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踰矩ブログ(耳不順を改め) RSSフィード

 2016年の新年に当り、弊ブログのタイトルを変えることとした。論語の「70にして心の欲する所に従い矩を踰えず(のりをこえず)」をもじり、矩を踰える趣旨で「踰矩」ブログに変える。音読みで「ゆく」、訓読みで「のりこえ」と読んでほしい。今までの「耳不順ブログ」にもそれなりに愛着があり、また、継承関係を示す意味で、「踰矩ブログ(耳不順を改め)」とかっこを付けた。  趣旨の詳細は、2016年1月1日付けの記事で説明してあるが、要するに、長いサラリーマン生活を終え、60歳、70歳になって気ままに過したいということだ。
 本ブログは、2006年頃から非公開で書き溜めていたものを2010年に公開し、その後諸事に関する私の雑感を綴ってきた。タイトルの「耳不順」、「踰矩」に従い、偏った視点でと思ってきたが、そのことより、長い、くどい、話題が固いと評判が悪い。
 本ブログにコメントが寄せられても、有難いことだが、かねての方針通り、原則として耳を傾けない(順わず)こととします。マナー違反にご容赦のほどを。(2016年1月記)
 似顔絵の経緯は、2011年12月11日のブログを参照。 [累計アクセス数統計については、2017年8月7日以降、はてなダイアリーのカウンターサービスが廃止となった。]

2016/12/24 (土)

[] 生前退位(その3)

 「天皇陛下の退位を巡る政府有識者会議」で座長代理を務める御厨貴東大名誉教授への日本経済新聞のインタビューが12月24日の同紙に掲載されていた。この有識者会議は、12月14日に会議を開き、来年1月に論点整理を行うと伝えられている。同会議では、生前退位の恒久化は避けて、今上天皇に限り認める特例法が望ましいとの方針であると報道されていた。私は特例法について以前は否定的に思っていたが(後述)、このインタビューを読んで考え直した。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS23H0F_T21C16A2PE8000/?n_cid=NMAIL003 

 このウェブの記事には出ていないが、紙上では、「御厨氏の発言のポイント」というコラムがあって、ほぼ次のように整理されている。

  • 有識者会議のメンバーでは退位に否定的な意見はない。
  • 退位を恒久的な制度とするには客観的要件の設定が困難。従って特例法。退位ができるとの先例を作ることで、将来の問題にも柔軟に対応できる。
  • 特例法でも違憲性は生じない。
  • 女性、女系天皇女性宮家の問題は、第2段階で腰を据えて取り組む。

 特例法についてかねて私が考えていたことは、次の通りだ。

a) 特例法の制定に当っては、どうしてもその時の天皇意向を(内々にでも)聞く必要があろう。その際、天皇によっては、退位のための立法化の膨大な手間を考慮されて退位を辞退されることがあるのではないか。その結果、認知症天皇などの悲惨な状況が生ずるかも知れない。

b) 8月の天皇のお言葉の趣旨から見て、自分のためだけにわざわざ特別法ということに違和感を覚えられるのではないか。

c) 皇位継承を「皇室典範の定めるところによる」と規定している憲法との関係で問題ではないか。

d) 特例法の制定というのは、そもそも生前退位に反対だが、今上天皇のお言葉もあり、当座しのぎで行きたいということではないか。

 ところが、今回の御厨貴座長代理のインタビューを読んで、少し見方を変えた。

 今回は特例法だが、実現すればこれが先例になる。これでおしまいではない。将来、今の陛下と違う状況で退位の問題が生じることもあるだろうが、特例法でやれるという先例があれば柔軟に対応できるのではないか。

 将来の別の状況も想定し、今回が先例になることを強調している点が目新しい(少なくとも私にとっては)。ということは、将来の生前退位を想定していて、かつ、その条件が現在とは違う可能性も考えているということだ。それなら、現時点でもっと生前退位に幅をもたせた要件を考えればいいと思うが、それが現時点では書きにくいということだと理解した。

 将来、退位の可能性が想定されるが、現時点ではその要件を規定しづらい状況とは何か。あえて不敬を承知の上で述べると、将来の皇后及びその子女の精神的変調の可能性ではないかと思う。いくら天皇は存在だけに意味があるといっても、妻女がそのような状況では、今上天皇がおっしゃる象徴天皇としての務めに影響が出るのではなかろうか。無理な務めをされるよりも、退位された方が、家族の平穏を確保できるのではなかろうか。問題が露わになる前に、弟宮系統への皇位継承を円滑化し、象徴的行為の継続を図ることが今上の思いに叶うのではなかろうかとの想像である。

 ところで、これは悪くない選択だと私は思う。ただし、天皇制の永続を願っているからではない。今のように、国民の通念から離れた権威付けを図っていては、天皇制は、遅かれ早かれ国民から離れていくと思う。一部の人が真剣に崇めるが、大半の人には意義が理解できない、神社みたいなものになるのではないか。天皇制と国民との関係はともかく、天皇に退位が許されない硬直的な制度になれば、次期天皇家に悲劇が起こるのではないかと危惧するからである。

(専門家ヒヤリング)

 「有識者会議」は、さる11月に、計16人の専門家からヒヤリングを行ったとして、12月1日の新聞でその概要が詳細に報道された(以下は12月1日の日経新聞による)。これについて少しコメントする。

 退位容認派が9人(うち特例法が5人、恒久法が4人)、退位反対派(摂政等で対応)が7人という結果だ。私が驚いたのは、退位反対派が7人もいたことだ。何れも熱心な天皇制及び天皇を崇拝している人達のようだが、天皇のお言葉に公然と異議を唱えるというのは不敬罪に当るのではないか。自分の理想の中にある天皇という観念を述べているだけで、天皇本人の考えを無視するのは理解できない。明治以来高々百数十年の歴史しかない皇室典範を墨守しようとしているだけのようだ。

 今回の御厨氏のインタビューには、論理に少し強引なところもあるとの印象だったが、上記のような暴論の専門家がいては、ある程度しょうがないかと思う。

2016/08/14 (日)

[] 天皇生前退位(その2)

 先週8/8(月)に、天皇陛下生前退位に関するビデオメッセージ(以下「お言葉」)が発表された。7/13に生前退位意向をお持ちとの報道がされた際に、弊ブログでも不敬ながらコメントを述べた(id:oginos:20160719)。その要旨は、譲位ではなく摂政制で対応することが望ましいということだったが、今回のように、天皇自身がこれほど明確に生前退位意向を示されたこと、また、人道的観点世論調査でも圧倒的に支持(概ね70%以上)されていることから、その方向に進むと思う。マスコミの論調も、人道的観点から慎重な議論が必要であるとして、いろいろな問題点を指摘しつつも「お言葉」自体に対する異論は差し控えているようだ。

 私としては、日本の歴史的背景等から見て摂政がいいと思うが、当面は天皇の健康の維持が最重要と思っているので、生前退位自体については実は拘りはない。本記事では、お言葉についての私の若干の違和感3点と、この機会に元号改定についてのかねての私見を紹介する。

1) お言葉への違和感

 8/9付け日経新聞では、お言葉の骨子を次のようにまとめている*1。ぞの後に、不敬ながら私の違和感を述べる。

お言葉の骨子(8/9付け日経新聞) (番号付けは私)

  1. 天皇高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、個人として、考えてきたことを話したい。
  2. 80を越え、身体の衰えを考慮する時、全身全霊で象徴の務めを果たすのが難しくなると案じている。
  3. 天皇の務めとして、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきた。
  4. 高齢化に伴う対処として国事行為象徴としての行為を縮小するのは無理がある。摂政を置いても、天皇が務めを果たせないことに変わりない。
  5. 天皇が深刻な状態になれば社会の停滞と国民の暮らしへの影響が懸念される。
  6. 憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しない。
  7. 象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じる。

a) 家族への気遣い

 私の違和感の第1は、骨子#5の社会の停滞と暮らしへの影響に続いて、お言葉の原文で、皇室の家族への影響への懸念に触れられていることだ。

 これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2か月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

 私には、これはどうしても自分の家族への私的な気遣いとしか思えない。天皇の葬儀は国葬として行われ、全て公的なことだから、遺族も従わなければいけないとの考えと、私的な部分も相当あり、その部分については柔軟に考えていいとの考えがあろう。天皇が遺族のことを懸念するなら、私的な部分はもちろん公的な部分についても簡素化が可能なものについては、生前の発言ないしは遺言としてその旨記す方法が考えられる。

 実際3年ほど前に今上天皇は、御陵と葬儀について、極力国民生活への影響の少ないものとするとの観点から、大きさの縮小と火葬が望ましいとの考えを公にされている*2

 家族への気遣いが、生前退位の理由の1つ(流石に主要項目ではないが)に挙げられているのに相当の違和感を覚える。あるメディアのコメントに、これは皇太子妃殿下の状況への気遣いと思われると、やや肯定的に書かれていたが(出所失念)、そのために生前退位をするというのはやや筋違いであろう。

b) 社会の停滞と国民の暮らしへの影響

 同じ#5の社会の停滞と暮らしへの影響は、恐らく昭和天皇崩御の際の騒ぎ(自粛ムード騒ぎ)を念頭に置かれていると思う。私は、不敬ながら、あの騒ぎは過剰だったと思っているし、天皇でなく太政天皇(こう呼ぶかは決定されていないが)の崩御であればそのような騒ぎにならないというのはよく判らない。功績、人柄を偲ぶ国民感情の表れといえる自粛ムードを抑えることは難しいだろう。家族(時の天皇以下)としても、個人的感情からはもちろん、外観上も行動を慎まなければいけないという意識になろう。親の死に目に会えなくても仕事優先の場合があるという一般市民の通念は、基本的に仕事の無い皇室には通用されない。

 自分の体調が重篤になった時の社会への影響を懸念するなら、今から自粛ムードはよくないと、機会を見つけて発言されていればいいと思う。それでも過剰な自粛騒ぎが収まらないとすれば、国民のレベルの低さを表しているので、どうしようもないことと思う。

c) 象徴としての仕事は減らせないし、摂政にも代替できない

 骨子の#3、#4、#7に書かれていることは、象徴としての仕事は、減らすことも摂政に替ってもらうこともできないということだ。お言葉の原文を一部引用する。

 天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。……こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

 陛下が各地を訪れ、被災地訪問や戦跡慰霊の旅などを行われてきたことには、私も心打たれてきた。しかし、日本国憲法は、このようなことを、摂政でも替りが務まらない象徴の仕事として、天皇にアサインしたのかとの疑問を持つ。

 今上天皇は、非常に真面目な方で、真摯に象徴が何をなすべきかを考えられてきたのだろう。しかも完璧主義*3、その仕事は象徴(天皇)以外の人に代替されることは許されないと考えられたのだろう。しかし、それは国民一般のレベルを遥かに越えているとともに、跡を継ぐ人も大変だと思う。日本国民象徴は、もっと気楽に務め、国民とともに喜怒哀楽するが、時に手抜きがあってもよかろうと思う。

 これからが、私の最も不敬なコメントだが、今上天皇にとって、天皇の役割とは、「国民の安寧と幸せを祈ること」に加え、第125代天皇として、祖先を祀り、皇系を維持、存続させることが重要だろうと推測する。万世一系の124代の祖先を抱えた歴史は重い。皇系維持のためには、各種の宮中祭祀に加え、国民の中での皇室の役割の確立と維持が重要であり、それを探索された結論が、このような代替の効かない象徴の務めであったのだろうと拝察する。

 話はずれるが、日本の社会の中での天皇制に、私は実は危惧を抱いている。千数百年間、125代、万世一系、男系男子の重い歴史は、諸外国の歴史では例がないと聞く。世界の諸王朝(王制ではない、その他の政治体制も含める)は、競争の中での歴史を持つ。淘汰、選択の可能性という緊張の中で、存続又は交替してきた。これに対し、千数百年間の万世一系という日本の奇跡(私は虚構かも知れないと思っている)は、健全な社会の維持という観点から見てひょっとしたらもろいものかも知れない。ある種の異論を許さない、議論をオープンにせず、タブーに押し込めるという社会は、今後のグローバル世界で生きて行けるのだろうか。

 生前退位ないし譲位の制度化に当っては、単なる復古ではなく、現代の社会の動向と齟齬のない方向での検討が必要と考える。

2) 改元への期待

 天皇意向にまさか逆らうことはできないから、生前退位は多分具体化するだろう。その際、元号法に基づき、皇位継承に応じて元号が改訂される。若干余談だが、元号改定が行われるとした場合、期待することがある。

元号改定の透明化

 1つは元号改定の透明化だ*4。平成への改元の際、私ががっかりしたことが3点あった。

a) 十分な議論の無いまま決めた。

 崩御が発表されたのは1989年1月7日の朝。その日の午後には、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に、「平成」「修文」「正化」3つの候補が示され、翌1月8日から施行された。選定理由とされているのが、後者の2つのイニシャルが昭和と同じ「S」で不都合だということだけだったと伝えられた(Wikipediaにもある)。誠にレベルの低い議論でがっかりした。事前には内々に検討が進められていたかも知れないが、広く国民間はもちろん、懇談会内部でもこの間、実質的な議論があったとは思われない。

 もっと期間をおいて国民的議論でやってほしいと思うし、生前退位となれば、十分な時間的余裕を持てる。1889年大日本帝国憲法の発布の際、国民は提灯行列などで祝ったそうだが、当時東京大学にお雇い外国人として来日していたドイツ人医師ベルツは、一般民衆の様子を「お祭り騒ぎだが、誰も憲法の内容を知らない」と観察していた*5

 平成の元号改定の騒ぎはそれに似ている。

b) 同じエ列の長音が2つ続くのは平板。

 これは私だけの感覚かも知れないが、この音感は最初から好きでなかった。

c) 出典が中国の文献であるのがよくない。

 「平成」の由来は、「史記五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、「書経」大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味だとある。このようなことを時の小渕官房長官が記者発表の際に述べたらしい。こういうことだから、中国は基本的に日本を馬鹿にしている。

 明治、大正、昭和も、由来は易経書経史記とのことだ*6。漢字は、中国由来だが既に日本語だ。日本の文献にも立派なものが多い。元号の出典は日本の文献に求めるべきだ。今の元号は、紙幣に孔子などの肖像を使っているようなものだ。

改元の時点

 生前退位であれば、その時期も自由に選べる。ある報道2020年1月1日と区切りのいい時期が候補に上っていると書かれていた(出所は失念)。2020年は、単に西暦での区切りとの趣旨だけではなく、現皇太子殿下の還暦の年だそうだ*7。1月1日改元なら好都合と思うが、実際にどうなるかは判らない。

 私はどうせなら、2021年1月1日改元がいいと思う。新元号の元年が西暦2021年で、その後も両者の差が10年単位となって換算が容易になる。とてもまともな理論ではないから、実現しないと思っているが。

*1:お言葉の全文は宮内庁HP http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41

*2:「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后陛下お気持ち」2013/11/14宮内庁 http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/goryou/pdf/okimothi.pdf

*3末森千枝子「完璧主義ゆえのお考え」、文藝春秋2016年9月号

*4:私個人としては、元号がよく替って年数計算が面倒になるのは面倒なので、昭和の末期から西暦に統一している。だから、元号は基本的に関係ないようなものだが、毎日目にするから気に懸る。

*5https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%84

*6http://www.meijijingu.or.jp/qa/gosai/07.html

*7所功皇室会議で1両年中に結論を」、文藝春秋2016年9月号

2016/07/19 (火)

[] 天皇生前退位ないし譲位

 7月13日の朝刊で、今上天皇生前退位意向をお持ちとの話が一斉に報道された。私は、生前退位より摂政制を活用すべきと思っているので、以下、不敬にわたるが、少しコメントしたい。

1) 摂政で対応できないか

 陛下高齢のため、執務に支障があるなら、現行の憲法皇室典範に規定のある摂政を置くのが素直だと思う。皇室典範の規定によれば、未成年や重大な事故以外の場合は、摂政を置くには「精神、身体の重患」が要件とされている。従って摂政は難しいとされているが本当にそうか。現在の陛下の状態は、「国事に関する行為をみずからすることができないとき」に該当すると考えることが可能で、今後その状況は益々悪化するであろう。

 もし現行の規定では読めないとなれば、摂政設置の要件を緩和する微修正の改正をすべきだ。今の老齢の陛下の激務を放置するのは適切ではない。

皇室典範 第16条  天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。

2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。

2) 生前退位がなぜ不適当か

 ここ数日の論調を見ると、生前退位ないし譲位(この2つは同じ意味であろう)は近世まで多かったから、それを認めるように皇室典範を改正すべきという意見が多い。しかし、私見では、近世までの譲位は、健康上の理由ではなく、大体政治的背景があり、権力争いの一環であった。譲位した天皇が上皇となり、天皇上皇間の争いのみならず、周囲の人の思惑も大きく絡み、不安定ないし不透明な動きが多かった。上皇は、一次的な責任から免れる訳だから、早く退位して不透明な院政を敷きたいと考えたケースもある。今後もそうなる可能性があると思う。

 例えば、河合敦「読めばすっきり! よくわかる天皇家の歴史」(角川SSC新書、2012年)などを読めば、譲位が如何に権力闘争の手段として利用されてきたかが判る。これを読むと私などは、天皇というのは、もちろん人によるが如何に我執が強く、ある意味で人間的だと思う。これを制度的にコントロールする仕組がないと、危なくてしょうがない。特に現代は、マスメディアの発展により、直接国民一般に広く接触できる訳で、危険度が高まっていると思う。最後の上皇である光格天皇*1以降ほぼ200年間、生前退位が行われていないし、明治の旧皇室典範(1889年)でも譲位の規定がないのは、この制度の弊害が広く認識されていたからではなかろうか。

3) 政府首脳はなぜコメントしないのか

 安倍首相、菅官房長官は、事柄の性格上コメントを差し控えると発言している(7月14日段階)。もっとも、天皇が今回、生前退位に関する希望を述べられたということに私は驚いた。憲法第4条1項の規定のとおり、「天皇は、…国政に関する権能を有しない」から、このような発言にはかねて慎重であった。生前退位の問題が国政かという議論はあろうが、今上陛下は、国政に関しそうなことにはかねて慎重であった。余程の覚悟があったのだろうと推測できる。

 何れにしろ、生前退位に関する制度的検討は、内閣が責任を持ちイニシャティブを取って行うべきことと思うので、各般の意見を求め、早急に着手することが必要と思う。首相、官房長官は、これにより、考えていた憲法改正の着手が遠のく(あるウェブでの観測)ことでうろたえ、言うに事欠いて「事柄の性格上」と口走ったのかも知れない。

憲法第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

4) 皇族制度の問題

 高齢陛下がかねて多忙であったことの理由の1つは、皇太子殿下が公務を十分代理してくれていないとの懸念であったかと思う。摂政であれば、代理される天皇に一次的責任は残るとも思え、その公務の代理の中身に(自分とは異なると)やきもきされるかも知れない。それに対し、譲位してしまえば他人のことだから気にしなくてもいいとの安心感があるかも知れない(やや不敬か)。私は、公務(天皇の仕事)の具体的内容については、天皇の個性により差が生じるのは止むを得ないし、今上陛下もある程度覚悟されているのではないかと思う。だが、日本国民統合の象徴である天皇としては、少なくとも安定、円満な家庭を維持していることを国民に示しておいてもらいたいと考えていらっしゃるのかも知れない。

 しかし、家族制度の安定も世界的な動きを見ると危ない。伝統的な結婚は減少して同棲カップルが増え、離婚も増加している。また、同性婚を始めとしたLGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender)のカップルも公認化されつつある。落合恵美子「21世紀家族へ(第3版)」(有斐閣選書、2004年第1刷、2011年第11刷)によれば、家族について、戦前の家制度から高度成長期に核家族に移行してきたが、その後現在に至って更に家族の解体が進んでいるという。これからは、「家族の個人化」がキーワードで、「家族生活は人の一生のあたり前の経験ではなく、ある時期に、ある特定の個人的つながりを持つ人々とでつくるもの」になっていくのだそうだ。

 国民の象徴たる天皇家においても、この傾向とは全く無縁でいられるとの前提の下に制度設計するのは、早晩行き詰まるのではなかろうか。今後、皇室典範改訂の検討が行われる場合には、少子化傾向及び男女格差の撤廃の観点から、少なくとも女性天皇制の導入は必須だと思う。私は天皇制の維持について殆ど関心が無いが、維持する場合には、外国人にも説明できるものであることが必要だろうと思っている。

*1:1771生-1840没、在位1780-1817、仁孝天皇譲位後も20年以上、上皇として実権を保持。