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2010-03-31

愛の起源

70年代の終わり頃、18歳の私は初めて男の人と付き合い、半年経って別れた。同じ頃、『話の特集』という雑誌を購読するようになり、そこで中山千夏を知った。ウーマン・リブという言葉がまだリアルなものとして生きていた時代である。

フェミニズム系の本には親しんでいなかった私だが、中山千夏の言葉遣いには興味を引かれ、『からだノート』という本を買った。


1ページに一つずつ、性についての短いカジュアルな文章が書かれている中に、恋人らしい男女の会話としてこんなものがあった。既に本が手元にないので記憶で書く。

男「どんなに抱き合っても一つにはなれないんだね。さびしい」

女「だから抱き合えるのよ。うれしい」


当時これを読んで、なーんかドラマの台詞みたいでちょっとこっぱずかしいなーという感じをもちつつも、「うまいこと言うもんだ」と感心したのを覚えている。

男と女に台詞が振り分けられているが、恋愛がピークにさしかかった時に、一人の人間の中に同時に沸き上がってくる思いとして理解できた。性愛を駆動させるのは、この決して和解しない二つの感情だ。


物理的には無理なのに、なぜ誰かと一体になりたいという欲望が生まれるのだろう。それは生殖本能があるからだという説明がある。が、それだと同性愛を説明することができない。

この愛(エロス)の起源については昔の人もいろいろ考えたらしく、プラトンの『饗宴』の中でアリストパネスが語っている物語が有名だ。


曰く、古代、人間には三つの種類があった。一つは男と男の結合体、一つは女と女の結合体、あとの一つは男と女の結合体(アンドロギュヌス)。人間は四本の手足を持ち、四つの目で周囲を見渡し、完全に充足した存在であった。

やがて彼らは自惚れて、神に反乱を起こそうとした。それを恐れた神は、それぞれの結合体を真ん中からまっぷたつに切り裂き、ばらばらにしてしまった。二度と神に歯向かうことのないように。

それ以降、人間たちは失われた片割れを探し、再び完全なかたちに戻りたいと欲するようになった。つまり男 - 男の結合体だった者と女 - 女の結合体だった者は同性を求め、女 - 男の結合体だった者は異性を求めるようになったのだと。*1

これに即して考えると、「どんなに抱き合っても一つにはなれないんだね。さびしい」は、二つに引き裂かれる前の欲望が完全に充足した結合体(理想)への郷愁であり、「だから抱き合えるのよ。うれしい」は、不完全な個体として永遠に充足しない欲望(現実)を引き受けようという覚悟になるだろう。


この物語は、ロックミュージカル映画『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』の中で、そのまま『Origin of love』というタイトルで、性転換手術に失敗した主人公ヘドウィグによって歌われる。

ここには当然セクシュアルマイノリティの主張が込められているのだが、それと共に、ヘドウィグというトランスセクシュアルな人間が、自分のmissing half=運命の恋人 がどこかにいるという信念を手放せないでいることを示している。


ヘドウィグを女性だと思って恋し、勘違いに気づいて逃げたトミーは、最後の方で自分の振る舞いを謝罪しヘドウィグをリスペクトしながら、「運命に見捨てられたと君は言うけど、きっと空には空気しかないんだ」「運命で結ばれた宇宙の恋人達もいない」と歌う。

ヘドウィグが自身のテーマソングとして歌い続けてきた『愛の起源』のロマンティシズムを否定するような、かなりペシミスティックな(しかしとても美しい、弱っている時に聴くとオイオイ泣かずにはいられない)歌である。

これは、「失われた片割れを見つけなければ自分は「完全」にはなれない、幸福ではない」というヘドウィグの思い込みに対して、「その考えへの執着自体が自分を不幸にしているのではないか?」という厳しい問いを投げかけているものと、私は解釈した。

最終的に、二つで一つの顔を成していたヘドウィグの腰のタトゥーは、ただの一つの顔になる。しかし「男でも女でもない」ヘドウィグが誰も求めず一人で生きていくのかどうか、それが可能なのか否かは、多様な解釈を残すようなエンディングになっている。


ちなみにこの映画を私は大学の授業で使っているのだが、『愛の起源』にいつも大きな反応が集まり、感想文に「歌詞に感動した。是非CDを買って聴き直したい」と書く学生が何人も出る。*2

他のアンケートなどでは、恋愛についてわりかしドライで淡白な傾向が見えるけれども、失われた自分の片割れというイメージは、案外セカイ系っぽい文脈で琴線に触れるところもあるのかもしれない。



からだノート (1977年)

からだノート (1977年)

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

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*1フロイトは「愛の本質はエロスである」ということを言うためにプラトンの『響宴』を参照した。一方ラカンはこの愛の片割れ探求の物語を、「主体による、性的な補完物の探求ではなく、主体自身の永遠に喪失されてしまった部分、つまり彼が性別化された生き物でしかない、そして、もはや不死ではないという事実によって構成される部分の探求」であるとしている。男も女も、もともと完全な人間になることに失敗した者として生まれてくるということか。

*2:愛の起源、歌詞でググると全訳が出てきます。

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