巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

戦後漫画史と景気の関係その1


 ども漫画家であったりもする巨椋修(おぐらおさむ)です。

 歌は世につれ世は歌につれという言葉がある。それは漫画というものにも当てはまるのではないだろうか?

 と、思ったので調べてみました。
(ま、上武大学田中秀臣教授の『AKBの経済学』を読んだ影響だがな(笑))

 戦後、漫画は長らく悪役でした。


 きょういくねっしんなえらいひとやりっぱなおかあさんたちが、まんがわるいほんだといってずいぶんとはくがいしてきたのです。


 例えば、いまでは学校の図書館に置いてある手塚治虫や藤子不二男、白戸三平といった人たちの本が焚書(悪い本だということで集められてみんなが見ている前で燃やされること)にされた時代もあります。


 えらいひとたちはりっぱなおかあさんたちは、こどもがまんがをよむとあほになるとおもっていたようでした。


 そんな漫画ですが1960年代後半あたりから、少しずつですが市民権を得てきたようです。

 時代は高度成長期。その時代に流行った漫画に、スポ根ものといわれる『巨人の星』『あしのジョー』『アタックNO.1』などがあります。

 驚いたことに敗戦から25年ほど経っているにもかかわらず、これらの漫画は敗戦後の貧しさをひきずっているのですよ。

 例えば同時代のプロレス漫画のアニメ版『タイガーマスク』では、エンディングテーマで戦災孤児として焼け野原をさまよう主人公伊達直人が描かれています。



(アニメ「タイガーマスク」のエンディングソング『みなしごのバラード』より。主人公の子ども時代)



 作品にはハッキリと出てきませんが『あしたのジョー』の主人公矢吹ジョーもおそらく戦災孤児かそれに近い存在であろうと推測できます。


巨人の星』の主人公星飛雄馬の父、一徹はた。太平洋戦争に徴兵され戦場で利き肩を負傷し、プロ野球選手を断念するという設定です。


そして60年代後半から70年代はじめは、その高度成長の終末期でもありました。


 正しくは高度成長期は73年に終わります。ほぼその時期に最終回を迎えたスポ根漫画の最終回は、決してハッピーエンドではないのです。


 73年に最終回を迎えた『あしたのジョー』は、世界チャンピオン戦で惜しくも負けながらも全力を出して燃え尽き……


(漫画『あしたのジョー』ラストシーン)

 71年に最終回であった漫画『巨人の星』では、主人公星飛雄馬パーフェクトゲームがかかった最後の一球で腕を壊し、プロ野球を引退。


(漫画『巨人の星』のラストシーン。異様に寂しい・・・)


 同じく71年に最終回の『タイガーマスク』の最終回は、後一歩で世界チャンピオンになれるかというところで、主人公が交通事故で死亡。(漫画版の場合)


(漫画『タイガーマスク』のラスト。ヒーローが交通事故で亡くなるというのはめずらしいのではないだろうか?)


『アタックNO.1』の場合、漫画版の場合、惜しくも世界一の逃したものの主人公は最優秀選手賞に輝きますが、主人公は「心の底からの喜びがわかないわ それは優勝していないからよ」と、手放しでは喜びません。


 こういった漫画の最終回と、高度成長期の終わりということを繁栄しているのではないでしょうか?


 映画『三丁目の夕日』のように1950年から60年代は、「がんばれば必ず報われる」「明日は今日より良くなる」と信じて、日本人が突っ走ってきた時代です。

 これに答えるかのようにスポ根漫画の主人公たちは、根性根性ど根性! と血の汗を流し、特訓特訓で努力をして一流になるわけですが、最終的にはやっとチャンピオンになれるかなれないかで、力尽きたりしていったのです。


また、その後のスポーツ漫画を見ても、日本の(といっても海外のものは知りませんが)漫画では、頂点を目指し、やっと手にしたところで引退とか、あるいは命が尽きるといったものが多く、絶対王者的なものはあまりないように思います。

これは漫画自身が若者文化であることに加えて、明治以降の日本が死に物狂いで頂点を目指し、太平洋戦争で力尽きたり、高度成長期で疲れてしまったり、あるいはバブル崩壊で、ガックリときたりしてきた歴史と関係があるのかも知れませんね。


 ちなみに、75年に最終回を迎えた水島新二作『男どアホウ甲子園』では、子どものころ、阪神タイガースに入って、長島から三振を取るというのが夢であった主人公が、その夢をかなえて終わるのですが、80年代に連載された『大甲子園』という作品に『男どアホウ甲子園』の主人公藤村甲子園が登場するのですが、藤村甲子園は阪神入団3年目に165キロというプロ野球史上最速の豪速球を投げた直後、肩を壊して野球を引退していたという設定になっていました。

 60年代後半から70年代前半という高度成長期末期に現れた、スポ根漫画の主人公の最後はどうも悲劇的なものが多いようです。

 これらが、た高度成長期に疲れた日本を象徴していると思うのは、考え過ぎでしょうか?



(つづく)