巨椋修(おぐらおさむ)の新世界

作家・漫画家 巨椋修(おぐらおさむ)のブログ。連絡先は osaogu@yahoo.co.jp

変わった誕生の食べ物たち


 


 世の中には、ちょっと変わった誕生のしかたで世に出てきた食べ物があります。よく知られたところでは、ギャンブル好きのイギリス貴族、サンドウィッチ伯爵が考案したといわれるサンドイッチ。これは食事のためにギャンブルを休みたくなかったサンドウィッチ伯爵が作らせたという説があります。


 もっとも、パンにモノを挟んで食べることは、はるか以前から行われていたので別にサンドウィッチ伯爵が考案したというものではなく、サンドウィッチ伯爵が好んで食べたので、サンドイッチという名前の由来となったというのが本当のようです。


 そういえば、日本でも鉄火場といわれている博打場で、博打を休まずに手軽に食べることができたのがマグロの巻き寿司だったので、やがてマグロの巻き寿司を『鉄火巻き』と呼ぶようになったという説があります。


 サンドイッチにしても鉄火巻きにしても、ギャンブル好きの人々というのは共通するものがあるのかもしれませんが、この博打場で好まれたので鉄火巻きと呼ばれるようになったという説も、どうも俗説であるそうです。


 と、いうことで、ちょっと変わった誕生の仕方をした食べ物とは……




●いじわるから生まれたポテトチップス

 いまやおやつの定番ポテトチップスですが、この食べ物が生まれたのは、19世紀半ば、場所はニューヨーク州のリゾート地サラトガ・スプリングス。この地でシェフをしていたジョージ・クラム氏は、ちょっとムカムカしていました。


 わがままな客が、クラム氏が作ったフレンチポテトがぶ厚すぎて気に入らないというのです。



 自慢の料理にケチをつけられたクラム氏。仕方なく薄く切って揚げたポテトフライを出しても、まだ気に入らないというのです。何度かやり直しをさせられたクラムシェフ。頭にきたと、フォークで刺せないくらい思いっきり薄くスライスしたジャガイモを揚げて出したところ、これが大評判となったのがポテトチップスのはじまりだそうです。




●戦艦の中でビーフシチューの変わりに考案された肉じゃが

 日本帝国海軍が広めた料理として有名なのがカレーライスですが、他にももう一つあります、それが『肉じゃが』。


 肉じゃが発祥説にはいくつかあるのですが、有名なのが日本海軍のリーダーのひとりであり、日清日露の戦争で大活躍をした東郷平八郎が、ある日艦上でイギリスに留学していたころ食べたビーフシチューを食べたいと、コックにいったところ、残念ながら材料がなく、またコックにビーフシチューの知識がなかったため、あり合わせの材料でビーフシチューをイメージしたものを作ったのがはじまりという説があります。



 しかしまあ、この時代には限りなくビーフシチューに近いハヤシライスも誕生しており、コックに知識がなかったかどうかは疑わしいところ。ただ、デミグラスソースの材料がなかったということはあるかも知れません。


 先ほど海軍が広めた料理にカレーライスがあると述べましたが、この肉じゃがの材料とカレーの材料って、お肉、じゃがいも、ニンジン、タマネギなどかなりの部分で共通するんです。このカレーの材料をひと工夫してできたのが肉じゃがだったのかも知れませんね。




ハンブルグにはなかったハンバーグステーキ

 ドイツのハンブルグを英語読みするとハンバーグになります。このことから、ハンバーグステーキはドイツのハンブルグで生まれたステーキだと思っている人がたくさんいるようです。


 ところが、元々ハンブルグにハンバーグステーキなどという食べ物はなかったんです。



 じゃあ、どうやってハンバーグが生まれたかというと、19世紀末、ヨーロッパから200万人以上の人々がアメリカに移住しました。


 そのなかにはたくさんのハンブルグ出身のドイツ人がいたのですが、彼らが食べていたのがミンチを焼いて作ったステーキだったのです。


 ミンチといえば聞こえはいいのですが、ようはクズ肉。移民というのはいつの時代でも貧しい人が多く、貧しいドイツ系の人たちがクズ肉にひと工夫して作ったものがやがてハンブルグステーキ、ハンバーグステーキと呼ばれるようになったのです。
 



●神戸牛がおいしいと評判になったワケ

 太古の昔、日本人は普通に肉食をしており、時には牛を食べることもあったのですが、仏教が伝来してから肉食をあまりしなくなり、江戸時代になると、イノシシやシカ、ウサギといった肉は、薬喰いと称して食べていましたが、牛は荷物の運搬やトラクターの代わりとして飼われてはいましたが、食べることはしませんでした。


 それが明治になり海外との交流が再開されると、日本人も徐々に牛肉をたべるようになりました。


 そんな明治時代、神戸牛は日本にやってくる外国人たちに「美味しい」と評判となったのです。


 神戸といえば港町。はるばる海外からやってきた外国の人たちは、神戸に上陸して神戸の牛に舌鼓を打った…… わけではありません。



 外国のみなさんは、神戸で神戸牛を食べていたわけではないのです。


 え? じゃあどこで食べていたかですって?


 実は横浜なんです。お肉っていうのは、牛をツブしてすぐに食べたりすると、硬くて味も悪くて、全然美味しくないんです。


 ときどき「新鮮なお肉は美味しい」なんて思っている人がいるかも知れませんけど、それは大間違い。


 牛肉は、ツブしてから数日〜2ヶ月くらい熟成させてから食べると、肉が美味しくなるのです。つまり神戸牛が評判になったのは、神戸でツブした牛肉が船便で横浜に運ばれていくうちに熟成され、ちょうどいいときに外国の人たちが食べて大評判になったというわけなのです。


 それにしても、食べ物の歴史っておもしろいものですねえ。




(文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))