務していたオフィスの近くを歩いていたら(2008年頃の平日の午後2時ごろ)、石原都知事が1人、車(公用車ぽい)から降りて小さなビルに入って行くのを見た。車は、ビルの次の角を曲った霊友会の本部ビルの中に入って行った(駐車場替わりか。ちなみに同氏と霊友会との関係は有名)。知事が消えた小さなビルの案内板を見たら最上階に「石原事務所」とあった。ウェブで調べると、ここで盗難事件があったとの記事があり、これは石原都知事の個人事務所らしい。http://matinoakari.net/news/item_24525.html 西新宿の都庁からは相当遠いし、真昼間に何をしていたのだろうと興味がそそられたが、当然私には判らない。

*2:記事では具体的に書かれているが、後述のとおり著者の佐野氏が不適切だったとしているので、私も書かないことにした。

*3:「血脈」とは、佐野眞一の著書のタイトルでよく使われている。商標みたいなものだ。私は読んでいないが、「小泉純一郎―血脈の王朝」 (文藝春秋社、2004/11)、「鳩山一族 その金脈と血脈」 (文春新書、2009/11)

*4:余談だが、近年、少なからぬ政治家や評論家が、テレビや、より公的な場でも、首長を「くびちょう」と発音していることに違和感を覚える。正しくはもちろん「しゅちょう」で、「くびちょう」は、印刷物の読合せ校正の際に便宜的に使うものだろう。「市長」と聞き間違えられる可能性があるからと言われるが、「くびちょう」を広辞苑で調べると、「首帳」−戦場で討ち取った敵の首と討ち取った者の氏名とを記した帳簿−とある。公式の場では正しい日本語を使ってほしい。

2012/10/20 (土)

[]無線LANスイッチのアイコン

 今週ある事務所でパソコンのLAN設定の修復をすることになった。修復に1時間半ほど掛かったが、その原因はアイコンの形からくるものだった。無線LANがこれほど普及してきたことからもう少し標準化が図られてもいいと思うが、以下その顛末を紹介する。

(パソコンがネットに繋がらない)

 私事ながら、この9月から1週間に1日程度、下北沢のある事務所でボランティア的な仕事の手伝いをしている。今週行ったら、その事務所のノートパソコンが1台インターネットに〓がらないとのこと。私が先週使った時には動いていたものだ。

 あいにくパソコンにすごく詳しそうな人がその日いなく、ある程度詳しい人がやってみてもうまく行かないとのことで、それを受けてそれほども詳しくない私がやってみることになった。先ず、有線LAN無線LANかと事務所の人に確認したら有線だと自信ありげに言う。それでLANケーブルの配線をチェックしたりしたが、うまく行かない(これで30分以上ロス)。そのうちにある人がパスワード等をメモしたノート(これは紙のノート)を見せてくれた。パスワード等自体は、その先に見ていた別メモと同じで価値は少なかったが、そのノートに「無線LAN」と書いてあるのでがっくりした。有線か無線か判らないほどに、(私も含め)素人の集まりだ。途中ではLANケーブルを買いに行こうかとの案を出す人もいた。

 無線LANとなれば、事務所内の他のパソコンがネットに繋がっているから、このパソコンの無線LAN機能がオフになっている可能性があり、先ずそのチェックをしなければならない。素人ながらマイホームでの無線LAN歴9年の私の経験からだ(弊ブログ「ネット環境の完全無線化」参照 id:oginos:20120408)。ところが、無線LAN機能のオン・オフをするスイッチが見当らない。私が今まで見たノートパソコンでは、このスイッチはキーボードの前面か側面に付いているが、このパソコンではスイッチもインジケータも見当らない。

 このパソコンのブランドはFRONTIERとあるが(後述)、マニュアルも事務所には無いし、マニュアル・ファイルがパソコンの中に入っているかと探したが無い。ネットが活きている別のパソコンでFRONTIERのHPを見たがよく判らない。

(無線LANスイッチの発見)

 別のパソコンを使い、バッファロー(無線LAN機器等のメーカー)のHPで調べて見ると、パソコン側の無線LANスイッチには、筐体の前/側面に付いているものと、ファンクションキーで操作するものとがあるとのことだ。ファンクションキーで操作するとは、キーボード上の最下段(普通左側)にある「FN」キーと、キーボードの最上段に並んでいる「F1」から「F12」までのキー(ファンクションキー)のうちの1つとを同時に押すことを言う(「ホットキー」の一種)。

 このホットキーの可能性については、途中で試みようかと思ったのだが、そのファンクションキー上のアイコンが理解できなかったので、試みていなかった。しかし他に方法が見つからないので、一番怪しいアイコン(図の6型)が付いているF8(F7だったかも知れない)キーとFNキーとを押した。すると、筐体前面に並んでいるインジケータ類の中で同じアイコンが付されたインジケータがおずおずと点灯した。これで無事ネットに繋がった。

 ではパソコンに繋がっていたLANケーブルは何だったのだろうか。プリンターを共有するLANに繋がっているのかも知れない。今度行った時に確認してみよう。

 ちなみに帰ってから自分のパソコンの無線LANスイッチを確認したら、同じようなホットキー方式で、F8キーを利用するものだった。同キーに付されているアイコンは普通のものだ(次項で説明。図の1型)。

(無線LANスイッチ、インジケータのアイコン)

f:id:oginos:20121020093708j:image:w360:right

 翌日、(下駄履き感覚の距離にある)近くのコジマ電気に行って、各社のパソコンの無線LAN用スイッチないしそのインジケータの場所とアイコンの図像を調べてきた。店では各パソコンの側面などばかりを覗いていたので少し異様だったかも知れない。平日の昼間なので客は少なく、店員が何人か寄ってくるので、適当にごまかしつつ、ざっと見た。FRONTIERは無かったがこれは予想通りで、店員に聞いたが、やはりヤマダ電機系列のものだから置いてないということだ。BTOパソコン(後述)では、マウスコンピューターのものがあった。

 このコジマ電気でのざっと見に加え、ウェブをいろいろチェックした結果の報告だが、無線LANのスイッチやそのインジケータに使われているアイコンは概ね6種類に分かれる。ウェブから写真を抜き取って別図にまとめた*1。大体このような部分の写真を鮮明に載せているページは殆ど無く、残念ながら不鮮明な写真ばかりだ。それから、前述のようにざっと見たものなので、抜けがあり得る。

1型 一番多い。このタイプの変形と見られるものも多い。

2型 普通で、多少変形したものもある。1型、2型とも電波アンテナから送受信される様子が連想されて、(慣れれば)理解しやすい。

3型 携帯電話などでアンテナの本数で受信状態を示すアイコンに似ている。このように無線LANを示すものとしても使われる場合があるようだ。

4型 「wireless lan」と文字で書いてあり、英語を解する人には誤解が無い。

5型 NECのパソコンにある。これは我が家の家人のパソコンなので私としては馴染みが深いが、何の図像だろう。他のメーカーでは見られない。

6型 FRONTIERのパソコンで使われている。これは何の図像だろうか。無線LANを連想することは困難だろう。

 私がFRONTIERパソコンの無線LANスイッチを探すのに苦労したことが理解してもらえたかと思う。これだけ無線LANが普及したのだから、IEEEも技術仕様だけでなく、アイコン標準化してほしいと思う。ちなみに同じ無線のBluetoothでは、アイコンは見事に統一されている(図像は省略)。

(BOTパソコン)

 このようなマイナーな(?)無線LANアイコンを使っているFRONTIERとは何か。私も直に触れてみたのは初めてだ。調べると、FRONTIERとは、通称「フロンティア神代(こうじろ)」社のブランドで、同社はBTOパソコン(Built to Order。注文に応じて作るパソコン)の老舗とのことだ。

http://www.frontier-k.co.jp/index.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/KOUZIRO

 Wikipediaの同ページによれば、同社は、1981年に山口県柳井市*2コンピュータ販売を開始し、1993年からオリジナルブランド「FRONTIER」シリーズを発売した。2004年にヤマダ電機の子会社となり、社名を「KOUJIRO」に改めた。コスト・パフォーマンスで定評があるとのことだ。

 BTOパソコンについては、素人の私としては近づきがたく、あまり知らなかったが、次にあるように、相当のメーカーがあって中小企業も頑張っているようだ。ちょっと怖いが私も次のパソコンを買う際には検討の対象に加えようかとの気持になった。

http://btopcraking.web.fc2.com/

(余談、iPhone5マニュアルが無い問題)

 FRONTIERは、事務所にマニュアルが無くて困ったが、ウェブで見てもマニュアルが載っていない。マニュアルが無いことでは、家人が先月(9月)に発売早々のiPhone5を買ったが、これは本当に最初から紙のマニュアルが無い。

 iPhone5を買ってから1週間ほど経って、使っている家人が電話やメールの着信音が鳴らないと言う。電話機の中の設定等を開き、音量を大きくしても駄目だ。私はウェブでいろいろ調べ、iPhone5の基本的使い方という動画を探し出した。この動画で、着信音のオンオフは電話機の左側にあるスイッチで行うということが判った(ワンタッチでできるので、音を直ぐに消したい場合には、知っていれば便利だ)。こんな基本的な使い方は冊子のマニュアルを作って書いておいてほしいと思う。動画だと目的とする項目を探し出すのに時間が掛かる。

 最初から当惑したのは、数年前にiPadを家人が買ったときだ。電源を入れても、画面に矢印が出るだけで、何処に触れても開かない。この時もウェブをいろいろ探して見つけたのは、あるブログだった。そこには、幼児にiPadを与えてどうするかを観察していた記録が出ていた。幼児は数回触ったあと、矢印に従い、指を画面上で滑らすことを発見したとのことだ(この操作は、スライドやドラッグという)。私は、iPadを触っていただけでは発見できず、このブログを読んで初めて知った。大人が幼児に負けるという笑い話だ。

 しかし私は、少なくとも基本的な使い方、望ましくはできるだけ多くの使い方を記載した紙のマニュアルを用意して商品に添付してもらいたいと思う。アップル社の方針は不満だ。使い方を発見する過程での(私のような)大人の時間の無駄は大きい。

*1:参考までに、この図の作り方を説明する。複数のダウンロード写真からアイコン部分を切り取って、文字のキャプション等をつけなければいけないので、Wordで編集するのが便利だ。しかしWordファイルは、ブログの添付ファイルにはなるが(見にくい)、本文には張り付けられない。それでWordファイルを写真などのjpegファイルに変換したい。そのためのソフトを探したら無料の「CubePDF」というのを見つけ、これを使ったが便利だった。なお名称はPDFだが、jpegファイルなどにも変換できる。

*2:余談だが、柳井市といえば、1974年4月から1年間放送されたNHKの朝の連続ドラマ鳩子の海」の重要な舞台だった。私は当時たまたま出張で、柳井から松山(三津浜)にフェリーで渡り、意味なく喜んでいた。同ドラマのあらすじは全く覚えていず、Wikipediaにも出ていないが、次で見つけた。http://hon-yuuki.com/2008/03/post_4.html

2012/10/14 (日)

[]ヘモグロビンA1c値変更の混乱

 この記事は、1月の弊ブログ(「ヘモグロビンA1c値の変更」 id:oginos:20120129) の続編。予想した通りの混乱が現場で生じていることの紹介だ。以下、前回の弊ブログの簡単な紹介、私の担当医の変更の経緯を踏まえ、今回の小さな混乱を述べる。

(前回の弊ブログのポイント)

 糖尿病診断の検査指標値であるHbA1c(ヘモグロビンA1c)値は、本2012年4月から国際標準に適合させるため改訂される。区別するため、旧基準はHbA1c(JDS)、新基準はHbA1c(NGSP)と当分の間表記される(JDS日本糖尿病学会、NGSPは米国の組織だが詳細不明)。換算式は、NGSP値=JDS値+0.4

 私の当時のコメントは、糖尿病学者が国際学会などで発表する(論文執筆を含む)場合には、国際的に標準化されている指標を用いないと不便であるのは理解できるが、診療の現場では、患者や医師に多大の混乱を生ずるのではないかということだった。しかも、今回の改訂は、0.4の差だけで本質的な違いは無い。

(私の担当医の変更)

 この3月までは、勤務先と同じビル内にある診療所で、非常勤の糖尿病専門医の診療を2−3か月に1度程度受けていた。4月からの退職に伴い、住居の近くにある開業医の看板に糖尿病科との表示も出されているのを見つけ、先の診療所から紹介状をもらって替えることとした。既に貰った投薬も切れたこの6月から新たに通院を始めた。1か月に1度くらいの頻度で定期検診を受けている。この医院にはHbA1c測定器というのがあって、耳たぶから瞬時に微量の血を取り(穿刺採血)、5分ぐらいで検査結果が出てくるので簡便だ(3月までは、腕からの採血を外部検査機関に出して2-3日後以降に結果を聞きに行くので、診療所に2回行かなければならない)。

 A1c値は、3月以前より下った値が続くので、このHbA1c測定器で大丈夫かと若干の疑念を抱きつつも一応安心していた。更に、薬もジェネリック薬品に変える処方として貰い、4割ほど安くなった*1。また、糖尿病連携手帳というのを作ってくれて、毎回の数値とグラフを書き込んでくれる。今までは自分で記録していたので、便利になった。

(表)HbA1c値の変化

2011年以前2012年3月6月7月8月10月
HbA1c (JDS)旧基準6.5前後(6.0~7.0)6.9
HbA1c (NGSP)新基準(6.9前後)(7.3)6.66.56.76.3(注)

(注) ・2012年3月以前は、検査機関に外注されている血液検査によるもので、6月以降は、診療所に設置されたHbA1c測定器による耳たぶ穿刺採血によるもの。

・検診間隔は1か月強で、9月の検査値が無いのはそのため。

・10月の検査値については後述。

(10月の健康診査による採血検査)

 世田谷区では、1年に1回、健康診査(本人負担500円)をやっているので、新しい担当医の診療所でこの診査をしてもらえば、定期糖尿病検診1回分の検査費用が節約できる。それで10月の定期糖尿病検診は、久しぶりに腕から採血してもらった。

 検査機関からの検査報告が出る数日後に行ったら、検査結果は新基準で6.3という好成績だ。旧基準のJDSに換算すると5.9という(私にとっては)夢の5台で感激ものだ。やはり退職してからはストレスが無くなったのでこのように改善したのだろうかと、先生と分析したりした。ただ、検査機関からの報告書の患者用のものが紛失したらしく見当らないので、見つけたら渡してくれるということだった。

 それで2-3日後に見つかったという連絡があって、看護婦さんが検査報告書をくれた。かねて本当かと気懸りだったので、確認して見ると、HbA1c値には、JDSとNGSPと2欄あって、「6.3」は、JDS欄に記載してある。NGSP値に換算すると6.7だ。翌日先生の所に聞きに行くと、転記ミスでしたと謝り、(しぶしぶ?)糖尿病連携手帳の数値を書き直してくれた。

 次の気懸りは、6月から8月までにNGSP値として記載されていた値も本当に新基準なのかだ。問い質してみたが、それは間違いないとのことだ。まあ、多分間違いないのだろうが、この0.4の新旧基準値の違いによるミス、混乱は医療現場では相当生じているのではないかと思う。

 話は変るが、本人や家族ががんなどの重病に罹ると、医学関係書を読みあさるという人のことをよく聞く。私の知人でも奥さんをガンで亡くした人がいて、自費出版された看護手記を読ませてもらったことがあるが、よく医学関連書を読まれていて、その研究熱心さに敬服した。その研究熱心は、病気をよく理解するとともに、医者の言うことをよく理解するためのものであったろうと思っていた。しかしひょっとしたら、医者が間違ったことをしている、言っているかも知れないという医者への疑念と不信からということもあるかも知れないと思うようになった。

 最後に、私のヘモグロビン値の推移の修正版を示す。6月以降は横ばいという所か。

(表)HbA1c値の変化(修正値)

2011年以前2012年3月6月7月8月10月
HbA1c(NGSP)新基準(6.9前後)7.36.66.56.76.7

*1:3月までの診療所は院内処方、6月以降は院外処方との違いがあるが、60日分処方(薬は3種)で比較する。3月までの先発医薬品は1,676点、6月からのジェネリック医薬品は薬局では1,013点、医院での処方箋代が135点の計1,148点。医薬品代だけの比較では、1013÷1676で60.4%。院外処方の処方箋代を入れると、1148÷1676で68.5%となる。なお、何れも1点10円、本人負担はその3割。

2012/10/07 (日)

[]東京ステーションホテル復元

 今週3日(水)に、また東京駅に行った。先日の弊ブログ(「東京駅赤レンガ駅舎復元」 id:oginos:20121002)でも述べたように、東京ステーションホテルの再オープンの日だ。私は決して「初日マニア」ではなく(1日の駅舎オープンに続いてなので、信じてもらいにくいかも知れないが)、今回もたまたまの機会があったからだ。かねてこの日は、千葉県幕張メッセで開催されているCEATEC(最先端IT・エレクトロニクス総合展)を見学し、セミナーを聞きに行くこととしていて、登録をしていた。ところが、メッセのある海浜幕張駅へ行くには乗換駅として東京駅を通ることに気付き、またステーションホテルのオープンの日であることを思い出し、途中下車した次第だ。f:id:oginos:20121003211713j:image:w360:right

 前回の弊ブログで述べた、ステーションホテルに対する私の印象(事前のテレビ報道に基づく)は、「眺望の悪さと狭い廊下」だ。それなどを可能な範囲でチェックしていこう。

(駅からホテルを見る)

 先ず、電車で到着した中央線のホームは駅の3階の高さだが、これはホテルの3階にほぼ相当する。ホテルの3階の客室からは中央線ホームしか見えず、ホームに屋根があるから遠くも望めない。中央線ホームの下の2階部分は、3階から1階への直行エスカレーターだから、ホテルの2階の部屋はよく見えない。2階の客室からは何が眺められるのだろうか。駅の1階は通路で、ホテルの1階に面しているが、窓は無さそうだ。

 写真は、中央線のホームからホテルの3階側を見たものと、駅の1階の通路からホテルの裏側を上向きに見たもの(私の未熟のせいで、この写真は縦が横になっている。右側が上と理解してほしい)。f:id:oginos:20121003110418j:image:w360:right

 後で触れるが、丸の内南口の2階の回廊に、丸の内赤レンガ駅舎の模型がある。写真はぞの前面と、私が苦労して撮った裏側だ*1。この裏側を見ると、1階は窓無しで、2階、3階には窓がある。2階の窓からは本当に何が見えるのだろう。

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(駅舎とホテルの位置)

 駅舎の構造とホテルの位置を簡単に説明する。丸の内駅舎は、各路線が南北に走っているのに沿って、南北に長く、その西側(皇居側)の改札口は北から、丸の内北口、丸の内中央口、丸の内南口と3つある*2

ステーションホテルは、この駅舎の中で、丸の内中央口から丸の内南口を経て少し南東側に曲った方向に延びている。ホテルのメインエントランスは、中央口と南口の中間辺りにある。客室(150室)は2階、3階で、レストラン、宴会場等の施設が1階、地下1階、2階(一部3階)にある。

(ホテル内ミニ・ツアー)

 丸の内南口から2階に上がると、南側にレストランなどがあり、南口ドームに面して回廊がある。回廊から北に向かうドアには宿泊客以外立入禁止とある*3。その回廊に前述した駅舎のモデルがある。1階にまた降りると、南口ホールの北側に、小さくて判り難いが、ホテルへの入口がある。立入禁止とは書いてないので入っていくと、ホテルのエントランスに通じる狭い通路で、混雑していた。通路に沿ってロビー・ラウンジがあって、それも混雑していた(開業初日だから当然か)。

 ホテルのエントランス・ロビーは狭く、ソファー類が無い。到着出発時にくつろげないし、待合せにも使いにくい。エントランス・ロビーの隣に前述のロビー・ラウンジがあるが、コーヒー・紅茶が1250円からと、禁止的に高い。東京駅丸の内口では手頃な喫茶店が無いことを再確認した(前回の弊ブログ参照)。

 レストランや宴会場に行く時は、ホテルのエントランスからではなくて、場所を調べて直行した方がいいだろう。

(その他)

 レストランやバーが幾つかあるが、フレンチ・レストランの「Blanc Rouge」という名前に感心した。これは仏語で「白、赤」の意だが、駅舎の外壁が赤レンガに白の縁取りをしてあることに因んでいるのだろう。更に、フランス国旗の3色「Bleu Blanc Rouge」も連想させて楽しい。

 最後にステーションホテルの話ではないが、前回の弊ブログで、丸の内南口の松屋デパートの小店舗について触れた。今回その中を除いた。10数人も入れば満杯の小さなスペースでアクセサリーや高級土産品の類しかない。改めて、東京駅丸の内口(南、中央、北)では、新聞、雑誌、チューインガムなどを買えないことを再確認した。飲料の自動販売機も無い(当然ながら切符の自販機はある)。

*1:模型のある台が少しでも前に出してあれば撮りやすかった。他に裏側を見ようとする人はいなかったが。

*2東京に詳しい人には、何をくどく説明しているかと思われるだろうが、何十年か前、新聞か雑誌の投書かコラム欄で、次のように当時の国鉄に信じられないクレームをつけている人がいた。「東海道本線で西から来て東京駅に降りると戸惑う。降りた前の方が北口で後の方が南口だ。実際の方角に合せ、それぞれ東口と西口に名前を改めてほしい」 余談だが、私は名古屋駅東海道本線中央本線の方向とホームの位置関係について、勘違いを続け、その勘違いの訂正が3回に渡り、30年掛けてやっと正しい理解に辿りつけた。私の勘違いの始まりは、名古屋駅のホームが東西に走っていると思ったことからだ。

*3:従って、前回ブログで述べた、客室前の廊下の狭さ、天井の低さは確認できなかった。

2012/10/02 (火)

[]東京駅赤レンガ駅舎復元

 かねて復元工事をしていた東京駅の丸の内赤レンガ駅舎がオープンした昨10月1日に(ステーションホテルの開業は10月3日)、見に行った。オープン日にわざわざ見に行くという趣味は無いが、たまたま田舎の兄が、同日パレスホテルで開催される催しに出てくるというし、数か月来会ってなかったので、同日昼に東京駅で会うこととした。丸ビル5階のレストランで東京駅が見える席を予約し、男2人で出かけた。

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 私はかねてC級の鉄道マニアで、東京駅も大好きだ。東京に出てきた1965年以降、東京駅に関する本も買って、出かけた。後述するが、原敬浜口雄幸の遭難場所を示すタイル銘を探して他愛なく喜んでいた。と言うことで、今回は楽しみに出かけた。以下、赤レンガ駅舎復元計画の概要、私のかねての違和感、次いで雑多な感想を述べる。

(赤レンガ駅舎復元計画の概要)*1

 東京駅ファンではあったが、赤レンガ駅舎の創業時への復元には違和感を覚えていた(後述)。話の前提として、戦後の改修後60年余を経た丸の内駅舎の再建については3つの立場があったことを説明する。すなわち、a)近代的な高層ビルへの建替え、b)戦後に改修した姿を維持した復元、c)1914年辰野金吾の建設当時の姿への復元だ。b)とc)との外観上の相違は、2階建てを当初の3階建てへ、南北ドームの八角屋根を球形ドームに復元だ。

 a)案はJR東日本の構想(1981年の計画では35階建て30万平米)だった。しかし反対運動もあり、1988年の政府決定では「赤レンガ駅舎は、・・・現在地で形態保全」となり、消えた。しかしb)案かc)案かについては「形態保全」というあいまい表現で先へ延ばし、結局1999年10月に、松田JR東日本社長との会談を終えた石原慎太郎都知事の「東京駅は創建時通り復元」との発表でやっと決着がついた。

 再建工事は2007年にスタートし、工事費は500億円。述べ床面積は43千平米。工事の概要は、次の鹿島JR東日本ウェブページにある。

http://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/data/index-j.html

http://www.jreast.co.jp/press/2011/20110906.pdf

(復元計画への私の違和感)

 私の感じていた違和感を分析すると次のとおりだ。

1) 丸ドームがいいと言う人たちの感覚がやや理解できない。この扁平なお椀のふたを逆さにしたような形の丸ドームは、世界的、歴史的にあまり例が無い。「世界のドーム建築」というキーワードで、グーグルの画像検索をしてみると、ドーム型球場のような現代の大型建築物を除いて、何れも半球部の高さが高く、大きい。東京駅のような扁平な形状は殆ど無い*2

 私に美的センスが欠けているからだろうが、あのもっこりした扁平お椀伏せ型形状にはかねて馴染めず、八角ドームもすっきりしていていいのではという感覚だ。懐古趣味以外に何か理念があるかと疑問を感じる。

2) 現在の1、2階の枠組を残し、地下構造に大規模な耐震工事をし、しかも電車の運行に影響が出ない形での工事ということで、非常なコストが掛かったのではないか(前述のとおり500億円)。懐古趣味だけに金を掛けることの意味が理解できない*3

 ちなみに、「東京駅復原反対論サイト」というのがある。 http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/index.htm

これは、上記のb)案を支持するサイトで、戦後復興の記念碑としてその姿を保全すべきという主張だ。なお、私は、このb)案でもいいし、新しく作るa)案でもよかったとの考えだ。

(雑多な感想)

 10月1日は、前述のとおり、丸ビル5階のレストラン(カサブランカ・シルク)の窓際の席でビールを飲みながら、新駅舎の外観を満喫した。その後、丸の内の南口から中央口、北口と回り、改札口から入って中も見てきた。幾つか感想を述べる。

a) ドーム内の装飾

 装飾を旧来通りに復元したとのことだが、懐古趣味以外のどういう意味があるのだろう。例えば、南北両ドーム内で昔通りの干支レリーフを復元したとのことだが、干支では詰らないと思う。また、南北両方が同じ装飾で、干支も同じで、折角のスペースがもったいない。新しいアーティストに新しい理念で創作してもらった方がよかったのではないかと思う。

 次は私が撮った北口と南口の両ドームの内部の写真だ。縮尺も違っていて下手な写真だが、装飾の区別がつかないことは理解してもらえるだろう。

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b) ステーションホテル

 ステーションホテルのオープンは未だだが、9月29日のNHKテレビの放送(「独占公開! 東京駅復活大作戦」、午後7時30分から)を見た。廊下が狭く、天井が低いと思った。多分昔のフレームに従ったためだろう。また、客室については、窓が狭く(縦に細長い)、眺望が悪い。考えてみると、3階建ての「超」低層ホテルだ。西側(皇居側)は通行人が歩いているし、通りを隔てた丸ビル新丸ビル等からも見下ろされる形で遠望される。東側(ホーム側)は3階の中央線ホームとほぼ同じレベルで眺望はよくない。ただ、南口ドームを望む部屋が幾つかあって、ドームと人の流れの眺めを楽しむことは可能だ。

 標準客室は約40平米のゆったりした間取りだそうだが、このような眺望の悪さと狭い廊下で大丈夫だろうか。都市中のホテルでこのような「超」低層階に部屋があるのは、安価なビジネスホテルとかラブホテルぐらいではなかろうか。JR東京の当初計画のように高層ビルに建て替えて上層階をホテルにすればもっと人気が出たのではと思う。

 とは言いつつも、私はこのステーションホテルは未体験で、1度は泊ってみたい。私のような人が多いせいか、ホテルの予約は好調で何か月か先まで埋っているそうだ。私は、ホームの電車が覗ける部屋か、ドームを望む部屋がいいが、高価だ。

c) 喫茶店とキオスク

 南北、中央口を見て気が付いたのは、喫茶店とキオスクが無いことだ。改築前は、確か南口に喫茶店があった(5-6字のカタカナ名だったと思うが覚えていない)が、昨日見た限りでは無かった。待合せや時間つぶしに不便だ。キオスクも改札の中に入ればあるが、外でもちょっと週刊誌を買いたい場合があろう。ただ、南口に何故か松屋デパートの小さい店が出ていた。中を見なかったが、週刊誌やチョコ菓子など売っているのだろうか。

d) 首相の遭難場所

 冒頭でちょっと触れたが、東京駅で遭難した首相が2人いる。1921年11月4日の原敬首相暗殺と1930年11月14日の浜口雄幸首相狙撃事件だ。事件の概要と駅内の場所について、詳しくは、http://murakumo1868.web.fc2.com/02-modern/02-001.html

 原敬の現場は丸の内南口で、今回の工事の囲いが撤去されて再度場所が確認できた。場所を示すタイル銘が埋められていて、私の上京時以来変っていない。ただ、何時からかその経緯を記したプレートが壁にかけられ出したらしく、私は今回発見した。

 浜口雄幸の現場は、今回の駅舎復元工事には関係ないが、併せて触れる。本来は4番線のプラットホームだったが、現在は構内の新幹線乗換え口の近くで、同様、場所を示すタイル銘と経緯を記したプレートがある。1965年の私の上京時には、新幹線が無く、このタイルの場所は、確か7-8番線のプラットホームに中央口から昇る階段の途中の踊り場にあった。

 何れも今回再確認できて懐かしかった。

e) プロジェクション・マッピング

 新しい芸術として、9月下旬にテレビでも報道されたプロジェクション・マッピングは面白い。次にYouTubeの映像のURLだ。東京駅の新駅舎の外観をスクリーンとした映像(CG)だが、プロジェクターを30数台使い、また駅舎の凹凸を巧みに活かした楽しい映像だ。

http://www.youtube.com/watch?v=f483N9EPj3M

 駅舎の中ではアーティストの活躍の場は無かったが、外部ではこのような素晴らしいものができた。

*1JRは「復元」ではなく、「復原」という言葉を使っている。

*2:私は、通常の大きな半球ドームならいいという訳でもない。ただ、丸ドームは、日本での建築物には合わないと思う。

*3:工事資金は、「空中権」という、余った容積率を周囲の他のビルに売却することで相当賄えたということだが、その周囲のビルの建築コストがアップしたことになる