母の色眼鏡と娘の業

たまに実家に行くと、母が昔の写真などを整理していて、
「ねえ、これ見てごらん。あなたが小学校入った時。お下げにして、かっわいいでしょう? ほらこれ、六年生の時の。まあ足も腕も細くてかわいいことねぇ。これ中学三年生よ、ほら笑ってる、か〜わい〜。ね〜?」
などとはしゃぎながら写真やアルバムを見せるのが、微妙に鬱陶しい。


「あなたはどう撮ってもブサイクだったわね」とか言われるよりはマシだが、母が相好を崩して私に同意を求める態度を見ていると、「親の贔屓目というのはすごいものだな。そりゃ自分が産んで育てた子どもだから、かわいいと思うのはある意味自分を肯定することでもあるんだろうけれども、客観的に見れば決してかわいいほうじゃなかったよ。このまま大人になっても美人にはならんだろうというのは、顔に刻印されてるよ」と心の中で呟いてしまう。


子どもの頃の自分の写真。そこに写っているのは美少女でもなければ愛くるしい女の子でもない。目は一重で腫れぼったいし、鼻は低くてダンゴだし。
笑っているのも「かわいい顔じゃないからせめて笑って撮られよう。ブスがブスッとしてたら増々ブスだ」と思ってたからなんだよ。澄まして撮られてかわいかったらそうしてるわい!


「お母さんの言うかわいいって、まだ子どもでかわいかったってことでしょ。私が大学一年生の女子見てかわいいなあと思うのと同じだよ。やっぱりほんとにかわいい美少女はいたからね」
「○○ちゃん? あの子ちょっと性格キツかったんじゃない」
「キツめですごくかわいいからモテてたんじゃん」
「‥‥‥」
年老いた母はただ、おばさんになった娘と一緒に美化された思い出に浸りたいだけだろうに、意地悪な私。お母さんごめんなさい。



幼い時はまだしも、10代になってからの私は容貌コンプレックスに悩まされていた。私は父に似ている。父は若い頃は皇太子(今の天皇)に似ていると言われ、まあまあな感じだったが、自分の顔はまったくもって気に入らなかった。
私は母みたいな顔に生まれたかったのだ。母は目がはっきりした二重で大きく、整った形の鼻をして頬骨は高く、美人と言っていい顔をしていた。
小学校五年の時、授業参観のことを作文に書かされたら、担任の男性教師がそこに「お美しいお母さんですね」とコメントを書き(今なら考えられないことだ。問題になるかもしれん)、それを読んだ母は「あらま!」とか言いながら結構嬉しそうな顔をしていたのを思い出す。
その時は「もう先生ったらやらしいなあ」くらいにしか思わなかったが、後で「大野さんに比べてお母さんは意外にもお美しいですね」と言いたかったのかと思って、内心傷ついた。
‥‥もうね、コンプレックスに囚われた子は箸が転んでも勝手に傷つくの。いくら身内に「かわいい」と言われてもダメ。


祖母はよく子どもの私に「色の白いは七難隠す」と言っていた。つまり私の顔の長所は、どっちかというと色白ということ以外にはないということを、祖母はちゃんと見抜いていたということだ(と思う)。
色なんかいいから、ぱっちりした二重のアーモンド型の目と品良く通った鼻筋が欲しいと、どんなに思ったかしれない。当時の少女マンガは皆、長い睫毛に囲まれたでっかい目に星キラキラ、チョンとピンセットで摘んだような鼻の女の子ばかりが描かれていたので、余計だった。
山口百恵が出てきて、目がパッチリでなくてもアイドルたり得るという前例が作られたが、彼女の目は細めでもきれいな切れ長で、何より鼻筋が通っていた。美人の条件は鼻だよなあ、目なんて化粧でどうにでもなるもんね、と13歳の私は諦めと共に悟った。


その頃から、人の顔の造作を冷静に観察する癖がついていた。下敷きは女の子の顔の落書きで埋め尽くされ、暇さえあればノートにいろんなタイプの顔を描いて遊んでいた。勉強しているふりして、机にも盛大に落書きしていて父によく怒られた。
やがて、数回会った人の顔は空でかなり正確に似顔絵を描けるようになり、いわゆる美人でも何でもない普通の人の顔を、そっくり且つ何となく美人ムードに描く(これものすごく喜ばれる)というコツも体得した。
私が美術に進んだ動機の一つは、容貌コンプレックスとその裏返しの人の顔面への異常な興味からきていたかもしれない。


少し前、本のことで取材された記事が「週刊女性」に載ったのだが、顔写真が自分としてはやや難アリだった。コンプレックスがありながら、一方でナルシシズムにも囚われている。矛盾しているがそうなのである。
で、母に「これ、写真がアレでさー」と言いながら見せると、「あらっ、賢そうに撮れてること!」。か、賢そうって(言うに事欠いて)。この人は何かしら見つけ出しては褒める人なんだなと改めて思った。親が適度に能天気だと救われる。というか、親は娘を親の色眼鏡で見ているし、私は私の色眼鏡で自分を見ているだけだが。
表紙に「美大講師、芸能人アーティストをバッサリ」と、いかにも芸能週刊誌くさいタイトルが出ていた。
「これ書店で遠目に見た時、「美大講師」が一瞬「美人講師」に見えっちゃって、うっほ!とか思っちゃって‥‥バカだよね私って」
母はお腹を押さえて笑い崩れた。笑いながら、いい歳をした娘のどうしようもない業の深さというものを見たのだろうか。


さて、ここで最近ちょっと話題だった「美人○○」の話に繋げたいのだが、長くなったのでまた明日。