「絵文字の議論は、これでいいのだろうか。」へのお答え

山本太郎さんのウェブページに以下のような記事が公開されました。

「うーん困ったなぁ」というのが最初の印象。絵文字の件については、じつは山本さんにいささかの恩義があるのです。まあそれはともかく、このような議論を提起していただいたことはありがたい限り。なるべく正面からお答えしようと思います。

何に対して「勝った」のか?

前掲記事中の、以下のご指摘。

審議をした結果、修正提案が受け入れられたことが「勝った」ことに、なぜなるのだろうか。もし「勝った」人がいるなら「負けた」人がいるはずなのだが、一体誰が負けたというのか。それが、不明なのだ。
この「勝った」という認識は、誰かからの攻撃に対抗して修正提案を通すことで反撃し「勝った」ということなのだろうか。しかし、そんな攻撃的な意図を持つ主体とは、一体誰だったのか。GoogleAppleといった、原提案者のことを言っているのだろうか。彼らは負けたのだろうか。
そういう、「勝った」とか「負けた」とかいう認識があてはまる状況が現実にはどこにも存在していないように、私は思う(少なくとも現時点では)。

なるほど、それはそうかもしれない。たしかに我々の提案に対する「敗者」は明確な形では存在していない。その意味では確かに間違いと言ってよいかもしれない。それでも、やはり勝利感は拭いがたくあるのです。では、何に「勝った」というのだろう?

想像して欲しいのですが、一個人にすぎない自分があのような提案をしなくても、誰もなにも言わないでしょう。まるで地球が自転をつづけるように、東京会議はきちんと開催され、PDAM8はFPDAM8になり、やがて正式に出版されることになったでしょう。そして、何年か後に制定された規格票のEmoticonブロックを見て、ぼくは苦々しく思うはずです。「ああ、あの時に声を上げればよかった」と。

前のエントリの繰り返しになりますが、まだ最終的な決着はついていません。だから実のところ、本当に「勝った」かどうかはまだ不明です。しかしどのような形になろうとも、すくなくとも行動しなかったことを後悔することはありません。「勝った」という言葉から誤解を与えたかもしれませんが、実際のところ勝利を誇るとかよりも、じつはこのことについての安堵が一番大きいのです。(参考:「自分の持ち場を守ること」

このように考えると、この件については次のように言えるでしょう。つまり勝ったのは、指をくわえて眺めているだけの人間になっていたかもしれない自分に対してだと。

その感慨が「勝った」というストレートな言葉に結びつきました。それ自体は間違った言葉かもしれません。しかし、やはりそうとしか言えない、自分なりの実感を伴った言葉ではあったのです。

「1億人」の不快感について

つぎに以下のご指摘。

また、「もじのなまえ」が、同じ絵文字の修正提案について報告している10月27日の記事の表題が「1億人を代表して、皆さんにお願いします」だったのには、びっくり。私は携帯電話利用者の一人なので、多分この1億人の内の一人のはずだが、委任状を提出したおぼえはない。一体どういうことなのか? 1億人の各個人の自己決定権は尊重されなくてよい、とでも? この点も疑問に思った次第。

これも山本さんの書くとおり。ぼくは1億人の誰からも委任状をもらっていないから、その意味からこれは僭称といえる。もしも不快を覚えたのならお詫びします。

そういえば、先のエントリ「絵文字の修正提案をめぐる、ひとまずの総括」においても、「1億人」を数の論理と捉えてヒトラーとの類似性を指摘するコメントをされた方がいたけれど、この方もおそらく山本さんと同様、自分の知らないうちに含められてしまったことに対する、一種の不快感を表明したと考えられます。

それに対しては、あの場での回答と同じく、悪用したり自己を顕示したりする目的でないのだからと言うしかない。

それに日本の携帯キャリア原規格に忠実であるべきと主張することは、考えの及ぶ限り「1億人」の利益には反しないはず(重ねて言うけれど、だからこそ提案しさえすれば修正は受諾されると見切ったわけです)。

「なぜグリフと文字名ばかりに重点が置かれるのか」について

最後に以下の部分のご指摘。

N3711の修正提案では、絵文字の例示グリフとその文字名の議論に多くを費やしている。しかし、携帯電話キャリア各社のコードとUCSとのコード・マッピングがソースレファレンスとして定義されれば、グリフや文字名は副次的な役割しか持たないし、そのソースレファレンスが定義されないなら、そもそも携帯電話の絵文字ではなくなってしまうわけで、提案の本来の意味が失われてしまう。なぜグリフと文字名ばかりに重点が置かれるのか。このことも、私にはよく理解できない。もちろん、グリフも文字名も必要だし重要でないとはいわないが。

ご自身では伏せられているのでちょっと書きづらいが、まあ話の都合上あえて言うのだけれど、山本さんは日本ナショナル・ボディの一員で、東京会議にも出席されていました。じつはアイルランド代表と個別交渉をする際、通訳を買って出てくれたのは他ならぬ山本さんです。冒頭「いささかの恩義がある」と書いたのはこのことなのですね。これに関しては、本当に感謝しています。

この件は東京会議でも山本さんから指摘され、その場でお答えしたつもりだったのですが、あまりよく伝わっていなかったのかもしれません。われわれはグリフと文字名ばかりに重点をおいたつもりはないのです。

一般に文字コード規格で規定される符号化文字は、3つの属性をもちます。重要な順から挙げると以下のとおり。

  1. 符号位置
  2. 文字の名前
  3. 例示グリフ

なによりも文字コード規格とは、符号位置を図形文字(文字の視覚表現)と一意に対応させたものです。だから、もっとも重要なのは符号位置であり、同時に他の規格とのマッピングなのですね。これさえしっかりしていたら実装はなんとかできる。これに比べれば他の属性は付け足し、というのは言い過ぎでしょうか。

その意味から山本さんが、上掲したように絵文字の符号化においてはISO/IEC 10646とキャリア原規格のマッピングこそが重要であり、文字名やグリフはむしろ副次的と位置づけるのは、まったく正しいと思います。

しかしこのことは、われわれがグリフと文字名だけを重視していたことを意味しません。たしかにわれわれの提案では、もっともページを割いて主張していたのは文字名とグリフの修正でした。その意味からは、一見するとグリフと文字名だけを重視していたかのように見えます。

ただし、その理由はこの2つに問題点が多く見受けられたからです。それ以外に理由はありません。その証拠に、われわれはマッピングについても修正を提案しています(N3711, 2.3 Revision of the Character Mappings, pp.7-8)。

ところがマッピングに関する限り、問題があると思えたのはN3711で提案した2カ所だけでした。つまり数が少ないからといって、われわれがマッピングを軽視していたということではないのです。


とまあ、なるべく話を逸らさず以上3点についてお答えしたつもりです。ご納得いただけたでしょうか?