新聞各紙は審議を正しく伝えているのか?


昨日は第21回漢字小委員会でした。霞ヶ関で傍聴して家に帰って、一晩たって朝刊を見たら、おやまあびっくり。うちは朝日なんですが、1面に「常用漢字追加素案220字」と見出しがあり、ご丁寧に「新常用漢字表(仮称)に入れる可能性のある候補漢字の素案」と題した漢字表まで入れている。あとで小熊さんのところを見て分かったんですが、朝日新聞毎日新聞は12日の夜のうちにウェブで記事を出したようですね。


ウェブの日付を信じるなら読売も「13日01時32分」。はたして朝刊に間に合ったのかどうか微妙な時間に見えますが(図書館に行けばすぐに確かめられるだろ……)、産経は「13日10時54分」、日経は「13日16時」。これらの会社は朝日と毎日に「抜かれた」ということになるのでしょうか。

ただし早ければよいというものじゃない。小熊さんは「まだ第1素案で次までに改訂するとか言っている物を、こんな素早く報道してどうするんだか……」と書いているけど、まったくそのとおり。ぼくも朝刊を見た最初の感想は「あれを出しちゃったわけ!?」というものでした。



各新聞社のサイトを検索すると、地方紙もふくめ、これを報じてしない新聞を探す方がむずかしいほど。もっともこれは世の多くの人々が新常用漢字表について注目しているというより、むしろ新聞社が興味を示していると理解すべきではないでしょうか。

そりゃそうです、12日に発表された素案で唯一無条件に最初から候補に入れられたのは、日本新聞協会が決めた「常用漢字並みに使用する表外字45字」(新聞常用漢字)だけなんですから。あとは人名用漢字だって表外漢字字体表だって特別扱いされていません。新聞社はそれだけ楽に新しい漢字表に移行できるわけです。この特権扱いが悪いとまで言いませんが*1、このことを一言でも報じた新聞があるのか、我々はよく覚えておいた方がよいと思います。

各社の記事で最も問題が大きいと思われるのが、12日に発表されたのは「字種」だということを全然報じていないこと。しかし事実として各社が基づいたはずの配布資料4の標題は、「これまでの検討結果(第1次・字種候補素案)」というものです。すなわち、この資料では「字体」は問題にしていません。「岡」と「丘」のように意味を共有する「グループ」(=字種)ごと追加候補にすると決めただけで、そのグループ内のどの字体とまで決めてはいない。しかも第1次で、さらに候補と、くどいほど言わばβ版にすぎないことを強調しています。

念のために言うと、字体とは「曽」と「曾」のように文字の骨組みの違い。ただし具体的な文字の形である字形と違い、字体は形の揺らぎを含んだ抽象的な概念であり本来は形にできません。とは言え規範として字形を規定してしまうと、特定の文字デザイン以外は規範に反する結果となり、かえって非現実的なものとなってしまうので、字体のレベルを規定することにし、字体の一例として字形を掲載しているのです。こうした考え方は1949年の当用漢字字体表から変わっていません。


おそらく新聞が相手にする広範な読者層に対しては、こうしたとても一般的とは言えない文字モデルを説明できないと考えたからでしょうが(まさか知らないとも思えませんが……)、それでも真意を誤解なく伝えるのが新聞記者の腕というものではないでしょうか。紙上に「この字が追加される可能性が高い」と具体的な文字の形が載れば、その形そのものが追加の審議対象だと受け取るのが普通でしょう。しかし実際には字体を決めるのはまだ先であることは以前から明言されています*2。つまり素案にある字体はすぐに変更される可能性が高いわけで、そのことに触れず漢字表だけを掲載するのは、あたらミスリードを導く内容と言わざるを得ません。


うーん、ここまで書いて思ったんですが、以前からの経緯を知らずに昨日の1回だけ出席し、しかも国語施策について予備知識のない記者なら、「この資料にある字が追加されるんだ」と誤解してしまうかもしれない。しかしそれは、あまりに情け無いのではないかなあ……。なにより結果として読者に誤解を与えてしまっているのだし。言葉を変えれば、これは誤報と言えませんか?


話を先にすすめましょう。つぎに「220字」という表現にも問題が多い。この中には「菩」のように「次回は削られるかもしれない」と事務局がコメントした字が含まれてしまっています。この「220字」を見出しに使ったのは朝日、毎日の他、産経、日経。読売は見出しには使っていないが*3、記事本文の冒頭で〈文化審議会の作業部会は12日、「藤」「誰」など計220字を常用漢字に追加する検討案をまとめた〉と書いています。

これに対して共同通信は「「藤」など42字常用漢字に/文化審小委が1次追加素案」として、220字の中でも採用されれる可能性がより高い部分集合の文字数を出しています。


確認しただけで、この共同電を掲載したのは京都新聞、神奈川新聞、秋田魁新報山陽新聞ですが、おそらく他にもっとあるでしょう。

ではこの「42字」を出した共同通信が偉いのかというと、決してそうとは言えない。なぜならこの見出しに使っている「藤」は、頻度が高くてもほとんどは固有名詞に使われることが当日議論になった字だからです。たしかに「葛藤」というような例はあるけど、逆に言えばこれ以外は「斉藤」「藤原」のように山のような固有名詞ばかり。それだけ造語力が低い漢字と言えるわけで、その字を入れてよいかどうかは大いに疑問がある――とまあ、そういうことが審議されていました。

同じような例として、「42字」の中には頻度は高いが用例のほとんどを「弥生」の形が占めてしまう、つまりそれだけ造語力が低い「弥」、それからこれも頻度は高いが俗な表現である「俺」なども入っています*4。これらすべてがきわめて不安定な候補であるわけで、つまり、頻度だけとってみれば当確と思えた「42字」も、次回の委員会以降に数が変わる可能性が高いわけです。

見出しに具体的な数字を使うのは、新聞記者にとってはイロハのイなのでしょう。しかし、それも無分別にやれば誤報紙一重。ぼくにはそう思えてならないのですが、皆さんはどのように考えるでしょうか。


次回は5月26日の予定。今回から2週間しか間隔がありません。これは異例。委員は19日までに21回で配布された候補漢字の中から外す候補字を提出、これをさらにワーキンググループが審議して、26日にはよりブラッシュアップした案を提出するとのこと。そして6月いっぱいまでに字種を決定、その後音訓や字体の審議にうつり、来年2月に国語分科会に試案を提出、同じく来年2月の答申を目指すという*5以前も書きましたが、はたして本当にできるのかと思えるような強行日程ですが、少なくとも文化庁は本気でやり切るつもりのようです。

*1:表外漢字字体表の際は三部首許容でもめたのだから、今度は新聞を厚遇して少しでも先行きを明るいものにしたいと文化庁が考えたとすれば、戦略としてはきわめて真っ当だとぼくは思います。

*2:具体的には当日配布の参考資料3「国語分科会漢字小委員会における審議について」の「3 今後更に検討すべき課題等/(2) 採用字体の問題」の項に掲載されています。

*3:ただし読売の見出しは「新しい常用漢字にほぼ当確→岡、阪、奈、鹿、熊…」というもので、以前からすでに県名の表外字を採用するのは決定ずみであり、当日の審議の見出しとしては問題があるのではないか。

*4:この字については、朝日新聞が社会面で当日の対立するやりとりを書いていた。これに関しては、好感が持てる記事であるように思いました。なお、この記事はウエブに掲載されていないようです。

*5:ん? パブリックコメントはいつやるんだ?