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有明堂本舗

2013-07-28

いまさらレビュー!市川春子短篇集

祝!市川春子宝石の国』1巻発売!

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)

宝石の国(1) (アフタヌーンKC)

宝石の国そのものについてはまだなんも書いてないので、去年の秋の文フリで出したレビュー本に寄稿した、市川春子短篇集のレビューを転載しときます。ご笑覧をば。

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 たとえば『作品集供戮良渋蟶遏25時のバカンス」を読んでみる。かっちりと四角くて力強いコマ割りで、主人公の姉とその弟が自転車に二人乗りしながら会話する回想シーンからこの短編は始まる。無駄のない、これでもかと圧縮されたセリフ。地味ながらセンスのいい映画を観ているような気分だ。このまま日常のドラマが描かれるのだろうか。そのわりには線のタッチは細すぎるし、のっぺりと省略されている。見開き大ゴマでどんと出される遠景も、現役グラフィックデザイナーである作者の手腕をいかんなく発揮して、不思議な抽象さを保ったままだ。
 リアル路線ではないし、少女マンガ的ふわふわ路線でもない。コマの運びと画の座りがどうにも悪い……と思っていた矢先、何事もなかったかのようにSFがひょっこりと挿し込まれる。深海生物の研究者である姉は、特殊な貝を食べてしまったおかげで中身がからっぽの「貝殻人間」になってしまったことを弟に打ち明ける。
 この打ち明けシーンがまたふるっていてたまらない。貝殻になってしまった自分の顔を、まるでドアを開けるかのようにパカっとやる。パカっと。そこを真正面からどアップにするからホラーそのものなのだが、描きこみの絶妙な省略で、うまく画面になじませる。ここからが本番だ。突然のSFホラーという状況と、自身に起きた天変地異を理詰めで淡々と説明する姉の言葉をなんとか飲み込もうとする弟。カメラマンの職能を活かして姉を撮影するのだが、知的生命体になって姉のなかに棲みついた、かわいくデフォルメされた貝たちが、空気を読まずににょろにょろ出てくる。そこへ「ちょっと!モデルさん内蔵しまって下さい!いかがわしいですよ!」と弟が応じる。じつに軽やかだ。
 なるほど妙なアンバランスさは、SFと日常の軽やかさとをしっかりとなじませるためのものだったのだ。画の力でなんでもなじませてしまうことは、マンガというメディアのもっとも得意とするものではなかろうか。しかし市川作品の魅力はまだその先にある。丹念に日常に溶けこませたSFを、(筆者の言葉でいえば)「ちょっと触れることができるかできないか」くらいの距離にいるのにもかかわらず、「それこそ星くらい離れて」いると感じるくらい近づけない、近づいてはいけない者どうしの背中をそっと押す、ただそのためだけに盛大にムダ遣いする。
「25時」であれば、深海生物など「ふしぎな生き物」が好きなこと、12歳年下の弟が好きでたまらないこと、その弟へのある「負い目」、自分を貝殻人間にしてでも償いたいこと、そんなあれやこれやをひとことも言い出せないこと、ぜんぶいっしょくたに折り畳み「SFすこしふしぎ」な迂回路に乗せて、軽やかに、軽やかに物語る。軽やかに語ろうとつとめればつとめるほどダダ漏れるせつなさ、その両極に引き裂かれる快感に、これでもかと浸ることができる。
 2006年に投稿作品「虫と歌」で四季賞を穫り、2007年に「星の恋人」でデビューしてからというもの、市川春子が描くマンガはいつだってそんな調子だ。ぼくたちは生きているかぎり、目にみえないさまざまな〈禁止〉に縛られている。それをSFという道具でそっと〈侵犯〉する。それをマンガというメディアで、最初期に実践したのは手塚治虫だった。彼女が彼の名を冠した賞を獲ったのも必然だろう。
 デビューから6年で短篇集2冊と寡作な短編作家というイメージの強い市川だが、『月刊アフタヌーン12月号』から新連載『宝石の国』がスタートした。彼女の作品がコンスタントに読めるようになる幸せを、ひとりでも多くのひとと共有したい。

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)

25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)

2012-09-15

元吹奏楽部員からみた『桐島、部活やめるってよ』

映画ってやっぱりすごいなあと思うのは、同じ時間、シーンに映像が映され、物語が語られ、音楽がなっていれば、それがどんなにバラバラなパーツでも、「ひとつ」のものとして統合されて受け取れてしまうという、手品みたいな体験をさせてくれるからです。

時計が数え切れないほどの歯車とバネを組み合わせてその動作をまとめ上げ、たったみっつの針を動かし、「時間を刻む」という「ひとつの」動作をするための機械としてふるまうように、映画も時間に沿ってちりばめられたあれやこれやを、クライマックスでひとつのシーン、ひとつの動作にまとめあげることでカタルシスを得ます。もちろんそうでない作品もありますが、「そうでない」ようにつくるためには、ひとつにまとめるという原則を前提にしなければ成り立たないように思います。

この映画の前半では、バレー部のエース「桐島」が部活をやめる=画面から消えてなくなることで、その周囲の人間関係が、ほんらいなら桐島から遠い、関係なさそうな奴らまで巻き込んで、どんどん玉突き事故を起こしバラバラになっていくさまが描かれます。そしてクライマックスでは、「桐島」の空白に吸い寄せられるように、バラバラに登場していた人物たちが校舎の屋上に集結します。

ほんとうは厳密にいうと、このシーンでも物語上重要だった登場人物の全員が屋上にいるわけではありません。桐島のとりまきのひとり、幽霊部員のくせに野球部に未練たらたらのイケメンに片思いしていた吹奏楽部の部長が、このとき屋上にはいません。映画の前半で、あんなに屋上に固執するのに、いちばん大事なシーンで彼女は屋上にいられません。しかし彼女はこのクライマックスシーンにしっかりと参加します。どういうことでしょうか。

ひとつ前のシーンで、とんちんかんなアピールをする彼女の目の前で、彼とその彼女(イケイケビッチ系)が、見せつけるようにアツくキスをするという、なんとも地味でえげつないフられかたをした彼女は、その足で音楽室に戻り合奏に参加します。

このときに吹奏楽部が演奏するのが、ワーグナー歌劇ローエングリン』の一曲「エルザの大聖堂への行列」です。屋上では、映画の冒頭からずっと「玉突き事故」に巻き込まれて撮影のじゃまをされつづけ、ついにマジギレする映研連中と、もっと直接的に被害に遭いマジギレしている取り巻きやバレー部員が、この「エルザ」をバックに大乱闘を繰り広げます。

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この曲、吹奏楽のレパートリーとして、かれこれ10年以上演奏され続けている定番中の定番です。この時点で元吹奏楽部員のぼくとしては「わかってるなあ、いいチョイスだなあ」と思わざるをえないのですが、この選曲の意味はそれだけでありません。もとの歌劇のほうでも、主人公である「騎士」とヒロインのエルザが結婚式をあげるシーンで演奏されます。そしてこの結婚式には邪魔が入ります(この曲のあいだに邪魔が入るわけではありませんが)。それからいろいろあって、騎士とエルザは結ばれないままに終わります。

そうです。『ローエングリン』では邪魔がはいって式が台無しになります。『桐島、』でも、屋上というお気に入りの場所(バスケコートで遊ぶ彼を遠くから見つめるための特等席)から追い出されている彼女が、屋上で今まさにいろんなものが「台無しになる」そのシーンに、「エルザ」を演奏するというねじれた形で、画面に参加します。そして台無しになったそれらが、「ゾンビ映画のワンシーン」として、蘇生させ拾い上げられ、映像としてまったく同時にスクリーンに映されます。

隔たった空間の出来事を、音と映像と物語で、複雑に入り組んだすべてを、「ひとつのシーン」として統合する。映画の技法としては基本中のキホンで、とくに目新しいということではないのでしょう。それでも、その統合の技術と、クライマックスシーンの美しさといったら。

なんども同じ時間を繰り返し映しながら、「桐島」という〈主人公〉のいないなか、脇役たちの全員がひとつのクライマックスシーンをつくります。しかし、その後ろにもう一度だけ時間の巻き戻しを入れ、ひとつによりあげられた物語を、すこしだけほぐして映画は終わります。まるで先の盛り上がりも、けっきょくは空白になった中心のまわりをぐるぐるとまわっているだけのことだったのだと、静かに提示するかのようです(それは諦めとともに幽霊野球部員のイケメンが泣くことに現れているのでしょう)。ひとつにまとまる映画というしくみの運動と、それをまたときほぐすことをわざわざ作中ですること、この「ひとつ」への願望とあきらめの往復が、この映画をとても魅力的にしているのでしょう。

さて、この映画は高校生の会話がリアルだ、とよく言われますが、やりとりやエピソードそのものは、「現実そのまま」という意味では、あまり「リアル」ではありません。むしろステレオタイプをそのままつかったり、映画的な自然さに合うように変形されていたりします。それでも、ぼくたちがかかえる「演技していることを自覚しながらも演技はやめられないし、そもそも演技をやめてしまったら自分なんてどこにもいない」「相手を思いやるがゆえに演技している」という日常をありありと映しとっています。その説得力を「リアル」というなら、リアルといってもいいのかもしれません。

2012-09-07

「アートで街おこし」に潜む後ろめたさ――黄金町バザールについて

今年も黄金町バザールの季節が近づいてまいりました。

| 黄金町エリアマネジメントセンター|KOGANECHO AREA MANAGEMENT CENTER

ということで、去年の横浜トリエンナーレのときに書いて、秋の文フリでフリペとして配ったものを加筆修正して転載します。基本的に批判的な姿勢で書きましたが、プロジェクトそのものは応援しています。現状は褒められないけれども、というかんじです。それではどうぞ。

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2012-09-06

上書きされる横浜――トポグラフィとしてのアニメとゲーム

昨年、大学の集まりで作った雑誌「NOW PRINTING 1号」に寄せたものから転載です。

とはいえ、実際に載せたものよりも長いヴァージョンとなっているうえ、図版もすべてカットしてあります。気になるかたは適宜画像をググっていただく方向で。よろしくどうぞ。

〇 はじめに


横浜という名前

行政単位としての横浜市はとてつもなく広い。明治からの歴史的変遷を経た臨港地区も、戦後に山を切り開いて作られたニュータウンも、海を見下ろす丘の上の高級住宅街も、急勾配の坂いっぱいにひしめく新興住宅やマンションたちも、まとめていっしょくたに横浜と呼んでしまうことができる。ひとくちに横浜といっても、誰が言ったかによって思い浮かべられている場所も場面もまったく違うはずなのだが、横浜と名の付く雑誌を開けば、出てくる地名は臨港地区のものばかり。保土ヶ谷の丘の上、「オシャレな横浜」とは程遠い場所に立つ大学に通う我々には、それらメディアたちの上で踊るフォトジェニックな、写真うつりの良い横浜と、実際に生活している横浜とのあいだにいくらも関係がないことが、どうも気味の悪いことに思えてしかたがない。


結論から先に書いてしまえば、メディアにうつる横浜には〈過去〉と〈未来〉がうつりはしても〈現在〉の横浜がうつっているとは到底思えないことが違和感のもっとも大きな原因ではないだろうか。逆に〈現在〉の横浜をうつそうとしても、きっと「どこでもない場所」になってしまうことだろう。

アニメ、ゲーム、トポグラフィ

場所をえがく方法は詩歌や地誌、紀行文、小説などのテクスト群、地図や絵画、写真などの二次元イメージ、庭園や舞台美術などの三次元イメージなどさまざまあるが、佐藤守弘にならってこれらの総称をトポグラフィ(topography)、場所(topos)を描く(graphia)視覚表象と呼ぶことにしよう*1横浜という場所を描くトポグラフィといえば、歌謡曲、映画、小説、テレビドラマ、写真がすぐ思い浮かぶことだろう。しかし本稿ではすこし視点を変えて、横浜を舞台とするアニメとゲームを中心にとりあげ、それら普段は注目されないトポグラフィと、先にあげたトポグラフィたちを比べながら、横浜のえがかれかたの特徴を探ることにしたい。

と同時に、トポグラフィにえがかれた場所を「描かれている通りだ」とその目で確かめるために足を運ぶことを、近代においては「観光、tourism」といい*2、いま現在もっとも観光へと駆り立てる力、「足を運ばせる力」を持っているのは、おそらくアニメやゲームといった「オタク系」といわれるコンテンツ群だろう。それらに用いられた背景画の「元ネタ」へ実際におとずれることをネット用語では「聖地巡礼」というが、トポグラフィに描かれることだけでなく、これら聖地巡礼によっても、その「場所」に新たに意味が書き加えられてしまう。本稿ではそれを「聖地化」と「無名化」というふたつの概念を立てて考えることで、場所、とりわけ横浜をめぐるイメージ形成にどう影響するかをみていきたい。

本稿は以上のような二本立ての構成になっている。前置きはこのくらいにして、そろそろ本題へ進むとしよう。

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*1佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』青弓社、二〇一一年、七頁

*2ダニエル・ブーアスティン『幻影の時代——マスコミの製造する事実』後藤和彦/星野郁美訳、東京創元社、一九六四年

2012-09-02

8月に読み切ったものまとめ

読んだ本の数:11冊
読んだページ数:1743ページ
ナイス数:0ナイス

アニメは越境する (日本映画は生きている 第6巻)アニメは越境する (日本映画は生きている 第6巻)
読了日:08月16日 著者:
ヒメゴト〜十九歳の制服〜 1 (ビッグ コミックス)ヒメゴト〜十九歳の制服〜 1 (ビッグ コミックス)
読了日:08月23日 著者:峰浪 りょう
ヒメゴト〜十九歳の制服〜 2 (ビッグ コミックス)ヒメゴト〜十九歳の制服〜 2 (ビッグ コミックス)
読了日:08月23日 著者:峰浪 りょう
ヒメゴト~十九歳の制服~ 3 (ビッグ コミックス)ヒメゴト~十九歳の制服~ 3 (ビッグ コミックス)
読了日:08月23日 著者:小学館
溺れる花火 1 (ビッグコミックス)溺れる花火 1 (ビッグコミックス)
読了日:08月24日 著者:峰浪 りょう
溺れる花火 2 (ビッグコミックス)溺れる花火 2 (ビッグコミックス)
読了日:08月24日 著者:峰浪 りょう
友だち以上 (愛蔵版コミックス)友だち以上 (愛蔵版コミックス)
読了日:08月27日 著者:おかざき 真里
RPF レッドドラゴン 1 第一夜 還り人の島 (星海社FICTIONS)RPF レッドドラゴン 1 第一夜 還り人の島 (星海社FICTIONS)
読了日:08月28日 著者:三田 誠,虚淵 玄,奈須 きのこ,紅玉 いづき,しまどりる,成田 良悟
従姉ヴァレリア 1 (セブンティーン・コミックス)従姉ヴァレリア 1 (セブンティーン・コミックス)
読了日:08月31日 著者:福原 ヒロ子
シークレット・ラブ (1978年) (サンコミックス―矢代まさこ名作シリーズ)シークレット・ラブ (1978年) (サンコミックス―矢代まさこ名作シリーズ)
読了日:08月31日 著者:矢代 まさこ
従姉ヴァレリア 2 (セブンティーン・コミックス)従姉ヴァレリア 2 (セブンティーン・コミックス)
読了日:08月31日 著者:福原 ヒロ子

2012年8月の読書メーターまとめ詳細

8月に観た映像作品まとめ

観た数:9本
鑑賞時間:579分

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s
鑑賞日:08月03日 監督:草川啓造
ダークナイト ライジング [DVD]ダークナイト ライジング [DVD]
鑑賞日:08月06日 監督:
劇場版 エスカフローネ (Blu-ray)劇場版 エスカフローネ (Blu-ray)
鑑賞日:08月11日 監督:赤根和樹
おおかみこどもの雨と雪おおかみこどもの雨と雪
鑑賞日:08月16日 監督:細田守
青の6号 Vol.1「BLUES」青の6号 Vol.1「BLUES」
鑑賞日:08月17日 監督:菊地正典,鶴岡陽太
青の6号 Vol.2「PILOTS」青の6号 Vol.2「PILOTS」
鑑賞日:08月17日 監督:
青の6号 Vol.3「HEARTS」青の6号 Vol.3「HEARTS」
鑑賞日:08月17日 監督:
青の6号 Vol.4「MINASOKO」 [DVD]青の6号 Vol.4「MINASOKO」 [DVD]
鑑賞日:08月17日 監督:
美少女戦士セーラームーンR [DVD]美少女戦士セーラームーンR [DVD]
鑑賞日:08月28日 監督:幾原邦彦

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