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踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2013/02/16 (土)

[][]カウントダウン・メルトダウン

 1月14日の弊ブログ原発事故調の訓詁学」(id:oginos:20130114)で紹介したように、昨年12月からこの3月までの臨時雇いで原発事故対策に関連する調査を手伝っている。報告書の提出期限まで1か月余ということで作業は佳境、私にとっては苦境だ。たまたま週刊文春の2013年2月7日号(1月31日発売)の「私の読書日記」は、立花隆による原発事故関係の本の特集だった。その中で、次の本が絶賛されていた。

船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン(上、下)」(文藝春秋刊、2012年12月30日第1刷)

 著者は民間事故調の委員の1人で著名なジャーナリスト。立花評の「びっくりするような事実が次から次に」、「米政府の高官たちへの取材の厚さは余人の追随を許さぬものがある」などに引かれ、事務所に頼んで買ってもらった。

 各種事故調査委員会の報告書は、事故の推移とその原因の究明に関心があるので、東京電力政府からの資料とその分析が主体で、内容も読みづらい。この本は、民間事故調での調査を踏まえて、更に多様な機関、人に取材して、かつ一般向けに書かれているので、書かれている事実も豊富なうえに読みやすい。我々の仕事に非常に有用だ。

 本稿では、我々の調査とは別に、一般の読者に面白いと思われることを紹介する。1)米国の懸念と米国内の対立、2)東京消防庁の問題、3)全面撤退問題の新しい視点、4)菅首相の評価、5)余談(発行日等の違い)について簡単に述べる。約6,000字余りと若干長いがご容赦を。なお、次のブログは、本書を詳しく紹介している。「その1」、「その2」、「その3」と3部に分かれている。そのうちその次も書かれるかも知れない。「船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」を読む」

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/610475/515571/75573924

1) 米国の懸念と米国内の対立

 東日本大震災米国との関係というと、「トモダチ作戦」と呼ばれる米軍の協力しか知らなかったが、本書によれば、福島原発事故について、米国政府は非常に心配し、日本側にいろいろ接触していた。この米国の状況について、本書は上下巻計全21章のうち4章(約150ページ)を割いて詳述する。興味深い論点が多々あるが、本稿では2点紹介する。すなわち、3月17日から来日していたNRC(原子力規制委員会)のカストー支援部長が、後に事故対応面での日米調整で最も難しかったことを問われて、「(在日米国民へ指示する退避区域としての事故原発から半径)50マイルと4号機の燃料プール」だったと答えている2点だ。

a) 50マイルの避難勧告区域

 在日米国人への避難勧告をする範囲について、米国海軍福島原発から半径200マイル(320キロ)、NRCは日本が実施したとおり20キロで可ということで、最終的に3月17日に50マイル(80キロ)と決定するまで、激しい議論がされたということだ。そもそも海軍は、原子力潜水艦原子力空母を保有するので、潜水艦の炉の水準で安全規制を考える。潜水艦の内部では少しでも放射能に汚染されたら終りなので、ゼロ放出を志向する。

 一方、国務省、駐日大使館は日米関係を考えるので、200マイルの退避基準で東京等から米軍米国人がいなくなれば日米関係の破綻と考え、NRCのバックアップの下に20キロを強く主張したが海軍側は強硬だ。それぞれのシミュレーションに基づき譲らない。ワシントンでは、福島事故に関して、Deputies(副官級会議)と呼ばれる会合を組織して、危機担当大統領佐官NSC(国家安全保障会議)、国務副長官エネルギー省副長官、NRC(原子力規制委員会)委員長、統合参謀本部副議長、太平洋軍司令官などが参加していた。ここでも国務省と軍が歩み寄る雰囲気は無いので、大統領科学技術担当補佐官のホルドレンにシミュレーションと分析を依頼した。

 ホルドレンの分析したシナリオは、プルーム(放射性雲)は東京から75-100マイルまでは届かない、など海軍の200マイル飛散シナリオを真っ向から否定するものだった。彼の説明は(高校生でも理解できるくらい)判りやすく、参加者は納得した。ある米政府高官は後に「ホルドレンこそ最大の英雄だった」と振り返ったとのことだから、米国内の対立の厳しさが推測できる。

 それでも3月17日(日本時間)の決定は50マイル(80キロ)で、日本の20キロ(後に30キロ)より大きく、日本政府は釈然としなかったが、米国内はこの通り大変だった。その理由は、日本政府から十分な情報が得られていない、隠しているのではないかという危惧があったからだ。

 私は、日米関係を顧慮せずに頑固な主張をする組織(海軍)が米国内にあり、その主張が通る可能性があったことに驚いた。多分今までも、歴史には偶然の要素があり得たのだろうと感じた。

b) 4号機燃料プール内の水

 4号機の使用済み燃料プールは、たまたま定期点検中だったため原子炉内の燃料も移されていて、最多本数が入っていた。従って、そのプールの水が無くなるとメルトダウンから大変なことが危惧された。

 これはかねて日本側も心配していて、3月16日に自衛隊ヘリコプターが上部から写真撮影し、その結果4号機の燃料プールには水が入っていると判断した。それでその後の燃料プールへの注水*1は、暫くの間4号機は後回しにして3号機に注力することになって、その経緯はかねて私も知っていた。しかし、NRCのカストーはその上空からのビデオ写真を日本の担当者から見せられてこれが水だと言われてもそうは見えなかったと米国に報告したとのことだ。本書では、4号機燃料プールに水があるとの確認は、日本の2人の専門家の職人芸によるものだとしている。水の有る無しのビデオ画像の判断に職人芸が必要で、また専門家間でも意見が分かれるというのは私にとっては驚きだ。

 米国側は、この2-3日位前からこの後も何日間か、4号機燃料プールに水が無い可能性があるとして事態を深刻に見ていた。前述の200マイル論でも東京米国人に退避命令が出た可能性があった訳だし、この4号機プール問題でもその可能性があった訳だ。国務省が危惧したように、その場合日米の信頼基盤は大きく損なわれたであろう。

c) もう1つ

 もう1つ日米文化の違いを思わせるエピソードを紹介する。細野補佐官は、福島第一の作業員の疲労を心配し、3月16日頃、船を用意するから作業員の宿舎に充てることを吉田所長に提案した。しかし、吉田所長は被災住民が避難生活で苦しんでいる中で、原発関係の作業員がそのようなことはできないと固辞した*2。NRCのカストー部長も作業員の健康に関する大きな懸念を細野補佐官に伝えた。その際、吉田所長が固辞した言葉を聞いた時暫く絶句し、「日米文化の違いか」と漏らした。米国では原発現場の作業員の健康安全も重要な要件になっているとのことだ。

2) 東京消防庁の問題点

 各号機の原子炉建屋の5階にある使用済み燃料プールへの注水のために、自衛隊ヘリからの放水や消防車からの放水が試みられたが、前者は1回当りの水量が少なく、後者は高さが足りず、また霧状になるなどで問題があった。それで東京消防庁が保有するハイパーレスキュー隊(消防救助機動部隊)のブームと呼ばれる22mの高さから毎分3.8トンの放水ができる屈折放水塔車の活用が期待された。*3

 ところが、東京消防庁は、その間に都内の高層ビル火災が起きたらどうするとか言って拒否した。総務省消防庁は、自治体消防の建前から各自治体への命令権は無いと言う。菅首相から片山義博総務大臣に何度頼んでも、指示権は無いと言って斡旋を拒否される。最後には菅首相から石原慎太郎東京都知事に頼むより他に方法は無いということで、菅首相は人を介して都知事への取次ぎを頼んだ後、やっと都知事に要請でき、了解を得た。自治体消防論を建前とした旧自治省官僚がその意義を示すために、このような煩雑な手続きを踏ませたとしか思えないとしているが、私も同感だ。この迂回のため相当の日数を浪費した。要請を受けた都知事も傘下の消防への指示に当り「よく判らないが菅首相が言っているから」と、他人事のような言い方をしていたようだ。

 それで3月18日夕方に東京消防庁の部隊は現地に到着したが、なかなか仕事に取り掛からず(若干の行き違いもあったが)、一旦退去した。これに現地対策本部は当惑し、その夜の間に放水してほしいとする菅首相と海江田経産相の強い要請により、19日午前零時半からやっと放水を始めた。さすが威力はあったようだが1日で終え、19日夜に部隊は帰京して、その後いわゆる涙の記者会見をした。私もニュースで見ていたが、「隊員が一番大変だった」と言って隊長が涙を流したのには、非常な違和感を覚えた記憶がある。本書では自衛隊のコメントがある。「映画の字幕の”終り”のように任務完了と言って幕を閉じることができればメデタシだが、自衛隊はそうはいかない。危機はまだ始まったばかりだから。自衛隊は派手なPRは慎もう」

 後日談があって、21日に石原都知事が、菅首相を訪ね、「政府側から消防隊員に恫喝まがいの発言があった」と強く抗議した。菅首相とその後海江田大臣が陳謝した。18日夜の放水要請の際の海江田大臣の「今晩中に放水しないなら処分する」との発言を指したものだ。現地の対策本部では、当日の隊の動きからして海江田発言の気持は判るとのささやきがあったとのことだ。石原知事には、国家の大危機という意識があったのだろうかと私は疑う。部下のグチを鵜のみにして官邸に文句を言いに行ったように、私には思える。

3) 全面撤退問題

 弊ブログ国会事故調報告書−特に全面撤退問題」(id:oginos:20120709)でも紹介した、3月14日夜から15日朝にかけて清水東電社長が海江田経産大臣や枝野官房長官に電話して了解を求めたという「全面撤退」についての本書の解釈が興味深い。

 東電がこの時に全面撤退のリスクを正面から受け止め、その最悪のシナリオに先手を打って対応しようとしたことは、危機管理の取組としては間違っていないとする。全面撤退とした場合、東電経営陣はそれによる事態悪化の責任を国民に対して取らなければいけない。全面撤退を避けて現場の社員が玉砕した場合、社員に対して責任を取らなければいけない。

 この2つの選択肢の選択について政府にゲタを預けようとしたのではないかとの解釈だ。結果として全面撤退をしないことになった訳だが、社員に対する責任は政府に転嫁できることになった。サラリーマン経営者としての本能的な知恵だったのではないか。

4) 菅首相の評価

 先にも登場したNRCのカストー部長は、福島事故について、「"自然と物理学"との戦いを極限まで強いられた戦場だった。戦争では降伏という手段が許される。しかしフクシマではそんな贅沢は許されない。サンフランシスコ大地震(1906年)からスリーマイル、あるいはチェルノブイリまでの70年間の試練をフクシマではわずか7日間で経験した」と評価した。

 そのような巨大危機を克服すべき陣頭指揮を執った菅首相危機管理スタイルは異様だったとする。菅首相の評価は一般に芳しくない。各事故調は何れもその問題点を指摘している。いわく、現場介入による混乱、個別の事故管理にのめり込んで全体の危機管理への注意が不十分。その上、言葉が粗暴で、官僚を上手に使えない、などなど。

 にもかかわらず、と著者は言う。菅首相がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切換えはできなかっただろう。ある官邸スタッフ(官僚)が述べている。「住民全部を立ち退かせるといった荒業は自民党政権だったらできなかっただろう。役人もできない。後でどう責任を取るのかと考えてしまうから。そこを民主党はすごくロジカルにやる。しかしどうやって帰すのか、この政策の重さをちゃんとわかっているのかとも思った。腹が据わってやったのか、よく判らずにやったのか。ただ、結果的にはもう炉心溶融していたのだから、正しい判断だった。菅、枝野には決断力があった。」

 省略するが、本書では、霞が関の各省庁が、危機に当ってなお、いやなおさら「消極的権限争い」をしていた例が多く紹介されていて唖然とさせられる。

 そういう構造的な縦割りとリスク回避の壁を、菅は「有事モード」に一気に切り替えた。危機の本質とそのスケールを誰よりも早く察知し、緊急対応へシフトさせた。3月14日深夜からの東電清水社長の全面撤退の打診(異論はあるが)を封じ込め、3月15日朝に東電に乗り込み、撤退許さじと演説したのもそのような緊急対応だった。その時の官邸内での議論の本質は、東電作業員に死ねと言えるかということだった。官邸スタッフの誰も言えなかったことを菅首相は飛び越え、東電にまで乗り込んで言った(死ねとの言葉は使わなかったが)。

 菅とともに日夜、危機対応をした官邸政治家は、あの危機の時、リーダーが菅でよかった、と心底信じている、という。「菅という不幸」と「菅という僥倖」がストロボを焚いたように激しく照り返してくる、と著者は言う。

 これに比して、例えば石原都知事(現衆議院議員)は、3)の消防隊の所で述べたことから見て、本当に国家の危機ということを理解できる人かと、私は疑問に思う。身内に甘く不勉強で外に強いだけでは、巨大危機管理のリーダーは務まらないと思う。

5) 余談(発行日、ページ数の怪)

 この本は、2月上旬に町の本屋から買ったもので、上下巻とも奥付に2012年12月30日第1刷となっていて、ページ数は、上巻が477ページ、下巻が475ページだ。ところがAmazonのページを開くと、発売日は上下巻とも2013年1月27日、ページ数は、上下巻とも528ページとなっていて驚く。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3-%E4%B8%8A-%E8%88%B9%E6%A9%8B-%E6%B4%8B%E4%B8%80/dp/4163761500/ref=pd_sim_b_1

 本の実物を確かめてもページ数は目次から振られていて、この違いは理解できない。金額は上下巻とも1680円(税込)で、実物もAmazonも同じ。ページ数が少ない版を買わされたのかと心配になる。Amazonの「なか見!検索」が可能だったので、見てみた。目次とそれに付されているページ数は、実物もAmazon上も変らない。「なか見!検索」で奥付も見られたが、発行日は実物上と同じ2012年12月30日だ。

 発行者の(株)文藝春秋のウエブページを見ると、発売日2013年1月26日、初版発行日2012年12月30日とあって、発売日と発行日の違いも出てきてよく判らない。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163761503

 このような違いはよくあることなのだろうか。

*1:注水方法は、ヘリコプターからの注水、東京消防庁ハイパーレスキュー隊による注水、コンクリート圧送車による注水と変化していく。

*2:その後3月21日に海王丸小名浜港に接岸し、被災民への炊出し、入浴と作業員宿泊の両者(昼と夜とを分けて)に使われた。

*3:その後3月22日からは、キリンとの愛称が付けられた、アーム長58mのプツマイスター社(ドイツ)製のコンクリート圧送車が活躍する。