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2009-12-01

曾野綾子とミニスカート

産経新聞に掲載された曾野綾子の「用心するということ」というエッセイが、この数日、ネット上でえらい顰蹙を買っている。産経新聞に謝罪を求める抗議運動まで起こっているようだ。批判記事には多くの反応が集まっている(その一つ、強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記にエッセイ全文が掲載されているので、未読の方はどうぞ)。

去年の2月、沖縄駐留米軍海兵隊員による女子中学生暴行事件の際、産経新聞客員論説委員花岡信昭が被害者について「基本的な「しつけ」が徹底していなかった」とネットで発言し、散々叩かれたことがあった。「またかよ」感が拭えない人も多いと思う。


曾野綾子と言えば、最近では作家としての話題や評価より、石原慎太郎中曽根康弘と仲良しで、靖国に参拝し日の丸君が代を賞賛し、かつて日本船舶振興会の会長を務めたり日本郵政取締役に就任していたりする、ガチガチのタカ派として有名である。そこにクリスチャン(と一口に言ってもいろいろな人がいるだろうが)としての禁欲的な規範意識が重なって、性についても保守的な態度となっているように傍目からは見える。


既にあちこちで指摘されていることだが、性犯罪においては、露出度の高い挑戦的なファッションの女性より、地味で大人しそうな外見の方が抵抗できないだろうと看做されて狙われやすい。また、夜道を歩いていて見知らぬ人に襲われたというようなケースとは別に、相手が顔見知りだったりするケースも目立ち、しかも告訴しにくい(しても犯罪と看做されないことがある)ために、犯罪白書などの統計には実数が反映されていないという。

今の世の中に、強姦の正当な理由は存在しない。男が女より圧倒的に「レイプできる性」であることは事実だが、「できること=しても仕方ないこと」ではない。だからかりに露出度の高いファッションで深夜に1人で歩いていたとしても、その人が襲われて仕方ない理由にはならない。


だが突っ込みどころ満載に思えるああした文章に、「うむ‥‥確かにそうだよな」となんとなく納得してしまう人は、世間には一定数いるのではないかと思った。

「男は狼よ。油断しないようにね」。昔から、多くの娘は母親からそういうメッセージを受け取っている。「そのスカート丈、短過ぎやしないか?」。年頃の娘をもつ父親でそう危惧したことのある人もいるだろう。

そのような、普通の人のごく素朴な不安心理に寄り添い、悪気なく"世間の道理"を説いているつもりで何気なくヤバいことを口走り、そのマイナス効果に自分でも気づいていない。曾野綾子はそういう迂闊な人の1人に思える。


曾野綾子のプロフィールをWikipediaで見てみると、昭和6年(1931年)生まれ、幼稚園から聖心女学院のお嬢様であり、13歳の時に終戦を迎えている。

戦後の混乱期、貧しく職にも就けず米軍兵士に体を売った女性はたくさんいた。彼女達は商売柄、人目を引く派手で蓮っ葉なスタイルで夜の盛り場に立った(『肉体の門』や『赤線地帯』、『浮き雲』などの映画を見ると、当時の風俗がよくわかる)。

1人で夜道など歩く必要のなかった良家の子女の中には、貧困から体を売るような女性の存在に心を痛め、自分の恵まれた立場が何に依っているのかを考えた人もいたかもしれない。だが曾野綾子の中には、「夜出歩く女は売春婦」「売春婦と思われたらレイプされやすい」という観念が強く残ったようだ。沖縄米軍の女子中学生暴行事件について、「午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。」の記述から、そんな印象を受けた。


エッセイにはまた、「太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任があると言うべきだろう。なぜならその服装は結果を期待しているからだ。」とある。「男を誘惑して押し倒されることを最初から期待してるのよ!」と言わんばかりである。

もっとも、ミニスカートを穿くことは、単に個人の趣味の問題であって性的要素とまったく切り離して考えられる、と言う人はいないだろう。「私が好きだから、カッコいい/可愛いから」「同性に褒められたいから」身につけるのと同時に、「異性にもアピールしたい」「異性にもカッコいい/可愛いと思われたい」という心理が必ずどこかにあるはずだ。*1


ミニの裾からすらりと伸びた脚を出して、性的魅力をアピールしたい、異性の目を惹き付けたいというのは、ごく普通の欲望である。惹き付けたいけれども、おじさんやブサメンの嫌らしい視線に晒されるのは厭、イケメンが褒めてくれるとか優しくしてくれるくらいが気持ちいい‥‥というのも、ごく普通の心理。「その服装は結果を期待している」の結果とは、実際はその程度のものだと思う。

だいたい、自分の性的魅力がどのくらいの価値があるかを充分自覚している女の子というのは、魅力的なボディを目の前にして欲望が表に出てしまうのを懸命に堪えている男の子を眺めるのが好きだ。それが可愛い女の子の残酷さというものであり、男子はそれに耐えねばならない。


そこで女の子に対して「あんたもいい気になりなさんな」と水を差すのが、世間知を武器にする大人の言い分である。「そうは言っても世間ではね」「男というものはね」と。

曾野綾子の言葉は、そういう人々の感情、俗情に訴えかける。だから「電波」と言って済ますことのできない手強さがあると私は思う。


彼女の思春期の始まる昭和15、6年あたり(1940年体制)から、昭和40年あたりまでは、性規範が非常に強かった時代である。特に戦時中はおしゃれは御法度、大正期に一部インテリの間で流行した自由恋愛も影を潜め、性愛は夫婦間でのみ許容され、女性はいかに貞操を守るかが重要視された。

昭和20年代からは、「敗戦による性道徳の荒廃の立て直しと、男女共学に代表される新時代の男女関係の指針づくり」という名目で、文部省が「純潔教育」の法整備を始める。学生の身分ではなく、お互いに責任をもてるようになってから、一対一のおつきあいをしなさい、将来を約束できる相手が現れるまで、処女、童貞でいなさいと啓蒙するパンフが、全国の中学、高校に配布された。*2

「親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい、と私なら言いそうである。」というエッセイの締めくくりは、まさに思春期に純潔教育を叩き込まれた女性の言い分である。


そういう人の中には、ボディラインを強調したり露出の多い服を着た若い女性が1人でいるところを見れば、すぐさま以下のような連鎖が心の中で起こる人が一定数いるのだろうと思う。()内は件のエッセイより引用。

・男の目を引くじゃないの!ったく今時の女の子は警戒心もなくてお気楽なもんねえ。(最近の日本人は用心することをしない)

  ↓

・私たちの若い頃はそんな勝手なことは許されなかった。そんな格好しようもんなら後ろ指指された。(性的商売をしていると思われても仕方ない)

  ↓

・だからあれは男を誘ってる格好よ、薄々わかってやってるのよ。(その服装は結果を期待しているからだ)

  ↓

・襲われても仕方ないわ。(経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟の上でしなさい)

曾野綾子の性道徳のあり方や差別意識の源を「保守だから」「右寄りだから」とする人は多いと思うが、どんな時代をどういう人として生きたかを考えると、話は単にそうした政治的ポジションだけに帰結するものではない気がしている。*3



●関連

闇から闇に葬らないこと - 性犯罪の特徴と問題 -Ohnoblog2

*1:これ、結構反対する女性がいるのだが、是非とも拙書『「女」が邪魔をする』を読んで頂きたい。

*2純潔教育については、『純愛の精神誌ー昭和30年代の青春を読む』藤井淑禎著/新潮選書)に詳しい。異性と二人きりで一室にいる時は窓やドアを開けておけとか、異性とは隣同士ではなく机を挟んで対面しろとか、その際女子は脚を崩してはいかんとか、異性への手紙は封書ではなくハガキにしろ(親がチェックできる)とか、笑っちゃうような細則の書かれたパンフもあった。「純潔」は、未婚女性の社会的な性管理に利用される言葉だった。

*3:追記:世代で括るのはどうか、やはり政治的な位相は深く関係しているのではないかという意見もあると思う。もちろん関係してないとは思わない。ただ個人的な体験を書くと、高校の時、あのエッセイの最後の文とそっくり同じことを、昭和元年生まれで左翼体質の父に言われ、大学生の時、「そんな娼婦みたいな格好やめなさい」と昭和12年生まれでノンポリの母にひどく怒られたことがある。その点では私は曾野綾子と両親の違いを感じないし、「普通の親」というのはだいたいそういうものなのだと思っている。

nananaganananaga 2009/12/02 17:04 曾野綾子という人について良く分かりました。そうゆう人が自分のバックグラウンドを反省せずにこうゆう無神経な発言をすることに労働問題や自殺問題、政治の問題の原点を見る気がします。

>今の世の中に、強姦の正当な理由は存在しない。男が女より圧倒的に「レイプできる性」であることは事実だが、「できること=しても仕方ないこと」ではない。だからかりに露出度の高いファッションで深夜に1人で歩いていたとしても、その人が襲われて仕方ない理由にはならない。

正論だと思います。
しかし、ちょっと的外れで横やり、もしくはやぶへび的な意見かもしれませんが、レイプする人間に道徳を求めても無駄だと思います。上記の正論を分かる人ならそもそもレイプをしない、しようとも思わない。女性が襲われて仕方ない理由にはなりませんが、深夜に一人で出歩いては危険だ、という認識はもっと徹底的に社会に広まるべきだと思いますし、それをしないことがそもそもの自衛措置じゃないかと思うのですがどうでしょうか?
女は男より圧倒的に「レイプされやすい性」であるということも事実だと思うのです。
夜には昔から魔が潜んでいると言われます。夜に出歩かなければいけない人も勿論いると思うのですが、それは危険なことなんだ、という危機感だけは女性に持っていただきたいと日々切に思っています。

hatenkou001hatenkou001 2009/12/02 19:19 >だいたい、自分の性的魅力がどのくらいの価値があるかを充分自覚している女の子というのは、
>魅力的なボディを目の前にして欲望が表に出てしまうのを懸命に堪えている男の子を眺めるのが好きだ。
>それが可愛い女の子の残酷さというものであり、男子はそれに耐えねばならない。
>そこで女の子に対して「あんたもいい気になりなさんな」と水を差すのが、世間知を武器にする大人の言い分である。
>「そうは言っても世間ではね」「男というものはね」と。

上手い。これですね。
そうなんだよ。いい気になるなと言うのが精一杯の嫌みなんだよ。
実力行使できないわけだから。禁止できない訳だから。

ohnosakikoohnosakiko 2009/12/02 21:31 nananagaさん

>レイプする人間に道徳を求めても無駄だと思います。上記の正論を分かる人ならそもそもレイプをしない、しようとも思わない。

レイプする人間は単純に性欲と言うより、女性への支配欲に突き動かされているということはよく言われますが、男性の性欲の中に幾分かの支配欲は刻み込まれているのではないか?という議論もありましょう。今そこに深入りはしませんが、たとえば陵辱系の漫画とかエロゲーなどで空想の中では楽しむけれども、そうした行為を現実に移すなど考えたこともないという男性は多いわけですよね。つまり欲望それ自体は裁けない。
ではファンタジーで楽しんで済ませられる男性と、実行に移してしまう男性の違いは何なのか、そのあたり男性にももっと積極的に語ってほしいと思います。それで性犯罪がなくなるわけではないでしょうが、女性ばかり声を挙げているよりは良いと思います。

>深夜に一人で出歩いては危険だ、という認識はもっと徹底的に社会に広まるべきだと思いますし、それをしないことがそもそもの自衛措置じゃないかと思うのですがどうでしょうか?

自衛など一切必要ないという考えの人はいないと思うのですね。もちろん気をつけるに越したことはない。ただ、被害に遭ってしまった後の女性に対して、「自衛してなかったから仕方ない」という言葉を投げかけてはいけないという話だと思います。

それにしても、夜道で知らない人に襲われるより知り合いにレイプされる(室内などで)ケースが多いそうですが、そういう場合どう「自衛」したらいいのか、いろいろ難しい問題があると思います。
ですから、「嫌がっていてもほんとはOK」「デートしたらセックスも了解の印」などという女性に関する下らない思い込みなどを、一つ一つ解いていくことが大切でしょう。それこそ学校教育で啓蒙‥‥という話になるかと思います。

ohnosakikoohnosakiko 2009/12/02 21:41 hatenkou001さん
>そうなんだよ。いい気になるなと言うのが精一杯の嫌みなんだよ。

嫉妬めいたものが混じっている人も中にはいるかもしれませんし、「男を誘ってるような格好をして」と文句をつけるおじさんも、自分が若くて無分別だったら押し倒したくだろうなーと、どこかで思っているからついそう言っちゃうのかもしれません。
そんなことを考えながら書いた箇所ですが、hatenkou001さんは、挑発的なファッションの女の子を見ると、苛立ったりすることがありますか? もしあるとしたら何故‥‥。すいません、ちょっと興味があることなものですから。

>実力行使できないわけだから。禁止できない訳だから。

「実力行使」ってレイプ? そりゃできません。
「禁止できない」のは挑戦的なファッションですか。それもできませんね。

トントン 2009/12/06 07:42 セクシーなファッションは男性の為ではなく自分の為と
言う言説に私も疑問を感じていて
ファッションと言うのは、個人の意図を超えて
性的魅力の演出とは避けられないと思います。
でも個人で男を誑かしてやろうとか、誘惑してやろう
と言う意識はあんまりないと思うんですよ。

ただ、女という階層の無意識的には確実に存在する気がします。
でもそういう無意識は、性的に魅力的であるべき(そうでない女は無能)
だけど、性的魅力を自らアピールするのは駄目っていう
二重拘束が生み出しているのではないでしょうか?

ohnosakikoohnosakiko 2009/12/06 11:53 トンさん
私もほぼ同意見です。性的魅力のアピールと言っても、「誘惑してやろう」まではいかない「異性にカッコいい/可愛いと思われたい」程度のことが普通だと思います。
また、二重拘束についても同意見です。ほとんど意識はされない分だけ根が深いような気がします。

余談ですが、男性の願望が作り出した「自ら性的魅力をアピールするわけではないのに、天然で性的魅力がある女」として、小悪魔というのがありました。今ではわざわざ習得するタイプとして一般化しましたね。

↓以前書いた記事です。お暇な時にでもどうぞ。
「『小悪魔になる方法』はなぜ売れたのか」
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20061013/1195555916

hanahana 2009/12/16 12:26 はじめまして。
よくわからないので教えてください。私は女だからわからないですけど、男の子は性衝動が頭のりくつを超えるとおもうんです。想像ですが。
だから、繊細な子ほど、思春期が大変だとおもうんです。女の子のミニスカートはぎょっとします。男性よりの目でみると、ぎょっとするんです。
朝、登校するときは、人が沢山いるからいいですけど。
例えが悪いですが、車同士の交通事故は、被害者が動いてない時だけ、0対10で、だいたい被害者が何割かの責任を問われます。だったら、家にじっとしてろ、って事になります。
論点はずれるかもしれませんが、人が生きて社会を形成してる以上、犯罪や事故はあって、被害で苦しむ人が沢山いる。加害者を責め続けるのも人生ならば訴えるのも一つの選択、訴えないのも選択、
ただ納得のいく人生をそれぞれが全うに生きていく社会、支え合う社会がいっぽうで存在するのだと信じたいのですが。
生きている以上、何も起きないで平和という事はない、という事を受け入れて、了承して生きる事を前提でものを考えてはいけませんか?
エレベーターに閉じ込められてずっと出れないかもしれない。頭に何か落ちてくるかもしれない。生きる覚悟です。(私はそこから学びがあるような気がします。)
生物学的に男女は違っていて(皆が二つに分かれるわけじゃないでしょうけど)、違いは違いであって、そこから生じる問題はジェンダー論というよりは人間的な問題だとおもっています。
どうなんでしょうか。

ohnosakikoohnosakiko 2009/12/16 19:45 haruさん
>生きている以上、何も起きないで平和という事はない、という事を受け入れて、了承して生きる事を前提でものを考えてはいけませんか?

基本的にはその通りですが、問題はちょっと別のところにあるので、上の方で書いたコメントをもう一度書いておきます。
自衛など一切必要ないという考えの人はいないと思うのですね。もちろん気をつけるに越したことはない。ただ、被害に遭ってしまった後の女性に対して、「自衛してなかったから仕方ない」という言葉を投げかけてはいけないという話だと思います。

あと、「平和ということはないのだからレイプに遭うくらいは覚悟するべき」とも決して言えません。
こちらのやりとりなど参考になるかと。
http://blog.livedoor.jp/entertheotaku/archives/51705869.html#comments


>生物学的に男女は違っていて(皆が二つに分かれるわけじゃないでしょうけど)、違いは違いであって、そこから生じる問題はジェンダー論というよりは人間的な問題だとおもっています。

生物学的な性差それ自体で問題は生じません。性差を根拠にして起こる性差別の問題があり、それを扱うのがジェンダー論です。レイプ(やセカンドレイプ)の要因の一つに性差別があるのではないかと看做されているから、ジェンダー論が絡んでくるのだと思います。
ただレイプをジェンダー論だけに落とし込むのも無理がある感じはしています。おっしゃるような「人間的な問題」つまり性差別以前の一般道徳、人倫、それも当然あるでしょうね。切り離して考えるのは難しいですが。

nananaganananaga 2009/12/21 02:28 >陵辱系の漫画とかエロゲーなどで空想の中では楽しむけれども、そうした行為を現実に移すなど考えたこともないという男性は多い
>ファンタジーで楽しんで済ませられる男性と、実行に移してしまう男性の違いは何なのか

僕の話を言いますと、陵辱系の物は見ませんし見れません。誰かを陵辱することも想像しただけで苦しくなります。
しかし、女性と二人で密閉された空間にいると少し意識してしまいます。車や部屋は勿論、カラオケ、エレベーターでもそうです。女友達と遊ぶときも“あわよくば肉体関係に?”という欲求が意識にのぼりそれを抑えたりもします。
僕の場合、性的欲求を感じてから、女性にアプローチするまでにいくつか精神的関門があります。きっとそれが少ない人もいるでしょうし、中にはそれを飛び越えてしまう人もいるでしょう。
僕には、女性を襲うか襲わないかという問題が、極めて個人的な資質と価値観の問題ではないかと思います。なおかつそれは、家庭の中で養われるようなものだと考えています。
僕のことを“草食系”と言う女友達がいます。その言葉を借りるならば、家庭において“草食的”な資質を教育できれば女性に対する性的犯罪は減るのではないでしょうか。
“肉食系”の積極性と“草食系”の感受性をバランスよく育てる必要があると思います。
しかし、その家庭を誰がどのように教育するのかが、一番の問題です・・・

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