Hatena::ブログ(Diary)

踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2015/03/18 (水)

[][][] 男児の「さん付け」

 先月2月20日に発生した川崎市多摩川河川敷の中学1年生殺人事件は誠に痛ましい。事件自体の話は別にして、一連の報道で私が気になったのは、中学1年生を、「上村君」ではなく、「上村さん、上村遼太さん」と、さん付けしているところがあることだ。テレビでは、NHKがはっきりさん付け、民放は君付けが多い。新聞では、朝日、毎日がさん付け、日経読売が君付けだ。私が読んだ週刊誌は君付けで、週刊誌は君付けが多いようだ。

 そういえば、中学校、小学校で男子生徒もさん付けで呼ぶ所が増えているとのウェブ記事を見たことがある。私はこのこのことには非常な違和感があるので、少し調べて見た。以下は、1)男児のさん付けの現状、2)川崎市教委とNHKの考え方、3)ジェンダーフリーの理論、4)英語でのPC(Political Correct)の動き、5)私の感想だ。感想的な結論は、今は時期尚早だが、長期的には敬語簡素化の観点から支持しない訳ではないというものだ。約8,000文字と長くなったがご容赦を。

1) 男児さん付けの現状

 たまたま事件が起きた川崎市は、このさん付け問題で、かねて話題になっていた。あるブログを紹介する。

「さん付け統一に疑問」 (日本再生ネットワーク 厳選ニュース 2006年3月21日 http://sakura4987.exblog.jp/3039322/ )

 2006年と少々古いが、この頃既に、小学中学での男児さん付けが進行しており、大きな問題になっていた。ここに紹介されている前年2005年3月の国会質疑で*1文部科学大臣は、さん付け、君付けは個人の問題で、a)学校で統一するのは問題だが、b)文科省は口を出さない、ただ、c)ジェンダーフリー(後述)の考えは問題としている。

 このブログの中で、先進的な自治体として川崎市が紹介されている。同市の教育委員会がさん付け統一と男女混合名簿を推奨しているとのことだ(この川崎市の話は後で詳述)。

 私の周りに聞いてみた。川崎市の隣の(東京都)町田市に息子家族が住んでいる。息子に電話して、孫息子(小3)が学校でどう呼ばれているか聞いた。息子は本人に電話口で聞いて答えてくれたが、小1からさん付けだそうだ*2

 勤務先の若い女性(20代?)に、昼食時に聞いた。男児がさん付けで呼ばれていたことはあったような気がすると言っていた。キャンプでは、男女同じテントで、ただし先生が境界に寝ていたとのこと。

 ウェブなどの情報を総合すると、男児さん付けは、現在では相当に普及しているようだ。

(私の学校時代)

 ちなみに私の場合を紹介すると、小中高は地方(富山県)で過した。同級生間は、男子同士は改まった場合に君付け(普通は呼捨て)、それ以外(女→女、女→男、男→女)がさん付けだ。ただ同じ世代でも地域差があり、50年前*3東京に出てきて感じた文化的ショックの1つは、都会の同世代の女性から君付けで呼ばれたことだ。その後もずっと違和感を感じている。

 私より後の世代は、「女男→男が君付け、女男→女がさん付け」*4の時代が長く続いたと理解している(以上は学校の話で、一般社会にはまた別のマナーがある)。

2)  川崎市教委(10年ほど前)とNHKの考え方

 今では相当普及していると見られる「さん付け統一」は、「男女混合名簿」と並んで、1990年代から導入が始まったようだ。しかし反対論も多い。上述のブログその他で有名だった川崎市教育委員会のこの問題に対する考え方は、現在同委のHPを見ても出ていない(ページ内で検索しても不明)。次の電子掲示板は2005年と古いが、その中に、川崎市教委に質問した人が得た回答があるので紹介する。

http://www.azaq-net.com:8080/tani6010/384.html の中の(すごく長いスレッド)

「[28513] 男の子にも「さん」付け 投稿者:一見の者 投稿日:2005/02/20(Sun) 09:23:18 No.28513」と題するスレッド)の中、「BRUC05」さんの投稿

 以下は川崎市教委への私の質問とその回答です。

質問3 「男女混合名簿」と「さん付け統一」はどのような理由で推奨されているのでしょうか? それらが推奨されているということは、逆に言えば、「男女別名簿」や「くん・さんの男女別呼称」は望ましくないということになるわけですが、どのような理由から望ましくないのでしょうか?

【(川崎市教委の)回答】 学校生活の中で名簿によって毎日毎日繰り返される影響は大きく、男女別名簿一つをとって考えてみましても、いつも「男が先、女があと」という序列を作り、男子優先といったことが無意識のうちに刷り込まれていく可能性があります。習慣を変えるには形式からはいるのも大きな効果があると考えます。これからの社会は、子どもたちを「男らしく、女らしく」ではなく、「自分らしく」「個」を大切に育て、男女平等の社会を作ることが必要です。そのための一つの取組としての男女混合名簿ととらえております。

 「くん」「さん」の呼び分けについても、同じように考えられます。本来、「男だから」「女だから」と意識する必要のない場面においても性別を意識せざるをえない状況を無意識のうちにつくっているといえます。人間を性別で分けるのではなく、お互いを一人の人間として尊重できる人に育てるための環境づくりが必要であると考えます。

 ブログの著者が指摘しているように、川崎市教委は、「人間を性別で分けるのはおかしい」との考え方のもとに「さん付け統一」を推進している。性別意識をなくそうという明確な意図がある。なぜ性別意識を無くそうとするのか。それが次項で述べるジェンダーフリー理論だ。

(NHKの考え方)

 冒頭に述べたマスコミの考え方も知りたいと思い、さん付けに徹しているNHK朝日新聞に対し、それぞれの意見・質問欄のフォームに従いメールを出した。NHKは1日ほどで返信が来た。

(私の質問) 2月の川崎市の中学生殺人事件において、被害者の中学1年生を「上村さん」とか「上村遼太さん」とか、さん付けにしています。他のテレビ局では君付けの所もあります。男の子供は君付けが自然だと思っているので、違和感があります。貴局の考え方を教えてください。

(3月10日に得たNHKからの回答) (前文等 略)

NHKでは、敬称は原則として「さん」あるいは「氏」を使うことにしています。ただし、子どもの場合は、ニュースの内容によっては「君」を使う場合もあり、事案の内容を総合的に考慮して判断しています。また、学齢前の幼児には「ちゃん」を使うことにしています。

 事案の内容の総合的考慮の基準はよく判らないが、「さん付け統一」ではないらしくて少し安心した。不十分だが一応の考え方を示してくれて、NHKが少し好きになった。一方の朝日新聞は梨のつぶてだ。

3)  ジェンダーフリーの理論

 私がつたない調査で理解したところ、ジェンダーフリー理論とは、男女差別(性差別、すなわち男が上で女が下)は、性差(性別意識)から作られる、次に性差は先天的なものではなく、後天的、社会的に作られるという考えだ。従って、性差が意識されない社会を作れば、男女差別は無くなると考える。逆に性差意識が無くならなければ男女差別は無くならない。

 また、「ジェンダーフリー」は和製英語だが*5、その概念は現在欧米では見られないと反対派は主張する。すなわち、上記のようなジェンダーフリーの理論(英語ではそうは言わないが)は、欧米では1970年代から80年代に流行したが、90年代に入り消えたとのことだ。日本では90年代から2000年代にかけて、70-80年代のこの欧米の(古い)理論が導入され、学校を中心に盛んに実践された。(以上、Wikipediaの「ジェンダーフリー」の項目等)

 実践例としては、さん付け統一、男女混合名簿の他、学校での男女同室着換え、修学旅行での男女同室宿泊、男女共通体操着、保健体育共修、家庭科・技術科の共修、運動会での男女同一種目(例、男女混合騎馬戦。「混合」の意味は1騎の馬が男女混合で組み上げられること)、男女同一トイレ・靴箱、更に小学低学年からの早期性教育*6も推奨された。

 日教組のポスターらしきものが撮られているページを紹介する。ただ、何時の資料か判らない。 http://www.geocities.jp/katunan15/index14f.html

 確かに、ジェンダーフリーの教育をうたい、名簿に始まり、ロッカー、靴箱、トレーニングウェア、男女別平均、男女別平均、さん・くんの呼び方、運動会の種目などにおける男女の区別を無くすなど列記してある。もっともなこともあるが、行き過ぎと思う人が多かろう。

 ジェンダーフリー反対派は、これらは日教組方針と考えている。教研集会などで争って事例紹介がされたかと想像する。しかし、現在の日教組HPを見てもよく判らない。HP内検索の欄に、「ジェンダーフリー」や「さん付け」を入れても該当無しと出てくる。ただ、「男女混合名簿」でHP内検索をすると、2009-2010年版の「日教組 政策制度 要求と提言」中の提言61の自治体への提言の3に「男女混合名簿や保健体育の共修等を図る」とある。 http://www.jtu-net.or.jp/doc/proposal2009-2010.pdf (66ページ)

 興味深いことに、その後の2013-14年版の「要求と提言」では、同じ表現は消えている。 http://www.jtu-net.or.jp/doc/proposal2013-2014.pdf (38ページの「9 男女平等」欄参照)

 以前の提言が十分浸透して目的を達したとの判断からか、批判が多かったから止めたのか、隠したのか、不明だ。

(ジェンダーフリー論争の鎮静化と学校内)

 ウェブをいろいろ見ていて感じたのは、ジェンダーフリー学校教育の問題が論じられているのは、ゼロ年代(2000-2009年)の半ば頃までで、ゼロ年代後半以降は余り出てこないことだ。ジェンダーフリー運動も反対派の運動も落ち着いているようだ。その分「さん付け」は学校内では普及しているのかも知れない。上述のように、日教組HPから消え、川崎市教委のHPからも消えている。これは、文部科学省の指導の成果かも知れないと思うが、ジェンダーフリー推進派の中にも反発の大きさと、行き過ぎと感ずる向きがあったからかと思う。それぞれの学校、教師の問題として、多様化しているのかも知れない。

 ただ、ジェンダーフリーの点からの理論づけは無くなっても、さん付け統一は、現場では進行していると思われる節がある。a)男女平等理念には適っていそうだし、b)男女同室宿泊などのように直接的な実害は無さそうだし、c)前述のように、文科省も口を出さない(各学校に任せる)と言っているし、などであろう。

 余談だが、6年前に前述の孫息子が幼稚園に入ってしばらくした頃、男女の区別が判らないと言って親を困らせた。幼稚園の先生が、男子はこちら、女子はそちらに並べと言ったら、自分がどちらか判らなくて女子の方に行ってしまったという。きみは男だと言ったらどうしてかと言う。誰それは女だとどうして判るかと聞く。スカートをはいているのは女子だと言っても説得力が無くて、困ったらしい。

 ジェンダーフリー論者から見れば、この話は、性差は最初からあるのではなく、社会が作り上げるものだという理論の好例かも知れない。幼稚園の先生が男女別の並べ方を指示したのは間違いで、そんな指示をしなければ性差は生じないと言うかも知れない。

4) 英語等でのPC(Politically Correct)

 若干余談だが、ジェンダーフリーに関連して、男女関係語彙の言い換えが国内外で流行っている。英語ではよく知られているように、Politically Correct (PC)と呼ばれる言葉の言い換えが行われている。例えば、man, woman → person などで、chairman → chairperson、fireman → firefighter などだ。私は正直言って理解できないが、内外揃って気にする人は多い。以下は、3人称代名詞に関する話題だ。

(男女両者を指すshe)

 最近、ある友人(大学教授)が面白いことを教えてくれた。3人称代名詞(he she) のPC用語として、「he or she」、「he/she」(以上、逆もあり)、s/heなどが使われているのは知っていたとのことが、最近、論文で単にshe と使われているのを見て驚いたと言う。

 一緒にいた友人たちも感心していたが、私も家に帰ってから調べた。手持ちの紙の辞書は古い。電子辞書ジーニアス英和第4版(大修館)は2006-08年版とある。スマホインストールしているリーダーズ英和第3版(研究社)は2013年版で新しそうだ。「she」を引くと、友人の指摘通り次の説明があった。

「不定代名詞や男女どちらも指しうる名詞などをsheで受けることも多くなった」*7

(代名詞xe)

 昨2014年6月のウェブで、次のようなものを見つけた。

「He、Sheをやめ“Xeを使用”とカナダ教育委員会ジェンダーフリー発想もPTA大混乱」  http://japan.techinsight.jp/2014/06/yokote2014062414310.html

カナダバンクーバー市の教育委員会の決定で、he、sheを止めてxeを使おうということだ。もっとも1か月後に、別のウェブページで訂正の報告がされていた。

http://lifevancouver.jp/2014/07/news/24366.html

 he、sheを止めるのではなく、トランスジェンダー(性同一性障害。身体的性と心の性が一致しない人)の子供たちを呼ぶ時には性別を特定しない代名詞を使おうということらしい。発音は「ジー」とのこと。

(インドネシア語)

 欧米で(以上の例は英語国だが)このように男女の呼び方に悩んでいるさまを見ると、アジアの知恵も捨てたものではないと思う。私がここ一両年に訪問した、インドインドネシアの例を取り上げると、インドネシア語の3人称代名詞には男女の区別がない。ただ公平のために言うと、2人称代名詞は何種類もあり(教科書には9種類紹介されている)、相手の性別、地位別に使い分けられていて、全くのジェンダーフリーではない。

 なお、インドネシア語には、名詞、形容詞格変化(declension)、動詞の活用(conjugation)が殆んど無く、文字がアルファベットであることもあり、学習者には取っ掛りやすい言語と言えよう。

(ヒンディー語)

 インドの40%の人口が使っていると言われるヒンディー語の3人称代名詞にも男女の区別は無い。1人称、2人称代名詞にも男女の別は無い。ジェンダーフリーの言語かと思われるが、名詞、形容詞格変化動詞の活用の殆どに、男女の別がある。動詞の活用に性別の変化があるという意味は、主語の性別に応じて動詞の形が変る*8ということだ。従って、インドの恋愛小説の会話は、どちらがしゃべったという地の文が不要で、省スペースなのではと、想像する。

 ということで、3人称代名詞の性別の有無だけでは、その言語のジェンダーフリー度を測る物差しには成りにくい。私のささやかな感想では、インドネシア語ジェンダーフリー度が高いと思うが、それでもってインドネシアの社会のジェンダーフリー度が高いとは言えないであろう。

5) 感想

 感想を幾つか述べる。

a) ジェンダーフリー

 行き過ぎたジェンダーフリー論、すなわち性差意識を全て無くさないと男女差別が無くならないとの考え方にはやはり納得しがたい。特にそのために提案されてきた手段の幾つかは(男女同室宿泊、早期性教育など)、むしろ弊害があるのではないかと思う。教育のためにはもっと理論的精緻化が必要だ。

b) 男女混合名簿

 さん付け統一については次項で述べるが、男女混合名簿についてはある程度理解している。男が先と決めているのは確かにおかしい。私は中学、高校の同窓会の幹事を何回かやったが、最初にするのは男女混合名簿化だ。ただ、これは卒業後の話で、学校では男女別履修科目や運動会、身体検査などの時は男女別名簿が必要と思う。

私の案はいろいろある。第1案はやはり男女別名簿で、クラスにより男女、女男と順番を別にする。第2案は混合名簿と男女別名簿の2種類を作る。第3案は男女混合名簿に男女の別を記す欄を設けるなどである。工夫すれば、名簿など手段だからいろいろ考えられる。私の小学1年の時の名簿は生年月日順で、この年齢からすれば合理的だったと思う。

c) 敬語

 私は、かねて日本語の敬語は異常に複雑に発達し過ぎている、簡素化の方向が望ましいと思っている。普通語と丁寧語(文章語でいえば、「である」調と「ですます」調)の2種類ぐらいですませられたらと願っている。敬語のうちの敬称(さん等)についても種類が多すぎる。どれを採用すべきかと多くの国民が頭を悩ますのは時間の無駄だ。

 日本語は昔から絶えず変化してきた。江戸時代以前の文書はもちろん、明治時代言文一致体の小説でさえ、現代では読み解くのに苦労する。君付けも明治以降の用法であるように、敬称も変化している。ということで、簡素化の方向であるなら、男児のさん付けも好ましいかという気がしないでもない。ただ、現在では問題がある。

 現在のさん付けは、私の語感では、相当の敬意と丁寧さを持った言葉であると思う。学校内でも遊びの場やごく親しい間柄での呼称としては定着するだろうかとの危惧だ。望ましくは上述の敬語で述べたように、敬称も2種類ぐらいに整理されるようになるといい。学校では、教室内の公式の場ではさん付け、その他のよりくだけた場では呼捨て(君付けもいい)などとなるのが現実的かと思う。先生によっては、個性的に、教室内でも呼捨てにするかも知れない。

 私の願いは、日本語の今後の方向としては簡素化が望ましく、それを思想的な上からの統一ではなく、それを目指した方向が自然に実現できていけたらいいなということである。

(朝日新聞用語の手引)

 最近広告メールを見て、衝動的に「朝日新聞用語の手引(新版)」(朝日新聞出版 2015年3月15日第1刷)を買った。朝日新聞記者が記事を書く際の手引らしいが、実に日本語は複雑だということを再確認した。例えば、「−機」と「−器」の使い分けについて、前者は「複雑または大型のもの」、後者は「単純または小型のもの」と一応の基準を示しながら、「盗聴器(機)」……などは実態に応じて使い分けるとある。敬語の例ではないが(この手引には、敬語は少なく、差別用語や風俗用語などは殆ど無い。別途記者用の手引書があるのではないか)、日本語は難しい。

 この用語の手引の内容は、私の事前の予想に反して、私のかねての語感に驚くほどマッチしている(全部ではない)。永年の新聞購読の結果、私の言語感覚、文化観が通俗的なマスコミ感覚に毒されてしまったのかと思う。しかし、日本語を標準的なものにできるだけ揃えていきたい(簡素化したい)との考えだろうと思うので、賛成だ。前述のとおり、日本語は絶えず変化している。それを踏まえた標準化の努力(若干矛盾か)が必要だろうと思っている。

*1:次の議事録の最後の段。 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009616220050311005.htm

*2:先生からの呼び方か、友達同士は授業中など公式の場だけか、休み時間や帰校後のプライベートの場でもそうかなど、細かい所は聞いていない。

*3:余談だが、今年からちょうど50年前

*4:ここではあえて、「男女」を「女男」としているが、漢字変換に相当てこずる。パソコンの漢字変換はジェンダーフリーには対応していない。

*5:接尾語の-freeの意味が違う。英語でこれに相当する概念はgender equality と言われているが、結果としての男女平等を指すようでもあり、若干ニュアンスが違うようだ。

*6:早期性教育性差意識を無くすためだとのことだが、ジェンダーフリーとの関係は判りにくい。

*7:上述の「s/he」については、手許の電子辞書内のジーニアス英和第4版(大修館)2006-08年には、見出しに本当に、s/heがあった。読み方は、シーヒー、she or he、she slash heなどとある。それから念のため確めた手許の紙のリーダーズ英和初版(1986年第4刷)にも、s/heの見出しがあった。私は知らなかったが古い語だったのだ。

*8:各人称の代名詞の場合も、指している人の性別に応じて変化する。例えば、「私が歩く」と言う場合、私の性別に応じて「歩く」の形が変化する。

2013/12/27 (金)

[][]インド雑記(6) ヒンディー語

 新しい国に行くことになると、その国の言葉を少しでも勉強したくなる。ところが、インドについてはそれが少しややこしい。インドの言語は主なものだけでも30程度あると言われ、州単位の公用語もあり、今回訪問したデリーはヒンディー語ムンバイとプネ(マハーラーシュトラ州)はマラーティー語だという。とても複数の言語に挑戦する意欲は無く、取りあえず雰囲気だけ味わってみようということで、ヒンディー語に挑戦することとした。当然ながらマスターすることはできなかったが、本稿ではその過程で得たつたない知識も踏まえ、1)インドの多言語の状況、2)ヒンディー語の特徴、3)ヒンディー語の使用経験、を紹介する。

1) インドの多言語の状況

 インドの公的言語について、先ずインド憲法(1950年施行)第343条で、連邦政府の公的共通語としてヒンディー語と英語を定めている(英語は将来のヒンディー語への全面移管までの間の準公用語との位置付け)。更に同憲法の第8付則において22の言語が規定されている(このリストに、ヒンディー語はあるが、英語は無い。従って憲法では23の言語が規定されている。) *1

 多くの州では、各州の公用語を定めており、その中には憲法第8付則に規定されていない言語もあるらしい。ヒンディー語公用語としての普及は各州の反対もあり、進んでいないようだ。その他にも多くの言語があり、総数260に上るとも言われている*2。方言は2000に上ると言われる。

(紙幣の言語)

 言語の多様性を反映して、インドの紙幣には17の言語が印刷されている。インド公用語の数が17とよく書かれているが、これに基づいているのであろう。私の持っている10ルピー紙幣の表裏の写真と裏面の15言語が書かれている部分を拡大したものを載せる。

f:id:oginos:20131227134405j:image:w480

f:id:oginos:20131227134403p:image:w200

 この紙幣の各部分の解説が、100ルピー紙幣の写真を基に次のページに掲載されている。

http://www2m.biglobe.ne.jp/~ZenTech/money/banknote/p07_india_zoomin.htm

 表は、ヒンディー語と英語だが、裏面には更に15の言語で金額が書かれている。驚くべきは文字の種類も多くあることで10種類もある。アラビア文字は右から左に向かって読む。

(道路標識)

 デリーを案内してくれたガイドが、道路標識が4つの言語で書かれていると教えてくれた。写真を撮り損なったが、ヒンディー語、英語、パンジャーブ語、ウルドウ語(アラビア文字)で書かれているそうだ。後者の2つは、デリーに近い州の公用語とのこと。

(インド人同士のコミュニケーション)

 ムンバイからプネへの飛行機で隣に乗り合わせたインド人が話しかけてくるので英語で雑談していた。彼は仕事の関係で4つの州にしばしば行くが、そのうち2つの州の言語が判らない。すなわち、住んでいるバナーラス市(ガンジス河岸の沐浴で有名)はヒンディー語、プネのマラーティー語は何とかなるが、南のタミルナードゥ州のタミル語、西のグジャラート州のグジャラート語は判らないという。どうするのかと聞いたら、インド人同士、英語で仕事をするという。英語は70%の人が話すからだというが、大変なことだと思った。

2) ヒンディー語の特徴

 上述のとおり、9月中旬からヒンディー語の勉強を始めた。旅行用会話集*3を買ったが、言葉の仕組がよく判らないので、もう少し文法などを説明している薄い語学書を買った。*4 *5 以下は、2か月余り勉強した範囲での私のヒンディー語の印象だ。

a) 語順

 語順が日本語とほぼ似ているのに感心した。例えば、「アグラ(地名)までの切符」は「アグラ・タク(まで)・カー(の)・チカト(切符)」となる。ここで「タク(まで)」、「カー(の)」は、英語などの前置詞にほぼ似た機能だが、後に置かれる単語なので「後置詞」という。日本語なら「助詞」だ。ちなみに前置詞は無い。動詞が文の最後に置かれるのも嬉しい。

b) 動詞活用の男女の別

 男性、女性の別が、名詞(形容詞冠詞を含む)の活用だけでなく、動詞の活用にもあることにびっくり。ヨーロッパの言語ではあまり聞かないのではなかろうか。代名詞には男性、女性の別はないが、動詞の活用で区別できる。ごく簡単に説明すると、主語が男性(人の場合)や男性名詞の場合、多くの動詞の語尾は「アー」、女性(人の場合)や女性名詞の場合、多くの動詞の語尾は「イー」である(以上は単数の場合。複数の時はそれぞれ、「エー」と「イーン」)。

 1人称で話す場合、男と女で動詞の語尾が違うというのは、日本語の男言葉、女言葉の別を連想させて面白い。ただし、事実上の主語と文法上の主語が違う場合(理解しにくいだろうが、他動詞の完了形の場合)があって話は単純ではない。3人称代名詞も近称、遠称の別はあって、英語のhe、sheのような男女の別はないが、動詞の語尾で区別できる場合が多い。私は読んだことがないが、小説のラブシーンなどの場合、どちらがしゃべったか、どちらがしたか、など地の文で説明しなくてよくて便利かも知れない。

 名詞の活用語尾も、主格・単数の場合、普通の男性名詞が「アー」、普通の女性名詞が「イー」だ(普通の活用をしない名詞も多いが)。これにはやや違和感を抱く。ヨーロッパの言語では、aの語尾は女性名詞というのが普通で、男性名詞の語尾も定形化されている場合は o だろう(例、イタリー語、エスペラント語)。この違和感については次で説明。

c) ヒンディー語は本当に印欧語族

 ヒンディー語は、インド・ヨーロピアン語族(印欧語族)に属し、従って、英語、フランス語ロシア語ペルシャ語(アラビア語は別の語族)などと親類とされている。しかし、上記のa)の語順、b)の男性・女性名詞の語尾の違いなどを見ると、ヒンディー語は本当に印欧語族かと私はいぶかしく感じた。

 言語の親族関係は、単語の類似関係で分析すると理論的に説明されているが、現実の単語を幾つか見ていっても欧州語と類似関係にあると思われるものが殆んど感じられない。もちろん、19世紀の英国占領以降の英語からの借用語と見られるものは多いが、基礎的な名詞には欧州語を連想させるものはあまり感じられなかった。

3) ヒンディー語の使用経験

(レストランの予約)

 私の外国語の勉強の目的には、習熟しようという意図は全く無い。取りあえず文字の読み方を知り、その国の地名や標識などが読めると観光などの場合に親しみが湧くだろうとの期待だ。勉強の時間に余裕があると、レストランの予約をすることを次の目標にする。日時と人数を言えればいいから比較的容易で、予約できた場合には割に達成感がある。

 こんにちは、ありがとう、など片言の挨拶だけでも現地の言葉で言えば、現地の人と心の交流ができて楽しいと会話本に書いてあるが、私はそうは思わない。内容が無いし、話が続かない。それに、インドでは「ダンニャワード(ありがとう)」と言っても、相手の反応が今一つのような気がした。それで、「インドでは大したことでないことにありがとうと言うと、こんな詰らないことでお礼を言うのかとバカにされる」とある本に書いてあったのを思い出した。*6インド雑記(1)天気予報が無い」にも書いたように、毎日の天気も季節内は変らない。昨日と同じ天気で、「いい天気ですね」と言うと何を言っているのかと言われそうだ。異文化間の心の交流も難しい。

 閑話休題、ということで、デリーで友人と行く郊外のレストランを決め、電話で何とか夕食を予約した。仕事が終った友人から人数が増えたと言われたので、人数の変更のためまた電話した。ところが、これが通じない。もう既に2人で予約できているとがんばる。私もヒンディー語でがんばっていたが、遂に先方が業を煮やして英語のうまそうな人に代った。代った人は一言、”How many people?” 私も一言、”six.” これで話は終ったが、「変更」が通じなかったことで私は傷ついた。その後、6人がホテルのロビーに集まり、タクシーの手配が遅れたため、レストランに時間の遅れを連絡することになった。私は再度電話する元気が出ず、みんながホテルのコンシェルジェに変更の電話を頼もうと言ったので、異議なく賛成した。

(バーラトは難しい)

 失敗談をもう1つ。前述の飛行機で隣に乗り合わせたインド人との雑談の中で、ヒンディー語の勉強の話になった。*7 それで「私は日本人、貴方はインド人」などと詰らないことを言ってみた。インドヒンディー語では「バーラト」、インド人は「バーラティーヤ」と言うはずだが通じない。何度か試みているうちに、先方は私の間違いにやっと気が付いてくれた。すなわち、ヒンディー語の「b」には無気音と有気音とがあり(アルファベットでは、bとbhとに書き分けられる)、それが違っていたのだ(インドはbhaarat)。私は全く聞き分けられないし、発音の区別もできないので、いい加減に覚えていたのだが、baaratと発音し、先方にはそれが全く別の単語に聞こえていたのだ。

 この無気音と有気音との別は、k-kh、g-gh、c-ch(チャと発音)、j-jh(ジャと発音)、p-ph、b-bh(前述)と多い。t系、d系には、更に、歯破裂音に加えそり舌破裂音(舌を口蓋の中央部に付けて発声。ここでは便宜的にイタリックで表記)がある。すなわち、tにはt-th-t-thの4種、dにはd-dh-d-dhの4種があり、私には全く区別できない。先ほどのバーラトが通じなかったことで、これら全てを区別しなければならないかと思い、私としては、ヒンディー語をこれ以上学ぶ気力を全く無くしてしまった。

 語学の勉強というのは、コストパフォーマンスが最悪だとつくづく思う。多大の時間を費やしても初歩的な実用のレベルにも達しない。勉強を中断すると、自転車の練習と違い、直ぐに忘れてしまう。観光旅行で行った場合だと、帰ると接する機会が無く、あっという間に元の木阿弥だ。

*1http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%94%A8%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

*2:辛島昇 監修 「(読んで旅する 世界の歴史と文化) インド」 (新潮社 1992年11月)

*3黒澤明夫 「(一人歩きの会話集)ヒンディー語」 (JTBパブリッシング、2009年10月初版)

*4町田和彦 「ニューエクスプレス ヒンディー語」 (白水社、2008年9月1刷、2013年1月5刷) この本は薄いが説明はいい。これ以外のヒンディー語の語学書(例えば大学書林の「基礎ヒンディー語」は6500円)は、厚くて高価なものになって、私には手が出ない。

*5:余談だが、新宿の大きな書店ブックファーストに行って探した。「アジアの言語」コーナーに無いので驚いた。ヒンディー語は「その他の地域」コーナーにあった。

*6:ありがとうに関しての日米比較との対照も面白い。米国人は、日本人がありがとうと言う場面が少ないことと、同じことに何度もありがとうと言うことが気に懸るそうだ。米国人は、例えば店員からお釣りをもらっても、ドアーを開けてもらってもサンキューと言うが日本人は言わない人が多い。日本人は、例えば1度ご馳走になると、その後いつ会ってもあの時はありがとうと言うが、米国人は礼は済んでいるはずなのに何のことかと訝しむ。米国人でも2度礼を言う場合があるが、その時は Thank you again とはっきりさせる…そうだ。

*7:私は元来飛行機の中でも列車の中でも、用事がある場合は別として殆ど隣人と話をしない。特に外国で相手が外国人の場合は苦手だ。逆に日本で外国人から下手な日本語で話しかけられても、話題が詰らないし、時間がもったいないと思う気質だ。従って、自分の外国語の練習になると思う場合でも、相手は迷惑だろうと考え、そこそこに切り上げるのが常だ。そばに日本人がいると、なおさら恥かしくて(語学の勉強などしていて暇だと思われる)話せない。今回は相手のインド人が話し好きだった。

2013/12/24 (火)

[][]インド雑記(5) インドの数2題

 10月に弊ブログで「インドの数の数え方」(id:oginos:20131021)を紹介した。そのうちの2つをインドで確認してきた。1つは、指での数え方、2つは1,000以上の数の2桁ごとのカンマ区切り(百進法)だ。

(指での数え方)

 冒頭の弊ブログへの友人のコメント(http://d.hatena.ne.jp/oginos/20131021/p1#c)で、インドの指での数の数え方がユニークだという指摘があり、その数え方を示すウェブページが紹介されていた。http://www.sepia.dti.ne.jp/shu/goodidea/indiacount.html

 このページは、片手で12まで数えられるインド人の方法を図示している(以下このやり方を「U」という)。面白そうなので、インドに行って計3人のインド人に確認してみた。全員ほぼ同じ数え方を見せてくれたが、「U」とは少し違っている。特に、Uでは、人差指、中指、薬指、小指の各3つの節に親指を当てて、3×4の12まで数える。私の会ったインド人は更に親指の3つの節に人差指の先を当てて、併せて片手で15まで数えてくれた。両手で30まで数えられると誇らしげな人もいた。ただ1人だけ親指が心なしかずんぐりした人がいて、14までしか数えてくれなかった。そのうち1人に協力をお願いして、動画で撮影させてもらった。*1

http://d.hatena.ne.jp/oginos/files/Countingbyfingers.MOV?d=.mov

 聞いた人3人がすべて同じ数え方をしてくれたので、インドでは一般的な数え方なのだろう。冒頭の友人のコメントでは、この数え方の存在は東大の須藤靖教授の雑文で知ったが、具体的な図(U方式)はウェブで探したものとある。従って、須藤教授の紹介した方法は「U」とは違うものなのかも知れない。

 帰国後、ふと気が付いて片手で24まで数えられる方法を自分で思いついた。上記のインド人の13から15は、人差指の先で親指の3節をポイントする。次いで、中指の先で親指の3節をポイントし、更に薬指、小指の先を用いて親指の3節をポイントすればいい。片手で24、両手で48まで可能だ。自分で動画を撮影したので紹介する。ややぎこちない動きがあるが、慣れていないからなので、そのうちスムーズになるだろう。インド人に見せたら評価してくれるだろうか。

片手で24.3gp 直

(百進法の実際)

 冒頭の弊ブログでは、「大きな数の百進法」と題し、ヒンディー語では、1000のハザールまでは英語などと同じ3桁でカンマだが、その上は、10万がラーク、1000万がクローレ、10億がアラブという風に100倍ごとに新しい数詞が登場し、数字も2桁ごとのカンマ区切りになると紹介した。しかもインド英語でも同じ2桁区切りで表記されると書いてある。

 毎朝ホテルの部屋に配達される英字新聞で確かめた。本文にはなかなか大きな数字が出てないが、何かの銀行の公告で見つけた(全文英文の公告)。

Rs 2,05,84,148/- ( Rs Two Crore Five Lakh Eighty four Thousand one Hundred Forty Eight Rupees) [Rsはルピー(当時1ルピー=1.7円)。2058万4148ルピーの意。Lakhはlacとも。]

 しかし、中にはbillionなどを使っている記事もある。小さな記事だが、日本の安倍首相の写真入りで、日本が、$182 billion ないし18.6 trillion yenの経済対策を発表したと報じている。ヒンディー語の百進法方式と英語の千進法方式が新聞の中で混在している訳だ。

 同じ表記の中で混在している例としては、車の窓から見つけて撮った数字の看板の写真を紹介する。

f:id:oginos:20131207174314j:image:w360:right

「Rs 12,500 Crores」 (最初の記号はルピーを示す通貨記号)とある。ガイドにどう発音するのかと聞いたら、twelve thousand five hundred crore と言っていた。1250億ルピーだから大きな額だが、百進、千進混在で書き、発音しているのが面白い。看板によればインド最大の保険会社の95周年のようだ。

 この表現の混在が混乱を産んでいる事例にも遭遇した。プネ市を案内してくれた同市のビジネスマンが、プネの人口(広域)はsixty million (6000万人) と言ったので、友人と2人でのけぞった。本当かと聞き返したら、少し考えてsix million (600万人)と訂正した。私は、彼の間違いの理由が想像できたので、後で、sixty lakh の積りで間違ったのだろうと聞いたら、苦笑して認めていた。

*1:実は3人すべての動画を撮ろうとしたのだが、3人目はカメラのバッテリーが切れていて駄目だった。