食べ物の二つの相に孕まれる滅びの予感 - 『流れる』

流れる [DVD]

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戦後の零落していく花柳界を一軒の芸者置屋を舞台に描いた、幸田文の同名小説が原作のこの古い映画の、何がそんなに面白いのか‥‥‥どんなレビューを見ても特筆されている錚々たる顔ぶれの女優たちの役への嵌りぶり、花街の路地の見事なオープンセット、二階建ての日本家屋の狭い空間を効果的に切り取って見せるカメラワーク、浴衣や着物や帯の柄が場面場面でぴったり決まるよう計算し尽くされた衣装、そして何より、情緒に流れず絶妙な距離感で一つの世界の静かな崩壊を淡々と描く演出の冴え‥‥。
そのような褒め言葉をいくら並べても、ちっともこの映画の尽きない面白さには辿りつけない。少なくとも私の考察力と文章力では。
成瀬巳喜男監督の『流れる』(1956年)は、私にとって、そういうとても悔しい映画である。


冒頭からいかにも落ち目の芸者置屋ならではの小さな諍いの場面があり、それが厄介な揉め事へと発展していくのだが、この映画の画面を基本的に支配しているのは、あくまで日常の瑣末な物事である。
登場人物たちは電話の応対をし、客人を迎え、送り、出前を頼み、風呂の掃除をし、化粧して仕事に出かけ、帰ってきて浴衣に着替え、仕舞っていた着物の虫干しをし、買い物に行き、喫茶店ソーダ水を飲み、子供と花火をし、布団を敷き、朝寝をし、歯を磨き、姿の見えない飼い猫(この猫の顔つき体つき尾の曲がり具合がまた、よくぞ見つけてきたと思うほど嵌っている)を探す。
煩雑で凡庸な些事の反復で出来上がっている日常のシーン。それが積み重ねられていく過程で、芸者たちの普段の生活のリアリティが画面から匂ってくる。


その中で浮上するトラブルは例によって金の問題であり、それはこの置屋「つたの家」の存続問題にも関わることではあるのだが、最後にゴタついていた揉め事がようやく解決し、やれやれこれで一安心、これからも変わらぬ日常が続くだろうと女主人の山田五十鈴が肩の荷を下ろした気分になっている頃、既に後戻り不可能な壊滅的な地滑りが起き始めていることを映画を見ている者は知らされる。実にサスペンスフル。しみじみと底冷えのするような展開だ。
その地滑りの微かな予兆を、直接の要因である旅館の女将栗島すみ子の一見親切そうなふるまいだけでなく、日常を描写する画面の中にいかにさりげなく埋め込むかに、演出の手腕が振るわれていると言ってもいいかもしれない。



そういうわけで、この映画には食べ物がよく出てくる。
と言っても、小津安二郎の映画のように、茶の間の食事風景や鰻屋やトンカツ屋のランチや料亭での宴会シーンがあるわけではない。住み込み女中の田中絹代が味噌汁か何かの鍋の蓋を取って覗き、ちゃぶ台に茶碗を並べて準備する場面はあっても、置屋の住人達がそれを囲むシーンは省かれているし、料亭のシーンは食事が出る前に切り替わる。たびたびやって来る金貸しの姉、賀原夏子山田五十鈴が一緒にご飯を食べていくよう勧めるが、彼女は断って帰ってしまう。
それでも食べ物に関するやりとりは印象に残る。以下、DVDを見ながら順に書き出してみた(役柄と俳優のマッチングがわかるようにすべて俳優名で記している)。


1. 高峰秀子(娘)と山田五十鈴(母)の会話。
「晩のおかずは?」
「米子おばさんと相談しなさい。何にもしないんだからねぇ、あの人は」
「米子」は旦那と別れ子供を抱えて置屋に転がり込んでいる山田五十鈴の妹。中北千枝子のだらしない浴衣の着方に生活態度がよく現れている。


2. 自分のアパートがあるのにしょっちゅう晩のおかずを買ってきては「つたの家」で食べている大年増の三味線芸者杉村春子が、コロッケの包みを持って台所に来るシーン。
「ちょっとソース貸して、ソース」
「はい、おソースでございますか」
この家に来たばかりの女中、田中絹代がややまごつきながら戸棚からソースを出す。馬鹿丁寧な言葉遣いが可笑しい。


3. 田中絹代杉村春子に呼びかける。
「染香さん、お頼まれもの買ってきました。はい、コッペパン一つ、コロッケ三つ」
待ってましたと受け取る杉村春子
「揚げ直してもらいましたの。熱い方が美味しいでしょうと思いまして」
相好を崩して喜ぶ杉村。田中絹代の気配りがよくわかる場面。


4. 冒頭の金銭トラブルで出ていった芸者の伯父、宮口精二に怒鳴り込まれ、まずは酒と食べ物で時間稼ぎをしようとする山田五十鈴が、田中絹代を呼び金を渡す。
「お春さん、お鮨屋行ってお酒2本ね、何かおつまみ見繕って持ってきて下さいって。それから、何か果物‥‥梨でいいわ。二つね」


5. 田中絹代は梨を買いに行き、自分の小遣いで林檎も買ってくるが、間違えてそっちの方のお釣りを山田五十鈴に渡し、釣り銭が多いと言われて理由を喋る。
「林檎一つ、不二子さん(米子の子供。風邪で寝ている)に煮てあげようと思いまして。去年亡くなった子供が熱の高い時に喜びましてね」
あちこちにツケが溜まるほど経済事情が逼迫しているのを知っている女中としての気遣い。暑い盛りで値の張る林檎を病人のために買ってくる優しさ。


6. 頑固な宮口精二が二階に居座ってしまったので、山田五十鈴はまた田中絹代に言いつける。
「お春さん、ご飯もの取ってよ。どんぶりでいいわ。天丼一つね」
散々飲み食いさせ、お迎えの人力車(昭和31年でまだ東京にそんなものがあったんですね!花街限定だろうけど)を呼び旅館まで取ってやって、ようやく夜遅くに宮口を帰らせる山田。*1


7. 深夜、巡回の警察官がやってきて洗濯物の取り込み忘れを注意する。寝ていた芸者たちは起き出し、玄関先に警察官を座らせおべっかを使う。山田五十鈴田中絹代を呼び「急いで五目そば一つ」。電話で注文するのかと聞く彼女に、裏から頼めと言う。家の裏がラーメン屋。
田中絹代は板塀の脇に箱を置いて乗り背伸びして、隣接する店の厨房の開いていた高窓から、片付けをしかけていたラーメン屋店主に注文する。やがて出来上がった熱い五目そばのどんぶりを、店主から塀越しに危なっかしく受け取る田中絹代
山田五十鈴が「裏から」を命じたのは、もう店仕舞いしていることを知っていたからだろう。巡回の警察官を態々もてなすのは、「何かあってもお目こぼしを」という心理があるからと思われる。*2


8. OL上がりの若い芸者岡田茉莉子が、昔の恋人の誘いを受けて旅館に行く前に、電話で手土産のサンドイッチを注文する。
「チキンサンドできる? じゃ野菜つけて箱詰めにして持って来て。二人前ね」


9. 揉め事が収まらず、山田五十鈴母子と宮口精二が警察署に呼ばれて出て行った昼間。杉村春子が「あーおなかが空いた。朝ご飯まだなのよ。ライスカレーが食べたいわ」などと勝手なことを言い、寝ていた子供が「不二子もライスカレー食べたい」と真似て、母親に「まだお粥しかダメ」と嗜められる。「お粥まだ?」と台所に向かって言う子供に、前掛けで手を拭きながらにこやかに田中絹代
「もうすぐですよ。美味しい梅干しも買ってきましたからね」
「梅干しだなんて縁起でもない。お茶引くわ」と、空腹で苛ついている杉村春子が突っ込みを入れる。梅干しは皺が寄っているから芸者置屋では嫌うという意味だろうか。


10. 旅館の女将栗島すみ子に呼びつけられた田中絹代は、抵当に入っていた「つたの家」を買い取った彼女が山田五十鈴らを追い出して、そこを旅館にしようとしていることを知る。働き者であるところを見込まれ、旅館の女中に収まらないかとの申し出を丁重に断った田中は、重い気分で帰宅。一同が揃っている茶の間に、おやつ(見たところ餡饅のようだ)の皿を持っていく。
「これ、皆さんに。あんまり美味しそうでしたので。私の奢りでございます」
田中絹代は今後増々零落していくだろう山田五十鈴らに心底同情しており、それが「私の奢り」という形で現れている。何も知らずに喜ぶ一同。よく出来たお手伝いさんを褒めちぎる山田五十鈴
二階でミシンを踏んでいる高峰秀子のところにも、おやつを持っていく。置屋商売がいずれ潰れることを察知して洋裁の内職を始めている高峰が、これからもずっと家にいて何かと相談相手になってほしいと言うのに対し、それとなくいずれ田舎に戻らねばならない話をする田中。会話が途切れたところでふと笑顔に戻って、
「お饅頭を。わりといいあんこでございますよ。おぶう、持って参りましょうね」



最初の方の山田五十鈴高峰秀子の会話(1)では、この家の人々が自分たちの食事にあまり気を遣わないさまが見てとれる。
食いしん坊の杉村春子を除いて、置屋の人々がものを食べる場面はない。杉村春子にしても、自分の鏡台の前で一人でもそもそ食べるだけ。共同体の結束にとってもっとも重要なことは「共に食べる」ことだから、そのシーンの省略はこの家の人間関係がぎくしゃくしていることを示している。


置屋の女たちにとって食べ物は何かと言えば、とりあえず「男にあてがうもの」である。
ある時は出て行った芸者の伯父の攻撃を逸らすため(4、6)、ある時は地域のお巡りの歓心を買うため(7)、ある時は昔の男から金をせしめるため(8)。食べ物は「もてなし」の形を借りて、利己的な目的に使用されている。ここで食べ物は女の性そのものを象徴的に現しているとも言えるだろう。
だが、その「もてなし」が実を結ぶことはない。宮口精二は翌日再びやって来てゴネるし、揉め事の件で警察署に呼ばれて終日潰れるし、昔の恋人は只で遊ぼうとするのだ。
こうした、男の欲望(当面の食欲や性欲)を一時的に満たすことで生きながらえるという「花柳界脳」しかない山田五十鈴が、何倍も商売上手で人を使うことに長け頭のキレる栗島すみ子にしてやられるのは、いくら美人で芸に秀でていたとしても理の当然なのだと思えてくる。


「男にあてがうもの」としての食べ物とは対照的なのが、女中の田中絹代が女たちに供する食べ物である。
一人侘しく夕食を摂る杉村春子のためにコロッケを揚げ直してもらい(3)、病気の子供のために林檎を煮てやり(5)、粥に添える「美味しい梅干し」を買い(9)、最後は「私の奢り」で皆に「おまんじゅう」をふるまう(10)。
実際にはコロッケと餡饅が画面にちらりと映るだけなのに、見ていると(田中絹代の台詞を聞いていると)、揚げたてのコロッケや、冷たくした林檎のコンポートや、梅干しの載った熱いお粥や、ふっくらとした餡饅が無性に食べたくなってくる。山田五十鈴田中絹代に言いつけて店から取らせる鮨屋のつまみや天丼や五目ソバなどよりは、慎ましい地味な食べ物ばかりだが、ずっと美味しそう。
細々した愚痴や厭味の応酬とみみっちい金の算段で明け暮れている家の中で、それらの食べ物についてやりとりされるシーンは、提供者田中絹代の丁寧な言葉遣いや温和な表情と相まって、女たちも映画を見る者もほっと暖かい気分にさせる。そこにあるのは何らかの取引ではなく、「美味しいものを食べてもらいたい」という純粋な気持ちだけだということが直裁にわかるからである。


「つたの家」が傾けば傾くほど、女たちは田中絹代の存在に感謝し、田中絹代の献身は深いものになっていくが、それもやはり実を結ぶことはない。状況の変化に気づかない(気づいたところで対応できない)山田五十鈴的生き方は、状況を先読みして金儲けのできる栗島すみ子的な生き方に敗北し、旧態依然とした花柳界を嫌い自立を目指す高峰秀子的生き方とも融和しない。
時代に取り残されたものは滅びていくしかないということを、三味線+謡とミシンの音の交錯で感じさせるラスト。こうした構図は題材を変えれば、現代でも至るところにあるように思われる。


では、(この映画における)田中絹代的な生き方はどう捉えればいいだろうか。
もしそれが妻や母、あるいは男ばかりの職場の婦人という役回りなら、伝統的な価値観、ジェンダー規範に従順なだけと見ることもできようが、彼女が献身しているのはあまりこの先明るい未来のなさそうな女たちである。もちろんそういう女たちを余裕で憐れむことができるほど、田中絹代が恵まれているわけでもない。
夫と子供に相次いで死なれ、頼る者もなく東京に出てきて傾きかけた置屋の住み込み女中として働くという身分で、安い給料分以上の仕事などしなくてもいいのに、自分の身銭を切って精一杯の心尽くしをし、それで束の間周囲に「幸福」をもたらした。
簡単に言えばそれだけのことだが、食べ物が絡む場面だけでなく、田中絹代が登場するほとんどすべての場面に、その身についた「利他的な生き方」が浮かび上がっている。悲劇のヒロインは山田五十鈴だが、田中絹代はもう一人のヒロインだ。そして、「滅び」を描いたこの映画で、田中絹代が体現しているものこそ、完全に失われたものである。今から半世紀前の日本では、それを「美しい生き方」として描くことにまだ幾分のリアリティがあったとしても。
そのことに気づく時、彼女の差し出すコロッケや餡饅といった安い食べ物が、この上なくかけがえのないものとして映るのだ。


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左から栗島すみ子、高峰秀子山田五十鈴田中絹代。この絵は見かけなかったのでおそらくスチールと思われる。山田五十鈴が膝に猫を抱いているが、なんだか頭が二つ見えるような‥‥映画では一匹だったけど‥‥気になる。

*1:こうした散財ができたのは、直前に旅館の女将の栗島すみ子から受け取った10万円があったからだが、その金はかつて山田五十鈴が世話になった代議士から出ている。栗島すみ子は先生の好意だと山田五十鈴に思わせ会いに行かせるが、当人は来ず山田は落胆する。10万円は手切れ金だったのだ。そのことを最初から知っていて、親切を装いながら山田に打撃を与え自分の計画を推進し易く立ち回る栗島すみ子の老獪さが凄い。

*2:映画が公開された昭和31年は売春防止法の制定された年。原作はその2年前に書かれた。防止法施行前夜の花柳界の雰囲気は、昭和28年公開の溝口健二監督『祇園囃子』にも垣間見られる。東京と京都という違いはあるが、見比べると面白いかもしれない。