Hatena::ブログ(Diary)

もじのなまえ このページをアンテナに追加

2009-05-14

「障害」と「障碍」について(追記あり) 

ちょっと心配していたのですが、夜が明けたら「やっぱりね」という感じ。前日のエントリですこしふれた「碍」の字についてです。


この記事の以下の部分。

「碍」の追加希望は20件。「障害」は戦前は「障碍」などと書いたが、「碍」が当用漢字にならなかった戦後、「障害」への書きかえが定着した。しかし近年、「害」は負のイメージが強いとして、行政文書などで「障がい」と表記する自治体が相次いでいる。今回、まぜ書きは不自然で読みづらいので、本来の「碍」を使えるようにすべきだという意見がみられた。

上記のうち、「「障害」は戦前は「障碍」などと書いた」はウソです。戦前から「障害」「障碍」の両方の表記がありました。当用漢字表は制限表ですから、これにより「障害」への書き換えが進んだのはおそらく事実でしょうが、だからといって「障碍」が古く、「障害」が新しいとはできません。「障害」は明治25年勅令に遡ることができる表記です。典拠として前日も引きましたが、ブログ『小川創生@檸檬の家』における調査を挙げます。小川さんのご尽力に感謝いたします。

朝日新聞の記者氏は、ぼくなどより以前から漢字小委員会の傍聴を重ね、じつにしっかりとした報道をされてきたと思っていましたが残念です。俗説に流されず、まず事実を確認していただきたかった。朝日新聞は訂正をするか、さもなければ〈「障害」は戦前は「障碍」などと書いた〉の論拠を示すべきではないでしょうか。

また、前日は書きませんでしたが、林史典副主査が審議の場で言った以下の言葉を記録として残しておきます。

  • 「これは共通理解として確認した方がよいと思うが、仮に「碍」の字を入れることにしたとして、この表(新常用漢字表)としては、これからは「障害」でなく「障碍」にしてくださいとは言えない。常用漢字表としては、そういう字も使えますよというだけです。もしも「障碍」という表記は使いたくないという団体があったとしても、その字(碍)を押し付けるわけではないわけです。表の字の出し入れというのはそういう意味であると、いうことには理解しておく必要はあるだろうと思います」

じつに常用漢字表の性格を踏まえた考えというべきだと思います。

※追記:小川さんのブログでは、以下のエントリをまず引用するべきでした。

「障害」の用例がどこまで遡るかという意味で上述の明治の法令にも「障害」の用例あり…むしろ「障碍者」こそ新語を引用しましたが、「障害/障碍」全般については、このエントリが施策、辞書、文学作品の諸用例を渉猟しており、行き届いた調査となっています。

koikekkoikek 2009/05/14 12:56 障碍(しょうがい・しょうげ)のほか、障礙もあり、戦前の辞書では障害も含め、並列しています。「害」にことさら反応する人たちもどうかと思いますが、「使いたくない」という声が多くなっているのは事実のようです。今の展開だと、そにうち「しょうがい」という言葉自体が使われなくなるかもしれません。

ogwataogwata 2009/05/14 13:22 なるほど、表面的な「碍/害」の違いより、むしろ「しょうがい」という語を忌避しはじめた気持ちの動きに目を凝らすべきということですね。ありがとうございます。

nazokounazokou 2009/05/14 17:43 初めまして。「碍」を追加すべきであるとの意見をパブリックコメントに送った者の一人として、何点か述べさせていただきます。最初に「ウソ」と非常に攻撃的な言動をされている点は非常に疑問です。せめて「事実誤認」とすべきではないでしょうか。それとも、記事の執筆者が故意に事実を歪曲しているとの確証が有って「ウソ」と言う表現を使用しているのでしょうか。事実誤認が有るならば訂正を求めるのは当然である点に異論はありませんが、あたかも「碍」の追加を求める意見が全て事実を歪曲して国語政策に無用の混乱を持ち込む悪意に基づいて行動しているかのような決めうちをされるのは非常に遺憾です。
次に、論拠とされているリンク先の調査ですが確かに「障碍者」であれば「新規の造語」と言えるでしょう。しかし、貴殿のここ数日のエントリでは「障碍者」でなく「障碍」も「障害」よりも下った時代になって現れた表現であるようなミスリードに取れる記述が散見されます。
知人より受けた指摘では英語の「speech」を明治時代に「演説」と訳したのと同様に「障害」は「disorder」の訳語であるとのことです。また、中国語圏では「障碍(礙)」は有っても「障害」は有りません(「障害者」に相当する表現は「残疾人」)。それと、韓国では「障碍者(チャンエジャ)」ないし「障碍人(チャンエイン)」と言う表現の方が一般的に広く使用されていますが、こうした日本国外の事例について貴殿が論拠とするサイトでは何らの言及もされていません。こうした事実についてどのようにお考えでしょうか。
重ねて申し上げますが「碍」を採用すべきであるとの意見に事実誤認が含まれているのならばそれを訂正するのは当然でしょう。しかし、地方自治体の交ぜ書き採用で「障がい者のための『障害者手帳』」のような文章すら見受けられる状態の方が好ましくないと考える率直な感覚にすら敵意を貴殿の姿勢には疑問を抱かざるを得ません。林発言は飽くまで一般国民に対して向けられたものであり、事実として行政(特に中央省庁)文書の用字が常用漢字表及び「同音の漢字による書きかえ」に拘束されていること、そして地方自治体がなし崩し的に交ぜ書きを採用している為に前述のような混乱が拡大していることを憂慮する意見を否定する論拠には成り得ないと考えます。
以上、長文で失礼申し上げました。

狩野狩野 2009/05/14 21:01 近代デジタルライブラリーをちょっと検索して引っかかった(見出しに使われている)範囲では、「視覚(聴覚・言語)障碍者」の3語を大正13年刊「欧米の特殊教育」(樋口長市 著)に見出すことができます(同字の「礙」も含めれば大正8年の内務省衛生局の用例が見つかります)。
この問題をきちんと論じようとすれば日本語学的観点だけに限ってもかなり長くなるので、一番重要と思われる上記の事実の指摘だけしておくことにします。

ogwataogwata 2009/05/14 21:50 nazokouさん、コメントありがとうございます。

誤解されておいでのように思いますが、ぼくは「障碍者」も「障害者」もその是非についてまったく触れていません。また、「碍」の字についてパブリックコメントを送った人についても何も触れていません。以上の点につき、ご確認ください。
もしもnazokouさんが「「障害」は戦前は「障碍」などと書いた」のが本当であるとの根拠をお持ちなら、ぜひお示しください。

trivialtrivial 2009/05/14 22:34 素朴な疑問ですが、
>戦前から「障害」「障碍」の両方の表記がありました。
ということなら、
>「障害」は戦前は「障碍」などと書いた
はウソではないのでは?
「など」という語句が入っているわけですから。

ogwataogwata 2009/05/14 23:13 trivial さん、コメントありがとうございます。なぜ「など」が入るとウソでなくなるのでしょう?「「障害」は戦前は「障碍」などと書いた」と短くしましたが、原文は次の通りです。

〈障害」は戦前は「障碍」などと書いたが、「碍」が当用漢字にならなかった戦後、「障害」への書きかえが定着した。〉

ogisokunogisokun 2009/05/14 23:40 おもしろい例なので授業のネタに使わせていただきます。『太陽コーパス』では過半数が「障害」でした。

小川創生小川創生 2009/05/14 23:57 小川創生です。私のブログ記事を紹介して頂きどうもありがとうございます。
当の委員会の議論も、やはり・・・という展開になっているようですね。小形さんのレポート、非常に助かります。
ひとまずお礼まで。

ogwataogwata 2009/05/15 03:41 ogisokunさん(とお呼びしてよいのか)、コメントありがとうございます。「ケーススタディ/障がい」(http://home.ogiso.net/wiki/pukiwiki.php?%A5%B1%A1%BC%A5%B9%A5%B9%A5%BF%A5%C7%A5%A3%2F%BE%E3%A4%AC%A4%A4)、興味深く拝見いたしました。「太陽コーパス」で「障害」の方が多いのもさることながら、「障碍/障害」は明六雑誌まで遡り、かつ並行しているのですね。これは面白い。

ogwataogwata 2009/05/15 03:44 小川さん、こちらこそお礼申しあげます。小川さんのエントリを読んでいなければどうなっていたか。助かりました。

nazokounazokou 2009/05/15 17:00 戦前に「障碍」ないし「障碍者」が使われていた用例については狩野さんが挙げてくださったので補足はしません。ここまでのやり取りを読んで思ったことは、貴殿が自分では「碍」を追加すること自体のの是非について論評していないと言いつつ他人の口を借りて追加要望を必要(事実誤認の訂正と認められる範囲)以上に貶めている事実には何ら変わりが無いと言うことです。
医学用語の「障害」と仏教用語の「障碍」は元々、別物だったのにある時期から混同された。その時期は「俗説」の1946年でなく明治時代まで溯れる。そうだとすれば、それは複数の選択肢がある中で1946年の当用漢字表制定に際してよりネガティブな意味の強い「害」に統一されたことを意味します。
次に、常用漢字表が「行政文書に対しては強制力を持っている」点についてどう考えているのか答えていただけないのは何故ですか? 林発言はこの点を故意に無視しているならば事実誤認を基に追加を要望するより遥かに悪質だとしか思えません。あたかも「碍」の追加要望が「全て」一般国民に対して「障害」を使うな、と強制する言葉狩りを志向しているかのように誤認して反対されるのは心外です。
現行の常用漢字表制定に際して「盲」の訓読削除に尽力した長谷川貞夫氏も飽くまで「日本政府の姿勢」を追求したのであって一般社会に対する言葉狩りを意図したものでないことを言明しています。この実例が有る限り「碍」の追加要望そのものが「事実誤認の訂正」と言う範囲を逸脱してまで貶められる謂われは無いはずです。

ogwataogwata 2009/05/15 18:35 nazokouさん、コメントありがとうございます。

> 貴殿が自分では「碍」を追加すること自体のの是非について論評していないと言いつつ他人の口を借りて追加要望を必要(事実誤認の訂正と認められる範囲)以上に貶めている事実には何ら変わりが無いと言うことです。

「貶めている」とはどういう意味でしょうか? また根拠を示すことが、なぜ他人の口を借りることになるのでしょうか。重ねて申しますがそういう意図はありません。ぼくの書く文章をどのように読まれてもnazokouさんの自由ですが、そのように曲げて読まれると議論することに困難を感じます。

ぼくはnazokouさんとは面識がありません。ですからnazokouさんがどのような意見を送ったのか、どのような主張をお持ちなのか知りません。ですから、まずnazokouさんはご自分の主張を冷静に展開されるべきと思います。いきなり感情的になられても回答に困ります。

どうも主張されているポイントが見えづらいのですが、要するに、

> そうだとすれば、それは複数の選択肢がある中で1946年の当用漢字表制定に際してよりネガティブな意味の強い「害」に統一されたことを意味します。

という辺りがポイントなのでしょうか。つまり、「より否定的な意味が大きい「害」を使うより、より小さい「碍」を使うべきである」という主張ですか? だとすれば、まず「大多数の日本語使用者が「碍」よりも「害」をよりネガティブな意味で使っている」ということの根拠を示していただけると議論がすすむと思います。

>次に、常用漢字表が「行政文書に対しては強制力を持っている」点についてどう考えているのか答えていただけないのは何故ですか?

地方自治体だけでなく、官庁や公共団体が常用漢字表により表記することは、1981年官房長官通知「公用文における漢字使用等について」にもとづくものです。これはなるべく多くの人々にとって読みやすい文書を作るために必要な措置だと思います。

すいません、何をそんなにnazokouさんは怒っておられるのか、困惑しているというのが正直なところです。自治体が〈「障がい者のための『障害者手帳』」〉のような表記を使うことに対し、おかしいと思いことについてはぼくも深く同意しますが、なぜこのことで攻撃されねばならないのでしょう?

TaroTaro 2009/05/16 10:00 (ここでの議論がどうも筋が読みにくくなっているのですが…)
 「障害」が戦前に使われていたのであれば、記者の事実誤認というだけの話です。他方で、この「障碍」の「碍」を常用漢字表に収録して欲しいという要求は、常用漢字表が本質的に持つより重大な問題を示唆しています。その点を指摘しないで、一つの新聞記事の事実誤認だけを論じるのは、関連する諸問題の優先度の評価に問題があるように思います。では、そのより重大な問題とは何か。
 それは、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』(1956年)及び常用漢字表が、現実に、個人の書記活動における自己決定権を侵害している事実を例証しているということです。「しょうがいしゃ」という単語は、専門用語でもなければ独自の個人的な芸術的表現でもなく、それなりに高い頻度で社会的に広く用いられている単語です。それを「障碍」と書くか「障害」と書くか、どちらが適切かを決定できるのは、その単語を用いる個人の判断以外にはありません。政府が用いる漢字をある範囲に限定することは、効率を高める行政規則として合理性があるかもしれません。しかし、それを報道や社会一般に適用することに合理性があるかはかなり疑問です。
 また、常用漢字表が、法律として制定されたのではなく、何ら法的な拘束力を持たない告示として公示され、さらに常用漢字表の前書きが、告示に法的拘束力がないことは明白であるにもかかわらず、「個々人の表現にまで及ぼそうとするものではない」と書いていることは、むしろ逆に、かつて当用漢字表に強く表れていた漢字制限の統制的な意図(それは実は常用漢字表の「目安」の解釈に関する『目安について』(1980年)にも表れています)を形式的に(つまり成文上)隠蔽するためのものであると考えられるでしょう。
 なぜそのようないびつな形で、漢字制限と統制的な意図を隠蔽する必要があるのか。それは、常用漢字以外の文字を使ったからといって、法律で取り締まることが不可能であり、強権的な漢字制限や用字用語の統制が、表現の自由と個人の自己決定権の侵害なしにはありえないことが自明だからでしょう。
 他方で、「しょうがい」という単語のために「碍」を使いたい、常用漢字表に入れて欲しいとの要求が現実に存在することから、隠蔽された漢字制限の統制的意図が、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』及び常用漢字表及びその影響力が及ぶ教育を含む種々の施策をとおして、社会一般に対する強制力として機能してきた、と考えられます。
 このように考えると、常用漢字表の前書きが、その適用範囲を行政機関における漢字使用だけでなく報道や一般の社会生活にまで広げていることは、行政行為の妥当性という点で疑問がでてくるでしょう。常用漢字表は、現代日本の行政に典型的なパターナリズムの一種として考えることもでき、そのパターナリズムを合理的に正当化できるかどうかも、一つの論点になるでしょう。個人の自己決定権に対する比重の置き方、行政のパターナリズムを広く許容するか拒否するか、行政権の及ぶべき範囲についての考え方、などによって意見は異なってくると思います。
 ところで、「…仮に「碍」の字を入れることにしたとして、この表(新常用漢字表)としては、これからは「障害」でなく「障碍」にしてくださいとは言えない…」という言葉には、「笑止千万、そもそも『障碍』の使用を妨害したのは誰か」と問う声が出ても不思議ではありません。しかし、それに対しては、「告示に法的拘束力はないのですから妨害はしていませんし、そのことは前書きにも書いてあります」という答があらかじめ用意されているのです。

norinori 2009/05/16 11:08 Taroさんのご意見に同感です。

2点ほど確認させて下さい。

(1)「内閣告示」というのは「法令としての性格を持つ告示」ということは正しいでしょうか?
  その場合も「法的拘束力」はないのでしょうか?

(2)常用漢字の時代になって、当用漢字関係の告示は廃止されたと認識していますが、昭和31年7月5日の第32回国語審議会総会で文部大臣あてに報告された「同音の漢字による書き換え」は今でも有効なのでしょうか? 告示でもないので、廃止もできないものと思っておりました。

これに関しては、今回のパブコメで「同音の漢字による書き換え」に対する考え方を明確にすべし、という意見を出したのですが、スルーされたようです。

TaroTaro 2009/05/16 11:59  私は法律家ではないので、完全な確証はありませんが、私が調べた範囲では、別に法律があって、その法律の適用を補完する目的でなされる告示以外の場合には法的な拘束力はないように見受けられました。通常は告示は事実の公示が主目的です。ただし、その告示が、行政規則として、公務員に対しては何らかの拘束力を持ちうる可能性は考えられます。ただ、常用漢字表の場合、その目的では訓令が用いられたと思います。
「同音の漢字による書き換え」が今でも有効なのかどうか、私は知りません。その法的・形式的な有効性の有無が、私の論点ではありませんでした。法的・形式的な有効性が現在はもはや無いとしても、当時においては当用漢字表と同様に、一定の社会的な影響力を持った可能性を指摘したかった、というのが私の意図です。
 また、一点私の上記コメントを次のように修正します。断定的な部分を撤回して修正します。

× それは、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』(1956年)及び常用漢字表が、現実に、個人の書記活動における自己決定権を侵害している事実を例証しているということです。
 (これを撤回して、下記に置き換える↓)
○ それは、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』(1956年)及び常用漢字表が、現実に、個人の書記活動における自己決定権を抑制する方向で影響した可能性を示唆しているということです。

こちらの修正したテキストが私の考えをより正しく反映しています。

MotoyukiOgawaMotoyukiOgawa 2009/05/16 13:05 私は Taro さんの
「関連する諸問題の優先度の評価に問題がある」
というご主張には同意しかねます。
事実誤認の指摘と、新聞社はちゃんと事実を確認してから報道すべきという主張のほうが、「同音の漢字による書きかえ」がどうのこうのよりも優先度が高い、という評価も十分あり得るでしょう。
また、その優先度の評価自体、小形さんの「表現の自由」だと思います。
それに小形さんは「一つの新聞記事の事実誤認だけを論じ」ているわけでもないと思いますよ。

芝野芝野 2009/05/16 13:34 教科書用例とGoogle用例です。

まず,教科書用例です。

障 2
障り 16
障る 2
障害 1624
障碍 2
障子 55
障壁 181
障礙 20

Googleの用例です。

障 603966
障っ 53089
障み 256
障も 918
障ら 7917
障り 37640
障る 81721
障れ 727
障ろ 71
障壁 323236
障子 415634
障子ケ岳 205
障子ヶ岳 832
障子久美 813
障子山 208
障子岩 1550
障子岳 1095
障子谷 165
障害 22352597
障泥 937
障碍 99123
障礙 2756

TaroTaro 2009/05/16 14:42 → 事実誤認の指摘と、新聞社はちゃんと事実を確認してから報道すべきという主張のほうが、「同音の漢字による書きかえ」がどうのこうのよりも優先度が高い、という評価も十分あり得るでしょう。また、その優先度の評価自体、小形さんの「表現の自由」だと思います。

まったくそのとおりだと思います。優先度の評価が人によって異なるのは当然で、またそうあるべきです。異なる意見(すなわちコメント)を提示し合って議論するのが、「表現の自由」の価値なのですから、小形さんが持論を表明されることも、それに対して異なる意見をコメントする者がいることも同様にありえます。当然、私とも小形さんのとも違う意見の人が、「もっと重要な問題があるよ」と言ってくる可能性もあります。

また私のコメントは、「同音の漢字による書きかえ」の問題の議論に踏み込むことが主眼ではありません。今回の話やその種の議論から言えることとして、常用漢字表のあり方そのものに対する考察が必要であることを指摘したかったまでです。

そういうことを考えることよりも、やはり新聞社はちゃんと事実を確認してから報道すべきという主張の方が、まずは重要だろう、というお考えであれば、そういう考えもあるのだなあ、と認識を新たにさせていただきました。常用漢字表に対するスタンスの違いということなのでしょう。つまり、常用漢字表は多様な角度から考えることができる対象だということです。(もっといろいろな角度から考える必要がある、とも言えますね)。

また、念のために付記しますが、私は「しょうがい」という言葉に対して必ず「障碍」を使うべきだとも考えませんし、必ず「障害」を使うべきだとの考えも持っていません。それは使用時に書き手が必要に応じて選択すべきことでしょう。どちらが良いとか悪いとか、その判断も同様に人それぞれですし、用途や文章を書く状況によっても変わるでしょう。(ただし、他方で、頻度の極めて低い語句に用いられる漢字の重要度を相対的に低く評価することが意味のあることだとも考えています)。

TaroTaro 2009/05/16 15:23 (蛇足になるかもしれませんが、もう少し考えてみました)。
 ここでは常用漢字表の存在を前提にして、それはそれとして認めた上で議論しているのであって、そのなかでは、「いくつかの事から、常用漢字表の存在自体に対する懐疑が生じている場合には、その懐疑について検討する方が重要では」などということを提起するのは、議論の暗黙の掟に反している、ということなのかもしれません。もし、そうであれば、私のこれまでのすべてのコメントを撤回させていただき、コメント中に不適切な表現等がありましたら、謝ります。
(個人的には、常用漢字表の存在を前提にして、それはそれとして認めることが、いいことなのかどうなのか思案するところではありますが)。

MotoyukiOgawaMotoyukiOgawa 2009/05/16 15:46 > Taro
あ、私は、異なる意見をコメント欄に提示すること自体が悪いと思っているわけではないです。ただ、「関連する諸問題の優先度の評価に問題がある」とまで言われると、それはもうブログ作者の自由なのでは、ということです。(そして、コメント欄を開放している小形さんには頭が下がります。)

なお、Taro さんが提示されている議題も私は重要だと思っていますよ。「表現の自由と個人の自己決定権」と、「コミュニケーションの手段としての漢字使用」(試案より引用)とのバランスを今回の漢字小委員会がどう図るのか、もちろん強い関心を持っています。

TaroTaro 2009/05/16 16:55  では、以下のように私のコメントを訂正して書き直します。前のバージョンに不愉快な表現があったとすれば、お許しください。御免なさい。

 「障害」が戦前に使われていたのであれば、記者の事実誤認というだけの話です。他方で、この「障碍」の「碍」を常用漢字表に収録して欲しいという要求は、常用漢字表が本質的に持つより重大な問題を示唆しています。それについて述べることも必要かと私は感じました。では、その問題とは何かというと…。
 それは、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』(1956年)及び常用漢字表が、現実に、個人の書記活動における自己決定権を抑制する方向で影響した可能性を示唆しているということです。「しょうがいしゃ」という単語は、専門用語でもなければ独自の個人的な芸術的表現でもなく、それなりに高い頻度で社会的に広く用いられている単語です。それを「障碍」と書くか「障害」と書くか、どちらが適切かを決定できるのは、その単語を用いる個人の判断以外にはありません。政府が用いる漢字をある範囲に限定することは、効率を高める行政規則として合理性があるかもしれません。しかし、それを報道や社会一般に適用することに合理性があるかはかなり疑問です。
 また、常用漢字表が、法律として制定されたのではなく、何ら法的な拘束力を持たない告示として公示され、さらに常用漢字表の前書きが、告示に法的拘束力がないことは明白であるにもかかわらず、「個々人の表現にまで及ぼそうとするものではない」と書いていることは、むしろ逆に、かつて当用漢字表に強く表れていた漢字制限の統制的な意図(それは実は常用漢字表の「目安」の解釈に関する『目安について』(1980年)にも表れています)を形式的に(つまり成文上)隠蔽するためのものであると考えられるでしょう。
 なぜそのようないびつな形で、漢字制限と統制的な意図を隠蔽する必要があるのか。それは、常用漢字以外の文字を使ったからといって、法律で取り締まることが不可能であり、強権的な漢字制限や用字用語の統制が、表現の自由と個人の自己決定権の侵害なしにはありえないことが自明だからでしょう。
 他方で、「しょうがい」という単語のために「碍」を使いたい、常用漢字表に入れて欲しいとの要求が現実に存在することから、隠蔽された漢字制限の統制的意図が、当用漢字表及び『「同音の漢字による書きかえ」について』及び常用漢字表及びその影響力が及ぶ教育を含む種々の施策をとおして、社会一般に対する強制力として機能してきた、と考えられます。
 このように考えると、常用漢字表の前書きが、その適用範囲を行政機関における漢字使用だけでなく報道や一般の社会生活にまで広げていることは、行政行為の妥当性という点で疑問がでてくるでしょう。常用漢字表は、現代日本の行政に典型的なパターナリズムの一種として考えることもでき、そのパターナリズムを合理的に正当化できるかどうかも、一つの論点になるでしょう。個人の自己決定権に対する比重の置き方、行政のパターナリズムを広く許容するか拒否するか、行政権の及ぶべき範囲についての考え方、などによって意見は異なってくると思います。
 ところで、「…仮に「碍」の字を入れることにしたとして、この表(新常用漢字表)としては、これからは「障害」でなく「障碍」にしてくださいとは言えない…」という言葉には、「笑止千万、そもそも『障碍』の使用を妨害したのは誰か」と問う声が出ても不思議ではありません。しかし、それに対しては、「告示に法的拘束力はないのですから妨害はしていませんし、そのことは前書きにも書いてあります」という答があらかじめ用意されているのです。
(以上、よろしくお願いいたします)。

norinori 2009/05/16 17:39 小形さんがnazokouさんの意見に対し

> どうも主張されているポイントが見えづらいのですが

とおっしゃっている件に関しコメントです。

nazokouさんの最初の投稿のポイントは「「ウソ」という言い方は不適切で「事実誤認」とすべき。」とおっしゃっているのだと思います。
その点に関して、小形さんは何もコメントされていません。

「ウソ」という言葉の定義、使い方、感じ方の相違の問題だと思います。

事実でないことを発言した時、(a)本人がそれを自覚しているか否かに関わらず「ウソ」という言葉を使うのか、
(b)本人が自覚をしていて相手を騙そうとしている場合だけ「ウソ」という言葉を使うのか。

小形さんは(a),nazokouさんは(b)のように思えますが、如何でしょうか?

私自身は、会話のなかでは(a)の意味でも「ウソ」という言葉を使っているように思います。
ポイントを外していたら謝ります。

nazokounazokou 2009/05/16 23:45 こちらの主張に関してはnoriさんの解釈されている通りです。
単に「事実誤認」とすべきと思われる記者の認識とそのソースとして流布している一説に対して「ウソ」「俗説」と攻撃的な表現を投げかけていること、常用漢字表が行政文書に対しては(事実上、と付けた方が適切かも知れないが)拘束力を有している事実に反する林発言を肯定的に取り上げていることの2点が「他人の口を借りて追加要望を貶めている」と述べた根拠です。しかし、そのような(「碍」の追加要望そのものを否定する)意図はこのエントリには無いとのご説明に関しては納得したのでこの部分に関してはこれ以上、争わないことにします。
次に、現在も「障害者」(敢えて「者」を付けた場合に限定する)を使用している用例のどのぐらいが差別的意図で「害」を使用しているのか、との問いですがこれは順序が逆で、むしろ「いつから『障害者』は差別用語と認識されるようになったのか」の方が重要です。何故なら、元々は別物(同音異義語)であった「障害」と「障碍」が明治のある時期に混同された中で、同じ意味の場合はどちらかと言えば「障碍」の方が多く使われていた(小川氏の調査でもその傾向が見て取れる)のに対し、1946年の当用漢字表と10年後の「同音の漢字による書きかえ」が同音異義語としての「障害」と「障碍」を併用する選択肢を採らず、前者に一本化することを文字通り「強制」し「障碍」がたちどころに姿を消してしまったからです。この判断が問題視されるようになった時期は当用漢字表制定から半世紀以上が経過した20世紀末であり、東京都多摩市が2000年に交ぜ書きの「障がい」を採用した時点より半世紀前の呪縛が表明化したと言えるでしょう。多摩市は「碍」については何も言及していませんが、現在も増加し続けている交ぜ書きを採用する自治体のほとんどは「『碍』は常用漢字ではないから使えない」ことを理由に挙げています。このような事実を踏まえる限り、林発言は「行政文書に対する強制力」を無視したものであると言わざるを得ません。
奇しくも、これと同時期に新聞各社が使用していた「ら致」や「破たん」と言った交ぜ書きに対する批判を受けて朝日新聞社や共同通信社が原則として交ぜ書きを行わない方針へ転換したことも有り、そんな中で突如として他の交ぜ書きされる熟語とは異なる経緯で現れた交ぜ書き「障がい」は批判を浴びつつも「害」には立ち返れない、との理由で地方自治体や政党(公明党は法律の条文も交ぜ書きにすべきであると主張している)の間でなし崩し的に拡大し続けているのです。
長谷川貞夫氏が現行の常用漢字表制定に際して「盲」の訓読を削除させた際の国語審議会議事録は残念ながら残っていないようですが、氏の証言では最終答申の直前までは当用漢字表と同様に「めくら」の訓読は残されていたそうです。重ねて言いますが、氏は「めくら」が歴史的には必ずしも差別用語として作られた訳ではなく、世間一般に対する言葉狩りを企図して削除を要請した訳ではないことを言明しています。「碍」の追加要望も全てがそうだとは言わないまでも多くは長谷川氏と同様の問題意識に基づいているはずであり、そうした行政の姿勢に対する問い掛けに始めからマイナス査定で門前払いを食わせるような文化庁の姿勢には正直に言って失望を禁じえません。
また、最初のコメントで中国語圏や韓国の用例について書きましたがそもそもこれらの言語では「碍」と「害」は発音が異なるため代用に成り得ない点も補足します。韓国では「障碍(チャンエ)」と「障害(チャンヘ)」はほぼ同じ意味ですが前者の方が一般的であり「障碍人(チャンエイン)」が公に使われています。

naka64naka64 2009/05/17 03:26 「政治的に正しいことば」指向の方があとから出てきた観点(おそらく「***→JPN」よりはさかのぼれまい。)である以上、当用漢字字体表の字体(ありゃ造字はしてません。当時の手書きの例を下敷きにしていました。)と同じく、「政治的に正しいことば」指向以前に、造語でもない戦中の用例を拾い出した訓令を「当時の水準で間違い」とはいえないし、「政治的に正しい」「行政に入り込む」の2点を考えるならば「買(ばい)春」→「買(かい)春」よりも踏み込んでの工夫が求められるのではないか。
芝野先生のパブコメ意見の1.2項を読みながらそんなことを考えました。

TaroTaro 2009/05/17 08:47  この種の議論が混迷するのは、漢字使用者の自発的な自己決定に、暗黙かつ間接的な影響力として政府による漢字表が機能して、介入するからでしょう。「介入された」と感じた個人もまた、「何故この文字は漢字表にないんだ、この文字も入れて欲しい」と政府に要求する。
 しかし、個人個人はそれぞれに「(ある語句について)何が正しい文字か、使うべき文字か」についての考えを持っていて、それぞれ異なるわけですから、要求のすべてを採用するわけにはいかない、だからそこで「政治的に正しい」のような政治的判断の必要が滑り込んでしまわざるをえなくなる。
 しかし、それは本末転倒で、そもそも社会一般の個々人の漢字使用に影響力を行使しようとすること自体に合理性が希薄なのです。「この文字を入れて欲しい」という要求の少なくとも一部は、過去のその文字に対する政府のネガティブな影響力の行使の結果として必然的に出てくるのに対して、制定する側が「その要求はごもっともですね、ぜひ漢字表に入れて差し上げたい」などというのは、露骨な権威主義とパターナリズムの表現と言えるでしょう。(十分、苦笑を誘います)。
(とはいっても、ここで私は、行政府における公文書や教育における漢字使用など、明示的に限定した目的や用途・範囲における漢字使用に一定の「目安」を設定する行政規則としての漢字表に反対しているのでは必ずしもありません。常用漢字表の広すぎる適用範囲に疑問を呈しているだけです。誤解を避けるため、念のため)。

norinori 2009/05/17 09:24 小形さんが流れを整理して下さるとのこと。そのお言葉に甘えて、今私の感じていることをまとめます。

「広場の言葉」というコンセプトには賛成です。しかし、現在の漢字小委員会のやろうとしているようなものではないと考えます。批判のポイントは以下の点です。

(1)「広場の言葉」というならば、漢字表だけでなく、広く言語の問題として取り組むべし。ご承知のように、ロングマン英英辞典はThe Longman Defining Vocabulary 2000と呼ばれる基本語彙だけで語義を説明しています。「広場の言葉」とはそういうものから出発すべきです。現代日本語で使われる言葉自体を過不足なく説明できる基本語彙セットをまず考える。次にそれを核にして、現代常用語彙のようなものを考える。そうすれば、どのような漢字(字種)が必要かは自然に決まります。漢字が難しいなら、ルビを使えばよい。どのような字体にするかなんてのは、最後の最後でよろしい。しんにょうを1点にするか、2点にするか、などを大真面目に議論するなんてのは愚の骨頂です。コミュニケーションという観点からすれば、1点でも2点でもどうでもいいのです。

(2)「漢字表」を「目安」とすることの愚かさ
漢字を1文字取り出してきて、それを使うべきかどうかを議論するのは馬鹿げています。古代中国のように漢字1文字=語ではないのです。漢字検定ではないのです。「薇」という字の単独の意味(わらび)が分からない人でも「薔薇」とあれば「バラ」と読めるのです。(1)に述べたように、「分かりやすく通じやすい文章を書き表わす」ことを目指すのなら、「漢字表」から出発すべきではない。まして、それを「目安」などという曖昧な表現で、政府自体も守るつもりのないものを、世の中に押し付けようとするのは愚かです。

(3)「同音の漢字による書きかえ」の位置づけの曖昧さ
Taroさんへのご質問の過程で浮き彫りになってきたことですが、このブログにコメントを書かれる方の間でも、「同音の漢字による書きかえ」が現在でも有効なのかどうか、有効だとしても、当初の制限色の濃い形でそうなのか、についてわからない、ということ自体が非常に大きな問題ではないでしょうか?そうだとしたら、位置づけを明確にすることも漢字小委員会の責務だと思うのです。(事実誤認があるのなら、ご指摘ください。)

以上

YAMAMOMOYAMAMOMO 2009/05/17 09:58 これまで、いくたびか、私自身のブログにも書いてきましたように、単漢字だけの調査頻度から、漢字表を決めようということ自体が、そもそも無理があります。
漢字について、日本語を表記する文字であるとする以上は、まず、日本語の語彙・表現のあり方から論じなければならない。しかし、実際の、表の策定の調査で、ここまでもとめるのは無理。しかし、すくなくとも、語のレベルでの総合的調査に基づかないといけない。その語を、使用するか/しないか、仮名で書くか/漢字で書くか/交ぜ書きにするか、これらの基礎的データもなしに、文字を決めることなどできない。
また、芝野さん、野村さんも、ご指摘の点ですが、どのような文献を対象としたかも重要。議事録を見れば、このあたりの認識の杜撰さも明らかになっています。
當山日出夫(とうやまひでお)

tokujiroutokujirou 2009/06/03 21:01 文化庁に「碍」の追加をお願いした者の一人です。74歳の老人(男)です。色々なご意見があるのに驚き且つ勉強させていただいており感謝します。以下唐突な感じをあたえるかもしれませんがご寛容ください。

10年前長男(47歳)の統合失調症罹患を機にボランテイアで芦屋市の障碍福祉に関って10年になります。芦屋市は人口9万4千人の小さな街です。それでも精神疾患で通院中の方が2千人以上おられます。その家族や関係者を含めると6千人以上の関心事です。
国は全国の通院者(入院者を含む)を3百3万人(人口比で世界トップクラス)と推計しこの方々全てを「精神障害者」と呼称しています。セイシンショウガイシャの社会通念は=危険な人、反社会的な人ですが事実と大きく異なります。
大部分が教養もあり真面目な人が多いのです。一部に医療の対象になりにくい反社会的な人がふくまれますが触法者またはその疑いのある者は0.15%以下でしょう。メデイアが採り上げるのはこの0.15%の部分です。

漢字は表意文字です。「精神」を見ただけでネガテイブな連想をするのにその後に「障害」がつくのですから。カタカナでも気になるのに「害」があると書いてあるので大変です。お医者さんも「精神科」の
表記は避けて「神経科」とか「心療内科」と書いて敷居を低くしようと懸命です。

国(厚労省)の大方針は「障碍についての正しい知識の普及・啓発」
です。これは自殺対策でも同様です。(自殺の原因は大半が精神疾患によるものとの説もあります)

数年前芦屋市より障害の表記につき相談を受け「障碍」を提言しましたが「碍」が常用漢字に含まれていないこと及び他市とのかねあいもあり「障がい」に決った経緯があります。

「障害」の「害」をどう感じるかは障碍の種別により若干異なり身体障害よりも「知的障碍」「精神障害」がより深刻な問題です。「障がい」とまぜ字を推進したのは知的障碍の団体です。

国の方針に沿い国民の意識を変革する手段の一つとして「碍」を使用することにより普及啓発が進捗するのではないかと期待し文化庁にお願いした次第です。

将来的には反社会的人達を除いた精神疾患者を「心的障碍者」と呼称してはとの意見で芦屋市では市長や社会福祉協議会に採用いただき使用を始めています。できれば厚労省にも「精神障害」→「心的障碍」
をお願いしたいのですが段階的に先ずは「碍」からと思っております。

以上ユーザーの立場で実情を申し上げました。疑問がありましたら何なりとお尋ねください。なお小職の長男は現在寛解の一歩手前まで回復し親子3人で平穏に暮しておりますのでご配慮は一切無用にてお願いします。

tokujiroutokujirou 2009/06/03 22:07
「障害」と「障碍」の議論に関連してご参考までに以下の二つのURLをご紹介します。

? 故丸山一郎元埼玉県立大学教授の小論文
         ↓
http://www.kenpakusha.co.jp/tsukushi/h18/1_10.html

? マイクロソフト社が「障害」を止め「碍」を採用したとのニュー  ス
           ↓ 
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090315/1024634/?P=2

310G310G 2011/09/04 17:09 たまたま行った講習会ではじめて「障碍」という漢字を見ておどろきました。ひらがな表記は知っていましたが、ここまで来るとあきれてしまいます。福祉の世界に身を置きながらまだ一般人の感覚を持ち合わせていると思っている私から言わせていただければ、実にくだらない議論です。障害者を「害を及ぼす者」などと解釈する人などまずいません。元の漢字がどうだったなどということなど関係なく健常者と比べてどうかという比較でしかない、と思います。言葉のもつ意味をわざわざ一文字ずつバラして捻じ曲げて解釈して、当たり障りのないように言い換えるような無駄な作業が福祉の世界では横行しているように思います。言われなければ誰も気にしないことなのに。

iinchauiinchau 2013/07/28 01:50 障害が気になる人は同音異義語の生涯とかにもうっと反応するでしょうね。
言葉狩りって言うんですっけ?こういうの認め出したら切りが無いと思います。

無論人無論人 2013/10/24 13:16 お初に。少しばかり立ち寄りまして興味を持ちました。前者の投稿とは随分日があいておりますがご容赦ください。
さて、障害と障碍についての議論ですが、まず読み方の方から考えます。「しょうがい」と読む場合、初出は15世紀頃になろうかと思います。『日本国語大辞典』では『史記抄』での用例を既にあげております。「しょうげ」と読む場合、前者投稿にもありますが仏教語です。『日本国語大辞典』では9世紀の漢詩集『本朝麗藻』で経典引用という形で登場いたします。つまりは、障害・障碍という言葉が20世紀になって突然ポッと出てきたものでないことはご理解ください。
しかしながら、現在常用的に用いられている「身体障害」や「精神障害」という意味での、心や身体の活動に制限があるような状態のことを指す用例は20世紀以前には遡ることができません。これは近世以前においては「不具者」や「撥疾者」といったまごうことなき差別語が用いられていたからです。そして、そういった人々が古くから施しや慈善の対象であると共に差別対象となっていたことは「悲田院」などの例で知られております。その意味でまとめますと、障害・障碍という言葉を近世における不具者にあてはめたのは近代以降、と言えるでしょう。ここで注意書きですが、前者投稿に文学作品での用例はカウントされないとの意見がありましたが、これはナンセンスです。作家は常に新語を作り出します、その点では中世文学などとはまったく同じであると思われます。将来的文献という意味では公式文書と区別されるべきですが、出典としては正しく、新しすぎることはないものと思われます。
さて、私見ではありますが、障害や障碍の書き換え、言い換えは随分と質の低い議論であるように思われます。「がい」の字ひとつで障害者全体への社会的偏見は正せますか? まず一歩からが重要なことは承知していますが、できることはこれくらいと触れ回っているように思えてなりません。さらに一言すれば、「障」の字は問題ないのですか? 障害という言葉は同じ意味の字を重ねた言葉であり、障も立派に「さわり」と読みますが、いかがでしょう? いかに無駄な議論がなされているかおわかりでしょうか? 改称するならば、まったく異なる造語や新語として用いられるべきでしょう。欧米学会ではすでに議論が進んでいるのに、どれほど単調な繰返しをされるのかと嘆息するのです。
過去に遡って差別語を糾弾する方がおられます。歴史に文句をいう権利がこの地球上の誰にあるのですか。それはおそらく神と呼ばれる者にだけ与えられた特権です。今を変革させたいならば、今ある差別や偏見に対してもたらされるべきで、決して歴史議論だけが方法ではありません。
障害・障碍の書き換え言い換えは反対ですが、障害者への差別偏見が根強いことは事実でしょう。障害という言葉にそういった響きが含まれだしたのも悲しいかな事実です。
変えるべきは字ですか、心ですか?

み 2014/06/27 08:00 新語でもいいじゃないですか。

障碍者か障礙者ってかけば。

昔とは価値観が違うし、
言葉もどんどん変わってきているのに
そのままでいろっていうのもね。


がい 【害】
悪い結果や影響を及ぼす物事。

がい【×碍】
進行を邪魔して止める
がい【×礙】
進行を邪魔して止める。さまたげる

しょう 【障】
1 じゃまをする。じゃま。さしさわり。
2 隔てさえぎるもの。「障子・障壁」
3 防ぐ。「保障」


やっぱり、害は意味からしても、
いわれたらいやなものです。
じゃまといわれたほうが、すこしはましです。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

Connection: close