Hatena::ブログ(Diary)

踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2012/12/30 (日)

[]知の逆転

 日経新聞書評で星5つが付いていた。星5つは「これを読まなくては損をする」の評価で、殆ど無い。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO49753630Z11C12A2NNK001/

 「読んで絶対に損しない」との評者のお墨付きもあり、買ったが、それほどではなかった。私の第1印象は、a)年寄りは頑固、b)登場した碩学6人はみんな無神論者のようということだ。以下若干冷かし気味に、1)本の概要、2)6人の生年等、3)年寄りの頑固さ、4)政治、5)宗教、6)インターネット、7)アカマイ社、8)その他について、散漫なコメントを述べる。6,000字強でやや長いがご容赦を。

1) 本の概要 

f:id:oginos:20121229142607j:image:w360:right

〇 ジェームズ・ワトソンほか、吉成真由美(インタビュー・編) 「知の逆転」(NHK出版新書、2012年12月10日第1刷発行)

 先ず、本の著者欄が普通でない。背表紙は流石にスペースが狭いので、標記のようにワトソンと吉成の名前しか出ていないが、表紙や奥付はフルメンバーで英語名も併記してある。

ジャレド・ダイアモンド Jared Diamond

ノームチョムスキー Noam Chomsky

オリバー・サックス Oliver Sacks

マービン・ミンスキー Marvin Minsky

トム・レイトン Tom Leighton

ジェームズ・ワトソン James D. Watson

吉成真由美(インタビュー・編) Mayumi Yoshinari

 単に「吉成真由美編」でいいだろうと思うがそれでは駄目なようだ。著作権は、奥付では、チョムスキー以外の吉成を含む6人だ。奥付の1つ前のページには、「チョムスキーとのインタビュー部分はチョムスキー著作権」と(英語でさりげなく)書いてある。複雑な権利関係を匂わせる。多分チョムスキーが普通でない主張をしたのだろう。

 内容は、吉成が他の6人に順次インタビューしていくもので、吉成は、更に長めのまえがき、あとがき、各インタビューの前の長めのイントロを書いている。単に「吉成編」でいいと思う所以だ。吉成の問題意識が明瞭なので、それぞれの対応の比較ができて面白いが、すれ違い的な議論もある。

2) インタビューイーの生年等

 編者(吉成)がインタビューした6人は、何れも理工系研究者で(チョムスキー言語学だが、その理論は数学がベースと言っていい)、5人が米国人(サックスだけが英国生れだが、米国に移住)。全員米国で現在も活動中のようだ。恥かしながらそのうち3人は、聞いたことさえなかった。6人の生年、生地等は次のとおり。

3) 年寄りの頑固さ、ないし懐古趣味

 レイトンだけは50代半ばと若いが、他の5人は、75歳から85歳と相当の年齢だ(ただインタビュー時は、2010年から11年なので1-2歳若い)。編者のまえがきによれば、何れも「敵が百万あろうとも、自らよって立つプリンシプルを曲げたりひよったりしない。」しかし、誠に僭越ながら、私にとってはかつて聞いた議論を再度聞かされている気がする。かつての立場を今でも固守し、他の見方を取り入れようとしていないのではないかという気がする。

 ダイアモンドは、世界は「成長の限界」に達しつつあるとの認識の下に、その対策として、全ての人々の生活水準を均一化することを提言する。そのため日欧米の生活水準を下げる必要があると首長するが、私としては、そのような理想論が今後実現する道は想像しがたい。

 チョムスキーは、米国帝国主義性を激しく非難する。例えばオバマ大統領については、話の仕方が上手で世界中を魅了したが、その政策は従来の米国政府と違っていないと厳しい。日本で言えば共産党社民党の主張を聞いているようだ。

 頑固とは言えないまでも、以下のように懐古主義的な意見も多い。

 ミンスキーは、1980年頃にコンピュータロボットの知能を上げる研究が開始された以降、数字データの統計的分析のみに偏ったアプローチが取られてきたとする。そのため、福島原発事故の際にはリモコン操作できるロボットが開発されていなかった。ドアを開けるというような現実的な問題解決型のロボットを作ってこなかったことを反省すべきだ。ちなみに、スリーマイル島原発事故の翌年の1980年に同氏が書いた論文では、リモコン操作できるロボットの研究の方向を示していたが、その方向は具体化していない。この30年間のブランクを取り返すため、1980年の位置に戻ってそこから再び始めることが必要とする。だが、人工知能の研究の歴史については、同氏も十分責任がある訳で、いきなり30年前に戻れと言われても戸惑う人が多いのではないか。

 ミンスキーは、また1952年ベル研究所でひと夏過す機会があった時、「30年もかからないような研究に手を出すな」とくり返し言われたと言う。今ではそれが「2年」になっていて、難しい問題に打ち込めるような時間と場所が極端に少なくなったと嘆く。しかし、例えば現在の日本では、研究開発の資金の出し手(政府等)から短期的成果が強く求められる。昔の良き時代のことを言われても困るだろう。

 ワトソンは、現在の大規模な生物学研究分野(ゲノミクス、システム生物学)に否定的だ。従来の博士号は、教師になるためのもので、その取得者は「考える人」を意味していた。しかし、現在の博士たちは、ハイレベルの「テクニシャン」(研究をサポートする人)に過ぎない。現在の大スケールの研究は多くのテクニシャンを必要とし、単なる操作をした人(テクニシャン)も含めた30人もの名前が連なった論文もある。これはおかしく、「個人」の概念を壊している。科学者は協調するよりお互いに競争する方がいい。何人もが一緒に働いていると、ベストの方法について皆の同意を得なければならない、総意は往々にして間違う。あくまで「個人」が際立つ必要がある。チームはせいぜいが2人だ(自分とクリックのように)。

 このように言われても、山中伸弥教授等が推進している最先端の大スケールのバイオ研究分野では困るのではないか。

 数年前に、ある中央官庁の局長がたまたまパーティで会った私にこぼしていたことがある。最近官庁の先輩(OB)の会合に呼ばれて政策の現状について講演をするが、先輩のコメントが実に腹立たしい。自分らの時にはこうした、こうできる筈だと言うが、政治、行政の環境、条件が全く変っていることを全く理解していないので、嫌になる。これからは呼ばれても行かない積りだ。この本の6人の碩学ほどの権威があるOB達ではないので、同じだと主張する訳ではないが、つい思い出してしまった。

4) 社会、政治に対する見方

 自分の理系の研究分野以外の社会、政治分野に大胆に言及しているのは、ダイアモンドチョムスキーだが、発言が前項でも一部触れたように相当過激だ。高齢のせいでもないかと推測する。

 ダイアモンドは、上述のように、世界は成長の限界に達しており、漁場は開発されつくされ、森林も伐採の限界に達していると言う。日米欧の生活水準の引下げがうまく行かない場合は、暴力的な戦いが避けられない。だが少し的外れと思われる指摘もある。例えば、日本を敵にする場合は、世界の森林を多量伐採によって荒らし、世界の漁場を多量捕獲によって荒らせばよい。森林資源、漁業資源を外国に依存している日本はそれにより滅びると言うが、論理が杜撰だ。それから、世界の人口爆発問題は自然に解決されつつあるというのもおかしい。生活が豊かになるにつれて、日本、欧州のように出生率が下っている、問題は消費の増加だというが、少しずれているのではないか。

 チョムスキーは、もっと過激だ。市場原理に従っている金融部門は繰り返し破綻し、そのたびに政府に救済されている。金融を始めとする民間ビジネスは政府による規制が不可避だ。これは少し理解しにくいが、チョムスキーの言いたいのは、政府の規制が無いと外部経済(自動車の場合の大気汚染、交通渋滞等)が価格に反映されない等の意味だろう。また、詳細は省略するが、2010年の医療改革は、保険会社製薬会社の意見が強すぎて不徹底になり、政府予算を破綻寸前にまで追い込むほどの医療費高騰を招いているとする。大学の私立化(米国バークレーUCLAに私立化の動きがあるとのこと)は大学を特権階級のものにすると非難する。

 両人とも論理に飛躍があるように見える(私が米国内の制度に不案内なせいもあるが)。自分たちの専門外の分野のせいか、自分の主張に沿わない事実に眼が及ばないのか、論理を追うのに読んでいて疲れる。

5) 宗教に関して

 編者からの「神を信ずるか」ないしそれに準ずる問に対する各氏の回答は次のとおり。

 ダイアモンドは、家はユダヤ教だが、自分は実践していず、また神の存否については議論しないことにしていると回答。しかしその後の宗教を巡る遣り取りは、彼の無神論的立場を示している。チョムスキーは自ら無宗教と述べる。サックスユダヤ教の家に生まれたが、信仰は持っていないと言う。

 ミンスキーレイトンとは議論がされていない。インタビュー項目とすることを拒否されたのではないか。ワトソンとも直接の話題にはなっていないが、ダーウィンの影響について「神が必要無くなった」と述べている。

 ということで神への信仰を述べた人がいず、却って無神論者であると自ら公言する人もいることは私にとって衝撃だった(私に宗教心があるという意味ではない)。米国などでは無神論者は信用されないと言われている中で、このようにその立場を明らかにしているのは普通でないと思う。高齢の故、社会の評判を気にする必要が無くなったからか、それとも日本人向けの本だからと気が緩んだからであろうか。

6) インターネットの評価

 インターネット集合知を生むか、集合愚を生むかというのが編者の問題意識で、明示的ないし黙示的にその意図を示して、各氏に問いかけている。概してインターネットには消極的なコメントが多い。一致しているのは、検索とWikipedia(初歩的知識に限る)の便利さだ。

 チョムスキーインターネットに対する見方は難解だ。インターネットは自由であるべきで規制は望ましくない。1995年にARPAネット(ないしNSFネット)が民間化されたが、完全に自由にしておくためには公的部門に置いておくべきだったとする主張は、私には判り難い。現代は大変細分化された社会なので、意味をなさない事柄でもサイバー上では人が集まってくる。このためインターネットは、カルトを生む土壌になるとする。

 サックスは、検索の便は評価するが、eメールには否定的だ。手軽なのでコミュニケーションのレベルを高くしていると思われるが、その実、ナンセンスや思慮の浅い思いつきを書きがちになる。自分はいつもペンでゆっくりと手紙を書くようにしている。ワトソンもeメールを使わないが、それは押し寄せる様々なチャレンジにただ対応することに時間を費やすのが嫌だからだ。

 ミンスキーは、SNS(ソーシャルネットワークシステム)について、専門家集団でない単なる小さな交流集団を作るものであるとして、その効果に否定的だ。かつての1970年代のARPAネットの時代は、これを通じてコミュニケートする相手はみんな相応の専門家で、非常に高いレベルの研究上の議論ができた。しかし、今のツイッターフェイスブックではあまり役に立つ批評は返ってこない、詰らない考えを持った人が余りにも多くて、ネットはそれほど役に立つものではなくなっているようだと言う。

 しかし、現代に生きる人にとってeメールを書かないことができるだろうか。インターネットは単なる検索の道具ではない。現代人にとっては研究の場であり、事業の場であり、生活の場である。若干の問題があるとしても、それを改善しそれと共存していかなければならない、社会のインフラストラクチャーだ。これらのインターネットに関するコメントは年寄りの繰り言とも感じられる。

 レイトンは6人の中で唯一インターネットを事業にしていることもあり、若いし、上記の人たちのような馬鹿なことは言わない。事業の内容は次項で紹介する。彼によれば、コンピュータの将来は、重厚型も含めて全て携帯型に移行し、そしてかなりの部分がクラウドの形態に移行する。そこでは情報通信量の限界とサイバー犯罪が大きな問題になろうと言う。

7) アカマイ・テクノロジー

 レイトンが1998年に、自分の学生だったダニー・ルウィン*2と一緒に創設した「アカマイ・テクノロジー社」は、今では世界で従業員3000人、売上高10億ドルの大企業に成長した。私も知らなかったが、「誰も知らないインターネット上最大の会社」とのことだ。

 事業の中身はCDS(Contents Delivery Service)と言い、世界中のプロバイダにWebコンテンツのコピーを蓄えたサーバーを配置し、ユーザーを最寄のサーバーにアクセスさせることで、コンテンツ配信を効率化・高速化するサービスだ(IT用語事典(http://e-words.jp/)。アカマイ社は既に9万台のサーバーを世界各国に置いている。レイトンは、n人のユーザーがいてm台のサーバーがあった時の最善の経路決定アルゴリズムを構築した。あるウェブサイトにアクセスが集中しそうな場合、アカマイ社の複数のサーバーにコピーを置き、ユーザーからのアクセスをそれらのサーバーに誘導する。2011年英国キャサリン王妃とウィリアム王子ロイヤルウェディングの時の映像は、全世界に何百万もの視聴者がいた。それで9万台のサーバーのうちの数千台にこのコンテンツをコピーして、アクセス集中を避けることができた。

 今では、主要なサーチ・ポータルサイト(グーグルヤフーなど)は全てアカマイ社を利用し、eコマースでは北米100社のうち96社がアカマイを利用している。日本は、北米を除いた市場で世界で2番目のアカマイの市場だ。

 レイトンは創業以来アカマイのチーフエンジニアリスト等として活動してきたが、2013年1月から同社のCEOに就任予定とのことだ。http://www.akamai.co.jp/enja/html/about/press/releases/2012/press_jp.html?pr=122512

 CDSやアカマイ社は私の全く知らない話だったが興味深い。ITには本当に夢があると思う。

8) その他

 本書は流石に面白いことが多く書かれている。冒頭に紹介した日経新聞の評者(竹内薫)は、12月30日の同紙の読書欄「回顧2012年 私の3冊」でもこの本をトップに上げ、「科学界の重鎮たちの考えを端的に知ることができるため、(900円の)本書はきわめておトクだ」としている。

 私はあと1つだけ紹介したい。冷かせない話だ。ワトソンは現在の科学者が忙しいことを心配している。

 しかしある時点で、今やっている実験は果して本当に我々の思考を変えることができるか、解きたいと思っている問題の解決になるのか、本来やるべき重要な実験の妨げになっていないかと問う必要がある。単にできるというだけの理由でやっているのではないか。多くの人は非常に忙しく立ち働いているけれども、深く考えずに、単にそれができるからそうしているだけだ。

 脳科学の分野でも全く将来性のない部分がある。でも多くの人がそれをやっている。(その理由は)それで忙しくしていられるから。どうやって本当に難しいことをやっていいか判らないから。

 私の人生は人並みに忙しかったと思うが、こう問われると本当に赤面する(研究者ではないが)。何の役に立ってきたのだろうか。

*1:レイトンの生年、生地は、この本にもWikipediaにも書かれていない。ただWikiに、1974年に高校のsenior(最上級生)、1978年にプリンストン大学卒と記載されている。http://en.wikipedia.org/wiki/F._Thomson_Leighton

*2:2001年の9.11世界貿易センタービルに衝突した飛行機に乗っていて死亡。

2012/12/12 (水)

[][]日本の右傾化

 今週月曜日(12月10日)に、米国のタイム誌(TIME)12月17日号が宅配された(通常の土曜日に比して何故か2日遅い)。表紙が日の丸で、タイトルが「日本の右傾化」、副題が「何故ここ何十年かで最も愛国主義的ムードなのか。何故それが危険なのか」。内容はともかく、日本がカバーストーリーになるのは、昨年の東日本大震災、今年の夏のロンドン五輪直前特集で女子サッカーなでしこ澤穂希選手*1以来だ。

 以下、1)タイムの記事の概要、2)各地域版のカバーストーリー、3)今回総選挙での投票等について述べる。

1) 日本の右傾化

 タイムの記事は、12月16日投票の日本の総選挙の話が主体だ。しかし、国内で話題になっている11政党もの乱立、3大争点(脱原発TPP消費税)については全く触れられていない。民主党凋落自民党が第1党との見込み、それから「維新の会」がひょっとしたら第2党という予想もあることをベースとして、話題はもっぱら自民党維新の会の愛国主義的傾向だ。

 維新の会の石原慎太郎代表の右翼的発言の紹介とともに、橋下徹代表代行(大阪市長)の「従軍慰安婦問題は無かった」との発言も愛国主義の表れとしている。「維新の会」は「Japan Restoration Party」で、「維新」の元来の意味へのメンションは無い。自民党選挙用キャッチフレーズ「日本を、取り戻す。」が「Restoring Japan」と訳され、維新の会の「Restoration」に似ているとからかわれている。

 自民党の方の安倍晋三総裁右翼振りの紹介もすさまじい。記事中の大きな写真は、10月の秋季例大祭の際に、モーニング姿で靖国神社を参拝する安倍総裁だ。尖閣問題への強硬発言、改憲意欲等も紹介し、2007年の首相退陣以来の再登場だが、よりタカ派になったと評価する。

 中国での右傾化も指摘する。総書記に選出された習近平の最近の発言「中国国家の復活(revival*2 )が近代以来の国民の最大の夢」や尖閣問題への対応がその表れとする。韓国大統領選の動向も併せて、日、中、韓のナショナリズムへの回帰が、東アジア情勢の緊迫化を招くことを懸念している。

 象徴的な若手として、維新の会から神奈川16区出馬した富山泰庸(とみやま よしのぶ、41歳)へインタビューしている。同氏は、ボストン大学、オックスフォード大学大学院ペンシルベニア大学大学院という米英の大学を卒業し、出馬の前までは吉本芸人として漫才をしていたという異色の履歴の持ち主だ。「日本の学校では、日本のしたことは全て悪、戦争は常に悪、としか教えられなかった。しかし、ボストン大学で、日露戦争での日本の勝利がインドの独立を奮起させたと学んだ。日本の祖先への一定の敬意を示すことが重要だ。」 これは「新右翼」の闘争宣言(fighting words)であると、記事はコメントしている。

 愛国主義に関し余談的なコメントを2つ。第1は、この記事のタイトルが「A Wave of Patriotism」となっているのに、本文中では一貫して「nationalism」が使われていることだ。辞書によれば、patriotismは一般に肯定的なニュアンスで使われるのに対し*3、nationalismは、同じ愛国主義であっても自国が他国より勝れているという意識を示すもので、時に否定的なニュアンスだ(オックスフォード現代英英辞典)。記事の中身は一貫して日本に否定的と思われる。

 第2は、ナショナリズムは今でこそ否定的に取られているが、戦後の日本では(1950年代前半ぐらいまでか)、「愛国」、「ナショナリズム」が左派知識人の間で肯定的に使われていたということが、小熊英一の「民主愛国」(新曜社、2002年)に書かれている。そこでは「単一の民族国家」が礼賛され、「世界市民」とは多国籍企業資本家ブルジョアを意味して忌避され、ナショナリズムは例えば反米帝国主義のシンボル的な言葉であったという。

 このように、ナショナリズムという言葉は実は多様な心情(反権力志向や他者との連帯願望もあり得る)を表すもので、それは時代により、人により異なる。「ナショナリズム」と言って単純に批判するのではなく、その内容が例えば外交上どのような効果があるのかを問わなければいけないと思う。その意味で、石原代表や安倍総裁の主張は、単なる復古主義的な様相が強く、外交関係でも有利な成果を上げるものとは思えない。

2) タイム誌の各地域版のカバーストーリー

 タイム誌のウェブ版「time.com」の「magazine」タブをクリックすると4地域版(米国欧州中東アフリカアジア、南太平洋)のタイム誌が比較できる。 http://www.time.com/time/magazine/0,9263,7601121217,00.html

 残念ながら近年、記事全文は購読会員でないと読めなくなっているが、表紙や記事のリード部は読める。今週号の表紙とカバーストーリーは、4地域版でそれぞれ異なる。特にアジア版は、「日本の右傾化」、「韓国のパク大統領候補」、「来年のパキスタン大統領選(イムラン・カーン氏の出馬)」の3つが、順番に表れる。今週のアジア版は地域を細分し、表紙を違えて発行しているようだ。道理で、紙の雑誌を見ても「カバー(ストーリー)」の表示が記事にも目次にも無い。同じ中身のものを表紙だけ差し替えて発送しているのだろう。

 参考までに、米国版のカバーストーリーはフットボールのグーデルNFL会長、欧州中東アフリカ版と南太平洋版のカバーストーリーは上述のパキスタン大統領選だ。ちゃんと目次に「cover」と表示してある。悔しいのは、本稿で紹介している日本を題材とした記事が、米国版では見当らないことだ(欧州中東アフリカ版と南太平洋版にはある)。韓国のパク大統領候補の記事は出ている。

 韓国のパク候補は、パク・チョンヒ(朴正煕)元大統領(1979年暗殺される)の娘で与党セナリ党の党首として12月19日投票の大統領選で有力とされている。もし当選すれば韓国初の女性大統領となる。6ページの詳細な記事(うち1ページが全面写真)で、上述の日本の記事が4ページ(うち2ページが全面写真)なのに比して扱いが大きいのが何となく悔しい。

3) 今回総選挙での投票方針

 10月の衆議院解散の頃の私の思いは、今期の民主党の失政は弁明できないものだから、政権の交代は止むを得ないということだった。しかし他の党を見ると、維新の会は橋下、石原の政策調整もしない野合が許せない、未来の党も、小沢一郎を隠しての嘉田由紀子滋賀県知事の担ぎ出しは許せないと考えた。ということで、民主党に責任を取ってもらって1回休み、経験と安定感のある自民党に投票と思っていた。

 しかし、最近の新聞の調査では、自民党が300議席を超えるかも知れず、民主党は80議席との予想もあるというから、考えが変ってきた。一番の理由は、安倍総裁の危うさだ。タイム誌にも書かれている右翼的な言動(尖閣改憲靖国等)に加え、金融政策における危うさがプラスされている。私の理解は、金融政策において日銀は中立的な役目を担うべきで、政府が強行的な態度で圧力をかけるのは将来に禍根を残すと思う。このような人に率いられる党が300議席も取れば本当に危ない。

 それで、今回は已むなく民主党に投票しようと思う。今朝も出勤途上で最寄駅前に民主党の小宮山洋子(前厚生労働大臣)が立ち、握手してくれた。ちなみに3年前の前回総選挙では、党首への直前の献金疑惑をうやむやにした党とマスコミ失望して棄権した。

 最後に余談だが、タイム誌の購読はこの12月が最後になる。私のタイムの購読歴は、途中の何回もの中断を挟んで30年以上に及ぶ(中断期間の方が長い)。2年前に、1冊200円での購読申込み案内が来た。従来の購読単価より画期的に安いので(ちなみに書店では1冊840円)、衝動的に申し込んだ。この12月で購読期間が終了し、継続購読の申込書が来たが、1冊300円と5割アップだ。この2年間も目次しか見ていないという感じなので、眼の健康のためにも止めることとした。

*1:弊ブログ「TIME誌表紙になでしこの澤選手」 id:oginos:20120723 参照

*2中国のrevivalと自民党のrestoringの類似も指摘されている。

*3:ジーニアス英和辞典では「通例ほめて」との用法が示されている。

2012/12/08 (土)

[][]笹子トンネル事故

 私事で恐縮だが、この12月から来年3月までの期間、縁があってある団体の仕事を手伝うこととなった。週4日程度だが時間が取られる。ということで、このブログも今後適当に手抜きすることになると思うので、あらかじめご容赦頂きたい。

 先週の日曜日(12月2日)に発生した中央自動車道笹子トンネルの事故は、私としては衝撃だった。以下、1)事故の衝撃を述べ、次いで事故に関連しての私の余談的な感想として、2)古代ローマ人のインフラ整備とメンテナンスへの執着、3)メンテナンスと保安の精神について述べる。

1) 笹子事故の衝撃

 事故は、トンネルの天井のコンクリート板約270枚が崩落して自動車3台が下敷きになり、死者が9名という大惨事だ。コンクリート板は1枚が横5m、奥行1.2m、厚さ約8-9cm、重さ約1.2tほどの大きさで、トンネル本体上部の天井から(詳細は省略して)ボルトで吊り下げられていたという。このボルト(直径1.6cm、長さ23cm)がトンネル本体から抜け落ちており、劣化等によるボルトの抜けが原因だったのではと取りあえず推定されている。

 事故の約2か月前に実施された詳細点検では異常無しとされていたが、それが「目視検査」のみで、実際にハンマーで叩いて音を診る「打音検査」が2000年以来なされていなかったらしい。ということで、点検ミスの可能性が指摘されている(現時点)。

 これは私にとっては、昨2011年福島原発事故以来の衝撃だった。原発事故の場合は、私としては永年漫然とながらも安全だろうと思っていた原発が実際に爆発したということがショックだった。今回の事故は、経営トップから現場の作業員に至るまでが等しく、常に配慮すべきメンテナンス、保安の理念がないがしろにされていたということで、これまでの日本の産業を支えていた現場のレベルが劣化していたことの証左だと思われてのショックだ(以下3)で再説)。

2) 古代ローマ人のインフラ整備とメンテナンスへの執念

 道路等の社会資本メンテナンスの重要性について、少し余談となるが、塩野七生著「ローマ人の物語」(新潮社)で、古代ローマ人のインフラストラクチャーの建設とそのメンテナンスへの執念が詳細に述べられているので、紹介したい。参考までに同書は、1992年に単行本の第1巻が出版され、2006年12月に第15巻が完結した(書かれている時代は、紀元前8世紀頃から紀元後6世紀頃まで)。2002年に文庫本化が始まり、単行本から数年遅れの出版で、2011年文庫本も最終第43巻が完結した。*1

 この大書「ローマ人の物語」の第10巻(単行本ベース)のタイトルが「すべての道はローマに通ず」で、他の巻の歴史小説風とは異なり、ローマ人が築き上げたインフラの紹介のみに捧げられている(著者の言)。

 著者(塩野)は、古代ローマ人がインフラ(道路、橋、上下水道、法制度等)の整備と更にそのメンテナンスにかけていた強固な意志について、繰り返し述べている。「全ての道はローマに通ず」で有名なローマ街道は、幹線で総延長8万キロ、軍道、支線を含めると15万キロに達する。ちなみに、国土の規模が違うが、日本の高速道路の総延長は約9100キロ、一般国道は6.7万キロである。http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_10b_01.html

 ローマ式の街道の標準は、車道が幅4メートルで両側に排水溝、更にその両側にそれぞれ3メートルの歩道があって計10メートルの幅だ。中央部の4メートル幅の車道は、深さ約1メートル余りの4層に石、砂利、土等が敷き詰められた敷石舗装で、その表面はゆるい弓形で、雨水が溜らず排水溝に流れるようになっている。また、車道のすぐ外側に樹木を植えることが厳禁されているが、これは樹木の根が敷石舗装の底部を侵食するのを防ぐためだ。車道と歩道を区別したのは、馬や馬車を全速力で走らせるためで、道とは、可能な限り早く目的地に着くためのものと、ローマ人は考えていたからだ。すなわち歩道が無いと人が車道に入ってきて邪魔になる。そのような拘りはあちこちにあるとのことだ。

 トンネルについてはそれほど詳細には触れられていないが、作られている。紀元1世紀に作られたトンネルの写真(フラミニア街道沿いのフルロのトンネル)が掲載されているが、現在使われている道路の一部のようだ。橋についても、ローマ時代に作られた橋のうち300以上が2000年経った今でも使われている。建設の素晴らしさとメンテナンスの良さの表れだ。

 インフラメンテナンスを重要視していた例として、修復整備工事を行った皇帝等への感謝を刻んだ石碑が多く残っているとのことだ。これらの道路、水道等もローマ帝国が衰亡して以降は、メンテナンスしようとする国家がないまま荒れ果ててしまった(トンネルや橋の一部は上述のように残っている)。インフラの整備にはメンテナンスの視点が必須というのが、ローマ人を賛美する塩野の熱い主張だ。

 なお、メンテナンスには、道路等のハードのメンテナンスの他、法制度等のソフトを環境変化に応じて修正することも含まれ、ローマ人は制度の修正にも柔軟であったらしい。

3) メンテナンスと保安の精神

 ローマ人以来のメンテナンスの重要性はさることながら、その後の産業技術の分野において進められてきた技術開発の方向は、長寿命化、省力化等を目指してのメンテナンスフリーないしメンテナンスの軽減であったと思う。特に消費者向け製品については、不良品を出さず、販売した後は手離れし、メンテナンスが不要ということを目指していた。この結果、例えば自動車という複雑な製品についても、我が家では妻のメンテナンスへの関心はもっぱら洗車のみという、メンテナンスフリーの状態で使われている。

 このようなメンテナンスフリーな消費者用製品の普及が、インフラについてもメンテナンスや保安の重要性に対する感覚を鈍くさせてきているのかも知れないと思う。私は、かつて役所に勤めていた時に、保安関係の業務に間接的に関与していたことがあった。30年ほど前に、役所の先輩が鉱山事故に関し新聞記者の質問に対し、(事故を防ぐための企業の保安担当者の心得は)「1に安全、2に安全、3、4が無くて5、6に安全という意識で、設備と現場を絶えず点検すること」と答えたとの記事を読んだが、非常に感銘を受けた。普通は5までだが、6もある所が凄い。

 インフラには不断のメンテナンスが必要というローマ人以来の知恵を、笹子トンネルの関係者は忘れてしまったのだろうか。コンクリート天井からボルトが取り付けてあるトンネル本体の上部まで5メートルもあるので、打音検査も足場を組むか移動機械を入れる等の必要があり、なかなか大変だと思う。しかし、それが面倒なので双眼鏡での目視に替えていたとしたら、経営者技術者としてその罪万死に値すると思う。長さ23cmの細いボルトを垂直にねじ込んで支えているという条件は、私のような素人でも定期的な点検が必須だと判る(適正な点検があれば多分安心)。事業者は国の安全基準に適合していたと争うかも知れないが、こんなことは施設設置者の管理責任の範疇ではないか。わざわざ国の規制を強化するようなことではない。今後の事故原因の究明と関係者の適切な処罰が、再発防止のために必要と思う。(以上は現時点での報道に基づく私の感想である)

*1:私は「ローマ人の物語」を文庫本化され始めてしばらくしてから読み始めた。文庫本は廉価で、また通勤途上でも読みやすいという利点がある。それで第31巻(単行本の第11巻に相当)まで読んだが、その巻以降の文庫本の出版予定が未だ先ということに我慢できず、その時既に発売されていた単行本の第12巻から最終第15巻までを一括購入して読んだ。ついでに買った時の余談をいうと、アマゾンストアーに出店しているある書店から、(新刊本だが)値引きされている4巻を一括購入することとした。その際送料として(確か)340円の4冊分請求されるので不合理に思いつつも注文した。先方から来た注文確認メールに返信メールを出し、「送料が節約できないかと思って、貴社から4巻一括購入することとしたのに、4倍の送料を請求されるのですか?」と婉曲に不満を述べた。すると、先方は真面目に対応してくれ、送料を特別に値引いてくれた。ネットの世界は、このように手軽に人間的なコミュニケーションができると嬉しくなった。