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2008-07-06

個性は獲得目標ですらない

美術教育方面の話に絡んだ「個性」関連のエントリが賑わっている。

そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び

個性は本当に獲得するものなのか?- ハックリベリーに会いに行く

個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。 - 消毒しましょ!


以前、美術系の幼児教育(保育士や幼稚園教員になる人のための図画工作の授業と、子どものお絵描き教室)に携わっていたことがあるので、ちょっと子どもの絵の話を。

子どもの絵には、年齢に対応した発達段階がある。たとえば4歳の子どもがどのような絵を描くかは、多少の個人差はあれどもある程度の類型が見られるので、そこから発達障害や心理的外傷を読み取ることも普通にされている。

年齢的発達段階とは別に、絵には子どものその時の精神状態や興味のあり方といった心的現実が色濃く反映される。殊に言語コミュニケーションが十全な発達を遂げていない時期の子どもにとっては、お絵描きがその時々の自己の内面を直接的に表出する手段となっている。

そこで「個々の個性を大切に」という言葉が教育現場で使われることもある。


つまり「子どもの絵の個性を大切にする」とは、その子どもの精神状態や興味のありようを受け入れ、拙いやり方でも自分を表出したことを認め、自信と自己肯定感をもたせてやるということに他ならない。要は、いかに楽しんで絵を描き充足感を得られるかが重要であり、そこを通過して初めて次の段階に移行できる。これはどんな分野でもそうだろう。

一般に「個性がある」「個性的」という言葉には、「独自性」という他から抜きん出た特有の価値を評価する意味合いがあるが、子どもの絵において「個性」と(仮に)呼ばれるのは、むしろ「個人差」(精神状態や興味のあり方の差から現れる描画方法や内容の差)のことである。


『こどもの絵』を著したジョルジュ=アンリ・リュケによれば、子どもの絵は「知的写実性」から「視覚的写実性」へと移行する。*1

「知的写実性」とは、知っていることを描くというもの。例えば、空は上の方にあると「知っている」から画用紙の上部だけを青く塗る。そこに視覚的現実はない。「知っている」ことと視覚的現実の摺り合わせは行われないのだ。そこを経て「視覚的写実性」、つまり文字通り現実を見たままに描こうとするようになる。

この段階の移行は個人差があるとされるが、色や形の細かい識別能力や観察力、集中力がついてくるに従って、いずれはほとんどの子どもが「知っている」ことだけを描いて自己を表出(発散)するだけに満足できなくなり、「視覚的写実性」に向かっていく。従って、比較的早い段階で「視覚的写実性」に達した子どもを「個性がある」とは言わない。発達の度合いが他の子どもより幾分早かったのである。


「視覚的写実性」に目覚めた子どもにとっては、当然のことながら遠近法に始まる技術体系の習得が必要になる。絵画における共通言語となっているそれをマスターし、誰にでも通じる言葉で喋れるようになることが第一歩だ。

そうやって描き方を覚えた子どもの写実的な絵を「個性がなくなった」「つまらなくなった」などと言うのは、間違った評価である。個性=独自性など、まだどこにも出現していないのである。


「知的写実性」から「視覚的写実性」への移行を、「世界の中心に自分がいる」感覚から「世界の一部として自分がいる」感覚への移行というふうに言い換えることもできるだろう。それは一種の社会性の獲得だ。

ただ「視覚的写実性」を求める段階で、普通は言語的コミュニケーション能力の発達によってある程度の社会性を獲得しているので、それでも依然として絵で自己を表出したり、コミュニケーションを取ろうと思う者は少なくなる。だから小学生から中学生くらいで、お絵描きに興味を失う子どもが増えてくるのは当然のことなのだ。


一部の絵を描くのが人より上手かった子どもや、描くことに魅せられた子どもは、絵を描き続ける。やがて、「視覚的写実性」のための技術だけでは物足りなくなってくる。充分に身についた技術を使って、何か面白いことをやりたい。あるいはそれを表向きは使わないで、気になるテーマを追求したい。

そこで彼はアーティストなりデザイナーなりイラストレーターなり漫画家なりを目指す。「自分の個性を獲得したい」から目指すのではない。なんか面白いことをしたいから、自分の気になっていることをぴったりのやり方で表現して人に見せたいからだ。どうやったら面白くなるのか、目指すものに近づけるのか、彼が考えるのはそれだけだ。「自分の個性とは何か」などということは大抵忘れている。

そしてそのうちの一部の人がいつのまにか、「個性がある」と言われるようになっている。


最初に個人差があり、その上で普通はまず社会性を獲得していく。社会性とは共通言語を喋れるということである。*2 社会性を獲得した上で尚も何かにこだわり続けた結果の中に、個性は見出される。共通言語でできている社会が、それを見出すのである。


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*1:子どもの絵については大量の書物が出ているが、『子どもの絵の心理学入門』(フィリップ・ワロン著、加藤義信/井川真由美訳、白水社[文庫クセジュ])が読みやすい。

*2アウトサイダー・アーティストはここに入らない。彼らは共通言語の獲得をしなかった/失敗したことで必然的に発現した「特殊性」を、他者から発見された人々だ。

負け猫負け猫 2008/07/06 21:34 私の小学生の頃の経験ですが、確かに「視覚的写実性」が表れた絵(=対象を正確に描き写した絵、ってことですよね)を描く子に対しては、教師があれやこれやイチャモンをつけていましたね。線に元気がない!とか言って。でも専門の先生(?)が来て評価する段になると、そういう子の作品が賞を取ったりしていました。
思うに、担任の教師は「子供は子供らしくのびのびと元気いっぱいに、画用紙からはみ出すような構図と鮮やかな色彩で描くのが素晴らしい」という刷り込みをされていたのだと思います。実際にはすぐれた観察眼を持っている子がチマチマと緻密な作品を描いたとしても、それがその子の個性なのに。
私は教育学部だったので、ゼミでこのエピソードを紹介したことがあります。

以下は余談ですが、私もどちらかというと絵が得意な子供だったので、下書きに割り箸ペン(割り箸の先を削って尖らせ、墨汁をつけて描く。鉛筆ではないので修正などが出来ない)を使わなきゃいけないのはおかしいな…と思っていました。現実の「モノ」は太く黒い線で縁取りされてなんかいないのに、なぜ鉛筆の薄い線で描いちゃいけないのかと。

ululunululun 2008/07/06 22:28 「アーティスト症候群」を読め!で良かったのでは。
凄く面白かったです。
「大野さんは、アーティストをやめたけど本は出した」んだなあ、と思いながら読みました。

ようこようこ 2008/07/06 22:57 早熟で視覚的写実を早く手に入れた子供であった私は、美術の時間が怖かったですよ。
子供って予想外の絵を描くじゃないですか。それが面白いとか褒められたり(負け犬さんのお話の教師みたいに)
さらに長じて「私って変わってるって言われるんです」とか言いがちな高校生くらいになると、今度は意図して突拍子なさを狙うやつが出てくるじゃないですか。
でも、私はそうなりたいと思っても思っても、頑張れば頑張るほど写真のようになっていくわけですよ。
自分でそう思っていて、なんで私は現実を描き写すことしかできないんだと泣きそうに凹んでいるところに、わざと隣の個性的と言われる人の作品をマネすると「君は個性が強すぎるから」と吐き捨てるように言われるんですよ。
誉められないんですよ。
ヒトマネで私から見れば十分に上手く隣の席の子の褒められる破天荒さをマネれているのに、悪い意味で個性的って罵られるんですよ。
時には協調性がないまで言われるんですよ。
自分を殺すことがメインだったのに。
もうね、たかが学校の教師が美術なんか教えるなって思いました。
そんな私は幼稚園児が「海って辛いやろ。やから黒やねん」と黒く塗ったりする「独自の理屈」が羨ましかったです。
その子も数年のうちに青い海を描くんでしょうな。

個性って何でしょね。
わりと不思議なのが、ゴスロリ系とか今だと姫系の人たち。
同じブランド品を着てたら、そのブランドの作り手という他人の大量生産された規制を着ていて「個性の主張」って言うじゃないですか。
結局、それと同じで、人間知ってることからしか何かを生めないので、一見最初の一人のようでも、そのモトネタは生まれてから今日まで得た既存の情報だと思うので、個性なんぞイラネと思うのでした。

餡 2008/07/06 23:58 私は顔が物凄く個性的なので、それ以上個性は必要ありませんw
絵は凡庸なのを描いてます。

ohnosakikoohnosakiko 2008/07/07 00:16 >負け猫さん
>下書きに割り箸ペン(割り箸の先を削って尖らせ、墨汁をつけて描く。

あれ、嫌ですね。全然美しくないし。


>ululunさん
どうもありがとうございます。


>ようこさん
美術の時間っていろいろエピソードがあるもんですね。


>餡さん
そうですか。私は自分も人も個性という観点で見たことがあまりないかもしれません。

megmamamegmama 2008/07/07 11:36 知的写実性と視覚的写実性、なるほどーと読みました。
ところで、うちの子2さいの時の絵の書き方が変で、なぜか上下逆さまに描いたんですよ。(自分で好きに描く時はちゃんと描くのに、何かを見て書く時はなぜか逆さまなんですよ。)
それって、知的でも写実でもないなー(笑)そういう子供っていませんでしたか?まー自分の子なので個性的というか変人?なのは仕方ないなぁと思いますが、ちょっとビビリました。今は保育所で矯正?されて面白味のない理想的な発達段階な絵です。それはそれで気にいらなかったり(笑)。個性ってホント不可思議ですね。
>ようこさん
私も超写実な絵を描いてましたが、いつも美術は高得点でした。評価って見る先生に寄るんだなぁ。難しいなーって思いました。

ようこようこ 2008/07/07 15:45 >megmamaさん

あ、点数はよかったんですよ。
何かそういう人間を選出する時には選ばれたりね。
でも、辛かったんです。怖くて、常に強迫観念があったのです。
何より、自分は望んでない方向ですからね。不本意爆発ですよ。
あんまり、英語とか数学で周囲の期待する答えを出そうとしたら自分が全然思ってないことで涙目とかないと思うので、美術って本当、難しいですね。

ohnosakikoohnosakiko 2008/07/07 19:35 >megmamaさん
>ところで、うちの子2さいの時の絵の書き方が変で、なぜか上下逆さまに描いたんですよ。(自分で好きに描く時はちゃんと描くのに、何かを見て書く時はなぜか逆さまなんですよ。)

上下逆さまはたまにあるという話を聞いたことがあります。「見る」こと(像を認識すること)と「描く」ことが上手く連動していないらしいです。左右が混乱することもあるようです。
好きに描く時は、描きたい像が頭の中に通常の位置関係で想定されているので、ちゃんと描けるんじゃないでしょうか。

antonianantonian 2008/07/07 20:30 私は記憶を再現すると鏡のように逆になってしまうんです。未だその傾向があります。子供の時は平仮名が、中学の時はアルファベットがそうなって困りました。あと、文字の中の形而上の形態にどうも弱い。数字とかお金と連動しなくなります。

おっしゃるように個性と評価されるのは外部者によって規定される評価であり、自分的世界においては描くという行為は個性を目指しているわけではないですね。

わリ箸ペンといえばこないだ読んだ漫画家がわり箸ペンで輪郭描いてたです。

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