誕生日前夜祭

 なんてする気はないです。だって誕生日当日に飲んだくれてやろうと考えているので〜。
 いつも年だと、この時期が近くなると自分への誕生日プレゼントと称して、平常通り密林で物色して買い物をするのですが、いろいろな事があってすっかり忘れていました。そして8/11からお盆休みに入ってしまうので、店に届けてもらう方が安全なアタクシとしては休み明けに注文するかなぁ、と。
 だからなんやねんですね、はい。読み終わったもの。

常陸平氏 (シリーズ・中世関東武士の研究 第16巻)

常陸平氏 (シリーズ・中世関東武士の研究 第16巻)

 率直にいいます。斜め読みでした。常陸は現在の茨城県に相当する地域ですが、この地域で平氏系の武士が割拠したのは南部、霞ケ浦周辺です。んで、苗字から推測できるのですが、だいたい郷村名を苗字にしている事が多く、ここから彼らの勢力圏はだいたい郷村単位から始まった。つまり郡単位の比較的大きな地域を支配するような武士団はなかったという事なんですね。
 この常陸平氏たちがクローズアップされるのは源頼朝を支持して権利を保障してもらった頃から。常陸北部の佐竹氏が頼朝と対立して没落し、その守護に頼朝近臣の八田知家がなり、彼が武士団を整理して地域武士の棟梁として大掾氏が成立したようです。
 以前に読んだ小山氏、結城氏、宇都宮氏もそうですけど、武士たちにとって鎌倉幕府の成立前と後では、まったく異なった社会になっているのだなぁ、と思います。
 その後南北朝の騒乱、鎌倉公方と京の将軍との対立、を経て戦国時代と到達するのですが、相変わらず小規模な勢力の乱立から変わる事ないまま、豊臣秀吉によって常陸の旗頭と認められた(と解釈した)佐竹氏の討伐戦により、多くが佐竹氏の臣下になるか滅ぼされるかします。
 この地域に抜きんでた才覚の持ち主が出現しなかった事もあるのでしょうが、商業と農業により小規模の地域を支配するだけでも豊かだったから、そして鎌倉公方の直臣という立場が大きく権力が成長する事を妨げたのかも知れません。