レイプファンタジーというおかずについて、極個人的に

(以下は、エロゲ規制問題に関しての実際的な議論ではありません。「規制」か「反規制」か「規制もやむなし」かといったことは論じていません。それ以前の性欲の話(個人的嗜好を含む)であることをお断りしておきます。)



エロゲ関連記事のだいぶ前のブコメ

(前略)エロゲ好きな人は「レイプだから興奮するんだ」って言えばいいのに。不快だけど「表現の自由」一点張りよりまだまし。

と書いた。法的規制の動きに対して、「表現の自由」で対抗するという理屈はわかる。が一方で、レイプシーンをおかずに抜くという欲望の回路があるからこそ需要があるのだろうと、私は思っている。レイプを描いたエロ漫画にしてもAVにしても、基本はそういう欲求に応えるものだろう。作品の中に「読みの多様性」があるとしても、基本的には。
つまり、ヘテロ男性の性欲の中には多かれ少なかれ、女を蹂躙してみたい、蹂躙されて喜ぶ女が見たいという嗜虐的な欲望が潜在しているのではないか(その「善し悪し」はとりあえず問わない)。でなければ、なぜポルノで女性が無理矢理犯されるシーンがあんなにあるのか、説明がつけられない。*1


これに対して、同ブコメ欄でid:lisagasuさんから反応があった。

(前略)ohnosakikoさんの薦めに従って言う。私、男女が愛の儀式として甘く優しくセックスするポルノじゃ興奮しないんだ。そっちにこそ嫌悪感がわいてくる

そしてメタブコメ

「レイプだから興奮すると言え」って、自白すれば罪は軽いぞと脅されてるみたい。でもこの意見を支持する人も「夜のゆめこそまこと」は理解できて、それとこれとは別の話だって言うんだろうな。だから良識ポルノ嫌い


私はファンタジーにおける欲望についての具体的な発話を望んだのだが、「脅し」と取られてしまったかと反省した。確かに読み返すとかなり乱暴なブコメだった。現実にレイプ犯罪において加害者は圧倒的に男性であり、被害者は圧倒的に女性だという非対称性がある以上、(いくらフィクションとは言え)「レイプだから興奮する」とは、もしそう思っていたとしても男性はわざわざ公言したくないだろうと思う。
その意味で、エロゲユーザーの多数を占めるであろう男性ではなく、女性ユーザーからの具体的な反応があったことは(それも規制反対の立場から「あえて」書いてくれたものだと思うが)、それなりに理解できた。*2


書かれていることからだけしか想像できないが、彼女の感覚は、エロゲユーザーではない私にも何となくはわかる。私もレイプまがいのセックスの描かれたポルノ小説や漫画を楽しんだことがある。いわゆる、押し倒されて抵抗していたがだんだん快感を覚えてしまうという、よくあるやつ(現実にはあり得ないやつ)だ。*3
逆に、ハーレクインロマンス(まだ需要はあるのだろうか)などの、「男女が愛の儀式として甘く優しくセックスする」女性向けの描写は、「嫌悪感」まではないが面白いと思わない。挿入の前にコンドームをつける行為 ----「そこでジムは、ナンシーを守るベールをそっと彼のものに被せた。」とか ---- がいちいち描かれているのにも鼻白む。「愛あるセックス」でも避妊はしてほしいという、ヒロインに感情移入した女性読者の心情を想定しての親切設計。どうせあり得ないファンタジーなんだから、そんなとこに配慮してくれんでいいと思う。


言うまでもなく、現実にレイプされたり避妊を拒まれるなどはとんでもないことであって、フィクションだからこそという話だ。ただいくらフィクションであっても、そんなものには興奮できない、見るのも嫌だという意見は当然あるだろう。では私が性暴力の被害者だったらどう感じるだろうか? ポルノのレイプ描写に拒否反応するだろうか。
‥‥‥…それはわからない。酷く傷つくかもしれないし、これはこれと割り切って楽しめるかもしれないし、治りかけたかさぶたを剥がすような感じで痛みを享楽するかもしれない。
もし性暴力被害者の人でその手のエロゲーの存在に心を痛めている人が読んでいて、以上のような推測を腹立たしく思われたら、ごめんなさい。ただ私自身については「どう感じるかわからない」としか書けない。そのくらい、自分の性欲のあり方が不可解。


そういうふうに自分の性的嗜好を曖昧に擁護する一方で、私は先のブコメで男性のユーザーが「レイプだから興奮する」のを「不快だ」と書いた。レイプシーンに嗜虐的に興奮しているであろう男性の性欲のあり方(それがすべてではないとしても)が目に見えるのは、不快だと。
それはいったいどういうダブスタだ?ということになるだろうか。なるのだろうな。この分裂について、私には論理的に説明する言葉がない。



実際のセックスにおいて、どうしても女性は受動側にある。身体的にそういう構造になっているだけでなく、社会的文化的な刷り込みが欲望や振る舞いに与える影響も大きい。
レディコミにレイプが描かれるのも、受動側であり性的客体である自身の性的存在様式を受け入れ、それを被虐的かつナルシスティックに楽しみたいという欲望の回路があるからだと思う(男性側に想像的に立つという人もいるだろうけど)。
物語のレイプシーンを楽しむということは、まずそこで作中人物に与えられている苦痛を想像するということである。そして苦痛や恐怖が快楽に転化するファンタジックな過程を楽しむということである。現実のセックス(和姦)における欲望や振る舞いが、そういう嗜好とまったく無縁であるとは言えない。


マッキノンはそれを、現実社会の女性差別の反映だとした。性的ファンタジーだけでなく現実のセックスの様態にまで性差別意識は深く浸透していると。セックスはレイプと連続していると。
では性差別やジェンダー規範を排除した後のセックスは、一切暴力と関係ないのだろうか。私にはむしろ、セックスという行為そのものが本来的に、暴力のように思える。男性の暴力的な欲望がまったく駆動されないセックスをイメージすることができないし、「男女平等」なセックスも想像できない。
結局、社会的なレベルでも個人的なレベルでもあるのは、セックスをどこまで暴力から遠ざけるか、いかに暴力とは違うものとして演出するかという配慮だけではないか、そしてそんな配慮は面倒臭いという思いがどこかにあるからこそ、ファンタジーの中で純粋に暴力的なセックスを楽しみたいという欲望はなくならないのではないだろうか、とさえ思う。
もっとも、こうした感じ方そのものが、性差別を内面化している証拠だと言われるかもしれない。


実際、先に述べた自分の性的嗜好のあり方、性欲が発動される動機の一つについて、幾分のうしろめたさは感じている。もし「フェミニストを自称する者がレイプファンタジーをおかずにするなんて倒錯的だ」と教条的に言われれば、顔を真っ赤にして「性欲そのものが倒錯的なものだ」と返すだろうが。
私の場合、うしろめたい感覚はレイプシーンに欲情する男への忌避感に繋がっており、自身の性的ファンタジーにおける快楽とは表裏一体になっている。どちらかが「表」になっている時、「裏」は抑圧されている。


男女平等の理念を貫徹しようとすれば、女性蔑視的なポルノを楽しむ私の行為は批判されるべきものになろう。と言うと、そういうものを楽しみたいという欲望そのものは「内面の自由」だという答えがある。それはまったくその通りだ。
だがその先に疑問がある。ポルノを被虐的に楽しむことは、私にとって「自由」なことだったのか。私は数ある楽しみの中からその楽しみを選び取ったのか。
そうではない。嗜好は知らないうちに作られたのだ。そして、それを楽しむために私は、「受動側であり性的客体である自身の性的存在様式を受け入れる」というハードルをクリアせねばならなかったはずだ。
いつどのようにそのハードルを乗り越えたのかは覚えていない。思い出したくないからかもしれない。

*1:もっとも、エロゲーに描かれるレイプで、女が快感を覚えているかのように描かれたものなど一つもないし、レイプシーンにユーザーが興奮することもないということであれば、私の意見は全面的に間違っていることになる。

*2:追記:この記事を挙げた後で、某所に書かれたlisagasuさんの長文コメントを読んだ。私は本当に無神経なブコメを書いたのだなと改めて思った。遅まきながら申し訳ないです。

*3:追記:「あり得ない」わけではない。コメント欄の指摘を参照して下さい。